2020-08-01

逆に、海外引用作品が多い理由

そもそもキリスト教自体引用文化から

〇〇が教えている、こう伝承されていると書物の中で引用を始めたのは宗教で、同じように老師から始まる哲学継承してきた中国もその後の書物思想を多く引用している。

割合はわからない。日本だって書物があるし、口伝もある。

ただ、引用宗教から始まったのではないか、という説は何となくこれなんじゃねーかという感触がある。

面白いことに、西洋場合顕在的な教えが多いにも関わらず、宗教違和感なくカルチャーに取り入れている。

日本潜在的な祟や天罰、徳の文化でそれぞれが思っているだけでいい。

とはいえキリスト教もそれだけで全てが理解できる明快な物語ではない。

かなり不可解でオカルティックなごまかしを含んでいるが、西洋人はそれらを面白がってまずは小説戯曲内にふんだんにと入りれた。

いや、面白いと思ったかどうかはさして重要ではない。

重要な点として、西洋小説には嫌になるほどキリスト教が顔を出すという事実がある。

中国人も日本人もおそらく中世まで特に仏教系発想を能や茶の中に取り入れてきたことだろう。

おそらく近代的な映画などに引用作品が少ないのは、日本西洋文化圏ではなく、キリスト教引用する歴史と地続きではないからだ。

そして今日映画小説は極めて西洋的だ。

日本的な書物文化特に明治期に分断され、棄却されたのではないか

ナショナリズムリズムではないよ。たんなる増田らしい想像に過ぎない)

  • 日本におけるオマージュ文化である本歌取りは送り手と受け手の間にお約束があることが大事で、そのものズバリを引用するのは下品、みたいな風潮もあると思う。

    • これとは対象的に絵師の文化では先人の絵を真似するところから技術が発展してきた。 そうした精神は今日のサブカルでも同様。 そう考えると文章と絵の文化では分けられるべきなんだ...

  • 目上のほうが偉い文化だから その場の土着の権力者より偉い人間は存在しねええええ 神様がいない国では自分がゴッド 自分が預言者 自分がルール 目下にマイルールを押し付けるのが日...

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