はてなキーワード: ベテランとは
時天空をご存知だろうか。時天空はモンゴル出身の力士で、土俵上での華麗な足さばきによって知られている。かく言うわたしも時天空の足技が好きだ。本人には申し訳ないが時天空が一番好きな力士というわけではないけれど、しかし、彼が勝つと思わずにやりとしてしまう。
土俵の上で時天空はいつも、仏像のようなふてぶてしい顔をしている。立ち会い、ぶつかって両者まわしを取る。相手力士の真っ赤な顔。だが時天空は、素知らぬ風に足をかける。相手の力士は、しまった!という顔でバランスを失い倒れる。
時天空の相撲は、わたしが相撲だと漠然と思い描いているものの輪郭から、時折大いにはみ出す。だからわたしは時天空が好きだ。柔道のようだと思うかもしれない。モンゴル相撲のブフは、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。時天空の相撲は、イマジネーションを広げてくれさえする。あの器用な足でまた何かやらかしてくれるのでは?そんな期待をこめて、毎場所テレビを見る。
そこまで言うなら時天空の相撲を見てみたい、もし可能であれば生で国技館で見てみたい、と思っていただけた方がもしかしたらいるかもしれない。願わくばいてほしい。しかしその望みは叶わない。なぜならば、時天空は引退してしまって間垣親方になってしまったからだ。では親方として、警備をしたり解説をしたりチケットをもいだりする、あの仏像のようなご尊顔を拝せるのでは?しかしながらその望みも叶わない。なぜなら元時天空、間垣親方は亡くなってしまったからだ。時天空は2017年の1月31日に亡くなってしまった。今日はちょうど一周忌だ。だから上の文章は、本来ならば動詞を全て過去形にしなければならない。
昔から相撲が好きだったわけでなく周りに詳しい人もおらず、面白そうだしいっちょ見てみますか!と思って見始めたわたしのようなミーハーな若輩者にとって、時天空はありがたい力士だった。なぜなら、時天空と言えば足技だと覚えておけばいいから。とりあえず時天空が来たら足技が出るのを待てばよかったので安心だった。本当は足技が失敗することもあったし足技は特に出ず押し出しで勝つこともあったけど、とりあえず時天空といえば足技。これで間違いがなかった。
力士の立ち会いはよく軽トラックの衝突にたとえられるが、ぶつかられて上半身はその対応をしておきながら、よくもまあ器用に足をかけられるな、バランス感覚はどうなっているんだと常々思っていた。
それに時天空は、四股名もSFみたいでスケールが大きくて格好いい。旭天鵬(現友綱親方)に似てるという意見も散見されるが、土俵上の時天空は、旭天鵬からお母さんみたいな雰囲気を全部抽出しきったあとみたいなおっかない顔をしていて、でもどこか荘厳で、鎌倉後期の仏像みたいで、思わず拝みたくなってしまうようなところがあった。
同僚と国技館で相撲を見ていた時のことだ。幕内の取り組みが始まって当時は平幕の下の方にいた時天空が出た。
「この人は足技がすごくて!」
などと僭越ながら紹介した直後、時天空が裾払いを決めて勝ったことがあった。同僚は普段から大相撲を見る人でなかったからピンと来てなかったようだったが、わたしは嬉しかった。思いが通じたような、どこか共犯者めいた気持ちが満ちた。むずがゆくなるくらい嬉しく、誇らしかった。これからも応援しよう!と思った。
でもその時はまさか、その場所とその次の場所が、土俵上で時天空を見られる最後になるとは思わなかった。
肋骨の骨折で休場というニュースを見て、時天空がケガなんて珍しいな、十両落ちちゃうのでは?と思ったが、その後実は悪性リンパ腫だと知りショックを受けた。場所のたびに休場の発表があり、十両に落ちているのを国技館のチケット売り場の電光パネルで見て、やっぱりと思うと共に早くよくなってほしいという気持ちが募った。
わたしは、時天空に手紙を書こう!と思った。もしかしてあまり読めなかったりして?と思ったが、時天空は日本語がペラペラだし、たとえ読めなくてもそういうのは気持ちだから出そう!と身勝手なことを考えた。ふりがなをふったら逆に失礼か?などと考えながら文面を考えていた矢先、ツイッターで久しぶりに時天空という文字列を見た。リンク先には引退と間垣襲名会見のニュースがあった。
引退はさみしかったがその何倍も復帰が嬉しかった。丸坊主になった時天空は、痩せていたけど想像していたほどではなかった。しかし、目を真っ赤にして涙を流しながら会見していてはっとした。わたしのなかの時天空は、土俵の上のむすっとした顔でしかなかった。しかし仕事だからそうしていただけであって、こんな心許なさそうな表情もするんだと思ったらこみ上げてくるものがあった。でも同時に、モンゴル人力士のなかで真っ先に日本国籍をとり年寄名跡を持っていたことを知り、さすが時天空だと思った。ぜひ後輩を指導してあの足技を継承してほしい。引退はとてもさみしいことだったけれども、帰ってきたことに対する嬉しさのほうが何倍もある。
お相撲さんやっぱり違うな!と思った。元々の体力があるから病気も治るんだな!よかったよかった!わたしは安心してはしゃいでいた。
その後すぐ元時天空、間垣親方は大相撲中継で向正面で解説をしていた。名前を呼ばれると「ハイッ」といい返事なのがかわいくて、それと現役時代と比べて顔が少し穏やかになっていた。時折満面のスマイルを見せるので、うおー時天空こんな一面もあったのかー!とさらに好きになった。解説も日本語が上手なだけでなく的確で詳しく、ついこの間まで幕内にいただけあってこの人と組んだ時はこうだったああだったと、話が尽きないので、聞いていて楽しくためになった。力士たちは「時天空関ととるのは嫌だった」とか「もう二度ととりたくない」とか「足技だけは教えてくれない」とか言っていて、声に出して笑ってしまった。
時天空という力士が幕内からいなくなってしまったことは残念だったけれども、これだけ解説も上手だったら楽しみなことが増えたと思っていた。当時は大島親方だった旭天鵬も、もう一度断髪式すればいいって言っていてその通りだと思った。
わたしはそれからすっかり安心しきっていて、その次の場所で間垣親方が休場していることを全然知らなかった。テレビの映らないところで警備とか協会の仕事をしているんだと思い込んでいた。でもそんなことはなかったらしい。元時天空の間垣親方は、2017年1月31日に亡くなってしまった。
時天空が好きだった。全く知らない人の「時天空サッカー」というツイートを見たときに、なぜだか明確に好きだと思った。モンゴルの平原をまわし姿でサッカーする時天空。似合う!足技はブフで培ったものか柔道で東農大にスポーツ交換留学に来た時のものかと思っていたが、柔道部だったころはそこまで足技に力を入れていたわけではないらしいとも聞く。ではあの足技はなんだったのか?やってみようと思ってやってみたらできたのだろうか。乗馬で鍛えたインナーマッスルが、相撲にも活きたのだろうか。
朝青龍のことを知って、自分もいっちょやってみようと来日して入門。稽古をしながら大学にも通い、卒論を日本語で書き上げたというスーパーマンぶりには目を見張る。卒論のテーマは「ダイナミックモデルを利用したモンゴル国の人口動態に関する研究」、興味深い。
わたしはにわかファンなので、相撲を見始めた頃の時天空はすでに30代なかばのベテラン力士。幕内下位定着たまに十両陥落くらいのイメージだったが、三役経験もあるし前頭一桁代だった時期も長い。時間前に立ち会いをしたり、まわしがとれかけたり、なかなかにバチバチだった時代があったようだ。
亡くなったことがどうにもショックで、当時は巡業の写真などをずっと探しては見ていたのだが、土俵の下ではにこにこしている写真ばかりで意外だった。名古屋場所でトゥクトゥクに乗っている写真。赤ちゃんをだっこしている写真。後援会の人たちとじゃんけん大会をして負けているところ。ウインク。
解説の動画を探していていたときに、酔った時天空が「iPhone4で彼女の顔を見ながら電話したい」と言っている動画を見つけてしまったりした。時天空はとても楽しそうで明るくていつも笑顔で、すごく人生を楽しんでいるように見えた。幸せそうだった。解説の時もそうだった。見ているこっちが笑ってしまいそうになるくらいだった。
一年経った今でも時天空のことを思い出す。病気さえなければまだ幕内で相撲をとってたのではないかと思ってしまう。足で足をバーンと蹴ったりひっかけたり、器用に相手のバランスを崩して勝っていたと思う。
時天空が亡くなってすぐ、入門直後はきまり悪くなると日本語がわからないふりしてごまかしていたこととか、部屋が世論で問題視されていた時に懸賞金を手紙と共に返したこととか、時天空の人となりが感じられる話が世に氾濫して、そのどれもに心動かされ泣いてしまっていた。でも、亡くなってしまってその話を知るくらいなら、知らないでいていいから元気でいてほしかった。じゃんけんが弱いのもお酒が強いのも知らなくてよかった。おっかない顔の足技師としてにやにやさせてほしかった。40歳までは関取だと思っていた。やっぱり、あまりにも早すぎたと思う。
日々、自分の頭の中を好きなものでいっぱいにしていないとやっていけない。時天空もまさにその一部だった。でもその部分は時天空の形の穴になって、他の力士で埋めようとしてもなかなか埋まらない。時天空は、お腹は出ていたけれども膝下が不安になるくらいほっそりしていて、他の力士はそこがひっかかってしまうから駄目だ。
時天空は膝下に脂肪がなくてひきしまっていて美脚だった。その脚が器用に動いていた。またあんな足技が得意な力士が出てきたら面白いけれども、でもたとえ出てきたとしてもそれはまた別の力士で別の魅力があるんだろう。だから時天空の形の穴は埋められないのかもしれない。埋めなくてもいいのかもしれなくて、埋められないことそのものが、時天空という力士が代え難い魅力を持っていたということの証明なのかもしれない。
追記:ニュースで相撲関係の悲しいことばかりが続いてつらくなる。口に出すのもおぞましいような表現で特定の力士を侮辱する言葉はもう見たくなくてインターネットが縁遠くなる。協会のこととか理事長選とか、にわかファンのわたしにはよくわからないしあまり興味もない。わたしはただ、土俵の上で色んな力士がそれぞれの最高の状態で相撲をとっているところが見たいと思う。それを見てわくわくしたいと思う。
その中でも小回りがきかないのとプロジェクトのすべてに関われることは稀なので、
もっと仕事全体に関わっていきたい私は待遇は悪くなるが転職した。
プロダクトもやるしイベントもやるしWebもやるしと仕事も多岐にわたって面白い。
(余談だが、うちのようなところでも残業禁止のお達しがあり、真面目にやると会社が潰れる)
新進気鋭のIT企業のように、ジュースやらお菓子やら飲み放題ということもないが、
コーヒー(インスタント)とお茶(ティーバッグ)だけはいつも置かれており、
勝手に飲むことができる。
そこのティーバッグだけど、よくあるリプトンのイエローラベルやTWININGSといったものではなく、
アラビア系?とおぼしきおじさんの顔がかかれた、この会社以外では見たことのないティーバッグです。
ふと、これどこで買っているんだろう?と思いました。
「あのティーバッグどこで買ってんの?」と聞いたら。
「え。コーヒーは補充していますが、ティーバッグは買ってませんよ!社長じゃないです?」
と言われた。
そこで、社長(前職からの知り合い)にランチへ一緒に行った時に、
「あの置いてあるティーバッグってどこで買ってるんですか?」と聞いてみた。
「あ?あれ、総務の増子ちゃんが買ってきてるんじゃないの?」と以外な返事だった。
「いや、それが違うそうなんですよ。」
「へー。」
社長はあんまり気にしていないようだったが、私は誰がいつもアラブ人のお茶を補充しているのが気になってきた。
そこで、エレベーターホールで、パントリーで、トイレの前で、中で、
スタッフと出会うたびに聞いてみたら、みんな総務が補充していると思っていて、
誰ひとりとして
「ああ、それ、わたしが買ってきているんですよ」という人はいなかった。
誰がこのお茶を買ってきているんだろう。
すくなくとも、わたしが転職してきたときにはすでにあったので、わたしより古い人が対象者だろう。
そうなると10人程度になるが、すでに全員ヒアリング済みで、誰も「知らない」とのことだ。
よくよく考えたら手に入りやすいものではなく、amazonでもみつからないような商品をなんで提供し続けているんだろう。
そう思うと10年間飲み続けてきたお茶を飲むことが急に気持ち悪くなってきた。
今日はミネラルウォーターでも飲むかとコンビニで水を買って帰ったら、
珍しく増子ちゃんがお茶をいれてくれていた。
俺もいいおっさんになったが、会社ではそれなりのキャリアになって
引っ張っていく立場になってきた。
最近悩みがあって、周りから学ぶことが無くなってしまっているなと感じている。
もう、威厳のあるおっさんなので、みんな遠慮して言わないし、若い子達は俺の言うことをはいはい聞いてしまう。
それはそれで、楽だしいいんだけど、とにかく学びが無くて、不安になる。
そこでだ。
いろいろできない事ばかりで悩んでいる感じにしていたら、親切な人が教えてくれるようになってきた。
こっちも素直に言うことを聞いてアウトプットをいろいろ出してみた。
そうすると、また喜んで教えてくれる。
こっちはベテランなので、正直チョロイのだが、周りからは優秀な新人っぽくみえるようで、かわいがってくれる。
元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である。担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族の共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後の時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉をスムーズに出すことができなくなっていった。
そして中学入学。環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部も一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部に所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学で出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。
そして決定打となったのは合唱コンクール。「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽の時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り、自分は学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話に電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。
会話から始まり、日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習や電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害の検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テストや期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。
不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験。入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点の基準の数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点を基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23。地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任ともっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。
この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術の先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三の一学期、今まで体験したことのなかった画材と出会った。油絵具である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望を見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。
その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しかし問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度を発見した。内申点を度外視し、受験時の学力テストと実技、面接で入学選抜を行うという制度だ。その制度を担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラスの過去の不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。
何はともあれ、私はその制度を活用し無事志望校に合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。
そしてやってくる大学受験。もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部の美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。
時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係を高校や大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的な大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代の自分をメタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験に合格した。
卒業制作とバイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。
知識不足による誤解・曲解と(SES・準委任と派遣契約が区別できてないとか)
ごっちゃになってて、知ってる人にも知らない人にも読んで得しない文章だなあと思った。
「ここ最近の話」で言うと、ユーザー企業が人に割く予算はますます減っているので
エンジニアリング能力を提供できない人間には金を払わないユーザーが増えてる。
金額に見合わない目に見えるレベルの無能は秒で替えろと言われる。
一日中Excel表いじってるだけの仕事が許されるとか逆においしいし
SES会社は簡単にクビにするほど人は余ってないし、無能なだけならどうにか使おうとする。
「多くの場合、派遣会社の営業は客に従うため客が「安くこき使いたい」と考えて
低評価で低賃金を主張したら余程の事がない限り営業は客に従う」ってのも、
営業は客にヘーコラしてる印象かもしれないが、馬鹿じゃなければ高く売りたいに決まってる。
SESの場合メンバーの評価は客からの評価を鵜呑みにせざるを得ない状況は大いにあるが
もちろん、それがメンバーの給与に反映されてるかどうかは別で、
客には高く売って給与は安く抑えるというのがSESで儲ける常套手段なのがクソという話はある。
「こっちは金を出してるんだから教えることに時間を取ることもミスすることも許さない」
なんてのはSESなのになんで客が教育しなきゃいけないんだとしか思えないし
(小さいミスが大きな損害に直結するような運用はおかしいとかいう話は別)
「専門学校でプログラミングを学びjavaの資格も取った新卒が客先でシュレッダー係りになっていた」
という話にしても、
まず「専門学校でプログラミングを学びjavaの資格も取った新卒」ってどうなのってのと
前述の通りシュレッダー係に金払う余裕があるユーザー企業って今日びどれだけあるねんってのがあって、
雑用メンバー入れられる余裕のあるチームならベテランもいるだろうし
ある意味では成長機会に恵まれる可能性さえある気がする。ガチャでレア引くレベルの確率で。
SESがクソなのは、時間単価契約なので効率よく働くより長時間働くほうが売上が上がるため
生産性向上のインセンティブが発生せず、長期間ダラダラと続ける方が会社にとっておいしい構造であり
特に若手にとっては成長機会が奪われることが大きな要因だろう。
#年齢がある程度いってて特定の領域に特化して技術力が高い人など、SESがうまく機能するケースもなくはない
人件費の差額で儲けるモデルだから売上のない社員がいると利益率が目に見えて下がるため
ちゃんとした研修をしている時間はなく(時には虚偽の経歴で)すぐに客先に送り込まなければならない。
また勤務時間が長すぎる、人間関係がきつい、現場の業務が自分のやりたいことと乖離しているなどの理由で
現場を離脱したくても会社は社員の思いより売上確保を優先して継続させる方向に力が働き、実際そうさせることが多い
#もちろん会社によっては社員の気持ちを優先してくれる場合もあるんだけども
#自分も過去に「この客はやばい、すぐ抜けさせてくれ」と訴えて2ヶ月で抜けたことがある
そもそも社員の幸福と会社の幸福が一致しないビジネスモデルであるのもクソである要因だろう。
「せざる負えない」は「せざるを得ない」だぞというのが言いたいことだ。
なぜあれをネタにできるんだ。
と心底思う。
かくいう俺はホモである。政治的に正しく表現するとゲイである。LGBTである。
だから面白さが分からないんだろ、と言われればそうなのかもしれないけど、
淫夢が流行り出した前後の音MAD界隈のことはまだ記憶に残っている。
某海外ゲイAV、某草加、某フェチ系ビデオ、某熱血テニスプレイヤー。
どれもまあわかる。
筋肉ムキムキの外人がパンツの奪い合いしてるなんてシュールで面白いし、さらに空耳のオプション付き。
草加に関しては宗教勧誘ビデオのワンシーンをリズムに乗せるという面白さに加えて素材がベテランお笑い芸人である。
容赦のない放屁音を連打するフェチ系ビデオは小学生的な感性を思い出させてくれたし、
脈絡もなく熱弁を振るうテニスプレイヤーも勢いで笑わせてくる。
ニッチな界隈のさらにAVという役者が限られた状況で、何とかエロの前後に前戯的な小芝居を挿入しようとした結果、
壮絶な棒読み学芸会が爆誕してしまい、冷静な目線で見ると滑稽で仕方ないというのは確かにある。
男がちんこ勃起させてアヘアヘ言ってる光景なんてノンケから見たらグロ中のグロ中じゃないの?
プロ野球選手が男相手にンギモヂイイ!!とか言ってる猿芝居の面白さがそのグロさに勝ててるとは到底思えない。
何故日本人が演じてるホモAVなんて鳥肌の立つような(とあえて表現する)映像をチョイスしてるのか。
「やらないか」→「パンツレスリング」の系譜は理解できても淫夢に関しては理解が追い付かない。
そういうのが平気な人もいるんでしょ、で済ませるには淫夢のミームはあらゆる場所でみかけるし、
ミームだけ独り歩きしてるのかと思いきやAV本編のフル動画は検索上位にヒットする。
一部だけで受けている、とするには無理のある存在感だ。
淫夢のミームが浸透する流れをホモフォビアの視点で語る人もいる。
いわゆるヘイトなのだと。ゲイが嫌いだからネタとして、オモチャとして消費しているのだと。
…しっくりこない。ヘイトとってないのに消費されてる人たちはなんなんだ。
修造は嫌われてたのか。OMMC姉貴の愛称で昨年親しまれた彼女は世間から嫌われているのか。
そんな馬鹿な。
というわけで、現状どの視点から切り取っても淫夢の愛され(と言っていいだろう、もはや)ぶりは
ほのぼの力:10 キャンプ:8 女の子かわいい:8 意外とストーリーがある?:7 総合力:7ぐらい
どんなアニメ?→「友達がいるのにあえてぼっちキャンプをするような女の子がスープを飲みすぎてキャンプ場のトイレに駆け込んだりするアニメ」
まず最初に言っておくべきことは1つ。
女の子が可愛いことをアニメに求めているかどうかが視聴継続の分かれ目になるであろうということ。
女の子が可愛いからこのアニメはいいアニメですと言えるかどうかでこの作品の価値の大部分が決まってしまうだろう。
しかし、このアニメが女の子の可愛さに頼っただけのグダグダアニメかと言えばそうではない。
このアニメは「キャンプの良さ」を言葉にして語らずして画面で語ることが出来ている。
孤独のグルメが、ただ食事を食べるだけのことの素晴らしさを、無理に言葉にせずキャラクターの態度によって示すあのノリだ。
わざわざ寒空の下でキャンプをすることの何が面白いのかを主人公は語らない。
すす臭さや手間暇のかかる焚き火なんてやらなければ寒さで凍えて本を読むことすら困難になるようなキャンプ場になんでやってくるのかを口にはしない。
11月に寒空の下で布団もかけず昼寝をする少女。
まさか、こんな強キャラじみたキャラがただのポンコツだとは……。
主人公よりもキャンプ慣れした怪物だと思いきや、まさかただフラフラして迷子になっただけのポンコツだとは……。
強烈な脱力と共に現れた彼女は、主人公たちの街に来たばかりだと自己紹介をする。
キャンプをまたしよう。
次に何が起きるのかがうっすらと見えてくる。
この感覚だ。
そして、場面は切り替わり登校の風景に。
通学路を少女たちが登っていく。
ふと意味ありげに現れる2人のキャラクター、口から飛び出したのは「ビバーク」という単語。
登場キャラクターそれぞれが持つ「キャンプ観」が一話という短い時間にテーブルの上に並べられた。
ダウナー少女のぼっちキャンプ、キャンプ初心者とのキャンプブートキャンプ、ベテランキャンパーによる苦行系ガチキャンプ、皆でワイワイやるゆるキャンプ、このアニメが描こうとしているキャンプの種類が多種多様であることが1話の段階で明かされるのだ。
次はどんなキャンプが待っているのか。
このワクワクはとても大切だ。
こちらはこの多様な手札をどの順番で切ってやろうかと言わんばかりのこのアニメの態度は実に視聴意欲をくすぐるものがある。
そして何より私がこの作品で評価しているのは、時間の流れのゆるさだ。
遅いが決してその時間は薄くはない。
爽やかな秋の空の下で綴られる日常系深夜アニメにはとても大切だ。
ましてそれが、キャンプという非日常系の日常を扱うのならば不可欠といえる。
それをこのアニメはきちんと携えて我々のもとにやってきた。
良いアニメだ。
「SING」がすごいよかった。
まったく期待せず、人の付き添いで見に行ったのが最初で、そのあと1人で2回見に行った。
主人公のコアラの声が内村光良だと気が付かなくて、エンドロールを見たとき驚いた。
MISIAにも驚いた。歌以外のセリフのところ。気弱な象の女の子がMISIAの個人的なイメージとは正反対だったので、驚きだった。
長澤まさみの歌もよかったし、山寺宏一や宮野真守などのベテラン声優が脇をしっかり固めていたから安心感があった。
それよりなにより選曲がよかった。懐かしのナンバー。アニメだから子供向けなんだ、と思ってた自分を恥じた。
2017年最後に見たのは「Destiny 鎌倉ものがたり」
でもどうしても早送り感があってイマイチ楽しめない部分があった。次の話へどんどんどんどん進んでいくので、途中からどこに感情移入していいかわかんなくなって、置いてきぼりにされる寂しさがあった。
たぶん、いろんなことを詰め込みたくて、でも入りきらなくて、止む無く急な展開で話を進めていくしかなかったのかな…?とか考えた。
でも、そんなことはどうでもいいと思わせるほどかっこよくて愛らしい安藤サクラ演じる死神と、宇多田ヒカルのエンディングテーマ…なんかもうそれだけで充分見てよかった!って思えた。
セクハラ・パワハラ案件じゃないけどアニメ業界で気になったこと。
某アニメのイベント。監督やキャストがトークをするって感じのやつ。
そこでよくある演出だろうけどキャラの声でナレーションがはいって監督を呼び捨てでかなり高圧的な台詞があったんだよね。
もちろんその場の誰もがそれは声優の個人的な意見ではなく台本を読んでるだけと分かってたはず。
ところが、その後舞台に出てきたその声優は第一声で「すみません、さっきの台詞は台本に書いてあっただけなんですよ」と監督に謝る。
もちろん、監督の方は「ええ、わかってますよ」と身振りも加えて気にしてないよって感じだったんだよね。
なんていうか声優と監督の権力関係というのを舞台の上から見せられてげんなりした。
そういうのは楽屋でやってくれと思ったよ。
監督は10年以上やってるベテランで、声優はかなり主役も複数張ってるとはいえデビューして浅いというのはあっても、さすがになー
セクハラ・パワハラ案件じゃないけどアニメ業界で気になったこと。
某アニメのイベント。監督やキャストがトークをするって感じのやつ。
そこでよくある演出だろうけどキャラの声でナレーションがはいって監督を呼び捨てでかなり高圧的な台詞があったんだよね。
もちろんその場の誰もがそれは声優の個人的な意見ではなく台本を読んでるだけと分かってたはず。
ところが、その後舞台に出てきたその声優は第一声で「すみません、さっきの台詞は台本に書いてあっただけなんですよ」と監督に謝る。
もちろん、監督の方は「ええ、わかってますよ」と身振りも加えて気にしてないよって感じだったんだよね。
なんていうか声優と監督の権力関係というのを舞台の上から見せられてげんなりした。
そういうのは楽屋でやってくれと思ったよ。
監督は10年以上やってるベテランで、声優はかなり主役も複数張ってるとはいえデビューして浅いというのはあっても、さすがになー
下調べもかなりしただけあって、お店の対応も女の子の対応も良かった。
女の子は顔はなかなかベテランさんな感じだったがそもそも自分もさして若くないし同年代くらいが好きだし、胸は大きく肉付きはむっちりとはいえお腹が2段になってるわけでもなく、話もそれなりに盛り上がったし普通に楽しかったし良い経験になった。
ただフィニッシュは出来なかった。
彼女いない歴もそろそろ15年目を迎え、ずっと右手が恋人(時々左手に浮気)なので自分でやり過ぎて…というのは多分ある。
あとはもちろん初めてそういう所に行っているわけなので緊張もあったと思う。
でも一番ネックになったのは、心が通ってない感じがした事だった。
いや、そんなもん初対面の男女だし、心が通わないのが当たり前なんだが、お仕事としての物理的な刺激作業をいくらしてもらってもなんだかあまり気持ち良く感じられなくて。
それなりに高いお金払って行ってるのに、お店の女の子に気を遣ってしまって自分が本当にやりたい事やして欲しいことも言えず、なすがままで(向こうからすればこっちが何も言わないんだから当然そうなるわな)ああしよっか、こうしよっかと言われては言いなりになってる内に時間が過ぎてしまった。
あとは目がほとんど合わなかったのが何かな…こっちがシャイそうでわざとそうしてくれた可能性もあるけど。
そんでも一応自分のターンが巡ってきて、自分が上になってるときに首筋にキスしようと思ったんだけどバッと避けられてしまい、ああそういうのは嫌なのか〜…とか思いながら鎖骨や肩の辺りを舐めてその場を取り繕ったんだけど、そしたら何か急に元気がなくなってしまって、その後「口と手でもいい?」と聞かれた時も、実は自分は昔からパートナーに口や手でしてもらってフィニッシュした事がほとんどないんだけど、自分のも元気ないし入れっぱなしというわけにもいかないのかな…と思って了承してしまったんだが、まあ不完全燃焼ではあった。
途中、女の子の髪を撫でさせてもらったんだけど、そうしてる時が一番高まった感じあったなぁ。
やっぱりなんかイチャイチャ恋人プレイみたいなのを望んで行って、かなりお仕事感の強いプロ対応されたのがニーズとマッチしなかったって所なのかな〜。
服着ながらなんだかしょんぼりしてちゃいかんなあと思ってなるべく笑顔を作っていたんだけど、「そーんなしょぼくれた顔しないで〜」と言われたので多分何も隠せていなかった。
ただ、別にフィニッシュ出来なかった事がショックだったわけでなく、そんな場ですら相手に気を遣いすぎて肝心なこと(今回の場合したいこと・されたいこと)をちゃんと伝えられない自分に落ち込んだんだよね。
まあ肝心なことが自己主張できないのは一朝一夕には直らないとして、やっぱり俺としてはただ身体だけ繋がってもしょうがなくて、心の繋がりみたいな物を欲してるんだなという結論に至ったので、それがわかっただけでも収穫かなとは思う。
作業をより確実に行う為にいくつかお願いをさせてください
・できれば向きを揃えて輪ゴムで束ねて出してください
その際にゆるくかけると輪ゴムが外れてしまうので二重掛けにしてもらえると助かります
枚数が少ない場合は輪ゴムをかけると曲がってしまうのでそのままお出しください
・折り紙を貼ったものなど区分機にかからない年賀状以外は県外、市外、市内などで小分けにする必要はありません
全て一度区分機にかけるので小分けにしないほうが助かりますし、作業も楽になるので元旦に届きやすくなります
・切手を貼った年賀状は普通の年賀状と分けてもらえるとありがたいです
・郵便番号は大きな字で正確に書いていただけるとより区分の精度が高まります
区分機による区分だけでなく手区分でも郵便番号を頼りに区分するので書いてあるか否かで作業効率が大きく変わってきます
・住所はできれば省略しないで書いてください
郵便番号が間違っていた際などは住所で区分するのですが、県名などが書かれていないとどこの○○市や○○町なのかが分からず区分に手間取ります
ベテランの職員さんであれば記憶を頼りに区分できる場合もありますが、短期アルバイトではそうは行きません
誤って他県に送ってしまう可能性すらありますのでどうかお願いします
・折り紙、押し花、毛糸、凹凸のあるシールなどを貼った年賀状は早めの投函をお願いします
こういった年賀状は手作業での区分になるのでどうしても時間がかかります
投函した地域の郵便局での手区分→送った先での手区分となる為、28日以降ですと遠方の場合は元旦に間に合わない可能性が高いです
芸人の世界だとがっつり縦社会で、芸歴が上なら絶対に兄さん姉さんで、(内心はともかく)売れてる売れてないに関わらず上下関係がしっかりあって、
芸歴が上なら普通に女芸人が「おい〇〇なにやっとんじゃ」みたいに後輩の男芸人をなじったり。いやこれはこれでパワハラやんけという話にもなるけども、少なくとも性的な気持ち悪い関係性は少なそうに見える。
そして男芸人側も女芸人に対して意識高めなとこがありそうで、女性だから〜という部分はあるだけど決して女性を舐めてないというか、
ある種のリスペクトを持ちながら接してる人が多いようにも見える。
(ベテランの歳いった人は逆にエグいくらいのがちらほらいそうだけど)
まあテレビのバラエティではデブやブスを売りにする芸人、それをいじって「おいしくする」周りの芸人という構図はひとつのパターンになっていて、職業としての割り切りはあるだろうし、そこに悲哀もあるのだけどそういのだけじゃなく、偽る事なくうまくいってる例もある。
例えばブルゾンちえみは最初に出てきた時こそ顔がすげえとか言われたけど、今の空気としてはオシャレな人というイメージもついてきた。
渡辺直美みたいに太っててかわいいみたいな、ポジティブな好感度で人気ある人もいるし。
ちなみにこの2人、セックスの話を比較的大らかに話しちゃうとこがあるという共通点もある。
この辺の人達のセクハラへの意識とか、女性としての意見みたいなの、どう考えてるんだろう。けっこう芯を食った考え方を持ってるんじゃないかと気になる。
#MeTooっていうか、YouTooなんだけども、以前、漫画家と編集者ばかりが集まる飲み会で聞いた話。つまり伝聞ですがね。
とある男性のベテラン大人気漫画家さんが、その場にはいない名物編集長A氏の名前をあげて、一緒にやった仕事のおもしろエピソードなんかを披露していたんですね。
A氏は、ちょっと詳しい人なら名前知ってるぐらいの知名度もあって実績もたくさんある実力者。
自分は、わくわくしてその話を聞いていたんですが、そしたら、その場にいた人気女性漫画家さんが、途端に口が重くなって何も喋らなくなってしまったんですよ。
で、変な空気になったのを察したベテラン漫画家さんが女性漫画家さんに話をふると、ぽつぽつ…と告白してくれたんです。
新人のころ、A氏の雑誌で初めての連載をやっと持てる、という立場の時。
A氏との打ち合わせ後、帰宅しようとタクシーに乗った瞬間にA氏に乗り込まれ、手を握られてキスされそうになりホテルに連れ込まれそうになったことがある、と。
その女性漫画家さんは慌てて逃げて、後日連載の話も断ったという。
一瞬、えー?あのAさんがそんなことするわけないじゃん!?みたいな感じになったんですが、別の女性編集者が「実は私も…」と言い出して、その場は修羅場となった。
ベテラン漫画家さんが「あいつそんなことやってんのか!!!アホか!!!」と激怒し、女性陣は「A氏あるあるですよねー」と暴露大会となり…。
自分は、この業界の半分を敵に回しながら、なお権力者の位置に居座っていられるA氏ってスゲーなとか思ってしまい、呆然としていた。
編集者と新人漫画家の関係はとかくモメがちで、あからさまな上下関係も利害関係もある。そりゃセクハラなんかもたくさんあるんだろう。
しかし、どの新人さんが突然売れっ子になるかわからない漫画の世界で、よくそんなこと出来るものだ。
実際、その女性漫画家さん(漫画賞をとったこともあるくらいの人)は、A氏とは金輪際仕事しないと言っていたし。
いま、このブームを前にしてA氏は眠れぬ夜を過ごしているのだろうか。
※いわゆるベテランの方々についてはここでは取り扱いません。あくまで若手声優大好きな声豚の目線です。
さらに+で容姿が整っている が人気になるようになってきてたわけだけど
そりゃまあ可愛い娘がキャッキャしてるのを見るのは楽しいんだけど、さすがに供給過多っていうか、追いきれないっていうか。
彗星のごとく現れて1作品くらいメインやって主題歌のPVで踊って、そして彗星のごとく消え
あとはソシャゲのCV当ててリアルのイベントで接近戦したりライブしたりしてるだけの娘を応援してても、
応援しがいがあるのかないのか。というか声優なのかアイドルなのかよくわからなくなってくるっていうか。
あと、昔は「あの人は声優なのに可愛い!」が売りだったのに(相当に失礼な物言いだが)
最近だともう「この娘可愛いから声優にしよう」みたいなビジネス戦略が見え透いてきているというか・・・
というかもう可愛くない娘のほうが珍しいってレベルでみんな可愛いんですよね。恐ろしい業界になったもんだ。
そしてふと気づくわけです。「演技力のある若手声優って貴重じゃね?」という矛盾しているかのような事実に。
というわけで種崎敦美さんと大地葉さんが最近のマイブームです。
魔法使いの嫁は二クールだから来期もやります。観てない方もまだ間に合います。
大地葉さんはラジオのカレーチャーハンがクソオタクラジオだけど演技コーナーは全力なのでオススメです。
あ、ノラととアニメよかったよね。
ノラとと2?あれは別人。シア姉√よかったです