はてなキーワード: お笑い芸人とは
http://anond.hatelabo.jp/20150620104607
http://anond.hatelabo.jp/20150629120652
ブックマークを取り上げて攻撃したいわけではないが、調度良いので引用させてもらう。
いいかげん金稼いでくる方が偉いって思考改めろよ男も女も。何がいい気分になりたいのだ外食提案しろだバカやりたいことがあるなら自分の口で言えそしたら予約くらいはしてやるわ「察しろ族」まじで滅びろ(激おこ)
この2つを読んでこんな感想を持つということが「金を稼いでいる方が偉い」と思っていることの裏返しじゃないかと思う。
の2つだ。それ以上でもそれ以下でもない。
なので、このエントリーを読んで「いいかげん金稼いでくる方が偉いって思考改めろよ男も女も。」という感想をもつのは、あなたが勝手に「専業主夫になりたい」という主張の裏には「専業主婦は稼いでいないから蔑まれていて軽視されている」という主張が隠れていると決めつけているだけだ。専業主夫(専業主婦)になりたいというのは単なる欲望だ。専業主夫になりたいという言葉はそれ以上でもそれ以下でもなくて「政治家になりたい」とか「お笑い芸人になりたい」とか「歌手になりたい」とか言っているのと一緒だ。
ただの専業主夫になりたいという欲望に対して「いいかげん金稼いでくる方が偉いって思考改めろよ男も女も。」というブクマをつけたり、それに対してスターをつけたりしている人が考えを改めないと専業主夫は一般化しないし、女性の社会進出はどんどん遅くなるんではなかろうか。専業主夫という言葉に過敏に反応して「金を稼いでる方が偉い」とか結びつけるその思考が一番の差別だと気づいてほしいものだ。
きもいおっさんとかフェミとか増田も騒がしいが、なんでこんなことになっているのか考察してみた。
彼らが幸せにならない限り、強者女性も幸せにならない力学が働いている。
だからきもいおっさんもフェミも手に手をとって本当の問題を解決すべく尽力するべきである。
ま、俺としては本当の味方に気づかずに、お互いに罵り合って自滅していく方が見ていて楽しいのだけどね。
前置きはこれくらいにして考察を進める。
真っ当なフェミニストは特に問題なく幸せになっていると思うので横に置いておく。
問題は、男女平等とか言ってるくせに、なぜか男全体を憎んでいるフェミキチである。
(1行でアイデンティティを完全に矛盾させてるってクレイジーすぎて逆に尊敬してしまう)
彼女らは概ね高学歴で容姿も良くて、プライドが高く、周囲からの評価も高い。
彼女らはそれを、男は女を下に見ていて、支配下に置きたいからだ、男は女を差別していると言って理由付けする。
それはそうで、高スペックの男は概ね高い責任を伴う職業についていて、高い給与と高いストレスを持って家に帰ってくるからだ。
家の中でまで、嫁に気を使ったり、議論に基いて理性的にお互いを尊重するなんて、そんな余裕ないからだ。
これを当たり障りのない言葉で言うと、「一緒にいて安心できる相手と結婚したい」ということになる。
一歩引いて男を立てる女が圧倒的にモテる。
フェミキチのように、理由もなくイライラしている女は恋愛市場において、不良債権である。
出会いさえあれば、非正規雇用でも低学歴でも、愛想があって家庭的な女が、高スペックな男をかっさらっていく。
大物女優が大金持ちのIT社長ではなく、お笑い芸人と結婚するようなものだ。
なぜなら、弱者女性は身分相応に弱者男性と結婚していたからだ。
しかし今では弱者男性は弱者女性を養うこともできないほどに弱者になった。
するとどうなるか。
高スペックな男は自分の好みに合わせて、どの階層の女でも選び放題になる。
当たり前だが、結婚できない弱者男性の数とほぼ同数の未婚の女性が存在する。
そして余り物同士の男女をくっつけると、なんと!
こんなに男を嫌っているフェミキチは、弱者男性をくっつく以外に選択肢がないのである!
アニメの声優の演技が特殊なのは分かる。プラスのイメージを持っている人もマイナスのイメージを持っている人もそれは納得だろう。
でも、その声優の代わりがキムタクのようなジャニーズとかお笑い芸人とかになるのは、どういうこと??
お金がありません!
→じゃあ有名人を使おう!
これを言えば別に問題にならない。なのに、それを隠してアニメ声優の演技は気持ち悪いと言うから反発が起きるんだろ?馬鹿か?
お金の節約のために、作品の質を落としました!お笑い芸人を使いました!って言えよ。
別にもののけ姫でのモロをやった美輪明宏みたいのが声優をやるってんなら納得するけどな。下手のほうが多かっただろ、あのアニメ。俳優でも下手だったし。
最近じゃお笑い芸人やAKBが映画の吹き替えやって、駄作にする風潮まで出来上がってしまっている。昔所ジョージのやつとかかなり揉めたろ。
つーか、ちゃんと演技上手い俳優でさえ下手くそな場合があるからな。そりゃそうだろう、発声の仕方も違うだろうしな。
なら、声優をその気持ち悪くない演技にするよう指導すればいいだろ?そんなことも出来ないのか?嘘だろ?
正直声優の演技が気持ち悪いと思ってようが、そう失言しようがどうでもいいんだよ。その代わりがなんで俳優でもない下手くそに演技させることになるんだよって話。
冒涜だぞ?映画という作品に対して、映像作品に対して演者の演技なんてどうでもいいって言ってるようなもんだぞ?
マジでクソだ。知名度優先だしな、舞台で演技を磨いてきたやつを重用することさえ無し。客寄せパンダが。クソッタレ。
追記
えーっと、twitterとかはてなとかでキムタクや所ジョージは演技下手じゃないって人がそこそこいてびっくりなんだが、名作とされる映画とか見たことないの?凄いな。凄い可哀想。舞台での俳優の演技も見たことなさそうね。幼稚園のお遊戯でも見てたら?キムタクより上手い子いると思うぞ。
つーか、下手くそな声優使えとは言ってないから。下手くそなら声優も俳優も素人も使うなよと思ってるわけ。わかる?
キムタクの演技等を悪くないと思う可哀想な人たちはまあいい。しょうがないからな。物の良さが分からない、判断できない、哀れなだけだ。
はてぶコメントのこれ「お前が推してるアイドル声優は本当に芝居が出来ているのか1度考えた方が良いと思う。」やべえよ。文章理解しないで、思い込みでコメント書いて、煽ってきたわ。発達障害の可能性があるので、医者への通院をおすすめしますわ。星が二番目に多いしな。
賛同してるのもやばいぞ。この文章に関係ないことに賛同って。アイドル声優の話なんかしてねえ!アンチなのか知らないが、とりあえず本文読んでからコメントしてくれな?文章読んでも理解できない方ならしょうがないな。
というか!キムタクの話とは関係ないけど、好きな声優は千葉繁なんだよ!最近やったアンチャーテッドってゲームで声優やってるが、良かったぜー。まあ、千葉さんだって声優の演技は特殊、大げさってのに当てはまってるけどな。
昔に比べて「楽したい」っていう人がやたら増えちゃった世の中になったのかな、っていう気がする。
テレビやネットみたいな、一方的に与えてもらうメディアが普及しちゃったのもあるよね。
可処分時間のうち、自分が何かをすることに割く時間より、娯楽とか情報を与えてもらうことに割く時間が圧倒的に増えて、ある意味思考停止になってる人が多すぎる。
その結果、頭でっかちになって、すぐ「自分の理想と違う!」って言ったりとか。
そういう人って、たいがい「自分がんばってるし!」って言うんだけど、客観的に見ると自分の楽できるエリアから一切出ないんだよね。
お笑い芸人の小籔が言ってた「女の人が美だの恋だのに脳の過半数が奪われている国家というのは未来がないと思います」っていうのが、割と近い視点なのかなと思う。
もっと他のことに対して時間をかけて頑張ってることが賞賛されにくい世の中になってしまっている。
金銭的に相手と釣り合わなかったとしても、せめて気持ちや姿勢だけは相手に報いるべき。
そして、可能な範囲で頑張って、誠意を相手に見せてほしい。
生活水準を上げたかったら、月数万でもいいからプラスになるよう働くだけでもだいぶ違うはず。
○岩石の○吉が「お笑いコンビ猿○石の有○がネットの配信者を悪口言ってるだけだったり食べ物を粗末にしてるだけでちっとも面白くない」と発言したことを知った。
ソースはhttp://ch.nicovideo.jp/lifelog/blomaga/ar407100
悪口を言って食べ物を粗末にする生主って言ったら横山緑先生しか思い当たらない。
ていうか食べ物を粗末にしているというか料理が下手なだけで捨てずに全部食べてるだろ。
調子のってんじゃねえよ!
テレビだといくらでも編集で不正行為できるが生放送は不正なんてできねえんだよ!
あんたが横山先生のコミュニティレベルを超えたり、誰かがミラー配信してくれるような配信できると思ってんの?
最近と言っても、もう3ヶ月前の話しになるのだが。
3ヶ月前の僕は広告代理店のデザイナーとして働いていた。設立されて4年ほど経つその会社は、社長と僕と同僚4人の計6人。
まあ、広告代理店と言っても、地方の街なかにある小さな広告代理店だ。地方都市で住民は結構多い(大阪まで電車で1時間ほど)ということもあり、クライアント先は近所の個人経営のお店がほとんど。新しくオープンするカフェの宣伝文句を考えたり、駅前の美容院のホームページの改修を手伝ったりなど、とりとめのない仕事をしていた。
今年で28歳になる僕は、こういった緩い毎日に対して良くも悪くも思っていなかった。いわば、「普通の毎日」というものに居心地が良かったのである。ただそんな中、僕は毎日楽しみにしていることがあった。それは「Twitter」である。
人それぞれ幸せの形は違うとよく言われるが、人それぞれTwitterの楽しみ方も違うと僕は思う。
朝、昼、晩、暇があればタイムラインをチェックするのだが、僕がフォローをしている人は周りの知り合いなぞいない。
僕のタイムライン上は、日々この世の中に向けて「ポエム」を綴っているツイッタラーの人たちばかりである。有名ポエムツイッタラーともなるとフォロワーが1万人以上いたりし、何かイベントなどを企画するとその人たちのフォロワーが何十人も集まったりしてしまうほど、大変な影響力があり、僕もその有名人に群がる中の一人だった。
中でも特に1人、とても好きなポエムツイッタラーの人がいた。仮にGさん(男)と呼ぶことにする。
Gさんはポエム界隈ではある程度有名で、まさに「Twitterで生きている」と言っても過言ではない人だ。ある日の夜、布団の中に入り虚ろな目でタイムラインを眺めていると、Gさんの「新しく会社を立ち上げようと考えている」というツイートを見た。
「うわ!」っと声に出してしまうほど、僕にとって衝撃的なツイートだった。「Twitter」というスマホ及びPCを持っていれば誰でもアカウントを作れるサービスを使い、ポエムの才能のみで世に自分のことを知らしめたうえ、そこで積み重ねたノウハウを基に会社まで作ってしまうなんて、この人はなんてすごいんだ……と5秒ほど開いた口が塞がらなかった。
Gさんは「ぼくと一緒にこの世を盛り上げていこうよ」的なキャッチコピーを基にリンク先で人材募集をしていた。募集人材はエンジニア・ライター・デザイナーなどである。「あ、俺、デザイナーやん。しかも実務経験2年以上だ」と自分が応募資格を持っていることも分かった。
シャワーを浴び、缶ビールを飲みながら1時間ほど考えた末、「まあ、落ちたら落ちたでいいし、受かったら何かの縁だし、とりあえず応募だけしてみよう」と思い、応募フォームに自分の名前と連絡先を入れてボタンをクリックした。
次の日、メールにてGさんから返信があった。「この度は応募いただいてありがとうございます。面接地は〜〜〜」とテンプレート通りの返信だったのだが、Gさんから直接連絡がもらえているという事実でとても嬉しかったことを覚えている。
一週間後の日曜、面接に行った。履歴書には自分が今までやってきたことを書けるだけ書いた。生まれて初めて「ポートフォリオ」なんてものも作り、持参した。実際の面接では、不思議と緊張はせず、スラスラとGさんと喋っていた。
何年もその人のことをTwitter上で見ていたからか、不思議とその人と話すことに対して怖さや緊張がなかったのである。むしろ話していてとてもワクワクした。取り急ぎ、結果は合格。ぜひ次の月から一緒に働こうと言ってくれた。僕は迷わず「はい!」と頷いた。
月曜日、広告代理店の社長に「自分がこの世で一番尊敬している人と、新しい会社で働くことになったので、今月いっぱいで会社を辞めます」と告げた。今思うとだいぶ拗らせている、かなりやばい。
それに対し社長は、「お前の好きなことが見つかったんなら、それをとことん追求してこいや。お前が夢を見つけてくれたんがめっちゃ嬉しいねん。お前は俺の誇りや」とかなりカッコイイことを言って承諾してくれた。社長もだいぶ拗らせている。
次の月、僕は大阪のとあるオフィスにいた。Gさんと一緒に仕事をするためだ。Gさんはとても面白い人で、一緒にいると常に新たな発見があり、この人と一緒に仕事が出来る自分はなんて幸せなのかと感じていた。ただ、そんな毎日は2ヶ月で終わった。なんて早いんだと僕もこれを書いていて思う。
Gさんは前述の通り、「Twitterで生きている」人だった。以前多少はWebに関わる仕事をしていたとはいえ、Twitterを「仕事」として生かすスキルを持ち合わせていなかったのである。Gさんは140文字以内の世界にいたのだから。
会社を立ち上げた当初はTwitterで知り合った知人から仕事を貰ったり、タイムラインに「会社始めることになったので仕事ください」などのツイートをして営業活動をしていた。しかし1万人のフォロワーは「Twitterを仕事道具として使っているGさん」に対し好感を持てなかったのだろう。営業ツイートをするうちにGさんのフォロワーはみるみるうちに減っていった。Twitterで知り合った人から貰える仕事もたかがしれている。TwitterのスキルしかないGさんに、いきなり大きな仕事を任せちゃう気持ちの大きい人はいなかったのだ。
2ヶ月目に入った頃、Gさんは途方に暮れていた。会社にも来なくなった。だって仕事がないのだから。尊敬するGさんを助けたいという気持ちで、僕も知人に営業をしたり、飛び込み営業をしたりもした。しかし、自分たちが誇れるスキルがないという現実を目の当たりにしてしまう。「弊社の代表はフォロワーが1万人もいるんですよ」と言っても、営業先はなかなか相手にしてくれないのだ。
入社して2ヶ月後、Gさんは諦めてしまった。一週間連絡が取れなくなってしまったのである。正直その時点で僕の気持ちも消えかかっていた。一緒に入った同僚2人ももう既にいなくなってしまっており、気持ちはドン底まで落ちていた。(元々この2人は社員ではなく、仕事があれば発注するということだった)一週間後やっと連絡が取れたが、Gさんは僕に謝罪の意を表し、「もう辞めよう」と言った。僕はそれに従った。
今思うと、Gさんには「目標」がなかったのである。あえて言うならば「会社を立ち上げる」ことが目標だったのであろう。その後、どのようにスキームを立てて仕事をしていこうかなどの目標は一切なかったように見える。(嘘だろ? と思うかもしれないが本当だ)Twitterで人気者になって会社を立ち上げるということは、お笑い芸人がスポーツ選手を目指すことよりは将来性があることかもしれないが、今となれば一緒のようにしか思えない。
そういうことで僕は元の会社に戻った。それが先週のことだ。社長に土下座で謝ったら、「人生、何回転んだってええ。その傷跡を覚えておくことが大事なんや」と藤原基央のようなことを言って許してくれた。Gさんと働いたのはたった二ヶ月だったが、まあ良い経験になったと感じている。Gさんは僕に、「人間普通が一番」という当たり障りのない現実を教えてくれたのだった。
写真の中の高橋圭一には、今も手錠で作られた鎖ががんじがらめに絡まっている。もう一方の鎖の先は、共犯者に繋がっているものだと思っていたが……
「冤罪、か」
翌日、俺は全国に展開している喫茶店でコーヒーを飲んでいた。高橋圭一の勾留されている警察署に面会を求めに行って、門前払いされた帰りだ。
「面会できれば、何か分かったかもしれないのにな……」
美味くもないコーヒーをすすりながら、俺はつぶやいた。西織あいかの話では、彼女は憧れの先輩である高橋圭一を追って『光の華』に入信したらしい。その後一年ほどは何事も無く過ごしていたが、最近良くない噂を聞くようになったとか。
子供の信者なんて滅多に見なかったのに、最近やけに子供の姿を教団内で見る──
誰の子供か、知っている人は居ない──
話を聞いてみると、知らない人に連れて来られたと言っていた──
いつの間にかその子供は居なくなり、二度と姿が見えなくなる──
数日すると、違う子供が代わりにやってくる──
もしかして、信者の中に子供を誘拐して施設に監禁している人が居るのではないか? そんな噂が誠しやかにささやかれていたそうだ。そして報道される女子児童に限った連続誘拐事件と、高橋圭一の劇的な逮捕。信者達は噂の真相を知ることになった。
しかし彼の人柄を良く知る西織あいかは納得しなかった。憧れの先輩である高橋圭一がそんな犯罪に手を染めるはずがない。また、忙しい芸能活動のスケジュールをぬって誘拐事件を起こすなど、客観的に考えても不可能だった。にも関わらず、誰も高橋圭一の犯行に疑いを持たず、しかもそれを裏付ける物的証拠まで上がるに従って、彼女は教団が組織ぐるみで高橋圭一を陥れたのだと悟ったのだった。そして彼女は、手練手管を駆使して教団の幹部に接触して内実を探っていたらしい。今のところ、これと言った情報は得られていないそうだが。
彼女の話を全面的に信じたわけではないが、教団を探るという共通の目的がある俺達は、お互いに協力しあおうという事になった。俺達は連絡先を交換し、俺は彼女を、彼女のマンションまで送り届けたのだった。
図らずもアイドルの個人的な連絡先を手に入れた形になった。嬉しいような、どうでもいいような。思春期の子供じゃあるまいし。だいたい、俺は別に西織あいかのファンじゃないしな……
「続いてのニュースです。昨夜、タレントの西織あいかさんが帰宅途中に男に連れ去られ、行方不明になっているとのことです」
喫茶店に置いてあるテレビからそんなニュースが流れてきた瞬間、飲んでいるコーヒーを吹き出しそうになった。
「警察によりますと、あいかさんを連れ去ったのは渋谷区在住の佐々木誠也容疑者26歳」
テレビの画面には俺の顔写真がはっきりと映っている。冗談じゃない。いや、確かに誘拐まがいのことはしたが、でもなんで警察が動いている?
「警察は男を指名手配とし、市民からの情報提供を募っています」
西織あいかはちゃんと自分の家に帰ったし、おそらく今日も問題なく仕事に出かけたはずだ。行方不明になんてなっているはずがない。となると、考えられる可能性は一つ。
テレビの中ではどこから手に入れたのか、俺の小学校の卒業文集が晒されていた。画面にデカデカと、拙い文字で書かれた『お笑い芸人になって天下を取る!』という子供の頃の俺の夢が映っている。ああ、懐かしい。そんな事を考えていた時代もあった。俺の感慨をよそに、コメンテーターが芸能界への憧れが犯行へ繋がったのではないかとか、勝手なことを言ってる。うっせえ黙れ。お前になんの権利があって、純粋な子供の夢を汚すんだ。
その時、隣を喫茶店の店員が通り過ぎていった。俺はとっさに顔を伏せた。卒業文集がどうのこうの言ってる場合じゃない。俺は指名手配中なんだ。しかも全国ニュースで写真が公開されているんだ。
店員の様子を伺う。俺の事を不審がっている様子はない。誰も、自分の喫茶店に今しがた放送されたばかりの指名手配犯が居るなんて思わないだろう。ニュースをちゃんと観ていたかどうかも怪しい。しかし、俺はひどい不安に駆られた。今にも警官が大挙して俺の元に押し寄せて来る気がする。顔を隠さなくては。
俺は、いつも持っているサングラスをかけて目元を隠した。これだけで焦燥感が三割減した。慌てて喫茶店を出る。外に出ると、人、人、人。全員が俺を見ているような錯覚を覚える。
「ごほっ! ごほっ! あー! 風邪だ!」
誰も聞いていないだろうに、俺はわざとらしく咳をしながら近くのコンビニに入った。ごほごほ言いながら、口元を押さて顔を隠してマスクを買った。会計の瞬間、店員に気づかれやしないかと肝が縮み上がった。コンビニを出てすぐさまマスクを付けようと、包装のビニールを破ろうとするが、顔を隠すために片手が塞がっているので上手く開けられない。もどかしさのあまり、口でビニールを咥えて包装を破った。取り出したマスクをつけ顔を完全に隠すと、俺はやっと落ち着きを取り戻した。
さて、これからどうするか。俺は指名手配中の身だ。外に出ていてよかった。おそらく事務所には警察の捜査が入っているだろう。しばらく事務所には帰れない。とにかく西織あいかに真意を問いただす必要がある。俺は携帯を取り出すと、昨日交換した彼女の番号にかけた。数回呼び出し音が鳴った後、回線がつながった。
「おい、どういうつもりだ」
無機質な音声案内の声だった。
* * *
呼ぶ側 | 呼ばれる側 | 呼び方 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
6:44 | 本田未央 | P | プロデューサー | どう? ~? |
7:50 | 今西部長 | P | 君 | このプロジェクトが~にとっても良い転機に |
13:56 | 本田未央 | P | プロデューサー | まあ、~がそう言うのならいいけど |
21:14 | P | 本田未央 | 本田さん | ~。どうしました? |
というわけで6話です。
なんか、なあなあで進めてたらワケわからんベータ版があがってきて「てめえ、アルファ版より劣化してるじゃねえか。つーか企画書の絵をそのまま貼るとかどーゆーこった!」と思わず電話口で怒鳴ってしまう、そんな展開です。(全然違う)
デビューイベントで人が集まらないのはなかなかリアルでシビれました。
お笑い芸人が先輩芸人のラジオにゲスト出演させてもらってライブ(お笑いライブ)の宣伝しても全然集まらないのに近いものを感じました。
(どんなんだ)
今回、イベント会場ではかなり大掛かりなセットが組まれています。
モデルとなった場所など、一般の方が通路として通る場所では、通常、ああいったセットは組めません。
生まれては消えるお笑いグループの中に、松竹系のビーグル38というお笑いトリオがあった
彼らはアメトーークなどに出演していたらしいが、2013年についに解散した
10年ほど前、「せんたくばさみ」時代の彼らの舞台を見たことがある
高校の「芸術鑑賞」の一貫で、県のホールに3組のお笑い芸人を呼んだ、そのうちの一組だった
とにかくグダグダだったのでよく覚えている
他の2組も面白くはなかったが、高校生相手でもしっかり仕事をしようとするのが伝わってきた
高校生相手だからこんなもんだろうみたいな、嫌な空気がめりめり伝わってきた
終演後はみんな「せんたくばさみ」のあの態度はちょっと傷つくよねと話していたのを覚えてる
解散したと聞いて「やっぱりなあ…」などと思った
感想を探したけど、ニュースになっている割に多くない。あったとしても、「良かった!」「感動しました!」的な、映画館から出てきた観客がインタビューされているCMみたいなのばかりが目立つ。
とにかく又吉直樹という人は、善良で優しい人間なのだと思う。小説の登場人物は皆、基本的にモラリストだ。好感が持てるし、きっと広く読者に受け入れられるだろう。
文章力もある。稀に装飾過多の悪文が挟み込まれるものの、全体的には読みやすく、表現も豊かだ。おそらく読書家で勉強家なのだろう。
多くのタレント本がそうであるように、本作も半自伝的物語が綴られている。個人的に、純文学は自分自身について書くべきだと思っているので、題材として正しいと思う。
全体のストーリーは、主人公徳永と才気走った先輩芸人神谷さんを中心に描かれる、芸人残酷物語だ。おもしろうてやがてかなしき何とやら、と言った感じの、切なく泣ける中編に仕上がっている。
神谷さんが相手にしているのは世間ではない。いつか世間を振り向かせるかもしれない何かだ。その世界は孤独かもしれないけど、その寂寥は自分を鼓舞もしてくれるだろう。
(「その」の連続が多少気になるが、)グッと来た。
僕達は勘違いをするには、あまりにも歳を取り過ぎていた。勘違いしたふりをして顰蹙を買うことさえも仕事だと思える程に歳を取り過ぎていた。
このくだりも良い。近年よく見る、遅咲きのプチ一発屋芸人の悲哀が伝わってくる。
葛藤、焦燥、栄光、そして挫折を描く普遍的な青春物語として、出色の出来かもしれない。
著者の「笑い」に対する熱い思いも、信仰告白のように誠実に語られている。芸人の話だから、当然漫才のような掛け合いシーンが多い。本職だけあって、どの場面も面白く読め、さすがだと思った。
ただ、コンビを解散する主人公の最後の漫才が、感動を押したいあまり、ネタとしてはイマイチというか、そもそもアイデアとして凡庸で(おそらく「帰ってきたドラえもん」のラストが元ネタ)、ちょっと拍子抜けした。
最初に書いた通り、登場人物が皆善良なのが、読んでいて少し物足りない。もっとドロドロした内面や、反吐が出るような不快な気分にさせる場面も見たかった。例えば、破天荒系の芸人の神谷さんがラスト、逸脱した行為に及ぶ場面があるのだけど、すぐに主人公の圧倒的な正論によってたしなめられる。それは、ツッコミが正しいツッコミをしているだけとも言えるが、正論が免責事項のように細かく冷静にセリフで説明され、何となく冷めてしまう。「政治的正しさ」にそこまで配慮するのは、著者が(つまり主人公が)テレビで仕事をしているからで、キャラクターとしては正解なのだけど、やはり萎える。
お笑い芸人は常識人ゆえに、常識をズラしてネタが作れるわけで、だからこそ自分に正直な小説を書くと、良心的で分別のある物語になるのかもしれない。それは作風であって間違いではないし、太田光や劇団ひとりの小説も似た印象を感じた。
嬉しそうに話す人をニュースでよく見かける。
私は独りでコンビニで買ってきたビールを飲みながら笑顔で答える人を見ている。
年末年始を誰かと過ごす人が正直羨ましい。
私もこんな風に、華やかな着物着て盛り上がりたい。
華やかな各局の特番が一層心に突き刺さる。いかに通常番組が大切かが分かる瞬間だ。
私には友人と呼べる人がいない。もちろん、恋人もいない。
漫画とか見てると、主人公の女の子が独り寂しく年を越そうとしていると突然携帯が鳴って、片思いの男の子から「初詣行こうよ」なんて誘われ、頬を赤らめ、いそいそ出かける主人公が羨ましい。
今年で30歳になる私は某バラエティーを見ていつの間にか年を越し、そのまま何となく眠りについて元日を迎え、ダラダラ過ごして、仕事はじめを迎える。
そんな年末年始を今年も過ごすんだろうな。
いっそ仕事してた方が心が休まるよ。
年末年始の華やかさが独り身の心に突き刺さる。
誰かと一緒に過ごして「あけましておめでとう。今年もよろしく」と言いたいな。
これはいわゆるスクールカーストにおける過剰な「キャラ」的コミュニケーションによって引き起こされている問題ですね。
現代の日本の若者は、各自の実際の性格だけではなく場合によっては場の空気による暗黙の圧力で配分される「キャラ」を演じてコミュニケーションをとるというスタイルが定着しており、教室内は例えば「不思議ちゃんキャラ」「毒舌キャラ」のような様々なキャラがひしめきあう状態となっている。こうした環境はスクールカーストの形成やいじめの発生と密接に関係しており、スクールカーストという序列は各々の「キャラ」に対して行われる格付けであるともいえる。うまくキャラを確立できた者が勝利するという構造は日本の芸能界におけるお笑い芸人の生存競争にみられるものであり、与えられたキャラを演じる若者の作法は日本のお笑い番組・バラエティ番組における彼らのやりとりの影響を強く受けている。
世の中には「俺は何でも知ってるぞ」って奴ほど無理解で極端で唯我独尊で困るものだ。
著作を宣伝してる奴ほど、その整合性を取るべく無理難題を述べ連ねては墓穴を掘る。
物事を発見した人がいて、それをどうにか世間に広めて自分を認めさせたい。
また、ビッグマウスな口上が裏目に出て自ら炎上の中心となる事も多い。
それだけにこの宣伝は、容易にやられるべきでなくて
が、昨今のステルスマーケティングによって居ながらにして富と名声を築く事が安易になった。
そのために、簡単に富と名声を得ようとこうした方法を取り続けると
当然アンチが現れる。
そこで予防線を張るのだが、予防線を良く知りもしない人にさせやすい。
良識ある人ほどお金は掛かるし宣伝者と同等の富と名声を得たいと考えるものだ。
予防線を張るにもお金を掛けなければ、物事が成功しなくなってきている。
そうなると結局広く浅く潜伏しながら徐々に効果を波及させていくしか方法はない。
今年の流行語になった「ダメよ~ダメダメ」はあからさまな宣伝によって今年の後半期から急激に流行した。
その結果広く知れ渡ったものの、実体が見えず誰とも知らないお笑い芸人が登場して、
このお笑い芸人が発案しました、と言っても他にも誰かが発案していてその人の持ちネタをパクったから使うな、
それだけに広く浅く潜伏しながら徐々に効果を波及させていく方法にも不備があるように感じられるだろう。
だが、殆どの場合、前述の予防線を張り忘れた、あるいは張る必要がないとたかを括っていたに違いない。
でなければ今回のように突然降って沸いたように流行語大賞に選ばれるはずがない。
となると、一つ考えられるのは流行語を流行させる方法を取ったのであろう。
そのため流行語は広く宣伝によって流行していったが、今回のように誹謗中傷もまた広まってしまったのである。
深く知り浅く広く潜伏しながら徐々に確実に流行させていく事が素直である。
しかしながら、ユーキャン流行語大賞のように賛否を無視して急速に広めると当然批判の対象になりやすいのだ。