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【主張】コロナと店名公表 私刑誘発の姑息な悪手だ - 産経ニュース
https://www.sankei.com/column/news/210111/clm2101110002-n1.html
これはまあ正論なんだけどさ。
でもねえ、日本社会の悪い所兼良い所って
「他人様に迷惑をかけない」「みんなが我慢してるのを破って迷惑かけたやつ村八分」というモラルであり相互牽制じゃん?
何故そんなもんが生まれたかって、この社会規範がまさにケガレとか伝染病とか色んな災厄を食い止めるからだよ。
「自分が良ければいいんだ」「やりたいことをやらせろ」っていう奴は安全で安定性の高い社会では新しい駆動力になることもあるけど
危機に瀕した場面では自分の感情だけで勝手にバリケード壊してセーフゾーンにゾンビを招き入れる定番の迷惑バカと同じ。
そういう奴を出した家ごと村の外に放り出して殺すぞ。
それが嫌なら周りに迷惑かけないように家族でちゃんと注意し合え。
周囲と相互に貸し借りを絶やさないようにしながら一蓮托生の意識を確認し合え。
村のみんなの川の水を独り占めしようとするなら生きていけなくしてやる。
一人一人がその独特の息苦しさで嫌な思いをすることはあっても
助かる人命は絶対増えてる。
豊かさや安全性が高まってきたらその息苦しさがただの不合理性になって
あーこんな田舎嫌だ都会に出るーって感じになってきてそれも合理性なんだけどさ。
いまこそ日本人の強みである村社会根性を発動するタイミングなんじゃねーの?
たとえば変異株持って帰ってきて隔離中に知人2人と会食してばっちり移したっていう奴。
もちろん公式発表とかは現代日本で難しいので、裏口からのリークだ。
そいつは仕事を失うし実家も引っ越しをしてさまよう羽目になるし会食相手の友達まで巻き込まれる。
じゃああいつも。こいつも。
民間の便乗含めて10人ぐらい特にケシカラン感染者や会食マンが晒されて私刑をくらう。
それぐらいやってみなよ。
あ、これ今はそういうフェーズなんだ。
みんなで足並みをそろえる時なんだ。
万が一隔離違反やクラスターかましたような奴がいたら全力で私刑しよう。
そういう空気が出来上がってみなよ。
「コロナ予防意識が甘い=みんなに迷惑かける悪」が世間の空気になった時の日本人は
元からそういう意味では強靭な方の社会だったけど、そろそろはっきり引き締め直す必要がある。
モラルって言うのは本質的にやべーものだけど、もっとやべーものが蔓延してる危険な環境では抵抗力になるんだよ。
我々はアベやスガに従ってるんじゃなくて世間の空気に従う国民だから。
はてなのリベラルだってコロナに感染しながらスーパー銭湯行っていいですか?とかほざく自分のことしか考えない愚民はモラルの下にリンチしたくてうずうずしてる。
ウヨもサヨも団結して頑張れるのは潜在DNAを刺激して村社会モラルを発動した時だよ。
こういうのはもちろん近代の自由主義の流れと完全に逆行するしそういう抵抗感はあると思う。
でも人の命がかかってるんだからさ。
これから増えるコロナ死者に「ポリティカリーにコレクトであることと引き換えにあなたは死んでください」なんて言える?
今一度村社会根性に戻って晒しと私刑を始めれば救える命があるんですよ。
どっちの悪を選んで何を掴むのか。
村社会の悪を選んで人命を掴むべきなのでは?
晒しと私刑は近代の社会にも普通に組み込まれている効率的メソッドなんですよ。
例えば大型脱税者の名前がマスメディアで報道されるのも国税局が裏口からリークしてるからだからな。
「一匹殺して吊っておく」を国税庁がやっているの。
韓国なんかは日本より危急時の法律が強いから不用意な感染者の晒しを公的にやれるらしいけど
日本はそんな法律なくたって世界1レベルにモラリスティックな遺伝子を眠らせているから。
でもあらためて要点を強調するための「バカな生徒の質問」として百点満点だから使わせてもらう。
我々日本人は政府やトップが主体性のある指導してくださる時より
世間の空気に従う時にこそ強い自制心を発動する民族だと言ってるんだ。
お前も日本人なら自分が自然に服するのはどっちか考えてみたらいい。
アベやスガの求心力なのか、世間の空気と「人に迷惑かけるな」という躾けなのか。
アメリカ人なんかはプレジデントのカリスマ性にうっとりして従うのが好きだ。オバマもトランプもうおおおお!!!ってなる国民が大勢いる。
日本ではあんな熱狂的な支持を受ける首相は保守にも革新にも表れないだろう。
自分が目立ちながら責任感ある演説ぶつことではなく、裏から手を回してケシカラン奴何名か吊って晒すことだ。
生きづらいぞなんて俺がはっきり書いてるだろ!
「息苦しくても近代の価値観に逆行してても人命の方が大事だよな?」って言ってんだ。
お前はほんとに国語0点ですげーよ。
今回は利用価値あったからいいけど、そこまで日本語読めないなら生意気にレスなんかしなくていいぞ。賛成反対以前じゃん。
閉じたコミュニティの掟や制限を受けるのは理解しても、公にして個人の人生を奪うのは下品の極み。そういう感性は理解できない。
後進的な悪のソリューションだと言ってんじゃん。
でも人の命がかかってるんですよ?
「あんたは品性のために死んでくれ」と言い渡すガッツでそれ言ってんの?
「弊害があるから」って選ばず検討せずなにもしないでタイミング流していくのも人殺しだからな。
そういう奴が一番多いんだけどさ。それで何らかの手を打った奴に対してこんなに弊害があるぞって批判だけ元気一杯やるんだよな。
私刑をなんだと思ってんだ?
語彙をまともに整備してください。
非常識ってのはつまり語彙がちゃんと揃ってないor精度が出てないやつのことです。
いや、本当にビックリするわ。
一匹殺して吊っておくカラスは極論無罪の濡れ衣でもいいだろうが。
こいつも話をまるっきり!理解してないよね。
3000人ちょっとでおさめてるのも我々の村根性DNAのおかげだろ。個人の権利だ自由だという意識より人様に迷惑かけんなという意識がガッチリ強い後進的国民性のおかげだ。
これ以上強く人命優先せんでもいいわってことならもちろんDNAブーストなしもオプションだな。
別にどっちの悪を優先しろとか特定方向へ説得する話する気はねーよ。
お前らだってお前やお前の家族が野放図に広まるコロナで死ぬ可能性考えてないんだから同じだろそれは。
それをやった太平洋戦争がどうなったか小学校で習ったことがないのかな。社会の価値観を単一に染めると別の脆弱性が生まれてどうなるか色々実例があるから調べてごらん
太平洋戦争が挫折したのはアメリカが日本より強かったからだよ。
今言ってるのは「総力戦で力を絞り出すときに村社会性より効率的なソリューションがあったのか」という話だ。
日本が限界まで効率を高めたって敵がそれより強けりゃ負けるが、それは効率を否定できる話か?
どうもあんたは妊娠後期くらいから思考力が弱りっぱなしのように見えるぞ。
誰が刑罰の話をしてんだよ。
法律や刑罰なんか関係ないところに国民性というものはあるぞと言ってんだ。
他にも何人かいるドヤ顔で憲法31条!とか言ってる奴らは、俺が近代的な人権精神尊重前提に同意してるように見えるのか?
頭が悪いとはまさにお前達のような奴のこと。
話の前提がわからない、相手がどういう奴かわからない、会話に当たってのフレキシビリティゼロで、どんな場面でも自分の覚え込んだ念仏唱えればタスク解決だと思ってる。
ほとんどの仕事や遊びで絶望的に使いでのない脳みそだろうそれ。
何を考えてどういうチューニングを加えながら生きてきてそんな絶望的な仕上がりの脳になったんだお前等は。
いやぁ、人間ってさらに愚かで残酷だから、ここで踏みとどまりたいなぁ私は。七人の侍を見直したくなった
わ。
自分の家が防衛線の外だと知った農民数世帯が村全体の防衛から抜けて自分達の家のみ守ろうと(守れるわけないんだけど)するんだけど、そこで普段穏和な勘兵衛が刀抜いて追いかけるだろ。
そんで腰抜かした農民に
「己のことばかり考える奴は、己をも滅ぼす奴だ!
今後勝手なことを言う奴は···!(軍規にかけてぶった斬る)」つって竹槍拾わせて列に戻らせる。
そのソリューションに合ってるのはハンセン氏病みたいなのだよな。
もう一歩進んでHIVくらいの感染力とキャリア数なら皆殺しでも追い付くかもしれない。
その程度のもん未読な訳ねーだろ。
米国議会が韓国政府による対北ビラ禁止法に対する聴聞会の開催を予告する中、青瓦台(韓国大統領府)と韓国政府はこれを阻止するための総力戦に突入した。青瓦台は24日に関係機関の担当者を招集し、徐勲(ソ・フン)安保室長主催でこの問題への対応を検討する最初の会議を開催した。「必要ならメールででも会議を行う方針」だという。ある韓国政府筋は28日「こちらの立場を米国に納得させるためにあらゆる手段を動員する」と説明した。人権と民主主義を核心的な価値とする「バイデン時代」の発足と同時に、韓国が「人権、表現の自由侵害国」の烙印を押される最悪の状況だけは避けたいということだ。
対北ビラ法聴聞会は米議会内超党派の「トム・ラントス委員会」が推進している。この委員会で共同委員長を務める米議会下院のクリス・スミス議員は対北ビラ禁止法について「最も残忍な共産政権で苦痛を受ける住民のために民主主義を増進し、支援する行為を犯罪化した」として同法を強く批判している。委員会は近く実務者らが集まり、法案の詳しい内容についての検討など事前の作業を開始し、早ければ来年1月中には聴聞会を開催するという。聴聞会には前職・現職の国務省関係者、北朝鮮人権団体の関係者、専門家グループなどが証人として出席し、ビラ禁止法はもちろん、北朝鮮の人権問題に関する韓国政府の対応についても包括的に検討される可能性が高い。
現時点の予想通りであれば、聴聞会の時期は1月20日のバイデン大統領就任とほぼ同じ時期となる。バイデン政権が予告している「世界の民主主義引き締め」の最初のケースとして韓国が取り上げられるということだ。ある外交筋は「生涯を世界の人権向上のため献身したラントス元議員の功労を称えて立ち上げられたのがラントス委員会だ」「このような委員会において、自分たちを『民主的政権』と主張する文在寅(ムン・ジェイン)政権が人権侵害で追及を受けるなどあってはならない大恥であり悪夢だ」と指摘した。ここ最近、ラントス委員会の人権聴聞会で取り上げられた国はナイジェリア、中国、ハイチ、ホンジュラスなどだ。対北ビラ禁止法聴聞会が開催されれば、韓国はこれらの国々と同じような扱いを受けることになる。
ニュースサイトに流れてくる「鬼滅の刃」論では作者自ら「参考にした」と話してるせいかジョジョとよく比べられていて「影響受けてる」とか「受けてない」とか言われてるけど、最後まで読んでみて一番似てるのは「鋼の錬金術師」だよねって思った
鬼滅最終巻のラスボスの執念とラストバトルの総力戦の展開は、鋼錬最終巻を思い起こさせる
ってなると兄弟愛をテーマにして兄が弟(妹)を元に戻す旅に出るって展開からして同じパターンだし、合間に泣ける悲劇のエピソードもはさみ、敵にも同情させ、ラストもギリギリまでラスボスに追い詰められる中で弟(妹)の想いによって兄に力を与えて勝利をもぎとるのも同じ。作品全体のテーマも「命」とか「つなぐ」とか。
さらには両作品とも20巻台で完結していて、両方とも作者は女性。20代で連載開始し作品完結時の年齢は30代。両者とも連載終了後に東京から離れて地元在住。
共通項は多数あるのに、鬼滅の敵はゾンビものや吸血鬼もののジャンルに加えられるので、ホムンクルスというなかなか分かりにくい敵ジャンルのハガレンは比較の対象から見逃されがちなのである
明確に違うのは主人公の目つきの悪さか
2000年代の20年、大ヒットして時代を作った「命」テーマの両作品の作者が2人とも地方出身の20代の女性作家だって点を、評論家の人は分析して論じてほしいね
『無惨戦はクソ』『黒死牟までは面白かった』『薬で全部解決』とか言われてたので期待してなかったが、十分面白いやん!
薬ぶっかけて倒したわけでもないし、薬はあくまで補助で、しっかり当初の作戦を貫徹して日光で焼却するのが良かった。
(「分裂阻止の薬」のピンポイントさはどうかと思うけど)
最後の方は本当に総力戦で、モブも活躍したし、車とか大正時代なのも生かして、積み重ねて届いた勝利なのがいい。
『ヒノカミ神楽の意味がなかった』とかの批判も見たけど、元々延々と攻撃続けて足止めするための技だし、継戦の役には十分立ったからいいんじゃない? 主人公のすごい技で倒すよりは。
ジャンプの最高傑作はダイの大冒険だと思ってるが、ラストバトルは『最初からダイが竜魔人化してれば済んだんじゃね?』という印象は拭えない。人間に戻れないかもってリスクも、戦い終わったらあっさり戻ってたし。
ディオ戦は『最初から手袋燃やしてれば』、DIO戦やフリーザ戦は『最初からプッツンしてれば』、双子座のサガ戦は『最初からアテナの盾取りに行ってれば』とどうしても思ってしまう。
吉良吉影戦は割と積み重ねの勝利だったけど、偶然要素が多かったのは否めない。
その点で鬼滅はこれ以外に勝つ方法がない道を、苦労しながら着実に積み上げて達成したのが新鮮だった。
カナヲちゃんどこ行ったんだよ!と思ったら最後に大活躍してくれて萌えオタにも優しい。
無惨が赤ちゃんになると聞いて白面のパクリかよとも思ってたが、実際は防御の肉団子がそう見えただけで、本人に白面みたいな殊勝さは皆無なのも安心した。
新聞広告にもなってる『人の想いは不滅』に感動して改心したと思わせておいて、その結果が最後まで本当に身勝手で迷惑なのが笑える。
フェイスレスの『信じれば夢は叶う!』もそうだけど、悪役がこういうこと言うの、綺麗事が綺麗事でなくなる皮肉な感じがいい。
『私を置いていくなァァァ!』はツイッターで散々流れてきたので知ってたけど、こう繋がるのか。ざまあとしか言いようがない。
本当に印象深い悪役だった。
現代編は……別になくてもよかったし、特に甘露寺と伊黒は同じ顔の別人が幸せになったから何なの?とも思うが、まあ物語としては一つ前の回で終わってるからな。
あってもなくてもいいエピローグに目くじら立てるほどのこともない。
本編を過酷にしすぎた作者の罪滅ぼしなんだろう。
……と考えれば、ジャンプに群がる腐女子の行動に全て説明がつく
いろいろ言い訳したところで、突き詰めていけばあれはポルノ的消費に他ならない
点の取り合いや命の奪い合いを性行為として、イデオロギーとイデオロギーのぶつかり合いをチンポとチンポのぶつかり合いとして消費しているのが腐の皆様というわけである
何もわざわざ同人誌で実際に掘らせるまでもない、そもそも原作の時点でポルノとして消費しているのだから
ただそれに自覚的な人と、そうでない人がいるだけだ
女性の貞操の危機をエンタメにすることに対してあれほど敏感な人たちが、なぜ命の危機は堂々とエンタメとして消費できてしまうのか
「現実的かそうでないか」というのがあの人たちの答えなのだろうが、それを言うなら命の危機にしたって割とそこら中に転がっているし
わざわざ男同士の戦いを好んで消費することに特別な理由がある、と考える方がよほど自然だ
だからこそ、他のメディアに対しては「女性も他のマイノリティも活躍しないと」みたいな意識高い系のことを宣っていても、自分の好きな作品になると結局は嬉々としてホモソーシャルの消費に走ってしまう
むしろ腐女子というのはホモソーシャルの聖域を乱す女性キャラクターをしばしば親の仇か何かのように敵視し、ヒロイン叩きを展開することが多い
BL界隈では「壁になりたい」というのがよく言われるが、おそらくこの言葉に答えがある
「自分たちはその場に存在しない」というお約束のもと、何の責任も負わず、ただそこにあるものを一方的に消費する
男キャラとくっついて自分の妄想を否定してくるから邪魔、男同士の感情を覗き見消費するのに邪魔というだけでなく
そもそも女性が「ただそこに存在する」こと自体、腐女子にとっては邪魔でしょうがないのではないだろうか
近代以降の総力戦であれば女性も否応なしに動員されるし、そうでなくとも属する集団が負ければ相応に悲惨な思いをすることになる
まあ女性に限っては勝った方の男にしれっと取り入り、なぜか自分まで勝った側のような顔をするという選択肢もあるわけだが、とりあえずはかなり悲惨だ
しかし自分が関わらない戦いであるとわかっていれば何の不安もなく消費できる
そこの毒を都合よく取り除いてやれば、めでたく女向けポルノの出来上がりというわけである
一応断っておくと、それが悪だと言いたいわけではない
好きに消費すればよろしい
最近、ポケモンのアニメを見返す機会があった。というか自粛期間中あまりにも暇だったので何か長いアニメないかなあと探していたらポケモンにたどり着いてしまい、そこからだらだら続けていた感じなのだが。
それで結構しっかり見てしまって、子供の時に追っかけていた頃とは、特によく言われる『シリーズごとの設定のリセット』について、少し違うイメージを持ったのでなんとなく書き出してみる。
まず、無印~AG~DPは基本的に一続きの話であった、ということ。
ポリゴンの例のアレや当初構成を務めた首藤氏の離脱、あるいは単なる世情の変化など、放送時期それぞれの事情に合わせて多少設定のブレはあるが(細かい部分ではAGバトルフロンティア編で里帰りしたカントーの街が無印に比べて妙に小奇麗になっていて面白かった)話としてはかなり直接的に繋がっている。
無印→AG、AG→DPの移行も記憶にあったイメージより全然シームレスだった。今でも衝撃的なお別れ回としてよく挙がるR団のアーボックとマタドガスの離脱回は、無印終盤ではなくなんとAG6話で、ピカチュウ以外のサトシの手持ちもシリーズ跨ぎでついてきたり(AG→DPのエイパム)、一旦控えになった過去シリーズの手持ちがシリーズ移行後レギュラー復帰したり(無印→AGのゴマゾウ/ドンファンなど)、研究所ボックスがあるからこそ、特に各シリーズ終盤での大きな戦いにおける手持ち入れ替えは逆にかなり流動的にやっているという印象。
AGフロンティア編なんてほぼ全編通して研究所預け組含めての総力戦で、なんだ無印組全然現役じゃんと思いながら見ていた。
公式戦に関しても、「優勝していない」という事実に隠れがちだが一応各シリーズごとに成果自体はちゃんと挙げている。
AG:ベスト8、(紆余曲折あったものの)バトルフロンティア完全制覇
かつ前シリーズの公式戦の結果が次シリーズでサトシ自身の成果・経歴として語られる場面も多々ある。
それどころかAGで達成してしまった『フロンティア完全制覇』が、DPで軽視・無視されるどころかある意味物語自体に非常に濃い影を落とす大ネタとして使われていた……のは、知っていたとはいえ改めて目の当たりにすると結構テンション上がってしまった。そこでこれ持ってくるか!みたいな。
で、BW以降。
XYとSMは逆にイメージしていた以上に完全にそれぞれ独立した話になっていた(XYは導入こそBWデコロラ編の延長だが本当に一話最初の導入だけで、以降はXY単体で話が完結している。SMのカントー帰省編もあくまで正しくファンサービスという感じで、そこまで本編自体への影響は感じなかった)。
個人的にXYは映像のカロリーの高さや物語のシリアスさ、連続性でテレビシリーズというよりかは物凄く長い劇場版ぽかった。SMはコンセプトを際立たせた分ちゃんと独立した日常ものテレビアニメという感じ。この二つは路線自体が正反対なので完全にお好みで、という印象。どちらがどうという訳ではなくて見る側がアニポケに求める要素にしっくり来るか来ないかというだけだと。
ただどちらも前提として無印~AG~DPで語られた物語を包括している気配は残っていた。が、話自体が独立しているので、あくまでも気配にとどまっているというか、包括した要素を切り出して描写している……ので、結果的にどちらも単体作品として見ごたえがあった。
ちゃんとスッキリ完結しているなあというか、この二つはとにかく1シリーズごとに一つの物語作品として纏まっているので、過去ネタを気にしないでも普通に楽しめるという意味ではそれぞれとても見やすかった(要素を切り出す方向性が、今までの物語で培われたヒーロー性を強調したXYと物語が培われる中でも変わらない歳相応の少年らしさを強調したSMで、こういった部分でもほぼ真逆なのがちょっと面白かった)。
BWはやはり立ち位置が若干特殊というか、開始当初はR団のイメージ変更やサトシがDPまでに積み上げてきた背景の「語られなさ」から見て、サトシ自身のリセットというよりかはアニメ自体の『新シリーズ』化を狙ったように思えた。
……が、結局後半になって過去手持ちや過去レギュラーが再登場してきたのでよくわからなくなってしまった。
勿論震災の影響で大きく話の構成が崩れたのはリアルタイムで経験しているので、色々と勿体なかったな……という感じ。当初の路線通りで行けば、BWもXYやSMのようにDPまでとは切り離された一つの独立作品として語られたのではないかという予感はある。
それはそれとして、R団がイメージ変更した影響か、日常回のマンネリが大きく解消されていたのは凄く良かった(というよりDPまでの日常回がある意味マンネリ極めすぎてしまっていて、そこは思い出補正の強さを悪い意味で実感してしまった)。あとオーキド邸の集合写真最高でした……。
以上踏まえて新無印について。
結局過去シリーズをだらだら見てしまったので新無印も何だかんだで見てしまっている。原作ゲームのストーリーからついに完全に切り離されたこともあり、正直方向性が見えずふわふわしているという印象が強い。
敢えて過去シリーズとの連続性を排除し、一つのシリーズとして完結するように描かれてきた最近の作品の方向性と違って、新無印では当初から過去シリーズのゲストが度々再登場している。一方で過去シリーズで積み立てたサトシ自身の経歴が語られることはあまりなく、手持ちの再登場もほとんどない。
ただしBW開始当初のようにサトシの背景自体が「語られない」という訳ではなく、過去キャラの登場から直接的に描写される部分も含めて、過去シリーズの存在は意識されているように見える。
ただ、こういうふわっとした方向性の方が、原作ゲームの新作が出るなどの世情の変化に対応しやすくて良いのかもしれない。
少なくとも新無印は今のところ妙に気負わなくて良い分とても見やすい。原作ゲーム共々色々とアニメもまた変化していくのだろうが、それもそれでまた楽しみということで。
……あとやっぱりDP編は余裕があったら無印AGも(せめて公式戦関連は)見てから見た方が良いなと改めて実感した。DP自体クソ長いしそこまでも超大長編だけど、それまでの10年分の総決算としての色がとにかく濃かった。DPだけでも十分面白いとは思うんだけどね。
なわとび:401回
ボクシング:113kcal/27歳
流石にちっとは減ってるかなと期待に胸を膨らませながら久々に体重計乗ったら1kg増えてた……なんでや……
廃品置き場で中公新書の一次大戦の本を拾ってきたのでちょっと読んでる
そうはならんやろって勢いでトントン拍子に世界大戦になだれ込んでいくのでツッコミが止まらない
シュリーフェン・プランが代表的だけど、ドイツフランスロシアの軍隊が紛争という概念を持っていないので一度戦争を始めると総力戦をやるしかないというのはもうギャグにしか見えない
耕して海に至る塹壕戦とか、あらゆる次元で現代につながる戦争のやり方が手探りだった時代なんだなあと
ネトゲだったらものすごい勢いで日々wikiが更新され日々掲示板で攻略情報がやり取りされる段階といえるかも
小規模であればな
いまの主要国で総力戦やろうってのは損得度外視とか以前の問題だってことがわかってないんだな
戦いたい加害したい、優位を取りたいって欲求から代理戦争が繰り返されてるわけじゃん、そういうこと知らないからそういう中学生みたいな「俺の考えた世界のあり方」みたいなこと言っちゃうんだろ
今回のCOVID-19感染症、武漢の流行から見てきての所感。日本国は、起きている事象を把握し、人・モノ・金の適切な投入がまるでできていない。4月8日に発表された緊急事態宣言そのものは、そんなに悪い内容ではないが、実効性のある政策としては、いくつか重要な漏れがある。
まずは長期戦略。国内のCOVID-19流行は、ここ数日で始まったわけではない。1カ月以上前から国家的危機が訪れる可能性は、十分に示唆されていた。それにも関わらず、現状としては「緊急事態を1カ月で脱出する」という緊急避難方針と、1カ月かけての「効果測定」が目標となっている。端的に言ってアホだ。
4月6日の、新型コロナウイルス感染症対策本部会合で安倍総理は「PCR検査の1日の実施数を現在の倍の2万件に増やす」「保健所の体制整備と合わせてクラスター対策を強化する」という方針は出ている。これは大変良い方針ではあるが、いつまでに、どう実現するかが不明瞭であり、4月8日の緊急事態宣言に伴う会見では、一切触れられていない。
ここ最近の、特に東京都の検査状況を見るに、「検査の実施数」「保健所の体制整備」については悲惨な状況が続いている。この両者の不足は、それこそ何週間も前から話題にはなっており、3月2日の国会答弁において「すべての患者が検査を受けられる十分な検査能力を確保する」と某総理大臣が明言したにも関わらず、国にしても、東京都にしても、改善の手は僅かにしか打ってこなかった。オリンピックを気にして、報告数を抑えるために放置していたのかもしれないが、現状はどこからどう見てもアホだ。
そして、ここを本気で改善する気があるのであれば、緊急事態宣言に伴う会見において、コミットメントは無理だとしても、何らかの責任ある発言はあってしかるべきだが、見事にスルーされた。
この「長期戦略がないアホ」と「検査能力不足のアホ」は密接に絡み合っている。軍事に例えて言うならば、作戦目標が不明瞭なうえに、スカウティング(偵察)能力も足りない部隊が、勝利できるだろうか。しかも今回の敵は、隙を見せれば指数関数的に増えるのだ。
ここで少し脱線。あくまで私の観測範囲だけかもしれないが、ネットを見ていると、今の東京はニューヨークのx月x日と一緒だ。日本の対策は緩すぎる。強力なロックダウンと、それを守らせる/守るための充実した補償をという意見が、個人・マスコミ含めて、とても多いように感じる。補償に使われるお金というのは、信用創造という仕組みで生み出すことはできるけど、信用についても、生産力や「生産に伴う徴税」により担保されている部分も大きい。もちろん、国の信用をすり減らして、一時的にお金を生み出すことはできるけれども、財が生産されない期間があれば、その分だけ国富は失われる。
もし仮に、強力なロックダウンを実施しないと、より多くの生産機会が失われたり、信用が失われるのであれば、強力なロックダウンは有効な仕組みだ。一方で、過剰に人の動きをとめて、全部補償するのは、莫大な富を失う、極めて不条理な行動になる。それでは、強力なロックダウンは必要なのだろうか。今回の非常事態宣言で十分かもしれないが、もしそうだとしても、いつまでつづければいいのだろう。行動抑制政策の緩和を決断したとして、やっぱり再開しなければいけないという判断はどうするのだろう。そう、あのアホが登場するのだ。「検査能力不足のアホ」
このアホがゆえに、正しい判断ができずに、ものすごく大きな国富をリスクに晒し、目隠しをしてのギャンブルをしなければいけない。それが日本国の実情だ。そして改善の兆しは見えず、現場は疲弊し、あるのは期限不明の方針だけだ。この検査能力は、この疫病との戦いで直接的・間接的に使える武器でもある。直接的には、緊急事態宣言の会見の中での言及もあった「クラスター対策による封じ込め」だ。言い換えると、検査・検査・検査、隔離。もしも陽性となり隔離ができれば、もう他の人に感染させることがなく、その接触者も自宅待機させることで感染を抑制できる。スピードも大事だ。早く隔離できれば、それだけ2次感染、3次感染は防げる。
(この「接触者」は発症するまでは検査不要という指針がWHOから出ているが、無症状の人が一定比率で存在し、その無症状者からの感染の報告もあり、「接触者の接触者」は待機していない現状からすると、検査能力や接触者調査能力に余力ができ、検査場での感染リスクが抑えられるのであれば、無症状の接触者も含めて検査実施の価値はある)
そして、検査を間接的に使う方法は、長文になるし、多くの人に知って貰うべき内容でもないので詳細は省くが「大きなレッドゾーン」を作り、感染確定者をひとまとめにし、人的リソースや、特に今後の枯渇リスクが高い、防護具を節約する運用体制を確立するための活用となる。病院におけるマスクをはじめとしたPPEの兵站は、現状ですら怪しい状況にあり、さらには輸入も途絶えつつある中で長期戦になることも明確だ。感染有無が不明確な患者がいると、1人づつ防護具を着替える必要があるが、こんなことを悠長にやっている余裕がないのは明瞭だろう。検査実施についても、検査の場所や日時を調整をするスタッフ、毎回着替えて検査を実施する医師、そのあとに検体を密封して運ぶ保健所職員等、人的リソースも含めて枯渇するのが当然な運用が続いている。
早急に専門検査場を用意し(閑古鳥のないているクリニックとか、公園に検診車とか)、完全予約制とし、防護具の脱着なしに毎回消毒液噴霧の体制とし、検査場内での感染リスクを排除しつつリソースの消耗を抑制する運用を確立するべきである。防護具の枯渇を防ぎ医療スタッフを守るのが、作戦遂行上、何よりも重要なのは、どんだけ戦略がなくても自明だろう。
ついでに、初乗り5000円とかでいいので、解雇多発のタクシー業界で、検査場までの安全な輸送手段も検討するといいだろう。長期戦確定なので、単純努力とか根性ではなくて、余剰な資源を生かす形で投資をし、今後ボトルネックとなりうる希少リソースを節約するオペレーションを考えるべきだ。この例だと、医療・保健所スタッフ・防護具を節約するために、感染疑い者の方を運び、感染不明瞭者をできるだけ病院に近づけないという方策だ。運転席と客席を気密隔離して、毎回消毒できるようなタクシーを改造するような投資は必要とはなるが、一定雇用が守れ、希少なスタッフや資材の消耗を防ぎつつ、感染者の移動に伴う感染拡大リスクも防げるだろう。
(余談になるけど、他国を見ていると、一定数以上の流行規模になると、いくらロックダウンしても病院周辺へ人が集まり、そこを中心に感染が持続しているように思える。家族の手を煩わせない感染疑い者/感染者の輸送手段確立や、病院内における「感染疑い者(本当は未感染)」への感染抑止も有効な感染抑止手段であり、そこにコストをかけるのはロックダウンに比べると格段に費用対効果が高いと思う。)
検査場の混雑を避けるための予約の仕組み。積極的疫学調査における行動歴や接触者の調査。これらはITを活用し、極力省力化や高度情報化をすすめて、長期戦を戦い抜く工夫も必要だ。国としても、もはや厚労省単独でことに当たる状況じゃないだろう。多省庁での連絡会議を定期開催し、長期戦前提でできることを早急に進めるべきだ。検査の機械化・自動化もあれば、文科省他所轄の感染研以外の研究所・大学等からの応援も必要だ。東京の検査能力の限界を超えれば、国交省所轄の業者でも自衛隊でもいい。検体を余力のある他県の検査室へ運ぼう。接触者調査なんかは、警察や警察OBも得意分野だ。
途中少し省略したけど、どうしても書かなければと思ったことを書きなぐったら、クソ長くなった。ソーシャルディスタンシングや、軽症者施設確保が進んだのはとても良いことだけど、まだまだ、やらなければいけないことは多数ある。日本は、国家債務も大きく、経済成長も乏しく、また国の信用の元である日銀資産にせよ、我々の老後を守る年金資産にしても、多くの国富が「日本社会の生産力」に投資されている。疫病を克服しつつ、「日本社会の生産力」を維持し回復しないと、「日本死ぬ」は、あっけなく現実のものになるだろう。
そのための総力戦に、まずは検査を。そして、人・モノ・金を適切に動かそう。ロックダウン&補償は最適解である可能性もあるが、大きく間違っている可能性もある。政治家や官僚、そしてマスコミも、普段の何倍も頭を使って、ゴールに一歩でも近づけるよう、死力を尽くして欲しい。
3月4日にこちらの増田(https://anond.hatelabo.jp/20200304212124)を投下する程度には病態を理解していたり、検査の過不足については2月末から指摘している(https://anond.hatelabo.jp/20200228013154)けど、ただの匿名ブロガー。