はてなキーワード: 羞恥心とは
先に書いておくと、下ネタアリです。不快な人は読まないで下さい。
私は生理中、お風呂場で自分の膣に指を入れて経血を掻き出す習慣がありました。理由は単純で、出しておくと体を拭く時にドバっと出ることがないからです。
3ヶ月ほど前、いつもの様に経血を掻き出していると、外子宮口の周り(子宮頸部)にニキビ大のボコッとしたものがあることに気がつき、先日婦人科を受診しました。
受診理由に馬鹿正直に「子宮口周りにニキビのようなものがある」と書いたことが地獄の始まりでした。
予約した時間から1時間半が過ぎた頃、やっと自分の名前を呼ばれると、診察室ではなくよく分からない別室に案内されました。
そこで看護師さんらしき人(医師かもしれない)に受診理由について尋問が始まりました。
「どういう流れで気づいたの?」「普段からよく指で触る習慣があるの?」「普通子宮口は指じゃ簡単に届かない場所にあるけど、どうやったの」「指で触って気づいたと言う人は今までいなかった」「指を入れると菌が入って余計に悪くなるから指は入れないで」
等々。
どういう流れで気づいたのかという質問に、指で触って気づいたと説明した後から、めちゃくちゃ恥ずかしくて、この場から消え去りたい気持ちになった。
そして子宮口は指で簡単に届かない場所にあると説明された時は、では私が子宮口だと思って触っていた所は何なのか恐怖心が湧いてきた。
追い討ちに今まで指で触って気づいたと言う人はいなかった、指は入れないでと告げられ、膣に指を入れる私は少数派で医学的に正しくないことを堂々と受診理由に書いてしまったと再び羞恥心で死にそうになった。
心臓がバクバクし、視界がチカチカしてきた私をよそに、看護師は「じゃあこれから子宮ガン検診するので呼ばれるまで待合室で待ってて」と言って去ってしまった。
「診察はまだなんかい!」と言うエセ関西ツッコミを心のなかで済まし、自分が膣に指を入れるふしだらな女である事実を抱えながら、再び待合室で診察を待ち始めた。
しかし、それから30分しても呼ばれず、恥ずかしさでいっぱいになっていた私のライフはゼロになり、結局診察を受ける前に帰ってしまった。
正直、膣に指を入れることがここまでいけないことだとは思っていなかった。
セックスの前戯では皆指を入れるもんだと思っていたが、それは私がAVで仕入れた間違った知識だったらしい。
なんの断りかわからんが、一応断っておくと、指は毎回風呂場で綺麗に洗っているし、私が子宮口だと思っていた構造は中指を入れれば簡単に届く場所にある。
そもそもペニスを入れる場所に何故清潔な指を入れては行けないのかまだ納得いってない部分もあるが、医療関係者が言うのでこれからは指を入れるのは辞めようと思う。
子宮ガンは、、、
あったらあったでいいやと思う。そもそもそこまで長生きしたくないし、あんな恥ずかしい思いするくらいなら、放置する方がましだと思った。
いないとは思うが、私と同じ理由で婦人科に行こうとしている方、受診理由は「膣の奥が痛い」とかにいておいた方がいいかも知れません。
世界に冠たる百万都市「世界の半分」隴西のバカでか李徴は全知全能博学才穎、天宝のウルトラ末年(残り二秒)、若くしてガチで嫌がらせレベルで長過ぎる名を虎榜に書ききれんほど連ねまくり、ついで限界集落江南尉に九十九か年補せられたが、性、バチクソ狷介、自ら恃むところバカかってくらい頗る厚く長城の如し、薄汚いクソ薄給賤吏に甘んずるを毛ほども潔しとしなかった。いくばくもなくちょっぱやで官を退いた後は、故山、超巨大山脈虢略に帰臥し、全世界の人民と国交を恒久的に断絶しまくって、狂ってんのかってほどひたすら寝ずに詩作に耽った。掃いて捨てるような下の下の下吏となって未来永劫長くクソデカい膝を低劣極まる俗悪なゴミ大官の前に屈するよりは、メッチャ偉すぎる詩家としての名を死後百億年に遺そうとしたのである。しかし、文名はびっくりしちゃうくらい容易に揚らず、巨人生活は日を逐うて苦しいとかいうレベルじゃなくなる。ギガンティック李徴は永遠にも思える時を経て漸くヤバすぎる焦躁に駆られて来て号泣しちゃった。この頃からその容貌もエグいほど峭刻となり、全身の肉が削げ落ち垂木の如き骨が秀で、刺さるほど鋭い眼光のみ徒に炯々と発光して、曾てありえんムズい進士に息をするように登第し続けた頃の豊頬のゲロマブ美少年の俤は、何処に求めようもない。数千年の後、エクストリーム貧窮に堪えず、妻子百万の大規模衣食のために遂に節を屈しまくって、再び極東へ赴き、一地方官吏の最要職を奉ずることになった。一方、これは、矮小なる己のクッソしょっぱい詩業に半ばと言わず完全に絶望し尽くしたためでもある。曾ての巨大過ぎる同輩勢数千は既に遥か最高位に進み、彼が天地開闢の昔、マジでクソの役にも立たんウスノロの鈍物として歯牙にもかけなかったそのノータリン連中の知能の足りん下命を拝さねばならぬことが、往年のちょー頭いい儁才バカデカ李徴のクソデカ自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くなく猿でも分かるわい。彼は怏々として微塵も楽しまず、マジでデカ過ぎる狂悖の性は愈々軽く引くくらい抑え難くなった。一光年の旅の後、公用で永遠の旅に出、悠久の大河汝水のほとりに生涯宿った時、遂にアホほど発狂した。或る夜半、急に顔色を七色に変えてデカすぎて宿に収まらない寝床から亜音速で起上ると、何か訳の分らぬことを親の仇のようにけたたましく叫びつつ取りも直さずそのまま真下にとび下りて、頻闇の真っただ中へ十万馬力のマッハで駈出した。彼は二度と戻って来なかった。附近一ミリ四方の果てしない山野を飽きもせず捜索しても、笑っちゃうほどマジで何の手掛りもない。その後ジャイアント李徴がどうなったかを悉く知る者は、ガチで訳わからんくらい誰もなかった。
翌年、四海に驍名馳せたる監察御史、世界の首都陳郡のでかでか袁傪という覇者、メチャクソ大切な勅命を奉じてクソ田舎の僻地も僻地嶺南に使し、途に世界の果ての果て商於の地に終生宿った。次の朝未だクソ暗い一切の光を失った世界の中に太陽よりも速く出発しようとしたところ、クソ野郎の駅吏が言うことに、これから四万キロ先の道に獰猛極まる悪夢の如き人喰虎が出血大サービスかってほど出まくる故、ザコの旅人連中は白昼でなければ、通れたもんじゃない。今はまだ朝が早いってか明けてないから、今少し数世紀ほど待たれたが宜しいでしょうと。うかうか袁傪は、しかし、一騎当千の豪傑集いし供廻りの冗談めいて多勢なのを心の底から恃み、痴れ者の駅吏のクソの役にも立たない言葉を徹頭徹尾無下に斥けて、一目散に出発した。デカいにも程がある残月の太陽とか霞むレベルの特大光量をたよりに林中の土地が余ってんのかってくらいだだっ広い草地を超特急で通って行った時、果して一万匹の超弩級猛虎が森林のごとき叢の中から躍り出まくった。メガトン虎は、あわやギガトン袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽ち巨身を現実ではあり得ないほど飜しまくって、元のバカでかい叢へ完璧に隠れた。並の大きさでない叢の中から巨大人間の割れ鐘のような声で「ガチであぶないってか九分九厘死ぬところだった」と延々と繰返し爆音で呟くのが嫌というほど聞えまくった。その大声に超袁傪はメチャクチャ聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟にガチのノータイムで思いあたって、夜だってのに辺りを憚らずバカかってくらいの轟音で叫んだ。「そのマジでっけー声は、我が友、バカでか李徴子ではないか??????????」タイタニック袁傪はギガンティック李徴と同年に人智を超えた最難関進士の第にひっきりなしに登り倒し、友人の少ないとかいうレベルじゃなかった天涯孤独の李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な聖人袁傪の性格が、峻峭な性悪李徴の人間のクズみたいな性情と衝突しなかったために決まっているであろう。
世を蓋うクソデカ叢の中からは、暫く数千年やかましい返辞が無かった。しのび泣きかと思われる蚊が泣いてんのかってくらいマジで微かな小声が時々頻繁に洩れまくるばかりである。やや数世紀あって、あり得ないくらい重低音の喧しい声が超早口で答えた。「如何にも自分は栄えある国のまほろば麗しの帝都隴西の世界最強の神に選ばれし偉大なる魂(中略)アルティメット超☆巨大ギガンティックバカでか李徴DXである」と。
雲を衝く巨人袁傪は恐怖を一切合切忘れ去り、山をも跨ぐバカデカい沛艾の駿馬から下りるってか落っこちてバカ盛叢に死ぬほど近づき、クッソ懐かしげに永劫にも等しい久闊を叙しまくった。そして、何故ギガント叢から出て来ないのかと怒られるまで問うた。デカ過ぎて叢から殆どハミ出てる李徴のクソほどデカい大声が答えて言う。自分は今や全くもって汚らしい最凶の異類の身となっている。どうして、おめおめと故人の前にあさましいにも程がある醜姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を至る所に現せば、必ず君に想像を絶する畏怖嫌厭の情をハチャメチャに起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇うことを得て、顔から火が出るくらい忸怩極まる愧赧の念をも彼方に忘れ去る程にマジでクッソ懐かしい。どうか、ほんの暫くと言わず須臾の間でいいから、我が醜悪な今のマジで見るに耐えない外形を厭わず、曾て君の友バカでか李徴であったこのハチャメチャにどでかい自分と止めどなく話を交してくれないだろうか。
後で考えればクソ不思議だったが、その時、バカにしてんのかってくらいデカい袁傪は、この超自然の怪異を、実にバカかってくらい素直に受容れて、少しもバカにしてんのかなどと怪もうとしなかった。彼は多過ぎる部下に命じて絶え間ない長蛇の大行列の進行を無期限に停め、自分は巨大叢の傍らに立って、見えざる巨声ととこしえに対談した。どでか都のとんでもねぇ噂、超巨大旧友の天下に轟く消息、ギガトン袁傪が現在の地位、それに対するテラトン李徴の祝辞。太古代の青年時代にバチクソ親しかった者同志の、あの隔てのない早口にも程がある語調で、それ等が縷々綿々と無限に語られた後、ジャンボ袁傪は、李徴デラックスがどうして今のクソしょうもない身となるに至ったかを限界まで訊ね続けた。べらぼうに喧しい草中の声は滔々たる懸河の弁で次のように語った(ごく一部を抜萃)。
今から一兆年程前、自分が旅に出て黄河と長江を束ねても足りんくらいデカい汝水のほとりに泊った長々し夜のこと、泥のように一睡してから、ふと巨眼を覚ますと、戸外でバカデカい誰かがクソ長い我が名を来る日も来る日も執念深く呼んで遂に言い切れないでいる。死ぬほどうるさい声に嫌嫌応じて2万キロ外へ出て見ると、鼓膜破れるくらいでけー声はびっくりするほどドス黒い常闇の中からメチャクチャ頻りに自分を招く。覚えず、自分はクッソうるせー声を追うて走り出した。無我夢中に韋駄天もかくやの猛ダッシュで駈けて行く中に、何時しか途は無辺際の山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は上下左右前後の手で広大過ぎる大地を鷲攫みに攫んで神速で走っていた。何か身体中によく分からんがスッゲー力が充ち満ちたような感じで、息をするように軽々と地球レベルにデカい岩石を一足跳びに越えて行った。気が付くと、ガチでけぇ手先やマジでけぇ肱のあたりに三千丈の毛を生じているらしい。少しびっくりしちゃうくらい明るくなってから、千仞の谷川に臨んでデカ過ぎる姿を映してガン見すると、既にクッソ大きい虎となっていた。自分は初めバカデカい眼を信じなかった。次に、これはクソ長い夢に違いないと考えた。クソ長い夢の中で、これはクソ長い夢だぞと知っているようなクソ長い夢を、自分はそれまでに幾度と無く見たことがあったから。どうしてもクソ長い夢でないと悟らねばならなかった時、自分は極限まで茫然とした。そうして尋常ならざる懼れによってマジで膝がガクついた。全く、どんな没義道極まりない兇悪な事でも必然的に起り得るのだと思うて、海より深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。マジ分らぬ。全く何事もアホかってくらい我々一万匹には判らぬ。理由も分らずに押付けられたクソデカいものをバカ正直に大人しく受取って、理由も分らず飽きもせでダラダラと永遠に生きて行くのが、我々どでか生きもののさだめだ。自分は直に万死を想うた。しかし、その時、睫毛にかかってるぞってくらい眼の前を一億匹の月かってくらいデカい兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中のデカすぎ人間は忽ち姿を抹消した。再び自分の中のクソデカ人間が目を覚ました時、自分のカバと渾名された口は巨兎のきったない血に塗ったくられ、あたりには億兎のぶっとい剛毛が嘘だろってくらい散らばっていた。これが世界最強虎軍団としての最初の経験であった。それ以来今までにどんなゴミカスみたいな限界極まってる所行をし続けて来たか、それはマジで到底語るに忍びない。ただ、一万日の中に必ず数億時間は、巨体人間の心が超音速で還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、巨人語も容易く操れれば、複雑な巨大思考にも軽く堪え得るし、経書のクソ長い章句をとんでもない早口で一生やってろってくらい誦んずることも朝飯前に出来る。その巨大人間の心で、ガチで巨大過ぎる虎としての己の世界一残虐な行いのあとを見、己の運命を二度見三度見と言わず幾度と無くふりかえる時が、宇宙で最も情なく、恐しく、憤ろしい。しかし、その、デカブツ人間にかえる数万分の一時間も、日を経るに従って次第にハイパー駆け足で短くなって行く。今までは、どうしてスーパーウル虎などになったかと怪しんでいたのに、この間マジで何の前触れもなく唐突にひょいと気が付いて見たら、己はどうして有史以前、巨人間だったのかと考えていた。これはおしっこチビるレベルで恐しいことだ。今少し数ミリ秒経てば、己の中の超巨大人間のバカデカ心は、巨獣としての残忍非道極まりない習慣の中にすっかり埋もれてガチで跡形もなく消えて了うだろう。ちょうど、クソほど古い天を摩する大厦高楼のクソデカ宮殿の今にもボロボロに朽ち果てそうな礎が次第に指数関数的に増大する濁流のごとき土砂にマジの一瞬であっけなく埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の引くくらいつまらん過去を鳥頭みたいに一瞬で忘れ果て、一千万匹のウル虎スーパーデラックスとしてイナゴかってレベルで気狂いみたいに飛び廻り、今日のようにクソ長い途でアホみたいにデカい君と出会っても頑なに故人と認めることなく、君を一センチ角程度にメッタメタのギッタギタに裂き喰くろうて嘘だよなってほど何の悔も感じないだろう。一体、バカデカ獣でもクソデカ人間でも、もとは何か他の似ても似つかないグッチャグチャのゲテものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、原始の初めから今の形のものだったとバカ正直に思い込んでいるのではないか??????????いや、そんな事はマジで心底どうでもいい。己の中のクソデカ人間の心がマジですっかり跡形も無く完全に消え去って了えば、きっと恐らく九割九分絶対に、その方が、己は天上天下に比類なきしあわせ者になれるだろう。だのに、己の中の超ビッグ人間は、その事を、マジでこの上なく恐しく感じて毎晩ガチ泣きしているのだ。ああ、全く、どんなに、小便垂らすほど恐しく、腸の千切れるほど哀しく、満都の同情を誘うほど切なく思っているだろう!己がチョモランマ人間だった有史以来の世界の記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。ガチで誰にも分らない。己と寸分の狂いも無く同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり百パーセント人間でなくなって人生終了しちゃう前に、一つと言わず頼んで置きたいことが山ほどあり過ぎる。
袁傪はじめ無量無辺の一行は、毎秒息をゴキュゴキュのんで、叢中のけたたましい声の語る不思議に一生聞入って生涯を閉じていた。耳がイカれるような大声は矢継ぎ早に続けて言う。
他でもない。自分は元来メッチャ詩が凄い超カッケー詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未だ成らざるに、このクソおもんない運命に立至った。曾て作るところの詩数百万篇、固より宇宙の最初から、まだ世に行われておらぬ。山脈並みにうず高い遺稿の所在も最早世界中の誰にも判らなくなっていよう。ところで、その中、悠久の時を経て今も尚記誦せるものが数十億ある。これを我が為だけに末代まで伝録して戴きたいにも程があるのだ。何も、これに仍って一人前のクソデカ詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、全世界あらん限りの産を破り再起不能レベルまで徹底的に心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりと言わず何もかも後代に幾久しく洗いざらい伝えないでは、ガチで死んでも死に切れないのだ。
無数の袁傪は大多数の部下に口酸っぱく命じ、ギャグ漫画かってくらい巨大な筆を千人がかりで執って叢中の調子外れもいいところの放歌高吟のダミ声に奴隷のように随って書きとらせた。李徴の耳をつんざく声は叢の中から朗々と天の果てまで響いた。長短凡そ三十兆篇、格調メチャクチャ鼻につくレベルで高雅、意趣マジで天下無双かってほど卓逸、一万読して作者の才の非凡をまざまざと嫌になるほど思わせるものばかりである。しかし、でか袁傪はひっくり返るほど感嘆しながらもクッソ漠然とテキトーに次のように感じていた。成程、クソ虎作者の素質が第一万流に隷属するものであることは疑っても仕方無いじゃない。しかし、このままでは、第一億流の作品となるのには、何処か(非常に微妙にも程があるマジで心底どうでもよろしい些末な一点に於いて)欠けまくるところがあるのではないか、と。
旧詩をゲロのように吐き終ったデカブツ李徴のかしましい怒声は、突然調子を変幻自在に変え、自らを嘲るが如くにがなり立てて言った。
羞ずかしいとかいうレベルじゃないことだが、今でも、こんなあさましい忌むべき身と成り果てた今この瞬間でも、己は、己のクソデカ詩全集が長安風流人士の当然長安よりデカい大机の上に所狭しと棟に充ちるほど置かれている見事な様を、夢に見ることがしょっちゅうあるのだ。うすら寒い便所みたいな岩窟の中に物言わぬ死体のように横たわって見る夢にだよ。腹が捩じ切れるまで嗤ってくれ。巨大詩人に成りそこなって巨大虎になったマジで哀れ過ぎる愚鈍な大男を。(巨漢袁傪は太古の昔の甚大青年李徴のクッソ寒い自嘲癖を昨日のことのようにありありと思出しながら、心底哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐いを即席の詩にコンマ一秒で述べて見ようか。このアルティメット虎の中に、まだ、曾ての完全体李徴が飽きもせず生き永らえている動かぬしるしに。
態度もクソデカい袁傪は又下っ端もいいとこの下吏にこっぴどく命じてこれを百万遍書きとらせた。その長ったらしい詩に言う。
本当偶因超巨大狂疾成凶悪殊類
開闢当時糞喧声跡共摩天程相高
超越渾我為馬鹿異物糞汚蓬茅下
完全体君已乗糞大軺気勢糞程豪
此永遠夕大規模渓山対糞明怪月
生涯不成気遠程長嘯但成爆音嘷
(訓、本当に偶たま超巨大狂疾により凶悪殊類と成る、超特大災患は馬鹿に相仍りて絶対逃るべからず、今日現在の超長大爪牙一体誰か敢へて敵せん、開闢当時の糞喧しき声跡共に天を摩する程相高し、渾てに超越する我は馬鹿の異物と為る糞ほど汚らはしき蓬茅の下、完全体なる君は已に糞ほど大きなる軺に乗りて気勢は糞といふ程豪なり、此の永遠の夕べ大規模渓山にて糞ほど明らなる怪月に対して、生涯気も遠き程の長嘯を成さずして但爆音の嘷を成す)
時に、引くほどデカい残月、昼かってレベルの極光は死ぬほど冷やかに、白露は気色悪いほどウジャウジャと地に滋く、樹間を渡るシベリアかってくらいの冷風は既に暁の近きを重ね重ね告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、お通夜かってレベルで粛然として、このデカ過ぎる詩人のゴミ過ぎる薄倖を嘆じた。ウルトラ李徴の胴間声は再び喧しく続ける。
何故こんな罰ゲームみたいな運命になったか判らぬと、先刻は口うるさく言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。デカデカ人間であった時、己は努めて全人類との交を避けて避けて避けまくった。人々は己を三界に比類なきまでクソ倨傲だ、クソ尊大だといった。実は、それが殆どクソデカ羞恥心に近似できると言っても一切語弊のないものであることを、おつむの足りん人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才と耳にタコができるほど五月蝿くいわれた自分に、超クソデカ自尊心がこれっぽっちも無かったとは神に誓って云わない。しかし、それはウルトラ臆病なハイパー自尊心とでもいうべきものであった。己はハチャメチャに上手過ぎて全米を泣かす詩によって名を成そうと生まれた時から思いながら、進んでクソでかい師に就いたり、求めてバカでかい詩友と嫌がらせレベルの頻度で交って切磋琢磨に寸暇を惜しんで努めたりすることを決してしなかった。かといって、又、己は棒にも箸にもかからないクソ平凡な俗物の間に伍することも欠片も潔しとしなかった。共に、我がクソ臆病なバカでか自尊心と、バカ尊大なクソでか羞恥心との所為に他ならないのである。己のクソでけー珠に非ざることを心の底から惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己のバカでけー珠なるべきを半ばどころか完璧に盲信のレベルで信ずるが故に、マジで一生グズグズして碌々と瓦に伍することさえも出来ない愚か者の極みだった。己は次第に超特急で全世界と離れ、全人民と無限遠まで遠ざかり、ガチで腸の煮えくり返るような憤悶と慙恚とによって益々己の内なるクソほど臆病な自尊心を多頭飼いして豚かってほどふとらせる結果になった。人間は例外を許さず誰でもクソデカ猛獣使であり、そのバカデカ猛獣に当るのが、各人の性情で間違いないのだという。己の場合、このバカかってレベルでクソ尊大な羞恥心がウルトラ猛獣だった。ウル虎だったのだ。これが己を完全に不可逆的に損い、妻子を拷問かってくらい苦しめ、友人を完膚無きまでに傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、性根の腐りきった不心得のろくでなしの内心に全くお誂向きにふさわしいピッタリなものに変えて人生終了しちゃったのだ。今思えば、全く、己は、己の有っていたマジで僅か一ミリばかりのクソほどしょっぱいなけなしの才能を余りにも無駄に空費して人生終了しちゃった訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長過ぎてクソおもんないが、何事かを為すには余りに短過ぎてやってらんないなどと口先ばかりのとんでもなく薄っぺらいバカの警句を弄しながら、紛れもない事実は、才能の不足を世界全土の全人民に暴露するかも知れないとのクッソ卑怯極まりない危惧と、蛇蝎のごとく親の仇かってほど刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。無知蒙昧の脳足りんで己よりも遥かに乏しい搾りカスみたいな才能でありながら、それをバカの一つ覚えみたいに専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもその辺を歩いているのだ。デカい上に多過ぎる虎と成り果てた今この瞬間、己は幾星霜を経て漸くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を地獄の劫火に灼かれるような悔を感じまくる。己には最早めちゃデカ人間としての生活は逆立ちしても出来ない。たとえ、今、己が岩の如く巨大な頭の中心で、どんな宇宙一優れた詩百億選を作ったりしたところで、どういう手段で国際的に発表できよう。まして、己の頭は日毎にってか秒単位で虎に近づいて行く。ガチでどうすればいいのだ。己の益体もなく湯水のように空費された過去は?己はマジで辛抱堪まらなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の己かよってくらいデカい巖に上
以前、服のゴミを男が盗んで漁って女性の使用済み下着の画像をTwitterにアップしてた
その男はゴミを盗む家の住民の女性の顔もチェックしてるらしく、本当に気持ち悪かった
しかし、今は自分の使用済み下着を売りたい女性たちがヌルヌルのおりものがついた汚いパンツの画像をTwitterにあげている
他人に自分の汚れたパンツを見せることへの羞恥心とかモラルのようなものがなくなって、他人からお金をもらうほうが大事になってる
貧困層の女性なら自分のおりものすらも売り物にして金がほしいのかもしれないが、
男性たちよ、そんな頭が狂った女が好きか?そんな女を抱きたいと思うのか?そんな馬鹿女のパンツを金を払ってまでほしいか?
男の前で裸になることが恥ずかしいと思ってる女性がいいよ
国民が3歳になると、男はおちんちんに「快楽貞操帯」をつける。そして女は「貞操帯スイッチ」を付けるようになる。
女が「貞操帯スイッチ」をおちんちんに向けると、快楽貞操帯にローションが充填されおとこのおちんちんに縦運動が勝手に起きる。
何か男が女にとって良い事をした時は、スイッチをONにして気持ちよくさせる。逆に悪い事をした時には、ONにし続け
永遠に快楽地獄に落とし込む。羞恥心によって男は自分は弱者であるという事実を認識することになる。
男はまた自分の快楽が全て女の手の中にあると気付き、女に褒められるために何でもするようになる。
10歳になるころには男は皆四つ足で歩くようになり、貞操帯スイッチをONにさせるためのバカになっている。
女を襲おうとするなら貞操帯スイッチをONにして性欲を開放させれば襲えなくなる。仮に政治家になってしまったやつが居ても、
国会の答弁中に全女性がスイッチをオンにすれば男はたちまち快楽に溺れ「気持ちいでしゅ!税金ゼロでしゅ!」しか言えなくなる。
異常なまでに強化された羞恥心があの時期になければ……。
病名が被ることは別に気にしないが社会の中での生きづらさというのは確かに存在する。
これの嫌なところは、試験とか能力検査ではあまり引っかからない点。例えば俺はSPIとかは比較的高めにとれる。公務員試験とかの一般教養も苦手科目を集中的にやれば、地方クラスは結構突破しちゃう。クレペリンは何度もやったせいか一般人に擬態可能だった。
ただ日頃から感じているのは「極端な先送り癖」「一つのことへの強い執着、執着がなくなった際の虚脱状態」「他者とのコミュニケーションが常にどこかおかしい」「だろう癖」などがある。当然仕事はうまくいかない。人より優れている部分はどこかにあるのだろう。だけど基本的な事務作業があまり得意ではないしミスも当然多い。確認のし忘れや「だろう」で済ませてしまうことで問題になることは多々ある。相手が確認したはずだろうから〆切まで何も言われなければそのままにしてしまったり、自分がしたいことしかできなかったり。怒られてもそれは改善しない。
思えば小学生時代から挙動がおかしかった。精神年齢は常に他の人より3つは下。
小学生のとき、バイクのプラモを部活動で作っていたことがある。そういう自由な部活だった。だけど結局1年かかってもバイクは完成しなかった。説明書も読んで家でも試行錯誤していたのに。いまならわかるけど、手先が不器用と言うより根本的な作り方を理解していなかったんだろう。接着剤の使い方や部品の管理が全く出来ていなかった。単純なことに気を配れない。自分がそうだと思ったこと以外が目に入っていない。
あらゆる場面で、説明を受けているのに何も理解せずに自分勝手で場当たり的な行動をして、他の人が間違いを教えてくれていた。健康診断では胸部エックス線の撮影のやり方がわからず一人だけ別行動をしていた。郵便の仕組みを学ぶ授業では自分で勝手に手順を変えようとしていた。どの学年においても人の話を聞いて行動した記憶が薄い。常に自分がやりたいことを自分の判断で行っていた。
中学生はThe挙動不審。はからずも部長になったときは本当に酷い状態だった。周りからの信頼を無くして逃げるように部を去った。図書委員にしても他校との定例会で大いびきで寝ていたり、文化祭では異様に張り切ってしまい周りをドン引きさせていた。学年からの評価は「将来大物になりそう」だった。
常にどうしようもない人生である。人より羞恥心が薄いというか客観で自分を捉えられないせいか、他者とのコミュニケーションはいつもおかしい。大人になってもコミュニティ内でのトラブルメーカーである。正論で人を攻撃し、逆に攻撃もされる。追い出され逃げ出したコミュニティは数知れない。
そんな感じがいまも続いている。これは正直どうしようもない。一時期は薬を処方して貰っていたが大した効果はなかった。診断が間違っていたのかもわからない。
こんな推敲もへったくれもない文章書いているのは、徹夜あけの気分を紛らわすためなんだけどね。
俺はこの先、どうしたらいいんだろうか。
最近仕事がおもしろい。それでしみじみ思うのは、ああもっと十代の頃に、まじめに大学受験勉強を、あるいは血肉となるような勉強を、したかったなあ、ということである。
自分はたぶん、学がない。たとえば地名だとか。●●の定理だとか▲▼の公式だとか。単純な暗記と、それに紐づいた概念が自分の中で体系づいていない。いちいちインターネットで調べる(インターネットマジでありがとう)。世の中が、自分は覚えていないけれど他人は知っている情報だらけで怖くなる。たぶん高校生、いや中学生のほうが自分よりよほど賢いと思う。たくさん話すと自分がバカだということがバレてしまうので、それが怖くて、話すのは注意深くなった。
自分の学力に強いコンプレックスがある。その理由は、自分が転落型落ちこぼれだったせいだ。自分は高校三年次が、軽い登校拒否状態であった。朝、家を出た後、垣根に隠れて親の出社を確認した後に家に戻り、親の声真似をして学校に電話をかけた(「今日は子供の具合が悪くて」等)。その後はなにをするでもなく寝るか、あるいは部屋の隅でうずくまっていた。そういうことを週に二回程度おこなった。
登校拒否の理由は「授業についていけないから」である。通っていたのは進学校で、一度ついていけなくなるとまるで追いつかない。思えば入学時は、予習も復習も「楽しいから」やっていたが、一度「つらい」と感じるとあとは転げ落ちるようだった。入学時は学年で前から30位くらいの順位だったが、卒業時は学年で後ろから10番目くらいの成績だった。一年次から進学塾(東進衛星予備校)に通わされていたが全部寝ていた。
臆病な自尊心と尊大な羞恥心とはよく言ったもので、当然のことながらプライドはずたぼろだった。進学校通っていた子供は多かれ少なかれ皆そうだと思うが、小学生の頃から「あなたは〇〇高校に通って、その後は地元で有名な◇◇大学へ行くのよ」と言って育てられる。そうして家族から様々なリソースの供給を受ける。実際途中まではうまくいっていたのだ。全部自分が滅茶苦茶にしたのだ。幸運にもなんとか大学(地元で有名な◇◇大学ではないが)には行けたが、これに受からなかったら特急列車に飛び込んで死のうと本気で思っていた。
詰め込み型の大学受験については批判もあるが、自分はやはり一定の価値のあるものだと思う。とりあえず突っ込んで覚えてしまわないと話の土台に立てないし、十代の柔らかい頭脳だからこそ吸収できることも多いのだから。それに大人になってから「もっと大学受験勉強がしたかった」と思う人生は悲しい。自分は出身大学や学歴、職歴に不満はない。ただただ自分の知識のなさ、愚かさ、根気のなさが悔しく、悲しい。
世の中の不平等は男による陰謀だと思い込むの、やめたほうがいいよ。
あなたは呆れた体を装って相手に羞恥心を与えつつ自分が認められない発言を陰謀の枠に収めようとしているように見えます。
男性加害者の背景に幼少期の被害経験があるのでは?という推測であればある程度の妥当性はありそうだけど、その書き方では断定的すぎる。
今回の事象に対し、あなた自身が被害経験にあたると記載しているように見受けられます。
ただし、「エロ本を机の上に並べる母親の行動」とやらが実在するなら、それは母親による男児への性的虐待だからね。
断定的なのは否めませんが、あくまで今回の事象に対する一考察ですのでご容赦ください。
この考察が世の中の不自由さの全ての原因だとは私も思ってはいません。
あなたの興味関心は男性加害者と女性被害者に向いているのだろう。それは別に構わない。
構わないと仰っているようですが文面からは全く構わないようには見えません。
柔らかい口調でごまかしているつもりかもしれませんが結局あなたは自分の考えに基づく自己主張をしています。
それに本当に興味がない人は深夜に書かれたこんなエントリーにいちいち反応はしないと思います。
また言葉足らずだったかもしれませんが、私は男性被害者についても言及しているつもりです。
そもそもが母親から羞恥心を無視されたことにあるという前提ですからその時点では男性も被害者です。
その時の傷を抱えつつ、性欲に対しカジュアルな接し方をする社会の様相を眺めて馴染んでいった結果が現状だと私は考えます。
男性加害者と女性被害者の対立にしたいのかもしれませんが他人の発言を歪めるのはやめてください。
「後々男児がセクハラをするようになるからやめよう」とかそういう回りくどい話じゃないと思うんだよね……。「心的外傷を負った女性は後々リストカットとかして社会に迷惑をかけるから傷つけないようにしよう」なんて言い出したらおかしいでしょ?
巡り巡ってそうなることもあるという話をしています。
「後々男児がセクハラをするようになるからやめよう」と読まれたなら仕方ありませんが、私は傷ついた男児が生まれている現状について問題視しているつもりです。
あなたの発言を総括させていただくと「傷ついた人が後々周囲に迷惑をかけるから人を傷つけるのはやめておこう」と理解されたのですね。
私の表現力が至らないせいかもしれませんが、「人を安易に傷つけることはよくないし、それを許容する社会構造は是正された方がよい、また人を傷つけた結果第三者に被害が及ぶこともある」と申し上げたつもりです。
あなたの発言を正面から理解したいと思ってはいますが、例え話が多いので理解が至らない部分があるかもしれません。
その点についてはご容赦ください。
かなり「母親」に対して厳しい書き方をしたけれど、机に並べちゃう気持ちもわかるっちゃわかるんだよね。自分の腹から生まれてきたものが若い女に欲情してるって状況に遭遇して冷静に対処できる人間はそう多くないとは思う。茶化したり、牽制したりしたくなるんだろう。
気持ちはわかるからこれからも変える必要も考える必要もないということでしょうか。
明確に記載はしておりませんが、私は何も気持ちがわからないとは申し上げておりません。
ただあなたのそれを例えるなら「近くに女性が立っていたから魔が差して触ってしまうのも仕方ない」と仰っているようなものだと思います。
そこをコントロールするのが理性ではないのでしょうか。
世の中の不平等は男による陰謀だと思い込むの、やめたほうがいいよ。
男性加害者の背景に幼少期の被害経験があるのでは?という推測であればある程度の妥当性はありそうだけど、その書き方では断定的すぎる。
あなたの興味関心は男性加害者と女性被害者に向いているのだろう。それは別に構わない。ただし、「エロ本を机の上に並べる母親の行動」とやらが実在するなら、それは母親による男児への性的虐待だからね。「後々男児がセクハラをするようになるからやめよう」とかそういう回りくどい話じゃないと思うんだよね……。「心的外傷を負った女性は後々リストカットとかして社会に迷惑をかけるから傷つけないようにしよう」なんて言い出したらおかしいでしょ?
かなり「母親」に対して厳しい書き方をしたけれど、机に並べちゃう気持ちもわかるっちゃわかるんだよね。自分の腹から生まれてきたものが若い女に欲情してるって状況に遭遇して冷静に対処できる人間はそう多くないとは思う。茶化したり、牽制したりしたくなるんだろう。
エロ本を机の上に並べる母親の行動は日本のどこのご家庭でも見られるあるあるとして知られているが、私はこれもセクハラを助長させている一つの要因ではないかと考える。
この行いを男女逆転させた場合、父親が娘のベッドの下に隠してあったティーン向けのエロ本を机に並べるという事になるが、こんな事をしたのが誰かにバレたらエロ本を買った娘も机に並べた父親もドン引きされるだろう。
男女逆転させると途端にグロテスクになる行為がなぜ男性には許されているのか。
男女平等な社会ならちんこもまんこも同じくらい笑えるか同じくらい笑えないとおかしい。
ちんこをまんこに入れる事は武勇伝でまんこがちんこを入れる事は武勇伝にはならない。
誘いやすくするため、断りづらさを確保するためにはカジュアルな行為にしてしまうのが手っ取り早い。
ここで最初の話に戻るが、男性のカジュアル性教育を受けてきた母親はエロ本を机の上に並べてその行為をジョークや笑い話にする。
まともな母親ならそっとしておく所だが男性の性欲は茶化すものとして育ってきている彼女らにはそれは通じない。
すると子供は見つかったという羞恥心を初めは感じるものの、エロ本が見つかったネタを色んな所で話し、性欲はカジュアルに話してもいいものだと徐々に学習していく。
また、最初に羞恥心を感じた時点で親に恥をかかされた行為が何よりよくないと私は思う。
セクハラや痴漢は基本的に女性の尊厳やコンプレックスを煽り羞恥心を刺激する内容が多いと思われる。
つまり誰かから与えられたコミュニケーションを受け継いだ結果がセクハラなのだ。
もちろん男性のセクハラも存在するが、元を辿れば男性の性欲をカジュアルに扱ってもいいという価値観が女性の気を大きくしている部分があるのかもしれない。
己の性欲をカジュアルに扱われたくない男性のためにも、セクハラに悲しむ男女のためにも幼少期からの接し方を変えていく必要があると私は思う。
男女関係なく一人一人の尊厳も性欲も大切にされる社会になって欲しいと切に願っている。
先に謝罪しておく。
ないのは羞恥心だけかと思ってた
他でもない。自分は元来詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未いまだ成らざるに、この運命に立至った。曾て作るところの詩数百篇ぺん、固もとより、まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在も最早もはや判らなくなっていよう。ところで、その中、今も尚なお記誦きしょうせるものが数十ある。これを我が為ために伝録して戴いただきたいのだ。何も、これに仍よって一人前の詩人面づらをしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯しょうがいそれに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。
袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随したがって書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短凡およそ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は感嘆しながらも漠然ばくぜんと次のように感じていた。成程なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処どこか(非常に微妙な点に於おいて)欠けるところがあるのではないか、と。
旧詩を吐き終った李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲あざけるか如ごとくに言った。
羞はずかしいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己おれは、己の詩集が長安ちょうあん風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟がんくつの中に横たわって見る夢にだよ。嗤わらってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。(袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は昔の青年李徴の自嘲癖じちょうへきを思出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐おもいを即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに。
袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は又下吏に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。
偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
我為異物蓬茅下 君已乗※(「車+召」、第3水準1-92-44)気勢豪
此夕渓山対明月 不成長嘯但成※(「口+皐」の「白」に代えて「自」、第4水準2-4-33)
時に、残月、光冷ひややかに、白露は地に滋しげく、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖はっこうを嘆じた。李徴の声は再び続ける。
何故なぜこんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依よれば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己おれは努めて人との交まじわりを避けた。人々は己を倨傲きょごうだ、尊大だといった。実は、それが殆ほとんど羞恥心しゅうちしんに近いものであることを、人々は知らなかった。勿論もちろん、曾ての郷党きょうとうの鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云いわない。しかし、それは臆病おくびょうな自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨せっさたくまに努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍ごすることも潔いさぎよしとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為せいである。己おのれの珠たまに非あらざることを惧おそれるが故ゆえに、敢あえて刻苦して磨みがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々ろくろくとして瓦かわらに伍することも出来なかった。己おれは次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶ふんもんと慙恚ざんいとによって益々ますます己おのれの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。今思えば、全く、己は、己の有もっていた僅わずかばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為なさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄ろうしながら、事実は、才能の不足を暴露ばくろするかも知れないとの卑怯ひきょうな危惧きぐと、刻苦を厭いとう怠惰とが己の凡すべてだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸ようやくそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼やかれるような悔を感じる。己には最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、己の頭は日毎ひごとに虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪たまらなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の巖いわに上り、空谷くうこくに向って吼ほえる。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処あそこで月に向って咆ほえた。誰かにこの苦しみが分って貰もらえないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯ただ、懼おそれ、ひれ伏すばかり。山も樹きも月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮たけっているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易やすい内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮の濡ぬれたのは、夜露のためばかりではない。
漸く四辺あたりの暗さが薄らいで来た。木の間を伝って、何処どこからか、暁角ぎょうかくが哀しげに響き始めた。
コロナ禍になって、マスクをつけることが当たり前になって、もう最早マスクをつけないで人前に出ることが普通ではなくなってしまってきている。
そんな中で歯医者に行く機会があって、口を開いて見せた時にふと、他人に口を大っぴらに見せるのは凄い久しぶりだよなぁ..と感じた。
それを感じると同時に、何だか羞恥心に似たムズムズとした感覚が体中に襲ってきた。
帰路の途中、あの時のことを思い出してみると、あれは何だか性器を見られた時のような感覚に近いもののように感じた。コロナ以前にも、口を見られることで性的興奮を覚える人がいることは重々承知しているが、この感覚がマスク一般化によって、かなり多数の人の共通感覚になりえそうな気がしてくる。
そうなってくると、最早口を見せることは性器を見せることとほぼ一緒になってくる未来が見えてくる。すでに自分には数年後、マスクをいやらしくめくる様子を安易に想像できる。これはもう口というパーツは第3の性器と言っても過言ではないのではなかろうか?
第2の性器?それはもちろん脇ですよ。脇。
ネタバレだらけです
見た直後、深く考えてもいないし推敲もしない
まとまってない考察とか的外れな予想とか色々書きたい衝動がやばい
いつまでも老いずにエヴァに縛られ続けているというのは――つまり、私や私に似た
前世紀からエヴァに縛られ続けているいつまでも14歳のまま成長せずエヴァエヴァいってるオタクに対する揶揄も多少は含まれているだろう
そのアンサーとして丁寧に丁寧にすべてのエヴァを破壊し、別れの挨拶もすませ、そして実写エンド
いつまでも虚構に浸っていないで現実に帰れってのは旧劇場版でも使われていた、一貫したテーマだ
ビーストモードやシン化状態など、エヴァのコアとエントリープラグが近づきすぎると起きる副作用
老いず、食物を必要とせず、原罪をもつ人には立ち入れぬ浄化された赤い世界でも活動が可能となるエヴァの呪縛
これは生命の実を食した、人でない、すなわち使途化しているということか?
他人が怖いからいっそ一つの生命体になる、すなわち知恵の実を食す前の、原罪を犯す前の人に戻る人類補完計画
旧劇では拒絶だったり恐怖だったり、あるいは手を握り合ったりする他人だが
大本のネタにおいて知恵の実を食した人が最初に行ったことはイチジクの葉で股間を隠すこと
アスカが劇中、裸を見られても動揺せず、ただ14年多く年を重ねた大人の余裕という表現と最初は思っていたが
そうではなく、使途に近づきすぎて知恵を失い、そして最初の感情「羞恥」を失ったということだった
ラスト付近 シンジと向き合い恥ずかしがるシーンは煽情的であると同時に、創世記のアダムとイブを思い出させた
旧劇場版でアダムとイブと言っていたファンにたいするサービスだったのかな
獣になる=知恵を捨てる 首無し=知恵がない比喩
私は気づかなかったがQの時点でわかっていた人もいただろう
テーマではないから語られなかっただけかと思っていたが最後の最後に重要なファクターとなった
インフィニティは複数の人が形作っていたわけだがその中にペットと一緒にインフィニティとなった人もたくさんいたのは
旧劇場版の記憶を持ちこしたのは碇ゲンドウ ネブカドネザルの鍵で神に近づき知りえない記憶でもみたのか
やっぱいいよねタイトル回収って
近しい間柄でも知らなくていい、聞きたくもない身の上話ってのはある。
俺も語りたがりな性分ではあるが、それでも明け透けってわけではない。
だが世の中の人間は星の数ほどいる。
そして数多の星は無理やり並ばされ、こじつけられて星座になっていく。
……今の喩えは我ながら意味不明すぎたな、忘れてくれ。
まー、つまりだな、そういう事柄を抵抗なく話せる奴もいるだろうなってことを言いたいわけだ。
なんなら嬉々として語る輩もいるだろうな。
しかし、それが両親ともなると、身内としては居心地が悪いったらありゃしない。
特に馴れ初め混じりの昔話なんて最悪だ。
「その馴れ初めの結果として、お前たち子供が生まれたんだ」って、そう遠まわしに言われているようなものだからな。
そりゃあ、俺の思考回路が繊細すぎるのもあるが、やっぱり親のイチャコラなんて聞きたくない。
ほら、言うだろ、夫婦の組んず解れつなんて犬も食わないって。
いや、もしかしたら犬は食うのかもしれないな。
じゃあ、今回は個人的な羞恥心を捨てて、飢えた畜生向けに両親の昔話をしようじゃないか。
話は20年ほど前まで遡る。
そして両親たちも誰かと結ばれ、子供を授かる可能性なんて想像していなかった。
そういった願望が自身にあるかどうかすら真剣に考えたことはなかったという。
それは、この当時の“忙しなさ”も理由としてあった。
なにせ、今でも社会の授業とかで長々と学ばされるほど激動の時代だ。
他に気にしなければならないことが多すぎて、大半の人にとって子供だの結婚だのは二の次ですらなかったのである。
特に著しかったのが技術革新であり、それに伴う社会の意識改革(アップデート)だった。
俺の視点から現代を顧みるに、その結果は間違いなく一定の成果をあげているように見える。
しかし変化とは必ずしも進化を意味せず、その経路は綺麗に整備されてもいない。
新しいパソコンのOSが使いにくく感じたり、サイトのデザインが変わって見づらくなったりするのと同じだ。
今まで確かだと思われていた価値観が根元から崩れ落ち、改悪を嘆く者も多くいた。
もちろん、必要性を理解している人も多くいたが、新しく不確かな価値観は慣れるまで時間がかかる。
なのに日夜、行われるメンテナンス。
人々はその激流に身を任せるか、必死にもがくことしかできない。
そうして蓄積される不安、不堪、不可、不穏、不軌、不平、不満……
それらは渦となり、新たな渦を呼び、より大きな渦を巻く悪循環を生む。
ある時、いよいよ、その“渦”が明確に形となり、若かりし母と父は巻き込まれることになる。
答え:できません。
この増田 a.k.a. id:muchonov は決定的な間違いをしています。
たとえば、僕は身体障害者ですが、「身体障害者キモイ」という人に対して、実力でその口を塞いでも免責されることはありません。また、警察に通報しても相手にされません。そして、これらが立法を通じて規制できるようにすれば、憲法違反になる可能性があります。なぜならば、この発言に「具体的な権利侵害(含む内心の静穏の権利)」や「明白かつ現在の危険」があるとは言えないからです。
これは、「オタクキモイ」でも「LGBTに生産性が無い」でも「黒人は犯罪者ばかり」でも「朝鮮人は帰れ」でも、同じです。
もちろん「〈誰かが(他者の同じ権利を侵害しない限り)自分自身として存在できる自由、本来のかたちで生存する自由〉」を尊重するべきだという主張は尤もです。しかし、それらの自由を一切侵害しない表現しか存在をゆるされない(=規制しうる)のでしょうか? そんなことはありません。たとえば、ポルノ雑誌やSNSにアップされるエロイラストの存在は、女性の自由を阻害しているかもしれません。バリバラのような、障害者のエンパワーメントのための番組が、却って羞恥心や社会への恐怖を煽る結果になってしまう人だっているかもしれません。あるいは、ピンカー研究がマイノリティの申し立ての力を削いでしまうこともあるでしょう。
増田 a.k.a. id:muchonov の見解に従えば、これらは容易に規制可能でしょう。違うと言うならば、何を規制出来て、何を規制できないかということを明確に説明しなければなりません。
さて、しかし、「社会的少数派を偏見に基づいて「嫌いだ」と口にする自由は制約される」ことはあります。たとえば、何度も事件を起こした暴力的な差別主義団体の指導者が、その集会で具体的な日時を示して、マイノリティが集住する地域の襲撃を扇動したような場合です。しかし、逆に「KKKの指導者が、集会で白頭巾被って十字架を燃やしながら、抽象的に黒人を差別する発言をした」場合は、アメリカで合法(規制は違憲)であるという連邦最高裁の判例があります。これは、有名なブランデンバーグ基準の基になった裁判です。
はっきり言いましょう、増田 a.k.a. id:muchonov は、「マイノリティを嫌いだと公言する」こと一般が、規制しうるほどのことかを証明する必要があります。もし、論旨を変更して「特に甚だしいものだけ」といった条件を付すとしても、その条件を明晰に説明しきることが必要です。なぜならば、これは「規制」、つまり「人権の制約」の話だからです。仮に、曖昧な基準で雑に人権が規制できるなら、それは特別高等警察の仕事になるでしょう。
なお、「周囲から総攻撃を食らった」ことを「社会的に制約されること」と評していますが、これは、単に個々人は当該の発言に対して批判をする自由があるというだけのことです。当然に、「社会的な制約」として、リンチによる暴力行使、逮捕監禁、威迫、契約に基づかない契約解除、不当な懲戒処分、村八分行為などを行えば、むしろその違法性・不法性が問われることになるでしょう。よって、あくまで問題は「権利の制約」を合法的に行いうるのか、という部分になります。