大人になるとアイデンティティーの8割がどういう仕事をしているかになってくる。赤の他人から見れば100%といって良い。たとえば山田太郎君が料理人であるとしたら山田太郎君ほとんどイコールで料理人と見られる
ホリエモンであれば実業家、ダウンタウンであればお笑い芸人となる
社会にどのように参画しているかはその個人を100%定義するものではないということをみんな忘れすぎじゃないのかと感じる
個人は社会人である前からすでに個人であり個人の興味から仕事になる人もいれば興味のないことを仕事にしている人もいるわけで
興味のないことを仕事にしている個人をどのような仕事をしているかで定義するということはその人の本質からはまったくかけはなれているどころか本人はその仕事に興味がないのだから社会人としてその人を見ている限りその人のことを永遠に理解することなどできないだろう
というかほとんどの人間が仕事なんて金のために嫌々やっているものなのだから社会人=個人という視点を持ち続けるかぎりは絶対に他人と本当に仲良くはなれない。学生生活にくらべ社会生活では友人関係を構築するのが比較的難しいのはほとんどこの視点によるところがおおきいと感じる。
もっと人は人を見るときには社会でのアイデンティティーよりもその人がどんな異性が好きなのか、どんなことで怒り悲しむのか、どんな本を読むのか、どんな音楽が好きなのかなど個人を見つめるべきであると思う
だから僕はホリエモンや損正義にぜんぜん興味が湧かない。彼らはリベラルでどんなものでもビジネスであれば認めるだろうしどんな音楽でも「クソだ」なんて言わないだろうし企業のトップにいる以上は軽率に好悪をならべたてるような発言はしないしできないからだ。
でその本質ってのは具体的になんなの?