はてなキーワード: 羞恥心とは
いちいち、毎回、念押しみたいに言われなくてもわかってるよ。
許してくれよ。ソシャゲの更新日と、好きなVの配信予定くらいしか、人生で楽しいことがないんだよ。本当に。
俺はゴミだよ。ソシャゲのスレや、Vのチャット欄、それ関係のタイムラインで感想を見て話して、人と会話をした気になってるゴミだ。
でも、もう、すでに逆に普通の人って、何が楽しくて生きているのか、わからなくなってしまった。
知らないけどさ。
もう、若者って俺みたいなゴミだらけだと思うよ。アニメ、ゲーム、漫画、アイドル、テレビ。
下らなくて、存在しない方がいいもののために全力で、頑張って生きてる。
社会のことだとか、政治のことだとか、人権のことだとか、男女同権だとか、環境問題のことだとかで、
「こうした方が世の中はよくなる」なんて、意味もなく叫ばない程度には、身の程をわきまえてるし、羞恥心も持ってるつもりだよ。
だから、許してくれよ。
ホームレス死ね発言でメンタリストDAIGOって奴が絶賛炎上中だが、意識高い系不労所得民なんて生き方してる奴のテンプレみたいなもんだ。
10年前にその一歩先のホームレス殺人を唱導して名を馳せたAutomatons Hacking Guideというはてな日記があった。
ブロガーは「華殉」というビジュアル系っぽい名前を付けた自称東大卒国内一流会社勤務で大学院に通う20代後半という設定の男性。平成初期のトレンディドラマの設定みたいな生活をする人がこの世には居るんだね。
「Automatons Hacking」のAutomatonはオートマタとも言い自動人形のこと。原爆とコンピュータの父、ノイマンが提唱したセル・オートマトンという概念があり、これはそのままライフゲームのアルゴリズムなのだが、フランス現代思想が流行するとこれら情報科学の概念を借用してこねくり回す議論が流行した。
その過程で個人を特定アルゴリズムを持って社会的活動をする自動人形と扱う社会学的手法などが出来た。この辺まではAIの自動学習のベースでもある。
するとこれが人文系に逆輸入されて罵倒や見下しに使われるようになる。自分で考え経験してアップデートし続ける人生を送る人間じゃなくて、与えられたアルゴリズムに社会的入力(引数付き関数)を与えると安定した反応を出す人形として扱う。それは群衆のアナロジーでもある。群衆に属さず上から俯瞰する観察者が自分だ。だから「俺は他の大衆とは違う」と思いたい意識高い系の若者はこのソーカルにコケにされたポモの概念無断借用的な考えに靡きやすい。
ビジュアル系みたいな名前でトレンディドラマみたいな生活を送る華殉は人文家ポモの薫陶を受けている事が判るね。
ハッキングはコンピュータハッキングの事だからこのオートマタに普段の処理とは違う入力を直接与えて愉快犯的に恐慌状態にしたり自分の思うままに操縦する事を表す。
おや?メンタリストっていうのに似ているね。やってる事も知的スノッブの基礎もフォロワーを釣ったり釣られたりする部分も。
オートマタハッカーを名乗る華殉だったがかなり誠実な性格だった。自意識に。
実存の強さ、自意識の高さ故に「群衆の俯瞰者」に惹かれるのであるから自意識に誠実なのはありがちだ。
例えば
・批判されてメタから見ている姿勢は崩さないが相当数のレスをする。
・「安全地帯から言うだけで実際には殺せないだろう」と挑発され熱くなり「自分は実際ホームレスを殺す」と言ってしまう。
・ブログ副題に「〇〇劇場」と書いていたのだが、ホームレス殺人エントリなどで風呂無駄氏にはっきりと拒絶を受け、直後に外してしまう。
・Twitterで「痛い」ツイートをした直後に「ちんこまんこちんこまんこ」というツイートを十数回して流す。
そういえばメンタリスト君も動画の炎上コメントを数百個削除しているようだ。コメントが数百になると閲覧も大変なのに熱心だよね。
華殉はそもそも最初はgoogleの開発がどうとかアップルの製品哲学がどうとか、ニーチェの超人がどうとか、今では意識高い系のテンプレみたいな事ばかり書いていた。でもPVが伸びなかった。そこに「ホームレスの人権なんて行使される事も無い状態だろ」佐川ニキ「ホームレスに人権無いとかいい年してバカじゃねーの」という誤解みたいな論争があり、そこにホームレス殺人エントリで割り込みPVを浚ったのであった。
こんな華殉だったが最後はギーグ精神論的なものにシフトしてフェードアウトしていった。ホームレス殺人や偽善批判などの挑発的エントリから手を引いた理由は増田が見たところ以下による
善への挑発をしたらはてなのリベラルが直情的にひどいと吹き上がる反応をする事を期待していたがネットには宮勤め以外の人間も居り特に不良の経験を持つ人間は喧嘩慣れしている。更にポモ以前の思想の素養がある人間は同系の人間の実存をむき出しにして効果的に怒らせ誘導する術を持つ。これらによって「劇場」が状況劇場になってしまい、実存を開陳しすぎ、刺さり過ぎた。思想系の人間が実存の剥き方を知っているのは自分がその動機(実存のカバー)で思想なんてものに惹かれているから。
・自分への賛同者に底辺のテンプレネトウヨみたいなのが多かった。
ニーチェ援用したりしてるのにルサンチマンで歪んで挑発されると安定した出力する連中に擦り寄られたら立場が無い。というかなまじっか思想なんてやってるので羞恥心で「あ゛あ゛あ゛ー」となる。同意されて懸命に距離を取りたがる姿は侘び寂びが漂っていた。でもこれは華殉も悪くて過去エントリやTwitterではテンプレ的なデマや「自分の税金が外国人の生活保護に吸われて」みたいなテンプレを良く書いていた。そもそもそれってニーチェのルサンチマンそのものじゃね?
子供の主体にとって世界は暴力であり規範を強制してくる装置だ。特に「若者」になり大学や院に進むと知で征服した自分の世界と隷従を求められる外の世界の格差は大きくなる。オートマトンハッキングとメンタリストの行動が似ているのは共にこの需要を相手にするものだからだ。
何となく、東京五輪の開会式の、あのやり場のない恥ずかしさは、きっと実際の試合の感動で薄れると思っていた。
でも、それは希望だけであって、そう単純ではなかった。
むしろ、あの恥ずかしすぎる開会式の事が頭から離れなくなってしまっている。
今更だけど、あの語る事と言うか、批評さえも不毛で、虚しくなる、あの脱力感の正体って、一体何なんだろう。
心の中で、日本は世界の裏側だから、海外では見ている人が少なくありますように!とか、願っていたwww
あの虚無というか、ほとんどの誰もが感じていただろう「なかった事にしたい!」という感情は、●●●●を代表とする、現在の若手の東京のグラフィックデザインの現状とそっくりだ。
作っている本人や周辺のお仲間ちゃんだけが、絶好調に喜んでいる感じがする事や、仕事を依頼するスポンサーの意識の低さや、アホさ加減もそっくりだ。
恥を知らない自家中毒。
情けない。
さらにまるやその周辺の人間は、『あの開会式と自分が行っている事が、相似形である』ことを分かっちゃいないだろう。
羞恥心というものを持っていないのだろうし、自分達がキワモノであるとかも自覚していないのだ。
あぁ、嫌だ嫌だ。
本当に無かった事にしたいけど、グラフィックは、まだ現在進行形だから、本当に恥ずかしい。
(フランスの友人から耳にすると、やはりあの開会式は、最悪だったとの事。現在のアホな日本のグラフィック・デザインが目に触れないように、願う。)
いやぁ〜笑えない。。。
その汚い手で、俺の神聖なデザインに触れるな!って、正直に思う。
批判で終わればいいものを、実名出して「僕だったら、自殺しちゃうけどな。。。」だって。
「権力のある立場から死ねと言っている」自覚がないんだろうなあ。
[B! 司法] 「国民の一般的な宗教的感情」を害したので有罪。孤立出産で死産したベトナム人技能実習生、地裁判決の中身(望月優大) - 個人 - Yahoo!ニュース
この件、既にブコメでも言われてるから敢えて書く必要はないかもしれないが、「国民の一般的な宗教的感情」が持ち出されるのは仕方ないと思う。
誤解無いように言えば技能実習生だったリンさんに対して下された判決そのものを妥当だと言ってるわけではない。「国民の一般的な宗教的感情」の中身や適用範囲には議論の余地があるが、「国民の一般的な宗教的感情」という概念自体はやむを得ないというお気持ち。
Q. 「国民の一般的な宗教感情」概念自体は仕方ないにしても有罪に導くロジックはおかしいのでは?
A. 実際のところ実務的な論点はそっちの方が重要だと思うよ!このエントリは死体遺棄罪の保護法益は「国民の一般的な宗教感情」としか言えないしそこはしゃーないって話しかしてないからね。「殺人罪の保護法益は『人命』です」ってエントリだけじゃ実際の事件に対して殺人か傷害致死か過失致死か、正当防衛か緊急避難か、手術の失敗みたいな仕方ない事案なのか、責任能力はあるのか、そもそも被疑者が犯人なのかetcなんて語れてないというのと同じです。
ベトナム人元技能実習生に逆転無罪判決 死産児遺棄の罪 最高裁 | NHK | 事件
最高裁で逆転無罪判決が出たようです。かなり珍しい形ではないでしょうか。難しい判断だったかと愚考しますが個人的には良かったと思います。NHKのこの記事は論点を網羅していて良い記事ですね。技能実習生に対する妊娠・出産に関しての不適切な言動について「出入国在留管理庁が去年初めて……実態調査を行った」レベルなのは今まで行われてなかったのかと愕然とするものがありますが…。
制度に関する有識者会議が現在開かれています。この事件を通して技能実習制度が孕む問題について真剣な社会的議論が行われることを切に望みます。技能実習制度の抜本的な改革が叫ばれてもう20年以上経ちました。その間に訴訟が起き労働者性が認められ、法が変わり労基法も適用されるようになりましたし、外国人技能実習機構という新しい組織がなんかできたりもしました。もちろん状況の改善がなかったとは言いません。しかし一方でずっと同じ問題が指摘され続けてもいます。そろそろこの問題に決着をつけてほしいと願うばかりです。
第188条
1 神祠し、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
2 説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
第189条
墳墓を発掘した者は、二年以下の懲役に処する。
第190条
死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。
第191条
第百八十九条の罪を犯して、死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
第192条
まず刑法の建て付けとして死体遺棄罪を含む死体損壊罪等(190条)は「礼拝所及び墳墓に関する罪」という章の中にあるんだよね。同じ章にある第188条は「礼拝所に対し、公然と不敬」をした人間を罰するもの(礼拝所不敬罪)だったり第189条は墳墓の発掘者を罰するもの(墳墓発掘罪)だったりで非常に宗教的な内容。なので190条も宗教的な項目だと見るのはそこまでおかしくない。もちろん猥褻関係の罪のように同じ章でも個人法益の保護と社会法益の保護と分かれてるものもあるので必ずしもというところではあるんだけど。実際192条は明らかに性質が違うので。
第1条
この法律は、墓地、納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が、国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われることを目的とする。
関連して墓地埋葬法では宗教的感情を理由に墓地や埋葬に関わる規制を行うと明示している。
しかし、それでも死体損壊罪等は宗教的側面から逃れられないだろう。と、その前に感情を保護法益にできるのかという話をしなければならない。
確かに刑法において感情を保護法益にするのはあまり好ましく思われていない。例えば侮辱罪について保護法益を名誉感情とする説もあるが人気はない。刑法は謙抑的でなければならないのに安易に感情を理由にした規制を認めれば際限なく広がりうるからだ。社会秩序としての「国民の一般的な宗教的感情」が云々と言った時も何とかして法益の最終地点を社会秩序とか宗教的風俗とかそういうところに落とし込もうという謎の努力が垣間見られる。
しかしはっきり言えば第188-191条は基本的に「宗教的感情」を保護法益とするものだと理解されることが多い。礼拝所不敬罪についての高裁の判例を見てみよう。
……思うに、同条は、国民の宗教的崇敬ないしは死者に対する尊敬の感情を害する行為を処罰するものであつて、そのいかなる行為がこれに該当するかは時代によつて同一ではないであろう。しかしながら、今日のわが国の公衆一般の感情としては、特に清浄を保つべき場所たる墓所の区画内において放尿するがごときはなお明らかに墓所の神聖を穢すものと観念されるのであつて、このことからさらに推して考えるならば、たとえ現実には放尿しなくとも、放尿するがごとき格好をすること自体、見る者をしてその墓所に対する崇敬の念に著しく相反する感を与えるものといわなければならない。……
いや、判例がそう言おうとも礼拝所不敬罪(188条1項)と説教等妨害罪(188条2項)についてはあくまで宗教的自由の保障なんだという意見はありえる。墳墓発掘罪(189条)についても確かにそう言えなくもない。これらは他者の宗教的行為に対して害をなしていると言う立論もできなくもないからだ。
しかし果たして死体遺棄や損壊は他人の宗教的行為に害をなしていると言えるのだろうか?やはり死者への崇敬の念という宗教的感情で説明せざるを得ないのではないか(通常189条に対してもこう説明される)。
これはつまりそもそも何故死体はここまで保護されるのだろうかという問題である。何故器物損壊罪では飽き足らず、死体損壊罪を特別に規定したのだろうか。感情を持ち出したくないなら死者の生前の人格権の延長と見なすという方法はある。それでも権利主体でもない死体が法益の帰属主体となりえるのかという疑問は湧く。しかもこれだと生前の火葬を拒否していた人間を火葬したら人格権の否定として死体損壊罪の構成要件に該当する可能性まで生まれてしまう。
実際のところ死体が敬意を伴って丁重に扱われ慰撫されるのは生きている我々でしかない。死体が傷つけられたのを生命への侮辱と見るのはそれこそ素朴な「宗教的感情」ではないか。無宗教を自認する人間の多い日本では宗教的感情と死者への敬虔を別と考えたくもなるかもしれない。ナイーブな気がするが、まあ宗教的でない普遍的な感情としてもやはり「感情」が保護法益であることを否定はできていない。「国民の一般的感情」としても問題は変わるわけではあるまい。
まあネットでは「お気持ち」カード切ればゲームに勝てる感じだしまあネット上の議論なんてそんなものでもいいのだが、現実を見るとそう簡単に割り切れるものでもない。今回は刑事なのでちょっと違うが民事の名誉毀損では「名誉”感情”」が保護されることになっている。「お気持ち」と法で言う「感情」は同じじゃないと言えるかもしれんが…本当にそうかなあ。実務的にはどういう感情というかお気持ちが保護されるべきかみたいな方が喫緊の課題なんじゃないかな。ネット上の議論はその辺り無視して話をできるからやりやすいですな。建設的になってるかは知らんけども。でもはてブのAPIも非建設的なコメントを建設的と認識してる気もするからまあヨシ。
「一般的」とか勝手に言うなというのは分かる。ところが刑法判例を見ると「普通人」だの「通常人」だのという言葉もそれなりに見る。
最高裁様が決めた悪名高き刑法175条「わいせつ」概念の定義を見てみよう。
「普通人」「正常な」ってなんだよ。そもそも羞恥心みたいな感情を害することを軽々と要件にしていいのか。何らなら「善良な性的道義」もよく分からないが、しかしまあこの定義は脈々と受け継がれている。ただ、正直に言えばこうした罪状はこういう言い方しかできない部分が無いではない。
もう少し言えば他の罪状でも「通常人」を持ち出すしかない部分はある。例えば過失の認定をするのに危険が発生することを予見できたのか、という思考実験を行わざるをえない時もある。その際に通常人から見て予見可能性はあったのかと考えるのである。そうでなければ、被疑者が「自分には危険は予期できなかった」と言えばそれに反する証拠を提出できなければ全て無罪になってしまう。過失犯は立証困難になり死ぬというわけだ。
それと実際上の問題としてわいせつ概念や死者への敬虔の発露の方法が時代や社会によって大きく異なることは留意せねばなるまい。わいせつに関しては女性の胸の扱いとか見ると分かる気がするんだけど、下着姿の女性が公然わいせつになったりというのはある時代ある社会ではありえないことだろう。今の日本では実際に逮捕されたりしてるけどね。死者の扱いもやはりその場所その時の習俗に大きく左右されるのは分かるだろう。だからこそ「一般」「普通人」みたいな限定をかけておいてあまりにも硬直的で時代遅れにならないようにしてる部分はある…のかは分からないんだけどたぶんそう。
ただまあ「一般」も「普通人」も「通常人」も裁判官の想像上の産物しかないので注意を向けなければならないのも確かではある。どうしても恣意的になるしそうなると罪刑法定主義からしてどうなんだって話にはなるし。今回の件も宗教的感情という言葉そのものよりそういうとこが問題なんじゃないかな。
これはもう労働法が妊娠による不利益取り扱いを禁じていて、その労働法が技能実習生に適用されるよう法改正した時点で自明なことなんだけど、何故か未だに妊娠禁止とか恋愛禁止とか決められてたりするんだよねえ…。技能実習生に対しては日本人労働者と同じ扱いしなくていいと思ってるのか、そういうヤバイ労働環境だから日本人が来なくて技能実習生で代替せざるをえないのか分からんけど。
裁判例としては最初期の2013年の地裁判決の内容を紹介しておく。
(事例)
中国人技能実習生の女性は中国の送り出し機関と妊娠禁止の規定を結んでいた。ところが来日し食品加工会社で働き始めてから6ヶ月後に妊娠が判明した。
すると日本の受け入れ団体(監理団体)は妊娠を理由に強制帰国させるべく抵抗する当該女性を拘束して空港に連行した。なおも女性は抵抗し空港で保護される。
こののち女性は流産。女性はこのことで記者会見を開いたため会社に解雇された。
(結論)
技能実習生に対しては非人道的な行為がわりと行われてたりするので法の限界事例みたいなのがしばしば起こる。会社所有の寮にカメラがあって盗撮されてたという事例なんかははてブでも話題になってたが実は日本の法体系の間隙を突いた問題なんだよね。迷惑防止条例は公共の場に限定してることが多いから会社所有の寮みたいな私的空間には適用できず、そういう時に拡張して使われる建造物侵入罪は所有者が被害届を出さないと適用できない。軽犯罪法の窃視の罪にはなりそうだけど、迷惑防止条例と拡大解釈した建造物侵入罪でとりあえず対応しておくという実務というかちゃんと法整備してないツケ。閉店した後の店とかも公共の場ではなくなるので実は真摯に議論する必要がある部分だと思うんだけど、まあこういうことが技能実習制度で分かるというのは平常人間が受けない仕打ちを技能実習が受けやすいということでもあるんだろうなあ。違法状態が常態化してるのおかしいですよ。
ジャーナリスト、ノンフィクション作家として有名な立花隆。
「ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊」で、次のような予測を書いている。
滅びるどころか、テレビゲームは社会に浸透し、eスポーツとして社会に益をもたらしている。
前頭前野のβ波がα波に比べて低くなる。
β波が低くなった状態は、痴呆症(認知症)の脳波と一緒になる。
森昭雄の学説と実験については、ゲーム脳を支持した連中に負けないくらい、反論と批判が多い。
森昭雄が実験に使った「α波β波解析用携帯型脳波計」に問題があるとか、
さらなる問題は、ゲーム脳を肯定し、いい加減な結論を下した立花隆だ。
立花隆は2000年代前半に話題となった「キレる若者」についても、鵜呑みにしている。
「最近の若者は羞恥心がない」「若者の相当数は脳機能が低下してる」などの俗説を、無批判に垂れ流している。
考えなければならないのは、ゆとり教育で週五日制になった結果、子供たちがいちばんふやした時間がテレビゲームに費やす時間だったという事実だ。(P.329)
デジタルゲームとeスポーツの発展において、立花隆の言説は害悪だ。
死んで良かった。
"弟から性被害を受けていた子供の記録"を読み、また父の日でもあるので思い出し書いた。
私は小学校入学以来、小児喘息にり患しており定期的に通院していた。
初診以外は一人で通院していたが、小学4、5年生のある日、その日だけ父と一緒に診察室へ入り、主治医から喘息の話だけでなく、あちこちに吹き出物ができており、きちんと体を洗えていないと指摘され、背中もよく洗うように指導された。
改めて思い返すと、多い時で隔週、少なくとも月1回は数年来通院していたにも関わらず、この日だけは親同伴だった。
不潔さが目に余ったのだろうか、それとも第二次性徴とともに小児喘息が収まりつつあるという話をしたかったのだろうか、主治医から次回は親と一緒に来てくださいと言われての同伴だったのはこの日だけだ。
診療とは言え、ずいぶん前から羞恥心が芽生えており、父の眼前で上半身を裸になり、聴診器を当てられるのは嫌だった。
そもそも母は、私が喘息発作を起こした際に主治医からなぜ早く連れてこなかったのかと叱られた、という話で騒ぐ人だったが、それでもやはり来てほしかった。
主治医の指摘をうけ、診察から帰宅した日、私は父と入浴することになった。
また、入浴は弟も一緒にだ。
以前から一人で入りたいと母に打診していたが、家庭内が忙しいから弟の面倒を見るついでに一緒に入ってあげてと言われ続け、この頃も一緒に入浴していた。
弟には非がないが、その時の私の状況は無力だったし、泣きたかった。
その日、父は、私が自分で洗うからと嫌がったにも関わらず、局部まで洗ってきた。
現行の性教育では本人の許可なくプライベートゾーンを触らせないと指導していると知り、羨ましくもあり安堵もしている。
それ以降、父とは入浴しなくなったが、弟とはいつまで一緒に入っていたのか忘れてしまった。
そのくらい父との入浴、そして拒否権の無い状況が、強烈な屈辱と嫌悪を残している。
その時、父に故意があったのかわからないが、大人になってからの父の所業には好奇心と支配欲が見えた。
父が、私の入浴のタイミングに合わせて、脱衣所を磨りガラス越しに見てくるようになったのだ。
脱衣所近くにトイレがあり、私の入浴時間に合わせてトイレへ行ったあと、脱衣所の前で佇み動かない。
脱衣所で着替えている最中、鍵がない戸一枚を隔てた先に父が居続ける。
思い過ごしかと1、2回は不審がるだけだったが、3回目であまりの恐怖に磨りガラスを衣類で覆い、いつ開けられてしまうのか、その時どうしたらいいのか、私は家にいられるのか、親子でいられるのか、母はどんな顔をするのか、思いが渦巻いて混乱した。
数日後、母が磨りガラスに衣類をかけている私を不審がり問いただしてきたが、父の覗き対策とは言えなかった。
沈黙している私をよそに、何故だか衣類をかけないよう注意され、その日から私も例の日記と同様に風呂場の中で着替えた。
状況が変わったのは、その日以降、母も何かを感じ取り、父の動向を気にして始めたことだった。
相変わらず同じ行動をする父に対して母は何も言わなかったが、その代わり磨りガラスを和紙で覆ったのだ。
母は状況を理解しているんだと悟り、私は家から出ていこうと踏ん切りがついた。
親はお稽古事も塾も大学へも行かせてくれたが、十年ほど前から連絡を絶っている。
徐々に弟妹、親族、お世話になった故郷の全てとも連絡を絶った。
無性に悲しい日もあるが、どうにか愛されようともがいて実家にいた頃よりも安心して過ごせている。
ネット巡回してると出てきてこっちが避けないといけないし、検索結果のなかに我がもの顔で突っ込んでくるのも嫌すぎる。
こっちはただ呟いてるだけなのにホッテントリにして燃やそうとしてくるのも噴飯もの。なんでこっちがお前らに叩かれなきゃいけないわけェ!?
アホ面してブコメ書いているブックマーカーのはてなも嫌だし、ハゲ頭で増田で逆張りしているジジイも嫌。
以前は「はてなも免許制にしろ!」って叫んでいたけど、もはや「はてななんて禁止しろ!」って言いたい。
はてなってマジで邪魔すぎないですか。なんであんなに童貞を拗らせてくるんですか。
やってる感ゼロのところをちょっとは出したいからってUIや仕様の改悪ばかりする卑しさ。無能は何もするな!
そのうえ平気でマザーズ上場していく羞恥心のなさ。そんなに話題になりたいなら爆発しろ!
嫌いすぎて定期的に「はてな」で検索しては、低い株価を見てゲラゲラ笑っている。
こんな俺って普通?