はてなキーワード: オープンキャンパスとは
中学1年ですが、大学のオープンキャンパスで量子力学の話を聞きました。トンネル効果という話が不思議で面白かったのと、シュレディンガー方程式と波動関数がなんだかすごそうだという感想です。
シュレディンガー方程式について調べてみましたが、よく分かりませんでした。本屋で量子力学の本を立ち読みしてみましたが、シュレディンガー方程式というものがある、と、突然説明があったので、量子力学を勉強する前にシュレディンガー方程式を別に勉強しなければならないのでしょうか?
例えば勉強の流れとしては、
中学の数学→高校数学→大学数学→シュレディンガー方程式の学問→量子力学→トンネル効果の学問
のような感じで勉強すればいいのでしょうか?
オープンキャンパスの時に大学の先生に質問したかったのですが、質問の機会がありませんでした。
飯を食うとうまい。
わかる
日曜日の昼前、実家暮らしの俺は冷蔵庫にめぼしい食材が無い事を確認し、
回転寿司はくら寿司よりもスシローの方が好きだったが、家から一番近いスシローでも徒歩30分。
店を訪れるのは久しぶりで、今回初一人回転寿司ということもあり、
普段通り過ぎるだけのカウンター席に座るドキドキ感はそれだけで寿司の美味さに加点される。
席に着くとまずお茶を淹れるルーティン。の前にメニューを見た。
「これは!!」
スシローとくら寿司の大きな違いはとびこの有無たったそれだけであり、寿司屋の善し悪しはそれで決まる。
俺は興奮気味にタッチパネルをねっとりとした指先でなぞり、とびこを2皿注文した。
カウンター席の一番端は休日の昼までも混雑を知らず、あとにやってきた父と娘の2人客も静かでとても快適だった。
そんなこんなで場の雰囲気を味わいながらお茶をすすっていると注文配達レーンにとびこと続いて注文していたえんがわ、フライドポテトが続々と到着した。
すこしとびこが皿に散らばっていたりしていたがそれも情緒。
口の中に放り込めばプチプチと元気な音が聞こえる。
少し多くつけすぎたワサビの行き場のない痛みが涙を誘う。
うまい…
なんてうまいのだろう。
テンションがぶちあがり、隣に座った客の食べっぷりの良さも影響して1皿、また1皿と狭いカウンターに到着する。
7皿ほど食べ、最初に頼んだフライドポテトがよくも悪くも存在を主張してくるが、
この天ぷら盛りあわせ280円の(大葉つき)がどうしても食べたい…
でも、揚げ物をこんなに食べたら死んでしまう…
今年22の俺の胃は脆い。
天ぷらの盛り合わせが手元にあった。
正直これはよくばりだったとおもう。
いい店じゃないか…
俺は満足げに腹を撫でまわしながら、原稿用にモンエナの500ml缶を買おうとローソンに寄った。
レジに並ぶと見覚えのある後ろ姿。
「お、おかん…?」
「俺のは…?」
「あんたは爽」
わるくない。
そのまま一緒に帰ることにした。
「あんたどこ行ってたの」
「そこのくら寿司」
今日は原稿が行き詰って心が折れそうになっていたこともあり、俺の大好きな寿司を食べに行ったというわけで。
「へえ、一人でくら寿司」
「さすがに沢山は食べれなかったなあすぐお腹いっぱいになっちゃった」
俺は満足げに腹をさすった。
「やっぱりおいしくなかったでしょ?」
?
「おいしくなかったでしょ?じゃないでしょ?」
飯を食べてきた人に向かって開口一番「おいしくないでしょ」と断言するなんてサイコパスか?
「なんでそんなこと言うの?わざわざ店へ行ってお腹いっぱい食べて帰ってきている人においしくないってどうしていうの?」
安価で提供される寿司たちにはネタが薄っぺらい、少ない、美味しくないって暴言吐いてもいいのか?
(これらは全て俺の祖母が回転寿司に行くと必ず言う言葉なのでなるべく一緒に飯を食べにいかないことにしている)
「お前はいつも細かいことに反応して!そうやっていつもいつも」
「ちがうだろ!言い方がおかしいだろ!」
言い合っている間に家についた
俺はそそくさと自室に戻り10分ほど泣いた。
またつらくなったら寿司を食べよう。そう思った。
1663円でこんな最高になれるなんて。
「まずい飯に1663円を払った馬鹿」
になった。
数年前学生の頃、オープンキャンパスのバイトをしていた時も同じようなことがあった。
俺はうめうめと飯を食う。
学食の回転効率を突き詰めた飯は素朴な味わいで食べ盛りの学生の為に米は大盛りだ。
今日のタダメシも美味かったぜ、と満足げに教室へ戻ると同じメニューを食べた教員がこう言うのだ。
俺は思う。
人は共感を得たいというのもわかる。
だがネガティブなもので共感を得ようとするやつは何をやってもダメだ。
おいしくなかったならわざわざおいしくないと言葉にせず、黙っていてほしい。
そして仮にとんでもなく自分の口にあわないものを食べたとしても、違う言い方をするべきだと思う。
例えば、
このうどんは俺には味が薄すぎたとか
油が強すぎたねとか
兎に角なんにでもまずいと言うのはやめた方がいい。
独り言でも隣の客に聞こえたらそいつのUXもたちまち下がってしまう。
その教員には言った。納得してくれた。
昔からあまり家族で外食もしなかったし、これからもしたくない。
きっとどんな店に行っても何かにかこつけてまずいまずいと言うのだろう。
うまい飯を食える仲間、美味い飯が食える店。
大事にしてほしい。
以前「子供の進路希望を、医学部から東大理一に変える方法」を相談した増田だが、
現在のところ、医学部志望からの翻意工作に失敗して、医学部志望になってしまってる。
今彼はロンドンのサマースクールだが(こう書けば、どの高校なのか判る人には判る)、帰国すれば医学部のオープンキャンパスに行くらしい。
「日大医学部のオープンキャンパスなんて、どう?」なんてのたまっているから、「日大なんて3000万円かかる、ムリムリ」と必死に諦め工作してる。
仕方ないので、彼は日程が合う滋賀医科大のオープンキャンパスに行くらしい。(大半の国立医学部オープンキャンパスは、サマースクールと日程バッティングしてる)
つくづく思うのだが、東京には「難易度がそんなにシビアじゃない国公立の医学部が、少なすぎる」んじゃないのか?
23区内だと東大理三は無理ゲーだし、東京医科歯科大も難易度高すぎる。
となると横浜市大医学部か千葉大医学部しかない。横浜市大は金沢区で、23区からは通学に遠い。
本来は埼玉県に国公立医学部があればいいのだが、埼玉県には無い
県内ではトップの高校でそこそこテストの成績は良かったし、先生に雰囲気が似合うと思うよと言われたし、オープンキャンパスに行ったときに入りたい研究室が見つかったからだ。
それでも、現役時代はどこか勉強に身が入らず案の定落ちた。浪人する気でいたし、早稲田には受かっていたから浪人したら流石に受かるでしょと心のどこかで思っていた。
いざ浪人してみると、予備校に通っていたが、授業が始まる時間が高校の時より遅かったし、寝坊してもきっと家族が起こしてくれるからみたいに甘えているところもあったし、現役時代ほどではないにしろ、他の人よりも怠けることがあった。それでも成績は上がっていたし、校舎内の京大理系コースの上位10%には入っていたから、他の人はこんなに怠けてないしまずいだろうと思う反面、また早稲田も受かったし、どこか今年は受かるかなあと思っていた。
結果は不合格だった。
自分の考えの甘さの深刻さにやっと気が付いて、後期の大学を受けにいく新幹線の中ですごく泣いた。
親には二浪してもいいと言われたけど、正直、このまま実家にいて二浪目で生活を変えられる自信もなく、親元から離れて生活を始めないと変われないと思ったし、下宿して浪人もさせてというのはさすがにわがまま過ぎると思ったから、二浪せずに後期で受かった国立大学に行くことにした。
でも、引っ越しの準備が進むにつれて、もう京都には行けないんだなと思うとすごく悲しくなったし、このまま後期の大学に行くのは逃げなのかもしれないとも思ったし、親の「二浪してもいいよ」という言葉は、二浪してでも京大に行って欲しいということの裏返しだったんじゃないかと思うと申し訳なさがさらに募った。
結局、どうするのが良かったのかはまださっぱりわからないが、この間高3の時の担任の先生と話してある程度は吹っ切れたから、この大学で頑張っていこうと思っている。それでも、引っ越し直前になっても上に書いたようなことを考えてしまう。
虐待されていた女の子が亡くなった事件で、DV被害を受けていたと言われる母親が逮捕された。
「一人で子供を産み落とし、育てきれなかった母親が逮捕され、往々にしてその相手は罪に問われないのに対し、
なぜ直接の加害者である父親が逮捕された上に、DV被害を受けていた母親も逮捕されなければならないのか」
というような言説を見かけて、第三者的な私は確かにそうだなと思った。
DV被害を受けている中で、正常な思考が奪われているのだから、それは咎められない。
しかし一方で、被虐児としての私は、私の母親を責める気持ちを持ち続けている。
そもそもなぜあんな人と結婚したのか、婚姻生活を継続したのか、途中逃げ出せたのになぜ逃げなかったのか。
私が過去に傷ついた分(かそれ以上)のpaybackは受けてほしい。
私は、大学で親元を離れるまでの間、父親から軽度の虐待を受けていたと思う。
「軽度」というのは、私が今日まで生きていられていることと、私よりひどい虐待を受けていた人がいるであろうことから飾り言葉としてつけただけであって、虐待の内容の軽重比べの意味ではない。
「虐待を受けていた。」と言い切れないのは、両親の認識として、そして私の自認としても、ある時期まではそれらが「しつけ」であったからで、
また、私の中に今も尚あれらの経験を「虐待」と指してよいのかどうかという逡巡が多少なりとも残っているからである。
それに、彼らが私に教育というものをプレゼントしようとしてくれた事実自体には感謝しているのもある。
(ただ、彼らが私に授けたその教育のおかげで、私がそれらの経験が「虐待」であるかもしれないことに気づけたのは、多少皮肉なことかもしれない。)
私の家庭は貧しかった上、母親も、父から今日で言うところの経済DVを受けていたし、連絡先は消され、友人との付き合いは禁止で、故郷からはるか離れた義理の実家の近くで結婚以来何十年も暮らし、地元に帰れるのは4,5年に1度であって、私の出来が悪いと言ってはお前のせいだと咎められ、夫婦喧嘩のときには青あざを作っていた。そういえば、確かに父親も外面はいい人であった。
重ね合わせてみれば存外似ている。
私は幼心に「それはおかしいし、なぜ別れないのか」と思っていて、小学4年の頃には母親に父親の異常性を指摘したし、中学2年のある日「離婚を考えている」と言われた時にはいつ別れるのだろうかとわくわくした。結局その日は来ないまま今日に至るのだが。
そして、もしどうしても我慢できなくなったら、自分で児童相談所に通告しようと思っていた私は、通告しないまま大人になった。
彼女がどうして、ダメな夫と別れられなかったのかというと、それは彼女に「完璧な私」と「完璧な家庭」と「完璧な子供」という理想とプライドがあったからで、反面、彼女には教養もリテラシーもなかったからである。
高校受験もセンター試験も二次試験もすべて自分で準備した。母に少しは調べてほしいと依頼したが、彼女は何一つしなかった。「完璧な子供」はそれくらい一人でできて当たり前であるし、「完璧な私」は何もしなくてよいのである。
オープンキャンパス中に開催された高校生限定のイベントに参加するため、喫茶店で待っていてと私が頼んだ待ち時間の2時間を、彼女はコーヒー代の600円を節約するために炎天下の下で待ち、熱射病にかかり600円以上を無駄にした。
彼女は子供の学歴を親族に吹聴する反面、子供の傷跡については誰にも相談しなかった。
もし仮に何かあったときに彼女を助けてくれる親族は母親にはいたが、私には父親か母親しかいなかった。
当時、母は目の届く範囲では私をかばってくれたし、父親がいないところではよくしてくれた。それには心から感謝している。
でも、最終的には私が私を救うしかなかった。私が、私を救うために、家族との連絡を絶つということを含む、すべての選択を責任を持って行って、今日まで生きながらえてきた。
大学で家から離れた私は、実家から遠いところで日々幸せに暮らしている。
過去の思い出ってどうして美化されて事実よりも美しく見えるんだろう。
どうしてあんなに煌めいてるんだろう。まぶしい。
結局自分が大好きってことなんだよね。今から自分の思い出振り返りするね。
毎回テストテストばっかで勉強に追われてた。受験の時なんてこれで人生きまっちゃうんだ、落ちちゃったらどうしようってすっごく心配だったけど今となってはあのどきどきも愛おしい。いじめられたこともあって学校も行きにくかった、けど今の年になっても付き合いのある一番仲がいい友人もできた。
すごく好きな人ができた。結局告白もせず自然に疎遠になっていったけど。毎朝7時50分に家を出るとね、好きな人と交差点で会えた。それが楽しみで楽しみでどんなに朝寒くても起きるのが苦痛じゃなかった。あんなにときめいたり誰かを好きになったりすることってもうないかもな。授業中や休み時間、気がつけばその人のこと目で追ってた。帰り道だってもしかしたら会えるかもしれないなんて期待でウキウキしてた。ほんと、若いよね。
修学旅行なんて行く前は「行きたくない~」とか言っちゃうめんどくさいやつだったけど、いざ言ってみたらすごい楽しくて。好きな人と見た長崎の夜景が忘れられない。付き合ってなかったけどずっと私の胸の奥底でキラキラ輝いてる。心の中でシャッター切ったみたいに覚えてる。肌寒かった空気も。ずっとこの思い出に囚われていくのかな。
オープンキャンパスに行ったとき。真夏の日差しがギラギラしてて、涼しい研究室の中から見た木漏れ日の翠が美しかった。あの時大学紹介してくれた先輩たちはすごく大人びて見えて大学生活ってなんて自由で楽しいものなんだろうって心がうきうきした。今でもこの時のこと思い出すと将来への期待と不安が入り混じった何とも言えない甘酸っぱい気持ちがこみ上げてくる。つらい勉強も頑張ろうって思えた。今振り返ってみても、自分はあの時の先輩たちみたいに大人になりきれていなし、きっとこれからもあの人たちより大人になれることはないんだろうな。
大学生の時は片道2時間もかけて電車通学してたんだよ。同期からは散々馬鹿にされたけど、親が一人暮らしさせるの心配だったから。学費全部出してくれるのも親だったから。同期と飲み!とかサークル活動とか研究室に籠って勉強とか世間一般にいう大学生らしいことは全くしなかったけど、電車から風景眺めながら論文読んでたのがすごく懐かしい。
初めてデートもした。この人とも結局付き合わなかったけど。水族館に行って一緒に観覧車に乗った。2人とも緊張してがちがちしてたな。自分で言うのも何だけどすごく初々しかった。あれから観覧車のってない。
一人で初めて旅行もした。奈良の燈花会。朝早く行き過ぎて、ライトアップはじまるころには足がクタクタになってた。我ながらあほだな。
卒業式ではきれいな袴を着た。学友たちと写真撮ったり、教授に感謝の気持ち伝えたりしたけどいまいち「卒業」っていう実感がわかなかった。
去年の4月から社会人になった。毎朝起きて、化粧してヘアセットして職場に向かう。先輩からの小言愛想笑いでかわして、上司に頭ペコペコさげて。お客様対応とか笑顔もうひきつってるし。残業も長くて毎日家に帰ったら風呂入ってすぐ寝て朝。の繰り返し。土曜出勤もあるから日曜は死んだように寝てる。その分お金は稼げるんだけどね。好きだった趣味も社会人になってからやってない。
過去の思い出は煌めいて見えるけど、社会人になってからの思い出と現実は今もこれからもずっと煌めいて見えないような気がする。
"実際に私も周囲の人間や環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分の選択からしか生まれなかった。"
中高の頃は理学部で宇宙の研究をしたいと思っていたけれど、親戚と、親戚に引きづられた親の強い薦めで資格の取れる薬学部に進学した。果たして結果は、入学したはよいものの留年した上ドロップアウトしかけるなど散々なものだった。意を決して道を変える際にも強硬な反対にあったが、今は割と幸せに暮らしている。
*
他の人は善意で自分に助言をしてくれるのかもしれないけど、その選択を自分が主体的に選ばない限り、たとえ成功しても自信にはならない。それに、人によっては、自分の助言に従って他人が成功したときには「私の助言があってこそ」、従わずに失敗したときには「言わんこっちゃない」、従って失敗したときには「お前の実力がないからだ」とうまく使い分けてくる。そういう人は、人が自分で人生を選び取る力を奪い取っていく。
周囲の声に耳を傾けつつ、最終的にしっかり自分の頭で下した選択なら、成功しても失敗してもそれなりの納得はできるものだ。それができるようになるには、幼い頃から自分で物事を決め、チャレンジすることこそが重要だと思う。チャレンジすると言ってもいきなり全人生をかける必要はないし、それに今の時代、失敗してもリスクのほとんどない「お試し」の機会なんていっぱいある。
大学関連ならオープンキャンパスは大学の雰囲気を肌で味わう良い機会だし、もっと踏み込んでみたければ授業に潜ったり、研究室にメールを出して見学させてもらってもいい。そういう機会は、大学に入る前から入ってからも常にある。
たとえそれに自分が向いていなかったり、やりたくないと思ったら、それはむしろ成功の部類だ。なぜなら、今後自分が行くべきでないところを避けることができるのだから。もし大学の先生や企業にメールを送って返って来なかったら?それもリスクゼロだ。返信してこない方は、迷惑でもなんでもなく、ただメールを一瞥して無視しているだけでなんの認知資源も必要としていない。そこが無理なら、他を当たればいいだけのことだ。
こういう「小さなチャレンジ」はやらなくても漫然と人生が過ぎていってしまうし、少しの勇気が必要だけれど、いきなり大学や企業を決めてそこに入ってしまうよりはずっといい。「小さく失敗しろ」という言葉をネットで見たことがある。まったくその通りで、小さい失敗を繰り返す速度が早いほど、人はよい選択ができるようになると思う。
*
そして、小さなチャレンジをすることが特に必要な人がいる。それは、「やりたいことしかうまくできない」度が高いような不器用な人たちだ。私も含めて、そういう人ほど本当に自分がやりたいことを探すことが重要で、小さなチャレンジはそのために必須のプロセスなのだ。器用な人ややりたくないこともイヤイヤやってしまえる人は小さなチャレンジなんてしなくても、そこそこ好きな場所でそこそこの働きをして、そこそこの幸せを得られるが、不器用な人にそれは望めそうにない。しかし困ったことに、不器用な人ほど失敗を怖がる。彼らは、小さい頃から人より沢山失敗を繰り返さざるを得なかったし、周囲の人に理解がなければその分怒られ続けただろうから。
だから、これを読んで失敗を怖がっているような若い人がいたら、ぜひ失敗を責めるような人から(少なくとも精神的には)離れる方法を見つけて、小さなチャレンジをしてほしい。もし大人になってしまった人が読んでいても、まだ遅くはない。大きなチャレンジはリスクが大きいけど、小さなチャレンジは生活を壊さずにトライできる。そして、自分の子供が不器用なら、「どんどん失敗しなさい、けれどいきなり全てを賭けるのではなく、小さく試しなさい」と教えてあげてほしい。
電車内で大声で電話していた会社員風の男性が他の乗客に注意されなかった理由がつらすぎる…「逆に耳ダンボになる」「気の毒すぎる」
何でこの男性を描くことに対して、誰も叩かないんだ。キモくて金のないおっさんだからか? 女性を描いた時は、散々炎上させてたのに。
「昔大学のオープンキャンパスのワークショップで接客した女の子です」14歳とは思えない巨乳美少女にTwitter民騒然
「今朝電車で真ん前にいたお姉さんの事」乳首まで見えていたという女性のイラストが話題に
猛烈に勉強したくない
どうやらわたしは来年受験生になるみたいだけど、なんで勉強するんだろう
何か目標がある人はそれに向かってまっしぐらでいいけれど、なんの目標もないような人は何に向かって走っているんだ
将来の夢とか久しく持ってないなあ
オープンキャンパスとか行ってみてすごいな〜〜とか思ったけれどすごいな!止まりでこれを学びたい!!にはならなかった
それで選んで入ったとしてもきっとまた今みたいになんでなんでって考えることになるんだろうな
学歴はそりゃああったほうがいいだろうな〜ってなんとなくは思うよ
それは笑えるくらいド底辺まで
同じ学校の友達に話してみても「やばいね」って言われるだけだし
他校の友達には「それは自分のレベルが下がったからじゃなくて学校のレベルが高いからなんだよ」って言われた
親は「目標も無いのに無理して勉強しなくていいんだよ」ってどんな酷い成績でも怒らないし干渉してこない
ありがたいことだけれど親にそこまで言わせてしまってなんかそれはそれで申し訳ない
勉強したくてもできない人がいるんだよ
ここに入学したくてもできなかった人がいるんだよ
って言われたような記憶がある
そんなこと百も承知なんだ
今は他の人の想いとかそういったもの背負ってまで頑張る気になれない
そもそも誰かのためじゃなくて自分のために頑張るべきなんだよなきっと
もうなんで勉強してるのか学校に通ってるのかなにもかも分からなくて空虚な毎日だしつらいし学校行きたくないし
これからどうしたいかもどうすればいいのかも分からないことづくし
あたしゃ一体何がしたいんだろう
言ってることもみんなみんな我儘で支離滅裂
関関同立とは、関西私立大学で偏差値が55~65の大学の頭文字をとったものです
授業で一度やっている内容なのに、なぜ家でまたそれをやらなければならないのか、という疑問があり、宿題をほぼやってきませんでした
小学校4年生になったころ、父親に自分のパソコンを買ってもらいました
そのころからそれを使って動画をみたり、mixiで黒歴史を作ったり、ニコ動で臭いコメントをしたりしていました
今でこそ誰しもが知るようなゲームとなっていますが、当時は動画投稿界隈ぐらいでしか見かけず、友達にも知っている人はいませんでした
悪いことに、当時の私はそのゲームを割って(違法ダウンロード)プレイしていました
ただ、その割るという行為自体も簡単ではなく、数多の悪質な広告が渦巻く海外サイトに行き、正しいダウンロードリンクを探し、ダウンロードしなければなりません
そのせいでせっかくのパソコンがウイルスにかかったりもしました
ただその中で英語の動画を見て必死にプレイしようとしていました
中学1年生になり、お小遣いをもらうようになってはじめに買ったものはMinecraftでした
当時は今のようにコンビニでカードを買ってコードを入力すれば遊べるようになる、というものではなく
公式サイトも英語表記で、Google翻訳を使ってようやく買うことができました
さて、正式版のMinecraftを手に入れた私はMODに手を出し始めました
ここで言うMODとは追加要素のことで、海外のゲームにはよくある自分でゲームの要素を書き換えたり、追加することができるものです
MODを入れるためには複雑な手順を踏まねばなりませんでした
解説サイトなどもありましたが、情報の更新が早く、追いついていませんでした
最新版のもので遊ぼうと思ったら英語で書かれた海外のフォーラムを読まねばなりません
英語なんて中学でようやくまともに学び始めたものなのでまともに読めるわけがありません
それでも私は読み続けました、MODを入れて遊びたいがために
単語はゲーム内に出てくるので知っていますから、問題は文法です
中学生になっても宿題嫌いは変わらず、3年生の時の担任にはその生活態度の悪さから「伝説の男」と呼ばれていました
さらにその上授業態度も良くなく、ずっと友達と喋っていたので平常点は低かったです
3年生になって進路を決めなければならない時には「成績が低くて行ける高校ない」と言われ、高校の選択肢はかなり狭かったです
私は英語に興味があったので英語を重点的に勉強できる学校に行きたかったのでいろいろ調べました
いくつかの学校にオープンキャンパスに行き、「この学校いいな」となった高校があります
その高校は通信制をメインとしており、週5日通うコースも有るという少し変わった高校です
その高校に決めた理由は「授業の3分の2が英語の授業である」というところです
その高校は通信制をメインにしている、ということもあり不登校やいじめ経験者が多くいました
入学式が終わって数ヶ月経つ間にクラスの2割がやめていきました
そんな中私は純粋に英語が勉強したくてそこを志望していたので、変なやつという扱いではありました
その頃にはパソコンの扱いにも慣れ、様々なゲームで遊ぶようになり、その中にはもちろん海外のものも含まれていました
キャラクターたちは英語で喋り、チャットも英語で行われています
私の中で、ゲームをやりたいから英語を勉強し、ゲームで英語を勉強する、という循環が生まれていました
高校入学時には300点だったTOEICも卒業時には810点となっていました
これはTOEIC〇〇点、や平常点平均〇〇点以上、といった足切りを設け、小論文や面接で合否を決定する入試です
英語ができればこれで受験できる学校は多いですが、他の教科ではほぼありません
私達は偏差値の低さも相まって、普通の受験など到底できません、英語以外の教科はほとんど勉強していませんでした
クラスで3人だけがセンター試験を受け、一般入試の道を選んでいます
そして私は関関同立のうちの一つの公募推薦入試を受けることにしました
幸いTOEICの点数だけはあったので応募資格は満たしています
英語を勉強する理由を聞かれた際には「ゲームがしたかったから」と答えました
さて、ここまで長々と自分語りをしてきたわけですが、結局何を伝えたいか
それは「好きなことを武器にできれば無類の強さを誇る」ということです
勉強、という形こそとっていませんが、英語は結局身についたわけです
高校時代300から810までTOEICの点数を伸ばした訳ですが、特別な勉強はしていません
ただ、海外Youtuberの動画を見て、海外のゲームをやっていただけです
ただ、私の場合はその量が異常でした
中学時代からほぼ毎日、学校から帰ってくるとすぐパソコンの前に座り、5~7時間ほどしてから眠りについていました
勉強せずともそれで身につきました
「勉強している」という意識で机に向かい問題を解いたり単語を覚えたりするようなことは私はできません
「遊んでいる」という意識で英語を聞き、動画を見ることなら何時間でもできました
趣味や好きなことはありますか?という冒頭の疑問に戻りますが、なにもこれはゲームに限った話ではありません
スポーツが好きなのであればその関連の情報はたくさん目にすると思います
〇〇選手が大活躍!✕✕選手骨折!といった情報はそこら中にありますが、海外の選手の情報を英語のまま見たことはありますか?
もちろん翻訳されたりもしますが、されないものも多く、されていたとしてもそれには「翻訳された」というノイズが入るので必ず正確、という訳ではないのです
こんばんは。
「大学生活とか絶対うまくいかないし入りたくない」「この部屋も嫌だ何でこんなところに」と考えていることかと思います。
そんなつらい気持ちになっているあなたに、すこし伝えたいことがあるのと、お礼を言いたくて、いまこうやってブログを書いています。
誰がかというと、あなたからみて5年後の自分、つまりいまこの部屋にいるわたし。
きっとあなたはこんなことを知ったら驚くと思います。だって、行きたくもなかった大学で、5年生にまでなっちゃって、何だかんだで卒業しちゃってるなんて。
かくいうわたしもびっくりしています。まさか卒業してしまうとは。
5年前、この部屋に来たばかりのあなたが思っていたとおり、大学生活はうまくいったかどうかと問われると、勉強に関しては特に「うまくいってない」って答えになると思います。
でも、ちょっとだけネタバレをしてしまうと、あなたには素敵な友人知人がたくさんできます。あと、サークルと研究室はすっごいたのしいです。(卒論は大変だったけど)
しかもね、オープンキャンパスで出会った面白い先輩と同じ研究室に入れちゃったし、わりと仲良くなれちゃいました!凄い。
で、ネタバレはこのへんにしといて。
わたしがこの5年間何だかんだ言いつつもたのしく過ごせたのは、あなたが高校3年間勉強をがんばってくれて、途中で投げ出さずにきちんと進路を決めてくれたおかげです。 3年間ずっとおなじ担任に死ぬほど苛められたこととか、受験期に泣き喚いたこととか、未だに夢に見たりするくらいのつらいこともあったけど、
そのぶんあなたには、ほかのところでめちゃくちゃ楽しめる未来が待ってたりするよ。わたしがこの目で見てきたんだから間違いない。
だから「ここまで自分がんばったな!えらい!」って思って、自分のこと褒めながら生きていってください。そしたらめちゃくちゃ気分良くなるよ。
わたしはそのことに気づくのに数年掛かってしまったし、ちょっと遠回りもしてしまったし、あなたのがんばりに見合う大人にはなれなかったけど、あなたのおかげでたのしい5年間を過ごすことは出来ました。
これからわたしは、あなたに負けないくらいがんばるから、あなたはわたしに負けないくらいげんきに過ごしてください!めいっぱい楽しんでね!よい人生を!
5年後のあなたより
月並みな理由だが、オープンキャンパスに行った時にその学風に惹かれた為だった。
毎年数人京大合格者を輩出する中高一貫校に通っていたし、上位の成績だったため、
挫折を知ったのは中3の時だった。
数学の授業(確か三角関数だったように思う)で、みんながスラスラと解いてみせる問題を、私は解くことができなかった。
何度説明されても今ひとつ飲み込めず、理解するのに時間を要した。
テスト勉強に於いて初めての失敗だった。その時のテストはいつもより20点近く低かった。
高1になって数学は数ⅡBに入って難しくなり、勉強時間の7,8割近くを数学が占めるようになった。
高1の数学の先生はとてもフレンドリーで、何度も説明を求める私に優しく砕けた口調で教えてくださった。
その先生と、割いた時間のお陰で中3の時に比べて成績は安定していたが、周りに比べると瞬発的な理解力やセンスが足りていないのは明らかだった。
そして、得意な英語や国語の勉強に割く時間が減ってしまったために成績が落ち、自習室利用のためにも塾に通うことを選んだ。
私よりも頭がいい人なんてごまんといた。同級生に。県内に。こんなに近くに。
私はまさに井の中の蛙だった。
結局、塾の数学のテストの成績ランキングに私の名前が載ることは1度もなかった。
偶然見つけた某私大の学部に興味を惹かれたこと、得意だった英語・国語を深く学びたいからだというのもあったが、
京都大学以外の国公立大学に全くと言っていいほど興味が持てなかった。
私たちの次年度から大学の入試制度改革が行われること、私の性格的に浪人が向いていないことが主な理由だった。
国公立至上主義の我が校では国公立を選択した者だけ進路選択と同時に志望校の提出・面談を行うことが課せられていた。
数学の先生に提出した課題ノートが返却され、余白にいろいろなメッセージが書いてあった。
3教科受験だからと言って楽な訳じゃないとか、今回のテストもケアレスミスしてたよとかお小言めいた言葉もあったけれど、どこか温かいものだった。
結びに、「数学楽しかったね、大好きだったね。1年間ありがとう」と書いてあった。
それを見て涙が止まらなかった。
私は数学が好きだった。
大好きだったのだ。
何度もなんども苦しめられて、意味がわからなくて苛立って泣いた日もあったけど、数学が好きだった。
だけど、どんなに好きでも圧倒的なセンスを持つ天才には敵わなかったし、
かなり時間をかけて取り組んだ模試の数学の偏差値が、殆ど対策をしていない英語の偏差値を超えることもなかった。
敵わないし、足りないのだと気づいてしまった。
と冗談交じりに友人に言われるたびに、泣き出したい気持ちでいっぱいになる。
後悔していないと断言すると嘘になる。
なにはともあれ、もう私は前に進むしかない。
大学に、なんとなく興味あるかなーと思って選んだ学部で入ってから、その分野が全っ然面白くなくて卒業に六年かかった人間の立場からなんだけど、大学って入学してから学部選べる方がよくない?
うちの学校では一年次二年次は一般教養の授業がほとんどだったし、理系も文系も同じキャンパスで学んでた。学部ごとの初歩的な概論は多少あるけど。
とにかく、意識の高い生徒はともかくだいたいの人は入学して一般教養で初めてアカデミックな学問の語り方や学び方に触れるわけで、それまで何となく興味あるなあと思ってたのとは全然違う実感を持つことも多いと思う。
せいざのほんとか動物図鑑とか子供科学教室とかオイコノミアとかオープンキャンパスは面白くっても実際学ぶとなると全然違う。
だったら一般教養一年受けてから改めて学部選べた方がいいと思うんだよね。ミスマッチって教える方にも学ぶ方にも不利益じゃん。
「何かを身につけて卒業できること」「ゼミ生の雰囲気が良いこと」などを条件に絞り込み、50近くあるゼミの中から、今5つのゼミで迷っています。
http://news.fbc.keio.ac.jp/~fbc-zemi/seminar.html
http://news.fbc.keio.ac.jp/~onosemi/
学生の本分は勉強であることを考えると、しっかりと学問に励めるという印象です。学会での発表や、大会への出場、英語論文など、本当に充実しているゼミだと思います。ゼミ生の方が、自信を持って説明しているのが好きです。
http://www.keio-shimizu-semi.com/
高校生の頃、オープンキャンパスにも参加したことがあるゼミで、やはり教授とゼミの活動内容が面白すぎます。所属しているゼミ生の方も、学生生活を充実させているようで、キラキラ眩しいキャンパスライフにも憧れます。
http://isamuyamamoto.com/wordpress/
ゼミ生の方の振る舞いがゼミの魅力をまさに体現されています。私の話を聞きながら、何を話せばより良いゼミ選びができるかを一緒に考えてくださり、ゼミ生の方とお話しする度にゼミ選びが前へ進む実感があります。経済学はあくまでツールというのも共感しています。
・田邉勝巳研究会
http://news.fbc.keio.ac.jp/~winsnake/professor.html
オンとオフの切り替えができる、スマートで要領のいいゼミ生ばかりでかっこいいです。三田に入るとすぐに就職活動が始まることを考えると、身につく力と、得られる意識の高い仲間がものすごく魅力的です。アットホームな雰囲気も好きです。
学問領域にとらわれず、「社会」を意識して、学生だからこそできること、学生のうちに身につけておくべき力を大事にしているゼミだと感じています。どのゼミ生の方も個性的で行動力があるところが好きです。
これらのゼミの卒業生の方がいらっしゃれば、実際の経験を踏まえたアドバイスがいただきたいです。
その他のアドバイスも大歓迎です。
こんなニュースがありましたが、
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20171102-00000088-jnn-soci
コシノ姉妹やドン小西、最近だと篠原ともえを輩出した、世界2位のファッションの名門校、
文化服装学院も、そんな偽装比較サイトに手を出してしまったっぽいです。
http://fashionschool-tokyo.com/ranking/
魚拓 https://megalodon.jp/2017-1103-0858-53/fashionschool-tokyo.com/ranking/
超絶わかりやすい、うそっぱち比較サイトだ!ステマ警察出動ですよ!
名門校の名が汚れるぜ!
http://www.culture-univ.com/expert/
魚拓 https://megalodon.jp/2017-1103-0905-14/www.culture-univ.com/expert/
(他の学校ディスってないし、他の学校のオープンキャンパスの日程も申し訳程度に書いている)
ファッションデザイナーのお仕事ページだけ、文化が目立つように取り上げられている。
http://www.culture-univ.com/industry/fashion/
魚拓 https://megalodon.jp/2017-1103-0912-28/www.culture-univ.com/industry/fashion/
学校側は「誰かが勝手にやりました」って否定するんだろうけど、
客観的に見ると文化が業者に頼んで作ってもらったようにしか見えないよね。
今まで築き上げてきた伝統や信頼が一気に吹き飛ぶ、ダサいやり方。
このページに載せられた他の学校もかわいそう。飛んだとばっちり。
堕ちた名門校。
そう言われても仕方がない。
日本死ねまでは正直思ってないです…
余りに怒りでイライラしているので文がぐちゃぐちゃかも知れませんが、読んでいただけると嬉しいです。
予想されている衆議院の投開票は22日で、私の学校の学校祭と重なっているんです。
もちろん、展示物などで体育館を使う予定で…
みんな、22日に展示する、という意識で頑張って制作したり考えたりしています。
正直、私達だけの展示だったらどうにでもなりますし
ですが、体育館で講師の方を招いて講演を聞いたり、プロの方に大道芸を披露していただいたり…というのが今のところの予定で
日にちをズラしてしまうと、依頼をキャンセルしなくてはならなくなります
もう、1ヶ月を切ってしまっているので恐らく代役の方を探すのも無理だろうとのこと
更に、日にちをずらすと3年生はオープンキャンパスなどに行けなくなります
…正直、すごく辛くて
仮に運動場だけ使ったとしても、車の誘導などで使えない場所も出てくるし
そっちに付かなくてはならない先生も出てくるはずです
それに、全く知らない大人が出入りするってことが少し怖いと感じてしまいます
本当に日本の為になるんですか??
たまったもんじゃねぇよ
どうにかしろよ
頼むから
私は政治に口出すことはできません。
日本死ねまでは正直思ってないです…
余りに怒りでイライラしているので文がぐちゃぐちゃかも知れませんが、読んでいただけると嬉しいです。
予想されている衆議院の投開票は22日で、私の学校の学校祭と重なっているんです。
もちろん、展示物などで体育館を使う予定で…
みんな、22日に展示する、という意識で頑張って制作したり考えたりしています。
正直、私達だけの展示だったらどうにでもなりますし
ですが、体育館で講師の方を招いて講演を聞いたり、プロの方に大道芸を披露していただいたり…というのが今のところの予定で
日にちをズラしてしまうと、依頼をキャンセルしなくてはならなくなります
もう、1ヶ月を切ってしまっているので恐らく代役の方を探すのも無理だろうとのこと
更に、日にちをずらすと3年生はオープンキャンパスなどに行けなくなります
…正直、すごく辛くて
仮に運動場だけ使ったとしても、車の誘導などで使えない場所も出てくるし
そっちに付かなくてはならない先生も出てくるはずです
本当に日本の為になるんですか??
たまったもんじゃねぇよ
どうにかしろよ
頼むから
私は政治に口出すことはできません。
※この情報はオープンにされていないため、あくまで個人の意見として情報を受け取ってください。
■はじめに
美大生が広告代理店へのAD職の内定を勝ち取るために必要なことは情報戦である。
これから来年の就活解禁である3月1日(一応来年度の解禁日も3月であると聞いた)に向けて作品制作をしている学生に向けて言いたい。
私自身はAD職ではない。同じ美大卒ではあるが、しがないWebディレクターをやっている。
ただ広告代理店や有名プロダクションのAD職の先輩、後輩を多数知っている、多くのポートフォリオを見てきたものとして美大生の就活に物申す。
100万かけて作品をつくる先輩もいる。
あっさり別業界へ行く人もいる。
これだけデザインという言葉が普及している中、学んだ発想法を活かして美大生は方々で活躍している。
広告を学んだ美大生が、広告代理店以外の企業へ行く人も多くなってきた。
逆に専門学校や一般大の人が代理店のAD職になっても良いのではと感じている。
それでも大手広告代理店の求人は特定の美大に集中する。それはAD職に必要な手法が特定の美大に集中しているからに他ならない。
しかし、その情報を知るもの同士の世界はごくごく狭いものを感じる。
「電通へ行ったタマビの○○先輩のポートフォリオ 」であったり「博報堂へ行った芸大の○○さんのポートフォリオ」であったりが彼らの間で代々流通している。
それが社会へ出たあとも代理店のAD職や有名広告制作プロダクションのデザイナー同志の交流は続いていて、定期的な飲み会が開催されている。
美大生は美大生の間で群れ、社会に出てもクリエイティブはクリエイティブ同士でつるむ。
(そうでない人もいる)
(オリンピックロゴ騒動が良い例である。身内同士でコンペをやっているようにしか見えないのは半ば必然であると感じた。)
参考:http://francepresent.com/hakuhodo/
■やるべきこと
美大生の就活は作品がすべてである。そのためにはポートフォリオが必要不可欠だ。
(各社審査方法は違うがポートフォリオベースの作品は必要)入社した先輩のポートフォリオを集め、自分なりの作品を作ってゆく必要がある。
私はこれまでに自身が就活した年の直近2~3年の電通、博報堂、ADK、東急エージェンシーに内定をもらったポートフォリオを見たことがある。
年代によって求められてくるものが変わってくるため、直近入社した先輩のポートフォリオを見ないことには内定はまずありえないと感じた。
就職課に置いてあるポートフォリオは古いものも多くあまり参考にはならない。
優秀な先輩といかに情報のやり取りをしておくかが内定につながると言っても過言ではない。
“感性"とか"センス"ではなく"知っているか"、"知らないか"である。
その知識の一つに”広告を作ってはならない”というものがある。
アマチュアの広告作品を見せても粗ばかりが目立ってしまいマイナスポイントとなってしまう。
それ以上に、AD職になるためには”自分”という一貫性が大切である。
分かりやすく言うと自分のポートフォリオにテーマを付けていたのである。
確かに3年生の課題の展示で見かけたものではあるが、むしろ自分の作品のテーマを課題に合わせているというスタンスである。
外部のコンペで入賞した作品や自主制作など意識が高いスタンスがうかがえる。これらの作品も、ひとつのテーマに寄り添って制作をしている。
そしてもう一つの知識、”アイデア”を出すための方法を身につけることである。
制作に必要なアイデアを生み出すのは一人で考えていると思われがちであるがそうではない。
アイデア発想法自体は既存のもので、これはAD職だけでなくどの仕事へ就いても社会へ出てから便利だ。
・KJ法
この二点がおすすめ。詳しい説明はリンクを貼っておく。https://liginc.co.jp/life/useful-info/37016
そして彼らは日夜休み時間が来ると食堂に来てはポートフォリオに入れる作品制作の打合せをしている。
毎夜毎夜、いつものメンバーが集まってブレストをしている光景が食堂へ行くと垣間見える。
この協力体制こそ、アイデアを生み出すための秘訣であると言える。(そして身内化してしまう原因でもある。)
■まとめ
一人ひとりが数少ないパイを巡って争うよりも、協力体制をつくれば醜い争いをしなくて良い。しかもより高みを目指せる。
しかし変化と多様性は必要である。このまま特定の美大のみが代理店のAD職になることはクリエイティブ業界全体の不振や成長の遅れにもつながる。
広告代理店へ行ったから偉い、有名なプロダクションへ入ったから偉い。美大はADにならないと偉くない。という価値観が広がってゆく。
毎年行われている各校のオープンキャンパスはそういった先輩たちの栄光が嫌というほど聞ける。
結局入社しても過労で死んでしまう人もいるし、逃げ出してしまう人もいる。世間のさらし者にされてしまう人もいる。
私にとってこの数年の広告とクリエイティブ業界の不振は堪えた。