「中学生」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 中学生とは

2021-06-14

オタクの言う「教養」ってだいたい中学生レベルか、ただの雑学だよね

山月記だのグロタンディーク素数だの月が綺麗だのDHMOだの蟲毒だの

オタク教養だと思ってる低レベル知識って他にある?

anond:20210613220957

自分に酔っててキメえ。

泣いて喚いて、好きなんだ、別れたくないんだ、大事にするから一緒にいてくれって叫べたら、何かが変わったんだろうか?

いや、なんで泣き喚いて叫ぶ必要あんだよ?

「別れたくない。大事にするから一緒にいてくれ」って普通に言え。

そうやっておまえ以外誰も嬉しくない妄想に浸ってるからまともな人間関係が築けないんだろう。

中学生

2021-06-13

性交同意年齢

第百七十七条 十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛こう門性交又は口腔くう性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。

今の刑法はこうなっていて、13歳未満の相手だと『暴行又は脅迫を用い』なくても性行為をすると犯罪になる。

仮に性交同意年齢が16歳になった場合、15歳の男子中学生が21歳の女子大生レイプした場合女子大生も罪に問われることになるの?

夏のマスク暑いから嫌?

わかるけど実感ないな〜と思ったけど、中学生の時から年中マスクしてたのと、逆に去年の夏は用事なさすぎて家からほぼ出てなかったかマスクあんましてなかったからだった

anond:20210526020058

向こうはこころがまだ中学生なんだろ

中学生にも優しくしてやりたければ別垢でアーティストにはまりなおせ(荒らし目的でない複垢合法)。

中学生なんか知るかならその態度を貫き通せばいい(うるさいのならミュートかブロックしろ)。

それだけの話だな。愚痴るほどのことでもないぞ。

祖母余命宣告をされた

祖母余命宣告をされた。

まりにも気持ちが整理できず、色んな思いが錯綜毎日が辛いので今の気持ちを書き記したい


僕は20代社会人一人暮らし

幼い事から両親が共働きで帰りが遅い為、小学生の頃は毎日祖父母に面倒を見てもらっていた。

から人一倍祖父母とは親しいと思うし、仲も良いと思う。

中学生になり、塾にも通い出し祖父母と一旦距離を置いてしまったが

高校時代では祖父が送迎をすると言って聞かなかったので、言葉に甘えて送迎されていたので

この時も晩飯も一緒に食べたり、勉強する為に祖父母の家に閉じこもったり、いっぱい面倒を見てもらった


大学時代は県外に出て、一人暮らしをしていた為、あまり合う気機会が無かった。

そしてその間に祖父ボケてしまった。毎日の様に話し相手になっていた僕が居なくなったので

会話をする機会も減り、体調を一度崩し入院した事も相まって、今では要介護レベル3になり

施設にいるが、コロナの影響で2年程顔も見れていない。


大学卒業し、社会人になる時に祖父母宅に近い、アパート一人暮らしする事にした。

一人暮らしになってしまった祖母を少しでも助けれるようにと、自分からそうした。


そして数日前、祖母が緊急で入院をした。そして膵臓がんステージ4であった事が判明。

発見が遅れた為、もう手術はできない。十二指腸全てが、がんによってひっついてしまうぐらい進行しているらしい。


入院する前日、僕は祖母晩飯を一緒に食べた。

その時、ちょっと胃が痛いなぁと言っていたので、明日病院言ったら?と一声かけた。

祖母もそうだねと言い、翌日通いつけの病院に行き、血液検査をしたら、肝臓の数値があまりにもおかしいので

大きい病院で再度、検査をした所、膵臓がんが発覚。


いきなり過ぎるよ、祖父母の中で一番元気で、一番長生きすると思ってたおばあちゃんがあと長くて2ヶ月なんて。

抗がん剤使ったらもう2週間以降は寝たきりなんて。あまりにも短すぎるよ。。。


今日病院に行ったらおばあちゃんはいつも通りに元気そうに、僕の名前を呼んでお見舞いありがとうと言ってくれた。

その顔を見る度に、涙が無限に溢れてくる。おばあちゃんはまだ病名を知らないので、いつ頃退院できるんだろうねぇとか

おじいちゃんいつ頃、面会できるかなぁって言うんだよね。もう2週間しかこうやって話したり、笑ったり、出来ないのに。


残された日数、毎日面会して、おばあちゃん生き様をしっかり見届けようと思う。


この年になるまで、祖父母が全員、健在してた為、初めて本当に身内と呼べる人が亡くなるであろう状況になったけど

こんなに辛いとは思ってもいなかった。


鼻水と涙で顔がぐちゃぐちゃになってきたのでこれぐらいにします。

彼女がいるのに浮気するとか考えられない。

俺に彼女が出来たらとことん彼女大事にする。

童貞の頃にはそんなことを漠然と考えたいた。

自分のような男とつきあってくれて

セックスしてくれる人なんて大事にしないわけがない。

童貞の頃にはそんなことを固く信じていた。

 

小学生の頃、

英語の授業が嫌いだという

中学生の近所のお兄ちゃん

言ってることがよく理解できなかった。

だって英語が喋れるようになったら素敵じゃん。

そのための勉強が嫌いなんて理解が出来ないよ。

そう思って中学生になったら

一番キライな科目が英語になった。

 

その時その立場にならないと気持ちがわからないのは想像力がなくて頭が悪い

はいつも頭が悪いのだ。

2021-06-12

anond:20210612204303

懐かしい。デュララコピーサイトとかあったよな

作った人中学生だったらしくて2chで晒されてたわ

ワイの人生エンカウントし過ぎなものマゾ豚、交通事故及び道端で倒れる人

唐突エンカウントし過ぎであることに気づいた。ノンフィクション

 

マゾ

そういう店に行ったわけでもそういう出会いSNSで求めたわけでもない。単純に道端でエンカウントする

 

池袋歌舞伎町やその他ピンク街に住んでたりはしないのだが、仕事で外を回ってたりすると、

ミスカのノーパンに遭遇したり、ジーパンでフル勃起バイ突っ込みながら歩いてたり、ケツの周辺穴あきなジーンズで歩いてたり、

そんなヤツらによく遭遇した(すべて東京の話)

ここから始まる何かがあったり、見られた豚がブヒブヒ大喜びするとか逆にスーツで真面目に働いているワイの姿を見て我に返った豚が

反省するとかもなかったが、今思えば警察通報してやるのが大人としての優しさだったような気がする

 

あと、見てくれ系の遭遇も多かった。これはアキバ営団地下鉄(現東京メトロ)で正月の早朝ようやく始発が動き出す時に

ブラとパンティーを身につけた20代前半くらいの男が5千円あげるので見て欲しいと詰め寄ってきた

始発に乗り遅れたくなかったので「歩きながらならいいですよ」と言ったところつまらそうに金を払わず去っていった

豚のクセに生意気過ぎでは?と思ったのですごくよく正確に覚えている。というか豚は基本的生意気である

一時期、2次エロで無関心セックス(男はヘコヘコ腰を振っているが受ける側の女or男は無関心でスマホ弄ってたり

ゲームしてたりするながらセックス)が流行ったがあれは2次元限定だと思う

他にも全裸を見てくれ系もあったが特にお金交渉とかしてこなかったので無視してそのまま歩いていったらなぜか罵られた

今思えば犯罪者のクセに生意気過ぎる豚だったので警察通報しておくべきだったがこの頃までは警察救急通報することが

日常茶飯事ではなかったのでその選択肢はなかった

 

マゾ豚はシチュエーション相手の外見にやたらこだわるのでそういう店が出来るのも納得感しかないのだが、

ヨシヨシして欲しい豚は割とその辺のことは男女ともどうでもいいらしい

ヨシヨシして欲しい豚には5人くらい出くわしている。例によって例のごとく道端である

コミケの1人を除いて全員ゴスロリ女装っ子かつ新宿区墨田区エンカウントである。なお男女とも可愛くはない

  

移住後は豚に出くわしていないことから東京変態の街なんだなって思っている

 

 

交通事故及び道端で倒れる人

思えば子どもの頃から交通事故に遭遇する機会が多かった気がする

はじめて遭遇したのは6歳の頃、友人の家の前

自転車に乗っていた小学生から中学生くらいの男の子が派手に車と衝突した

曲がり角を曲がった車に衝突したので一応減速はされており凄惨光景にはならなかったが自転車はグチャっといっており

あの時の少年は無事だといいけれどと今もたまに思う。通報は友人の母親がした

それ以降もワイ自身が車や路面電車接触したり事故は絶えなかったが東京は人が多いからか自ら通報する機会は無かった

 

あと道端で倒れてる人(倒れる人)に遭遇したのも東京では一度きりだ

東京で道端で倒れた人のことは今もよく覚えている。JR上野の駅の不忍口付アトレ付近エスカレーターホームレスらしき人が目の前で倒れた

ワイはその日仕事だった。といっても重大な打ち合わせがあったわけでもなかったし、たとえあったとしても、

人命よりも優先されることはないのになぜか仕事の方を優先した

ホームレスの人はすぐ近くにいた身なりのいい女性が介抱し救急車を呼んだ

仕事を選んで放置自分自身がした選択なのにすごく人間性を削られた気持ちだった

(脱線するがその頃の西新宿駅から新宿中央公園付近はヤバかった

腰の完全に曲がったお爺さんが道端で寝ていたりどう見ても20代に見える若者が道に転がっていた

移住してから仕事西新宿へ行く機会がなくなったので現在はどうかは知らないが

全国に出張したけどあん光景を見たのは後にも先にも東京だけだなと今も思う

まぁ移住後は移住後で東京で見なかったもの出くわさなものにあうのでどっちもどっち感はある)

 

    

地方移住後は、交通事故に加えて、明らかにホームレスではないのに道端で倒れている人と遭遇するようになった

よくよく考えたらこれって異常なことでは?とふと気付いたので増田を書いた次第である

東京みたいにワラワラ人がいないのでワイが放置したらそのままになってしまうので発見・遭遇したら110番119番をしている

110番必要があれば割と気軽にしている。110番デビュー商店街バットを振り回しながら歩いてる人を発見した時である

この日、例によって例のごとく仕事だったのと、バットを振り回してる人に対してワイが出来ることは何も無いように思われたので、

通報だけしてその場を後にした。110番しても住所氏名を伝えれば必ずしもその場に留まる必要がないことを学んだので

道端で寝ている酔っ払いやなんで道端に倒れてるのか不明な人を発見した時は110番している

 

119番しているのは、高齢者の段差での派手な転倒(出血あり)、自転車バイクの派手な転倒(出血あり)、

ランニングしてたっぽい人が倒れて反応なし・呻いていて応答出来ずなのを発見した時である

こちらも必ずしもその場に留まる必要はないっぽいが一応救急車が来るまでその場にいる

何歳くらいに見えるかという質問をされるのがすごく困る

明らかにちゃん場合高齢者の方ですとしておくが、アラフォーからアラ還くらいが困る

何歳なのかさっぱりわからんし間違ってたら失礼な気がするし

仕方ないので中年男性女性40歳以上だと思うとしている

あとどこが辛いといってますか?も困る。だいたい問いかけも反応がないか呻いてるだけである

 

110番119番は(当事者がするので)しないが交通事故にも変わらずよく遭遇する

ちなみにペーパードライバー職業ドライバーだったり日常的に車を利用していたりはしない

それでもなんか知らないがよく遭遇する

たとえば友人の車に乗車中に信号のないT字路で一時停止しなかった車に横腹突っ込まれるとか

ワイが事故引き起こしたわけでもないし保険から金は降りるのだが非常に気まずい

あとはタクシーに乗ってる時に他の車が正面衝突とか、車間距離詰め過ぎだろって思ってた車が案の定カマ掘ったりだとか、

歩いてるときクルマが派手に縁石に乗り上げてコケたりだとか、ガールレールに派手にぶつかったりだとか(どれもドライバーは無事だった)

あとワイ自身も徒歩で横断を渡ってる最中歩行者無視して左折してきた車に轢かれた

この件はワイ自身当事者だったので自分警察救急電話した

交通量の多い交差点だったのと意識ははっきりしていたので通報しながら加害者の車に乗ってすぐ近くのコンビニまで移動したが

なぜ移動したのかと警察官に言われたことは今でも覚えている。本当、警察官はクソ。なお身内にも警察はい

救急車というか救護隊の人はすごく親切だった。こっちも身内にいるが爽やかで親切である。謎の上下関係があるとはとても思えない

 

 

マゾ豚、交通事故及び道端で倒れる人以外にもエンカウントし過ぎなものがあるが、面倒くさくなったのと気が滅入るので

今回は書くのやめておく

メガネをかけている女子中学生botマネタイズ問題

な〜〜〜〜んで「いや、無料コンテンツ提供されると思ってるのはおかしい。嫌儲乙」みたいな「推しに貢げ」レベル発言しか出てこないんだ。

お前ら女子中学生か?

そもそも問題点としてこのbotがウケたのが「女子中学生が言いそうなことをエミュレート」するあるあるbotから、というのを見落としている人が多い気がする。

オタクたちの過去の振る舞い(現在進行形の人もいるが)を少し成長してから見直すことで、もしくはクラスにいた知り合いの様子を思い出させることで、当人の気恥しさとか悪いオタクたちの嘲笑とかを引き出すことがウケてるわけだ。

エミュレート自体はかなり見事で幅広い人間に刺さってバズったが、あのIDアカウントというか人格のものがウケてる訳では無い。

ウケてるのは文脈である

そんな中でTシャツ販売なんかしたら反感を持つ人がいるのは当然な気がする。Tシャツの購入はアカウント応援につながるが、そもそも応援したいコンテンツお金を払う相手が異なるのだからそこに違和感を覚えてもおかしくない。

文脈あってのお笑いに対して途中で出てきた人間が「これ買ってね!」はちょっと閉口してしまう。リスペクトオタク中学生に対してリスペクトもクソもないが)というか、おいしいとこ持っていった感がある。ただこの感情は単に嫌儲かもしれない。

最近よく言われるbot人格を出すな、という理論も同様で、当人は「botとしてツイートする自分」と「普通発言をする自分」を区別できない、もしくは意図的にしないが、受け取る側は明確に区別する。

ウケてるのは趣旨であり、そのアカウント趣旨に沿ったツイートを繰り返すだけのものとして認識される。趣旨に沿わないツイートに対しては文句を垂れられてもおかしくない。そりゃそうだ、そう取られるのが嫌ならbot看板を下げろ。

運営主は自らを明かしており、マネタイズに対して嫌儲が生じることを嘆いているが、それは論点のズレと言わざるを得ない。仮に運営主がウケた自分ツイートTシャツにしても、恐らく取り沙汰されることはないと思う。良くて「見苦しいな」と苦言を呈されるくらいである。

あくま問題コンテンツ応援対象の不一致である。本人も「あるあるを楽しむものです」とか言っちゃってるからどうしようもない。あるあるウケるのはその下地があるからである

いきなり「レジ袋を持った幼稚園bot」が出てきても何も面白くないだろう。

100ワニの話を持ち出している人もいるが、近からず遠からずな気がする。あれは電通というネット社会での嫌われ者が絡んでたのがネタバラシされたのが不味かったように思う。「商業的な意図が見えて不快だ!」という反応を示す人がいるのは同じだが…

Tシャツ販売自体エミュレートである」という意見面白いと思った。確かにオタクビレバン文字入りTシャツを着る。身内ノリでTシャツを作ることもあるだろう。

だが、それを不特定多数に向けて公開することはないんじゃないかな〜と思う。そういう方面擁護可能な気はするが、身内ノリのTシャツってモチベーションとしては自己満足同人紙に近いものから利益が発生する部分に噛みつかれるのは有り得る話ではないだろうか。

あと、suzuriという法外なマージンを取るサービスのせいでTシャツ自体の値段がクソ高いのも噛みつかれポイントではある。

上長くなったが、要するに「文脈ありきのコンテンツでのウケを自分のウケだと思っている」ように取られたのが叩かれの原因ではないかと考えている。文脈って言葉、これ擁護してる人達好きでしょ。

2021-06-11

部活外注することが間違っている理由

藤原 元々、家庭や地域社会での教育がうまくいっていないのなら、学校子供たちを囲い込もうと考えたんです。最初ビジネスマン感覚で、先生が授業に集中できるよう、余計なことは外部に発注すべきだと思った。部活も、たとえばサッカーなら校外のクラブチームの方がいいだろうと。ところが、赴任して2カ月で、その考えが間違いだと分かりました。

 なぜなら、今の生徒の3割は、家庭で学習フォローできない。1割は完全に家庭が破たんしている。3割の子は、サッカー部があるからこそサッカーができる。ビジネスマンは強いもの同士の世界から、どうしても世の中のそういう面が見えていなかった。そこで、むしろ生徒をできるだけ長く学校にいさせるべきだと考えて、ドテラ(土曜寺子屋)を始めたんです。土曜の午前にその週に出た宿題学校でやり、分からなければボランティア大学生に聞く。午後は部活です。

 次に部活をしていない子の放課後。まず、図書室にカーペットを敷いて、漫画も入れました。7コマ授業の日もあるから勉強の後は、横たわって漫画を読んだっていい。改装後は、PTAのOG地域のおばちゃんたちが運営してくれています本が好きで、中学生女の子と語るのも楽しいからと。

 中学生って、反抗期から自分母親には「てめえ」とか「ばばあ」とか言うけれど、人の母親には絶対そう言わない。よそのおじちゃんやおばちゃんには、ある意味で心を割って話す。そういう、「ナナメ関係」ができるんです。

 次は夜や土曜に、もっと勉強をしたい子向けに英語を教え始めた。後の夜スペ夜スペシャル)へつながるものです。これは中野区にある私塾の塾頭が来てくれた。この成果で、今の3年生は、昨年度末時点で英検3級以上が過半数しかもその子たちが、ほかの子英語を教え始めた。それで、以前は区で23校中16〜21位だった英語の平均点が、断トツ1位になった。夜スペは「上の子だけを持ち上げておかしい」と言われましたが、それは学校ダイナミズムを分かっていない人の批判。上の子が伸びれば、中下位層も引き上げられます

校庭の緑の手入れも、地域に適した人たちがいた。マンションに住むガーデニング好きなお父さんたちです。狭いベランダしかなかった彼らが、10畳、20畳の広さを任せられると、喜んで芝を刈り、ブルーベリー園やハーブ園を作るんです。

 地域全部が同じ形で学校に協力するのではなく、それぞれが一番いい形で学校と結びついた。その総体地域本部です。単に地域の世話好きに学校を任せた、ではないんです。

 中島 つまり地域の新たな文脈作りをした。

 藤原 古い形の地域社会ではなく、新しく編集された地域社会学校内にできました。

エロ蹲踞から考える言葉の男女差

便宜上女の子エッチな絵を男性向け、男の子エッチな絵を女性向けと表記します。他意はありません。

また、母国語教育環境が異なる外国人とかLGBTの人とか特殊性癖については度外視してます

蹲踞は「そんきょ」と読む。

M字開脚しておしりを上げ、つま先立ちになった姿勢のことだ。

イメージしにくければ「蹲踞」で画像検索すればお相撲さんの蹲踞姿勢が出てくる。

エロ画像タグ属性ポーズに「エロ蹲踞」というものがある。

要はエロい蹲踞のことをエロ蹲踞という。

股間を足で隠さない、むしろ強調するように開脚する姿勢なのでまあエッチな、ニュアンス的にはドスケベ系のワードである

私が蹲踞という言葉を知ったのは中学生の頃、体育の授業では男子生徒だけが柔道をやっていた。(女子は何か別のことをやっていた)

現在柔道を含む武道は必修化しているらしく、女子中学生でも柔道をやる人はいるだろうが、

少なくとも私の学区内で公立中学に通う女子生徒は最近まで柔道をやらされていなかっただろう。

柔道の授業の中で蹲踞の姿勢が出てくる。

指導要領のことは詳しくないのでわからないが、男子体育教員柔道に特化した人というわけでもなかったので、

教員個々人の語彙ではなく指導要領なりなんなりに蹲踞のことが書いてあるのだろうと思う。

何が言いたいのかというと、蹲踞という言葉、その意味、読み方を知っている人というのは、男性のほうが圧倒的に多かったのではないか、ということだ。

全ての男子中学生が蹲踞について真面目に学習するわけではないと思うが、少なくとも女子中学生と比べてこの単語自体に接するチャンスは多かったはず。

「蹲踞/そんきょ」と言われてぱっとあのポーズが浮かぶ人間や、そもそも「蹲踞」が読める人間男性のほうが多いはずである

相撲においても昨今土俵女人禁制が取り沙汰されている。なら相撲用語としての蹲踞にも男女で接する機会の差はあるだろう。

なら、エロ蹲踞というワード男性向けのエロでよく使われるワードなのではないか

とりあえずさっき(2021/06/11 PM18:00)、Pixivで「エロ蹲踞」と検索したら男性向けの絵しか出てこない。

エロ蹲踞 ホモ」とか「エロ蹲踞 ゲイ」、「エロ蹲踞 BL」でググればまあ出てくるが、女性向けの絵を描いている男性だったりするし、どのサイトでも母数が少ない。

このポーズ自体はドスケベなので男にさせる構図の絵も多いと思う。

特にしりに何か挿す場合M字開脚よりおしりが上がっている分なにかと便利なはず。

でもなんて検索すれば出てくるかわからなかった。(私はヘテロ男性なので別にエロ蹲踞してる女性向けの絵を見たいというわけでもないのだが。知的好奇心。)

騎乗位が近いのだろうが、騎乗位はセックス体位キャラクター個人ポーズとして使うのは違う気がする。

蹲踞は武道という特殊ジャンル用語である

また、いわゆる中二病の症状によって読み方や意味を知っている人がやたら多い類のワードではない。(例:粉塵爆発など)

もはや教養として知っている類の言葉だと思うのだが、男性向けの絵ではあたかも見る側が読み方を知っているかのようにタグ付けされていたりする。

教育の中で男子生徒だけが接する機会の多い単語であり、そのまま男性マジョリティである男性向けの絵などに使われるようになったのではないか

あるいは今後、女性生徒も柔道に接する機会が増える中で、女性マジョリティである女性向けの絵などでも使われるようになるのではないか

教育における男女の違いが、そのまま男女それぞれが主体文化圏で語彙の違いになっていく。エロ蹲踞の言葉からそれが読み取れるのではないか

ということを仕事中に考えていた。

優秀じゃない上に人間性尊敬できず仕事を任せる立場でもないのに自分のことをゲンドウだと思い込んでいる30代パラサイト無職日常すき

喫茶店で席を移ろうとしたら床にも椅子にも散乱した食べこぼしだらけで

「なんじゃこりゃ~」

とびっくりするようなことになってた。

その人が簿記一級の試験勉強してたから言うけど

簿記一級とか以前に幼稚園からやり直せ」

って気分になってるwww





ネット愚痴書くと

「食べこぼしぐらいでがたがた言うな」

とか言われそうだけど…そもそも

「机もキレイに使えないようなやつに企業の緻密な数字なんぞ任せたくねぇ」

企業の人は思うだろうさ。

優秀だって人間性尊敬できない人には大事仕事任せられんし、誤解を生む生まない以前だし



私、むしろ礼儀マナーにうるさくない方だからね?

うるさい人は敬語業界用語やしきたりまで平気で言うけど、そういう人ではないわ。

ただ、中学生でもこんな酷いことしないってことは流石に言いたくなるね。

学校の成績、人間関係以前のところで集団生活できない人を評価するとこなんかないもん


https://togetter.com/li/1681008

悔しすぎて新しい音楽を受け入れられない。

小学生の頃、ASIAN KUNG-FU GENERATIONにハマってから音楽を大好きになった。

雑誌ネット情報をもとにアジカンメンバーが影響を受けた音楽を辿り、

昔の洋楽を聴き漁るようになった。


小遣いはほぼCDで使い切ってたし、

まだ画質が良くなかったYouTubeニコニコ動画で好きなバンドライブ映像を食い入るように見ていた。

中学生になり、親に必死で頼み込んでギターを買い与えてもらってからは夢中になって練習した。

ギターを抱えたまま寝落ちしたことも数えきれないくらいあった。

授業中もハンドグリップでずっと指の筋トレしてた。

クラスメイトから見たら当時の自分ちょっと様子がおかしかったと思う。

同級生バンドを組み、アジカンコピーをして文化祭ステージに立ったときの興奮はよく覚えている。


高校生になってからバンドは続けて、放課後スタジオに入り浸り、

バイト代ライブハウスにも通うようになった。

気付けば地元高校生バンドマンの中では飛びぬけてギターが上手くなっていた。

ギターバンド音楽が楽しくて仕方がない。

この頃にはもう音楽で食っていくことしか考えられなかった。

ライブハウスのステージに立つ憧れのバンドマンだけが理想の姿で、

他のあらゆる大人のことをバカにしていた。


親や教師から大学進学を進められたがそれを押し切って東京音楽専門学校入学した。

東京バンドを組み直し、プロを目指して活動を始めた。

バイト代ライブハウスのノルマ、機材、スタジオ代、打ち上げに費やし、電気やガスが止まることは日常茶飯事。

バンド活動に集中するため、専門学校に行く時間が勿体なく感じて退学した。

親には怒鳴られた。さすがにちょっと心が痛んだし、苦しかったけどそれでも音楽にしがみついた。


そうこうしてがむしゃらにやっていたら、バンドにそこそこの人気は出始めた。

ガラガラだった下北沢ライブハウスのフロアは少しずつ自分たちのお客さんで埋まっていった。

遠征先の地方でも自分たちを目当てに来てくれるお客さんが居る。

物販の売り上げはガソリン代に消えるけど、それでもギリギリ赤字じゃない。

ライブ終わりに業界大人から名刺を渡されることも増えていった。


きっと誰でも名前を聞いたことのある大手音楽企業スタッフさんが親身に自分たちの面倒を見てくれて、

そこの傘下のインディーズレーベルからミニアルバムリリースできた。

音楽雑誌や小さくだけど記事が載った。メディアサイトインタビューしてもらえた。

から聴いていた憧れのバンドツアー前座で呼んでもらえた。

下北沢の中でもまあまあ大きいハコのワンマンソールドさせた。

これ一本で生活できる金額じゃないけど、一応バンド活動給料を貰える。

スタジオ代もガソリン代もレーベル負担してくれる。

打ち上げ居酒屋さえ財布を出さなくていい。


夢が一つずつ叶っていったけど、そう上手くは進まなかった。

メンバーが家庭の事情地元に帰ることになり、バンドを脱退。

その数か月後にまた別のメンバーが体調を崩し、脱退。

正式メンバーが2人になってしまったバンドサポートメンバーを入れて活動を続けたが、

CDの売り上げもライブの動員も伸びないし、後輩バンドにも追い越された。

残ったメンバーとぶつかり合うことが増えて、結果的バンド解散した。


そう簡単に諦め切れず音楽業界への未練から東京に残り、

いろんなバンドサポートとして活動してみたり、

元々所属していたレーベルとのつながりでシンガーソングライターの後ろでギターを弾いてみたりしたが、

以前やっていたバンドを超えるような成果は出せなかった。


30代になった今、地元に戻って営業仕事をしている。

高卒20代ほとんどを音楽に費やし、同い年より数年遅れで社会人になった割には、

まあ悪くない給料を貰えている。


相変わらず音楽は好きだが、どうにも新しい音楽を受け入れられない。

正確に言えば、自分より一回り年下のバンドを受け入れられない。

かにみんな良い曲を作ってるし、演奏も上手い。メンバー個性もある。売れるのは分かる。


でも、そこって本来俺が立ってたはずの場所じゃないのか。

俺が出るはずだったフェス舞台に立ち、テレビ音楽番組に出て、タイアップを受けている奴がいる。

仕事中、ラジオから勢いに乗った若手バンドの曲が流れてくるとどうしようもない気持ちになってくる。


なんで俺は音楽を諦めてサラリーマンをしてるんだろう。

なんで機材車じゃなく社用車運転してるんだろう。

なんで俺の音楽人生は上手く行かなかったんだ。


悔しすぎて新しい音楽を受け入れられない。

雨の音を楽しむ心の余裕すらなくなった

小学生のころだったか中学生のころだったか

からベッドに寝転がりながら雨の音を聞いてた時期もあったんだよ。

もう取り壊された実家の子供部屋。

緑色カーテンに木の模様が刺繍されてたね。

昭和カーテンから遮光性なんてイマイチで、雨の日の薄暗い光が漏れてきていた。

夜にぐっすり眠れたから、寝転がっていても眠くなったりせず、何も考えずにカーテンを見つめながら雨の音を聞いていた。

 

今じゃ疲れ切ってるから横になったら昼だろうが夜だろうがすぐに寝ちゃうし、

のんびり雨の音を聞いてる暇もなく、金の心配仕事心配・将来の心配

心が休まる暇もない。

もう疲れたよ。

anond:20210611122320

なんなら高校生とか大学生と付き合えるほうがイケてるみたいなのも一部存在してると思うし、その延長にお金があって贅沢させてくれる(他の中学生と比べて)おじさんに魅力感じる子だっていると思う。

anond:20210611122025

ほんこれ

全然あった

同級生と付き合う中学生カップル」のわかりやすい枠組みから溢れる子ども結構多い

anond:20180101131207

自分よりずっと人生経験の少ない若い子の集まるコミュニティに入り、相談を聞く・知識披露する役になる」

 

インターネットメンヘラおじさん達が10代の中学生高校生の「病み垢」を相手に、本当によくこれやってる。判で押したように。

14歳から見たら中年なんてシワとシミだらけで何の魅力もない!好きになる女子中学生なんて有り得ない!みたいなの

育ちの良い子限定の話じゃないかなーと思う

いや、自分も有り得ないと思うけれど、実際には普通に周りにいたで…って思う

本当に気持ち悪いんだけど、中学生の時にいい年したおっさん家庭教師と付き合ってて、卒業したらそのまま出来婚みたいな同級生いたもん

学生に一刻も早くワクチンを接種させろ

 この増田を書く人は現在大学生という身分であり、自分ワクチン接種を一刻も早く受けたいという気持ちを完全に殺して書いているわけではないという点をまず初めに断っておく。もしかしたら自分リサーチ不足や誤った認識に基づいて文章を書いてしまっているかも知れないので、もしそういった事があればコメントで指摘していただけるとありがたい。

 高齢者ワクチン接種を優先するのはコロナ重症化・死亡リスクが高いから。一般的にはそう言われている。国民の大半はそれにたいして疑問を持っていないかも知れないが、1周も2周も捻くれている自覚のある私はそうは思えない。

 厚生労働省が2021/1/6に出した、[新型コロナウイルス感染症国内発生動向(速報値)](https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000716059.pdf) を見ると、男性の方が女性より死亡率が高いことが読み取れる。私は統計学明るい人間ではないので、交絡・バイアスが紛れ込んでいる可能性を完全に否定することは出来ないし、これが有意であるかどうかも分からない。ただ、高齢者ワクチン接種を優先するのも具体的に何%重症化・死亡リスクが高いからで、高齢者ワクチン接種をn日早めるとどれだけの人命が守られるからだ、といった数字ベースの話はしていない。(と、少なくとも報道を見る限りそう捉えられる。)つまり男性に優先接種等の措置を行わないのに、高齢者に優先接種を行うことは、なにか違う意図(例えば、高齢者の票を確保したい政治家の魂胆)があるのではないかと私は疑ってしまう。もちろんこのご時世に性別差異を設ければ世間批判を浴びることは疑いようがないし、そういったことを避ける意図として性別による優先接種を行わないのだという反論も一理ある。では何故年齢による優先接種は差別に当たらないのだろうか。そもそも差別とはなにかという話からしなくてはならない気がするが、「自分では変えようがない要素によって理不尽な扱いを受ける」というのが(あくまでも私の中での)差別定義である。その定義に従えば、生年月日(年齢)は自分では変えようのない属性であることは明らかであるし、その要素によって不遇な扱い(ワクチンを早く接種出来ない)を受けていることは間違いない。これが差別だとなされないのは、若者がそれを差別だと認識させないような社会を、そういった社会を望む者たちに構築されてきたからではないのかと思うのだが、社会を捉える目が穿ちすぎだろうか。差別する側はそれを差別だと気づかないのは当たり前の話として存在するとは思うが、差別されている側もそういった年上優遇社会を「儒教の教えだから」、「年功序列から」といったような浅い理由で受け入れてしまっているのではないか

 コロナ禍の日本において、世代間の分断はさらに広まったと思う。もともと医療費年金といった負担が現役世代に重くのしかかっている上に、高齢者運転者事故を起こしたりしていた。それでも政治家投票率が高く母数の多い高齢者優遇政策を辞めない(と、少なくとも私にはそう見えてしまう)。コロナ禍では、「若者は外出を控えて」だの「卒業旅行はナシ」だの言われ続けた。ただでさえ卒業式入学式成人式など「一生に一度」の機会が失われ続けた人が多い。それにも関わらず、議員が会食したり公務員飲み会を開いたりしていた。確かに入学式とか形式だけの挨拶が行われるだけだし、行っても行かなくても人生に大きく影響を与えるものではない。しかしながら、逃がした魚は大きいとあるように、我々にはその失われた入学式重要ものであったと思えてしまうのだ。

 若者の貴重な日々が奪われ続けていると言ったのは、このような非日常イベントのみを差しているわけではない。ただの日常だって中学高校は3年間しかないし、大学も4年間しかない。そのうちほぼ2年が失われようとしているわけで、うん十年と社会人生活を続けるうちのたった2年を失われるのとは訳が違う。ジャネーの法則と呼ばれる法則をご存知だろうか。生涯のある時期における時間心理的長さは年齢に反比例するというものだ。(Wiki調べ) それによれば、15歳にとっての1ヶ月は45歳にとっての3ヶ月と(少なくとも心理的時間間隔においては)等価値なのである。だからこそ若者に対しては一刻も早くワクチン接種を受けさせるべきだと私は思っているし、中学から集団接種をバンバン始めるべきだと思っている。

 だからこそ[京都 伊根町 中学生の集団接種 抗議殺到で変更へ 被害届検討](https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210609/k10013075961000.html) みたいな記事は胸クソ悪いし、萩生田光一の「基本的に、小中学生集団接種を前提には考えていない。12歳以上の接種が可能だという通知が出ているが65歳まで終わったら、その次の年代や、基礎疾患のある方を優先的にやるべきで、ある自治体が『すべて終わったから、子どもたちにも打つ』というのは、やや順番が違うのではないか」という発言に対してはクソ反感を覚える。(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210607/k10013072451000.html) 彼、若者の敵になるような発言しかしない印象がある。本当に文部科学大臣か?

 何がオリンピックだよ、なんで小中学生オリパラ観戦させるんだよ、希望者接種完了11月?ふざけるなよ。15歳の中学生がこれから更に半年待たないと打てないということは、75歳の高齢者が2年半ワクチン待たされているのと同義なんだよ。そもそも短い学生生活ワクチンを打てない不安の中過ごさせる日々を少しでも短くしてほしいのはもちろんだし、ワクチン接種が打ち終わらないのにオリンピックをやることにも納得出来るわけがない。オリンピックで感動を届ける、別にそれ自体を悪く言うつもりはないけれど、なんでそんなものに命賭けなくちゃいけないんですか。大半の政治家高齢者オリンピックの時期にはワクチン接種が完了しているから高みの見物なんだろうけれど、希望者にすらワクチンが行き渡っていない状態オリンピックを開催することに賛成できるわけないでしょう。そもそも水際対策すらまともに出来ていなかったせいでアルファ株もベータ株も日本に来ちまってるじゃねーか。ほとんどの学生不安を抱えながら夏休みを迎えることになる。流行期には悪者扱いして、ワクチン接種では後回しにするんじゃ若者の苛立ちは募る一方なんだよ。せめて最後くらいはいい思いをさせてやってくれや。ワクチン接種が夏休みまでに受けられなかったら安心して海やプールに行けねえんだよ私たちは。学生夏休みなんて数えられるくらいしかないのに、政府対応のせいで1回ならず2回も奪う気なのかよ。

 地方自治体によっては若い世代に早めに接種するらしいけど、うちはそうじゃねぇ。成人式適当だったこんな市長には次投票するつもりはないけれど、どうせまた再選するのだろうという絶望感がある。どうせなら国に早く学生ワクチンを打たせるような指針を打ち出して欲しかった。

 東京大阪の大規模接種会場が全国対応?ふざけるなよ。そんなの各地から首都圏ウイルスを集結させるようなもんじゃねぇか。次の世代に接種させろや。

 何も私だって今更65歳以上の優遇を止めろとまでは言うつもりはない。そんなことをしたらまず混乱が生じるし、政治家だって選挙で勝てないようなことをわざわざ進んでするようなことはしないだろう。私のささやかな願いとしては、余りでいいから、キャンセル分でいいから、いち早く年齢を問わず希望者に接種出来るような体制にしてほしい。

2021-06-10

倍速視聴とSCREENカセットテープ

 映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的昭和の思い出話である

 歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。

 それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画オカルト映画パニック映画流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。

 やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSFオカルトパニック作品関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれ子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである

 話を戻すと、こうして結果的活字記事も読むようになった私は、雑誌SCREEN』に淀川長治連載記事掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者から質問相談淀川長治が答えるコーナーであった。

 読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。

 「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。

 馬鹿小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品オネアミスの翼』を製作劇場公開した時のことである

 中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。

 さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品監督を務めた山賀博之氏のインタビュー掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである

 雑誌SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女コーチ奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』であるテイタム・オニールかわいい山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。

 「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。

 ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代コンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定理由合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分レーダーに引っ掛かるモノを持つ作品出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。

 ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayDVDレーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードカセットテープ販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品フィルムテープリール販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から兄弟のツテでカセットテープダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフ暗誦できる。何の自慢にもならないが。

 そして、歳月が流れた。

 後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家ビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対行為である

 ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。

 大人になって、現在宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。

 子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。

 それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん