はてなキーワード: 親バカとは
私は子供が苦手だ。
嫌いというよりは苦手という感じだと思う。
今大学生なんだが、地元の友達に1才くらいの子供がいる。もともと、地元の友達とは進学するにつれ会う回数は少なくなってたが、彼女に子供が生まれてから完全に疎遠になった。というか、私から進んでなった。みんなが、子供をかわいがるのをどうしても理解できなかった。怖かった。友達の子供に会いに行って遊んだりプレゼントをあげたり写真を撮ったり。その写真をSNSにアップしたり。子供の写真をアップしたらかわいい、会いたいとコメントしたり。本当に思ってるのか?全員ミュートした。
世間話的に結婚したい〜、子供ほしい〜、という話になる。そんな時、私子供苦手なんだよね、と言うと自分の子供ならかわいいとかそういう人に限って親バカになるんだよとか言われる。確かに〜、とか適当に返すけど本当にそうなんだろうか。かわいいと思うのか?ネグレクトしてしまうのではないか?と考えてしまう。怖い。
電車で、同じ車両に子供が乗り込むが嫌だ。だから、ホームで、同じ車両になりそうなら移動する。
これでも、昔より良くなった。テレビで見るのもダメだった。これは猫や犬もそうなんだけれど、テレビで見るとかわいいと思っても、実際に見ると怖い。(一緒にしたら怒られるだろうか。)犬猫は昔は全然怖くなかったし、好きな部類にいる。そう考えると、犬猫と同じくらいは好きなのかな。
いつか苦手を克服できるんだろうか。別に克服しなくてもいいんだろうか。
父親に褒められるのが嫌いだった。いや、いまでも不快に思っている。
例えば小学校の音読の宿題で、母の手があかない時は父の前で教科書を音読したが、そんな時はいつも父親は上手いなあ、すごいなあと褒めてくれた。勉強がよくできれば、ちょっとマセた利発な言い回しをして見せれば、ニヤニヤと笑って(そう、ニヤニヤと)いつも私のことを褒めてくれた。勉強だけではなく容姿もよく褒められたし、家事のお手伝いも、年の離れた弟の世話も、よく褒めてくれた。
中学でささやかないじめのようなものから一時期自傷癖のあった時期があったが、友人にも恵まれ回復し、ネームバリューのある大学に現役合格し、第一志望の企業に就職して今に至る。
アダルトチルドレン診断チェックリストというものをやってみたらものの見事に該当するようだ。親の愛が足りておらず自己肯定感が育ってないのだそうだ。冷え切った家庭、といわれても客観的に見てそんなことはない。ただしひっかかったのは、父の褒め言葉への嫌悪だった。照れでは説明のつかない、あの心が辛くなる気持ち、あのいやらしい父の笑顔。なんで私はあんなふうに、褒められて心が苦しくなったんだろう。子供の褒め方の典型的な失敗例で「努力でなく才能を褒める」というのがあるみたいだけれども、それもピンとこない。
長年、心の隅にひっかっていたのだけれど、ふとこの正体に気づいた。あの父親の私への愛情は、いわゆる「条件付きの愛情」だったのだ。あの褒め言葉は、あの成長の喜びは、「自分の希望通りのスペック・スキルを持った人間への育成に成功した」ことへの喜びだったのだ。父は、例え幼稚園児相手だろうと言うことを聞かなかったらキレて怒鳴る。帰ろう帰ろうと言われても遊び場から離れなかった私が、叱られて泣いて、泣くなと怒鳴られて、もっと泣いて、「泣くな。車に戻れ。俺は命令しているんだ。黙って命令されたことだけをやればいいんだ」と怒鳴られたのを覚えている。ほとんど忘れていたのだけれど、最近になって、周りの子持ちはそんなこと言わなさそうだなとふと思って特異性に気がついた。
例えばもし私がテストで悪い点を取ったら、門限を破ったら、どうなるだろう? 父は、私を愛娘と思ってくれるだろうか。きっととてもガッカリするだろう。父は己の私への態度を悔やむだろう。
自傷がばれたときのその意気消沈を、私は父の愛だと思った。私はこんなに大切にされているんだ、と。でもきっと、そのたくさん示してくれたあの大きな愛は、「親から子供への無償の愛」なんかじゃない。
反抗期はさせてもらえなかった。高校生になると、親の言うことに反発する気持ちは湧くようになったが、具体的に言いつけを破ったことは一度もなく、そういう時はバレないように気をつけながらただただ泣いていた。親になにかをおねだりするというのもすごく苦手で、例えば「眼鏡じゃなくて、コンタクトにしたいって思う時もないわけじゃないけどね」と言って、「うーん…」と言われたら、「別に眼鏡で困ってるとかじゃ全然ないからいいんだけど」と却下した。
そうか、これを、見捨てられ不安と呼ぶのか。
暖かい家庭で育ったはずなのに、まるで機能不全家庭で育ったような自分の認知の歪みが不思議だった。きっと過去にトラウマがあるのですと言われて何も思い浮かばずに苦しかった。確かに父は怒ると怖い人だったけれどあんなに親バカなのに。そう、何よりもあの褒められて悲しくなる自分が不思議で、不思議で、褒められるのが嫌で父を避けた自分が歪んでいるようで悲しくて。
ああ、アダルトチルドレンを克服する一歩が過去の原因を見つけることだというのなら、長い時間をかけて私はやっとそこに辿り着けたのだ。不可能だと思っていたのだけれど。
今、色んなことを私は父親のせいだと決めつけていて、そのことへの罪悪感を覚えている。だから、こんな酷い考えは誰にも言わないで隠しておこう。周りに内緒にしておこう。でも、胸のつかえがとれたって思ってしまっていて、この結果にはきちんと、客観的に言われているような原因があったんだ。
それがなんだか、嬉しくて、満たされて、泣きそうになる。
うちの息子、バリバリの包茎なんですわ。いま小五、根っからのサッカー少年。親のあたしが言うのもなんだけど顔は悪くない。両親ともに決して美人やイケメンの類ではないっつうのに、隔世遺伝とかなのかな。それから息子は割とひょうきんなタイプだ。でもこれは自信を持って言えるんだけど、陰湿なことはやらない。能天気でお人好し。いやあ、つくづくいい息子を持ったよ。
まあ匿名をいいことにした息子自慢はこれぐらいにして包茎の話だけど、秋ぐらいからママ友の間で包茎手術が話題で、冬休みにやった子が二人いるそうなんです。で、息子の親友のR君とT君は春休みにやっちゃうんだって。H君(うちの息子)も一緒にやっちゃわない?ってT君のママさんは言ってくる。悩む。親バカだけど、うちのイケメン息子はこれから中学高校と、多分彼女とか作ると思う。そしたらやっぱり真性包茎はひかれちゃうんじゃないかな。それなら息子がかわいそう。手術受けさせといてやろうかな。
でも息子、ビビり。それも相当なビビり。ケガして縫うときでも散々渋るのに、手術とか絶対無理だと思う。痛いのも苦手だし。いい歳して(そんなのもかわいいんだけど)。だから手術はかわいそうかな。
いや、でもここで手術乗り越えて一皮むけて、心身ともに強くなってくれたらうれしい。R君やT君もやるらしいからって言って説得してみようかな。息子、R君T君とはいつも一緒にいるんだけど、なにかとライバル視してたりもするし。いいかも。
実際出しかけた。
子どもはまだひとり、この人より楽なのだと思うし、うちの夫は家事のダメ出しはしない。
むしろそれなりに手伝ってはくれてた。
でもやり方が雑過ぎてイライラした。
たまに気付いて抱っこ代わってくれたけど、それを放棄だといわれた。
親バカと言われるほど子どもをかわいがっていたけれど、自分が寝たいときは子どもを見ずに寝ていたし、テレビに夢中のときもあった。
夫にイライラすればするほど、子どものぐずりがひどくなり、余計にイライラする。
どんどん母親に向いていないと思い、ぐずる子どもに声を荒げては泣いて謝った。
虐待してしまうかもしれないと自分に怯え、泣き声がうるさすぎて苦情がくるのでは、虐待を疑われて通報されるのではと怯えた。
ようやく子どもとふたりきりの日々に慣れ、少しコミュニケーションが取れるようになって心が落ち着いてきたころ、夫の浮気が発覚した。
出産後里帰りから戻って、ひとりでの育児にまだ慣れないころ、もう浮気は始まっていた。
発覚後、夫は浮気をした原因は私にあると言った。
他にもいろいろ。しまいには子どもが生まれる前から辛かったとまで言い出した。
本当に母親失格だ。
これからどうすればいいのか、まだわからないけど、私は実家に頼ることが出来た。
ずっと優しく出来るようにしたい。
http://anond.hatelabo.jp/20140722143610
ブコメにも幾つか挙がってるけど、神童・元増田に対して「お勉強ができる」
特に数学の素養があったなら、高校の数学なんぞは適当に済ませて
アマチュア無線の免許を取るなり、プログラミングを始めるといった
元増田の年齢は知らんが、四半世紀前なら「マイコンBASICマガジン」等のプログラミング投稿雑誌があったし、
そういう世界では、小中学生でも大人と同じ土俵に上がれたから、
飛び級で大学に入って腫れもの扱いされるよりよっぽどスリリングな体験ができただろう。
現代ならGoogleプログラミングコンテスト? ロボカップ等のロボットコンテスト?
「我こそは神童でござい」などと踏ん反り返る暇があったら、年齢無差別のバトルに飛び込んで
コテンパンに打ちのめされてきたらいいのだ。
…以上は、元増田と同じく
親バカ上等。
結婚8年目である。昨年末3人目の子供が生まれてから嫁のことを今まで以上に愛しく思うようになった。
子供たちはかわいい。だがそれ以上に嫁がかわいい。可愛くて可愛くて仕方がない。
だが俺は家庭ではクールでドライなキャラなのでそれを表に出すことはない。
子どもたちに対しては親バカ丸出しで猫かわいがりしているが、嫁に対してはいつもそっけない態度である。
嫁は愛情を押し付けられたり甘えられたりすると引いてしまうタイプなのを知っているからだ。
甘えたい時だけ俺に甘え、普段は構ってくれるなという猫みたいなタイプなのだ。
お互いに深く干渉しすぎないのは愛情を長続きさせる鉄則である。
俺はこの気持を胸に秘めたまま、持てるリソースの全てを注ぎ込んで嫁をサポートし、
幸せになってもらい、いつも上機嫌で、俺のことをもっと好きになってほしいと思っている。
嫁が俺のどこを好きなのか見極め、好かれている部分を伸ばし、好かれてない部分は直すか隠す。
加齢で妻への愛情が衰えたことは一切ない。
出会った頃に比べれば多少老けたのは確かだが、まだ30代である。
お腹やおしりがちょっとだらしなくなり、乳首がでかくなり、お肌のハリが多少衰えた程度である。
産後クライシスだとかセックスレスなどとはいっさい無縁である。
何度抱いても飽きないしいつも最高に興奮して楽しいセックスをしている。
昨日久しぶりに明け方まで語り明かして、最後にちょっとだけセックスして、
また特別な気持ちになって、寝た。
今もその気持ちが消えないので、こうして書き残しておくことにした。
はてブのハテナーにうんざりするきっかけとしてブコメでの“嫌われ言動”が目立つ。確かに、仕事でもネットばかりしているハテナー層。世の中ネットだけじゃないと考える一般人より気合の入った使い方をしてしまうのも無理はない。まず、ハテナーならではのスケベ心が出やすい行為の1位が、「やたらと女子ブロガーや女子増田に反応してくること」だという。
「顔見知り程度の友達でもないハテナーから気軽にブコメしてこられると恐怖です。出会い系に行けと思います(笑)」(25歳・保育)と、思い当たる人は要注意。しかし、たとえ「フォロワー」になったとしても、「どうでもいい記事に一番にブコメするの辞めて。いちいち投稿しないと気が済まないの? 迷惑」(24歳・飲食)と、その結果、ブコメ拒否されてしまうハメに。
「『後輩や部下に慕われてる僕』アピールなのか、会社の愚痴を書いているブログへ批判ブコメ。スターつけてほしいんですか?」(23歳・広告)、「はてブに依存しているのはIT業界に多い気が。やたらと投稿数が多い」(26歳・建築)など、控えたほうがよさそう。
しかし、ROM状態でもいいわけではないようで、「良記事書いた時の無言のはてブ連打がこわい。朝、お知らせが10件きてて、なんだろう? と思ったら、全部コメントなしのはてブ。内容だけ盗み読みされてるようで気持ち悪い」(23歳・サービス業)というのはさすがにアウト。
さらに、思わず年齢的に言わずにはいられない胸のうちをブコメで放出してしまう人も危険である。
「いわゆる自分語りですね。政治に対する不満とか、仕事論とかを100文字以内で投稿する人。自分に酔ってる人は嫌だし、非表示ユーザーにしちゃった!」(23歳・編集)。
「最初はいいパパだなぁと思うけど、そればかりだとやりすぎてウザいし、猫ブログばかりにブコメする人は、『猫好きな俺が好き』に見えてくる」(29歳・法律)と、ほどよいというのがいいのか、難しい。
3/4発売の週刊はてな!では「バブル&ゆとり世代がメッタ斬り 嫌われるハテナーの特徴」と題した企画を組んでいる。バブルやゆとり世代を揶揄している暇があったら一度我が身を振りかえってみてはいかがだろうか。 <取材・文/週刊SPA!編集部>
http://rrt.hateblo.jp/entry/2014/01/12/000604
読んだ。
ここが最高にダサい。
そう思うんなら、一刻も早く子育て始めて、お子さんをパソコン漬けにしてあげればいいんじゃないでしょうか。
英才教育がなければスタート地点にすら立てない世界があるのは当然の事実である一方、
一本決め打ちの教育がいかにリスキーであるかというのもまた事実。
で、ブログ主は自分の子供を掛金にして博打を打つなら何に決め打ちするの?
子供も幼い頃から素直に稽古を続け、親バカながらも才能もあるようで順調に成長してきたのに、
思春期にバンドにかぶれてしまって大変困るみたいな話も割とあるあるで、
古くは風姿花伝にも書かれてて、厨二病ってのは室町時代でも健在だなと
一本決め打ち教育する度胸も素養もない親が、子供をちょっとピアノ習わせたり
ちょっといい私学にお受験させたりと、身の丈にあった多少なりとも
子供の将来の選択肢が多くなりそうな経験と環境を用意させようと頑張ってるのを
子供の側から「何で決め打ちしてくれなかったんだ」ってのは、かなりダサい
まあその辺りも結局親の裁量なので、
数年で辞めたピアノも、その後バンド活動で作曲するのに役にたったし
パソコン買ってもらっても、勉強せずにエロゲーばっかりやってたけど
セーブデータ改変とかでバイナリ弄るところからプログラミングも入っていって
でも、ちょっとでもメシのタネや趣味のネタになるようなものが残れば
いいんじゃないの?、くらいで
文字にすれば、このつかみ所のないもやもやとした暗い気持ちにも整理がつくかもしれないとの期待を込めて、心の暗部を覗いてみる。
照れていたのではない。悲しいような、つらいような、屈辱的なような、とにかく、これは嫌な感情だ。
小学校で、たびたび音読の宿題が出た。教科書の指定された箇所を、親の前で声に出して読み、その感想と日付を、専用の表に親に書いてもらって、先生に提出する。当時、そういう機会では空気を読まずにはしゃぐタイプの子供だった私は、必要以上に大袈裟に演劇的に抑揚をつけて、大きな声でハキハキと音読していたと思う。
父は、私が音読をすると、とてもよく褒めてくれた。
「天才だ。」
「すごいね~。」
「上手だなあ。」
それが本当に不快で。
なんだかひどく屈辱的な気持ちになった。だから私は音読の相手は母に頼んでいた。でも、父は仕事が終わるのが早く(夕飯はいつも家族皆で食べていた)、母が家事で手があかないと「お父さんに頼んで」ということもあったし、そういう時は本当に嫌だった。自分のプライドが許す限り、つまらなそうに、つまらない気持ちで読んだ気がする。
あまり覚えていない。
でも父親が笑顔でベタ褒めするのも、読めない達筆というよりは汚い字で何か一言コメントを残すのも、嫌な気持ちが湧き上がるものだった。
父は、自他共に認める親バカで、私のことをことあれば「天才だ、頭がいい」「かわいい、美人だ」と褒めていた。
「美人だね~と言って育てると、美人に育つらしい」と言っていたから、意図的に積極的に言っていたのもあると思う。
5歳の時に、親や祖父母が、この子東大に行けるんじゃないのウフフみたいな話をしていて、私は「東大ってすごいところ? じゃあ行く~!」と発言をした。この発言は高校生になるくらいまで繰り返しひっぱられ、その度に父は頬を緩ませた。あいにく東大はさすがににムリだったけど。顔面の方も、まあ仲いい人には褒められることはある。くらいに人並みで、劇的なモテエピソードなんかは特に無い。
父はとても頭のいい大学の頭のいい学科を卒業し、頭のいい人しか取れないような資格をとって、それでたくさん稼いでいる。ブランド志向というか、学校の名前をすごく気にしていて、私の受験のときも、あそこは旧帝国大学だ、筑波大は横国に比べて昔なんとかかんとかだったから格上だ、とか、そういうところをニコニコと語っていた。
父は私のことを間違いなく愛していたと思うが、小学校低学年くらいまでのころは、子供の子供な所に我慢ができず、時々キレて怒鳴ることがあった。
私はすぐにものを散らかしっぱなし、部屋を汚いままにしてしまう子供で(今もだけど)、「片付けなさい」といって片付けを始めても、他のことに気を取られてしまい、気がついたら片付けがちっとも進んでいない。ということが、たびたびあった。片付け以外にも、何か、やりなさいと言われて、「あとでやる~」と返事をしたきり、いつまでたってもやらない、ということはよくあった。そういう子供だった。今なら気持ちもわかるけど、子供の将来を思ってしつけが~とか、それ以前のところで、父はイライラしてキレた。(その気持も今はわかるんだけど)。
「なんでお前は言われたことができないんだ。」
「俺は命令しているんだ。俺がやれといったらただそれだけをやればいいんだ。」
「ただ1こやってほしいってお願いしているだけなのに、何でお前はソレ以外のことだけをやるんだ。」
「何回言わせるんだ。」
「お前は俺がやれといったことだけをやればいいのに、なんでそれだけのことができないんだ。」
「何度も何度も何度も。これだけ言っているのになんでわからないんだ」
なんていうか、たまに裏声混じりにでもなりかけた、抑揚のある言い方で、時には囁き時には大声になる、メリハリのある語り口で、父は私をよく、叱りつけた。
思えば反抗期は無かった。というより、させてもらえなかった、いや、できなかった。
父に少しでも叱られる…言及される可能性があることを避けていたから、いわゆる反抗期の時期は、自室でばれないようにばれないように泣くことが増えた。それだけだった。
家族で服を買いに行くことができなかったし、今でも親におねだりということができない。ちらりとでも、例えば「違うのにしたら?」みたいなことを言われると、なぜだかわからないけれど辛くて、泣いてしまう。
12月になって就活が解禁になって、自己分析とかそういうこと、その度に私は自分の卑屈さに苦しめられる。
頭ではおかしいとわかっているし、友人に溢す度に否定してもらっていることなのだけれど、自分の存在が企業にとって足手まといになるとしか思えなくて、つらい。失敗をして迷惑をかける未来しか思い浮かばないし、なにか自分の決断が、ささやかながらこの社会に影響をおよぼすのかと思うと怖くて不安で、何よりも申し訳なく後ろめたくて仕方がない。
この気持ちはもちろん、就活がストレスになっていたり、ゆとりつくした学生から社会人へとなる上での甘ったれた逃げや、通過儀礼的なものも多分に含んでいるのだろうけれど。
あなたが重視する価値観は? という分析では、「他者への影響」がゼロで「組織への忠誠」がマックス、「先人や上司への尊敬」が次いで高かった。ちょっと気持ちの悪い結果だ。笑ってしまった。
この卑屈さをたどったら、父に怒鳴られ萎縮してただただ泣いた15年前を思い出した。そうか、小さいころあんなふうに怒鳴られたら、そりゃあ卑屈にもなるなって。
少し違えば反骨精神あふれる人間になったかもしれないけれど。なるほど、あの過去が今にこうつながるのね。納得。
なにがあんなに嫌なんだろう。
私は父の笑顔のなにがショックだったんだろう。
育児論でよくNGとされる、「努力ではなく才能を褒める」ことをしたから?
じゃあ父は、どういう態度を取れば私は喜んだんだろうか?
掛け算順序問題を見ていて感じる根本的な疑問は、
「なんで小学校の先生をまず信頼するというところから議論を始めないの?」
ということに尽きる。
たしかに、交換法則を教えたうえでなおも「順序」にこだわるのは明らかに合理性に欠けているように素人目には見える。
でも、自分には理解できなくても、そこに何らかの合理性があるからそういうことをやっているはずで、その合理性がどこにあるか。仮に数学の専門家でもその合理性がすぐ分かるかというと分からないと思う。
だって、数学者は数学の専門家であって、算数を小学低学年に教える専門家じゃないから。
小学校における算数の教育に詳しい人、現場の先生たちがそれぞれ議論するのはいいことだと思うし、それはそれで分かるけれども、今ネットで言われていることはそうじゃない。
はっきり言えば、小学教育の専門家を軽視しているだけで。ほとんどがそういう議論じゃないんですか。
もっとはっきり言うと、あれでしょ。みなさんあれこれおっしゃるけれども、問題は「A×B も B×A も正しいからそのように扱え」ということじゃなくて、
「おかげで理不尽な減点をくらった」
云々というのが
「許せない」
という「親心」の発露、以外に何があるのか、全く理解できない。
さらに、この「親心」という極めて私的な感情の問題を(僕にはこれは「親心」ではなく、「単なるエゴイズムの発露」にしか見えないんだが)、
という公的な問題にすり替えてしまいさえすれば、それが立派な正義になってしまうわけで、その正義を構築する議論の過程では、論者は必ずしも子の親である必要は全くない。単なる「(親)バカ」の議論を、社会的・公的な議論にすり替えてやればよいだけだ。
小学校の先生にも質が色々あるでしょうし、親が一切口を出すなとも全く思わないけれども、
「どういう合理性があってこういう教育がされているのかよく分からないが、小学教育の専門家であり現場で苦闘している先生がたをまずは信頼しようじゃないか」
とだれも言い出さないあたり、ああなるほど、小学校の先生ってこれほどバカにされているんだなーと思いますね。なるほど、教育が軽んじられるわけですよ。先生をまずは尊重しないんだから。
<一番下に追記しました 2013/8/9 2:00頃>
下痢腹さんや増田さんでちょうど「年収400万」がゾッとするだのしないだのと取りざたされてたので、ジャスト400万円の俺が家計簿を叩きつけてやるよ。
アバウトな家計簿がベースなんで細かいツッコミはなしでヨロアイコ。
項目立てもオレ流です。
<スペック>
妻(30歳・専業主婦)、子2人(3歳、1歳)
クルマなし
厚生年金 34万
健康保険 20万
雇用保険 3万
────────────────────
手取り 328万
児童手当 30万
↓
使えるお金 358万(約30万)
<毎月の出費>
食費 2.5万
外食費 1万
水道光熱費 2万
通信費 1.5万
被服理容費 1万 服と美容院
医療費 0.5万
生命保険 0.5万
雑費 1万
交際費 0.5万
幼稚園 1万
────────────────────
支出計 25万
<貯蓄>
普通預金 2万
投資信託 3万
<メモ>
<追記 2013/8/9 2:00頃>
ブクマや増田へのレスありがとう。正直びっくりしてる。平々凡々なところがかえって参考になったのかな。ダメリーマンが久々に味わう達成感。見積もり作成を後回しにしてブクマコメントで多かった内容に答えてみるよ。
今の俺には仕事よりもこっちの方が大事だぜ!(←ダメリーマン)
私には生後4ヶ月になる息子がいる。
目はぱちっとして大きく、まつげが長く、鼻筋の通った可愛らしい子だ。
身内はもちろん、出先で見知らぬ人にも「美形だね」と声をかけられることが多いので、
やはり可愛い顔をした子なのだと思う。親バカなのは重々承知の上だけれど。
息子は私にも夫にも似ていない。
多少私に似ている部分はあるけれど(耳の形が似ているらしい)、夫の面影は何一つない。
それもそのはずだ。息子と夫は血のつながりがないのだから。
息子の実の父親は、私の元恋人だ。
浮気性で優柔不断な男で、もう別れたほうがいいなと思い始めた時に妊娠が発覚した。
妊娠を告げても、彼は煮え切らなかった。産んで欲しいとも結婚しようとも言わない。
それに業を煮やした私は、夫に相談をするうちに、夫と恋仲になった。
シングルマザーになることを決意したと夫に告げると、自分が父親になると夫は言ってくれた。
その時の私がいちばん欲しかった言葉を、夫はいとも簡単に私にくれたのだ。
そうして、いざ別れを元恋人に告げると、彼は急に態度を豹変させた。
別れないで欲しい、自分と一緒にいてほしい、私がいなければ死んでしまう、などと。
以前の私だったら、その言葉にほだされて、彼の元を離れることはできなかったと思う。
でもその時の私には、既に夫という力強い存在がいた。元恋人など、もう私には不要な存在だった。
長いこと一緒にいたから情はあった。可哀想だとも思った。
でももう、一緒にいたいとはまったく思えなかった。
このまま彼と一緒になっても自分が幸せになっている未来を想像できなかった。
泣きじゃくる彼を振り切って、私は彼と一緒に暮らしていた家を出た。
その後、私は夫と入籍し、家も建て、無事に息子を出産して現在に至っている。
義両親とも関係は良好で、育児の苦労はありつつも毎日を穏やかに過ごせている。
さて、別れ際に一生私のことだけを想い続けると言った元恋人はというと。
私と同い年の会社の同僚の女の子を捕まえて、幸せに暮らしているらしい。
実は私は息子を出産した時に彼に出産したことを電話で報告した。
その後「おめでとう」とメールが送られてきて以来、なんの連絡もない。
私はそれが許せない。自分の血を分けた存在に興味を示さない彼に怒りを覚えたというか失望した。
別れ際にあれだけ「自分が父親として子供の成長を見ていきたい」と叫んでおきながら、
新しい恋人ができたら手のひらを返したような態度をとる。
彼の新しい恋人は、自分の彼氏の元彼女が子供を産んでいることを知ったらどう思うのだろうか。
そうしたところで自分に返ってくるメリットなんて何一つなく、むしろデメリットしかないのだけれど。
普段、彼のことを思い出すことはあまりない。育児に手いっぱいで思い出す暇がない。
でも息子のふとした表情に、彼の面影を見つける。目の大きさ、まつげの長さ、鼻は彼に似ているから。
そんな時に、このどうしようもないドス黒い気持ちはふつふつと湧いてくる。
1992年発売ということは、今年で発売20年目。
なんだかんだ、20年の長きにわたって嫁論争が続いているわけだ。
炎のリングをとってきたあと、水のリングをとりに出掛けたところだ、幼馴染のビアンカが再登場した。
しかし、非モテをこじらせた俺は、とてもじゃないが喜べなかったのである。
お前とお城でお化け退治したのなんて、パパスが夏風邪引いて寝込んでた数日だろ?長くても一週間だろ?
ろくに役に立たないくせにお姉さんヅラしやがって。
というか、俺はあのネコはどうでもよかった。
ネコを助けるためにお化け退治とか馬鹿じゃねーのって思ってた。
そんなまどろっこしいことしなくても、いじめっこなんかムチでぶっ叩けば散るよ。
って思ってた。
「わたしがいなきゃ、水門あけられないわよ?ね、いいでしょ」
いや、他の村人に頼むよ。
ああ、なんだよ、やっぱりついてくるのかよ。
「わあ、きれい」
「母さんが死んでからは…」
知るかよ。
お前、悲劇のヒロイン気取ってるけど、俺は10年奴隷生活してたんだよ?
「さっきの男、私のおしりさわったのよっ!」
そういう男の気を引こうとする態度が大嫌いだった。
あのさ、フローラにプロポーズしに水のリング探してるってのわかってるんだろ?見つけたら帰れよ。
お礼は言うさ、でもさ、村に帰れよ。
当然のように、フローラを選びました。
ビアンカは男の後ろ髪を引くために小細工をする嫌な女。
健気なふりは、男を手に入れるための手段。
石になった愛する妻フローラを探すためにに世界中を旅して、ビアンカの村も訪れたけど、一緒に冒険したいとか言ってたくせに、主人公の手助けをしようとする素振りなんかないもん。
やっぱ水のリングのときは、「うまくいきゃこの男をゲット出来るかも」って計算で手伝っただけ。
「お化粧なんかしたことない」みたいなことを言う女は信用出来ない。
会えない時間が長すぎて、いまだに敬語だったりするのが寂しいけれど。
お母さんに似て、いい子に育った。
もちろん、息子も愛してる。
「面白写真、ラーメン、誰と会った、ペット、子供」と看破していた人がいた。
「ラーメン、面白写真、誰と会った」ばかり投稿しているから、人のこと言えないが。
自分はペット飼っていないから、ペットを投稿することはないが、
自分に全く理解不能なのは、「子供」ネタをどんどん投稿する人。
自分もごくまれに子供に少し関係する話題を投稿することも、なくはないが、
常に「十数年後に、子供、および子供の利害関係者が、このページを見る可能性がある」
ということを、頭に入れている。
なので、子供が不利になる可能性がある投稿は、ゼッタイに行わない。
例えば「子供の失敗談」。
親から見たら「子供の無邪気な失敗」で終わる話が、他人が見たら「子供の人格を疑ってしまうような、深刻な話」
と取る可能性だって、ある。
そうした場合に、「不用意に親がそのような失敗談を投稿したことで、子供の人生が阻害される」ことは、
あってはならない。
ましてや、子供の「実名」や「写真」などは、とてもとても、載せることはありえない。
しかし、世の中には大胆不敵な人がいて、平気で子供の実名や写真をフェイスブックに載せる人がいるらしい。
一種の親バカだが、開き直って「親ばか共和国」なんてページも存在するから、恐れ入る。
http://www.facebook.com/oyabaka.japan
このページが、フェイスブック非会員にも見られるページなのかどうか知らないが、
ここのメンバーと自分は面識も何もないのに、メンバーの子供の写真は「見放題」である。
ということは、変質者がフェイスブック登録しても、見放題な訳だ。
彼らの目を覚まさせるために、「この写真をダウンロードして、自分のブログに貼り付ける嫌がらせをしてやろうか」
とも思ったが、まあ自分も子を持つ親なので、そこまでの凸撃行為は、やめておこう。
自分について、面前で、失礼なこと言われたって話なのになんで他人面の被害者面なのw
むしろ真っ先に戦わないといけないのは元増田でしょ!
俺に言わせりゃ100歩逃げたのは元増田のほうだよ。
で、50歩逃げた兵隊に「何故敵を倒してくれんかったのだ」とか言ってる。
だから、砲弾直撃して呆然としてるところへ救護か援護射撃するはずの兵士が逃げちゃったってのが元増田だって。
100歩逃げるだけの時間もないまま、退路は50歩逃げた兵士が塞いだ。
倒す必要なんてない。正面衝突する必要はなかった。
回避行動だけでよかった。真剣な意見交換会でなく単なる雑談だ。相手を全否定する必要なんてなかった。
だから娘自慢しとけって言われてるんだよ。
客商売なんだから親バカが一人出てきたところでタクシーから放り出そうと思うような運ちゃんいねえよ。事実誇ってしかるべき経歴、華々しい将来じゃねえか。