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2016-06-11

エンターテイメントがしぬかもしれないはなし

エンターテイメントが死ぬかもしれない話

⚫︎前提

・元々自分のfc2ブログからの転載です

・とにかく長い

・とにかく辛口

・怒らないでください

おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。

なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う

そんなわたしひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある

それが「エンターテイメントが死ぬ話」である

自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である

だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない

けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている

具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい

2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。

テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている

その年のゴールデンウィークは、戸谷公人誕生日イベントがあり、新宿御苑サンモールではたしかDステが行われていたように思う

当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。

わたしはというとバースデーイベントチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた

2010年はそんな年だ。

アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。

赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。

特撮で言えば、丁度2009年平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。

とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしおたくがたくさんいた

他のジャンルにも目を向けて行こうと思う

例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である

アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている

2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている

では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。

わたし小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった

しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。

そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルわたしの視界には入らなかった

むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない

小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)

中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)

イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年お笑いの盛り上がりのピークと捉えている

思えばわたしエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。

小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。

高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエミッキーを踊った

やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭クラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒエンディングで踊った。

週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい

ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズメンバーの名前をポスカで書いていた

(ここで一度力つきた)

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのPermalink | 記事への反応(1) | 11:25

2016-06-08

サブカルオタク

サブカル

映画 SFミステリ 村上春樹 東浩紀 アフタヌーン ビーム

曽我部恵一 Alfred beach sandal レコード・コレクターズ

【下級サブカル

CUT クイックジャパン お笑い芸人 ロキノン系

上級オタク

作画オタ コミティア メタル

オタク

アニメ 漫画 ゲーム ソシャゲ ラノベ プロレス アイドル

 

オタクは性欲、暴力射幸心中毒性等、低次元な欲求を満たす文化

サブカルのほうが明らかに知的優位に立っているので、どちらが上かを議論する必要は無い。

 

サブカルオタク負け犬同士であり、両者が争ってもみじめなだけ。

サブカルオタクの敵は美術クラシック音楽などのハイカルチャーであるべき。

 

あと「映画オタ」という言葉おかしい。映画サブカルから

映画館で上映するアニメは「劇場アニメ」であり、映画ではない。

2016-05-28

自分が何らかの事件に巻き込まれて「お笑い芸人」として報道されたら凄くいやだと思う

http://anond.hatelabo.jp/20160525202301

これ君宛じゃないのか?

女子大生シンガー刺傷事件で思うこと:ロマン優光連載58 - ブッチNEWS

変な話だが、自分が何らかの事件に巻き込まれて「お笑い芸人」として報道されたら凄くいやだと思う。自分は確かにロマンポルシェ。という笑いの要素を含むバンドをやってきたし、芸人の方と対バンをしたこともあるわけだが、お笑い芸人かと言われると違うわけで。芸人を目指してるわけでもないし。芸人が嫌いとかそういう話ではなく、本人の志す方向性を認めてほしいというか。冨田さんもシンガーソングライターを志して活動してきたのに、他人が「アイドル」と言うのは凄く本人に失礼な話だと思う。

2016-05-18

頭良いやつしかラジオでは生き残れない

豊富話題

 記憶力が必要

・わかりやすい話し方

 論理立てられる力が必要

ゲストへの反応

 瞬発力、応用力が必要

思えば宇多丸伊集院漫才師などのお笑い芸人たちも頭良かった

なんとなくオサレ曲かけてツイッターからつぶやき拾って流す番組は潰れるだろう

2016-05-16

松本人志から学ぶ、"笑い"とはなにか。

 お笑い芸人・・・それはストレスの中で生きる人々に笑いを提供し、心に潤いを与える誇り高き仕事だ。

 もちろん、すべての人がお笑い芸人の力を借りなければ笑えないわけではない。日常のふとした瞬間にも笑いは訪れる。にもかかわらず、観客は彼らを求め、そして笑えなければ、まるで無視される。彼らは常に自問自答する。「果たして俺のやってることの何が必要とされているのか?」「自分のやっていることは社会に役に立つのか?」「俺は面白いのか?」と。

 そうした葛藤の中で、彼らは自らに技術必要とされていくことに気づくことになる。"お笑い"の消費速度は、あまりにも速い。世の人々が、それを「面白い」と認識し、溢れてしまえばそれはたちまちありふれた光景の中の一部となり、"日常"という「つまらない」ものの一部となってしまう。今「笑える」ものが、半年後に笑えるとは限らない。たとえ一時的に「面白い」とされても、そこに胡坐をかいていると、たちまち「つまらない」ものになってしまうのだ。彼らはそこから蹴落とされないために修練し、叱咤激励しあい切磋琢磨し、自らの"お笑い"に対する感覚を磨く。

 その中で導き出された笑いの極意――それは、アンデルセンが描いた童話『裸の王様』にならい「王様は裸だ」と言うこと。つまり権力権威であったり、それが自然もの、認めざるを得ないものといった同調的な圧力に臆せず、その姿を暴き立てること。それこそ、"日常"という誰をも取り巻く状況に対して風穴を開けるに対して必要とされる、根本的な姿勢なのだ。だから彼らは現状に満足しない。生き残る為にも、社会の中で生きる人々のためにも、自らの芸に毎日少しでも磨きをかけ続ける。それこそが、お笑い芸人に託された宿命なのだ

 そのお笑い芸人と呼ばれる人々の中でも、天才と呼ばれた人がいた――松本人志である

 彼がお笑いコンビダウンタウンとして世に出てきた時、それを先輩芸人として見ていた島田紳助は、それまでの笑いの概念を覆されたという。彼の笑いのセンスはひときわ独創的だとたちまち評判を呼び、全国放映されるテレビ番組でいくつもレギュラーを抱え、時代代表するお笑い界のカリスマとしての地位にまで上り詰めた。

 時は経ち、依然として彼の姿をテレビで見ない日の方が少ないほど、確固たる地位にまで上り詰めた。彼はお笑い芸人として評価される側に留まらず、M-1グランプリ審査を務めたり、すべらない話で新旧問わない芸人のトーク力をフックアップするなど、今や時代の寵児には留まらない、お笑い界にその名を刻む人物となった。

 そんな独創的なお笑いセンスカリスマ性がある彼がレギュラー出演する番組の一つ、「ワイドナショー」で発言したのが以下の言葉だ。

http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/14/masuzoe-matsumoto_n_9976334.html

2016-05-03

お笑い芸人って何でネットを嫌うの?

やたらと敵視して、キーボードをカチャカチャしてとかバカにしてるけど

キーボードカチャカチャで作られたもの恩恵はしっかりうけてる癖にムカツクんだよ

2016-04-28

荒らしスルー」の文化Twitterブログじゃ成り立たない

声優芸能人荒らしアンチ)に反応すると、決まって「反応するから余計に荒れるんだ」「スルーすればいいのに」という意見が出る。

一昔前までは「荒らしスルー」が常識だった。反応する方が叩かれた。でも今は違う。なぜならブログTwitter2chとは違うからだ。

dat落ちがない

2ch荒らしスルーしまくれば、やがてdat落ちして見えなくなる。一方、Twitterのリプ欄やブログコメント欄dat落ちはない。

不快コメントを付けられると、それがずっと残り続ける。スルーしたって消えるものではない。

削除依頼がない

そもそも2chで「荒らしスルー文化根付いたのは、削除依頼というシステムの影響も大きい。

ヘタに反応してしまうと、なんだ荒らしじゃなくてスレ住人同士会話してるだけじゃんと見なされ、削除してもらえないのだ。

一方ブログ自分で削除しなければならない。荒らしスルーするかしないかは全く関係ない。

Twitterに至っては、自分ツイートにぶら下がるクソリプの群れを隠すことすら出来ない。

そもそも荒らし養分が「反応」ではない

これが一番大きな違いである。2ch荒らし主食は反応だ。だからこそスルー有効だった。有名なテンプレに以下のようなものがある。

アスキーアートごとAA記法で貼ろうとしたら盛大に文字化けしてしまった。残念。)

荒らし放置が一番キライ。荒らしは常に誰かの反応を待っています

○重複スレには誘導リンクを貼って放置ウザイと思ったらそのまま放置

放置された荒らし煽り自作自演あなたレスを誘います。ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。

○反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。荒らしにエサを与えないで下さい。

○枯死するまで孤独に暴れさせておいてゴミが溜まったら削除が一番です。

しかし今時の荒らし主食相手の反応ではない。

アイドル声優お笑い芸人に、直接自分の悪意をぶつけて面白がること。この行為自体主食だ。

相手の反応があればそれはそれで悦ぶだろうが、なくても腹は満たされる。有名人コメント欄自分の悪意が開陳される快感が全て。

まり耐え難きを耐え忍び難きを忍んでも、荒らしはなくならない。

それどころか、荒らし排除されない場として大人気になるだけだ。某サンリオキャラを見れば明らかだろう。

攻撃対象特定個人

当たり前だが、2ch荒らし攻撃対象スレ住人だ。極端な話、スレならどこでもいい。

からこそ反応せずにスルーし続ければ、荒らしはエサを求めて他のスレへ去っていく。

だが、今時の荒らしターゲットがはっきりしている。反応の有無にかかわらず、そいつでなければ意味がないのである

スルーし続けたところで一向に立ち去らないのだからスルー意味がない。

結論

2ch論理Twitterブログに持ち込むのは間違い。

荒らしにNOを突きつけるメリット>>>>>>>>>>>>>>荒らしに反応するデメリット

2016-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20160427072333

いや安いだろ、どれだけ使っても100万円なんだぞ?

お笑い芸人を呼んで2時間ステージやればそれだけで100万近くかかる

小林幸子だって2時間ステージで300万

それに比べれば、何回も使い放題のデザインが100万安いだろ…

2016-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20160421234422

何で最近ダウンタウン政権イメージアップに協力してるのだろう。

ぶっちゃけしまえば、バラエティ映えする政治家野党ほとんどいないから

民進にせよ共産にせよ口を開けば与党政府悪口ばかりで、笑いを求めてチャンネルを合わせてくれている視聴者には不愉快しかないから

自民党野党転落前にメディアに袋叩きにされた教訓をそれなりに活かしていて、実は広報部門テレビ局にはかなり協力的だったりする

自分権力側に追随するお笑い芸人は信用できない。

市民からそっぽを向かれてる政治勢力を持ち上げたらそれ以上に信用落としかねないよ

2016-04-10

映画秘宝ランキング投票者で『進撃の巨人』をdisったやつを調べてみた。

はてなブックマーク - 今の日本映画にもの申す…「レベルが本当に低い!」 英映画配給会社代表が苦言 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

yingze 映画評論界隈は分からんけど、ネットで有名になった前田有一春日太一以外の評論家は、新劇巨人をどういう評価したのだろう。興味ある。

俺も気になったから調べてみた。


知らない人のために言っておくと『映画秘宝』は、『進撃の巨人』の脚本担当した町山智浩氏が立ち上げた映画雑誌です。つまり、「身内」の雑誌。今も原稿書いてます。そのため、『映画雑誌』のライター寄稿者はみな『進撃の巨人』に対して、難しい政治的判断を求められたわけです。

で、その結果をまとめてみた。ちなみに編集も巻末でその年のベストを発表してるけど、ワーストは出さない慣例。



参考資料:『映画秘宝 2016年3月号』「2015年度HIHOはくさいアワード」(知らない人のためにざっくりいうと、映画秘宝主催するゴールデンラズベリー賞みたいなもの


総合ランキング

1. 『進撃の巨人 前編』

2. 『ターミネータージェネシス

3. 『ギャラクシー街道

4. 『進撃の巨人 後編』

5. 『アベンジャーズエイジ・オブ・ウルトロン


以下、『進撃の巨人』に投票した人間コメントの主旨(not 抜粋)。


會川昇アニメ脚本家小説家)「『大人向け怪獣映画』を作ろうと考えることが子供じみていて、それを乗り越えて『本物』を作ることができるのはほんの一握り」

大場しょう太(宣伝プロデューサー映画祭ディレクター)「今更自分が呈すべき苦言は何もない」

岡本敦史(秘宝編集部所属ライター)「みんな『でも食人描写はいい』と擁護するけど、それすらどこがいいのかわからない」

尾崎一男映画評論家)「前後編を一本とみなすとさほど悪くないけれど、前編を一本の映画として見た場合そうとう酷いでき。後編冒頭のダイジェストのほうがまだよく出来てる」

小野寺生哉(カナザワ映画祭ディレクター)「特撮は良かったけど、脚本ドラマ部分がヒドすぎる。本作を巡る場外乱闘も醜かった(おそらく春日太一twitter のこと)」

餓鬼だらく(ライター)「ドラマ部分が不自然

キシオカタカシ「『マトリックス レボリューションズ』の再来」

北原香(秘宝編集部)「一番期待値との落差が酷かった映画

佐々木浩久映画監督プロデューサー)「芝居を軽視しすぎ。こういうのを面白く撮れないと日本映画ダメになる」

ジャックハンター吉田(元プロレスラーコラムニスト)「関係者には申し訳ないが、ピンとくるものがなかった。前後スタイル日本映画界の病巣」

中野貴雄脚本家)「人喰い巨人秘密なんて別に知りたくもない」

長野辰次(ライター)「マンガ実写化功罪について考えさせられた」

五郎・あれは七年殺しだろう平山平山夢明)「すべてに薄味。つくり手にキチガイが一人しかいなかったのが敗因」

藤原カクセイ(特殊メイクデザイナー)「お話も演技もなんら驚きがない」

プッチー・ミンミン(ライター)「前編は楽しめたのだが」

まぐれものマンガ編集者)「前編は尖っていたが、後編は『型にはめられたくない』という型にハマってしまっていた」

三留まゆみ映画評論家)「なんだかんだ言って好き」

モリタタダシ(ライター)「期待を膨らませて見に行ったものの、時間と金を浪費した感覚だけをお持ち帰り」

山田誠二(プロデューサーコミック脚本家)「キャラと結末の変更がファンにはちょっと受け入れがたかったよね」


番外編:

ダイノジ大谷お笑い芸人)「感想を求められそうな状況がめんどくさくて観られなかった」

すぎむらしんいち漫画家)「マッドマックス特赦によって今年のクソ映画はみんな無罪」(どうでもいいが、特赦になったからといって無罪にはならない)

髙橋ヨシキ(映画秘宝アートディレクター)「何かというとヴあああああと叫んでばかりの邦画全部。」(票にはなってないが、当然『進撃の巨人』も含まれる)

樋口毅宏小説家)「『プレイボーイ』の映画評で毎月レビューしてると『日本映画は才能のない連中の巣窟か?』と思うことしばし」(『進撃の巨人』をレビューたかどうかは不明



結論:わりとみんなdisってた。

2016-03-25

ブログキャラ

ブログ

こんにちは○○です。いつもうどんばかり食べてますが実は蕎麦派です

みたいな書き出しの人って結構いるじゃん?一応、つかみなんだろうけど、それってもうテンプレしかないじゃん?あーゆー書き方をする人ってキャラクター押し出してると思うんだけど、それってどうかなー。

お笑い芸人でもタレントでもキャラクターが愛されるというのはあると思う。というか皆そう。愛されないキャラクターでは笑いは生まれない。でもね、愛されるキャラクターであって、その上で何をやるかなんだよ。愛されるキャラクターでありつつ話芸が優れてるとか、本芸に秀でているとかそういうことなんだよ。キャラクターだけじゃないんだよ。

キャラだけで売ってる人もいるけど、そういうのは底が浅いじゃん。浅いの分かるじゃん。それではダメだと思うんだよね。

件の書き出しで始まるブロガーって、愛されるキャラを目指してるんだろうけど、本文はあんまり面白くないの。キャラを売りだすことしか考えてないから芸を磨くことにかまけてんの。というか本芸がないの。本芸がないからキャラ押し出してるんだろうけど違うんだよ。

そういうことをやるより芸を磨いて、キャラがそこから滲みだして、そのキャラが愛されるということが本道じゃないかなー。キャラは2次的なもので、本芸というか本文が面白くないとどれだけ頑張ってもだめだと思うんだけど。

ブログ収益性とか俺にはよく分からないけど、キャラだけで稼げるのなんてよっぽどの希少キャラクターの人だけじゃないかな。

2016-03-16

お笑い芸人ショーンK

ロングコント最高に笑えました。

ぜひR-1グランプリにも出場して下さい。

2016-03-12

どんな人でも馬鹿に出来る

金持ち:守銭奴キモい

芸能人:河原乞食キモい

お笑い芸人:存在しなくても誰も困らないしょうもない職業

美女:ビッチキモい 整形乙

美男:顔と中身が釣り合ってない

おしゃれな人:顔と会ってない

高学歴:ガリ勉キモい

優しい人:偽善者

権力者:将来地獄に落ちる人でなし

他人は全員馬鹿に出来る。価値ある人間なんて存在しない。

2016-03-10

人間は皆同じである」という考え2

前項

http://anond.hatelabo.jp/20160309203614

で、「人間は皆同じである」という考えを述べた。

要約すると、赤子が本来人間の姿、大人は記憶経験邪魔した生き物、という結論である

当然産まれるまでの過程に、親を引き継ぐわけだから、一部では意味合いが違うかもしれない。

ただここで述べるのは、純粋無垢という点だ。

それを証明するための例を上げてみようと思う。

赤子(純粋無垢)と、大人(記憶経験の生き物)。

定義として赤子が本来人間とした場合、大人はこういう局面クリアできるだろうか?

例1,赤子を笑わせる

大人はあらゆる手段を使って、笑いをとろうとするだろう。

それは、大人の世界で言う、落語お笑い芸人コントや、予想外のハプニングへの共感などがそうだ。

ただ、赤子には、言葉は通じない。

ただ無表情で大人を見つめている。

大人は、赤ちゃん言葉をつかって、いないいないばあなどをしたり、

笑ってくだちゃいね~とか、何も出来ないであろう。

それが伝わらない赤子はそのうち泣き出す。

これこそ、人間らしさを忘れた大人の本来の姿。

その3へつづく

http://anond.hatelabo.jp/20160310120030

2016-03-01

街中で遭遇→神対応塩対応芸能人

神対応Mさん(ものまね芸人?おデブタレント不明)

街で歩行中に追い抜いた相手が、なんか見覚えあるので三度見くらいしたらMさんだった。

びっくりして、そのまま話しかけたら笑顔で穏やかな応対。

握手も向こうから手を差し出してくれた。

手がとても暖かかった。

テレビで見る姿とまた違って、こんなに穏やかなかたなんだと感激した。


塩対応Mさん(お笑い芸人・元コンビ)

とあるスポーツの客席にて遭遇。

周りには芸人仲間(おそらく後輩の売れてない芸人達だろう)がいて、和やかそう。

休憩時間に、話しかけてみたら「え、ああ、ごめんなさい勘弁してください」と迷惑そうにされた。

握手もできず…。

プライベートだったかもしれないので申し訳ないと思いつつ、会話のキャッチボールすら許されないのかと少し残念だった。

その芸人は後輩や先輩などは大切にし、内輪受けはかなりいいみたいだ。

プライベート芸能人に話し掛けるのはタブーかもしれないと気付いたので、最近は話し掛けないけど

神対応をしてくれた、Mさんには本当に感謝している。

あのね、あのね、あのねのね、、、長生きしてください。

ちなみに神対応Mさんと、塩対応Mさんは別人だ。

2016-02-28

クラウドソーシング批判批判正論かもしれないが、論点がずれている

クラウドワークスはエンジニアを幸せにはしなかった

キンコン西野氏のクラウドワークス批判記事に対する言及が正論すぎる。クラウドソーシングの本質とは?

ニシノ アキヒロ - ここ最近のクラウドワークスのネガティブ記事で、腑に落ちるものが一件もないんだよな。... | Facebook

キンコン西野さんや、西野さんの発言肯定した人が言っていることは分かるが、問題はそこじゃない。

西野さんは芸能人ですから、歩合制で、しかも割に合わない仕事経験したことが間違いなくあるでしょうから

「適正なしごととは」論的な記事はいやなのかもしれません。

しかし、問題はこの西野さんの肯定記事ね。

クラウドソーシングの最大手クラウドワークスに対して、ネガティブ記事が続く中、お笑い芸人キングコング西野さんが言及しました。

これがもう的を射ていてヤバイです。



この肯定記事が若干違った狙いの的を射ちゃった。

今回の問題作業内容と適正金額の話だ。


まず手数料について、もちろん、発注がなければ、事業としてなりたたないから企業側の手数料がないのは分かるが、

そもそも、一般的仕事金額より安くなっているのに、さら手数料が引かれてどうするんだという話をしている。

これ西野さんが肯定している内職だって引かれているんだよ。

それって、企業側がさらに安く買いたたけるだけを肯定しちゃっているのではないですか。

しかも、企業側が安かろう悪かろう精神ではなく、『安くても質は同じかそれ以上』を求めているのが、

良くないという話だ。

ネットで月100万円稼いでる人が10人、100人まれるよりも、月5万円を1000人、10000人稼いでることの方がはるか社会的価値があるし、それがインターネット本質です。

西野さんが言及してるように、本来収益が0円な人がクラウドワークスのおかげで月5万円程度の収益を得る機会ができたわけですよ。それって単純にスゴイことですよね。

確かに金額の多少はあれ、稼げる人が増えたのは事実だし、いいことだと思う。

でも、『それがインターネット本質です。』って書いてあるが、

別にクラウドワークスネット本質かどうかより、問題搾取型のシステムなんだよ。

しかしたら、この記事を書いた人はこうやって書いたら炎上することが分かっていて書いたのかな。

だとしたら、それは『ネット本質』を着いた行動だと思うので経緯を表したいと思います

2016-02-22

ホモネタの扱いに困ってる

お笑い芸人コントとか、ギャグ漫画とかで男同士でモメてるうちにうっかり相手局部に触れてしまって「やめろ!気持ち悪い!」とか言ってみたり、それをきっかけに同性愛に目覚めちゃうみたいな描写があるけれどああいうのってまだ世間的には許容されてるのかな。

増田やら一部twitterでの議論などを見ているとどうしてもポリティカリーコレクトネスみたいなもの意識せざるを得なくなってしまって、ああいう「排他的」「差別的」な描写を見るとドキドキしてしまう。自分自身はそれらを目にして腹を立てるようなスタンスではないのだけど、怒る人もいるのではないか?クレームが入っちゃうんじゃないか?と心配になる。(そういうギャグ表現で本当に傷つく人が存在するのかどうかは知らないのでここでは気にしないでおく。知ってる人がいれば教えてほしい。)

ハゲデブチビなんかもお笑い要素として扱われるけどそれはOKなのだろうか?

あんまり自粛みたいなものが広がって息苦しい世界がやってくるのも困るけど、インターネットで見かけるポリコレとどう整合させていいのかわからなくて困ってる。

2016-02-06

シャブは薬じゃないのよ

http://hakaiya.hateblo.jp/entry/2016/02/06/144755

関西山口組麻薬を扱ってないから

これはある意味事実であり、そして勘違いしています。ここで県別の覚せい剤検挙数を見てみると

教えて!全国ランキング 都道府県別 覚せい剤取締送致件数ランキング

大阪東京に次いで2位。人口10万人あたりでは大阪ワーストです。また山口組の膝元兵庫でも中間くらいであ特別少なくもありません

では山口組麻薬撲滅運動を掲げているだけで実は裏で麻薬を売りまくっているのか。あるいは本職に隠れてコソコソと麻薬を売る素人がいるのか。はたまたイラン人グループ跋扈しているのか。

違いますシャブクスリじゃないのです

何わけのわからないことをと思われるかもしれませんがヤクザ理屈麻薬クスリ)とは何か。答えは「麻薬取締法」で麻薬とされているもの、というだけのことです。つまり麻薬とはヘロインコカインの事なのです

勘違いしがちですが覚せい剤麻薬取締法ではなく覚せい剤取締法に分類されます。つまり麻薬じゃない。だからヤクザのしのぎとして覚せい剤の売買はアリということになる

山口組はそれこそ西どころか全国レベル麻薬撲滅を頑張った(麻薬を扱った連中は遠征してでも潰すと脅した)お陰で、日本ではヘロインコカインの入手ルート殆どありません。コカインで捕まった田代まさしなどは「どんな入手ルートで」と驚かれました

ちなみに大麻麻薬ではなく大麻取締法の分類なのでクスリじゃないです。でもヤクザはあまり扱いません。子供オモチャという認識があるからでしょうかね

では本題の関西お笑い芸人で薬物に手をだす人はほとんどいないはなぜなのか。

…なんででしょうね?

岩井俊二のMOVIEラボ シーズン2を見た

Eテレで今やってるんだけど、シーズン1に比べてすごくつまらなくなった。

進行役に千原ジュニアと誰だかよくわからない女の子が入ったんだけど、いる意味がない。場を捌けないしもたつくし自分が前に出たがるし。

映画の作り手たちがテーマにそってグダグダ喋るのが面白かったのであって、お笑い芸人や誰だかよくわからない女の子がモタモタ時間を浪費してるのを見たいわけじゃない。

「1分スマホ映画ロードショー」がほぼメインという構成もどうかと思う。

2016-01-25

霧島部活やめるってよとダイエット燃え尽き症候群

もうすぐ26歳。

霧島部活やめるってよを見たら、

うわイケイケこわい、こういう女子いたよねー、めっちゃ怖いと

完全にカースト最下位から視点でみてたのに気付いた。

10歳頃からずーっとデブだった。

中高では彼氏はおろか、男友達すらほぼいなかった。

男子ふつうに話したいし話せると思っているのに、

ばかにされたりからかわれるのが嫌で恥ずかしくて普通でいる事ができなかった。

女子の中でお笑い芸人ポジションだった。

高校に入ると男子に対して表面的には無になった。近寄らないことを選んだ。

いけてる男子は乱暴だし、バカだし、油断すると傷つけてくるのでとにかく怖かった。

でも、確かに憧れもあった。それに近づく権利のない自分が嫌だった。

カラオケ屋のバイトで、20歳ではじめて彼氏ができた。

インドア彼氏で、一緒にいてもそんなに楽しくなかったけど、

そのときは恋への憧れと、男性ってこんなもんだろうと思っていた。

その後、何人かとなんだかんだで別れ、

25歳でダイエットした。

平均体重になって合コンに望んだら、

男性がやや引いてるのがわかった。

引いてるっていうか、私がつきあってきたインドアタイプの人に近づこうとしたら、

なんか最初気を使われるっていうか。それで、こういうのいいですよねーとか、いうと、ぱっと表情が明るくなる。

でなんだかんで年上の人とつきあって。似合うといわれるがままに美人百花系の服をきてみたら、

以外と似合う自分がいて。

ものすごくちやほやしてくれるので戸惑って。

面白いとおもって行ったジョークをそんな汚い言葉使いといやがられて。

ああ見た目がかわいくなるということは

いままで努力してなかった内面とのギャップがでる事でもあるのかと思い

なんだかんだでダイエットモチベとか、

綺麗になるぞ!ってやる気とか

いままでのがつがつした感じがなくなって

漠然と「つまんない」自分がいる...

私は幸せじゃないのかな?痩せたら幸せになると思ってたけど、なんでだろ。

キングオブコメディは解散しないとダメですか?

キングオブコメディは解散しなくていいと思う。

その理由一言でいえば、芸人だってアーティストなんだから逮捕されたからといって引退する必要はないと思うからだ。


そもそも、この事件世間お笑いファンが騒ぎ過ぎ、悲しみすぎなのではないか。


キングオブコメディメンバーである高橋健一逮捕されたから解散した。

お笑い芸人が現役として活動している間に女子高生制服を盗んで逮捕された事件だ。


俺もこのニュースを初めて聞いたときはショックだった。だが、時間をおいて考えるとそこまで騒ぐことなのか?と思うようになった。

この「お笑い芸人が/現役として活動している間に/女子高生制服を/盗んで/逮捕された」事件のどの部分がそこまでショックなのだろうか?


そもそもお笑い芸人って何だろう? トーク番組等に出て円滑に進行しつつ笑いを取るという側面もあるが、コントなど一つの作品を作るアーティストとしての側面もある。


キングオブコメディは「アーティストとしての芸人」の活動ならしても良いのではないか?

アーティストなら前科を持ってても良いのか、という人もいるかもしれないが、過去犯罪、それも性的犯罪を犯したが現在活躍しているアーティスト世界はいる。


戦場のピアニストアカデミー監督賞を受賞したロマンポランスキーは13歳の子モデル強姦アナルセックスをした容疑で有罪判決アメリカで受けたのち、 ヨーロッパに逃亡し映画監督を続けている。彼はそのあともゴーストライターおとなのけんかなどの良作を作り続けている。

その人の人格形成に影響しかねない悲劇経験したという意味でもポランスキー高橋は一緒だといえる(大小はあるけど、本人にとっては大事件だと思うから一緒にできると考えられる。)


ただ、どこまでを「作品」と捉えるかは難しい。自分の中ではコントひとつ作品漫才は物による、トークは流動的な部分が多いので作品ではないという線引き。

もちろん今までと同じことをやっても笑いを取れないかもしれないが、それはキンコメなら新しい方向で新たな作品を作ってくれると思う。

友人にこの様なことを話したら、表舞台に復帰が無理だとしてもせめて作家として復帰なら出来るのではないかと言っていた。確かに親交が深いバナナマンの座付き作家になるというのは幸せなのかもしれない。。


特殊性的嗜好を持った人間フラストレーションの発散として芸術活動をするのは健全なことだ。

粛々とすることだけが反省じゃない。自分の過ちを踏まえたものアーティストとして作るのも反省ひとつだ。


仕方ないのかもしれないけど、解雇しなくても良かったんじゃないですかね?人力舎さん…


ワイロをもらっている政治家がその後も活動を続けているのに、自分性的欲求を満たすために犯罪を犯したアーティストが表舞台から追放されているのはおかし倫理観ではないか?

キングオブコメディの復帰を求めるし応援している。 本人たちにその意思があればの話だが。。

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