さほどYoutubeを見ない自分でも知ってるくらいのYoutuberが不倫したらしい。
コメント欄を見ると不倫したやつが作った動画はもう見れないという趣旨のコメントが大勢いる。
……なんかそれってずいぶんと薄情だなって思う。
僕は作品に罪がなく、単に不倫をした人間が批判対象で有って、作品と作者は切り分けて考えるべきだと思っている。
もし、犯罪者の作品が批判され、淘汰されるべきなら太宰治だって複数の女と自殺未遂してるし、太宰だって不倫してる。
いやまぁそりゃぁ文豪様と一介のYoutuberを比較するのは流石にどうかと思うだろう。
でも、属性を抜きにして考えて欲しいわけだ。
あくまで1つの素晴らしい作品があったとして、大衆に受け入れられたとする。
それが後に主演なり作者なりが不倫したとして、その作品に対してそれは関係あるのだろうか?
作品はあくまで作品であり、作者は作者として別で考えるべきではないのか?
太宰も芥川も読んだことないから大丈夫なんだが
虫が良すぎないか? ホモサピだけに!って言わせたかっただけだろ!そうなんだろ!
作者の罪は、死によって浄化される。 日本人独特の死生観がそこにはある。
YOUTUBEってキャラ売りでしょ、アイドルが嫌いになったらアイドルがわちゃわちゃしてるだけの薄っぺらい番組を見ないのと同じ。
ゼロヒャクで考えすぎじゃね? おそらく世の中には、太宰の人間性が嫌いで太宰作品を読まない、評価しないという人もいると思うんだよな。
昔の偉人とか歴史上の人物って人間じゃなくてキャラクター化されてるしな。
「Youtuberという素材を使った動画」の「Youtuber」の素材としての価値が下がったんだから、動画として見るに堪えないってことだろ。 腐った肉のステーキを誰も食べない。