はてなキーワード: 制作プロダクションとは
この意見みて、擁護派の人はなるほどこの問題をビジネスや業界でなく従軍慰安婦のような政治的な部分が大きいと見てるのが理解できた。従軍慰安婦のような政治的要素が多めの問題ならステークスホルダー少なめで、経済的損失は韓国の会社が賠償請求かけてくる程度で裁判ぐらいで済む。なので無視作戦も有効なのは理解できる。(ただこの無視作戦今韓国は日本と喧嘩しても利を得ない保守政党が政権取ってるので表立たないけど野党がまた政権取ったらぶり返す可能性あり)
ただ男性むけ性的商品はビジネスや産業のウエイト部分も存在してて(なので比較対象として酒やタバコを揚げている)、業界で働く人や消費者以外に、制作プロダクション、販売する小売、決算するカード会社などビジネスなんでステークスホルダー増える。この間もカード会社かアダルト向けの決済からて引くことで表現規制が強まるって記事あった。
「強まる「クレカの表現規制」 “アダルトと決済”のこれからはどうなる?」
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2405/02/news110.html
カード会社の立場から見れば0.011%売上しかない業界と取引して裁判リスクとりにいくインセンティブないよなあ・・しかも他のコンプラうるさい他業界から取引ひかれるリスクある。https://b.hatena.ne.jp/entry/4752892730445116800/comment/poTracy(ちなこれ書いたの私)
こんな風に他業界の事情もビジネスとなると絡んでくる。女性や法務省のような純粋な利益造反サイドだけが規制かけてくるわけじゃない。
もちろん記事内にあるskebの開発者が取り組んでる独自決済など業界努力はあるけど、ビジネスなら他業界と連携できる方が市場広がるので選択肢増える。ビジネス部分では無視作戦が有効と思えない。何もしなければズルズル市場は縮む。引用記事の締めみたいに「あまりに野放図なアダルトコンテンツの流通は逆に(日本の)政府機関の介入を招く可能性があり、業界としてある程度の自主規制によるルール運用を行ったうえで、こうした権力の介入を未然に防ぐ必要があると考える。」みたいな考え方の方が、先にそれやってる酒やタバコみたいに業界規模大きくなって、業者も消費者も得すると思うって立場なんで「なるようになれ」は損すると思うけどなあ。って意見。脅しと思われたならすまん。
月曜のりきって火曜平日になれてきた夜になぜこんなテンプレサスペンスがよさそうだ!ってなったのか
そもそも平日の火曜の夜に2時間も、映画と違って出来のよしあしもわからないドラマをそんなに見る人間がいたのか
本番組初期のプロデューサーだった小坂敬は「哀しくなければサスペンスじゃない」が最初のコンセプトであるとして、「単なる謎解きに終始せず、きっちりとした人間ドラマを作ろう」ということで、登場人物はみんな何か重いものを背負っていることをじっくり描くことが最大のテーマだったと話している[1]。
第1回放送は、島田陽子主演の「球形の荒野」(松本清張原作)。1980年代は、松本清張作品などの日本の推理作家や海外ミステリーなどを原作として、ベテランのスタッフが映像化する重厚な作品が多く、全盛期には視聴率もしばしば25%を超える人気を誇った。日本テレビにとっては、1980年に放映の始まったよみうりテレビ制作の『木曜ゴールデンドラマ』に次ぐ2時間ドラマ枠であり、1988年からはさらに『水曜グランドロマン』を設けるなど、日本テレビ系列では2時間ドラマ枠が多くなったが、『火曜サスペンス劇場』はその中核であり、最も息の長い枠となった。1990年代以降は、主に50歳代から60歳代の女性を視聴者に絞り定番シリーズを放送する安定路線が敷かれた[要出典]。特に1990年代は、日本テレビの視聴率が全国的に好調になっていた年代でもあり、日本テレビのドラマ枠としては、最も高い視聴率を殆どの回で記録しており、ドラマ視聴率ランキングの上位にもしばしば食い込んでいた。
この番組の開始によって、『木曜ゴールデンドラマ』が、読売テレビ一社の制作に変更された(それまでは、日本テレビと読売テレビが交互に制作していた)。また、札幌テレビ放送やテレビ岩手や福岡放送といった系列局が制作することがあったり、系列局の地元の“お国自慢”などに絡んだ作品が制作されたこともある。
また、大林宣彦、神代辰巳、鈴木清順、実相寺昭雄ら劇場映画で名声を博している旬の監督たちを起用して演出家主導の意欲作を撮らせる試みもしばしば行われた。その結果、難解なストーリーや前衛的演出も辞さず、2時間ドラマのみならずテレビドラマの枠をも破るような作品群が少数ながら生まれている。
番組のスタッフロールは、当初は「最後に『制作(製作):日本テレビ、(担当の制作プロダクション)』」とクレジット表記されており、1985年4月以降は、「最初に『制作:日本テレビ』、最後に『製作・著作:(担当の制作プロダクション)』」当とクレジット表記されていた(同時に日本テレビ製作番組が製作から製作著作に表記が代わった)。当枠終了後、日本テレビは製作プロダクションとの制作を打ち切り関係も絶縁し、視聴者層を若年層に絞った路線に変更した。
一時期は視聴率が20%を超えることもあったが、2000年代に入ってからは視聴率低下に歯止めがかからず、2005年9月27日の放送をもってを24年間の歴史に幕を閉じた。最終回の放送内容は火サス最多出演俳優の水谷豊主演の「事件記者・三上雄太III 逃走援助」で、放送時刻は19時からの3時間特番により通常より1時間遅い22時 - 23時54分であった。
なぜ火曜の夜だったのか。
https://anond.hatelabo.jp/20161016113650
1年経っても状況は何も変わっていません。
電通の人は22時以降メールは送るのも送られるのも禁止(下請けの人間が22時以降働いていてはダメなので)になり、
でも現場の人間は、意識が変わったりなんか全然、全然、してないよ。
自分と同じ会社の人が死んでたって、その親が人生を賭けて労働改革を訴えたって「自分とは関係のない他人事」ですよ。
単純に22時以降、仕事できないからやりづらくて仕方がなさそうなだけ。
仕方ないと思いますよ、7000人いる社員の誰かが死んだところで自分のことのように思えるわけがない。
本気でこの国の、いや少なくとも自分の会社の労働環境を変えてやろうなんて思っていない。
目の前のことで精一杯ですから。
なにしろ、さるイベント用の映像編集中で23:30までやってましたが、
電通の人はもちろん、それに加えて、、、
クライアントもいましたし。
そりゃ自分の意識だけ変えて頑張ったってどうしようもないって諦めたくもなるでしょうね。
どうすりゃいいんでしょうね。
※この情報はオープンにされていないため、あくまで個人の意見として情報を受け取ってください。
■はじめに
美大生が広告代理店へのAD職の内定を勝ち取るために必要なことは情報戦である。
これから来年の就活解禁である3月1日(一応来年度の解禁日も3月であると聞いた)に向けて作品制作をしている学生に向けて言いたい。
私自身はAD職ではない。同じ美大卒ではあるが、しがないWebディレクターをやっている。
ただ広告代理店や有名プロダクションのAD職の先輩、後輩を多数知っている、多くのポートフォリオを見てきたものとして美大生の就活に物申す。
100万かけて作品をつくる先輩もいる。
あっさり別業界へ行く人もいる。
これだけデザインという言葉が普及している中、学んだ発想法を活かして美大生は方々で活躍している。
広告を学んだ美大生が、広告代理店以外の企業へ行く人も多くなってきた。
逆に専門学校や一般大の人が代理店のAD職になっても良いのではと感じている。
それでも大手広告代理店の求人は特定の美大に集中する。それはAD職に必要な手法が特定の美大に集中しているからに他ならない。
しかし、その情報を知るもの同士の世界はごくごく狭いものを感じる。
「電通へ行ったタマビの○○先輩のポートフォリオ 」であったり「博報堂へ行った芸大の○○さんのポートフォリオ」であったりが彼らの間で代々流通している。
それが社会へ出たあとも代理店のAD職や有名広告制作プロダクションのデザイナー同志の交流は続いていて、定期的な飲み会が開催されている。
美大生は美大生の間で群れ、社会に出てもクリエイティブはクリエイティブ同士でつるむ。
(そうでない人もいる)
(オリンピックロゴ騒動が良い例である。身内同士でコンペをやっているようにしか見えないのは半ば必然であると感じた。)
参考:http://francepresent.com/hakuhodo/
■やるべきこと
美大生の就活は作品がすべてである。そのためにはポートフォリオが必要不可欠だ。
(各社審査方法は違うがポートフォリオベースの作品は必要)入社した先輩のポートフォリオを集め、自分なりの作品を作ってゆく必要がある。
私はこれまでに自身が就活した年の直近2~3年の電通、博報堂、ADK、東急エージェンシーに内定をもらったポートフォリオを見たことがある。
年代によって求められてくるものが変わってくるため、直近入社した先輩のポートフォリオを見ないことには内定はまずありえないと感じた。
就職課に置いてあるポートフォリオは古いものも多くあまり参考にはならない。
優秀な先輩といかに情報のやり取りをしておくかが内定につながると言っても過言ではない。
“感性"とか"センス"ではなく"知っているか"、"知らないか"である。
その知識の一つに”広告を作ってはならない”というものがある。
アマチュアの広告作品を見せても粗ばかりが目立ってしまいマイナスポイントとなってしまう。
それ以上に、AD職になるためには”自分”という一貫性が大切である。
分かりやすく言うと自分のポートフォリオにテーマを付けていたのである。
確かに3年生の課題の展示で見かけたものではあるが、むしろ自分の作品のテーマを課題に合わせているというスタンスである。
外部のコンペで入賞した作品や自主制作など意識が高いスタンスがうかがえる。これらの作品も、ひとつのテーマに寄り添って制作をしている。
そしてもう一つの知識、”アイデア”を出すための方法を身につけることである。
制作に必要なアイデアを生み出すのは一人で考えていると思われがちであるがそうではない。
アイデア発想法自体は既存のもので、これはAD職だけでなくどの仕事へ就いても社会へ出てから便利だ。
・KJ法
この二点がおすすめ。詳しい説明はリンクを貼っておく。https://liginc.co.jp/life/useful-info/37016
そして彼らは日夜休み時間が来ると食堂に来てはポートフォリオに入れる作品制作の打合せをしている。
毎夜毎夜、いつものメンバーが集まってブレストをしている光景が食堂へ行くと垣間見える。
この協力体制こそ、アイデアを生み出すための秘訣であると言える。(そして身内化してしまう原因でもある。)
■まとめ
一人ひとりが数少ないパイを巡って争うよりも、協力体制をつくれば醜い争いをしなくて良い。しかもより高みを目指せる。
しかし変化と多様性は必要である。このまま特定の美大のみが代理店のAD職になることはクリエイティブ業界全体の不振や成長の遅れにもつながる。
広告代理店へ行ったから偉い、有名なプロダクションへ入ったから偉い。美大はADにならないと偉くない。という価値観が広がってゆく。
毎年行われている各校のオープンキャンパスはそういった先輩たちの栄光が嫌というほど聞ける。
結局入社しても過労で死んでしまう人もいるし、逃げ出してしまう人もいる。世間のさらし者にされてしまう人もいる。
私にとってこの数年の広告とクリエイティブ業界の不振は堪えた。
やっとシン・ゴジラを見たのだけど、VFXがすべてCGなんだな。
最初のゴジラは特技監督円谷英二の映画だった。ミニチュアのセットを着ぐるみの怪獣が破壊して回るのを如何にも巨大怪獣がいるかのようなアングルと映像合成で見せる映画だった。ゴジラの爆発的ヒットを受けて、東宝は怪獣映画のシリーズ化を決め、それは同時に円谷の職人芸を見せる為のシリーズとなった。円谷は特撮専門の制作プロダクションを設立、予算に糸目をつけずに職人芸のこだわりを突き詰める場となった。
シン・ゴジラには大量のクレジットロールが流れるが、円谷の文字はない(はずだ)。
東宝はゴジラを再創造する仕事を庵野に託した。その目論見は当たったようだ。円谷晩年の作品「帰ってきたウルトラマン」へのオマージュでクリエイターとして知られるようになった庵野が何を考えてこの仕事を請けたのか、知るところではない。結果がすべてだ。
一方の円谷プロは、今もウルトラシリーズの新作を作り続けているが、基本的に過去のウルトラマン作品の知的財産権管理で食べているようなものだ。円谷の特撮が日本のお家芸と言われた時代は完全に終わったな、というのがシン・ゴジラの最初の感想だった。