はてなキーワード: 一浪とは
自分は駄目な人間だった。小学校の高学年のとき、心因性頻尿になって外に出られなくなった。
金曜の、ピアノ教室の直前だった。その日突然トイレが近くなって、結局家の周りをぐるぐる車で回った挙句に帰った。
それからの日々は地獄だった。家から出ることすらできなかった。私自身自分に何が起こったのか理解できなかった。
学校は、授業は嫌いだったけど友達は好きだった。学年みんな友達だと思っていた。みんなの名前と顔を覚えていた。
学校に行けなくなった。
学歴主義で権威主義の父は、私のことを人間じゃない何かを見る目で見ていた。
私は当時の記憶があまりない。ただ、下手くそに隠された不登校に関する解説本や、
リビングで両親が自分について語り合ってるのを察するのがつらかった。
そのあと数ヶ月してから学校に復帰したけど、結局私は中学校も不登校になって、高校も退学した。
大学受験は当然するものだと思っていたので、高校退学前に高認を取って、
中退後は勉強のやる気が出るまで少し時間をもらった。結果的には一浪という形で
MARCHの少し下くらいの大学に通うことになった。みんなが最初に受験をしていた年は、何も勉強していなかったが。
大学に行き始めて数ヶ月でやっぱり行けなくなって、2年ほど休学した。
自分は何故生きているんだろうとよく思った。死ぬ勇気は無く、事故で死なないかな、と妄想していた。
復学後は配慮申請をして、出られなかった授業のプリントを貰ったりしていた。
私の時代は不登校や発達障害は時代の最先端の社会問題で、まだ数が少なく、学校や大学側も対応に苦慮していた。
体調が悪くなりやすいので、保健室を使う許可をもらい、授業の隙間はベッドで寝るようにしていた。
大学は地獄だった。面白い授業もあったと思うが、何の目的もなく社会学を勉強し、
ヴェーバーやデュルケム、フーコー、マクルーハンなどを習った。個人的にはヴェーバーが好きだった。
大学時代、地元に帰ったときに暇で仕方なく、日経ネットワークの初心者用のTCP/IP解説本を買った。たまたま立ち読みして面白そうだったからだ。
それから何冊か自分でネットワークに関する本を読んだ。面白かったし憧れたが、
自分は文系だし人生に夢も希望もなかったので、これはただの遠い憧れだな、と思いながら過ごした。
しばらくして、最初に買った日経ネットワークの本以外ほとんど捨ててしまった。読んでも意味がないと感じていた。
大学も結局中退した。3年にやっと上がれるという冬の試験で、起き上がれなくなった。
毎日天井を見て過ごした。今日は○○の試験だったのに…と思って、泣きながら過ごした。
ここで単位を落としたことで、卒業まで想定より1年だか2年かかりそうだなと自分で計算し、心が折れた。
何度目の挫折か数えるのも嫌になっていた。
画家さんの絵の手伝いに行ったり、フォトコンに応募したりしていた。絵と写真だけが、自分が唯一続けてきたものだった。
それも当然上手くいかず、暫くして、父から障害年金と手帳をとるように言われた。父には逆らえなかった。
父に逆らえる人は家族の中で誰もいなかった。とても怖い人だったから。
父は節税になる!と喜び勇んで説明し、私は、やっぱり自分は道具なのだなと思いながら、そのまま手帳と年金を取得した。
初めて自由に使えるお金を手にした。20代後半で、初めて自分で家具を買っていいことに気づいた。
家の中を、好きだった祖父母の家を模すような感じに作り変えた。
友人が美術館のバイトを紹介してくれたので、小さな美術館で週3日のバイトをすることになった。
が、その直後にコロナ禍になって、半年ほど美術館は閉鎖することになった。
休業補償?だか何だかで、一応もらえた。その年の秋から再開した美術館のスタッフを少しやって、年末年始は地元に帰った。
両親に、戻ってくるように言われた。
父の会社が上手くいっておらず、母方の祖父母から大変な額の借金をしていた。
利益なんて10年ほど出ていなかったらしい。元々何をしているのかわからない
人に説明するのが困難な父の会社だったが、父はとにかく経営センスがなかったらしく、酷いことになっていた。
私は一度地元に戻る決意をしたが、やはり怖くて直前になって無理だと母の前で泣いた。
地元に戻っても居場所はないと感じていた。東京にもなかったけど…。
すぐに次のバイトを探したが、それも2ヶ月しか続かなかった。秋からまたバイトを始めた。
小さめの不動産会社で事務をしていた。年始にまた、今度は以前より強めに、帰ってくるよう説得された。
私はすぐに市の生活相談窓口に駆け込んで、就労移行支援やギリギリ間に合ったコロナ関連の貸付金を紹介してもらった。
非課税世帯なので、返済する必要はないから安心して、説明された。
自分の決断は、生活保護になってでも東京にい続けるというものだった。コロナの貸付金で一時的に数十万のお金が手に入ったので、
それを使い生活保護でもやっていける物件に引っ越しをした。不動産も一人で回ったし、引越しの手配も手続きも全て一人でやった。
就労移行支援は少し通ったが、この時間でバイトをした方がマシに思え、すぐに辞めてバイトを探した。
並行して勉強を進め、基本情報技術者試験に合格した。その後障害者雇用で小さなコンサル会社で資料作りのバイトをし、
その間にMOSのExcel Expertを取った。お金をかなり切り詰め、貯金を始めた。結局生活保護にはならなかった。
翌年バイトが契約終了になったので、ネットワークの仕事にチャレンジすることにした。
人生で初めてのフルタイムのバイトだった。倒れる前提で、駄目元でやってみることにした。
昔柄谷行人の『探究』で読んだ、暗闇の跳躍だか飛躍だかを思い出した。
価値は、価値がついたあとにしかその意味を読み取れない。価値がつくには暗闇を跳ばなきゃいけない。
薄給の上に業務量がえげつなくて、人がすぐに辞めていく環境だった。
ある程度初心者ができるように自動化されていたので、1ヶ月を過ぎる頃には一通りの業務を覚えていた。
毎日現地作業員と電話を繋げながら、色々な試験をし、NWを開通した。たまに撤去もあった。
障害を隠して仕事をしていたが、ある日電話中にパニック発作が出て、電話を保留にした後しばらくトイレにこもって薬を飲んで休んでいた。
ここでもこうなるのか…、とトイレの中で泣いた。結局その職場も居づらくなって辞めてしまった。
諦めきれずに、次の仕事を探した。ベンチャー企業で、またネットワークの仕事をやることになった。
今度は客先常駐。仕事に出る前に第一級陸上特殊無線技師の資格を取った。
高校数学は赤点だったので、選抜試験も養成講座も地獄だった。何年振りかの座学だった。
そのあと1時間半ほどかかる場所で夜勤をすることになり、私はすぐに壊れた。
夜勤明け、ふらふらになりながら漫喫に入ってひたすら寝続けた。またパニック発作が出て、帰ることができなくなっていた。
大手IT企業の子会社で、採用の仕事をした。面接時はいずれITの仕事を回してくれると言っていたが、
一向に果たされる気配がなく、半年で辞めた。ここまでの失敗で辞めた後に空白期間があるとメンタルに来ることはわかっていたので、次の仕事はすでに探してあった。
障害者雇用の契約社員として、またIT系企業に入った。1ヶ月の待機期間の間にCCNAを取って、
今はそこで仕事を続けている。何故かPython人員になってしまったので、毎日ツールを作っている。
ChatGPTのおかげでなんとか仕事ができている。
今の案件は年内で終了するらしい。
数週間前に正社員登用の話があり、面接を受けた。周りからは多分行けるんじゃないかと言われている。
貯金はやっと130万ほど貯まった。将来は…できれば健常者として生きていきたいが、まだ暫くは難しそうだ。
まだ何も安心できない。実家の父母は離婚問題でめちゃくちゃになっているし、
リモートだから仕事ができているのでは?という懐疑が常にあって、次の案件でどうなるかわからないと思っている。
私は障害について色々思うところがあるが、30ぐらいの時にはっきりと
「自分は才能が無いのだから、せめてコミュ力を伸ばそう。自分は一人で生きていけると思えない。
だから、人から助けてもらえる、助けようと思ってもらえる人間になろう」とずっと考えてきた。
今の時代は障害者健常者に関わらず、みんなにとってつらい時代だと思う。
何かを抱えているのはみんな同じだと思っている。そんな時代に、
マイノリティが自分を救ってくれ!と叫ぶことはとても怖いことだと思っている。
社会に余裕がなくなれば、一番最初に切り捨てられるのは自分たちじゃないだろうか。
今までたくさん人に迷惑をかけたけど、少しでもそうでない自分になりたい。生きていていい自分になりたい…。
------------------------
私は今もたくさんの問題を抱えているし、色々上手くいっていない。
人生を呪っているし、楽しくはない。たまに楽しいこともあるが。まあしかし、こうやって足掻いている人間もいるよ、と思って書いてみた。
特定されようが、もうプライドなんて無いからどうでもいいのだ。
私を見下して、自信をみんな持って欲しい。こんな見苦しくみっともなく足掻いてる人間もいるのだから。
…まあ今後どうなるかはまだわからんけど。
------------------------
思ったより反響があって驚きました。
タイトルは自分の人生を象徴するような言葉ですが、実際そういう境遇にある人間がどのように生きていくのだろう?という
素朴な疑問から読んでくださった方がいるのかなと思います。あるいは下層にいる人間の惨めな人生を期待した方もいるでしょう。
励ましの言葉やアドバイス、叱咤を下さった方、それぞれありがとうございます。全部読んでます。
わーっと書いてしまったのでちょっと読みにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。
障害については一応ASD…ということになってます。診断が下りたのは大学生のときでした。
ご存じの方も多いと思いますが、当時はアスペルガーと呼ばれていて、空気が読めない・人の感情がわからないだとか、まあ散々なことが書いてありました。
カサンドラ症候群の話もありますし、今でもややADHDよりASDの方がイメージは悪いのかも、と思うところはあります。
高校生の頃にWAIS-Ⅲを受けた際には、言語性IQと動作性IQに結構な隔たりがありました。
当時の記録だと言語理解111、知覚統合99、作動記憶105、処理速度84。PARSの結果は幼児期が25点、思春期成人期が34点です。
一昨年だかにWAIS-Ⅳを受けたときは色々マシになっていて、言語理解119、知覚推理107、ワーキングメモリー117、処理速度111という結果でした。
今は人からは障害を持っているようには見えないとよく言われます。体力がないのは相変わらずですが…。
慢性疲労症候群の診断も下りていて、当時医師からは「あなたは将来生活保護か専業主婦でしか生きていけないと思います」という
大変メンタルに来る言葉をいただいていました。それから一気に体調が悪くなり、何も自信が持てなくなった後に
自分はそんな未来を信じないし、絶対にあの言葉を覆してやると決め、もう一度立ち上がりました。
大学でも発達障害で中退した人たちの予後が悪い、まともに働けていないという話を聞かされていたので
これについても、だったら最初の一人になってやる、と思った記憶があります。
自分は女ですが、文章が怖いと言われることもあったので、その辺も徹底的に直しました。
人を観察して、絵文字や顔文字をちゃんと使って明るく取っつきやすいイメージを持ってもらえるよう修正し、
見た目もパーマをかけたりと柔和な雰囲気を心掛けました。そういう仮面は、今は自分の皮膚のようになって
人の気持ちがわからない、共感性がないという部分については、周囲から指摘はそこまでなかったのですが
とにかくできるだけ人のことを想像するようにしました。自分を取り巻く多くの人たちや、ニュースになっているゴシップやエッセイなどからたくさんのことを学べたと思います。
お金があっても、賢くても、健康な体を持っていても、それでもみんな裏では色々あるのだな、と。つらいのは自分だけではないと言い聞かせてきました。
恵まれて見える他者が、実は苦しんでいるという話をちゃんと覚えておくようにしていました。
人生が大変だと、どうしても被害者意識が強くなってしまうものですが
そのように思う瞬間はあっても、絶対に客観性を失わないようにしようと常に思っています。
同時に、自分自身をあまり障害者として扱い過ぎないようにも心掛けました。単純に、心がすり減るので。
私は30代前半の女。看護師。
一軒家も購入し、子供に恵まれているが夫(同年代)が好きになれない。正直嫌いだ。
夫は私のことが好きらしく、話しかけてきたり、スキンシップをしてきたりするがどうしようもなくイライラする。
以下理由
・夫の給料が少ない。
大体20万後半程度。
専門卒の私より給料が低く驚いた。
そんなことを把握する前に妊娠してしまった自分が悪いのだけど後悔してもしきれない。
獣医は医学部と同じくらい偏差値が高いよ、と当時の同僚が言っていたから信じてしまった。
国立卒らしいが、正直専門卒の私以下の給料で働いている時点でリスペクトできない
医者にしておけばと思うけどもう無理だ。
・実家が細い
夫も片親で実家が細い。(義父は夫が小さい頃に死んだらしい)
医者と比べると家の品格が低いし金もないしどうしようなくイライラする。
・恨みが強い
第一子出産時夫は病院で働いており、早朝から深夜まで、時には当直までこなしていた。
私は実母と関係が悪く、実母の協力がなく里帰りもできなかった。
辛いなか、子供の夜泣き対応をしている中、夫は「緊急オペで帰れない」とのLINEだけ。死んでほしいと思った。
思えばこの頃からこの人のことが好きでなくなってきたのだと思う。たまに抱かれるときも元彼のことを瞼の裏に我慢していた。
・夫じゃなくてもいい
やっぱりこれ。
自慢ではないが今まで男には困ったことがない。中学からずっと彼氏が連続していたし、夫と結婚するまで切れたことがない。
彼氏は何人もいたが結婚まで至らず、最後に今の夫(獣医)とデキ婚した。
やはり今までの彼氏とは系統が違って雄度が低いというか、自信がないというか頼りない。
警察官や消防士の元彼たちは鍛え上げた身体をしていたし、なにより自分に自信があった。
何かが決定的に違う。
この人の女になりたいという強烈な欲望がわいてこない。なんで結婚したんだよって話だけれども。避妊大事。
現在私はパートで働いており、子供いるためシングルマザーになることはできない。
子供はかわいいし、夫は子煩悩で家事育児をしてくれる。でもやっぱりこの人とは幸せになれないと思う。
今はこどものため割り切って生活しているが、子供が成人したら別れて自由になりたい。夫以外の人と生活したい。
死んでくれれば団信で自宅も手に入るし、離婚よりも世間体もいいし一石二鳥なんだけれども。
(追記)
獣医にこだわりがある
今は臨床から足を洗い、動物病院への営業やサポートの仕事をしている。
仕事内容はかなりホワイトでトラブルが無い限り定時にほぼ上がれるようになったし、休みも取れるようになった。
夫は臨床に未練があるようで家でちょこちょこ勉強したり、大学の友達と意見交換?みたいなことをしているようだ。
子供がお父さんは何をしてる人?と聞かれ、夫は「お父さんは動物のお医者さんなんだよ。」と言っていた。
子供に嘘をついてかっこよく見せるのはこの人らしいなと思った。
私もこの見せ方に引っかかって、今つらい思いをしている。
不誠実な嘘つきに未来はない。
・自分が貶されている気がする
夫は小さい頃に父親を無くしており、中高公立、塾にもも行かず大学に受かったらしい(1朗)
その流れで義父の墓前で「息子ちゃんは頑張って獣医さんになってとうとう孫もできました~」みたいな報告があって違和感を感じた。
この人は私が専門卒だから努力してないとでも言いたいのか?勉強が大事なのか?
私も勉強に困ったことはなかったが、わざわざ3年で取れる資格を4年かけて大学で取ろうとは思わなかった。
勉強だけが取り柄みたいな人間を生産しただけ、しかも一浪。そんなことが誇らしいか?
潤む義母と夫に価値観の押しつけというか、気味の悪いものを垣間見た。
・レベルの低さ
話を聞くだけなのでわからないが、サーチや心拍を常に取ってるわけでもないらしく、CTやMRIは大病院にしかないらしい。
当然夫が勤めていた病院にはなかった。
「望診や聴診、視診が一番大事。」といっていたがそんなもの個人の器量に左右されるし、再現性がない。
「薬は砕いてmg単位で分包する。小児科みたいでしょ」といっていたが小児科と比べる時点でおこがましいとおもった。小児科の人たちは命をかけている。
他にも牛の去勢は麻酔は使わず鎮静だけでするとか意味不明なこと言ってたり、クローバー食べたら胃に針を刺すだのあまりにも医療の概念、レベルとは違う考え方に引いた。
私は病棟勤務が長いので、人よりは知識があるほうだと自負している。獣医ではなく夫の知識レベルが低いだけだと信じたい。
・話がどうでもいい
最近で言うと統合失調の薬がFDA通過するかもねとか、新しい下顎欠損の新しい術式が~とか
夫は好きだからそんな話をするのかもしれないが、興味もないし、ないより夫と会話をしたくない。
・人の心がない
時系列は前後するが、実家で飼っていた猫が急に後肢麻痺になったことがある。
調べたが心臓病から血栓が飛んで詰まり足が動かなくなるらしい。
相談したくなかったが夫にも相談した。レントゲンやデータ見たあとに「心臓がかなり悪いから厳しい」「苦しんでいるのであれば楽にしてあげることも考えてもいいかもしれない」
と私に言った。
つまり安楽死を推奨してきた。ありえないと思った。これが一つの決定的な旦那嫌いの要因かもしれない。
もちろん金銭的なことやデータを見ての判断かもしれないが、医療者として安楽死を勧めることは医療では絶対ない。
この人には良心とか、命の大切さみたいな温かいものがないのだと思った。
翌々日に猫は死んでしまった。夫に伝えると「残念だったね」とだけ言った。
この人は「それ見たことか俺の言うとおりだろ!」と言わんばかりのことを腹中では抱えているのだろうなと思うと、辛かった。
なぜこんなことになってしまったのかと過去の自分を殺したくなった。
乱雑に書いてしまった。
私もネームバリューとバリューだけで判断しているわけではない。
人としてどうか。欠如しているから一緒にいることが辛い。その上に前述の条件があるからなおさら。
(コメントで色々言われてるので)あと匿名でこんなこと言っても仕方ないが、男に関しては私は振られたことない。いつも振る側選ぶ側だった。
それでも年とともに魅力が落ちてることは十分理解している。だから我慢している。
・誰の子供なのかと言われた
元彼と別れる段階であり、夫とも付き合い始める前のような延長線上にいた。
妊娠が判明した時、「俺の子供なのか」と言われた。付き合う前だったからだろう。
私は人生でかつてないぐらい怒り、夫を詰った。これは断言するが夫の子供である。元彼との際は妊娠しては困るので必ず避妊をしていた。
夫への嫌悪感が初めて顔を出した。この違和感を正確に探知し対処していればと思う。
そもそも獣医自体、人間関係をうまく醸成できない人が代償行為として動物を治す仕事をしてるっていう精神病院的な意味合いがあると思う。
毎日精神療法できていいのではないだろうか。毎日60分以上で660点加算。もう人格荒廃済みなので不可逆か笑セレネースが処方される案件だ笑
みなさんが心配するように夫にばれることはないだろうがバレても問題ないと思う。
夫は私なしでは生きていけいない。
おそらく幼少期に愛情不足だったのだろう。相手の気持ちに敏感であるし、自己主張が強くもない。そして自己評価も低い。
まあ自己評価は適切なんだけど笑
幼少期に我慢することに慣れてるから、私が命令してもよく従属する。そして家族に強いあこがれがある。自ら壊すことはしないだろう。
自らを壊してくれれば一番望む形になるのだが。
理由としては単純で、ペーパーテストの結果があまりにも悪かったから。間違えた以前に、小論文書かされる系の問題についての知識が足りてなくて、時間配分もミスって、大問2〜3個全く書けてないみたいなことをしてたらまあそうなるわな、それでも希望者数的に枠はあるから大丈夫だろと思ってたらこれ。担当の教授に嫌われてもいるんやろなあ
バイトもサークルもめんどくさいからしないインターンも予定と被るしそもそも選考通んないからしないで就活から逃げるために決めてた院進学だから、正直進学できないことへのショックは薄い。ただ一緒に受けた同期へ不合格伝えんのがいたたまれない。「まあ基本落ちることないらしいよ〜」って言ってたの誰だよ!俺は基本から逸脱するほど頭が働かないバカということか?そう
合格者受験番号一覧的に内進者で落ちてるの自分一人確定なのも本当、、、俺死ね案件 全部自分が蒔いた種、というか蒔かずに水も何もやらずに適当に人生やってるツケが早々に来た
こっから先どうすればいいんだ、いやどうすればも何も大学一浪した時点で就職浪人の選択肢は無いから今年中に内定をもらわなきゃまずいんだけど、大手の就職先はもう募集締めてるし、やりたい業種職種も無いしでかなり詰んでる。とりあえずどうにか中小に拾ってもらえるよう大学の就職課に駆け込むけど今から入れる就職先ってヤバいのしかなくないか?
必死に働いた結果、払う税金だけが増えていくこの制度に嫌気が差した。
読みやすさ重視で、若干脚色いれるぞ。
オレは田舎の高卒家系に生まれた。ジアタマってのは無かったけど、勝ち組になりたい一心で一浪して理2に入った。
トーダイセーになったら無条件で勝ちかと思ってたのに、さらに、ジョーホー系ってヤツに進振りで行く必要があると知った。うんざりした。
引き続き勉強した。名門校の奴らに数理能力で及ばず、絶望して、寝れない日々を過ごした。この頃鬱病と診断された。ただ、滑り込むことはできた。
書くのも疲れたな。まぁ同じノリで博士前期まで終了して(後期は諦めた)、データサイエンティストというやつになった。これが稼げるらしいと聞いたから。
とにかく、学生時代を振り返ると、
向き不向きってのは(あえて)考えず、勝ち組/金持ちになれると聞いた道に全力投球してきた人生だった。
社会人になった。
これまで、全ての勝負に勝ってきたのに金持ちになる未来が見えなくて絶望した。今の給料ではタワマンに住めない。
もう一踏ん張りしてみるかとおもって、仕事に熱中した。データサイエンティストっていうと聞こえはいいけど、ほとんどコンサルみたいなもんで、ストレスしかたまらんかった。けど耐えた。副業も沢山した。
3年目で年収が1500万円を超えた、
サラリーマンの上限はこのくらいだと聞いて絶望した(歩合は知らん)。生まれ育った環境と、生活水準にほとんど変化がなかった。素直に驚いた。
どうやら、人には向き不向き、とやらがあるのに、その特性に応じて給料が変わるのは不平等らしい。
オレは、持つもの/持たざるもので、分けるとしたら後者に位置すると思っていた。
むしろ、その壁に立ち向っていく者、として仲間(後者派閥)から称賛されるとすら思っていたから、前者として憎悪されることがあると知ってショックだった。
つーか、サラリーマンしてる時点でお前と生活大きく変わらんだろ。流石に口に出さなかったけどさ。
(東京に住み続けられるかさえ怪しい)
な?
せめて、シコシコ努力(副業と読み替えてもいいぞ)で稼いだ分くらいそのまま懐に入れさせてほしいよ。
くらいにはなりてえよ。
そこそこのレベルの国立理系を目指してて、落ちたから一浪して、もう一回同じところに落ちて、今は何とか滑り込んだ地方国公立にいる。
上京したいって思ってたはずなんだけど、実際今いるところから東京行くのも地元から東京行くのもそんなに変わらないっていうレベル。
大学ってよく人生の夏休みだって聞くから、大学入ったらサークルやったり趣味やったり資格勉強したりしたいなあって思ってたんだ、思ってたはずなのに、実際来てみたら普段の勉強でそれどころじゃない。
というか自分が真面目に取り組みすぎてるだけなのかもしれない。要領が悪いくせにプライドだけ高いから、課題も予習復習もちゃんとやらないとって躍起になってるだけなのかも。
周りは意外とサークルとかバイトとか、課題やばいって言いながらやってるのに。情けない。
数年付き合いあるネットの知り合いには趣味を作れって言われるんだけど、正直やってる時間、というか余裕がない。授業受けて、電気代節約のためにギリギリまで図書館に残って勉強とかTwitterとかして、家帰ったら軽く飯食って風呂入って寝てる。他はずっとTwitter。
大学始まってまだ3ヶ月だけど、同じ学科で割と話す人とかには真面目なヤツって思われてる。キツい。中学まで勉強ができてたからって進学校行って底辺だった典型的な例なので、今後どうなるかが目に見えている。勉強とか得意じゃないから。
もう一ヶ月もしたら夏休みになる。実家に帰省している間はバイトをしようかと思ってるけど、そうしたら勉強する習慣がなくなってしまいそうで怖い。というか帰省したら一人暮らしの感覚も忘れそう。
大学生って何が良いんだろうな、もっと要領が良かったら適度に手を抜けたんだろうか。それともみんなこんなに苦しいと思いつつそれを隠しながら生活してるんだろうか。
偏差値40の私文から、業界最大手 就活生からの人気ランキング10位に入ったり入らなかったりする企業にいわゆる逆転内定した
なぜ逆転内定したか書くけど、たぶんあんまり参考にならないと思う 再現性はあるけどタイパコスパ最悪
自分のスペック 偏差値40文学部ギリFラン 女 身だしなみに気を使うが可愛くはない 157センチ58キロなので痩せてもいない オタク 部活は漫研
同期はどいつもこいつもいわゆる陽キャ 早慶上智みたいな私大トップばっかり 体感8割は運動部(全員の前で自己紹介する機会があって運動部ばっかだった)
そんな自分がなぜ内定できたかというと、大学時代に交換留学に行ったから
一応コロナ禍の留学だからその点をゴリ押しした。 それでも他の企業かなり落とされたけど(ESは比較的通る)
自分の中で、なぜ内定が取れたのかと考えた時、留学したことが一番の理由だとは思う。 でも就活だけを考えた時コスパもタイパも悪すぎる。
それでも留学に行ったおかげでESやガクチカで何か話すことに困ったことはなかった。
他にも文化系サークルの部長やってたけど留学のほうが圧倒的にウケが良い
何も考えなくてもとりあえず半年いけば必ず何らかしらの苦労はするので、手段は選ばない、ガクチカで話すことが欲しい人にはおすすめかもしれない。
余談だが、交換留学を考えた時Fラン進学のメリットが存在する。
上昇志向の人があんまりいないので、留学に行きたい人が少なくて応募すればいける確率が高い。他の有名大学だと競争が激しいけど、自分のとこは三人の枠に一人もいないとかザラだった
・語学などの条件が緩い
トイック何点からとかの縛りがない。 マイナーな言語になるとほぼ無条件 一言も喋れなくても可だった
名門の交換先は名門だけど、Fランだと現地のよくわからない僻地の大学にとばされたりする。
ただ交換留学は学費は日本の学費料でいいし、公式の大学からの留学だからまあまあ手厚いサポートが受けられる。
体感だけど留学の解像度が高い企業では語学留学か交換留学か聞いてくるところもあった(交換留学の方が評価高い)
さっきコスパタイパ最悪言ったけど、手段は選ばない人はおすすめ。
わたしは一浪して全落ちしかけてなんとか今の大学に拾ってもらって、大学時代は失敗を取り戻そうとして奮起した。
就活では何とか逆転したかったから留学に行けてよかったと思ってる
あと女子は就活だけ考えるなら女子大がおすすめ 終活関連のサポートがかなり手厚いし、偏差値の割には名前の通っている大学が多い。 (東京限定かもしれないが)
なんかFランで留学するメリットを多く語ってしまったが、結局大手内定欲しいなら大学で無理やり運動系サークルに入るのがコスパ良いと思う。それでES適当に盛って、面接の練習してそのいっときだけでもアクティブで明るい人間だと人事に思わせる。
そして3年生から就活を順当に努力してたらどっかの大手には内定出る
最後に背伸びして逆転内定したけど同期とは気が合わなくて、誰とも連絡先を交換しない研修という名の地獄を過ごしたので就活生は内定先はきちんと考えた方が良いよ
偏差値40の私文から、業界最大手 就活生からの人気ランキング10位に入ったり入らなかったりする企業にいわゆる逆転内定した
なぜ逆転内定したか書くけど、たぶんあんまり参考にならないと思う 再現性はあるけどタイパコスパ最悪
自分のスペック 偏差値40文学部ギリFラン 女 身だしなみに気を使うが可愛くはない 157センチ58キロなので痩せてもいない オタク 部活は漫研
同期はどいつもこいつもいわゆる陽キャ 早慶上智みたいな私大トップばっかり 体感8割は運動部(全員の前で自己紹介する機会があって運動部ばっかだった)
そんな自分がなぜ内定できたかというと、大学時代に交換留学に行ったから
一応コロナ禍の留学だからその点をゴリ押しした。 それでも他の企業かなり落とされたけど(ESは比較的通る)
自分の中で、なぜ内定が取れたのかと考えた時、留学したことが一番の理由だとは思う。 でも就活だけを考えた時コスパもタイパも悪すぎる。
それでも留学に行ったおかげでESやガクチカで何か話すことに困ったことはなかった。
他にも文化系サークルの部長やってたけど留学のほうが圧倒的にウケが良い
何も考えなくてもとりあえず半年いけば必ず何らかしらの苦労はするので、手段は選ばない、ガクチカで話すことが欲しい人にはおすすめかもしれない。
余談だが、交換留学を考えた時Fラン進学のメリットが存在する。
上昇志向の人があんまりいないので、留学に行きたい人が少なくて応募すればいける確率が高い。他の有名大学だと競争が激しいけど、自分のとこは三人の枠に一人もいないとかザラだった
・語学などの条件が緩い
トイック何点からとかの縛りがない。 マイナーな言語になるとほぼ無条件 一言も喋れなくても可だった
名門の交換先は名門だけど、Fランだと現地のよくわからない僻地の大学にとばされたりする。
ただ交換留学は学費は日本の学費料でいいし、公式の大学からの留学だからまあまあ手厚いサポートが受けられる。
体感だけど留学の解像度が高い企業では語学留学か交換留学か聞いてくるところもあった(交換留学の方が評価高い)
さっきコスパタイパ最悪言ったけど、手段は選ばない人はおすすめ。
わたしは一浪して全落ちしかけてなんとか今の大学に拾ってもらって、大学時代は失敗を取り戻そうとして奮起した。
就活では何とか逆転したかったから留学に行けてよかったと思ってる
あと女子は就活だけ考えるなら女子大がおすすめ 終活関連のサポートがかなり手厚いし、偏差値の割には名前の通っている大学が多い。 (東京限定かもしれないが)
なんかFランで留学するメリットを多く語ってしまったが、結局大手内定欲しいなら大学で無理やり運動系サークルに入るのがコスパ良いと思う。それでES適当に盛って、面接の練習してそのいっときだけでもアクティブで明るい人間だと人事に思わせる。
そして3年生から就活を順当に努力してたらどっかの大手には内定出る
最後に背伸びして逆転内定したけど同期とは気が合わなくて、誰とも連絡先を交換しない研修という名の地獄を過ごしたので就活生は内定先はきちんと考えた方が良いよ
・俺の高祖父
学校を出たかどうかは不明だが豪農の大地主だった。投機に失敗して行方不明になったらしい。
・俺の曽祖父
幼少期に高祖父が行方不明になったため地元の師範学校と東京高等師範学校を卒業して中学や女学校で教師をしていた。
教師として生活費を稼いで中学校を卒業させた弟は海軍兵学校を卒業して戦死した。
俺が生まれたばかりの頃は生きていて抱っこされたこともあるらしいが記憶にはない。
・俺の祖父
区立小学校、区立中学校、都立高等学校、東京大学法学部を卒業して自治省に入った。
某局長を務めてから退官し日本宝くじ協会の偉い人をやっていた。
・俺の父親
区立小学校、私立中高一貫校、東京大学法学部を卒業して司法修習を経て判か検のどちらかに任官。
・俺
区立小学校、私立中高一貫校、一浪を経てMARCH文系に入学し、仮面浪人を経て慶應義塾大学経済学部に進学。
これが勝ち組だ。
三流大学一浪一留し、最初の二年は某大手企業の子会社。その後転職し、大手企業のこれまた子会社立ち上げメンバーに。。。これはラッキーだった。
最初の会社とは違いそこで実際社会人として多くのことを学んだ。
しかし、昇格試験に複数回落ちて転職を決意。(たぶん役員に良く思われていなかった。実際悪態もついたし、媚やゴマすりを一切していないかった。むしろやり方がわからない・・・。また入社数年感はポンコツで、33歳くらいで
なぜかコツを覚えて仕事は自分でいうのもあれだが、できるほうの部類にいた。)
40歳で転職して1年ほどたったが、年収もあがり、残業時間もへり、仕事は楽になった。ぶっちゃけなめてるのか?というほど仕事は簡単に!
同業界なので、前職でのつながりも続いていて前職のメンバーともよく飲みにもいっている。
前職のときは転職に恐怖を感じていたが、同業界であれば、転職なんて楽勝ですよ。
くすぶっている全ての30~40代の背中を押したく投稿しました。
■追記
40歳で転職って冷静に考えると遅いけど転職しないとあと25年は同じ会社で同じようなメンバーと仕事だぞ、いい加減飽きるよ
法令とは何か? 信用性のある芸能人の歌詞などから推測する。はるか遠い観測でまるで笑えないウソ (ナイトメア)
「よくできた解答」の果てに迷い抜く世の中はなぜ (GLAY)
社会にはルールがある。だがなそのルールってやつは全て頭のいい奴が作ってる。つまり頭のいい奴に都合のいいように作られて
いるってことだ。逆に不都合な部分は分からないようにうまく隠している。だからお前ら損をしたくなかったら勉強しろ。
結論を教えてやる。東大に行け。バカとブスこそ東大に行け。(安倍寛)
問題点 GLAYが第2の歌を歌った平成12年時点で、 「よくできた解答」 など存在したのか?多くの芸能人が流行歌の中で、社会のルールの正体をばらしたのは尊重できる。
昭和63年に延岡市の保育所に入れたがギャーギャーと泣きわめき通園しない。インフルエンザになったときについでに精神科にみてもらったら自閉症と診断された。小学校では
集団教育に参加できない、高学年になると発話ができない。中学校ではサッカー部に入るが長続きせずインターネット通信に没頭。高校では勉強に没頭し担任とは最低限の会話しか
しなかった。一浪して東京大学法学部に進学するが社会性に疎く切符の買い方などを親が全部教えた。在学中のウェブログには人気があったが卒業前後から言動がおかしくなり、
両親ともに高卒。
修士まで進学。
普通に生活しながら余った金をインデックス投資へ(ずっと継続)。
3年半勤める。
給料は2〜3割ほど上がったが残業も多かったためゆくゆくの転職を決意。
2社目は2年ほど勤めた。
残業がそれほどでもなく給料も順調に増え続けてるので今に至るまで数年間勤務中。
ここまでの間、1社目から特に生活水準変わっていないため増えた分の余剰資金も相変わらずインデックス投資へ。
還元率の高い電子マネー、中古スマホや楽天モバイル、電力会社変更、ふるさと納税、楽天市場や他のネット通販の有効活用等。
両親の説明を見ればわかるように遺産や贈与などあるわけもなく。
田舎で教育環境も悪いところで生まれ育った俺ですら普通に人生送ってきただけで4000万円貯まったしこのペースでいけば40代前半頃に1億円近く貯まる。
俺より恵まれた環境で育ってきた人が大半なのに老後までに2000万円すら溜められない人ははっきり言って甘えとしか思えない。