はてなキーワード: 祖父母とは
私は元々積極的に結婚したいと思ったことはなかったが、共同親権が導入されたら間違いなく結婚を人生設計から除外すると思う。もし結婚したいと思うような異性が現れたとしても法律婚は絶対にしない。(当然現代の日本は法律婚を前提に制度設計されていて、結婚はするが、法律婚をしないことのデメリットは把握してている。だから基本的には人生設計からすべての形の結婚を排除するという姿勢である。)
理由は2つある。
まず、共同親権が導入された場合、実質的にモラハラやDVをする相手を結婚前に完全に見抜かなければならないことに対して責任を持てないということである。
経験上、モラハラやDVを行うタイプは必ず「結婚後」「出産後」「家計の統一後」といった「逃げることの難易度が上がったタイミング」でモラハラやDVを開始することが多い。それまでは本性をひた隠しにして、ある時点から突然態度を変える傾向にあるのだ。これは私が私の両親や親戚の実体験や報道された実体験をもとに経験則として実感している傾向である。当然「本性を見抜けない目利きスキルの低さ」を問題として指摘する人もいるだろう。そしてその様な部分は実際にあることで、当事者かつ被害者の立場からばかりから話を聞いているバイアスがあるだろう。実際私の親戚は周囲から止められた結婚でモラハラにあったと言っていた。しかし、必ずしもそういう事例だけではないことも実体験として見てきた。例えば、母は経済的に自立した強い女性で、結婚前の人生でほぼ常に「正解択」を選び続けた様な人だ。そして、そんな人でもモラハラをする可能性のあった相手を見抜けないことがあるという事実は私の「目利きスキル」も本当に十分であるのかという疑問を浮かび上がらせる。(もちろん私が母に高すぎる信頼を置いていることもあるかもしれないが、母方の祖父母や兄弟も相手の性質を見抜けなかったと声を揃えて言っている。)つまり、どこまで「目利きスキル」が高ければ問題がないのかわからないということである。少なくとも、私はこれまでそれなりに恋愛で失敗しながら「目利きスキル」を上げてきたつもりであって客観的に見ても並以上ではあると思うが、それでも十分だと確信できたことはない。これを根拠に結婚後の私や産まれるかもしれない子供に対して責任を持つことはできない。
次に、法律的に結婚した場合に子供に対して責任を持てないということだ。これは特に私が女性である特有の事情が関係している。
結婚していても原則的には夫婦間で合意がないと子供はできない。はずである。しかし、それはあくまで原則であって、婚姻後の家庭内の強制性交など私の合意なしに子供ができてしまう場合というのは想像に難くない。私の理解では、婚姻中の中絶には夫の同意が不可欠であってそれは家庭内でのレイプの場合でも同様である(間違っていたら指摘してください)。もしかするとショックを受けて事後対応にもたついてしまって、中絶可能な期間が終わってしまうかもしれない。私は私に対してその可能性を否定できない。
また、私は家庭内というその場で助けてくれる他人がいない私的空間においてレイプを高い可能性で回避できる手段がない。特に体格が男性並みに恵まれているわけでも、武道の達人でもない。スタンガンの効果的な使い方も催涙ガスの見つからない隠し方も知らない。決して自分を棚に上げるわけではないが、最終手段として自己防衛に使えるこうした機会や知識は普通に女性として生まれて20年間生きていて巡り合うことが珍しい。それは30歳の女性でも40歳の女性でも変わらないのではないだろうか。
これだけ確実性がもてない状況でレイプを防げず、中絶もできず、生まれてしまった子供に対して私は責任を持てない。
配偶者に対してモラハラやDVを行う人物は必ず子供にもその一面を見せる。まず家庭内で配偶者に対して暴言を吐いたり、暴力を振るったりしているところを同じ家庭内にいる子供に隠し通すことは難しい。実際私も夜中に起きてしまったとき母が暴言を吐き続けられている様子や叩かれている様子を目にしたことがある。子どもが家族間での暴力を目の前で見た場合の悪影響は否めないだろう。
また時に、子どもの暴言や暴力が及ぶ場合もある。その時に私が必ず身を挺して子供を守りきれるか、否と言わざるをえない。これは親として産んだ子供に対して当然の責務であると私は思うが、それについて必ず責任を持つことはできない。
この様な状況でも共同親権導入がなければ、モラハラやDVを行う配偶者から逃れ、子どもの安全まである程度の確実性を持って確保することができた。その蓋然性が高かった。しかし、導入後、私自身が配偶者の暴力から身を守ることができても、子供は難しいだろう。また、子供の進路などの面における合意形成も難易度が高いと推測され、その様な社会的に必要な資源を子供に与えられるかも疑義を持たざるをえない。子供に後に社会的な虐待と言われてもおかしくない状況になることを否定できない。
最後に、この理由については私が合意をしていない妊娠・出産であるから子供に対してそれほどの責任を持つ必要はないのではないかと思われる方がいるかもしれない。たしかに、合意をしていないのだからその様な立場があっても良いとは思う。しかし、私は私自身がその状況になったとき、子供を見捨てることができない可能性が高いと思っている。
これら2つ理由から、私は共同親権が導入されたら結婚をしない。
全編を通して、共同親権が導入された場合私の結婚に対して私が結婚しない理由を述べた。男女問わず、「もし結婚相手がヤバイ人格だったら」と自分自身に置き換えて具体的に考えるきっかけになればうれしい。ここまで読んでくれたことに感謝する。
えとねー、ストレスかわかんないけどだんだんお互いに対して態度がきつくなってしまっていた。
なのにふたりとも反省できなくて相手が悪いってなって、結局修復できないくらい関係が悪くなった。
一回そうなるとそこから和解は難しくて、そこに仕事のパフォーマンスを落としてまでリソースを割けるほどにはふたりとも生活に余裕がなかった。
なので離れて生活することになった。
事務手続きを引き延ばしてるだけで、それにそこまで意味があるのかどうかはちょっとわかんない。
でも一緒に住んでいたときにどうしようもなく拗れてたことから発生してたストレスからは解放されたので、LINEでやりとりするぶんには穏やかにできてる。
まあでも下手するとまたお互いに怨嗟の言葉がでそうになるので一触即発っていうか、すごく気を遣って言葉を選ぶけど。
夫婦の関係は今もそんな綱渡状態だけど、私と子供たちは実家で穏やかに生活できてる。夫も様子は詳しくはわからないけどまあまあ元気そう。
夫と一緒に住んでた頃は家庭の雰囲気は最悪で、子供たちは登校拒否児になりかけてた。
子供たちのためにも私たち夫婦のためにも、こうするしかなかった。
今は祖父母にも子育て協力してもらって私も仕事普通にできるし、子供たちも元気で学校に行ってる。
よくある話だよね。
両親とも医者で親が仕事終わるまで時間を潰すために毎日何かしら入っていた
自営なのもあって送迎はしてくれた、祖父母の手も借りていた
もっと色々あったが忘れた
これは半分やらされていたが、そこそこ有名な私立に行くことができた
のどっちか
普段両親が休みがほぼないので、毎年夏だけリゾート地に行っていた。
得したことはここまでで、損したこと、偏見あるなーって思うこと
両親とも医者で親が仕事終わるまで時間を潰すために毎日何かしら入っていた
自営なのもあって送迎はしてくれた、祖父母の手も借りていた
もっと色々あったが忘れた
これは半分やらされていたが、そこそこ有名な私立に行くことができた
のどっちか
普段両親が休みがほぼないので、毎年夏だけリゾート地に行っていた。
得したことはここまでで、損したこと、偏見あるなーって思うこと
実家が太い云々という増田を目にして、俺もつい自分の人生について書きたくなった。
医者というとなんとなく世間的にもお金持ちのイメージがあるだろうが、事実裕福な家庭に生まれたと今でも思う。
そんな俺だが、結局30も手前になって職歴なしどころか学歴すらない立派な引きこもりに成り果ててしまった。
まず前提として俺の家系は代々医者の一族で、父方の祖父が地元(と言っても俺の住んでいる市内)でおそらく一番大きい総合病院の理事長をしていた。
その祖父の思想が強く、医者でなければ人間でないと言わんばかりの態度を常に振り撒いていた。
母方の祖父母は確か医者ではなかったと記憶しているが、いつだったか父方の祖父母の家に連れて行かれた際、「あまりあっちのじいじ・ばあばと話をすると頭が悪くなっちゃうぞ」などと耳打ちされたことを今でも覚えている。
当時は家や身なりも立派で見るからに"偉い"祖父を漠然と尊敬していたためにその言いつけを守り、母方の祖父母とはほとんど口も聞いていなかった。
俺がそんなだからか、或いは母親か誰かがそんな祖父に辟易したのかは知らないが、小学校の高学年くらいから母方の祖父母に会うことは無くなった。
そんな祖父のプレッシャーのせいか、物心がついた頃にはもう塾に通っていた。
習い事も多くさせられ、ピアノ・バイオリン・空手・水泳・テニスを確か幼稚園くらいから習っていた。
これは気質もあるのだろうが、自分の意に反して何かをさせられるのがかなりのストレスのようで、あまりにも習い事に行きたくなくてよく体調を崩していたり、時には仮病を使ったりしていた。
また、センスの問題なのかモチベーションの問題なのか、どの習い事も全く上達せず、発表会や大会のたびに親に恥をかかせてはよく平手打ちをされていた。
ある夜、何かをしたくてリビングに降りた時、両親が俺が何もできない無能である事について真剣に話し合っているのを耳にしてしまい、眠れなくなってしまったこともある。
いつしか出来損ないのレッテルを貼られた俺は、それでもなんとか医者に仕立て上げなければならないという強迫観念を持った両親の元で家にいる間は四六時中机に縛られ、常に勉強をさせられていた。
朝起きたら強制的に机に座らせられ、親の指定する量の勉強をこなすまでは朝食すら取れないような生活だったので、朝起きるのが苦痛で睡眠障害になってしまい、次第に学校にすら行けなくなってしまった。
勉強のストレスで常に吐き気がしており、食欲もなく、睡眠不足も相まって頭も余計に回らず、さらに両親に叱られるといった感じで完全に負の連鎖に入ってしまっていたと思う。
ネットやテレビに触れなかったためか、「自殺」という概念が当時の自分の中になかったために踏み切ることがなかったものの、もしもその概念を知っていたなら、間違いなく自殺を選んでいたと思う。そんな精神状態だった。
そんな両親の下なので中学受験をさせられ、結果としてはそれなりの中高一貫校に入学することはできた。
しかし、高ストレス下で勉強だけをさせられて育った結果、いつしか俺は著しいコミュニケーション障害を抱えていた。
小学生の頃に友達と遊ばせてもらうことができなかったせいか、両親に過度に気を使う癖が付いてしまったせいか、原因は今となってはわからないものの、とにかく友人とフラットにコミュニケーションを取るということが全くできなくなっていた。
と言っても育ちのいい生徒ばかりだったので、ドラマやアニメで見るような苛烈なものではなく、ただ無視されるとか陰口を言われるとか、そんなレベルではあったが。
いずれにせよ学校に居場所をなくした俺は、いつしか不登校になっていった。風邪で休んでそのまま復帰できなくなったとか、そんなんだった気がする。
クラス替えというシステムがない学校だったため、一度不登校になってしまったら人間関係を取り返す術はなく、そのまま5年半ほど不登校を続ける形になった。
留年して再スタートすることも提案されたが、両親の面子を保つためか受け入れられず、(どういうシステムかは今思えば謎だが)とりあえずそのまま進級し、卒業を迎えることになった。
当然医学部を目指させる家庭方針だったため、塾・予備校には通わせられていたし、家でも小学校の時さながら机に縛られる生活だった。
しかしながら、反抗期を迎えたこともあり、また俺の体格が大きくなってきたこともあるのだろうが、小学校の時ほどは勉強を強制されず、俺も次第に家の中でも部屋に引き篭もるようになった。
もちろんある程度独学はしていたものの、受験の結果は案の定ダメで、箸にも棒にもかからないような成績だった。
とは言ってもMARCHくらいなら合格できる成績だったのだが、医学部以外の受験は認められなかったため、全落ちのまま浪人生となった。
それ以降は特に語ることもないが、2浪、3浪とする中で、親の洗脳も次第に解けていった。そうすると、ただ親の意向のためだけに医学部受験をしていることの虚しさを目を向け始めてしまい、勉強にも身が入らなくなっていった。
そうはいっても医学部以外への進学を認めないという親の方針は変わらず、一応俺は10浪中ということにはなっている(と思う)。
が、2年前くらいからセンター試験(共通テスト)の出願すらもしないようになった。そのことに両親が気づいているのかもわからないが。
もちろん住む場所にも日々の食事にも何一つ困ってはいないのだが、俺はきっと社会に出ることはできず、ひたすらに自我と向き合いながら、この広い実家に幽閉され続けるのだと思う。
もう30も目前となった今さらになって、軌道修正を図る気力も無いし、仮に何か行動したとて無意味なんだと思ってもいる。
そしておそらくは両親も、こうなってしまった俺をどうして良いのか、そして俺と、ひいては自分たちの過ちとどう向き合って良いのかがわかっていないんだと思う。
だから今日も変わらず義務のように母親は俺の食事を用意し、父親は何も言わずに俺のボロいスマートフォンの通信量を払い続けいてるんだと思う。
多分お互いに、行動を起こすのが怖いんだろうな。
だから現状維持に甘んじて、昨日と変わらない今日を過ごすことで失敗から目を背けているんだと思う。
こうやって気づけば10年以上が経っていて、きっとそのまま老いて死んでいくんだろうな。
いつだったかネットで『5億年ボタン』のコピペを読んだ時に感じた、途方もない無の中に幽閉される恐怖。
思えば俺はその中に今居るし、ついぞ抜け出すことなどなくそのまま死ぬんだろうと思う。
とりとめもなく書いてしまって終わり方もわからなくなってしまったが、一旦この辺で終わりにする。
読んでくれてありがとう。これを書くことをコミュニケーションとまでは言えないだろうが、誰かに自分の気持ちを表明する経験が無さすぎて、書きあげるとともに凄いカタルシスのようなものを感じている。
両親とも医者で親が仕事終わるまで時間を潰すために毎日何かしら入っていた
自営なのもあって送迎はしてくれた、祖父母の手も借りていた
もっと色々あったが忘れた
これは半分やらされていたが、そこそこ有名な私立に行くことができた
のどっちか
普段両親が休みがほぼないので、毎年夏だけリゾート地に行っていた。
得したことはここまでで、損したこと、偏見あるなーって思うこと
中3の夏に祖父のお葬式に行った時、私の真後ろに発達障害か何かって感じの挙動の男の子(背はそれなりにあって学ラン着てたから中学生か高校生だと思う)が母親らしき女性と並んで座ってきた。
祖父母の家にお坊さんを呼んで、襖を取り払ったスペースに座布団をたくさん並べて、近しい親族から順に座っていたので周りは見知った親族ばかりだったが、その二人は今まで一度も見たことのない人たちだった。
なので近親者っぽくもないこの人たちは一体何者なんだろうかと私は思っていた。
違和感はあったがお葬式も始まってしまうので、私は隣の母にも何も聞かず出来るだけ気にしないようにしていた。
お坊さんの読経が始まり回し香炉での焼香が始まった頃、ふいに背中を触られた。意図せず少しぶつかったとかではなく(そもそも皆座ってるので意図せずぶつかることも基本的に起こらないと思う)、指先でツーーっとなぞる触り方で。
知らない人に明らかにそういう行為がそぐわない場面でいきなり触られる。はっきり言って気持ち悪い。小学生の時に通学路で痴漢に遭遇して体を触られたことがあったが、それと同じ類の気持ち悪さだった。
気持ち悪いが、こちらが注意したとしてどんな反応が返ってくるか全く読めない。黙ってやめてくれる可能性は低そうだし、もし男の子が大声をあげたり暴れるような人だったら祖父のお葬式が無茶苦茶になるかもしれない。
そう考えると、注意するどころか気にする素振りを見せるのもすべきでないような気がして、私はじっと我慢することにした。
男の子が私の背中をなぞる行為は読経の間も、私が焼香をあげる時も、その後もずっと続いた。出棺になって皆が立ち上がるまでずっと続いた。男の子の隣にいた母親らしき女性はその間、止めたり宥めたりすることもなかった(私が何も出来なかったのと同じ理由で何もしなかったのかもしれないが)。
皆が立ち上がりだした時に、さりげなく後ろを振り返ると男の子と女性は既にいなくなっていた。
中3の私は腹を立てた。障害とか何か事情はあるかもしれない。しれないが。
もし簡単な事情の説明と一言「ごめんなさい」と謝られていたら違ったかもしれないが、これでは一方的に嫌な目に遭わされただけでどうにも納得できない気持ちでいっぱいになってしまった。
納得はいかなかったが、お葬式の後でも親族の集まりでそんな話をするのも憚られてしまい、結局祖父母の家でこの話をすることはなかった。
一通り終わって帰宅した後で母に聞いたら母も全く知らない人たちだったので、近親者ではなかった。一体誰だったんだろう。
母は男の子が私にしていたことには気付いていたそうだが、私と同じ理由でお葬式の間は何も出来なかったと謝られた。母は何も悪くないし、祖父(母の父)との最後のお別れだったのにこんな変な出来事があってむしろ気の毒ですらあった。
障害のある人とその家族が皆あの母子のようとは限らないが、あれから10年以上経った今でも外出先で見るからにそんな感じの人がいると少し距離をとろうとしてしまう自分がいる。痴漢に遭った後、一人で外を歩く時は後ろを振り返る癖がつき、背後に男性がいるとその人が不審者とは限らなくても警戒して歩くスピードを速めるのと同じように。
おしゃれスーパーの玄米おにぎりの具に入っていたのがめちゃくちゃしょっぱい梅干で、子供の頃祖父が漬けてた梅干しに似てて懐かしくて最近通りかかるたびに買ってる
今日は玄米の上に鯵のほぐし身と梅干しと卵焼きときんぴらの弁当を買ってみたら、卵焼きが祖母が作ってくれたような甘いやつで、祖父母の味がこんなおしゃれなスーパーで売られてるの笑える
https://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1751610092128997864
自分はハッキリ言ってこの近畿大学と大差無い、いや寧ろ低い偏差値の大学出身だ。
今でこそ年齢の平均以上の年収は得ているし、それで家族も養っている。
仕事もやり甲斐があり、世間的には恥じる事の無い人生を送っている…と思う。
しかし学歴だけを見ると「◯◯大の分際で!」と愚弄される様な立場なのだ。
恐らく増田は高学歴が多いだろうから、実際に言うかはさておき本音の部分では先のインフルエンサーの意見に同意する人間の方が多いだろう。
低学歴且つ地方出身は、それだけで「見下し馬鹿にして存在そのものを否定しても良い存在」に成り下がる。
スカウトされる様な形で入社したし、成果も出しており会社での立場にも恥じる様な事は無い…と思っている。
でも、出身の大学の話なんかをされる度に、いつ「◯◯さんはどこの大学を出ているのですか?」なんて聞かれるのが怖くて堪らない。
聞かれるだけならまだ良い。聞かれた上で、心の中で「ああ、こいつは所詮低学歴なんだな」と見下されるのが怖い。怖いというよりも悔しいのかもしれない。
申し訳無いけど勉強は出来た方だと思う。偏差値だけで言えば早慶辺りも難なく入れただろう。
けれど家庭の状況がそれを許さなかった。
家は裕福な方では無かったけど、父は真面目な働き者で、母は優しい人だった。
母は元からあまり心が強くないタイプではあったが、それでも父の医療費・介護費用を稼ぐ為に必死で働き、それでも生活はギリギリで、遂には心を病んでしまった。
大学に入学するのは両親の希望だったが、経済的には俺が高卒で就職した方が余程良かった事だろう。
しかし経済的な理由や男女差別的な理由で共に大学進学を断念した経験のある両親にとって、自分達(俺と弟)の進学は悲願だったに違いない。
自分達の事は何とかするから、お金の事は気にしなくて良いから、進学してくれと言われた。
しかし生活の窮状とそれに伴う両親のメンタルの悪化を見るに、そんなのは到底無理な話だった。
両親の実家(祖父母)らも亡くなっているか今で言う毒親な為縁遠く、頼れない。
経済的にも孤立した状況で父の介護をしながらパートを二つ掛け持ちしながら更に単発でのバイトも入れていた母の負担を少しでも楽にさせたかったのもあるし、
恐らく母は遠くない内に限界が来て働けなくなるだろうという予想があった。
(この予想は悲しい事に的中し、母は自分が大学三年の時に自立神経失調症から来る鬱病により完全に外では働けなくなってしまった)
結局、地方にある自宅から通えて、返済不要の奨学金が使えて、尚且つバイトもフルで入れる進学先となると
俗に言う地方F欄大学、世間的には「低学歴」とされる大学しか残っていなかった。
最初に就職した地方の中小企業ですら「大卒以上」が必須だったからだ。
母の不調を見続けた父も「自分のせいで申し訳無い、迷惑をかけ続けたく無いから死にたい」と希死念慮を口にする様になり
色々な意味で目を離せなかったから、結局両親が亡くなるまで子供部屋おじさんで居続けた選択肢も仕方ないと思っている。
自分が25歳の時に父が、後を追うかの様に28歳の時に母が亡くなるまで、ロクにデートも出来ない自分に長年付き合ってくれた
両親の事が落ち着くまで待たせてしまった妻(当時は恋人)には大変申し訳無かったけど、それでも彼女を両親にも紹介出来たのは数少ない救いだったと思いたい。
自分の人生に今更不満を言う気も無かったのだけれども、世間では今も昔も「低学歴」は被差別対象なんだな、と感じる時がある。
その方は以前にも学歴煽りをしており、法政レベルでもF欄扱いしている。
https://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1632700941651820546
恐らく増田は高学歴が多いだろうから、めいろまさんの様な立派な経歴を持つ方ですら「学歴」という一点で見下し愚弄する人の方が多いだろう。
実際は口にしないだけで内心見下しているだろうし、自分からすれば遥かに高い法政ですら「低学歴」となるのだから
自分の様な地方の聞いた事も無い学歴など最早学歴としての価値すら見出さないだろう。
そう思ってしまうぐらい被害者意識が強くなるのは、自分には学歴コンプレックスが今も強くあるし、それも自業自得では無い理由が原因だ、理不尽だ、という思いが強いからだろう。
だってさ、父が病に倒れて仕事を失ったのも、母が介護でメンタルを病んでしまったのも、頼れる身内がいなかったのも、もう本当に運が悪い、不運だったとしか言いようが無いじゃないか。
誰が悪いのかと言われたら天命だろう。そう思うしか無いだろうよ。
二人とも決して成功した社会人では無かったかも知れないけれど、それでも兄弟二人を真っ当に育て上げたのだから、何故こんな仕打ちをしたのかともし神がいるのなら恨みたい。
両親は地味ながらも真面目に生きてきたし、自分も特に悪さもせず勉強に勤しんでいたタイプだった。
弟は俺よりもっと成績が良く頭も良かったから、普通の家庭で、関東出身だったら、東大にすら行けただろう。
地方出身は差別されるべき属性なのか?「自業自得」と言われるべき恥ずべき産まれなのだろうか?
(増田やネットでの地方差別を見るに限り、そう思う人間は少なくないと痛感している)
京大出身だけど人生失敗した、高学歴だけど人生がうまくいかない、といった増田も度々見るが、そういった高学歴自虐風自慢的な話を見る度に
その学歴を、いやその学歴を得られた環境を当時の俺らにくれよ!と言いたくなる。
どうしようも無い不運が原因で望んだ学歴を得られなかったのに、自業自得では無い理由で低学歴になってしまったのに
せっかくの学歴とそれを得られる環境を無駄使いしている様にしか見えない連中を見ると、最早怒りすら湧いてくる。
(件のインフルエンサーも親が海外の大学進学費用まで全額負担しているらしく、それも自分が見ていて辛くなる理由の一つだろう)
昨日、母の13回忌を終えた。
元の実家を改装した、本来はもっと華やかな、一流と呼ばれる企業で働いていた筈の弟の家でこれを書いている。
結局弟も実家からは離れられる状況では無く、地方公務員になった。
世間的に見れば、高卒の両親から産まれた低学歴の、負け組の兄弟でしか無いだろう。
弟も弟であまり表には出せれないけれど、少しでも不運が無ければ、もっと良い人生を送れたかも知れないのに、という思いはあるそうだ。
現状がそこまで不満では無いだけに、尚更思うという。
弟の妻は法政よりは上の大学出身で、兄ながらよく結婚出来たと思うが、学歴の事は「話題にも出来ないよ、恥ずかしくて」と言う姿は俺に重なった。
良い大学を出たのにまともな正社員経歴が無く結婚するまでは非正規だった妻とその子を、一馬力で支えている人間ですら、その立場を誇れないのだ。
自分達の様な低学歴は、この先、どんな社会的地位を築き上げたとしても、家族を得て安定した生活を送っていたとしても
学歴が劣る者として「◯◯大学の分際で!」などと、人前ですら愚弄され、差別される存在なのだ。
学歴という、ただ一点において。
自業自得なら仕方ないのかも知れない。
頭が悪かったとか、成績が悪かったとか、勉強をサボっていたとか、そういう自業自得では無い理由で、低学歴に甘んじてしまった。
そのコンプレックスは一生ついて回るだろう。
土日は昼過ぎまで親が起きてこないから、物心ついた頃には土日の朝昼は冷蔵庫にあるもので妹と二人で勝手に済ませて、テレビ見たりゲームしたり近所の公園や図書館に行ったりと好き勝手に過ごしていたし、周りもそうなんだろう、と特に気にもしていなかったけど、世間の親は土日子供を連れてどこかへ出かけたりするものだと知った
小学生上がるまでは、まだ存命だった祖父母が食事の世話はしてくれていて、簡単な調理(ご飯炊くとか目玉焼き作るとかお湯を沸かすとかリンゴを剥くとか)も祖母仕込みだった
親になってみて、土日疲れ果てて昼まで寝たい気持ちもめちゃくちゃわかるし、一方で、子供が一人で調理して怪我とか火事とかあるのも心配だし勝手に出かけて事故とか事件とかも心配だし、バランスが難しい
Twitterで定期的にバズっている、非常識で男尊女卑の思考で凝り固まった九州男児を成敗するスカッとジャパンなストーリー
それに追随するように湧く、九州は知能も低く昭和の価値観で止まっている地獄のような場所というヘイトスピーチ
なんなんだよ、Twitterで書かれる一個人の事象で地域を括って偏見と差別を振りかざさないでよ
確かに、男尊女卑の価値観が未だ続いてる地域かもしれない、自分だって疑問を抱いて苦しむこともあった
だけどそれを見た"九州より優れてて賢くスマートな都会人"が知ったような口で九州を侮辱されると本当に頭にくる
一緒にするなと偉くて賢い人に怒られそうだが
黒人が黒人コミュニティで自分達のことをニ●ーと呼び合うことを是とし
白人がそう呼ぶことへ怒り差別とする気持ちが少しわかる気がする
女性の差別は反対するのに嬉々として地方を差別するリベラルな人々、自称フェミニストたちはその構造のおかしさに気づいていない?
大学生の頃、ジェンダー論とフェミニズムを少し学んでその思想に助けられたのに、ど田舎九州に住む野蛮人は死ね、と刃を向けられた気分だ
差別反対を表明する人たちが平気で田舎差別しないでよ、味方じゃなかったの?
データや統計に基づいて論理的に問題提起しているのならありがたいが
Twitterで蔓延る九州の男尊女卑エピソード、結局一個人の出来事を大きく取り上げて"九州男児"ってわかりやすくかつラベリングしてバカにしてるだけじゃないか
挙句の果ては"会ったことはないけど娘が付き合ってるのが九州男児で〜今すぐ別れなさいって言ってるんだけど〜…"と
あの、実際に会ってないんですよね?彼を"九州出身"というフィルターだけ通して見て
娘さんが選んでお付き合いしてる人を無碍にしていいんですか、あなたは娘さん自身を信頼してないんですか
会って嫌な思いをして不安になるなら分かるけど…イメージだけで差別するなんて稚拙すぎませんか
九州の女性や男性が問題提起してるなら何も思わないし、建設的に話し合えたらいいって思うよ
Twitter賑わせてるのは九州に住んでない人が簡単に殴れるターゲットとして九州人を揶揄して遊んでるようにしか感じない
でも、祖父母を見てたら簡単に"九州は男尊女卑の遅れた土地"って切り捨てられないよ
祖父は昭和一桁年生まれだが、掃除洗濯は勿論するし、魚を捌いて刺身を拵えてくれた、祖父の作るだし巻き卵は甘くて美味しくて大好きだった
祖母は祖父の創業した小さな会社で経営方針を大きく改善して指揮をとっていたし、祖母の判断で不動産の投資と運用を行なっていた
伯父だって、正月には料理を奮って作ってくれるし、帰省の際は祖父母のためにいつも食事を作ってる
優生思想?帝国主義??関東圏内に生まれなかった、本州からも離れた九州の"土人"は平気で侮蔑していいの…?
Twitterで"模範的なモラルを持つ人"と挙げられがちな欧米のエリートと関わったことあるけど、強烈なレイシズムとミソジニーを感じたよ
パリ第一大学を卒業した自称フェミニストのエリートフランス人だったけど、店で料理をサーブしてくれた女性が親切だったことをあげて「自分は白人だから優遇してもらえる、日本人は白人が来てくれて嬉しいからね」って平気で言ってたし
「男女の友情なんてない、男は女とヤリたいから親しくするだけ」と吐き捨てたよ
東京生まれ東京育ちの早稲田大学卒業の男性、女性をモノのように扱ってたよ
彼らを一括りにして都会の男はミソジニーのレイシストだ!と言うつもりはありません。
もちろん、九州にだって嫌な価値観の人らがいるよ、嫌な思いもした
でも「女性」で一括りに差別され悲しい思いをした人たちが、「九州」を一括りにして侮辱していいって思えないよ
#さすが九州とか、#Q州のハッシュタグで綴られているツイートがあまりも粗雑で悲しくなる
それに私が出会った中で1番ジェンダーに対してフラットで女性を尊重してくれると感じた男性は九州生まれ九州育ちだった
九州の文化や風習が男尊女卑を増長してる論を語るならば、もっと冷静にデータと分析を持って問題提起して欲しい
そのような方が九州男児を過剰に否定し拒絶する気持ちも理解できる
でも、そのラディカルさが手を取り合うべき人同士の分断を産んでしまうことに深い悲しみを覚えている
出身地は選べないのに
フェミニズムとオリエンタリズムを一緒くたにして出身地における差別をしないでください
あえて、"都会の人"と再三括りましたが、都会の人が皆九州を差別してるとは思っていません
沢山の反応をいただいて驚いてます。共感、疑問共にいただけて嬉しいです。
まとめると、男女差別に反対しながら地域差別を肯定しないでほしいということです。
しかし、それに対しての抗議の声が自浄作用として働けば良いですが、地方や特定地域への蔑みと差別が内面化したものが多いことが悲しいのです。
男尊女卑の反例として私の家族を挙げてますが、それが九州の価値観だと一般化したいわけでもありません。
ステレオタイプなイメージで、特定の地域を括り侮蔑することは差別を助長するのではないかと思っています。(これは九州に限ったことではないです)
地方と都市、男女、老若、貧富、さまざまな属性を無数に分けることができますが、属性に対する決めつけは差別の始まりになる危うさがあるのではないでしょうか。
子供の頃はそれが当たり前だから、というよりはそれしか知らないから、自分の家庭や親戚が普通と違っているのか分からないよね。
うちは、父親の母親、自分から見て父方の祖母が左半身不随の障害者だった。理由は分からない。随分前に亡くなったけど、生きてる間にもっと親切にしておけばよかった。
母親の両親はちょっとややこしい。別居していた。いつも祖母のところに行って、それから祖父のところに遊びに行った。2人が一緒のところを見たことがない。祖母はデパートで働いていたが、一軒家に1人で住んでいた。ときどき男の人がいた。「彼」みたいな人だ。
祖父の家に行くと必ず勝手口から上がった。表から見るとびっくりするくらいの豪邸なのに表玄関からは上がれず、いつも勝手口から入った。祖母の親戚に会うことはいくらでもあったが、祖父の親戚は訪ねた時に挨拶するくらいで交流したことはなかった。
自分が二十歳くらいで気付いたが、祖母は妾だったのだろう。つまりシングルマザーだ。
自分の祖父母が普通じゃないことはぼやっとわかっていたつもりだったが、よその家庭との違いをはっきりと認識したことはなかった。フィクションの世界の普通の家庭と違うことはわかっていたが、フィクションの世界やニュースなどで見るお妾さんやシングルマザーや障害者が自分の血縁者にいるという実感がなかった。関連づけることがなかった。
なんかとりとめなくてごめんね
飲み会が終わって22時過ぎに都心の駅から自宅に帰るとき、駅のホームにヨボヨボなおばあさんがいた。
格好はジーンズに大きい若者向けのリュックを背負ってショルダーバッグも下げていた。
おばあさんは10円を1枚1枚自販機にいれてオロナミンCを買っていた。
そして電車に座るとアベノマスクくらい小さいマスクをずらしてオロナミンCを飲んでいた。
口元が露わになると更にヨボヨボのおばあさんだった。
沖縄の祖父母はもうこの時間にはとうに寝ているというのに、都会の老人たちはなぜこうも夜まで働かなければならないのか。背中を丸めて。歩くのもおぼつかないほどヨボヨボなのに、若者向けの似合わないブーツカットジーンズを履いて。
わかってる。都会に住むというのはもちろんおばあさん自身の自分の選択だし、俺なんかより大富豪でただただオロナミンCが大好物なだけかもしれない。
でもいつも深夜に電車にのっている都会の老人たちを見ると泣きそうになるのだ。ビニール袋を鞄のように使う老人までを見ると。将来俺もこうなるのかもしれない。
老人たちは幸せだと言い聞かせても堪らなく胸がキュッとなるんだ。助けてくれ。
テレプシコーラは踊りを司る女神の名前で、「舞姫テレプシコーラ」はバレエ漫画である
ハンタのネフェルピトーの念能力の名前は、タイミング的には女神からではなく漫画から取ってると思われる
この漫画は現代日本のバレエ事情をよく描いていて面白いのだが、「バレエ漫画だよ」といって他人にオススメするには無駄に鬱展開が多い
一方で篠原妹の同級生・空美(クミ)ちゃんはろくにレオタードもシューズも買えないどころか風呂もなかなか入れない極貧限界家庭のブス
そんな空美ちゃんだが、伯母は元有名バレリーナで厳しく指導されてきたためバレエ技能は篠原姉妹を優に超える
伯母はバレエキチガイであり、飯が食えなくてもとにかく踊れという人間
「不遇な環境にあり軽んじられてる者が実はTUEEE」自体はありふれたプロット
でもそこで「空美ちゃんは親に売られてたびたび児童ポルノ撮影させられ、無職の家族を養ってる」という展開をブチ込んでくる
サッカー漫画や野球漫画でユニフォーム買えない貧乏少年が児童ポルノとかなかなかないだろ????
ポルノの世界は撮影者が被写体を誉めに誉めてお姫様扱いだからそれがクセになるみたいなのを聞いたりするが
空美ちゃんは「ブス入ってたほうが生々しくて受けるけど流石にブスすぎる」とか無茶苦茶に罵られながら撮られる
空美ちゃんはバレエの天才であることを認められ費用を免除された上で活躍したりするも、一家で夜逃げし、転校届けも転居届もどこにも出されず消息不明になる
空美ちゃんはその後再登場とかしない マジでどこでなにやってるのか不明 なんだよこれ
第二部に、経歴が怪しげで謎に包まれた美女バレリーナが登場し、見た目は空美と似ても似つかないが踊り方が空美の特徴そのものであり「空美が整形し出自を偽った姿」ではないかという疑惑を読者に抱かせる
結局その答え合わせはなく消化不良のままで終わる
どうも作者はドロドロしたものを混じえつつ書いていこうと構想していたようだが、ちゃんと取材したりするうちに気が変わってドロドロ部分を放り投げたんじゃないか
おっとりマイペースな妹と違い、自分に厳しく鍛錬し勉強もできて中学受験では進学校にも行く
空美ちゃんという、それまでどこかの教室に所属していたわけでもないのに自分を超える能力を持つライバルの出現に燃えて張り合い、スポ根する
日常生活を送れる程度にはすぐに治ったものの、バレエをやる上では以前のように踊れず違和感があって上手くやれない
おっかなびっくり稽古をするうちに再負傷、治療中に二次性徴を迎え、体のバランスが大きく変わる中で踊れないのはバレリーナにとって命取り
篠原姉は踊れないうちは体が育たないようにと食事をこっそり捨てるなど病んだ行動を取り始める
生活はできるがバレエには苦労という微妙な問題を国内で対処できる医者がおらず、海外のバレエに詳しい名医に見てもらおうという案が浮上
篠原家は小金持ちだが大金持ちではなく、借金しようかとか祖父母の家を売ろうかという話になる
国内で数回手術したのも苦痛だった篠原姉は、元に戻れる保証もないのに親に多大な負担を与えてまで渡航して手術するのを嫌がった
勉強はできるので、バレエをすっぱり諦めてアスリートを助けられるような医者を目指したいと母に言う
しかし母は「それは逃げじゃないか、もう少し頑張ってほしい」と返す
篠原姉は学校からの帰り道に、タワマンに入っていく人を見かけ、ふらっと追従してオートロックを抜け、屋上から飛び降りて自殺してしまった
自殺までさせなくていいだろ
なんだこれ
スラムダンクの三井がバスケできないからって自殺するようなもんだ
篠原妹はバレエを続けていくが、周囲の天才であった姉も空美も消えていき、その他の子も勉強に専念とか美容体重キープを求められて摂食障害になったなどで辞めていく