はてなキーワード: 親バカとは
保育士実録 でこ先生
第40話 静かな怒り pic.twitter.com/EIv9ZIVsRy— でこぽん吾郎 (@Dekopon_56) March 9, 2019
https://twitter.com/Dekopon_56/status/1104291742344343552
保育園で娘が友達の男の子のほおにチュッとキスをしたのを見て温厚そうなお父さんが般若フェイスに豹変するという話なんだけど、リプライが予想外すぎた
「娘を自分の所有物と勘違いしている最低のお父さんですね!」のオンパレードだと思ったらぜんぜん違って困惑した
覚えてる人も少しはいるかもしれない(一応はてブのトップにはなった)ので、この話のその後を書いておく。
https://anond.hatelabo.jp/20171009132802
娘は母乳もミルクもよく飲むし、よく寝るし、よく泣くし、まとめると健康そのものだ。
彼女(今は妻)も会陰切開の後が痛そうなのを除けば、順調に体力を回復していっていると言って良い。
今まで妻には、喫煙を疑っていることや、ベランダにライターが置いてあるのに気づいたことは一度も言っていない。
せいぜい、先の増田でも挙げたような「健康に気をつけようね」というような遠回しなことを言うだけだった。
で、これはブコメでみんなに相当叩かれた。
「キモい」とか「お前と付き合ってることからくるストレスじゃねえの」とか「別れてあげなよ」とか「喫煙者差別すんなよ」とか。
最後のやつは未だに俺もよく分からんのだが(他の喫煙者はどうでもよくて自分の彼女にだけたばこをやめてほしいと願うのは差別なのか?)、
確かに俺の行動や発言は第三者から見たらキモいかもしれんし、そんな男と付き合えばストレスだって溜まるだろうし、
これ以上彼女を俺のこだわりや執着で追い詰めるくらいなら解放してあげたほうがいいのかも、とも思ったりした。
ただ、その後なんだかんだで彼女に給料3ヶ月分の指輪を渡してプロポーズしたら喜んでくれたし、
妊娠が分かったときは「好きな人の子どもを産めるなんて本当に幸せ」と何度も言っていたし、
今は娘を抱っこしながらずっとあやしている俺の親バカぶりを、目を細めて眺めている。
あのときのブコメたちを真に受けて、はっきりたばこ疑惑のことを告げるか、もしくは別れようと彼女に言っていたら、
今のこの幸せな生活はなかった、俺も彼女も娘に会えなかった、そう思う。
妊娠発覚後、ベランダでライターを見る日はなくなった。大好きだったお酒は一滴も飲まなくなったし、
刺し身やローストビーフなど火を通していないものも一切手を付けなかった。
悪阻で気分が悪いときは無理をせずずっと横になっていたし、妊娠後期はヨガやウォーキングなどの運動をしたりして、
それはもう模範的な妊婦だったと思う。俺はそんな彼女をずっと見てきた。
俺は彼女のことをとても尊敬しているし、信頼しているし、また彼女も俺のことを信じてくれている。
そこに多少の疑惑はあるかもしれない。自分が相手に相応しくないという自己嫌悪もあるかもしれない。
そこをお互い全部吐き出してすっきりさせないことには、完璧な信頼関係はないのかもしれない。
でも、それを大げさに考えずにちょっと目をつぶるだけで手に入れられる大きな幸せがあるならそちらをとる、という選択肢もあっていいと思う。
あのときはてブで俺を叩いた人の中には納得しない人もいるかもしれない。ただ、今の俺にとって、妻にとって、娘にとってはこれが正解だと思っている。
ともあれ、あの増田を書いたことでいろんな気付きがあったと思う。そういう意味であのときのブコメには感謝しています。
皆様、よいお年を。
クソみたいな気持ちを成仏させるために書いたらとんでもなく長くなってしまった。便所の落書きよりひどい。
大学卒業後就職して今日に至るまでの7年間、上司と不倫関係にあった。ドラマや映画、巷に溢れる不倫のイメージとはだいぶ違う関係だった。いや、していたことは一緒なんだけれども。とにかく今、唯一の連絡手段のLINEで彼をブロック削除した。
月1、2程度セックスする関係だった。連絡が来たら私の家でセックス、2時間弱でさようなら。一番初めに一度だけ食事をしたが物は何もあげていない、貰っていない。私から連絡したことはない。LINEでのやりとりは、今から会える?→大丈夫です/今家にいませんごめんなさい/今生理中ですごめんなさい。それ以外のやりとりは0。
初めて関係を持った日の明け方、頭に叩き込んだ。何も求めない。穴だけ差し出せ、余計なことはするな。私に求められている役は、使いたい時いつでも使える無料の穴だと承知済み。だから話す時は必ず敬語、名前は職場と同じように◯部長と呼ぶことを徹底した。
家に来る度いつもスマホを躊躇いなくスクロールして、写真を見せながらご家族の話をしてくれた。公園でお子様の自転車の練習を手伝う美しい奥様、旅先ではしゃぐかわいいお子様。
このかわいさ、親バカかもしれないけどキッズモデルになれると思わない?性格が俺に似てるんだよ、余計いじらしくて。彼氏とか絶対許さんよ(笑)一人暮らしさせるのも不安、変な虫がつかないようにしなくちゃ。大学の頃、仕送りどのくらいだった?嫁も仕事復帰してくれて教育資金貯めてるけどなかなか大変で、もっと頑張らなくちゃいけない。
嫁とは社会人2年目で結婚したよ。美人?よく言われるけど実は外見は俺の好みのタイプとは違うんだよね。結婚の決め手?性格やものの考え方、特に家族に関する考え方が俺と同じでさ、この人と一緒に生きていきたいと思ったんだよね...
写真に写るお子様はとてもかわいくて、才色兼備の奥様を心から羨ましく思った。恨み辛み妬み嫉み僻みその他負の感情は一切抱かなかった。いや、抱けなかった。勝ち負けもなかった。土俵が違った。なにもかもがダメな私とあらゆることが違いすぎた。
ないものばかりの私にないものが全てあるのは勿論、一際輝くものを沢山持っていらっしゃった。生得的なものも、努力で手に入れたものも、何もかも眩しかった。
だから自分は穴でしかないと毎回確認できた。私は人間ではないのだと理解できた。
余計な口は一切聞くな。生きている穴に徹しろ。醜く貧相な顔と身体のせいで彼が萎えてしまわないよう一所懸命演技をした。ごくたまに私の私生活へと話題を振られた時は、昔付き合っていた男性との話を小分けにして話した。時には友達との思い出を男性との思い出のように話した。そもそも穴の話など誰も興味はない。自分から発話する時は極力主語が"私"にならないよう心掛けた。
穴はあなたに執着していませんよ。恋愛感情なんてないですよ。形に残るものも、何もあなたに求めませんよ。誰にも話していません。誰も私みたいな奴がこんなことしていると思っていないですし。SNSにも匿名の場にも私の痕は何一つ残しません。なので、使いたい時いつでも安心して使ってください。なるべく便利な穴でいられるよう頑張ります。
そういう態度を7年間取り続けた。だから7年間も続いてしまった。
しかし、彼の気持ちが私に全くなく、彼にとって私が穴でしかなくとも、そしてそのことを私が承知していても、既婚者とセックスしているので私と上司とは民法上の不倫関係にある。そんなことより何より奥様やお子様がこのことを知った時どう思うか。気持ちがないからマシだという話ではない。どんな気持ちにさせてしまうか。どれだけ傷つけるか。
ご家族がまだ知らないからこの愚かな行いを続けるのか?一生かけても癒えないかもしれない深い傷をつけるのか?どの口で憧れだなんてほざくのか。家族の待つ家に家に帰るのを2時間弱遅らせ、その分"お父さん"の時間を奪っているのは紛うことなきこの関係、私が自らの意思で続けている関係だ。
幼い頃、平日は父におはようしか言えないのが寂しかった。深夜お手洗いに目を覚ましてもまだ父は帰って来ていない。翌朝早起きして仕事に出る父を見送った後、お父さん昨日は2時に帰ってきたんだよ、お仕事大変だったのと母は言う。そんな職種じゃないのに。
受験のため通い始めた塾には、帰りが早くなった父が毎回迎えに来てくれていた。父は毎回必ずコンビニに車を停めて、ちょっと待ってねと私に声をかけた後聞いたことのない優しい声でどこかに電話をかける。最後には必ず、また明日と名残惜しそうに言って電話を切る。その後、お菓子かアイスを買ってくれて静かな車内でそれを食べながら帰宅していた。これから家に帰るんだから母ではない。部下にはいつも詰問口調だし祖父や祖母とも違う。電話の相手は一体誰なのか、毎回疑問に思っていた。ただ、決して誰なのか聞いてはいけないということだけなんとなく分かっていた。
最近久しぶりに思い出して、あれは不倫だったとようやく分かった。家族での外出中、鳴り止まない携帯の着信を無視する父に母が激昂していた姿も思い出した。あの頃寂しかった私がこれ以上こんなことを続けてはだめだ。
上司は仕事が出来、優しく余裕があり、仕事の話もプライベートな話もとても面白い。初めて顔を合わせて挨拶した瞬間、ああこの人のことを好きになるなぁと何の根拠もない直感が走ったが案の定、一緒に働き始めてからすぐ上司を好きになった。周りから、×さんのこと◯部長が褒めていたよと話を聞くと浮かれた。あまりにもベタなパターン。私の目はハートマークを隠せていなかっただろう。思い返すと苦笑しか出てこない。だからプライベートの連絡先を聞かれて嬉しかった。一緒に食事をとっている時、これは夢なのかと思った。
ネジが外れている大馬鹿女だから、ご家族の話を聞くとますます好きになった。こんなに素敵な人だからこんなに素敵なご家族がいるんだ、いや、素敵なご家族がこんなに素敵な人を作っているんだ。そんな人が、好きな人が、身も心も醜い私の穴を使ってくれる。せめて求められた穴役だけは完璧に、穴でいいから求められていたい。気持ち悪いことを考えていた。
しかし頭の悪い私に自分をコントロール出来るはずもなく、毎晩泣いていた。何もかも違いすぎる、あまりにも遠すぎる。だからこそ好きで好きで仕方がない。自分にないものを持つ上司に勝手に引力を感じてしまう。上司で自分の欠けた部分を埋められるような錯覚に陥ってしまう。自分の馬鹿さに呆れる。穴として求められることに必死にしがみついている、惨めで哀れな救いようのない馬鹿。
私が断れば終われるのに断れない。会えるのが嬉しいから。たくさん自分で自分に言い訳をしたが、結局自分が会いたいかっただけだ。自分を卑下すれば許される訳でもないのに。自分勝手な気持ちに蓋ができなくなる度、深夜汚い声でわんわん泣きながら人気のない場所まで車を飛ばした。
仕事後、その後予定もなく真っ直ぐ家に帰ってもメイクは落とさなかった。連絡が来るかもしれないから、2時までは極力起きておく。友人と出かける時もずっと携帯が気になって仕方がなかった。アロマが好きだったが炊かなくなった。万が一匂いをつけてしまってはいけないと思ったから。私に興味を持ってくれた人からの誘いを断り続け1人の世界に閉じこもった。
私がそうしているうちに、遠方の友人からの恋愛相談は結婚の報告とお式への招待へとだんだん変わっていき、気付けば友人の半分以上が結婚し家庭を築いている。残りの友人も、恋人と同棲をしていたり、趣味にいきいきと取り組んでいる。何も変わらず空っぽのままの自分が惨めで恥ずかしい。
両親からのいい人はできた?という質問、祖父や祖母からの×ちゃんの花嫁姿が見たいなという言葉、全部笑って誤魔化してきた。ごめんなさい。本当にごめんなさい。7年間ずっと彼のご家族をご家族の知らないところで傷つけ、誰にも顔向けできないことを自分の意思で続けてきた。加害者の自分からもう目をそらしてはいけない。そして正直、毎晩泣くことに疲れた。
本当は最後にもう一度だけ連絡を待って、世界一好きだったと伝えて終わらせようと今朝まで考えていた。でも、そんなことをしたら気持ち悪がらせてしまう。引き止められる可能性もまあ0%ではない。何よりこの期に及んでも自分に酔っている気持ち悪さ。
慰謝料のための貯金も目標金額に達した。奥様やご家族が求める裁きをきちんと受ける準備をする、自分の罪と向き合う。
それから私なんかと関わりをもってくれている人達の幸福をしっかり大切にできる、人間にならねばいけない。人間になりたい。それには私が悪行を断たなかった7年間以上の時間が必要だろうと思う。
ご家族と一緒にどうか世界一幸せになってほしいと思う。私なんかが願わずともそうなるのだろうと、いやもうとっくにそうなのだろうと分かっている。というかそもそも、上司もご家族も私なんかに願われたくないだろう。我ながら気持ち悪い。それでもどうか心の中で願うことだけ許してほしい。
業務の引き継ぎに必要で、私の資料に書いてくれた直筆のメモが嬉しくて、こっそり写真に撮って時々眺めていたが、これは連絡先と一緒に消した。残ったのは私の頭の中の記憶とこの文章だけだ。話してくれたことはどんな些細な内容だって全部覚えている。忘れたくなくて何度も繰り返し思い出してしまう。これもやめなくては。
(フレックスなので何時に出社してもいいが出社時刻をチームのグループラインする慣例がある)
・家庭のイベントで有給休暇をとり、イベント中の写真をグループラインに送りつけてくる
などなど。
相手は役職ないけど、在職は自分より長いので先輩にあたり、しかも業務内容も同じなので無下にも絡まないわけにもいかない。
子ども自体は好きでも嫌いでもないけど先輩の行為が本当にストレスでたまらない。
親バカなラインに対して、チームメンバーが「かわいい~♡♡」というような返事を送ってるのを見るのも地獄。
人の子どもなんてまったく興味ない、ましてやたまたま同じ場所で働いているだけの同僚の子どもなんて。
上司の男性も結構な親バカ(子煩悩)なので不愉快、ストレスに思っていることを伝えるのもはばかられる。
子育てはネガティブな話が目につきやすいので、ポジティブな話を書いておきたい。
妊娠38周目。
医者にはまだまだと言われたけど、なんとなく予感があったので入院グッズをまとめるために買いものに行った。(ちなみに2日後に生まれた)
行きはよかったのに、帰りに息切れして休み休み歩いていたら、後ろからきた男子中学生が「買いもの袋を持ちます」と言ってくれた。
もう限界だったので、「ありがとうございます。お願いします」と伝えたら、「…………いえ」と返事があった。
そのあとは無言だったけど、彼の耳はずっと真っ赤だった。
恥ずかしかっただろうに、勇気を出して声をかけてくれたんだと思うと、心からうれしかった。
ちょっと大きな病院に行く用ができて、子連れで初めてバスに乗ったとき。
ベビーカーが段差つっかえて、うまく上がれず四苦八苦していたら、近くにいたおじさん2人組が大慌てでやってきて、一緒に持ち上げてくれた。
お礼を伝えたら「おじさん、なかなかやるだろ?」と子供に声をかけてくれた。
ちょっとキュンとした。
子供がトテトテ歩きから卒業し、バタバタと走るようになったころ。
パパが帰ってくると、いきおいよくドアを開け、バタバタと駆けていって「パパ、お帰りー!」と言うようになった。
帰ってきた旦那にとって、それがたまらないらしく、熱烈な抱擁をしたあげく「お前、天使だな!」とか言ってて笑った。
昔は、「子供嫌いだから絶対に持たない」とか、「俺、結婚に興味ないからしない」とか言っていたのに、いまじゃただの親バカだ。
「ぎゅー」と言いながら抱き合っている旦那と子供を見ていると、幸せだなあって思える。
イヤイヤ期まっさかりだし、パパは出張しているからワンオペだし、トイレトレーニングもしんどいけど、今日もがんばろう。
がんばろう。
その昔、アンパンマングッズを買い込む親御さんを見て、子供にせがまれたんだろうなぁと思ってた。
アンパンマンショーに付き合わされる親御さんを見て、振り回されるのシンドソーと思っていた。
でも、子供(1歳未満)を持って思うこと。それはアンパンマンが必要としてるのは子供じゃない。その親だってこと。
グッズを買い込むのは親バカだからじゃない。泣き叫ぶ夜泣きの我が子が遊んでくれて寝てくれないと、自分が寝てないのだ。
アンパンマンショー見て楽しんでる間に親は自分のことができるんです。
カネで解決できるなら、それ以上ない。アンパンマンマーチも子育てに悩む親への応援歌なんじゃないかと。
頑張れお父さん、頑張れお母さん
愛犬が死んだ。
もう5日前のことになる。貴重な体験だと思うので文字にしておきたいと思う。もう心の整理はついているので、慰めたりしてほしいわけではない。ペットを飼っている人の何かの参考になれば、同じ動物好きとして嬉しい。
親バカでしかないが愛犬は「いい子」だった。お手、お座り、待て、伏せなどの芸をすんなり覚えた。散歩の時は自然と人の歩に合わせることを覚えた。おかげで足の弱ったじいちゃんの散歩にも付き合うことができた。じいちゃんの散歩は1人と1匹になり時間も距離も伸びたようだ。散歩の時にはどんな犬と出会っても仲良くした。吠えられることはあっても、吠えるようなことはなかった。近所の飼い犬とはお友達になった。野良犬さえ、愛犬と何やらコミュニケーションをとっていた。当然、人当たりも良く、ご近所のみなさんに愛された。散歩中に、近所の小・中学生によく遊んでもらった。お前はいつも楽しそうだった。怖がる子も、お前がペロッと舐めると笑顔になった。番犬としてもしっかり働いた。家族やご近所さんの足音をしっかり覚え、聞きなれない足音にしっかり吠えた。本当にお前は理想的な飼い犬だった。
大きな病気もせず、スクスク育ち元気に生きた。年老いて体が弱ったが、それでも死の2日前まで日課の散歩を続けた。死の前日に、以前から弱っていた後脚が立たなくなって寝たきりになった。急激に食欲が落ち、水を飲むのもめんどくさがるようになった。それでも自由のきく上半身で、お前はいつもの愛嬌を振りまいていた。家族の一挙手一投足をお前は見ていた。半日だけ有給を使って、ぼくが実家へ帰ってこれたのはこのタイミングだった。
夜には呼吸が苦しくなってきたようだった。自分で体勢を変えられないので、時々体を動かしてあげた。ただ、どうしても楽な姿勢は見つからなかった。それでも、一瞬は楽になるらしく、その間だけ眠っていた。最後の夜をゆっくり眠らせてやれなくて申し訳ない。でも、最後の夜を一緒に過ごしたことをぼくは忘れないだろう。ただただ生きようとするお前の姿があった。
最後の日の朝。とうとう上半身も動かせなくなった。僕が朝食を食べていると「自分にも分けろ」と甘えた鳴き声を出し始めた。でも、口元に食べ物を持っていってもお前は食べられなかった。精一杯の愛嬌だったのだろう。もう眼も鼻もきいていないようだった。ほどなくして意識も失われた。お前はお気に入りの、部屋の日当たりのいい場所で眠るようだった。
母が仕事のために出かけた。その音が耳に入ったのか、お前は意識を取り戻した。最後の力を振り絞ってか、動かない身体を動かして窓から外を見た。いつも誰かが出かけると、窓から家族を見ていた。自分も連れて行って欲しかったのだろう。その気持ちが最後の最後で身体を動かしたようだった。ほどなくして意識がなくなったようだった。最後の力を使い果たしたのだろう。ほんの少しの痙攣のあと、お前は旅立ってしまった。ぼくが仕事に出るわずか10分前のことであった。帰省できたのはわずか12時間程度だった。最期を見届けられるとは思っていなかった。最後に会えれば十分だった。おまえはいつも、本当にタイミングがいい。
僕たち家族は十分にお前の死を受け入れる準備はできていた。お前はそれだけの時間をしっかりつくってくれた。それでも涙が出てきた。どんな本を読んでも、泣ける映画をみても、泣いたことの無い僕が泣いた。たぶん、痛みや苦しみ以外の理由で僕が泣いたのはこれが初めてだろう。溢れ出る感情というものを初めて知った。
仕事のために家を出た。電車の中でも少し泣いた。職場で仕事をした。いつも通り仕事をしたつもりだけど、今思えばそんなことはなかったのだろう。一人暮らしをする家に帰り、夕食を食べた。徹夜ということもあって少し疲れたので、近所のスーパー銭湯に行った。不思議なことに、いつもは混み合う銭湯が空いていた。露天風呂にのんびりとつかった。突然、涙が溢れてきた。30分ほど泣いていただろうか。色々な思い出が頭を巡った。
最後に、愛犬に思うことは「感謝」である。本当に「いい子」だった。もともとは他の家の子になるはずだったのに、不思議な縁で我が家にやってきた。いつも家族のみんなを笑顔にした。イタズラをすることもあったけど。家族が成長し、それぞれの暮らしが始まっても、愛犬が家族をつなぎとめた。愛犬は家族の楔だった。
小学生の娘がいる。
ちょっと勝ち気なくせに、実はボンヤリしてて話を聞き漏らしてたりする。正直、学習についていけてるか心配しながら一学期が終わった。
ここにきて更に心配していることがある。
二学期になって、落とし物や亡くし物、忘れ物をしない日がない。
友達からは長い休み明けはみんなそうだよー…とも言われたし、確かにそうかもと思いつつ、病気か障害じゃないんだろうかと不安にもなる。
例えばルーティンになっている週一持ち帰る上履きや、毎日の給食袋。
上履きは洗わず使えばいいし、給食袋の予備に洗った箸やマスクを持たせ、二つ持って帰るように言う。
昨日の事。
持っていった赤白帽がなく、注意した担任に「家に忘れました」と話したらしい。連絡帳にも『帽子を持たせてください』と書かれて帰宅した。
帰ってから「ママ、赤白帽子いれてなかったー」と、文句を言う。娘と確認して週末揃えていれたのに。
「家からは持っていったよ。着替えるときに入ってるか見た?」と聞き返した。
「あった。でも、着替えた後になかった」と、あっさり話す。
大人としては、「家に忘れた」と「学校で着替えの最中に見失った」は大違いだ。
他意はなくとも、デタラメか嘘だ…と、私は感じる。
この他にも毎日何かを「無かった」「忘れた」と話す。
一緒にでかけてもトイレの個室に鞄を置き忘れる事は、ここ数年何度もやらかしてきたし、
一向に改善されないまま小学生になり、幼稚園の頃よりずっと増えた道具に悪戦苦闘してるんだろうなと思いつつも、親としてこう毎日「何かがない」と話されると「バカなの?」と応えるようになってしまっている。
子がバカなら親もバカで、昨日は「なんで先生に『家に忘れました』なんて言うの?」と怒鳴ってしまった。
ここ一週間、私が怒りすぎてどうにかなりそうだ。書ききれないほどあり、ほとんどルーティンに持ち帰ったり、移動教室で使うものだったりする。
私が小学生の頃も忘れ物をしなかったわけではないし、その場しのぎの嘘を先生に話して事を荒立てないようにしたこともあるの。
しかし、「袋の中にあった」「気付いたらなかった」「先生に忘れたって言った」「なかったから、明日までにいれといて」となると、説教だけでなく、怒りの感情がおさまらない。
いくら可愛いとはいえ、娘に向き合う気持ちにならないほどで、きっと今日は般若のような顔で出迎えるに違いない。
ましてや、昨日発覚した無くしものは他にも二つあり、今日登校したら探してみるようには言った。でも、無いだろうな。
明日の準備をする時には「保護者のかたも一緒に確かめあって準備をしてください」とお便りにあるので、その通りしているんだけど。
ここで怒らず、どう応対するのがいいんだろう。
はてなーの皆さんにお伺いしたい。
私が今まで育てた通りに育ってるのは承知で、育て方伝え方が悪かったんだろうと思う。
でも敢えて。
豊田議員並に怒鳴られ育ったことはありますか?その時、どんな怖さでしたか?
そして、今は親にどんな思いですか?
憎いですか?(ですよね)
いたらぬ母に教えてください。
皆さま、いたらぬ母増田です。
全てのトラバもブクマのコメント、読みました。心から感謝します。ありがとうございます。
赤白帽あったの、隣の席の子が被ってたよ!自分のかと思ったんだって返してくれた、と喜びながら帰宅しました。
そして、汗ふきタオルはお道具箱の中に置いてきちゃった…ごめんね、と話してくれました。
行きつ戻りつでも、話してくれた安堵と、こちらでも叱咤激励頂いた余韻のなかで娘の喜びを受け止めました。
数人の方が書かれたように、娘は1年生です。すみません、何度も書き直すうちに書き漏らしました。
一学期に、体育のあと制服に着替えてる途中に机から体操服を着替えて(落としたらしいが気付いてない)たらなくなったと泣きながら帰宅したことがありました。
担任にはその日伝えられたらしいのですが、連絡帳にも書いたところ、翌日に全員で持ち物確認してくださり、斜め後ろの子が持っていたということがありました。
その際には「机から落とすと、誰かが持っていってしまうかもしれないね。落とさない方がよくない?」と二人で話しました。
親として落とさないで欲しいなあという気持ちと、一年生は誰の物かを確認しないものなんだな…と、知りました。
なので、今回もいじめのターゲットになっているとは考えにくいと思っています。
身バレ覚悟で書きますが、娘のクラスでは生活習慣について宿題にだされることがあります。
「9時までに寝ること(誰かが遅刻常習らしい)」
「筆箱の中身を確認すること(これは他の児童の物が毎日なくなると、保護者から担任への訴えたとLINEでまわってきました)」
「体操服を持ってくる(昨日書いてきた宿題で、体操服を持ってきてない子が複数いたらしいです)」
クラスの誰かが何か無いと言うのがデフォルトの様(個人的には信じがたい)で、娘の困っていない気分はその日常に慣れている感もあるのかなと。
二学期が始まり落ち着くかと思いきや、忘れ物無くし物は減らず、その場しのぎの返事をする姿、無くなる理由や経過が見えない・本人も探すらしいけれど見つけられない様子に、私の苛立ちが日々増幅していまいました。
一昨日に辛くあたり叱責し、そんな自分も嫌で絶望で1人号泣しながらこちらに書きました。
長々すみません、皆さんから叩かれるだろうなと覚悟していたのに、あたたかいコメントに更に泣いてしまいました。
現実としては、やはりADHDを疑っています。ここでアドバイス頂き専門機関に相談しようと決めました。
主人にはここを見せてませんが、何かテストを受けさせてみてはどうかと、ここ最近の様子をみて言われたので、反対されないと思います。
本人は何の事かわからずも、忘れ物しちゃだめだなと持ち物のチェックリストを書いて玄関ドアに貼っています。
行く前にすること、帰宅してからすることも、細かすぎるほど書いてあり、その項目の細かさや優先順位が曖昧な点が親として気がかりでした。
日々の困り事に向き合い、どう伝えるかも、私も勉強したいと思います。そして、私自身もアンガーマネジメントか心療内科を受診します。
経験談やアイデアを書いてくださった方、お叱りを書いてくださった方、いじめを心配してくださった方、酷い私を心配してくださった方、本当にありがとうございます。
支離滅裂な増田ですが、何度もここを読み返しては励みにします。
娘に「ねぇ、こっそり教えて。いつタオルを置きっぱなしにしたことを思い出したの?」と寝る前に尋ねました。
「いつも、帰り道の橋を渡ってる途中に『あ!』って思い出すの。そしてヒュ~って風が吹いて目の下に線がでる感じ。」と話してくれました。
「毎日?橋のとこ?」「そう」
「気付いてよかったね!」「うん」
まもなく2歳。
以前は自分の感情が抑えきれず、感情的に叱り、怒鳴り、時には手をあげることもあった。
子供が言葉を話すようになりコミニュケーションが取りやすくなったのが大きいように思う。
怒鳴り散らす事は減り、きちんと言い聞かせてあげられるようになった。
どんなに抵抗されても、感情的にならず冷静に対応出来るようになった。
今もまだ解消された訳ではないが、1人でもほとんどの不安は無くなった。
子が必ず言うことを聞くように仕向けてしまう所は、またまだ未熟なんだろうなと思うけれど。
こうでなければという理想を追い求めるのではなく、我が子が求める母親になろうと努力している。
以前より、たくさん抱きしめて、日に何度も可愛いねとつぶやいて、どこでもキスをしてしまう姿は端から見ればただの親バカなのかもしれない。
でもそれは私にとっての成長である。
どこかで見かけてもバカにしないで欲しい。
出来れば素敵な親子だね、と微笑んで欲しい。
正確には一昨々年〜去年にかけて約3年間ほど、
相手は直属の上司で、仮に「U係長」としておきます。私よりも15歳ほど歳上の既婚者で、2人の子持ち。
愛妻家・親バカを公言しているような人でした。社内の中では清潔感もあり、(本人にとっての)正義感も強く、「正しい人」といったイメージが強かったと思います。
私も子供はおりませんが、結婚している夫がおり、私自身も夫婦仲が良いことをよく社内のメンバーにはよく話しておりました。
営業職であるU係長と私はペアで仕事をすることが多く、外回りや社内の業務など、ほぼ毎日、ほぼ一緒に過ごし、夫以外の人間では、一番時間を共にすることが多かったように思います。
私が「これはセクハラなのでは?」と感じていた行為についてですが、
基本的にはメールでのコミュニケーション。(本当はもっと理不尽なことや、ひどいことを言われたりもしたのですが、セクハラというよりパワハラなので、本件とは違う文脈のため割愛します)
先述したように、平日はほぼずっと一緒にいるのですが、U係長は私より先に退社すると、私にほぼ毎晩メールを送ってきます。
内容は、
(髪巻いてた方がいい…など)
(少しシワが目立つ素材ですね…など)
これを世間ではセクハラと呼ぶのかはわからないのですが、私にはものすごく不快でした。直接言われたらそんなことはないと思うのですが、メールだと、なんだか非常に気持ち悪く感じました。
もちろん、それについて快い返事はしないのですが、(これは私の悪いところですが)毎日一緒に過ごす相手にあまり強く言うこともできず、「むかつくんでやめてくださいよぉ〜〜」と、冗談のように伝えることしかできませんでした。
夫に相談すると、夫はU係長の行為に激怒し、訴訟を起こすならば協力する、と色々な方法を持ちかけてくれました。
私は、
・私の代わりに夫がそこまで怒ってくれたことで、救われたこと
・自分の一声で、もしかするとU係長の家庭や人生を台無しにしてしまうかもしれないこと
・他の社員から、小学生男子のように、胸やお尻が小さいことなど身体的特徴をからかわれても、特に不快にも感じず笑って過ごしてたこと
・もしかしたら、そんな私の態度がU係長を勘違いさせたり、気づかないうちに他の女性社員を悲しい気持ちにさせていたかもしれないし、自分にも非があると感じていたこと
そんなことから一揆を起こそう!とまでは思わなかったので、ただただ毎晩来る気持ち悪いメールのスクリーンショットをとり、フォルダに仕分けする程度の準備しかしておりませんでした。
また、人事面談の度に人事に相談をしていたことが効いたのか、(2年かかりましたが)先月になって新入社員の配属に伴いペアが解散となり、
3年間とてもつらかったけど、どうにかやりすごしたことで、いまはセクハラ(と感じた行為)から解放され、ストレスなく過ごしています。
ただ、私がやりすごしたことで現在他の女性社員が彼からのメール攻撃を受けているかもしれない。U係長自体は何も気づかないまま、何も変わらないまま仕事を続けていくと思います。
そんな風に考えると、私のしたことはあれでよかったのかな?と、モヤモヤします。
書いている間に、学生のころ電車で痴漢をされたとき、黙ってやりすごしたことで、「これがやつの成功体験になって、他の女性が嫌な思いをするかもしれない」と、不安になったことを思い出しました。
と、話は飛躍しましたが、今週の土日に増田に書こうと思ったことを、書きました。初めての投稿でしたが、増田は最後の締め方が難しいですね。ちょっと長かったですかね。それではこのへんで。
「それどこ大賞」の審査員の末席をつとめさせていただいたのですが、
http://srdk.rakuten.jp/entry/2016/12/22/110000
実は当初、審査コメントの文字数このくらいでよろしく、という指示をすっかり見落としてしまい、最初に間違えて書いたロングバージョンがありまして、せっかくなのでここに公開しておきます。受賞者のみなさんおめでとうございます。
http://aonbo.hatenablog.com/entry/2016/10/12/220000
「買い物で人生が変わりました」と言われても「それはまあそういうこともあるだろうな」としか思わないかもしれません。「買い物がテーマのブログコンテストなのだから、一番ど真ん中だよね、あざといよね」と穿った見方もできるかもしれません。けれど20年にわたる人生の変化と、その中心にあった買い物とをこれほど簡潔に描き、心から「ああ、買い物で人生は変わるのだなあ」という感慨をもたらしてくれる記事は、これを除いてほかにありませんでした。
「45で買ったストラトキャスター」という素っ気ないタイトルの「45」。その〈価格=45万円〉を表すようにも読めなくはないけれど、冒頭2行ですぐ、筆者にとっての「45」が〈年齢=45歳〉であることがわかります。「35で転職。37で離婚。/それから8年が経っていた。」。そして3行目に「子どもと妻がいなくなった生活。」と続きます。わずか2~3行に濃密な行間を含み、 id:aonbo さんの10年間のほんの一部が明かされます。
10年前、臨時収入を手にした、ゲームが趣味の45歳。「(うーん、このお金で何か自分にごほうび?)」の「自分にごほうび」という表現も、ちょうど10年前っぽい気分です。そんな中、とあるきっかけが id:aonbo さんに「(そうだよな。もうオレ45だよ。ゲームはそろそろやめようかな。)」と小さな一歩を踏み出させ、そこから一本のストラトキャスターを買うことによって、物語がはじまります。こうやって生きていけるのだな、と思いました。この記事は、ひとつの小さな人生賛歌です。
ところでこの記事、読後感は「ああ、人生」という感じなのですが、実は「人生」ということばは一度も出てきません。一貫して「生活」と書かれているところにも、ご本人のパーソナリティが感じられます。ぜひ賞金の30万円で、また次の10年の「生活の楽しみ」になるような買い物をしてください。おめでとうございます。
http://akasofa.hatenablog.com/entry/2016/10/19/182759
つい「買い物」だけで満足してしまうことも多いですが、あくまで「買い物」はスタート地点で、使いこなせるようになっていく歓びこそが醍醐味なのだと感じさせる記事でした。「上達」を言葉で伝えるのはむずかしいですが、「カメラの上達」を伝えるのにブログというメディアはぴったりですね。
親バカ目線と子どもの目線がちょうど交わるところに結果としての写真がある、という感じもほほえましかったです。親が「美大生」とか「サブカル」とか評するにつれ、「最初は美大生も、子どものような純粋な好奇心のもとにシャッターを切るんだな」ということにあらためて気づかされたりしました。
子どもの視点からしか写せない写真の魅力というのもありますね。子どもに使い捨てカメラを渡して撮られた写真だけを集めた『Childlens』(リトルモア、2003)という写真集があります。このまま id:akasofa さんのお子さんのカメラの腕がさらに上がっていってついにプロの写真家になったりしたら、その上達していく軌跡をまとめた写真集をぜひつくってください。ぼくは買います。
http://walking-gourmet.hateblo.jp/entry/2016/10/15/164806
『買い物』することを一番最初に楽しいと感じたのはいつだろう」というストレートな書き出しから、その「楽しさ」のルーツとして、子どものころの買い物の記憶、それと結びついた場所の記憶を辿る旅なのですが、行き先がまさかの「屏風浦」。id:s06216to さんがご存知かどうか定かではないですが、「赤い電車」を歌ったくるりのもうひとつの京急ソングとして、その名も「屛風浦」という隠れた名曲があります。ぼくの「屛風浦出身という人もいるのだなあ」というどうでもいい感想は本当にどうでもいいのですが、ノスタルジックな主題からしてもBGMとしてこれほど最適なものはないので、よろしければぜひ「屛風浦」を聞きながら読んでほしい記事です。
迷いながらも、風景をたよりにこっちかなと進んでいく感じ、「久しぶりすぎてどっちに行けばいいかすら怪しいけれどぼんやりとした記憶を頼りに歩き始めた」という感じが、写真もとてもきれいで、鮮やかに描かれています。ぼくも久々に自分が通っていた駄菓子屋に行ってみたくなりました。住んでいた部屋や遊んだ公園はなくなっていた、そして、探しものも見つからなかった、という話で終わるのかと思いきや……というところもよかったです。ちなみにぼくは、一枚20円のころでした。
東京ニュース通信社の週刊テレビ情報誌『TVガイド』では「週刊スマスマ新聞」というコーナーがあり、1996年の「SMAP×SMAP」放送開始直後から記者が収録現場を取材しメンバーやスタッフにインタビューして記事を掲載している。
2016年1月18日以降放送の「SMAP×SMAP」の中から、特にTV未公開の収録現場でのSMAPの様子やメンバー同士の会話を中心に「週刊スマスマ新聞」の記事を引用しまとめてみた。
なお「SMAP×SMAP」の基本的な放送内容はgooテレビ番組から引用させて頂いた。
スマラブ
草彅剛 限界クイズ
BISTRO SMAP
水前寺清子とくまモンとSMAPが「三百六十五歩のマーチ」を披露した。
- くまモンとのライブでは、周りにぐるっと地元の小学生たちが塗ったぬり絵が貼り巡らされていました。リハーサル前、それを1つ1つじーっと眺めていた中居くん。ほかのメンバーも、それぞれ合間にぬり絵に見入っており…。メンバーがそれぞれに思いを受け止めているような様子がうかがえました。
草彅剛 限界クイズ
スマラブ
BISTRO SMAP
BISTRO SMAP
本日はドラマ吉良奈津子に出演している皆さんが登場。オーダーはみんなで楽しくシェアできる料理。
- 松嶋菜々子さんらにうなぎ鍋を配膳している時のこと。配膳しながら説明する稲垣&草彅ぺアに「2人がいっぺんにしゃべっちゃってるから(笑)」とツッコむ中居くん。すると「じゃあ中居くんやって(笑)」と稲垣くんちょっとした意趣返し。中居くんは「ムリムリ!」と途端に縮こまってしまいました。
- 和食が好きな黒猫こと中居くんは稲垣&草彅ペアのうなぎの鍋にテンション上がりっぱなし。三つ葉や卵を足す作業を手伝いながら「これ卵なしのうなぎも食べたかったよ~。ねぇ?」とお客様を代弁するかのように言いますが、稲垣くんにあっさり「それ中居くんの希望でしょ(笑)」とかわされていました。
不機嫌なゴロー
BISTRO SMAP
月9「好きな人がいること」の桐谷美玲と山崎賢人、三浦翔平、野村周平がゲストで登場。オーダーは肉料理とスイーツ。
- バラエティーでうまくしゃべれないという山﨑賢人さん。「間違えたこと言ったらどうしようと思って」とのことですが、中居くんは「いいんだよそんなの、間違いだらけなんだからー!」と叫び「ヘンな人だと思ったでしょ(笑)」とニヤリ。中居くん流のやり方で山﨑さんの緊張をほぐしていました。
- 桐谷美玲クイズの「恋人の買い物に付き合えるか?」という問題で「雰囲気は作るけど本当は早くフラペチーノが飲みたい(笑)」と香取くんは解答。桐谷さんが「喜んで付き合う」と答えた後も「ウソだぁフラペチーノ飲みたいはず」といじりまくり…。「確かに飲みたいですけど(笑)」と桐谷さんも折れていました。
- 桐谷美玲クイズの「初デートは山登り?海水浴?」で「山登り」を選んだ香取くん。「海は毎日ロケで行ってるだろうから...」と理由を話し始める香取くんに、横から中居くんが「お前昨日『おじゃMAP!!』で江ノ島行ってたな?見たわ、俺」と。急に自分の話をされ少し恥ずかしそうな香取くんでした。
- 「ハラミおいしい~」と舌鼓を打つ桐谷さんらに「ハラミってホルモンだって知ってました? 横隔膜なんですよ」と木村くん。ゲスト陣は誰も知らなかったようで「えっ、そうなんですか?」とビックリ。「これ別に試験には出ないんで大丈夫です(笑)」と笑顔で答える先生のような木村くんでした。
- 桐谷美玲さんら来店のビストロでカツサンドとカレーを出した草彅&香取ぺア。皆が一品目のカツサンドを食べている中、草彅くんはどんどんカレーの説明を始め...。中居くんは「ちょっと待って。まだカツサンドの余韻に浸らせて(笑)」とゲストの気持ちを代弁し草彅くんを照れ笑いさせていました。
BISTRO SMAP
- 片岡愛之助さんクイズで「楽屋に入って最初にすることは?」という質問が。「瞑想」と答えた稲垣くんに「楽屋行って瞑想してたら怖いだろ(笑)」と木村くん。結局「稲垣さんしてそう」という中居くんのヒントから「アロマキャンドル」と稲垣くんが答え「お香を焚く」と本村くんが正解しました。
- うなぎカレーという一風変わった料理を出した稲垣&香取ペア。「インドと日本のコラボです」と自信ありげな稲垣くんですが、中居くんは「おいしいものとおいしいもの掛けて2倍になるわけじゃないんだよ(笑)」とツッコミまくり。それでも「おいしいはず」と言い張るめげない稲垣くんでした。
- 「ビストロの料理は家ではできない」と思い込んでいる(!?)中居くん。愛之助さん来店時のローストチキンカレーも「これはできないでしょー」と言い出し木村くん「再現できます」。「でもこのチキンは…」「オープンあればできます」とまるで通販番組のようなやり取りを繰り武げる2TOPでした。
BISTRO SMAP
BISTRO SMAP
今夜のお客様は2016年にブレイクした横澤夏子、トレンディエンジェル、メイプル超合金、平野ノラ。オーダーは「この秋 みんなで一緒に食べたい料理」。
BISTRO SMAP
大人からしたら子供は誰でも7歳ぐらいまでは無条件で可愛らしいものだし、
かわいい、かわいいと周囲の大人に言われ続けて育つものだと思うんだけど、
最近、小1の娘が容姿を褒められたことについて実に嬉しそうに報告してくる。
(親バカ上等で言わせてもらうと、確かに娘の容姿は整っているほうだと思う)
具体的には集団登校の際に高学年の女子から容姿について褒められた。とか、
たまたま居合わせた女子中高生グループからカワイイとチヤホヤされた。
みたいな内容なんだけど、どうも彼女にとって大人から社交辞令的に
カワイイと言われるのと、子供同士やおねえさんに分類される人からの
評価というのは重みが違うらしい。
しばらく娘の話につきあっていると、
あとRちゃんとAちゃんも私より可愛いかなぁ」
と調子に乗っているかと思えば自己評価は意外と冷静?だったりする。
こうやって美人は自分が美人だと自覚していくのか。と興味深い反面、
これから不愉快な目にも確実に遭遇することを思うと、なんともいえず
不安な気持ちになる。ともかく心身ともに健康に育ってくれるだけで
良いんだけどね。