はてなキーワード: 日本中とは
https://anond.hatelabo.jp/20240619014605
本文)
キャンセルカルチャーの問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。
どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものだから、キャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。
つまり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。
その程度の教養と正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャンを謝罪に追い込む社会なわけだね。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。
もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、
のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。
コロンブスとナポレオンが他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分の文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw
というのがあるね。
正直、なんとも思わないね、というのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省どまり。
俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないものを批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判は内面化されていないわ。
そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識を開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。
むしろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆくハチマキをした類人猿の兵士を抱きかかえる類人猿の兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍の兵士を連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。
類人猿をベートーヴェンが指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。
そう、まさに「つまり解釈の余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。
rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。
Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments
もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権の歴史を教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理は共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301
みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。
しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に、歴史修正主義というドイツで使われた文脈の言葉を安易に日本の南京虐殺否定の文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。
俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史の文脈のなかで生まれた言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか「教養」として普遍化するなかで、その歴史の固有性が失われ、あたかもハンディな批判ツールになり下がることだった。
村上春樹が2009年、イスラエルの文学賞を受賞したとき、はてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯を意味するとまで言った人もいた。そのとき、村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹の言葉のほうがよっぽど覚悟が必要だ。それでも村上春樹を攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。
(追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。
tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。
すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれた修正主義はその後、ソ連や中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点や政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。
つまり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態だからな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。
(/追記2)
お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史や知識を開陳する態度。
てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。
サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。
言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹の文章。
永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います。大学1、2年の頃、大学で平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。
じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います。
「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。
そういう義憤の正体って何だろう。
最近、朝日新聞の人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者のコメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。
[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン
https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA
「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性の相談。
私個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから。
これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。
新聞で得た世界の出来事をいかに正義の言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。
かつて、北アフリカのスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺が国際問題となったことがある。
日本のブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。
最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域に仕事上関与するようになってから、スーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブ・ダルフール・キャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。
それは当時のバシール大統領の断罪をはじめ、現地武装性組織の悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカのNGOのキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争の実態はもう終わっているにも関わらず紛争が継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGOの広告費に回っているという話まで聞いた。
正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。
弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。
今、現在、スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍と準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争のときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいかに危機的かがわかる。
しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトとトルコはスーダン国軍支援、アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的な顧客を武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争の様相を呈している。
ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義の歴史を知るとか、外付けの倫理をいかに理解しているかという意味ではない。
普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本人である自分自身がいかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。
そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。
表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍的価値だから、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。
なぜアメリカの判事は歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会は健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。
なぜドイツではホロコーストの否定は表現の自由に当たらないのか。日本は公共の福祉の解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会の文脈がある。少なくとも自分の社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的な共感というものだと思う。
少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義がますます膨れ上がるだろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単なプロパガンダで誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。
MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員と不倫していたことをネタに糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。本格的な右派政党が台頭したらそいつらを味方につけるだろう。不謹慎厨の本質は正義の中身を大して気にしてないことだ。日本中が沖縄を踏みつけにしても気にしないが、よその国の自分とさして関わりのない先住民のことは気に掛けるふりができる。
世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMVの植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。
サヨクは知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。
朝日新聞に人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端なポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。
名シーンそのままアップロード。
創造性なんて一切なく、誰かがテレビの内容をTubeに勝手にアップしてそれを更に勝手にロンダリングしたような動画ばかりだ。
地獄か?
こんなサイトが何の権利で、プレミア会員やらなんやらでマネタイズしているんだ?
ランサムウェアに金なんて払わなくて良いけど、日本中の権利者に対して儲けを配分して土下座してから溶鉱炉に沈むのが筋じゃないのか?
このサイトが存続することが「正義」だとか「善」だとは俺にはとても思えない。
その中でしか生まれなかった面白コンテンツもあるんだろうけど、それにしたってこの穢れた土壌が「害悪」でしかないのは変わらないと思うぜ
というか国民の士気を高める手段としてスポーツや娯楽産業は有効であり国家は可能であればぎりぎりまで行う
今のウクライナは総力戦というかつての古いタイプの戦争を行っているのだが
・アメリカでは当然のように終戦までメジャーリーグの試合が開催され続けた。
・イギリスでは平時のプロリーグは休止したが代わりに戦時リーグが発足し終戦まで開催された。
・日本ではプロ野球の前身である職業野球が1944年の夏まで公式戦を行いその後も終戦まで断続的に試合を開催した。(夏の甲子園も1942年まで行われた)
さらに大相撲に至っては日本中が焼け野原になる終戦に至っても場所を継続し続けた。
・ドイツではプロサッカーのブンデスリーグの前身であるガウリーガがカップ戦では1943年を最後にリーグ戦は1945年の敗戦間際まで運営され続けた。
明るかった娘が変わったのは、SNSで可愛い子のアカウントを探すようになってからだ。
最初は可愛い子のアカウントを見つけては、「芸能人じゃないのにこんな可愛い子がいる!」と興奮気味に話す娘を見て微笑ましく思っていたが、最近は可愛い子と自分を比べて落ち込むようになってきてしまった。
SNSで顔のパーツを定規で測るのが流行っているらしく、娘は自分の顔をメジャーを当てては、中顔面が、人中が、鼻翼が、顔の横幅が、とブツブツ言っている。
私が「顔も鼻も大きくないよ、可愛いよ」と言っても「平均より2cmも大きい!」「◯◯ちゃん(インフルエンサー)は◯◯cmしかないのに」と言われてしまい、実際数字を出されると何も言えなくなってしまう。
娘が憧れているインフルエンサーを教えて貰って見てみると、人形のような大きな目、折れそうなぐらい細くて長い脚、漫画のような大きな胸をしていて、第一印象は「こんな不自然な人間実在するのか?加工してるだけじゃないのか?」だった。否定すると親に何も話してくれなくなりそうで口には出さなかった。
他にも流行りのK-POPアイドルやワンホン(中国美女のことらしい)のこの子が可愛い、この子みたいになりたい、と言うが、正直娘の可愛らしさからはかけ離れていて、なんと返していいのか分からなかった。
プチ整形ぐらいなら、それで娘のコンプレックスが解消されるなら大賛成だ。
ただ娘が憧れているインフルエンサーは、プロフィールに「整形課金◯◯◯万円」と書いていたり、骨を削って輪郭を小さくするような大がかりな手術や、十分に細いのに脂肪吸引を行っていて、とても健全には見えない。
何よりも、若い女性がダウンタイムを繰り返しながらこの大金をどこから捻出しているのかと考えるととても恐ろしくなった。
娘は最近TikTokやInstagramをずっと見ていて、取り憑かれるように可愛い子を探してる。
自分が高校生ぐらいの頃は、可愛い一般人の子なんてせいぜい「他校の誰々が可愛い」と噂になるぐらいだった。
今はSNSを介して日本中、世界中の可愛い一般人の可愛い子に簡単にアクセス出来て、しかも「あの子と私は何cmも違う」と比べられる時代なのだ。
そんな娘に親がいくら「可愛いよ」と伝えてもむしろ逆効果のような気がしてしまう。
娘は高校卒業後は大学進学のために一人暮らしすることになると思う。
目の届かないところで娘がどうなってしまうのか今から不安で堪らない。
親としてどうしたら良いのだろう。
未婚男性の中で年収600万円以上って6.7%しかいないんだけど(国税調査調べ)、それ知った上でこんなこと言ってるのかな?
もちろん、増田の言うハゲや低身長や介護が必要な人もこの6.7%の中には居るから、その条件で全部排除していったら、1%以下の出現率になる。
あなたはそんな、全婚活女性の国内上位1%に楽々入るトップクラスのスペック(年収だけじゃなくて、美貌や若さ、コミュニケーション能力や気配り、愛嬌も全て含まれる)の自負があるってことだよね?
そうじゃなければ「高望みしてない」なんて口が裂けても言うべきではない。
少なくともその年齢まで生きてきて、男に言い寄られたことがない時点で、あなた自信が「ちょいブス」レベルじゃなくて「ドブス」だという自覚をはっきり持て。
高望みを止めるか、それとも結婚を諦めるか決断しないと、あなたは一生苦しむことになるよ。
諦めて、1人で生きていくことだって今の時代悪いことじゃない。結婚とか恋愛が全てじゃないんだ。
腹を括れば、かえって1人の方が自由で楽しくて幸せな人生かもしれないよ。
がんばれ。
かつて開発から取り残された裏日本を救うという理想にもえて、そうだ道路だと考え、
議員立法で道路3法を通し、ガソリン税や高速道路の有料化によって日本中津々浦々、道路建設を推し進めた政治家がいた。
また電源三法を通して、長期的な電力供給の安定化を図り、発電所が立地する地方の経済的な発展に寄与した。
こうして彼のエネルギー政策と道路交通網整備は、首都圏だけでなく、地方部の発展を後押しし、高度経済成長を下支えするものとなった。
総理大臣にまで登りつめたその政治家は、日本列島改造論を自分の考えのたたき台として世に問うた。
1. 地方分散:人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させることで、地方の工業化を促進し、地方都市の建設を推進する。
2. 高速交通網の整備:新幹線、高速道路、本州四国連絡橋などを通じて日本列島を結び、地方のアクセスを向上させる。
3. 公害問題の解決:工業地帯の再配置を通じて、公害問題にも対応する。
4. 情報通信網の形成:情報通信のネットワークを全国に広げ、教育や医療の格差を解消する。
この考えに共鳴した一人の実業家がいた。彼は、全国交通網の整備によって、都会の人が地域の自然環境や文化など地域の価値を再発見する、という部分に着目した。
そういうと聞こえはいいが、実際には、都会からのアクセスを確保し、「自然環境」を手軽に消費できるレジャーランドの建設が後押しされた。
バブルの時代ともなればリゾート開発法が制定され、あちこちにスキー場、ゴルフ場、ホテルが雨後の筍のように乱立した。
しかし、その反面、二束三文だった山林は唸るほどのカネに変わり、地方部でも不動産価格が高騰した。
日本列島改造論には開発候補地が記載されていたことからそれをさらに後押しした。
そこにオイルショックがインフレに追い打ちをかけ、狂乱物価といわれる極端な物価上昇に国民が苦しむようになった。
マスメディアは手のひらを返したように、金権政治を批判し始め、その政治家は失脚、最後は航空機のわいろ事件で実刑判決を受けた。
彼の理想に共鳴したグループ企業の御曹司も、バブル期には世界一の富豪と評されたが、そののち証券取引法違反で有罪となった。
電源三法によって石油コンビナート誘致に地域の未来をかけた青森県下北の村は、オイルショック後に原発推進に舵を切った政府に翻弄され、30年たっても完成しない核燃施設の村へと変わった。
バブルが崩壊し、全国のリゾート開発は莫大な負債の後処理のほうが新聞をにぎわすようになった。
一方で、日本列島改造計画で描かれた全国新幹線構想は、一旦とん挫したものの、あれから50年、北陸新幹線は東京から金沢まで2時間半という距離になり、敦賀まで乗り入れる時代になった。
その恩恵の上に社会が成り立っているはずなのに、それを我々社会がちゃんと評価し切れていないからなのかもしれない。
狂乱物価で手のひらを返したマスコミのように、目先の不利益のほうがどうしても目についてしまう。これは認知バイアスだ。
他人のために行動するっていうのは、魔女の宅急便のニシンのパイババアだとか、台風前のバス停を立てていく善意の悪魔とか、被災地に千羽鶴送り付ける奴とか、被災地に渋滞を起こしに行く奴みたいに、助けるつもりで地獄に突き落とす奴が後を絶たない。
何もしないのが吉なんじゃなくて、何もできない奴は黙ってすっこんでろってことなの。
先祖代々のワキガ(少なくとも祖父母と両親の6人がワキガ)である我が一族に伝わるワキガ三大奥義を悩めるワキガに伝授しよう。
みっつ、体を洗ってから15時間が外出のタイムリミットだと思え
まず大前提として、毛を剃れ。
パースピレックスやワキガードも塗ってるのに全然臭うと悩んでいる奴ら、大体ワキ毛を剃ってない。
ワキ毛を剃らないとそもそも皮膚に薬を塗れてないので意味がない。
特に塩化アルミニウム系の汗腺を塞いで汗を止めるタイプのものは、汗腺に直接触れないと何の意味もない。
わずかなワキ毛でも薬を塗るのに多いに邪魔なので最低週1、肌が頑丈なら毎日剃る方が良い。剃ると肌が荒れるなら脱毛クリームという選択肢もあるのであった方を選ぼう。脱毛するのもいいぞ。
ワキガに産まれた人間の人生は三択しかない。「ワキと陰毛をまっさらにする」「手術を受ける」「臭いと陰口を叩かれながら暮らす」このどれかだ。一番無難なのは陰毛を除去すること。手術をしても臭いを取りきれてない場合は結局陰毛を除去して薬を塗って暮らす人生も存在する。
そもそも「スソワキガ」というものを知らないワキガもいるかも知れない。スソワキガは股間のワキガだと知っていても、どこにアポクリン汗腺があるのかちゃんと分かってない人もいるだろう。
俺はちゃんと場所を知らずに2年ぐらいずっと太ももにだけ薬を塗っていた(腕の付け根がワキなら脚の付け根はふとももだから)。ある日それを見た父親に「お前、何も分からずにワキガ対策をしているのか?」と言われ、スソワキガの正しい場所と上の三原則を伝授されたわけだ。
スソワキガの場所は陰毛が生えている場所だ。「Iライン、Oライン、Vライン」で画像検索をしてみてくれ。文章だけでイメージするよりもいくつも画像を見てちゃんと知るべきだ。
毛を剃ったら薬を塗るんだ。
手術をするという選択肢もあるが、手術はリスクがあるからやる時は医者とちゃんと相談して、薬を塗って収まるなら薬で凌ぐことも考えて欲しい。
最近はやっているミラドライとビューホットは技師の能力や相性にもよるが、50万払って全く何のいみもなく終わることも多いのでオススメしない。
手術をするなら切る以外の選択肢はないと思ったほうがいい。
というわけで無難に済ませる手段として薬があるのだが、薬には3つの種類がある。
まず最も効果が高いのが汗そのものを出なくする塩化アルミニウム液だ。雑菌の栄養源や湿気の原因となる汗自体を防ぐのでかなり直接的に効果が出る。ただし肌へのダメージが強いので剃毛後の肌にすり込むと激痛が走ることも。
次に効果があるのがミョウバンだ。これは肌を酸性にすることで菌の繁殖を防ぐ効果と、汗腺の機能を押させる効果が期待できる。完全に汗を止めるわけではないから、汗が多いと少しずつ流れ出してしまう欠点がある。
最後に臭いそのものを減らす消臭剤だ。ワキガの強烈な臭いの前では余りにも脆弱。基本的には上の2つと併用するオマケだと思っていい。
ワキガの薬は国内外で多数出ているので色々試して体にあったものを使うのがいいだろう。臭いが消えているかどうかは一日着ていたシャツのワキ部分を嗅いで見れば大まかに分かるはずだ。全然効いてないときは全然凄い臭いがする。
そして効果の有無より重要なのが肌に合うかどうか。新しい薬を買うときは最初の量は少なめにしておこう。そもそも痛みが強すぎて使えない薬も多いからだ。
最後になるが、ワキガ人間は長時間の外出はしないほうがいい。出かける前にシャワーを浴びておくか、アルコールティッシュ程度でいいからワキガ部位を拭いて乾かしてから薬を塗るのも忘れるなよ。
ワキガグッズは「24時間ずっと効く!」なんて言ってるが、あんなのは効果が完全に消えるまでが24時間ということであって、数時間もすれば効果はすでに半減している。
程度にもよるが、強いワキガ人間は朝シャワーで脇を洗ってから薬塗っても終電の時間には完全にワキガが臭っている。ちょっと残業をするだけでもすでにかなりヤバくなっていると思っていい。終電ギリまで飲み会とかは絶対に避けるべき。やるにしてもどこかで一度ワキを洗うタイミングを作ったほうがいいだろう。
軽く拭いて延命は出来ても体感15時間ぐらいでリミットが来る。自分の体感なので実際には12時間ぐらいでもう駄目かも知れない。朝シャワー→定時退社を基本で生活を設計するべきだろう。人生設計そのものをテレワーク中心で考えるべきかも知れぬ。
昔は日本中にバキュームカーが走っていてそこらじゅうウンチ臭かったおかげでワキガも多少はごまかせたが、今の生活な町並みでワキガ臭は十二分に排除の対象となる。ワキガに産まれた人間は正しい知識を身に着けなければ生き残れないぞ。
間違っても「切らないワキガ手術のミラドライしたから一生ノーガードでもいいはずなんだが?」みたいな勘違いだけはするなよ。切らなきゃ治らず、切っても残るがワキガの基本だ。切らなくても薬と自己管理である程度解決できるし、切った所で自己管理を怠れば全然臭うのがワキガだ。
自己管理の話をしてしまったので、裏奥義である「体臭の強くなる食生活を辞めろ」も話しておくか。
ワキガはアポクリン汗腺から出る脂っこい汗が、よく分からんクソキモい雑菌の餌になりそいつらが意味不明な化学反応で臭い物質を作り出すことでおきる現象だ。
虫歯菌が砂糖から酸を作り出して歯を解かすのと似たようなことが起きていると思って欲しい。虫歯の場合は甘いものを控えると菌のはた迷惑な生態を抑えることが出来るが、ワキガの場合も汗の脂成分を減らせば菌の繁殖や臭いの発生を抑えられる。
ワキガ菌の餌になりやすいのがニンニク・ネギ・動物性タンパク質・脂質だ。
腸内環境を整えるとワキガが減ると言われているが、正確には腸内環境を荒らすような食べ物とワキガの原因になる食べ物の一致率が高いということなんじゃないだろうか?(個人の空想です)
ジャンクフードや肉の食べ過ぎは良くないと言われているが、何より危険なのがネギ科の食べ物だ。ネギやニンニクは美味いので色んな食べ物に入っているので注意が必要だ。外食や弁当でネギが入っていたら残せとまでは言わないが、調理する食材を自分で選ぶときや冷凍食品を買うときなどは極力ネギ科を避けるようにしたほうがいい。自炊しない人でも成分表示を見てニンニクを避けるだけで摂取量はかなり減らせるはず。
実際、俺が連休中だし引きこもるから大丈夫と焼き葱を一晩に2本食べた時は次の日自分の体臭で目が痛かったからな。マジでヤバイぜ。犬がネギ食うと死ぬのは自分の臭さに耐えられなくて死を選んでいる可能性さえあるなと思う臭さだった。
ワキガに生まれ落ちることは対策の出来ない不幸だけど、ワキガそのものは対策のしようが無数にある病気だ。体質的に太りやすい人間よりかは辛いかも知れないが(食生活的にワキガも高カロリー食は控える必要があるが、デブなだけならネギは食えるので)、糖尿病や癌に比べればまだマシだと思って頑張ろう。とりあえず、毛を剃れ。陰毛もだ。剃るべき陰毛の場所はちゃんと調べるんだ。自信がないなら医者に聞くんだ。そして薬を塗れ。手術をしても完全には消えないので一生付き合っていこうな。
素晴らしいね。
こういうのを調べると、自分の血を残すモチベーション湧いてこない?
29歳なら年上狙うとかの戦略立てればギリギリ間に合うので、婚活頑張れ!
過去帳は、興味本位ではなく、ご先祖を弔いたい、といえば断るお寺は少ないはず。
まじめに、明治時代のご先祖様の100回忌を計算して、法要してあげれば、さらに色々と知識が深まるよ。
なお、明治時代半ばまでは、戸籍はグレゴリオ歴、過去帳は天保暦で日付がずれることもあるので、その辺の知識も整備した方がいいかもね。
山口県は、特に戦前はハワイや旧植民地への移民が多かった地域なので、色々なドラマが多いと思う。
定額小為替の手数料は、郵便局は理不尽な利権などもあり、あり得ないほど高くなってる。
ネットがない時代は個人送金の一般手段だったが、現在は役所関係以外で使うことはないだろう。
あと、先祖で旧軍に所属していたことがある人の場合は、「兵籍簿」を取れば(詳細はググってね)、さらに細かく分かることがある。
(実は戦犯処刑されている人などは、戸籍が請求されても役所の人が謄本を作成するときに塗りつぶしてしまうことがある)
なお、平成初期までは、別に直系先祖でなくても誰でも自由に他人の戸籍を取得できた。
その時代、日本中の戸籍を取りまくって、人名辞典を作っている会社がいくつかあり、そこにご先祖さんが掲載されていると、直系ではなく傍系の調査も捗る。(詳細は「日本紳士録」などで検索)
《新宿タワマン25歳女性刺殺事件》ストーカー男・和久井学(51)「恐怖のシャインマスカット」 #週刊文春 https://bunshun.jp/denshiban/articles/b8659
新宿タワマン殺人 逮捕の男は「空白の1年間」で複数の女性にストーカーか #ldnews https://news.livedoor.com/article/detail/26400984/
〈タワマン刺殺〉「色恋営業は一切していません」「彼氏がいることも伝えていた」太客でもなんでもなかったストーカー男“わくちん”の暴走「見返りは求めないでね」と忠告するも自分からシャンパンタワーを希望
https://shueisha.online/articles/-/250560
〈タワマン刺殺〉「これはストーカー事件です」被害者A子さんの元夫の慟哭。和久井容疑者はSNSで自宅を特定して郵便物を物色…店を出禁になると「今までの会計返せ」「1回くらいいいだろ」事件1カ月前のある投稿が凶行の火種に?(集英社オンライン) https://u.lin.ee/yVzb1Y8?mediadetail=1&utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=none
あれ程加害者の言い分信じて被害者叩きしてたブクマカがこれには全く反応しないでスン…としてるんだけど
・1年間で被害女性以外の複数人に対してもストーカー行為をしていた。警察に6件の相談が寄せられていた
・NRとNSXを溶かして手に入れた1800万円は、開業資金の融資などではなく、単なる太客アピールの飲み代(シャンパンタワー)に消えた
・「見返りは求めないでね」と忠告するも自分からシャンパンタワーを希望
・前払金というのはシャンパンタワーのお金(タワー用意したのに飛ばれたら大損失だから基本的に前払いや前入金出して残りは当日払い)
・店に居座って暴れる
・本名自宅突き止める
・金返すだけじゃなくてヤらせろと迫る
「和久井学さんは本来善良な人間で借金を返して欲しかっただけなのに司法の女割でストーカー冤罪をかけられた可哀想な人なんだ!自力救済するしかなかったんだ!!金を騙し取った女がクソ!自業自得!!」
って言ってたブクマカやアンフェツイッタラー、どうすんの??その手のツイートがうじゃうじゃ溢れててバズりまくってたよな?小山晃弘、rei、どうすんの?
そういや、青葉台駅のこの事件、日本中で痴漢冤罪ガー!!女さんが痴漢冤罪で人を殺した!!って騒がれてたな
はてブも例外ではなく、女性に対して地獄に堕ちろ永遠に苦しめ冤罪女とバッシングしてた
痴漢冤罪だひどい→→やっぱりやってたw 田園都市線青葉台駅で線路に逃走し死亡した男性 被害女性にローションをかけていた 男のカバンから小瓶見つかる
https://tsuisoku.com/archives/52282715.html
痴漢された上に日本中から冤罪女として叩かれて、どれほど生き地獄だったか想像できるか?
それをどいつもこいつも、謝りもしないでスン…としやがって
日頃草津町長の冤罪事件でフェミは謝れ!!って言ってた奴らは人のこと言えるの?
加害者側の言い分鵜呑みにして悪辣な頂き女子に仕立て上げて叩きまくる「冤罪」かましやがって
死人に口なしだから何言ってもいいとか思ってる?謝れよ
そんな声がどこからか聞こえたが、俺が知っている中で最も同和の話に近いのが一時期ネットを折檻した韓国人優遇の話なのだから仕方ない。
結局のところ、あの頃散々叩かれた「ごくごく一部のやたら優遇されている韓国人Ⅱ世Ⅲ世」というのは、同和の一種だったのだろう。
戦後のゴタゴタなどで韓国人を差別してきた歴史を持つ地域に深く関わる行政が、差別主義者としての自分たちの状況を小手先で誤魔化そうとし続けてズブズブの関係になっていったわけだ。
なるほど、ネトウヨとして暴走し大学や親や初めて入った職場で煙たがられながらも必死に勉強し続けた知識が今になってようやく役にたった。
利権を一度認めると、「利権を一度認めてしまった」という情報を世間から隠すためにずっと利権を認め続けることになる。
これが民間企業だとふとした業績の悪化によって「これ以上は耐えられない!」と吹っ切れることもあるし、倒産と共に膿が一気に地域一帯へと流れ出すこともある。
だがこれが公共となると中々倒れない。
何よりもそういった利権を黙認するかしないかの判断が自分たちの利益に一切影響しないという役人の立場が「とりあえず面倒臭くなさそうな方向で」というインセンティブを強く働かせるわけだ。
結果的に日本中に同和優遇・外国人優遇を始めとした様々な「元被差別階級」に対する優遇措置が行われ続けるわけだ。
恐ろしいな。
フェミニストもどきの連中がい前も何度も新たなルートで繰り返している恐喝と全く同じやり方だ。
何千年前に生み出されたのか知らんが、全く持って人類に寄生するのによくできた方式だと思う。
根絶やしにする方法があるとすれば、優遇措置をしてしまった人間を捌きすぎないことだろう。
だがそうなると今度は裏で繋がりを持ったままにして利益を折半してチャンチャンとなりかねないわけだ。
難しい。