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村上龍最良の後継者であり震災後文学の最高傑作としての『シン・ゴジラ』(飯田一史) - 個人 - Yahoo!ニュース
『シン・ゴジラ』矢口は福一の吉田所長がモデル(巨災対は福一の現場がモデル)だと思うし原発事故のあと福一の現場と自衛隊以外は(東電幹部とか総理大臣とか)ぐだぐだだったり責任取りたくなくて腰引けてたりしてたとか、現場と自衛隊がふんばったので東京壊滅なんとか防げたの踏襲してると思う
巨災対や自衛隊気にいらんとかゴジラ進化して破壊し尽くすべきと言う人は福一もっと大爆発して関東圏3000万人避難生活(震災当時菅直人が「想定してた」とあとから言ったもの)になったほうがよかったと思っているんだろう。想像の上では。自分にそういうカタストロフ願望がないとは言わないが……
これを言っちゃうとアウトだよな。
是非は別として、この書き手が明確に見間違えている、あるいは見落としていることについて
この映画は「ゴジラという災害」と「日本」の戦いであり、明らかにそれを意識した作られ方をしているということ。
つまり登場人物は誰一人ヒーローではない。フィクショナルな意味でのスーパーヒーローは出てこない。
作中でも語られる通りに代替可能なキャラクターであり、しかし彼らが活躍するからこそ「一人の英雄」ではなく「日本」が見えてくるのだ。
さんざん指摘されているように、ヤシオリ作戦の内容は「ヤシマ作戦」と酷似している。
(①敵がエネルギー充填のため停止中 ②空撃は自動的に追尾破壊 ③日本中が集結)
「シン・ゴジラ」の作中に明確なヒーローとヒロインがいれば、エヴァンゲリオン同様に世界はシンジと綾波の笑顔に集約されてしまう。
熱く盛りあがりたければ自己犠牲を出せばいい。感動的なBGMを流せばいい。スローモーションをかければいい。
感情移入を誘発させて、画面に向かって叫ばせればいい。むしろ観客を感動させようと思うのなら、こんなに簡単なことはない。
それを「ないからダメ」ではなく、「なぜそうしなかったんだろう」という疑問を持って本作と向き合ってもらいたい。
そのうえで、内容が気に食わないのなら仕方がない。自分の好きなものと違うからだめ、という見方はあまりにもったいない。
矢口、カヨコ共に親の七光りであることは強調されているし、なによりあるキャラクターの薬指には指輪が光っている。
だが本作で書かれているのは理想の国家であり、登場するのは理想の公務員たちだ。
ゴジラが本性を発揮し、津波、地震、原発とその表すものが明らかになっていくうち明快になるが、
言ってしまえば彼らは「こうあってほしかった」とされる東日本大震災と原発事故に対応する日本国家だ。
だから彼らには徹底的なリアリティが必要とされ、ストイックさが求められる。
悲劇に立ち向かうたびに恋人に電話して、励まされて頑張る、だとか
田舎に帰って親に説教されて立ち直る、とか 死にゆく前に子供の顔を思い出す などの
よくある展開に飲み込まれない、強靭でありながらステレオタイプに寄り過ぎない国家公務員だからだ。
書き手が疑問に思っている「出世の野心」についてはもっと明快で、これは彼らの軽口にすぎない。
「国のため!」「私たちがやらなければ誰がやるんですか!!」といったような言動は安易にナショナリズムを刺激し、
また誰もが聞き慣れており、その言葉は嘘と虚飾にあふれている。なにより非常に陳腐なのだ。
それこそ書き手が「言わせるなよ」と評した「ゴジラより怖いのは人間」といった表現と同じように。
詳しくはゴジラ(1984)をご参照願いたい。
朝起きれば津波。昼休みに流される車。倒壊する学校。鳴り止まないサイレン。
街が泥水に覆い尽くされ、数えきれない人々が瓦礫の山と共に砕かれていく。
バラエティ番組は自粛、CMは自粛、連日の黙祷、増え続ける犠牲者、行方不明者。
確かにこの頃「何度でもやり直せる!全然OK」等と唱えていたら、書き手に同調する人は多かっただろう。
だが震災より既に5年半が経過している。また先日の熊本大震災、あるいは津久井やまゆり園の例に見るように、
悲しみは絶え間なくやってくる。
そういった中で明るい展望を見出し、これからの立ち直りを示唆することが悪いとは到底思えない。
また繰り返すように、本作は理想の国家公務員たちが作り上げた理想の災害対処である。
書き手が腐るほど見てきたという作品群は、恐らく以下のようなカタルシスの産み方を目指していたものだろう。
→④予期せぬアクシデントが発生する
→⑤とっさの機転で切り抜ける
が、本作はその点を利用していない。しようとしていない。それは映画を見ればわかる。
まずは②にあたるものが本作にはない。作戦の目的以外、つまりどう実行するか?の点について、
本作では最後まで伏せられている。
発破をかけたビルでゴジラを押しつぶすという作戦を観客に提示する、その絵だ。
ビルと鉄道に「日本の技術力、ひいては日本そのもの」を読み取るのもいい。
(今までゴジラに破壊されてきたものの逆襲という背景を深読みしてもいい)
もし書き手が少しでも頭を使って本作を見ていれば、流石にゴジラを東日本大震災と重ねているはずだ。
そこから何も読み取ろうとせずに、フィクション世界の物差しで本作を「ご都合主義だ」と言っているのであれば
読み取り方を完全に間違えている。
本作はリアリティを追求しつつ、観客に「これは東日本大震災のメタファーですよ」「そして彼らは非常に有能な公務員たちですよ」と
前半までに否応なしに畳み掛けることで、
本作の、少しでも間違えたら全てのシーンが冗談になってしまうヤシオリ作戦について「嘘」を認めさせるという高度な作り方をされているのだ。
書き手は「私は震災で家族を亡くしている」などという設定があれば、
・押し潰される団地
・頻出するガイガーカウンター
・明確に原発封鎖を目的としたコンクリートポンプ車に似せたゴジラ沈静化作戦
ここまでされても「ごく自然にゴジラを震災や核と重ねることもでき」ないのであれば、
ここまで書いた文章はすべて無駄で、純粋にリテラシーの問題だ。
褒める褒められないの視点に立ててすらいない。
問題文が読めていないのだから、出した答えが正解しているわけがない。
もちろん、書き手を否定した文章すべての答えが正解であるはずもない。
だからもちろん、こういう人にこそブルーレイを買って何度も見なおしてもらいたい。
映画は何回も見れば見方が変わるものだし、繰り返し話すことで理解は当然広がっていくはずだ。
一回で全てを理解してしまい自分の中に全てを落としこんでしまった人よりも、この書き手は本作を何倍も何倍も楽しめるのだから。
シン・ゴジラみたくてIMAX(2D)で今日見に行った。めちゃくちゃ面白かった。感動してた隣の若い人と熱く語りたい感じだったんだけど、「シン・ゴジラ鑑賞メモ」(http://anond.hatelabo.jp/20160731062112)読んで、その若い人とよく似たようなこと書かれてたので、その人にしゃべれなかった分をここで書く。自分用メモみたいな感じで。
シン・ゴジラ見てまず感じたのは、「すごい映画見ちゃったなあ」という感想。
これだけのスケールでこれだけ「真面目に」「分かりやすく面白く」なおかつ「監督のやりたいこと全部やる」映画見たのってどのくらい久しぶりだろう。
要するに「プロジェクトとして成功した」映画って感じ。脚本から演出の細部に至るまで、まったく妥協・手抜きなし。
ゴジラほんと大きいし怖いし手も足も出ない絶望感すごい。そんで映画としてのカタルシスもすごいある。
ここでこういう流れ欲しいとか、それきたかー!みたいな喜びの連続で、とにかく2時間目がおなか一杯。ワクワクしながら最後まで見た。
最後の最後で、個人的に小さくてすごくいいシーンが一つあった。登場人物の一人の表情にすごい救われて「(演出)うまいなー」と心からうならされた。
これは、個人的に重要なことなんだけど、「いい映画」に絶対いらないのが「分かりやすい悪役」と「可憐なヒロイン役」。
ソレ出せばストーリー作りやすいのは分かるけど、「いい映画」を作る上では大体邪魔になる。なぜならストーリーの自由度がぐっと減るから。
そもそもフィクションで一番大事なのは「感動」で、そのため必要なのは「リアリティ」。
ここまでは誰でも分かる。
問題は「100%リアル」に作ると、それは「面白くない」ということ。
「悪者のいない世界」なんてその典型だ。立ち向かうべき「悪」がないリアルな世界で、どう「感動」を描くか?
世界で一番古いギリシャ悲劇は、悲劇を「(神の定めた)運命に逆らおうとする人間を描くもの」と定義した。
「悪者のいない世界」を舞台にリアルな感動を描くとき、これは大きなヒントになる。だからシン・ゴジラは面白い。本当に面白い。
それから、巷では、自衛隊の全面的な協力・描かれ方みて「プロパガンダだーっ」て意見があるんだけど、そういう心配は無用だと思う。
いい作品って、人にいろいろなことを考えさせるし、人は見たいように物を見る。そういう風に見たらそりゃ見えるだろう。
逆に「反安保映画だ」という批評もあって面白かった。けど、それも本質じゃない。それらは、シン・ゴジラが何よりいい映画だってことの証明だ。
それより監督が自分の欲しい画を撮るために、できるあらゆる努力をした…その結果本当に妥協ない画ができたってことの方が重要だ。
協力を求めるためには、当然先方とWin‐Winの関係を築かなきゃいけない。そのうえで、脚本も映像も、そして映画全体を通した主張も全く破綻していない。
そこに庵野さんのものすごい力量と熱量が感じられた。実は個人的に一番感動したのはそこかもしれない。
日本スゲーとか自衛隊カッケーという感想もそりゃ持つだろうけど、あの映画に出てきた人はみんな魅力的かつ欠陥もあって
(それは主人公も含めて)けど「みんな自分の仕事した」ってとこを見てほしいってことなんだよね。
立場を違えてもそれぞれが自分の仕事をして、わざとらしい失敗なんかは描かれていないということ。
そこに庵野の深い演出意図をオレは感じたなあってことなんだ。みんなが自分の「仕事」をしてる…特定の「誰か」だけではなくだ。
たとえそれぞれの立場が違っても、皆でそれを信じることが本当に本当に大事なことなんじゃないかな。少なくとも庵野はそう考えてたんじゃないかな。
そしてそれが最後にゴジラと日本について主人公が述べた言葉の意味なんじゃないかなと。
そして最後に、
オリジナル「ゴジラ」をはじめ日本の「特撮映画」への過剰なまでのリスペクトを込め、
日本のアニメ界がこれまで築き上げてきたカメラワークや演出技術の力も借りながら、
間違いなく映画史に残る一作だと思う…そのことにホントに同意だということ。
普段、邦画なんて、アニメ監督なんて、怪獣映画なんて、と思っている人にこそ、見てほしい。
それから、スーサイドスクワッド、面白そうだよね。それも同意ww 増田気が合うね。
ちなみに、ブクマに上がってたこの批評はめまいがするほどひどいので読まない方がいい。ネタバレだし。
↓
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49324
(追記)
こういう意見が出てきそうだったから、早々に「左翼だけど」という前置きで賛成意見書いたんだよ!(後出し感)
↓
http://togetter.com/li/1008104
これも当然ネタバレなので、観に行く前には読まない方がいい。…って、もうさすがにみんな見たのかね。
ひとつひとつの情報は小出しになっていて、少しずつ状況は飲み込めてくるんだけど、三巻まで読み進めても描かれている社会全体のシステムや、「なぜ」「それら」が「そうなっている」のかがいまひとつ分からない。というかむしろ物語の基盤をなすそれらの謎がより大きくなっていくのがすごいところだし、面白い漫画なんだと思う。
どの巻も帯の煽りが不穏なのが気になる。三巻では天国の街の様子も描かれていて、それが一層この漫画の分からなさを加速させている。またかつて天国というか現実社会で巨大な地震や津波のような天変地異に見舞われた描写もあって、瓦礫を処理している場面や、それらと無関係に過ごしている現実社会の人々の暮らしぶりを対比させると、東北大震災以後の社会をテーマにしているのかなとも思うんだけど、それだけじゃランドの存在が説明できなくてもやもやする。
全体的に分かっていることと分からないことが明白に色分けされた漫画だから、ミステリー好きが読んで損はないと思う。
股から血がダラダラ出続けて着替えもない風呂にも入れない寝具もまともにない状態になったら、性器や足が血でかぶれてただれ、布団や服や床は血で汚れて悪臭をはなつ無惨な状況になると男性でも簡単に想像がつきそうなのに、着替えもなく風呂にも入れないのにパンツの中に糞尿垂れ流しを強要されるような大ピンチだ。
熊本の震災の時に前の震災で避難所のおっさんが生理用品はエロだから不謹慎と突っ返した、これで十分だと生理用品を一つしか貰えなかったみたいな話を切っ掛けに、ないと本当に困ると男性も知っておいて欲しいみたいなツイートが流行ると、草でもつっこんどけ、女に生理用品を支給するなら男にオナホを男の性欲は大変なんですといったクソリプが山ほど出てきて何か絶望的にバカだなと、あいつらが理解できないの何でなんだろうな。
江戸時代の日本は米・金・銀という三種類の通貨システムを平行して扱っていた。徳川幕府と諸侯領(明治時代以降藩と呼ばれるようになるやつ)が入り乱れた連合国家であった。諸侯領間における政治経済システムの違いは大きかった(要するに戦国の遺風を引きずった藩とそうでない藩があった)。上記のような事情があった結果金融業の発達は著しく、幕末には多くの諸侯がこうした金融業者の支配下に置かれるありさまだった。
などといった問題に対処するために、新貨条例および国立銀行条例が制定した。これらの制度は
というなにがなんだか分からない制度になっていた。しかしこれは当時の国際情勢を考えると仕方がない話で
といった状態で、日本は近代的金融システムを構築するにあたって模範とすべき制度はまだなかった。結果アメリカを真似して兌換券の分権的発行を主軸とする制度が作られた。このため各地に割拠していた金融資本は国立銀行への転換が進んでいった。
しかし殖産興業の進展、西南戦争による莫大な戦費などといった問題に対処するために、不換紙幣の発行を国立銀行に認めるに至った。
結果インフレなど金融システムの混乱が見られたため、ここにアメリカ型分権型金融システムには限界があることが明らかになり、日銀法と旧銀行法が導入されイギリス式の中央銀行制度が導入されることになった。これが 1882 年。
このような経緯があったため、金融資本の再編といった事態にまでは話が進まず、そのまま第一次世界大戦→関東大震災 に突入する。戦争景気による企業の無理な業容拡大と戦後の景気後退に震災によって銀行には不良債権が蓄積された。
上記のように各地に雑多に存在する金融資本は江戸時代のそれを引きずっていたため近代的銀行としては規模が小さく、これによって金融不安が高まり昭和金融恐慌に至った。これが 1927 年(1929 年や 1930 年ではない)。
その状態でさらに 1929 年 10 月 24 日はやってきた。 1930 年にはその影響が日本にも及ぶに至った。
かかる状況の中で昭和二年旧銀行法改正により 1927 年から中小銀行の整理が進められていたが、 1936 年馬場鍈一大蔵大臣により「一県一行主義」が掲げられた。馬場は大蔵大臣としては失格者で財界との対立の結果大蔵大臣から放逐され憤死することになるのだが、翌 1937 年に日中戦争が開戦、日米開戦もほぼ既定路線となるなかで一県一行主義は継続され日米開戦のころには中小銀行の整理は完了した。
こうした集権的かつ計画的な経済運営にあたったのはいわゆる革新官僚たちで、その親玉は吉田茂だった。彼らは社会主義的な経済思想と国家主義的な政治思想を併せ持っており、戦中戦後の日本の内政を主導した。
全然関係ない話だが、社会主義、国家主義、反自由主義という思想セットは革新官僚のリーダーの一人である岸信介の孫の安倍晋三にも受け継がれていることはよく指摘される。
戦後岸が政界に進出したこともあり、結果として一県一行主義体制および統制的な銀行体制はほぼそのまま戦後に引き継がれることになった。もちろん建前上は一県一行主義は廃止され、戦後の資金流通の円滑化のために戦後地銀がいくらか設立されたが大勢に大きな影響をあたえることはなかったのだった。
このような情勢のなかで、戦後日本の金融当局==大蔵省は銀行に対して
を求めて各種の行政指導や各種許認可を縦横にもちいて銀行群をコントロールした。これをいつしか護送船団方式と呼ぶようになっていた。
これは実際うまくいっていた。バブル崩壊までは。バブル崩壊の余波は大きく、護送船団方式では銀行を守り切れないことは明らかになっていた。 1995 年には木津信用組合と兵庫銀行が倒産するに至った。
また長らくの護送船団によって日本の金融システムの陳腐化は著しく国際社会において東京が金融都市としてまったく影響力が無い点も問題とされた。
これらの問題に対処するためとして金融ビッグバンと称し護送船団は解体されてしまった。銀行はここに自由なサービスや投資を行えるようになった。
ところで足元の経済情勢を見るに 1993 年から 1996 年にかけて経済成長率は 2-3% を維持しており、ここに橋本総理大臣はバブル崩壊による不景気は終了したという判断をするに至った。また 1995 年には武村正義大蔵大臣により「財政危機宣言」が出されており財政再建を開始すべきという機運が高まっていた。
そこで橋本内閣は 1997 年、消費税増税などを含んだ超緊縮予算を成立させる。これが大失敗であった。緊縮財政により景気は悪化、金融システム不安は再発し北海道拓殖銀行、山一證券が破綻、翌 98 年には橋本内閣は総辞職、現在まで続く長い長い不景気が始まった。
しかしここに至って護送船団方式の再開は難しく、銀行はノーガードで野に放り出されてしまった。かかる状況のなかでは銀行の経営効率を上昇させるような積極投資は難しいことは明らかで、銀行は合併による規模の拡大によって身を守るという手段をとらざるを得なかった。
結果生まれたのが三大メガバンクである。このような事情によって、消極的な理由で成立した合併であるから当事者たちは乗り気であるはずもなく、旧来の自己の立場の防衛のために果てしない内紛が始まることは、それはもう仕方のないことだったと言えるのではないか。
そのような事情の中で銀行システムの開発にあたる SIer や技術者は内紛の道具の一つとなり疲弊を重ねている。
僕が言いたいことは何か。誰か頭が悪い人が一人いたからこのような状況になっているという訳ではないということ。むしろ一人ひとりができることを着実にやった結果がこうなのだということ。つまり、逆に言えばこの状況を解決する手段など無いということ。みずほの現場で苦しむエンジニアにできることは、逃げることだけだということだ。
のまとめ
性同一性障害で性転換することが夢(手術費が貯めれないと嘆く日々)
イラストより女装コス自撮り(裸も有るよ)+解説+自分語りが多数を占める
過去に野党批判しまくってるのに、その政党からイラストの依頼がくる
26歳で親の借金3000万完済させる。しかし携帯やネット代支払いすらギリギリの生活
4歳の時震災の最中に横暴なマスコミから「じゃまだ糞ガキ」と蹴られる。またA新聞社の配給割り込みを目撃
またATV局に「苦しいよね?怖いよね?」とインタビューを受け子供心に絶対に忘れないと心に刻む
義父はヤク中
母親もまたヤク中で胎児の頃に薬物を摂取する形に・その影響を受け現在も顔や身体に原因不明の異変をきたす
虐待を受けていた
伯母さんと同居していた時には食事に毒を入れられていた
接客アドバイザーなるポジションで仕事していた時ローソンにてお客さんから「ローソンでホテル並の接客されるとは思わなかった」と言われた! (ほぼローソン夜勤バイトの事だと特定される)
全て本人のTwitterより ツイート数 52,000以上 つぶやきまくり
以上。
下に予想の根拠を示しておくけれど、週刊誌とかネット記事とかには一切頼らずに、過去の選挙結果をもとにして完全に独自の見解で予想したものなので、当たる保証はもちろんない。
◎山添拓 (共産党) 65万票
【解説】
前提として、有権者数1100万人くらいで投票率が50〜55%程度だとすると、有効投票総数550万〜600万票を奪い合うという形。
(18〜20歳までが初めての選挙ということもあり、投票率は前回(53%)より多少低くなると予想)
抜群の知名度に加え女性からの支持も熱く、誰も太刀打ちできないだろうと。
民進党逆風の影響はあまり受けなさそうではあるが、とは言え、前回選挙の2010年時は震災前の民主党政権下で、事業仕分けなどで活躍する全盛期だったことも考えると170万票から20万票ダウンの150万票と予想。
一方で、同じく現職民進党候補の小川さんは、党内の要職に就き経験も豊富だが、逆風の影響をもろに受けて大幅に得票ダウンで30万〜40万票の当選圏外と予想。これにより民進党は1議席減。
共産党の新人山添さんは、基礎票55〜60万票に加え、護憲派の無党派層からの上積みも期待でき65〜70万票と予想。
自民党は2候補とも、無党派層からの人気はあまり期待できないが、今の情勢を鑑みるに2人合わせて120〜130万票は固い。
党内の票割りのバランスが崩れたら朝日さんの落選もなくはないが、票割りが苦手なのを克服しようと自民党も色々調整するだろうから2人とも当選するでしょう。
で、注目は、
前回、前々回のみんなの党・日本維新系の票は間違いなくここに流れるでしょう。
残念ながら、若者(の一部で)大注目の三宅洋平さんは当選圏外です。
大選挙区(全県選挙区)の参議院選挙は知名度と組織票(基礎票)がものを言います。
たった2週間の頑張りで覆せるほど現実は甘くない。
それでも、イデオロギーへの共感というよりは、政治に新たな風を吹き込むという空気の大きな変化に期待して25万票と予想。
ひょっとしたら残り1週間の頑張り次第では、護憲派の無党派層の票を食う形で30万票の大台に乗る可能性もあるけど、30万票超えたらマジですごいと思う。
そうなったら、時勢によっては、無所属のままでも次は当選しちゃうかもしれない。
ちなみに前回の山本太郎が66万票獲得したのは、社民・新社会・緑の党からの推薦があってのことだし、俳優としての圧倒的な知名度が武器になったというのは言わずもがな。
元議員の横粂さんは、知名度や人気が高いとはいえ、伸びても15万票程度か。
(てか社民党の基礎票ってもはや15万票もないかもな。どれくらい瀕死の党なのか予想も付かないけど)
参考までに、前回・前々回のおおまかな選挙結果を示しておきます。
◎松田公太 (みんな) 50万票
●桐島ローランド(みんな) 32万票
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
やっぱり、政党の持つ力はすごいと思ってる。
YouTubeの演説動画の再生回数が30万回に達しようが、渋谷の駅前に1〜2万人集まろうが、そのうち都内に住んでる有権者はどんだけいるんだって話だし、全国比例でもない限り、選挙区ではネットの力だけでは勝てないよ。
あと、いくら、政策をきちんと見極めて選ぼう、感情論や陰謀論には騙されないぞって思っても、何年も前から必死こいてチラシ配ったりポスター貼ったり、毎日のように駅前に立って挨拶したりしてる人が勝つんだよ。
選挙ってそういうもんなんだよ。
少なくとも今はまだね。
んじゃ。
http://anond.hatelabo.jp/20160523200124
男が知らない(であろう)話でもしようか
http://toianna.hatenablog.com/entry/2015/06/01/215659
http://a-mp.jp/article/3496 ここにある、生理を擬人化してコミカルに描写したyoutubeの動画もなかなか良かった。入門編としては大変ナイス。
このエントリはおりものシートとかPMSの症状とか個人差とか、排卵期の心身の変化など、生理痛とその前後がキツい私にとっても詳細を網羅しているなと思える内容でとても良かった。震災などで痛み止めも生理用品に絶対含まれねばならないものだ。
私は痛み止めがなかったら、1日目は激痛のあまり失神したり嘔吐したり、座ることすらできなかったりする。
さてそれでは、生理前のあのしんどい症状によって引き起こされたメンタルの不調により私が起こした行動でヤバかったものを3つほど挙げたい。
私は落ち込みが強く出るタイプで、イライラしたり当たったりはあまりしない。自らを責め続けるのみである。
それでは、ワースト3の発表。
3位 遺書を書く・・・・死のうと思ったので。翌日読み返して冷静になった。
2位 ホームセンターにロープを買いに行った・・・上に同じ。実行しようとしたがいろいろなことが起こり、断念。
死のうと思ったので、死ぬ前に短期でお金を溜めて今までやりたかったけどできなかったことなど、豪遊してこの世への未練を断ち切ってから死のうと思った。もう死ぬと思えばハードサービスでも全然平気だった(知らない方のために書くと、風俗の区分の中で本番行為が違法でないのはソープのみであり、高級店はハードサービスをしなければいけないから高級なのだ。詳しい内容は調べれば出てくるので割愛)
受かったしデビューの日も概ね決まっていたが、生理が始まらないと低用量ピルが飲めないので(理由はググって)、生理が始まるのを待っていたのだが、生理が始まったら当然ながら冷静になって丁重にお断りした。
もちろん、若干抑うつ傾向はあるものの生理前でなければ私はこんなことしようとも思わない。
こんなことでは日常生活が送れないので、低用量ピルを飲んだら超劇的に改善した。もっと早く気付くべきだった。
でも1か月分で3000円くらいするからキツいんだよなあ。
男も女も、自分のPMSも他人のPMSも、けして甘く見てはいけない。
追記:私の収入は一人暮らしの手取り14万程度だ。わけあってフリーター。そんな人間にとっての月3000円の価値は、おそらくあなたと違う。
http://anond.hatelabo.jp/20160603174041
id:masudamaster (注:アンビバ女々)あんたはネットに飽きてくると「あたしはリアルにもちゃんとした友達いますから宣言」して、リアルに飽きてくると「あたしは人付き合いが苦手で~」ってネットに来る。そんな人間は信用できない。
id:atuix おまえに信用されなくても・・・
id:deamu (注:水素水)ニセ科学と宗教を同列で語ってこういう商売を擁護する姿勢は、真摯に研究に取り組んでいる科学分野にも宗教にも本気で失礼な行為だと思うんだが。
id:u_eichi それでも俺は、伊藤園ファンだ。震災時、全ての在庫は救援物資であるとして迅速かつ大量に被災地に飲料を届けた姿勢を応援する気持ちは変わらない。|だからこそ、その消費者をバカにした商売はどうかやめて欲しい。
id:ninosan こんなのとっくに答えが出てて、スパムイズムとかスパム熊とかスパム祭とかスパムの読み物にみんな嫌気さして仕方ないんだよ。それならせめてブクマのブクマで盛り上がるのがマシってこと。わからんかね?
id:atuix わかるわけねーだろ低能w スルーできてない言い訳にしかなってないw
id:ninosan ↓痴れ者がなんかわめいてますな
id:dobonkai 互助会と同じみたいなこと言ってるけど互助会はブクマの返報性を期待してるわけだししかも一回だけのノリってわけでもない。その集団は同一のブログを永続的にホッテントリに上げてくるから嫌われてるんでしょ?
id:atuix 見苦しい言い訳/互助会批判をしているクズはたいていホッテントリ汚染を名分に掲げているわけで、返報性やらの内面否定だなどという筋の悪すぎる主張をしている奴はいない。
id:dobonkai お前の偏った狭い観測範囲で得た知見で互助会のなに決めつけてんだ?互助会に関してお前みたいな筋の悪すぎる主張をしてる奴は他にいないわ
id:dogear1988 「批判を受けそうな記事」という認識自体がブロガー特有の病気を表している。あの記事でひけらかされた価値観は正真正銘の下衆だ。「批判を受けそう」などという次元の話ではない。君の言葉に「思い」など無い。
id:dussel 右翼系の市民がさんざんやって来た「集団で恫喝して表現活動萎縮させる」を左翼系がやってどうするのよ、って話と思うが。「ヘイトスピーチを許すな」という話とは切り離し可能では無いのか。
id:atuix んなわけねーだろ低能。そういうのは常に声を上げていた奴が言えることだよ。声をあげるタイミングが完全に間違ってんだよクズ。
これはブコメとかに元々福島県は北関東とか言われてたとか栃木茨城が東北だとか新潟が(ryとか書いてる人多いしそんなの福島県民なので当然知っているが
この生協のやつはどうみてもそういう話じゃないと思うんだが。
だって東日本大震災があって原発問題があって、あれだけ東北東北福島福島連呼されてたのにいまだに福島県を東北じゃないと勘違いしてる人なんていなくない?
と思ったんだが九州あたりではいまだに福島県の場所も知らないような人がいっぱいいるの?
西日本のテレビとか新聞では震災の報道とかあんまりされてなかったのかね?してても見てない人多かったの?
おれは福島県民だし地理の勉強なんてしてないけど九州には何県あるとか場所とかそのくらいはわかるんだが。。
でも正直熊本の地震のニュースとか見てると、東日本の教訓が生かされなかった部分が目に付いたし他国の出来事並に他人事としてしか見れてなかった人が結構いたのかね。。
よくよく考えると福島県内でも会津・中通り・浜通りで現在でも震災関連に対する温度差のようなものを感じるのも事実なんだよなぁ。
別に被災者の苦労を知れとか理解しろとかいうつもりでもないし経験した人間にしかわからないことはあるので完全に共有できるものではないが
そのとおり、無碍に捨てられないからこそ、オバマとそのブレーン達はすげぇ、と思うよ。
必要なコストがほぼ零に近いのに、日本の記念館に政治的メッセージ性の強いものを残して、上手く行けばそれを未来永劫展示してもらえる。
一方、日本としても幾ばくかの保管コストは払う必要はあるが、そこまで負担になる大きさでも無いので、なんとなくなあなあで終わるだろ?
折り鶴というアイテムの使い方として一番いいとこ取りしたと思う。よく日本を研究しているよな。素直に感心する。
震災の時の支援物資だって、その箱の隅っこに数羽忍ばせる位なら美談で終わるんだよ。
今回だって、ホワイトハウスの職員総出で何万羽もの大量の折鶴送られたら最終的には燃やすしかねえけど、コメントのとおり大統領名義で送られたものには処理にさぞ苦慮することだろうな。