はてなキーワード: お笑い芸人とは
六つ子の長男「おそ松」の無邪気で傍若無人なところ、ナチュラルなスクールカースト上位者という感じがする。
公立の小中学校って、こういう性格の男子が無双してない?このネアカで強引でサイコパシーな感じ。
「俺、お前のことスゲー面白いヤツだって思ってるんだよ?」「好きだから構ってやってんだよ?」というノリで、
傍から見るとイジメみたいな待遇で人を扱ってそう。同級生に居たら超怖いやつ。
人に優しくしてみる時もあるけど、俺ルール俺基準で優しくする。飽きるときもスッと飽きる。
人にどう思われるか全く気にならない、徹底的な「自分の気持ちに正直」というやつで、その真っ直ぐなナチュラルさが怖いとすら思う。
というかおそ松兄さんぽい知人がひとり居て、モテるけど誰とも真面目に付き合ったことがない。
おそ松兄さんの性格がタイプだという女性、不幸フラグ立ってる気がする。
末っ子のトド松もスクールカースト高そうだけど、こっちはナチュラルじゃない。カースト上位者に必要な要素を狙って集めてる。
チョロ松と一松にもカーストが見えていて、トド松のように上位を狙う意欲が無くて「ケッ」となってる感じがする。
カースト自体が見えて無さそうなおそ松兄さんとは根本的に違うなと思う。
カースト見えてない:おそ松、カラ松、十四松
という感じ。
今はおそ松兄さんが「六つ子全員ニートでいいじゃん」という空気を作っているから、チョロ松が何と言おうとそういう空気だけど、
おそ松兄さんが「俺らもう26だぜ?」とか言い出したら、マジで就職しなきゃなという空気になりそうな気がする。
それまで「寂しいから」と弟の自立を阻んでおいて、自分が「就職っぽい気分」になったらしれっと就職するような、
自分の発言を自分で忘れている系の、天然で無茶苦茶な人の匂いがおそ松兄さんからはするわ。
作中でカラ松がサイコパスって言われたけど、おそ松兄さんの方がサイコパス感強い。
カラ松単体にカースト上位感は無いなあ。
おそ松兄さんは人の名前をよく呼ぶけど、カラ松は人に呼び掛けることが少なく、「逆ナン待ち」とか、コミュニケーションが結構受け身。
ウィンドの音を聞いてる俺、スカイの香りを嗅いでいる俺、サンシャインを浴びている俺。とにかく俺。話しかけてもらうために派手な服装をする俺。
兄弟の中でも根がビビリなほうとして描かれてるし、承認欲求が強いところも、学校みたいな同年代の集まる場ではナメられそう。
受け身の人って騙されやすくもある。ぼったくりバーの話や、「生パンティ付きのエロ本」を買ってたこと、あれも騙されやすさだよね。
兄弟を攻撃するようなことを決して言わないし、性格が温厚なんだと思う。
自分の中に悪意が少ないから、人から露骨に馬鹿にされたとしてもそれを馬鹿にされたと感じなくて、結果としてダメージを受けにくい。
チョロ松はイヤ代の回で「一軍の人来ちゃった」と感想持ったあたり、スクールカーストがっつり把握してそう。
兄弟の中では暴言吐きまくるけど、外では品行方正な、プライド高い内弁慶って感じ。
「こうありたい自分」のイメージと現実の自分とのギャップが大きくて、ストレス値高そう。
作中でもツイッターやってる描写があるし、インターネットに居る男という感じがすごくする。
自意識グラグラ感あるから、おそ松によくイジられるのもわかる。トド松のこと妬んでそう。
一松はお笑いが好きそう。お笑いに詳しい根暗という感じがする。そういう男子居たじゃん。
もともと真面目で人目を気にして消耗しがちなタイプだったのが、江頭2:50的な破天荒芸に救われて、脱糞とか下半身芸に突っ走ってる感じ。
Mr.ビーンの人って実は理学修士だけど、あの人にちょっと似てて「頭が良いけど顔芸ヨゴレ芸をすすんでやる」みたいな印象ある。
でも脱糞芸みたいなのって、やりすぎで、普通の女子は引くじゃないですか。
可愛いまともな女子ほど「明るいスポーツマンがおちゃらけてみせる」みたいな、眠てぇノリに笑うじゃないですか。
そういうのをくだらねーと思ってて、不謹慎な笑いでもOKとされるお笑い芸人っぽいホモソーシャルなノリが好きなんだと思う。
外の世界の方がオシャレで健康的で快適と感じてるトド松とは逆で、一松は松野家の兄弟ホモソーシャルノリが居心地が良さそう。
トド松が「こういうオシャレでまともな可愛い子と付き合いたい」って感じるような女子のことが一松は苦手そう。
でもこじらせ女も面倒だから、女全般が苦手そうなんだよね。公式でケモナーなのも納得感ある。
十四松はちょっとよくわからない。いじめられていた説もピンとこない。なんかスゲエ奴としてカーストの外側に生きてた気がする。
チョロ松とトド松がスクールカーストについて話す回とか無いかなあ。
トド松の10年後とかもすごい見たい。要領が良くて行動力もあるから、家を出て何かやってそうで気になる。
今さらおそ松さん見たんだけど…おそまつさんの顔がウケる要因みたいに分析してた連中はやおい力が低いなぁ〜と思いました。ジャニーズが好きだったり、獄都事変が好きだったり、ヘタリアが好きだったりするのを見たら女の子の趣味わかるじゃんって感じのアニメです…はい。
僕個人的な経験と言うか腐女子やスイーツを観測した結果から言うと、腐女子って男への愛が割と「お母さん型(淫夢が分かる人なら「観賞植物ニキ型」の方がわかりやすい)」で、スイーツってどちらかと言うと「悲劇のヒロイン型(イケメンに騙されても、酷い目にあってものろけられる人)」だと思うわけ
で、腐女子の場合に関して言えば、男がイケメンである必要すらないし、自分が愛される必要もないんよ…。なんつったらいいの?兄弟とかチームメイトとか、仲の良い数人が悪ふざけやバカ話に興じてるところを、隣の部屋の壁の穴から覗いていたい人達というか、お茶しながら眺めてたいお母さんポジっす!
平たく言えば、俺の個人的な意見としてジャニーズの中でもグループ仲がいいヤツや、メンバーが多いグループを好むタイプの人は腐女子と性質的には近いと思うの。
逆にイケメン好きかイケメンに騙されたい(イケメンのすることなら自分でバイアスをかけまくって許しちゃう)系は少人数のグループを好む
どっちもその局地はホストに引っかかりやすいとは思います。ただ、どっちかというと腐女子は…貧乏くじを引くグループ(オタサーの姫、バンドマンの彼女)に入っちゃうタイプで、スイーツがホストぐるいしそうなイメージ
なんか、腐女子がV6のしゅうがくりょこうのパロネタ動画作る理由をおそ松くんでわかった気がしてきた。男は情報が欲しくてテレビ見るけど、女の子は男同士でバカなことしてるのを見たくてテレビ見る人(こっちが腐女子的)と、イケメンが見たくてテレビ見る人(こっちがスイーツ敵)がいるから
ちなみに、テレビと主婦に親和性があり、吉本的なテレビが一時期人気だったのは、アレは潜在的に腐女子的な好みの人(男同士のバカ騒ぎを見るのが好きな人)とテレビのマッチングだと思う。ちなみに、韓国ドラマとか福山雅治とかは腐女子的な系統ではなく、スイーツ的な系統。
よく、男の中でコンテンツオタクな人が「女が趣味に関わってくる・投票力を持つとその主観がつまらなくなる」なんて言うけど、アレは要するに見たいものが情報の精度や創作物としての完成度ではなく、「雰囲気」で判断してるからだと思うんだよなぁ…。特に腐女子寄りな人は
すごーくマーケティング的なわかりやすさで言えば、女性の中でも腐女子的な趣味とスイーツ的な趣味の人の分かれ目は「お笑い芸人達のバカトークを楽しめるかどうか」だと思うの。スイーツはイケメンじゃないとNGだからダメで、腐女子的な人は空間とか雰囲気重視だから、面白かったら不細工も下品も可
まぁ、面白いのは腐女子的な人がテレビのバカトークノリを楽しむ人種でありながら、いざ実際に付き合うとなるとそういうのに入れない孤独な人を選ぶって所。保護欲をそそるのか、集団ではなく個として認識してみてしまうかなのかは謎だけど、なんとなく腐女子の彼氏って友達多そうなイメージない
これがスイーツとの根本的な違いで、スイーツの場合は騙されようが酷いやつだろうがイケメンに恋するんだけど、腐女子って社交的でみんなとバカ騒ぎしてる奴に恋するかというと案外そうでもない。ヘタしたら社交的な人を怖がるんじゃないかな?
ただ、腐女子とスイーツという基軸で語ってきたけど「両方である女性」というのもいるからなぁ…こうなると本当に「無類の男好き」で、イケメンでもダメンズでも孤独な人でも許せちゃうと言うか、もうはたから見ててバカなんじゃないかと思うほど彼氏を甘やかす女の子になるからなぁ…壮絶ですよ
逆に腐女子でもスイーツでもない、どっちの性質を持たない「本当に男みたいに計算高くて理屈っぽい女」というカテゴリも僕はあると思ってる。ただ、そういう人って僕は嫌いだし、僕も彼女らに嫌われてるからお会いしたことも深くしゃべったこともないんだよなぁ…だから、仮説でしかない
この話書こうかな…。ただ、どうまとめたら反感を買わないか、いい感じに使えるかがわかんないんだよなぁ〜
メルマガ大先生はブサイクで下品な自分にも優しくしてくれる腐女子というイメージを着々と固めつつあるようです。逆にスイーツは自分を見下してるという被害者意識からこき下ろしまくっててめっちゃおもしろい。
50歳以降の同窓会はそれぞれの病気自慢でもちきりになるという。
だって会社や仕事の話できないだろ、出世自慢かっつっていやがられるか、
セキュリティ問題になるだけだ。会社ポリシーとかは政治問題にも似ている。
なかなか出せない話題。
気を使わせまいとおもうと本当に他人の客観的な評価くらいしか入っていける話題がない。
「あそこの娘さんは良くできてて美人で」というのも間接的に自分の娘をクサしてるみたいだ。
他人sageに見えるが、普通に杖をついて歩くようになりたくない(お前に世話はかけたくない)という望みを
子供に話すのはそんなに悪いことだろうか。
という気持もよくわかるんで耳遠い両親相手にうなずき人形してたけど(たまにそれちがうっていってもどうせ聞こえてない)
あまりにも脳みそ側の「聞く耳」まで遠くなったような言動がひどかったので
今年はかえらなかったらさっぱりした。おすすめ。
帰ってきてくれそれもなるべく頻繁に、
っていうなら居る間のこっちの居心地もやっぱ考えてほしいんだけどなー。
こっちはお笑い芸人じゃないんだ、いつまでもテンションあげてられねえよ…
ちなみに便乗でこっちが落込むうちの親のグチリストもあげとくわ
・本人の体の辛さ(不定愁訴、手術数回。それはすすめられてもやっちゃダメな手術とか前に教えたのに、
・親類の介護状態、経済破綻状態、教育がうまくいかない(うちもこうやって余所にたれながされてるんだろうなあ)
・郊外大型ショッピングセンターに買い物いこうか(ずっと車中でグチ)
・遺書をかかせた。片親がしんだだけでは子供には遺産が行かないようにした。←子供をdisってる気持は毛頭ないらしい、やけに自慢げ
・たいした価値がないアクセサリーは孫ちゃんにあげて(だからもう片方の親に全部残るようにしたんでしょうが…)
たまーにパソコン相談とかふるさと納税とかよその孫の子守とか旅行とか
やっててくれてそこだけ正気っぽい会話ができる。
キングオブコメディの高橋が女子高生の制服を盗んで逮捕された。オンバト時代から割と好き、くらいの距離感でもこの報道は凄いショックだった。だけど、何よりショックだったのはこの報道をお笑い芸人がネタに出来ないことだ。
考えてみてほしい。この事件をお笑い芸人以外が起こしたら真っ先に芸人がネタにするだろう。特に爆笑問題は絶対にやっていたと思う。植草教授が品川のエスカレーターで手鏡越しに女子高生のスカートを覗いたモノマネをしたくらいだもん。それなのにサンジャポで一切ネタにしないどころかコメントもしない。
あとは伊集院光だ。俺は2年くらい馬鹿力リスナーだったからこういうネタが大好きなことくらい知ってるぞ。つい最近側溝男をネタにしてゲラゲラ笑っていただろ?? あれと同じようにやってくれるんだろうと思ってた。だとおもったら12月28日のラジオでは痴漢の冤罪を掛けられたときに高橋を擁護していたことを謝るだけだった。 ふざけんなよ! 偽善者ぶってんじゃねーよ。 側溝男なんて比じゃないくらい格好の面白事件だろ! 高校に制服盗みに行ってるやつがテレビに映ってるんだぜ? こんな笑いに出来ることないだろ? それなのにひたすら「僕が悪いんです」みたいなツラしてさ、CM開けたら普通の笑い話してるの・・・そういう偽善を一番嫌ってる人なんじゃないの?伊集院って??
「この事件での被害者がいるはずだから」、という事らしいけど側溝男だって植草教授の件だって被害者がいるのは変わらないし、お笑い芸人が犯罪犯すより経済評論家が性犯罪やる方がショックだ、という人もいるはずだ。
この事件を茶化したガリガリガリクソンは本当のプロだと思う。 これをネタに出来ない日本のお笑いは、存在価値がない・・・とは言わないけどお笑い芸人の社会的役割である「批評性」が大分弱くなっていると思う。
追記
「したらしたで批判する気でしょ」の人へ。 少なくとも俺はしないよ。
大人になるとアイデンティティーの8割がどういう仕事をしているかになってくる。赤の他人から見れば100%といって良い。たとえば山田太郎君が料理人であるとしたら山田太郎君ほとんどイコールで料理人と見られる
ホリエモンであれば実業家、ダウンタウンであればお笑い芸人となる
社会にどのように参画しているかはその個人を100%定義するものではないということをみんな忘れすぎじゃないのかと感じる
個人は社会人である前からすでに個人であり個人の興味から仕事になる人もいれば興味のないことを仕事にしている人もいるわけで
興味のないことを仕事にしている個人をどのような仕事をしているかで定義するということはその人の本質からはまったくかけはなれているどころか本人はその仕事に興味がないのだから社会人としてその人を見ている限りその人のことを永遠に理解することなどできないだろう
というかほとんどの人間が仕事なんて金のために嫌々やっているものなのだから社会人=個人という視点を持ち続けるかぎりは絶対に他人と本当に仲良くはなれない。学生生活にくらべ社会生活では友人関係を構築するのが比較的難しいのはほとんどこの視点によるところがおおきいと感じる。
もっと人は人を見るときには社会でのアイデンティティーよりもその人がどんな異性が好きなのか、どんなことで怒り悲しむのか、どんな本を読むのか、どんな音楽が好きなのかなど個人を見つめるべきであると思う
だから僕はホリエモンや損正義にぜんぜん興味が湧かない。彼らはリベラルでどんなものでもビジネスであれば認めるだろうしどんな音楽でも「クソだ」なんて言わないだろうし企業のトップにいる以上は軽率に好悪をならべたてるような発言はしないしできないからだ。
防災センターはテレビで紹介されてるし、雑誌でも扱うし、るるぶみたいなガイドブックにだって載ってるよ。
テレビで大雨を疑似的に再現してリポーターが「すごい雨です!立っていられません!」って言ったり
タウンワークにも載ってるし、市区町村のサイトでも紹介されてる。
自分が知らない恥ずかしさを隠すために、
広報力が足りない!なんて言い出すな。
防災センターのみなさんは金使わないでどうやって広報するか苦心してんだ。
それになー。
元増田が言ってるだろ。
119番通報は聞く側がプロだから、相手のレベルに合わせて情報を聞き出すんだと。
それを、「私が必要性を感じたから!国のお金をたっぷり使ってもっと広報すべきだし、体験実習もするべき!」って
なんだよそれは。
視野が狭いにもほどがあるわ。
国の金は無限じゃないんだぞ。
たけし自身がお笑い芸人になって金儲け目指すなんてって言って、
対象者が個人ではなく不特定多数だからただの愚痴と不満からくる説教だよ。
世の中の心配なんてしてない。
その内容がWebで少し公開されていたので読んでみた。
大学まで行かせてもらっておいてお笑い芸人になり馬鹿やってた人間が、
稼ぎまくってたんまり儲けて、自分は金を使うことに飽きたら、飽きて今度は説教か?
本当にそう思っているなら今すぐ孤児院に寄付して残った金で実践したらいい。
自分は大してやりたいことでもなかった芸人で金儲けに成功を収めたのに
最近の若いものは夢と金儲けを両立させる気か、と単に若さに嫉妬しているだけだ。
説教を垂れる息子・娘もいないからこうやって本を書いて吐露しないと生きていけないんだな。
くだらない映画取ってる暇あるなら慈善活動の1つでもしたらどうだ?
力のある人間になったはずなのに器が追い付いてないと、
いい歳しても迷走してしまうケースだと覚えておく。
(少なくとも現代の)お笑い芸人あたりは、ヨゴレ芸をはじめとして、人サマ(および抽象化したもの)を差別して笑いを取っているのが沢山...もっとも、古典落語でもアホを題材にしているものは沢山あるけど
矛盾させたら、テレビ局にとって簡単でオイシイだろう「バラエティ番組」が綻びてしまうからね。営利団体以上の尊厳を捨ててきているメディアにとって、都合の良い基準を使うことは必然かな。
http://anond.hatelabo.jp/20151016104153
「チビ」はあまり聞かないけど、「ハゲ」「デブ」については、関連スポンサーを応援する意味でも、今後も差別の対象にされつづけていくことかと。
彼とは赤ん坊の時からの仲であり、そのまま幼稚園、小学校、中学校、高校と14年間も同じ学校を通った。
そんな彼の結婚式なので、二次会は同窓会のように、かつての同級生と久しぶりの再会を果たした。
そこで見えてくるのは、変な疎外感と居心地の悪さだった。
今も毎週のように集まって遊んでいるようだ。
彼らの交友関係は十数年変わりがない。
それはとても素晴らしいことだと思うが、あまりに閉鎖的ではないかと、ある種の気持ち悪さを感じてしまう。
今も実家に住んでいる。結婚しても同じ街に住んでいる。同じ街に家を買っている。
そうしてずっと変わらぬ交友関係の仲で、何か停滞しているような世界に住んでいるような気がする。
風俗の話はいつも同じ店のことで、それも新宿や川崎なんてメジャーなところでは無く、各駅電車しか停まらない駅での話だ。
話し方はまるでテレビのお笑い芸人の真似事のようで、同じ話を何度も繰りかえす。
同じネタを何度も繰り返す。
僕はというと、大学卒業後は小中高校時代の友人とほとんど会わなくなった。
実家を出てからはますます顕著になり、今では地元の友人とは2~3年に1回会うか会わないかという具合だ。
実家を出たと言っても、同じ県内に住んでいるので、連絡を取れば簡単に会うことが出来る。
しかし連絡を取ることも無ければ、連絡が来ることも無い。
地元で数年に一度開催される忘年会に、たまに呼ばれるくらいだ。
その呼びかけが無ければ疎遠になる。それくらい薄いつながりしかない。
数年に1回しか、繋がりを保つチャンスは無い。
旧友たちが嫌いというわけでは無い。苦手というわけでもない。
会えば楽しく談笑する。社交的な付き合いでは無く、学生時代から変わらないフランクな付き合いが出来る。
だけど、なぜか自分から連絡を取る気になれない。積極的に会おうという気になれない。
小中高は限られた空間の仲での友人なので、ひょっとしたら無理をして友達付き合いをしていたのかもしれない。
それが大学、社会人になると世界がぐっと広がり、本当に気の合う、気楽な付き合いの出来る友人が出来た。
ストレスの無い友達付き合いが出来るようになったのかもしれない。
社会人になって、SNSで知り合った友人が10人ほどいるが、彼らがいま一番頻繁に会う友達だ。
出身も、仕事も、社会的地位もバラバラだが、SNSという場においてはそんなことは些末な問題で、結局は気の合う人とだけ付き合いが継続される。
そうしてSNS知り合った数十人の人たちから、今も会い続けている10人が残った。これが今一番会っている友人だ。
地元の友人と会わなくなり、SNSの友人とばかり会うようになった。
そして久しぶりに地元の友人と会うと、ひどい居心地の悪さを感じる。
何よりずっと変わらない交友関係で十数年も過ごすことに驚く。息苦しさは無いのだろうかと思う。
学校という閉鎖的なコミュニティの中では否が応でもヒエラルキーが生まれる。
つまり「こいつよりまし」という安心感が無自覚でも生まれてしまう。
それによって生じるヒエラルキーの中で交友関係を形成していくわけだから、友人間でもヒエラルキーが発生する。
僕はそのヒエラルキーの下にいた。仲の良い友人の中でも、頻繁に居心地の悪さを感じていた。
実際に学生時代に「お前よりましだ」という意味の言葉を(もちろん、もっと柔らかくした言い方だけど)言われたことが何度かある。
そして昔の友人と会うと、どんなに年月を重ねても、このヒエラルキーが消えることは無い。
薄れることはあっても、消えることは無い。その居心地の悪さを今も感じているのだろう。
大学でのコミュニティは、ある程度オープンになる。ヒエラルキーが薄くなる。SNSはもっとオープンだ。
閉鎖的なコミュニティでは気に入らない相手でも接しなければならないが、コミュニティがオープンであればあるほど、その必要性が無くなる。
気に入らなければ関係を切ればいい。オープンな環境で出来た交友関係に居心地の悪さは生じにくい。
しかし、そのSNSの友人たちとも、ずっと友達で居られるのかと考えると、その可能性は薄いと思う。
オープンであるゆえに、関係が切られるのも切るのも簡単だからだ。
そんなことを考えていると、僕にとっての友達ってなんなんだろう?
生涯に渡って付き合い続ける友人なんているのだろうか?
などの「本当の友達とは?」という疑問にぶちあたる。
そして、結局答えなんて出ない。
友達を続けるのは簡単だけど難しい。
そうして芽生える感情は「面倒くさい」だ。これに尽きる。
つまりは「友達がいないのは寂しいが、友達づきあいは面倒くさい」という矛盾したわがままだ。
そんなわがままな本質と合う友人なんているのだろうか。とても居るとは思えない。
そんな都合の良い友達は友達と言えるのか疑問だし、1人でもいれば奇跡だ。
こんな僕だから、この疎外感が解消されることは無いのだろうと思う。
一生ついてまわるのだ。
オリンピックエンブレムの記事で思い出したけど、この間キングコング西野亮廣の個展に行ってきた。
西野が好きだから行ったのではない。青山の別の画廊に用があって、その帰りにたまたま立ち寄ったのだ。
※ここから先、芸術やキングコングに関する専門性を持ち合わせていない人の感想
ネットでちらっと見た感じではあまり評価されていないような印象を受けたが、実際に見てみるととても緻密でうまいし、ノスタルジックな画風としてありだと思う。
洞窟のように細くて長くうねるかわいらしい通路の壁中に絵が展示してあり、それと同じくらいの数の西野の絵本も展示してある。来場者はそれを手にとって眺めたり、気に入ったら購入したりできる仕組みだ。ちなみにBGMは素朴で温かみのある日本語ロックであった。
画廊の片隅で、いかにも業界人という感じの男性スタッフと女性スタッフ数人が大声でしゃべりながら床で作業をしていて、どうしてもそっちに注意が行ってしまった。
客層も、テレビの観覧席にいるような若くてきれいで流行の格好をした女の子たちが中心でずいぶんと華やかだった。
西野氏とその周辺もずいぶんと騒がしかった。芸能人って本当に声でかいな(ただ、在廊していらっしゃったことは評価できる)
わたしは確信した。ここはアーティストが作り上げた空間ではない。芸能界の一部だ。
彼が芸能人じゃなかったら、いったいどのくらい評価をもらえたんだろう。
果たして、純粋にアーティストとしての西野を支えている来場者はいかほどいたのだろうか。
芸能人が絵を描いているからちやほやして群がっている。傍から見るとそんな風に見えた。言い方が悪くて申し訳ないが、どんなに本人が頑張って描いても、羽田陽区のCDやネタ本と一緒だと思った。
この環境から脱出しない限り、本質的なアーティストとして認知されるのはなかなか難しいんじゃなかろうか。
有名人であるということはとても大きなアドバンテージだ。その恵みを抜きにしても魅力的なアーティストになれるかどうか。
元々お笑い芸人として非常に有名である以上こうなってしまうのは仕方のないことだし、芸能人とアーティストの活動をどのくらいの比率でやりたいのかは知らないので増田でとやかく言うことではないが、個人的に重要な問題であるように感じる。
テレビの影響だろうか。20年前は他人をバカにするお笑い芸人も居なかったが最近はそれが普通になっている。
ただ、ツイッターなど見ると、若者ではない地位の高い人(大学教員や議員など)でも、他人を異常者扱いするのをよく見かけるので、日本全体がそのようになったのか。
また、最近の若者はすぐに自殺を口にする。やりたい事一通りやったら的な感じで。これは漫画やアニメなどの影響かもしれないし、日本自体に将来性がないと考えているのかもしれない。
余程の事がなければ自殺しないものと思っていたが、これも若者に限らない傾向だろうか。
スキル云々と言う話もあるが、最近の若者は、難易度の高い仕事の話を嫌うように思う(例えば、一定の業務が続く公的な仕事は人気だが、非常に高度で変化する能力を常時要求される仕事は存在を認めたくないように思う。高度な業務をやっている人は余りブログなどでも見かけないし、単に認識されてないのかも。そのような人を見かけても、嘘をついているか頭がおかしいとみなす傾向がある。増田の言うスキルは前者を指すように思う)。
就職がゴールでそれで学生時代の苦難から逃れられると思い込みたいのかもしれない。
ある程度ちゃんとしたルーチンワークの方が経験がずっと続いていると見なされ経験年数になる一方、技術が急速に変化する仕事は若い方がいいとみなされる日本の企業特有の環境(と報道されている)に適応しているのかもしれない。
人は恵まれていてもその恩恵を忘れてさらなる不満を抱えだすものだ
(まあ公務員の言う残業の苦労は、コンビニバイトの言う色々やることあって大変くらいの鼻ほじ案件だが。もっと大変なバイト腐るほどあるわ)
しかしそれでも生活自体は保障されていて解雇におびえる心配がない
民間では解雇される恐怖から自己成長を促し、反省していくものだが、
公務員には解雇される恐怖はないので押し付けられた仕事をストレスを溜めながらとにかく処理していく
必要な仕事ではなく常に押し付けられた不当な仕事であるという考えが彼らの頭を支配していく
そうするとストレスの吐口が欲しいわけだが民間企業で働く人間とは価値観が違うので話が合わない
結果、ネット掲示板でとにかく目につくものを片っ端からバッシング、誹謗中傷しまくってストレスを発散させていくのである
以前にも、お笑い芸人が謂れのない罪を掲示板で吹聴されたときも実行犯のほとんどが公務員であった
彼らは自分たちは不当な扱いを受け、常にストレスを抱えており、愚痴を吐く相手もいないという考えが頭を支配しているのだ
だからこそ真偽などどうでもよく、とにかく叩ける材料を常に飢えた狼のように求め続けている
火花が芥川賞を取った
お笑い芸人の本だ。一時間で読了したがたいした感想もなかった。芸人をささえる風俗嬢なんて滑稽すぎて反吐がでそうだった。純文学と評されているようだが文体を借りただけで内容はけっして純文学ではない。むしろ現代社会に毒されている記述が多々見受けられた
そんなことはどうでもいい。読み物としてはどこにでもある、いわゆるひまつぶし程度の物で嫌いではない。が芥川賞を取るべきかと言われれば断じてNOだ。
AKBも音楽という服を着ているだけで形骸だ。すこし前にKAGEROUがどっかの本屋大賞をとったがただのダジャレ小説には評するところはひとつもなかった。火花は読み物としてまだ一定の価値があるのだが
音楽や小説など村上の言葉を借りるなら常に卵の側に立つべき存在の文化が資本の側にたってしまっている
文明は進歩していかなければいけない。ITや技術革新など進めば進むだけ是とされるが文化というのはすこし違う。文化は過去に根差している部分が多い、文明は資本主義で発達していくことができるが文化は資本には殺される、文化は精神的な部分に佐座しているので文明とは距離を取って語られなければいけない。