はてなキーワード: 人生観とは
夫が、娘を、腐女子と言い出した
私と家族の詳しいスペック(例えば身長体重、美人不美人、友達の数や成績)は書かない。それは本題ではない。(先に書くと、むしろそういう関連付けを拒むべきというのが私の意見、結論だ。)
お盆に先立ち、中学生の娘は先に、比較的近所の私の実家に帰っている。
娘が出かけた夜、私の夫が、こんなことをいってきた。
「娘は腐女子なのではないか?どうにか腐女子にならない人生を歩ませることはできないのか?」と。
私は耳を疑ったし、そういうことをいう夫に悲しくなった。
実の娘に対してそういう感情を抱くのか、とか、本人のいない前で悪口のようなネットミームを擦り付けるのか、とか、色々な感情がよぎった。
腐女子という言葉、ネットミームは、私も一応知っている。知っているといっても、BL(ボーイズラブ)を好んでいる女性、という、何か表面的なことだけだが。
私は夫に、「ネットミームで人を呼称するようなことはしないでほしい」ということを伝えたうえで、なぜ娘を「腐女子」だと思うのか、夫の考える「腐女子」とはそもそもどんな存在なのか、など尋ねてみた。
夫曰く、(いくつかの会話を私がまとめたものだが)
・まず「腐女子」とは、社会生活を営む上でリーダーシップや創造性などが見受けられず頼りなく、特に異性関係においても劣位ないし全く展望が望めず、またそれによって勝手に逆恨みや卑屈さを増幅させ悪循環に陥るであろう女性の総称。
・この「腐女子」という言葉は、夫の友人たちのLINEグループなどでまず概念を知り、そのあと個人的に調べて、腑に落ちたので使うことにした。六月ごろからこの言葉をもとにした娘への疑念が生じた。
・娘を「腐女子」と思った理由は、娘の(公表しない個人的なスペック)や交友関係や部活動での立ち位置などを広く見たうえで、前述の素質が多くみられるから。
私は、仮に娘が「腐女子」だとして、一体何の問題があるのか、いくつか思いつく例を挙げて聞いてみた。ただ、私もショックというか悲しい気持ちがあり、うまくまとまった受け答えができていたかは分からない。
(私)出自とか社会的階層による差別が許されない社会において、どうして「腐女子」という概念を娘に当てはめようとするのか? 我々も例えば「ゆとり」とか「新人類」とか「さとり世代」とかただ生まれた年代でレッテルを張られる辛さを経験しているはずであり、それをネットミームで何故繰り返すのか?
(夫)そう感じてしまったものは仕方がない。父親であっても異性としての視点があり、娘がこのままでは対人関係面で悪化するのを予想できる。腐女子という分かりやすい言葉がある以上それを使うのは当然だと思う。
(私)私も夫も娘の人間関係をすべて知っているわけではないし、まずそもそも、仮にその「腐女子」で何が悪いのかわからない。娘は何の非行もしていないし、いや、逆にしていたら「腐女子」じゃなくなるのか?(何だか屁理屈っぽいが私も混乱していた)
(夫)娘にスクールカースト上位になってほしいとかそういうのではなくて、ただ普通の人間、社会生活を営む上で常識的な身のこなしとか、総体的なことを重視できる人間になるべき。
(私)娘は、まだと言おうが、もうと言おうが、中学生であり、親に関与できる部分もあれば、娘個人の未来もある。私も夫も、自分のやってきたことを娘に強制できる人間ではないし、まずそういう人生観を伝える上で「腐女子」ということばを使うのが間違っているのではないか。
(夫)だから、今までそれを言い表しづらかったのが、新しい言葉ができた以上、「腐女子」という言葉を使うのは当然だという話。話さなければよかった。
(私)娘には、まさか、面と向かって「腐女子」などと言う言葉を使ったのか?
(夫)使っていない。(これは本当だと思う。娘が何かショックを受けたり夫を避けてる様子はないので。そう信じたい)
夫が、私にこのことを話さなければ(相談しなければ)よかった、と言っている通り、この数日間、私と夫は少し(というか私の側からはかなり)ぎくしゃくしてしまっている。
個人的なスペックについて話さないとは書いたが、少なくとも夫がこれまで、このようなネットミームを使ったり、なんというか、「生理的に無理」「キモイ」みたいな即物的なことばを頻繁に使う人間ではなく、娘に対してもちゃんと親としての見守りを並んでしてきてくれたと思っていた。故にショックが大きかった。
しかし夫にとっては、娘が「腐女子かもしれない。腐女子だ」ということが、「親としての責任、見守り」という認識なのだということにも思い至っている。何か、本当に根本から食い違っていることだけはわかる。
ただ、私は腐女子という言葉や概念自体を否定したい立場だ。特に、まとめサイトでやいのやいのいう次元ではなく、親が子供を指して使う言葉ではないというまず常識のレベルで。
だが、なんというか、これ以上どうしたらいいのかわからない。一度腐女子という言葉を知り、娘に当てはめてしまった以上、夫は娘に対し、何をするのか。さっきも書いたが、「腐女子」という概念自体が良く分からないので、どうなるのか分からない。
単に「シャキッとせえ」「ええかっこしい」みたいな次元ではなさそうだ。私に「娘が腐女子だ」という以上、子育てとしての問題意識があるのだろう。母としての自分は、では「腐女子」に対する何かを打ち出せたのか。
一度行ったほうがいい、人生観変わるよ
これって、単純に元増田と妻のコミュニケーションがうまく行ってないだけの話じゃないか?
(妻)~チー牛という分かりやすい言葉がある以上それを使うのは当然だと思う。(自己正当化)
(私)~まずそもそも、仮にその「チー牛」で何が悪いのかわからない。(論点のすり替え)
(妻)~総体的なことを重視できる人間になるべき。(価値観の押し付け)
(私)~自分のやってきたことを息子に強制できる人間ではないし、まずそういう人生観を伝える上で「チー牛」ということばを使うのが間違っているのではないか。(相手の行動の否定)
↑価値観の押し付けに関しては、ちゃんと自分の意見を開示してくれてる、と俺は思うけどな。
多くの場合女性側が何らかの不安を抱えていることが多いので男性側が上手く受け止めてやる必要があるが、レスバの様子から察するに、元増田もかなり疲れてると見受けられる。
私と家族の詳しいスペック(例えば身長体重、美人不美人、友達の数や成績)は書かない。それは本題ではない。(先に書くと、むしろそういう関連付けを拒むべきというのが私の意見、結論だ。)
息子は中学生、一人息子。妻は三十代後半。私は四十代。
お盆に先立ち、中学生の息子は先に、比較的近所の私の実家に帰っている。
息子が出かけた夜、私の妻が、こんなことをいってきた。
「息子はチー牛なのではないか?どうにかチー牛にならない人生を歩ませることはできないのか?」と。
私は耳を疑ったし、そういうことをいう妻に悲しくなった。
実の息子に対してそういう感情を抱くのか、とか、本人のいない前で悪口のようなネットミームを擦り付けるのか、とか、色々な感情がよぎった。
チー牛という言葉、ネットミームは、私も一応知っている。知っているといっても、あの有名な画像と、牛丼店でチーズ牛丼を頼みそうな性格・人格、という、何か表面的なことだけだが。
私は妻に、「ネットミームで人を呼称するようなことはしないでほしい」ということを伝えたうえで、なぜ息子を「チー牛」だと思うのか、妻の考える「チー牛」とはそもそもどんな存在なのか、など尋ねてみた。
妻曰く、(いくつかの会話を私がまとめたものだが)
・まず「チー牛」とは、社会生活を営む上でリーダーシップや創造性などが見受けられず頼りなく、特に異性関係においても劣位ないし全く展望が望めず、またそれによって勝手に逆恨みや卑屈さを増幅させ悪循環に陥るであろう男性の総称。
・この「チー牛」という言葉は、妻の友人たちのLINEグループなどでまず概念を知り、そのあと個人的に調べて、腑に落ちたので使うことにした。六月ごろからこの言葉をもとにした息子への疑念が生じた。
・息子を「チー牛」と思った理由は、息子の(公表しない個人的なスペック)や交友関係や部活動での立ち位置などを広く見たうえで、前述の素質が多くみられるから。
私は、仮に息子が「チー牛」だとして、一体何の問題があるのか、いくつか思いつく例を挙げて聞いてみた。ただ、私もショックというか悲しい気持ちがあり、うまくまとまった受け答えができていたかは分からない。
(私)出自とか社会的階層による差別が許されない社会において、どうして「チー牛」という概念を息子に当てはめようとするのか? 我々も例えば「ゆとり」とか「新人類」とか「さとり世代」とかただ生まれた年代でレッテルを張られる辛さを経験しているはずであり、それをネットミームで何故繰り返すのか?
(妻)そう感じてしまったものは仕方がない。母親であっても異性としての視点があり、息子がこのままでは対人関係面で悪化するのを予想できる。チー牛という分かりやすい言葉がある以上それを使うのは当然だと思う。
(私)私も妻も息子の人間関係をすべて知っているわけではないし、まずそもそも、仮にその「チー牛」で何が悪いのかわからない。息子は何の非行もしていないし、いや、逆にしていたら「チー牛」じゃなくなるのか?(何だか屁理屈っぽいが私も混乱していた)
(妻)息子にヤンキーになってほしいとかそういうのではなくて、ただ普通の人間、社会生活を営む上で常識的な身のこなしとか、総体的なことを重視できる人間になるべき。
(私)息子は、まだと言おうが、もうと言おうが、中学生であり、親に関与できる部分もあれば、息子個人の未来もある。私も妻も、自分のやってきたことを息子に強制できる人間ではないし、まずそういう人生観を伝える上で「チー牛」ということばを使うのが間違っているのではないか。
(妻)だから、今までそれを言い表しづらかったのが、新しい言葉ができた以上、「チー牛」という言葉を使うのは当然だという話。話さなければよかった。
(私)息子には、まさか、面と向かって「チー牛」などと言う言葉を使ったのか?
(妻)使っていない。(これは本当だと思う。息子が何かショックを受けたり妻を避けてる様子はないので。そう信じたい)
妻が、私にこのことを話さなければ(相談しなければ)よかった、と言っている通り、この数日間、私と妻は少し(というか私の側からはかなり)ぎくしゃくしてしまっている。
個人的なスペックについて話さないとは書いたが、少なくとも妻がこれまで、このようなネットミームを使ったり、なんというか、「生理的に無理」「キモイ」みたいな即物的なことばを頻繁に使う人間ではなく、息子に対してもちゃんと親としての見守りを並んでしてきてくれたと思っていた。故にショックが大きかった。
しかし妻にとっては、息子が「チー牛かもしれない。チー牛だ」ということが、「親としての責任、見守り」という認識なのだということにも思い至っている。何か、本当に根本から食い違っていることだけはわかる。
ただ、私はチー牛という言葉や概念自体を否定したい立場だ。特に、まとめサイトでやいのやいのいう次元ではなく、親が子供を指して使う言葉ではないというまず常識のレベルで。
だが、なんというか、これ以上どうしたらいいのかわからない。一度チー牛という言葉を知り、息子に当てはめてしまった以上、妻は息子に対し、何をするのか。さっきも書いたが、「チー牛」という概念自体が良く分からないので、どうなるのか分からない。
単に「シャキッとせえ」「ええかっこしい」みたいな次元ではなさそうだ。私に「息子がチー牛だ」という以上、子育てとしての問題意識があるのだろう。父としての自分は、では「チー牛」に対する何かを打ち出せたのか。
15年以上前、アラサーだった自分は新人文学賞などを目指して小説を書いていた。
土日の大部分は小説を書く作業と、小説を書く人が集まる社会人講座の授業に費やしていた。
5年位は続けていたが、やめてしまった。
自分が書くべきことが次第に思いつかなくなってしまったことと、他の受講者の作品や本屋さんで売っている小説を読んでいるうちに、自分には向いていないしセンスがないことがだんだんわかってきたからだ。
ところが最近、自分のパソコンのフォルダを漁っていたらその頃の小説のpdfが出てきた。書くのをやめてばかりの頃は恥ずかしいし痛いから二度と読むまいと心に決めていたが、今の心情としては死ぬ前にあと1回位は読んでもいいかもしれない、小説の見え方も書いていた当時とは大分違うかもしれないと思い、斜め読みでもいいからとりあえず読んでみることにした。
登場人物やあらすじについては触れない。
A
小説を書いてみたいと思って社会人講座に通い始めて間もない頃に初めて書いた。原稿用紙350枚ぐらい。
登場人物の言葉遣いが汚い。直情的すぎる。登場人物の中でホモと疑われる教師がいたのだが、今の時代ではアウトすぎる表現だった。
物語の展開が都合良すぎる。
恋愛描写がくどい。多分これが、よく言われるところの、素人のおっさんが初めて書く小説にありがちな痛さかもしれない。
書いてる時には恐らく頭の中で見えていたはずのものが文字になっていないからなんのことだかわからない記述がある。
過去の知り合いを物語の中で過剰に美化している。つまり、自分の当時の人生観が未熟で甘いということだろう。
主人公がずっと目指していた目的地がいつの間にかすり替わっているのに物語中では一切理由がわからない。
親の心とかの描写が表面的すぎる。
内容をほとんど忘れていたので次の展開が読めないところは楽しみでもあった。
瑞々しい恋心みたいなのはちょっとよみがえった気がした。今よりも恋愛至上主義が強い世相の中で流されつつ抱いた渇望感みたいのを思い出した。
小説すばる新人賞に応募したが1次選考にも残らず。当時はなんで?なんで?って感じだったが(それも恐ろしいことだが)今読めば選考に残るわけないのは十分納得。
B
Aの2年後ぐらいに書いた。原稿用紙500枚。
主人公の思考、社会への目があまりにもすさんでいる。それは当時自分がそうだったことの裏返しだろう。
弱者を執拗に否定しようとする力の存在をことさら強調し絶大視しようとする描写がいくつかあって、それが自分の人間的未熟さというか卑屈さを浮き彫りにした。
犯罪のトリックが稚拙。USBメモリ紛失をでっち上げただけで大企業の情報漏えい事件発生というのは無理がある。
簡単に人が死ぬ。こんなに登場人物をたくさん殺しているのにその必然性も後片付けもないと、当時通っていた講座の講師にも指摘された。
書いた当時の10年後つまりここ最近の時代が舞台なのに、現代のキャッシュレス社会を予見できなかった。虹彩認証でコンビニで1000万円までの現金を下ろせてしまうという設定にはあまりにも無理があった。
刑事がすぐに暴言を吐き暴力を振るう設定が安直すぎる。下手をすれば職業蔑視とも受け取られかねない。
いい奴の主人公が最初のシーンだけめっちゃ嫌なやつ過ぎてその後のシーンでの性格とあまりにも整合性がつかなすぎる。
氷河期世代負け組アラサー男性の絶望感と人生をやり直しの希望みたいのは出たと思う。
当時の自分は成功したあっち側ではなく、だめなこっち側の人間なんでこっち側の怒りや絶望を描いたつもりだったのが、その描写に卑屈なところがあるため、かえってこっち側の怒りを買いそうでなおかつあっち側からは苦笑いか同情でもされそうな残念感が今も残る。
「このミス大賞」に応募して、もちろん1次選考には通過しない。当時はそんなもんか、という印象だったが、今だったら通るわけないと十分納得。
C
Bを書いた後に、今度は誰も死なない話を、なるべく心温まる話を書こうと奮起して書いた。原稿用紙350枚。
登場人物で、モデルとなる実在人物がそれまでで一番多い。そのためか痛さが際立っている。
物語の展開にAやBほどまでの唐突さはないが、それでも十分唐突。
今どき年寄りしか使わないような方言を若者世代にまで喋らせていてあまりにも無理がある。
難しい命題を掲げておいて導き出した答えがあまりにも安直で稚拙。主人公は大学生なのにこれじゃ中学生かよって感じがしてしまう。
書いている当時は見えていたものを本文に描写していない(書いた気になってる)のでなんのことかわからないシーンが一箇所あった。
主人公のイチャラブシーンがくどい。がそういうのがいい人はいるのかも知れない。ただし、人物描写に深みがないからやはり読む人が読めばつまらない。
もし登場人物のモデルとなる実在人物にこんなのを読まれたらと思うと恐ろしい。
縁あって知り合いの編集者の方に読んで頂いたところ「よいところは何一つない」と断言され、大沢在昌の小説入門のような書籍で勉強することを真剣に勧められた。(一通り読んでみたが実践にまで及ばず自分の血肉とはならなかった)
小説すばる新人賞に応募し、もちろん1次選考に通過しなかった。当時の印象としては、やっぱそうだよなって感じだった。
D
Cを書いてから2、3年後に、通っていた講座の課題として書いた。原稿用紙100枚。
書くことがなくて無理やりひねり出した感が強く出てしまっている。
既存の小説のシーンを堂々とパクっている(ある小説で、土砂を積んだダンプカーが横転して人が生き埋めになるのを見て笑う男のシーンがある)
書いている当時頭に思い浮かべていたシーンと実際に書かれた描写とでまだギャップがある。
(全体を通して…)
読み返す前は「小説家になろう」とかにupしてもいいかなーとか思ってたが、読んでみると、、やっぱり、、、無理だわ💦
(追記)
増田の反応が意外と生ぬるい称賛みたいのが多くて拍子抜けした。
きしょっ💦💦
クソワロタwwwwwww
みたいのを想像してた。
時間と労力をかけて書いたものでも、客観的に見るととても拙く、世に出るレベルに至ってないというのが、趣味としてやるにもなかなか難しいところであることを実感した。
しかもそうやって自分の作ったものをある程度客観視できるようになるのに10年以上も寝かせるというのもある意味めんどくさい。
よく、10000時間修練すればいろんな趣味や技術はモノになる、というようなことを言われるけど、自分の場合、多分10000時間には届いていないのでまだ努力を続ける余地はあったのかも知れない。
(今じゃほとんど)自分より若いデビュー小説家や芥川賞直木賞受賞者の方は努力もすごいがやっぱりセンスとか目指してるものとか見えてるものが自分とは全然違うんだろうなと改めて思う。
あと、時代の移り変わりが早いのを改めて実感した。
LGBT関係やセクハラパワハラ、キャッシュレス社会、スマホや携帯、若者の言動とか、書いてる当時は気にならなくてもたった10年程度で違和感ありありなのがすぐに浮き彫りになってしまう。
(追記2)
ブコメの中で、自分以外の人に読んでもらったほうがいいというアドバイスをされた方がいたので補足すると、当時通ってた講座の受講生の方にはABCDいずれも読んでいただいたし、一部は友人数名に読んでもらう機会があった。授業で頂いた色んな人の講評などがノートに書かれていたはずだから、後でそれも引っ張り出して読んでみようと思う。特に、通っていた講座の講師の先生には要所要所の指摘やアドバイスを頂き、温かい目で見守って頂けたので今でも感謝している。
つまんなそうとかこんな増田じゃものになるわけないみたいなブコメもあったが、まあその通りだと思っている。自分は、仮に誰もが有無を言わさず好きでも嫌いでもとにかく原稿用紙1000枚ぐらい書いてみればとにかく書きさえすれば100人中50人ぐらいは自分のより面白いのができると思っている。本当に違うのは、書くか書かないか、ただそれだけだと思ってる。
(追記3)
E
ABCDより少し後に読み直した。
Dを書いたよりも1年前ぐらいに書いた。原稿用紙360枚。小説すばる新人賞に応募して、1次選考に通過しなかった。
地元に古くからあったドライブインや商業施設などを舞台として、20代の男女の恋愛とか和解などを描いた。
時代設定を明確に2011年としていたので当時と今とでは大きく時代が変わってしまったことを改めて実感した。
ブログとか掲示板、当時のネットスラング、どれもみな、今ではほぼ絶滅してるようなものばかりだった。
登場人物の人間性に触れるような描写はそれまでの中では一番ましだったと思う。
一方で、あらゆる出来事や現象に理由や理屈をつけなければならない、本文に記述しなければならない、というような思い込みを感じるところがあって、それが読者に違和感を感じさせる要因になるのではないかと思った。理屈じゃない出来事を理屈で説明しようとしている感じ。
ファッションや料理に関する描写が出てくるシーンを書くのが難しかった。その方面の知識や経験の浅さ乏しさがどうしても浮き彫りになってしまう恥ずかしさがあった。
書き始めた頃よりは少なくなったが、登場人物の直情的で暴力的な部分への違和感が残った。自分の中で、世の中はそういうものだという固定観念がまだ残っているようだった。
ABCDに比べて、読むときにもっと気恥ずかしさが残っていて、主観的な視点が抜けきれてない感じがした。
物語のテーマが大きく2つに割れてしまっていて、片方は潔く捨てるべきだったのかも知れないが、どう捨てたらもっと面白くなるのかはちょっとよくわからない。
仕事で疲れて眠れない。
ベッドから起き上がれないほど疲れているのに、眠りに落ちれないほどに疲れている。
無数の後悔が頭の裏側で少し先の未来とずっと先の未来からドンブラコドンブラコと流れてくる。
ベッドに倒れたままでは目を閉じてしまう。
あまりに苦しいので無理やり起き上がった。
上半身の体重をほぼ全部背もたれに預けているせいで椅子のメッシュがベキベキとひび割れてしまうのではないかと不安でしょうがない。
この人生はもう駄目なんじゃないかって10代の頃からずっと感じたまま20年経った。
なんとかするための決定的な一手を打てないまま、奇跡を掴むことが出来ないままで駄目っぽい人生から降りることが出来ないまま引き返せない所まで来た。
レールが乗っているのは奈落へと落ちていくかも知れない無数の谷間の上だ。
「夜に大事なことを決めちゃいけない」と誰もが口を揃えて言うってことは、今の自分の判断力は酔っ払いと同じで完全に間違っている可能性を疑っていくべきだろう。
道路の白線を渡りながらすぐ側にゲームオーバーを幻視する子供のようなものなんだろう。
でも奈落じゃないだけで、今よりもっとマシな電車(どっかの詩人が言ってた「病室のベッド」の方が正確だろう)に乗り換えるチャンスが見当たらないだけだ。
今いる場所がまだマシなんだと思う。
この人生においてはもう。
じゃあどうすればいいのかって考え出していくと、やり直すしか思いつかないんだよな。
宝くじを買って3億円当てるとか、ウイングに行って大穴を当てるとか、そういう方法だってあるはずなのに、それが上手くいくなんてとても思えないんだよな。
今までもっとずっと勝率の高かったはずの賭けに負け続けたはずの俺が今更そういうギャンブルで勝てるなんて。
魂の実在を信じて輪廻転生によって全てをやり直すことが、人生を好転させるにおける「まだ全然現実的な解決策」に思えてくるんだよな。
今やってるゲームと全く違うゲームを始めるほうがずっとマシに見えてならない。
「転生なろう小説に自分を重ねているのは負け組のアラフォー・アラフィフもしくはそれ以上」なんて罵詈雑言でしかないと思っていた。
でも今は分かる。
「もう転生ぐらいしか思いつかない」という強烈な現実直視感(リアリズム)。
信じられねえぐらいに本当にそう感じるんだよな。
人生に仕込まれていた時限装置が起動すると同時に封印を解かれたクオリアが突然精神に作用しだすようなほどに今までと世界観(人生観という方の意味)が変わってしまった。
本当に「転生」が一番現実的に見えるんだよな。
どうなってるんだろうな。
このどうしようもなさ。
日本社会だけなのか?
アメリカでも同じなのか?
若くないっていうただそれだけのことが、こんなにも人生の先行きをデッドロックの塊に変化させられるものなのか?
ハッキリ言って大きなが違いなんて転職のしやすさぐらいしか変わってないはずなのに、5年ぐらい前までと人生の可能性の狭まりがあまりにもレベチでビビっている。
逆に割り切れば、ここまで人生が狭まってしまえば、もう可能性が日々狭まっていくことの焦燥感に苦しまなくていいということに救いを見出せそうだ。
手が届くかも知れない別の人生への憧れに対して心を焦がされることはもうない。
辛い。
身を焼かれながら、もっと足掻けばよかった。
救いがあるとすれば、世界中が同じような状態の中高年で一杯ってことだな。
これが「普通」らしいな!
産まれて初めてそう思うかも知れねえ!
そろそろ寝るか。
ほんと同情すべき点がいっこもねーな。そもそも元婚約者がポンジスキームに「巻き込まれて」莫大な借金が、というが、投資だけでは借金がふくらむわけではないので、結局詐欺の親玉の片棒担いでたって話やろ。多くの詐欺被害者からすれば、あんたが元婚約者にもてなされ贅沢させてもらってた金は、そいつが自分らを騙して巻き上げてた金の一部なわけで、ポンジスキームって言葉知っててからくりを考えたら少しは申し訳ない気持ちになってもいいだろと思うが、そういう気配は欠片もない。その上、
・婚約破棄「された」と被害者ぶってるが、破棄したのはあんたの親族側だろ。
・金を理由に家を追い出「された」と言うが、その親族も金目当てであんたを29まで飼ってたってことか。ひでー家族だが、そいつらに29までのうのうと飼われていた時点で同罪だわ。
・そもそも「愛してた」って、どの辺? ソイツの人間性など何も言及が無い。結局、金の切れ目で縁切ってんだから、それ以外理由がないだろ。自覚無いのか?未練があるのは「手に入りかけてた優雅な社長夫人専業主婦ライフ」の方だろ。
・まともに結婚する気もないのに結婚相談所荒らして回って迷惑かけまくって、「金払えばいいだろ」と言わんばかりに金払って退所。実家金持ちか?お里が知れるな。
・そもそもそれ誰の金だ? 自分で稼いでないなら、おウチからの手切れ金か何かだろ。その後食い詰めたらどうする気なんだ。公的扶助頼りか? まともに働けや少しは。
・SNSで結婚相手募集。応募するヤツも馬鹿だとは思うが「適当に結婚したのだし、適当に離婚すればいいと思ってた」って何? まさか手切れ金ビジネスでも始めたの? あんたも大概犯罪者だな。
・そして真面目に「愛してる」と言い、こんなクズを拾い上げてくれた相手が離婚してくれないことに逆切れ。宛てが外れたんだろうが、相手の戸籍に×イチつけることに反省無し。
・そんな狂った人生観を批判してくれた相手(あんたの人生にようやく奇跡的に現れた「まともな」人間)の説教をモラハラ扱い。
・さらに、自宅ではしつこく離婚しろと迫り相手を鬱に追い込む。なぜ自分の人生を反省する方向へと舵を切らなかった? 真面目に反省してやり直せば、ここからでもワンチャン逆転あったのに。
そして今、か。一体あんた、生きてるだけでどんだけ周りに不幸をまき散らしてきたんだ。空恐ろしくなるレベル。ゴジラか?ほぼほぼ歩く災害。
あんたそもそも生まれてから今まで誰かにいいことしたこと一度でもあるのか?。してもらってばかり、不平不満垂れ流すばっかりで人生渡ってきたんだろうなという感想。普通の人は、幸せになろうと努力して努力してコツコツ積み上げて、それでも不意の災害とかでそれが取り上げられそうになってもめげず、不可抗力を呪わず、与えられたものの中で精一杯のラインを見つけて、そんでやっと少しだけはかない幸せをつかんだり、それも失ったり、またイチから繰り返したり……そういうもんなんだよ。
それを何だ? イイトコ生まれで容姿も恵まれたんだか知らないが、詐欺師にひっかかって頭がパーになって、周りを振り回して迷惑かけまくって「私って何て不幸なのかしら」…とか。アホか。そんなこと言う前に、自分が迷惑かけた人間のところ全部回って土下座して、できる限りの償いをしろ。あるいは、今更どうにもできないなら、せめてそれに見合う社会貢献をしろ。薄給に耐え、社会のためになる仕事に就いて、身を粉にして働け。自分のことは全部後回しにして10年は仕事に命捧げろ。そんで「あの人はなんであんなに人のために一所懸命になれるんだろ?……」「実はね、ああ見えてあの人若い頃……」「え、信じられない……でも、それであそこまでできるってスゴイですね」とか言われる位になれ。そうしてやっと、マイナス1000点くらいのレベルにあったあんたの人生も、何とか死ぬまでにゼロに戻せるかなぁ……くらいまでは浮上するかもしれない。そうなって初めて、幸せの欠片ぐらいは見えてくるだろ。
誰も教えてくれなかったのかもしれないが、この世界、厚意や幸福というパイの取引において、誰かを蹴落としてソイツの分を掴む、ってゲームを全員がやったらゲームは破綻するんだよ。なぜならパイを焼いてるのは参加者で、蹴落とされる人間もパイを供給する側だからな。だから、長い年月の間に「パイを焼かないクセに分け前だけ主張する、って人間は排除しよう」という暗黙のルールが出来上がってるわけ。だから、誰かに親切にした人間は、親切にされる。誰かを足蹴にしてきた人間は、足蹴にされる。因果応報の定め、それが道理だ。そんな世界で、あんたは「誰かに親切にしてきてもらった」のに「周りに不幸をまき散らし続け」てきたんだ。それでどうやって「幸福になれる」なんて発想が出てくるんだ。生まれがよかったから? でも、29まで養ってもらった時点でチャラだし追い出された時点でパーだな。容姿に恵まれたから? それで結婚できたんだから御の字で、そこから先はもう容姿も限界だよな。で、もう何も残ってない。あんたがこれから幸せパイの取引に参加し続けたいのなら、真っ当に「幸せ」というパイを無償で供給しまくる側にまわるしかない。簡単な話だよ。幸福の銀行口座はすでにみたことないぐらいの赤字だとしても、まあどうにか生きて増田に書き込みするほどのんきな身分だというだけで、まだまだ底でも無いからな。
実家に行ったら遺影じみたものが置かれていたので、父に聞いたら「ああ、10日ぐらい前に」とサラリと言われた。葬式とかやらないの?てかなんで私に連絡が来ないの?と思ったが、父と伯母の兄妹は、互いが寡黙な性格で連絡を取り合わないような希薄すぎる関係性だったから別に違和感はなかった。私も冷たい人間だからなのかもしれない。
伯母はずっと独身だった。伯母は実家で祖母と暮らしていて、私は数回しか会ったことがない。実家に家族で行ってもただ黙ってお茶を出すぐらいの人だったので彼女の性格はよくわかっていなかった。子どもとしても少し不気味で、祖母の家に行くのは気が進まなかった。祖母は20年ほど前に他界し、それからは一人暮らしをしていたと聞く。
様子が変わったのは10年ぐらい前。深夜、突然伯母が我が家にやってきたのだ。「ごめんくださーい」みたいな感じで。相変わらず無表情だったけれど、目の焦点があっていないような。「隣人が私を監視しているから逃げてきた」「電車に乗っててもドローンで追いかけてくる」「ずっと私の悪口を言っていて本当に怖い」などと言うので、瞬時に「あ、統合失調症だ」と悟った。父は伯母の異常な雰囲気を前に絶望したのか、通常運転なのかよくわからないけれど、寝室に戻ってしまった。父の淡白さに呆れながらも、私はこの夜初めて伯母とまともに対峙した。彼女はリビングにちょこんと座りながら淡々と自分が体験したことを語った。そして最後に「結婚していないというだけで、どうして私は責められなくてはいけないの。あなたなら、わかってくれるわよね?」と言われた。
心底驚いた。ずっと独身なことに劣等感を覚えていたということに。
彼女が私に同意を求めたのは、独身で仕事に追われる毎日を過ごしている私の近況を父から聞いていたからだろう。自分の姉は早々に結婚して専業主婦になっていたから、私に対して余計に共感する点があったのかもしれない。そして、伯母と私は同じ大学を出ていた。
私はそれまで「1人で生きられるようになりたい」と強く願っていたものの、その果てにあるのは伯母の姿なのかと思うと、ぞっとした。私は結婚や家庭を持つことが成功だとは思わない。でも、伯母の世代だとそうはいかないかもしれない。伯母は大学を出てから仕事についたものの、ぱったり仕事をやめてしまい、ずっと実家で祖母と暮らしていたらしい。彼女が私の前でずっと無言だったのは「兄の成功の証」である「家庭」を見せつけられて、じりじりと自尊心が削られていたからなのかもしれないし、祖母から「お前はなぜ結婚できないのか」と問いただされていたかもしれない。テレビのワイドショーは芸能人の結婚ニュースで溢れているし、ドラマを見れば結婚こそがゴールのように描かれる物語が跋扈していた。おそらく伯母にも友人はいたはずだが、多くが結婚していき、疎遠になったのだろう。実家に取り残された伯母は、少しずつ精神が崩れて、病に至ったようにも見える。すべて想像でしかないけれど。
幸か不幸か、私は心療内科に通っていたのですぐに伯母を向かわせ、その後病院を転々とした。さらに認知症も発症し、施設に入っていたというわけだ。ここ10年は、意識が混濁状態でほぼ意思疎通はできなかった。それでもしぶとく10年を生き抜いたのだから生命力は強かったのだと思う。
そして、先日息を引き取った。伯母とはほとんど会話したことがなかったものの、自分の人生観を大きく変えられた。彼女はどれほど「結婚」の呪いに蝕まれたのだろうか。想像すると胸がぎゅっとしめつけられる。あなたを悪いなんて思っている人なんていないよと言ってあげたかった。彼女の人生は幸せだったのか? そんな野暮なことを考えては、自分はもっと関わるべきだったかもしれないと後悔の念が湧き上がる。
孤独は人を狂わせ、人は独りでは生きていけない。伯母は私の肉体に深く刻みつけた。
また彼は人生に対する快楽主義的な姿勢が持つ欺瞞性を理解していた。
先の戦争以降、西洋思想のほとんど全て、特に「進歩的」思想は皆、人類は安楽、身の安全、苦痛の回避以上のことを望んではいないと暗に仮定していた。
こうした人生観においては、例えば愛国心や軍事的な美徳といったものが存在する余地はない。
兵隊の人形で遊ぶ我が子を見た社会主義者は普通、不安に駆られるものだがブリキの兵隊の代わりを思いつくことは決してできない。
どうしたわけかブリキの平和主義者ではその代わりにはならないのだ。
自らの喜びなき精神によって並外れて強くそれを感じ取るヒトラーは、
人類が欲するのは安楽と安全、短い労働、衛生状態、避妊、一般化して言えば常識に適ったもの、
それだけでないことを知っているのだ。
少なくともときおりは闘争と自己犠牲、そして言うまでもなく太鼓と旗、忠誠を誇示するための行進を人類は求める。
経済理論としてはともかく、ファシズムとナチズムはどのような快楽主義的人生観よりも心理学的にずっと堅固なものである。
書評 アドルフ・ヒトラー著「我が闘争」 ジョージ・オーウェル
https://open-shelf.appspot.com/ReviewOfMeinKampfByAdolfHitler/chapter1.html
音楽に救われるってどんな感じなんだろうか。
音楽は作業中に流したりして適度に聞くけど、人生観が変わったり自分が苦しい時に聞いて楽になったような経験もないので分からない。
「○○を聞いて人生変わりました」とか「自○を考えていたけど○○を聞いて留まりました」とか目にする度にどういう受け取り方をしたのかとか、どういう気持になったのか等色々と気になる。
好きな曲や歌手はいるけど人生観が変わるような事は無いし、ましてや一番しんどかったり追い詰められていたりした時に楽になるような事も無かったので、多分今後の人生で音楽に救われる経験は無いのかなと思っている。歳もだいぶ重ねて人生も折り返し地点に来ているだろうしね。
再生治療がドンドン発達してるけど、このペースだとあと30年ぐらいしたら脳の再生治療も可能になる気がするんだよね。
脳みそから記憶や意識を移植するのもマッピングが進めばテセウスの船方式でなんとかなるんじゃないかなと。
培養した脳みそを今の脳みそに対しての外部記憶装置みたいなかんじでくっつけて、2つ分の脳みそで記憶の共有が進んでいった所で少しずつ古い方の脳みそを減らしていくとかで。
そんでまあそうやって再生医療が出来るようになると、富裕層が擬似的に不老不死になるんじゃないかって思うんだよね。
市民には絶対に手が出せないウチはいいけど、めっちゃ頑張ってお金貯めたらなんとかなるようになったら世の中マジで狂っていきそうだなと。
何が問題って、自分が不老不死になるのと子供を作ることを天秤にかける人が出てくること。
これは恐ろしい死生観の変化だよ。
めっちゃ発展したとしても「子供を私立に行かせるのを諦めれば自分が人生をやり直せる」みたいな選択が出てくるようになる。
という話が描かれたSF小説を教えてくれ。
GPTやBINGに聞いてみたんだが、カスのような回答しか出てこなかった。
単なる不老不死をテーマにした作品を教えられても俺は困るんだよ。
俺が求めているのは「金を出せば人生をやり直せるようになった社会で、人々はどういう金銭感と死生観を持って社会を生きるのか」であり、それを通して俺は「金銭感覚の根底に根ざすそれぞれの人生観」という現代社会にも通ずる哲学を感じ取りたいのに。
要約。
この日記は、29歳の男が、友達の結婚や飲み会の出来事によって、相当気持ちが揺れてる感じやねん。
友達が結婚して、自分の結婚願望や自己評価、社会的地位について考えさせられて、なかなかモヤモヤしてるんや。
それに、飲み会で女の子と男の子がちょっとセクシーすぎる振る舞いしてるのを見て、自分の性欲やモテなさについても深く考えてるみたいや。
直近こじらせたきっかけは多分2つ。
2つめは飲み会の場で男も女も下心丸出しで異性にべたついているのを見て、なんかいろいろ気持ち悪く見えてしまったこと。
それぞれのきっかけと自分の精神状態、思考方法、思想、そういったものを絡めながら言語化していく。
大学来の親友が結婚した。彼がもうすぐ結婚するであろうことは、なんとなく察していた。
洗面所にはずっと歯ブラシが2本あったから、半同棲をしていたんだと思う。
そいつに彼女がいるかは聞いたことがなかった。そもそも自分は、友人に恋人がいるのか聞くことが割と苦手だ。
だから聞かなかったけど、長いこと付き合っている風だし、もうすぐ結婚すると思っていた。
先週あたりにその連絡がきた。普通に嬉しかったし、本当にめでたいことだと思った。
ただ、恋人がいない自分のことをやはりネガティブに捉えてしまう。「結婚」というワードは、いまだに自分に対して大けがを負わすらしい。
匿名で書き込んでいるから説明しておくと、私は一昨年末に離婚している。当時27歳だった。
1年保たずに空中分解した自身の情けなさに対して、当時は大いに病んだ。
そこから恋人はいない。結婚願望が自分の中にあるのかは正直分からない。
ただ自分があさましいというか、自分が叶えられなかった幸せを他者が、それも境遇が近いような人が掴もうとするその姿を、100%の祝福で見ることができない。
どうしても羨望とか嫉妬とか、そういう感情がコンタミする。それに端を発し、また自己否定のフェーズに入る。
我々はそれなりにいい大学を卒業した。もっとも自分は留年して学部卒、友人は修士卒なんだけど。
学歴至上主義を否定できない現代日本で、母校の新卒カードは結構な効力を持っていることを、今なら知っている。
ただ当時はすべてがアホらしかった。ガクチカとか資格とかTOEICとか。自分は専門を活かしつつ、会社の雰囲気が良い小企業に入社した。
社内環境には本当に不満はない。同世代の全国平均以上の給料ももらえているし、友人と飲みに行ったり遊びに行ったりするくらいの余裕はある。恵まれている自覚はある。
ただやはり、新卒カードを上手に切った同級生たちは、名だたる大企業に就職して、それなりに稼いでいる。
経済的に羨ましいとは思うが、努力した彼らとそうでない自分の差を無視し、一方的に羨望することはお門違いだと承知している。だから他人を呪ったりはしていない。
ただ、自分の生き方の下手さにほとほと愛想が尽きて泣きたくなる。
社会人になってからは、老後とかも見越した資産運用を始めたりしたが、学生の頃は本当に刹那的に生きていたと思う。その結果を今になってまざまざと見せつけられているに過ぎない。生きるのが下手くそすぎる。
昔からそうだ。
第一子として生まれて、親との喧嘩も何度もしてきた。言葉を文面通りしか捉えられないような節があることも自覚している。愛想のよい会話も苦手で、可愛げがないと何度言われたことか。
弟はそのあたり非常にうまくやっている。ユーモアで大人を笑わせ、親が望むような労いの言葉を見逃さずにかける。そういうのを見るたび、やるせなさが募る。
幸い、頭だけは良かった。特に、物事の法則性を見出す能力に優れていると思う。まあ、自分より優れた人間なんて掃いて捨てるほどいるんだけどさ。
だから勉強には困らなかった。自分の身の丈に合った環境に身を置くことが幸福につながると信じていたから、特に苦労しないで入れる高校や大学に進学した。
そこで出会う友人たちは、どことなく自分と同じところがあった。頭のデキとか、公立故の家庭環境とか。そんなに大差ない半生を送ってきたんだろうなって。
ただ、社会進出は孤独だ。それまでの半生の判決が下されるような感覚。
特に何もなさなかった自分と彼らの差は、いったいどこで決定的になったのだろう。
俺は知らなかったんだ。そんな判決が下る日が来るってことを。
頭がいい友人はみんな気が付いていた、早い奴は高校生のころから気付いていたと思う。そのあたりは、本当に馬鹿だなって今でも思う。
自分にもポテンシャルはあったはずなんだけど、どこで失ってしまったのか、または持っていると錯覚していただけなのか…。そんなことを考えて少し病んだ。
まあ、優秀な同級生と自分の対比はよくやってる内省のテーマだから、大きくこじらせることはないはずなんだけど。
続けて、先日の飲み会の話。
その飲み会には酒癖が悪い女の子が来ることになっていた。みんなそのことを知っている。
自分も飲み会の前までは、隣にその子が来てベタベタされたらラッキーくらいには正直思っていた。
案の定、男が寄って行った。男がトイレ等で席を立つたび、他の男が代わる代わるやって来た。
それが素直にきしょいと思った。彼らと同じことを考えていた自分もきしょいと思った。
どいつもこいつも、「自分は介抱しているだけで、下心なんてありませんよ」みたいな顔して近づいていく。なんかそれが無理だった。
もうおっぱい揉んだりキスしたりしろよ。その方が素直だよ。もっときしょいけど。
自分よりイケてない(と自分が勝手に思ってる)やつが、その子とイチャイチャしてるのを見て、なんか正解が分からなくなった。恋愛とか人生とか、そういうのの正解。
たまたま先日開いたまとめサイトで、「外国人は日本人の女をスケベだと認識している」というレスを読んだ。
この女もスケベか。じゃあこのスケベ女にも相手にされない俺はもう終わってますね??(謎理論)
自分は、女は淑やかであるべき、みたいな思想を持っている。割と封建的で昭和チックな価値観を持っていると自覚している。
だからこそだらしない女を見てるとウザイなと思う反面、「ヤレそう(ヤレない)」とも思うし、その自己矛盾も気持ち悪いし、そこに群がる男もきもい。
うーーーーーん、わからん。べつにその特定個人から好意を持たれたいわけじゃない。
他にも夫子持ちの既婚女性が叫んでたり、恋人がいる男女がなんか楽し気に盛り上がっている様を見ながら、理性とか本能ってなんだろう…と一人沈んでいた。
なんか矢印がいっぱい見えちゃって非常に疲れた。という話。
最近は金の事ばかり考えている。なぜか。
ならば自分はモテたいのか?自分の性欲を直視するのが気持ち悪くて、そのあたりは考えないようにしている。でもこれを直視しないといけない。
離婚してから性風俗以外で性行為をしていないが、セックスが普通に好きなので。
自分のセックスに対するコンプレックスもあるが、最終的にヤリたいに帰着する気がする。
恋人とか新婚夫婦って、ほぼ確実にセックスしてるじゃないですか。
死ぬほど羨ましい。そういう愛の確認がしたい。愛がなくてもいいけど。
「同棲してます」は、「昨日もセックスしました、今夜もします」にしか聞こえないし、
「結婚します」は、「今までいっぱいセックスしました」にしか聞こえないし、
頭おかしくなるって。いやもうなってる。なってるからこう聞こえてるんだって。
男子中学生も男子高校生も、ここまで人生観やライフステージや愛についての解像度は高くないと思う。
だからこの拗らせ方は、セックスにコンプレックスを持った哀れなオス特有のものでは。
「風俗行けや」と思われるかもしれないが、安い店はそれなりの嬢しかいないし、それなりに高い店は経済的に厳しい。
だからこそ、セフレを作って性的にも経済的にも得をしたいと考えてるんだけど、これは異常者の発想なのだろうか。
…言語化しなくても気が付いている自分の本心を直視するのが本当につらいんだ。なんやこのバケモン。
色々努力したつもりなんだ。
元嫁にはそういった「努力」が足りなかったから見放された節があることも分かっている。
そのへんの1000円カットから、カット&パーマで15000円する美容院に鞍替えした。
眉毛の処理は欠かさずするようになった。
爪磨きを買って爪を磨くようになった。
こういうのを当たり前にできる人もいるんだろうけど、自分はできていなかった。だから努力の一歩目を踏み出した。
ただまあモテない。顔が悪いか会話が壊滅的に下手か金がないか。まあ全部か。
マッチングアプリでモテてる男を見てみると、盛ってるのかどうか知らんが、同年齢の連中は軒並み年収1000万を超えている。勝てないって。
女さんサイドもなんでそんな男がアプリやってるのか考えろよ。よほどの異常者かヤリモクの二択だぞ。
ヤリたいなら知らん。マザーファ●カー。
…で、ごく平均的で顔にも金にも取り柄のない自分は、埋もれていくしかない。
正直この歳で彼氏がいない女は、別れた直後かよっぽどヤバい奴しかいない思っている。
からこそ、自分はよっぽどヤバい奴だという論が成立して萎える。
そしてそのヤバさを自覚できていないから、方向性の修正の仕様がない。
もしくは高望みしすぎか。
学もある。職もある。顔も終わってない(はず)。
ただこの普通過ぎる男でも、「つまらない」という理由で、加熱した恋愛市場では全く相手にされない。狂ってないか????
というか、自分のモテなさを棄却しようと色々論じてるのが情けなさすぎる。
なんのために「努力」してきたのかももう分からん。ぶつかりおじさんになった方が幸せまである。
弱者男性の言動や思想を追っているうちに、えっげつないエコーチェンバーを引き起こして、思想汚染されている自覚もあるが、生きづら過ぎる。
自分の性欲が本当にノイズでしょうがない。ヤリたいのにヤレない哀れなオスでいることが精神的にきつすぎる。
去勢したら楽になれるのか。ただ、生命活動の一端をそこで止めてしまうことのリスクがあまりにも大きいことも確かだろう。
なんかもう詰んでね?
書き方が悪かったせいで、自分と学友のBLを想起する人が少なからずいたため、該当箇所を修正しました。
ブクマコメントや言及の中で、特に結婚・離婚の話が薄いみたいに言われていたが、確かに離婚の話は自分のコンプレックスであって、それはそれで大いに病んでメンクリにも通った。
ただその話は今回の題意にはそぐわないと思っているし、破局原因をすべて言語化することを拒んでいる自分がいることも自覚している。
だから離婚の細かい話について、ここで掘り下げて共有するつもりはない。
勝手な推測でグチグチ言われるのは心地いいものではないが、それも匿名性のある意味よさだと思うので、やめてくれとも言わないけど。
それから、一部「本心が全然書かれていない」的な意見が散見された。
これが本当に分からない。自分でぐちゃぐちゃ書かれていることをなるべくゲロ吐いたつもりだったんだけど、本心ってなんだ。
自分軸で生きてるか他人軸で生きてるか的な論?かと考えたけど、そういう話?
そもそも人間は少なからず他人からの評価を優先して生きてるっぽいですよ(ソース:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000011.000030921.html)
いくつもあった励ましとか、匿名性ゆえの叫びを評価してくれた人には改めて感謝を。
みんなの言語能力が高くてちょっとビビる。読書量の差を感じた。
実際に加害事例が多すぎるから警戒されてるだけで、平和な場所では全く警戒されないよ
悪いのは犯罪男と本気で止められない男だよね
犯罪者多数で犯罪対策軽視、スラム街作っといて警戒されて辛いはさすがに甘すぎでは
私人逮捕で文句言う人いたけどばっきーチャンネル、鉄道会社のおじが「あなたたちが放置してるから痴漢が蔓延してるんですよね」に「その認識はある」ってはっきり言ってんだよね
女もだよね
金がないと彼女ができない?シンママや育児の負担を限りなく0にして女の賃金爆上げすれば?経済力のない男と結婚不可能な状況を自分らで自民に投票してわざわざ作ってんだしな
人生観が甘すぎでは