園子温の作品は生産性のない本能に従ったセックス、暴力、また盗撮、恫喝恐喝等の犯罪、不倫等愚かなことに没頭させる。またはメンタルがイカれたものの本能に従った熱量をそのままにぶつけている。
結末がどうであれ、頭のイカれた人間の本能を見せつけ人をアブノーマルとは言い留められない思想をどこまでも煽らせる。
そこで肝心なのは、登場人物の女は男に従わずを得ない立場に追いやられながらも、女という武器で裏をかいてるという過剰な女としての自信だ。男はそれを「頭の弱い女」と呼ぶ。
この園子温の「頭の弱い女」…言葉は悪いが肉便器のような扱いを受ける女性は、女を自分の武器であると過剰な自信を見出す。特にセックスにおける相手を魅了しているという自信は「愛される」という言葉に変換させ、メンタルの死んだ女にとって麻薬のような作用をもたらしている。麻薬となってるのは行為であり、男ではない。だからこそ馬鹿なのだと。
……思えばバカみてーな作品だ。刺激だけ求めている内容だ。これこそが男女敵対の哲学のように映画で語りつつも、下衆を極めたゴミだ。しかしながら、「男女の友情は成立するか否か」といった無謀な問答が昔からある限り、創造性のない頭ゆるゆる性欲しかない人間が再生産されるだけだ。それらを認めるところから整備を始めなければいけないとこ、性欲のみに従いたいと惰性貪り努力せず「愛される」「愛されたい」などといった耳障りのいい言葉に挿げ替える。今度は若年層に「死」「サディズム」への意識とミックスして新たな創作に刺激的な味付けをし、植え付けようとする。
今度は性欲という本能を封殺し、死生観をメインにする。はたまた嫉妬恨み等負の感情を引き出させる。一体何が見えてくるのか。
ちなみに地獄でなぜ悪いとチェンソーマンの暴力狂気は似ている。いずれにしても破滅が好きだ。ファッション破滅。
ここまで書いてクソどうでも良くなった。どうせこんな文章書いたって二番煎じどころじゃねーわ。
あーーーー醜いきしょい俺もお前らも。