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はてなキーワード: 政治運動とは

2021-10-26

暮らしをよくするために選挙に行こう!みたいな論調死ぬほど苦手

お前らは「選挙に行け」しか言わないよな https://anond.hatelabo.jp/20211018110917

これ読んでまあわかる~となった選挙行かない26歳だけど、少し自分が行かない理由とは違うのと、これだけ書かれててもなお明後日な方向に説教かましてるブコメ散見されるので書きたくなってしまった。

さて、選挙が近づいてきて連日選挙カーとTwiterの選挙大事だよツイートのバズがうるさい時期になってきましたね。

なんか特にここ数年、若者自分のために選挙行こう!とか、生活を良くするために選挙行かないと!とか、選挙行かないのに文句だけは~みたいなクソ説教死ぬほど聞く気がするのですが、

個人的にそういうの全部、なんていうか、不自然だな~と感じていて、その手のことを言っている人がいるとタレントでも知人でもア~・・・って思ってしまう。

この増田趣旨としては、選挙に行かない言い訳をしたいわけでも、政治選挙制度それ自体批判したいわけでもなく

上に書いたような「選挙に行こう!」みたいな発信への思うところを書いております

まり詳しいというわけでもないので間違いもあるかもしれない。納得できる論理で、じゃあ選挙に行ってみるか、と思わせてくれる反論がつくことも微妙に期待しております

以下、選挙行こうよ話でよく使われる文句と、それに対応して増田の思うこと、というかたちでお送りさせていただきます


若者層が投票結果への影響を増やす政治家も若者意識せざるを得ず、若者向けの公約政治家が増えてくる。


・ひととおり公約を読めばどの党も高齢者一辺倒ってわけでもないし、社会保障の皺寄せが若者に来るのは人口構成比にもよるものも当然あると思う

・そも高齢者自分に得だから選挙に行く、というわけでもなくて、時間があるから投票に行きやすいとか、地元候補者やその関係者との付き合いがあるとか、地域根付いた人間関係(互助世間体)が強いとかある。

人口構成比や細かい政治システム関係なく世界各国でも投票率は低下傾向があるし、世代間格差が開いているっぽい(軽くググった知識なので古い/誤解かもしれない)。ということは単に現代若者生活スタイル情報収集手段に現行選挙マッチしてないという事情も少なからずあると思う。

オンライン投票可能期間を伸ばせば若者投票率も多少上がるだろうけど、課題は多し。

・あと単純に因果が逆でも成立しない?そのロジックがアリなら、20代世帯に5万円配りますつって普段選挙に行かない若者票を荒稼ぎする政治家が先に出てきててもおかしくない、気がするのだけど…

さらにいうとこの論調危険なところは、本来なら富裕層/貧困層対立構造として問題視すべき部分まで世代問題すり替えてること。

民主主義として選挙に参加する権利放棄している。(=普通選挙平等選挙に対する冒涜だ/政治文句を言う資格も手放す)


政治参加方法選挙だけじゃない。ストライキデモパブリックコメントなど直接意思を表明できる手段は色々ある。なんなら政治文句を言う政治批判なんか、一番歴史が長い政治手段なんじゃなかろうか。

→そも無から選挙権が産まれるはずがなく、普通選挙権を獲得したのは批判政治運動だよね。

選挙に参加する権利=恩恵を受ける権利社会を作っていく権利、というわけでもない。選挙権は、政治上の代理人を選ぶための1票を投じることができる権利以外の何物でもない。

個人的には投票しないと文句言えないのロジックも飲み込めてない。選挙制とか多数決に納得して投票をした人の方が文句言えないんじゃないの?と思うし、与党投票なんかしようものなら口をつぐむしかなくなるのじゃないか

・あとは、少なくとも民主主義の下に論じているのならば投票しない人への排他的な態度は正解ではないと思う

●1票の影響力だって云々、その他


・現状の選挙システム現実主義見方をするなら、1票の影響力は正直なところかなり小さいよね。

人口比率による世代間の票の格差があるので若者についてはさらに小さい。まずそこを認めてからなんじゃないの。

純粋公約を読んで判断して、という個人も当然少数ってわけじゃないと思うけど、業界として票田を持っているとかそういう大きい組織票の殴り合いもあるなか、自分の1票を重いと言い切るのはやっぱ無理あるような気がいたします。しかもみんな同じ党に入れるわけじゃないとなるとなおさら

公明党がなんで連立与党になってるかとか、なんで特定業界との癒着が発生してしまうのかを考えれば自民公明だよね。

・あと政治に正解はなく、世代とか右翼左翼だけじゃないその人々の立場価値観で最適解は変わってくるのに単純化(=投票すれば暮らしがよくなる)している風に見えることがとても引っかかっている。

若者が〜の例でいえば、高齢者向けの社会保障分が若者に回されれば社会全体ハッピーなの?という感じ。そんな単純でもないけど。

・これだけ書いておいて元も子もないことをいうと、選挙以外の方法政治が変わることを期待しているわけではなく、 政治憎しでも選挙憎しでもなくて、「若者選挙に行こう!」憎し、というのがニュアンスとして実感に近い

なので選挙に行く人は普通に偉いな〜と思って見てるし、行かない人はわかる〜って思って見てます

2021-10-20

anond:20211020104932

金もらって政治運動してるとしたら現場忖度とかじゃない、業を続けるために必要な当然の沈黙だろ。

2021-09-23

社会における性的表現のあり方の理想の食い違いとか

昭和から平成の前半では、ポルノグラフィー・猥褻物への禁止圧力は主に保守系政治運動と結びついてて、左翼側はそういう禁止圧力の緩和やポルノ開放みたいな要求だったけれど、今では政治的には左翼側の人間が、猥褻理由とせずに「性差別助長する表現」を理由として、萌え絵代表される様な一部の表現禁止政治的に主張し、保守右翼側の人間が「性差別的」と決めつけられた表現表現自由を旗印にして守ろうとする、俺みたいな者の目から見ると「なんだか変な」時代になった。

 

日本右翼保守(要するに自民党)は、本質的には民主主義ではなく「統治者にとって都合よく制度設計された、民主主義と称するもの」を追求しているが、それ故に正面切って表現自由否定することは出来ないので、刑罰を以て表現を禁じるやり方(猥褻図画や小説の取り締まり。チャタレー裁判とか、愛のコリーダとか)をなるべく露骨に使わずに、出版業界映像業界自主検閲組織を作らせて「自主的に検閲しているので、法的には何の表現規制存在しない」状態を作り上げることで実質的表現規制をする様になってる。なので、公共利益公序良俗保護理由に法的に制限できる猥褻ならともかく、表現自由一義的に示す表現である思想的・政治的表現規制」はさすがの日本国でも不可能になってる。(少なくとも現状はポルノほどあからさまな実質的表現規制犠牲にはなっていない)

 

で、昭和の頃の左翼だと、こういった猥褻表現禁止であっても、国家による国民活動への制限は最小限であるべきで、猥褻規制はその限度を超えている、みたいな話をするものだったのだけれど、今やその左翼、とりわけフェミニストの中で「猥褻から」とは言わずに「性差別であるから禁じられるべきで、規制は全く十分でない」という意見が主流を占める様になってきたのが2010年代じゃないかなと思う。

 

何を以て性差別的かという理由付けは色々見るのだけれど、メディア効果論(それも強力効果論)に基づいたものが多いと感じるが、(多くは女性である自分にとって極めて不愉快であり加害的であって、公共の場での存在は許されない、ってものもかなり見かける。これ、伝統的な右翼によるポルノ撲滅運動題目が「子供教育に悪い」だの「破廉恥で見るに耐えない」だったのと、ほぼつながってないか?と思うのである極右極左政治的主張は逆だが、粗暴さや残酷さ、頑なさや頭の悪さは同じに見えるのと似た感じだが、そう言ってしまうと純然たる悪口になるので止めておく。

 

左翼側・フェミニズム側の表現規制主義者(本人たちが自分をそう認めることは絶対に無いが、それは右翼側でも同じこと)も、自民党と同じ様に自らが表現規制者と呼ばれる事を非常に嫌う。そうした中で憲法の示す建前を崩さずに「実質的表現規制」を行おうとするなら、自民党政府のもとで成功してきた、自主検閲組織業界に作らせて『自主的な規制権力から強いる』事で実質的表現規制を行うやりかたがやはり踏襲される。

特にフェミニストとされる人達特定表現(宇崎ちゃんとか)を特定場所日赤)で禁じようとする時には、これが権力による直接的な規制ではなく、在野の民間人による公的機関企業に対する言論圧力によって当該機関企業の「自己規制を促した」のだから、これは絶対表現規制じゃない、って言い方だった。彼らの言う通り、確かに憲法上の建前は守られた上で(彼らにとって存在の許し難い)不快性差別表現を「実質的に刈り取る」ことに成功していて、最初にこの自粛要請という「単純だが案外に強力な仕組み」を考えた政府役人自民党政治家達、そのアイデアをそのまま利用したフェミニストは賢いなと思う。

 

左右の違いが全然いかと言うと、それはそうでも無い様で、大昔の矯風会の様な保守アンチポルノ団体はあらゆる猥褻表現をあらゆる流通ルートにおいて消滅させようとしている感じなんだが、今の左翼フェミニズム的な「反性差別表現」をやっている人達は、流石に左翼であるだけあって「ポルノであるならこの世に存在を許さない」などということは主張しない。存在が許されない表現はある程度は絞り込まれていて、大体それが「男オタク好みの性的表現物」に被さっているし、流通に関しても「表通りに出てこなければ許す」という感じである。 ポルノショップ無修正ポルノ販売されることまで禁じろという主張はしてない。(コンビニ一般書店水着グラビア雑誌販売を禁じろは言ってるのがいるが)

 

良く知らない世界なのだが、腐女子世界における「学級会文化」というものがあり、世間に対して目立たぬように「厳しく自粛」(恐らく自己認識としては自粛ではなく相互批判によるコミュニティの自浄作用だろう)する傾向があって、それは同性愛を正面から扱う表現であるために『世間の目を憚る代物』である自覚があり、それ故に何かと謂われなく侮辱されたり非難されたりする『腐女子表現世界』を守ろうって云う同調圧力が(人・場所によっては)やたらに強い、って話を聞く。

そういう文化があるためなのか、同様な「当然の自粛」が男オタク表現物でも行われるべきで、それが全く行われずに結果として表通りの世間流出し、そこで調子良くのさばるべきではない、って理念が、腐女子でもある一部のフェミニスト(一部じゃなくてマジョリティなのかもしれないが)には潜在的にあるのではないかと考えているが、ちょっと確認が難しい。

 

この「表現自粛」に対する積極的な考え方は男オタク世界にはあまりなさそうなもので、この部分では政治的には極右オタクでも昭和左翼的な「政府による自由規制は最小限であるべき」って建前を大事にしてたりするし、左翼オタクならもちろんそう考えるはずなのであるがそうなっていない。これは恐らく今の左翼フェミニスト達による「最小限の規制対象」の裁定基準が「表現自由戦士」と悪意と侮辱を込めて呼ばれる人達にとっては理不尽に厳格であるってことなんじゃないかと思う。かくいう俺もフェミニスト達、とりわけネトフェミ悪罵される人達基準ちょっと、いや全く受け入れられない。

 

昭和左翼自民党政府による「公序良俗保守的性道徳観」の保護に反対した訳だが、基本的右翼である表現自由戦士」はフェミニズムからの「公序良俗=反女性差別的性道徳観」の保護に反対している訳で、その意味では政治的立場と主張の食い違いは無いとも言える。

 

どちらにせよ、憲法の建前からして最優先で守られている政治的表現と違い、その殆どエンタメである文学映画マンガアニメといった表現は、我国が戦前戦後内務省警察権力が強い強権的国家であったこともあり、公序良俗保護理由目的として簡単規制を受けがであることは戦後歴史証明してる。

 

それを守りたいと思うのであれば自分右翼であれ左翼であれ、機会を捉えて発言して意見議論することはどんなに嫌でも避けられないのであろう。 ああ嫌だねえ……

2021-09-20

anond:20210920012059

そのとき自由に何でもやっていいです、団結必要ありません、意思統一不要です、外部と戦う必要ありません

そんな政治運動ありえないやろ

けっこうあるよ。

世間ではそう思われてないけど、ベ平連とかね。

anond:20210919195238

いや当たり前じゃん

「一人ひとりの自由意志尊重する」だけの目標なら女性限定する必要ないですよね

女性だけの共通利益があり、女性だけである程度の意思統一ができ、政治運動可能である

という仮定をおくからfeminism、つまり主義が成立するんでしょ


なんか日本人って政治根本的に勘違いしてるよね

別にフェミニズムだけの話じゃないよ

特定集団利益のために団結するから政治運動するんやろ

そのとき自由に何でもやっていいです、団結必要ありません、意思統一不要です、外部と戦う必要ありません

そんな政治運動ありえないやろ

もちろん支持を広げるのに色々やるだろうけど

全員とか全人類が支持するような内容だったらそもそも政治運動する必要ねえだろ

馬鹿かよ

2021-08-29

anond:20210828231633

一理あるよな。諸外国若者みたいに政治運動したりしなかったからな。政治家脳死状態無能2世ばかりになって今の日本体たらくがあるんだよな。

2021-08-02

漫画ルックバックの描写が変更されて残念な気持ちと、それに対してできること

漫画ルックバック』の一部表現不適切だとされて変更された。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/shonenjump_plus/status/1422029631507427331

残念である

表現が人を傷つける力と人を救う力は同一であり、分割することができないものだと私は考える。(救うなんて表現はおしつけがましいし、そもそも表現価値は人を救う事とは限らないが、便宜上こう言う)

たとえ短期的には傷つける部分だけを削り救う部分は残すことに成功したように見えても、長い目で見れば、次の誰かの作品まで踏まえてみれば、傷つける力を弱める試みは必ず救う力までも弱めてしまう。

過去50年の間に許されなくなった表現はあるが、100年前200年前よりは許される表現は増えていて、だから私たちは色々な表現に心を動かされる現代にいる。

許されなくなった表現もっと少なければ、もっと豊かな現代になっていただろう。

からルックバックの表現が許されないとされたのは残念である



このような表現への抑圧を問題視する立場から何ができるだろうか。

出版社であったり圧力団体であったり政党であったりに掛け合うこと、コロナ考慮した上でのデモを行う事など、社会運動政治運動はもちろん有効である

だがそれに付け加えることとして、表現活動をすることを私たちみなに望みたい。

たとえ不適切だとか不道徳だとか言われそうだと思っても、必要だと思った表現は盛り込んだ作品を作り、発表しよう。

抑圧された時に余裕があるならつっぱねればよいが、大変そうならしれっと取り下げてもいい。

叩かれても折れない覚悟なんて、たいていの人間は持てないし持つべきじゃない。思いついた表現を世の中に放り投げる気軽さ、見る前に跳ぶ思い切りさえあれば十分で、着地でミスろうが安全ネットからまって笑われようが問題ない。

あなた表現が誰かの目に入ったならば、それを取り下げようと蒔かれた種は消えない。

表現自由への道は、自由を目指して倒れた作品たちの上に作られる。だから殺されたって価値がある。

そしてしばし休んだなら、また何かの名義で、何かの媒体で、作品を出せたら最高だ。

インターネットはずいぶん歪んだがそれでも表現者にとってはまだまだ武器だ、名義も発表場所も幾らでもある。

から表現の力に期待する人よ、あなたも何かを表現しよう。

2021-07-30

anond:20210730154525

el-condor これだけ五輪への医療資源優遇を当然視してると、難病治療にも優遇あったのかと問いたくなる/アスリートもいい大人なんだから政治運動はその結果も含め主張しよう。「何万人犠牲にしても五輪やりたいです」とか



これもセーフ判定ってマジ!?

2021-06-09

成功同意年齢、まあ理屈はわかる。若すぎると自らの性器すらきちんと使いこなせない程度に判断力がないという理屈

じゃあたまに政治運動環境運動である「聖なる無垢少年少女が物申させるから正しい」概念いったい何よと。

自分人生にすら責任を取る能力がないのに世界の命運やらに物申して死人増やしたり減らしたり増やしたりやらせようってんだぞ。

中学生カップルセックスさせるよりそっちの方がよっぽど取り返しつかねーじゃん。

2021-05-31

大阪なおみに共感できるか

大阪なおみの意見採用されたとして、それで改善されるのってプロテニスプレーヤーたちの精神衛生だけなんですよね。

いちばんすごいシナリオとして、他のプロスポーツ一般への波及が考えられるけど、それでもプロスポーツ選手だけだよね。

99.99%一般人の人生プロスポーツとの接点はマスメディアから伝わる情報なのであって、

そこを大阪なおみの政治運動邪魔されるのは、迷惑千万しかいいいようがないな。

話題の「この指止めよう」だが

この運動問題点は、やはりはあちゅう氏のコメントに凝縮されていた。

はあちゅうコメント

18歳でネット活動を開始してから、 長年、 誹謗中傷被害にあってきました。 今もネット上には批判に見せかけた個人攻撃や悪意のある記事が残っています被害をどれだけ切実に訴えても「やられるほうにも問題がある」スルーできないほうが悪い」などの声に、 ただでさえ傷ついた心をえぐられ続けていましたがやっと世の中が変わろうとしていることを嬉しく思います

ここでまずはあちゅう氏本人が、批判に見せかけた個人攻撃」と「正当な批判」を公平に区別しようという意思はあるのだろうか?という疑問が浮かぶ

正当な批判なら甘受すべきなのは当然だ。

案の定そこへ「やられる方にも問題がある、は絶対ダメ」と来た。

「やる⇄やられる」という関係性は、その批判の中身の正当性微塵も影響を与えない。

「やられる」という言葉で、そこに善悪、加害ー被害文脈勝手に含ませているが、卑怯の極みだと思う。

「正当な批判を受ける方には、当然問題がある」のですよ。当たり前じゃないですか。

はあちゅう氏だけでなく、この指止めようだけでもなく、「反◯◯◯ズム」を掲げるアイデンティティ政治運動においては、

誹謗中傷や、②差別的発言定義について、それぞれ、

事実に基づいた批判である

②本人が選択困難な属性だけを基にした批判でないか

のような言語化への努力がない。

なぜ、自らの外部に基準を設けることを徹底して拒否するのか?

①と②からは、当然ながら「差別的発言でないもの差別的発言であると言い立てる行為』は誹謗中傷に当たる」が導かれる。

自称リベラルが、しょっちゅうやってることだ。

バイデン井戸に〜」というツイートは、確かに不謹慎」の極みではあった。

しかしそのツイートはどう転んでも、「差別煽動」できるはずがない。

いやいや、具体的に誰が、どのように、どの言葉に反応して煽動されんのよ?

現に津田氏も含め、「バイデン井戸に〜」のツイートがどのような仕組みで「差別煽動」するのか、誰一人言葉に出来ずにいる

関東大震災悲劇を学べ、と壊れたレコーダーのように繰り返すだけだ。

関東大震災虐殺があった事実は、「バイデン井戸に→差別煽動」のメカニズムに何の関係ない。

お前らが繰り返し言うそれは、「悲惨過去茶化すんじゃねえ」てことだろ?まさにそれを「不謹慎」て言うんだよ。

繰り返し言うが、不謹慎発言差別煽動する力はない。

言葉のお遊びも大概にして欲しい。


SNS誹謗中傷に対して、啓発広告リアルタイム配信一般社団法人「この指とめよう」2021年5月25日設立2025年までに被害半減へ。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000079451.html

2021-05-09

anond:20210508225508

東京都民自粛しなくていいけど人を死なせる覚悟を持て

アスリートも許せないがそもそも東京都オリンピック招致なんてしなければよかったんだ

俺は反対してたって被害者ぶってるけど有権者なら中止の運動するなりリコール要求するなりできたはずだろ

心の中で唱えてれば誰かが何とかしてくれるとでも思ってたのかよ

飲食店舞台演劇が苦しいのは都民有権者責任を果たさないからじゃねーか

しか地方旅行しまくってるよな都民

まあ旅行したり遊んだ仕事を失ってまで政治運動したくないのはわかるよ

わかるけど今のオリンピック含めた東京惨状の一端を担ってせめて人殺しの顔をしろ

2021-05-04

弱者男性が辛いことはわかった。でもならなぜ左翼にならないんだ?

既存左派政治運動が一部の高学歴高収入人間簒奪されてると言うならばオルタナレフトでも立ち上げて左翼運動弱者の手に取り戻す運動でも起こせばいいのにそんな気配もなく消去法で自民とか言ってひたすら現状維持に邁進してるよな。なぜ?

2021-04-06

弱者男性の真の敵は保守だぞ

性的尊厳の話に絞って言うと、そもそもわいせつ規制総本山刑法175条わいせつ頒布罪)なわけだよ。さらに、この数十年のわいせつ規制歴史を紐解けば、二次エロへの弾圧青少年保護育成条例の制定運動として行われてきた。そして、言うまでもなく、この手の政治運動保守的な家父長制の価値観と大いに関係がある。

もちろん、一部フェミニストの主張が保守的な内容を含んでいる(弱者男性自身尊厳貶める家父長制の価値観内面化しているのと同様に、女性の側にもそういう面はある。青少年育成条例も、その担い手男性保守政治家だけでなく「子ども健全な成長を願う母親であることも多かった)のも確かなので、それは表現の自由観点から掣肘する必要がある。ただ、基本的には「保守」が弱者男性女性尊厳を奪っている共通の敵であるという点を再認識した方がいいと思うんだけどな。

猥褻物頒布罪の廃止?…いや、冗談ではなくて、そういう事にしかならんのではないかそもそも表現の最大の敵は「保守」なのに近年は忘れられがち)。どういうネタで抜こうと自由。一方で男女平等化は粛々と進める。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4700814602038291234/comment/Dryad

別のブクマで「弱者男性尊厳を抑圧してるのはフェミよりも保守だぞ」と書いた者だが、即座に実例が出てきて微妙な顔をしている。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4700810613085061794/comment/Dryad

※いちおう書いておくと、僕は実際の女性被写体になっている三次エロ二次エロ区別すべきであり、二次エロ表現の自由範囲内という立場

追記: 三次エロ表現の自由に入らないとは言ってないぞ。ただ、被写体になってる女性が真っ当な取引や正常な判断ができない状況で出演させられている状況もままあるわけでな。実際に、日本児ポ規制が実写のみで漫画アニメCGが入らないのはそういう考え方に基づいている。

追記2: 今や表現規制の主役はフェミリベラルである、と言わんばかりのコメントがいっぱい来ているが、具体的にフェミ主体運動規制法や条例を成立まで持っていった事例の数を数えて教えて欲しい。お前らの好きなファクトチェックだぞ。ちょっと違う話だが、香川ゲーム規制条例を誰が推進していたか覚えてないんだろうか。

anond:20210405201511

anond:20210405202522

結婚という個人人生における選択でもアファーマティブアクション適用すべきというなら、たとえばあなたヘテロであっても一定確率で同性パートナーもつべき、ということになるわけだが、そういう世界理想?なわけはないので、これが「女をあてがえ」論のおかし

また、逆に「弱者男性はその意識自体を変えるべき」論というのも、上記に対して「そもそもヘテロであることに疑いをもたないのが悪い」と言ってるようなもんなので、これも奇妙な主張

かに企業性別性的志向により不合理な採用選抜を行っているとすれば、それは社会全体を蝕み長い目で見れば結局企業自身にも利益がない。ただそういう社会一角の下からではなかなか全体の意識が変えられず、変革の負担が一部に偏るから社会全体として望ましい方向へと(半強制的に)リードしていこう、というのがアファーマティブアクションの意義である。それ自体有効社会政策なのだが、それはプラクティカルにそうであるというだけで、決して「いついかなるとき、ところ、対象においても絶対正義」みたいなもんではない。だから、こうやって個人の行動にこれを適用しようとしたとたん、上記のような奇妙な誤解を引き起こししまう。

では、正解とは何か? とりあえず弱者男性に限って言えば、話は簡単である。「弱者男性」と言われる人は、自身を「弱者」に追い込んでいる社会構造のものに怒るべきだ。働けど働けど結婚もできない、楽にならない暮らしに怒るべきなのだ。つまり必要なのは労働運動であり賃金闘争であり政治運動である。なのに、「それは個人努力問題から……」などと納得したような顔をしている、そうやって「新自由主義自己責任論」に騙されているから、「弱者」は延々と食い物にされているのだ。

それに気付いて活動し、この社会から弱者」が一人でも減れば、それはすなわち「弱者」が一人救済されたということである。これ以上簡単な話はない。恋愛がどうこうとかいうのは、このことに人を気付かせないようにするためのまやかしにすぎない。「弱者」よ、銃を取り、闘え

2021-03-12

あなた達の政治運動には迫力が足りない


https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=730608&comment_sub_id=0&category_id=256

小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員部落解放同盟広島県顧問

 解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である自分政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。

 上のニュースの人は、かつて解放同盟事務方トップだった方だ。昭和7年に広島県東部被差別部落に生まれ中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。

 私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。

 私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。

 それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。

 私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。



 さて、表題意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。

 言葉どおりの意味だ。特に伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。

 企業ごとの組織率は低下し、労働者組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋希望(半強制退職蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というもの事実上消滅していてもおかしくはない。

 また、高校大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校ルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子ども大人のいいなりになっている。

 反対に、成功しつつある政治運動もある。

 近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせ公共の場告発することをいうようだ。

 日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。

 LGBT社会運動も、社会価値観を変革しつつある分野のひとつだ。

 大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から同性愛者としてのカミングアウト文学活動デモ行進芸能界での活躍自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。

 以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイレズビアン人達を描けなくなっているだけかもしれないが。

 これらの成功している政治社会運動には、共通する点がある。

 相手の痛いところを突いていることだ。

 この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。

 特に組合関係団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。

 意図的給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。

 それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。



 話が逸れた。

 相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。

 高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味

 その教師は、部落に住んでいる人間馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。

 どれだけ悲惨生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。

 家族食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。

 さて、その男言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。

 その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。

 このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかからない。しかし、協力をしたかった。

また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。

 次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。

 さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。

 翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区解放委員会役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたかである

 その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったこから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。

 この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。



 今度は、少し規模の大きい話をしよう。

 それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落生活文化的環境改善するという一連の政策国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。

 K君の事件きっかけにして、私は解放委員会正式に加入し、高校社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。

 ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。

 寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。

 当時、私が所属していた団体幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。

 発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。

 彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。

 とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話からまり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。

 後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。

 数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。

 まずは、各自治体の教育委員会オルグ実施した。

 あの時のK君のように、各市町の教育委員会庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識もつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。

 庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。

 場所関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所入り口だろうと、学校門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所関係なかった。

 かつて、私たち基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。

 議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。

 これまでと同じように、これまでと同じだけの金額子ども達への教育活動個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。

 私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。

 それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。

 「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。

 さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。

 私たち勝負に勝った。

 相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。

 上記場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内支部巡りに最も時間を要した。

 人が集まり相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察通報されることだ。特に要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。

 今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対暴力行為脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。

 私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動オルグ最中通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。

それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治社会運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。

 時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間政治運動はできない。それだけのことだった。

 ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。

 県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。

 逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。



 最後になる。

 相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーデモを挙げたい。

 アウンサンスー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?

 武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。

 経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的思想制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。

 アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。

 民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義アピールする。

が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年デモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。

 民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念である世界各国から評価が低下することを気にかけず、民主派指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサン自然死を狙うメリットの方が大きい。

 もし日本が、ミャンマーのように危険状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?

 その問題に直面していたのが、私が生まれ時代よりもさらに昔、明治以降被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?

 多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的意味に限っては)被差別部落問題解決した現在に至る。

 あなた人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。

 40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。

 あなた幸せのあらんことを。

2021-03-09

https://anond.hatelabo.jp/20210309164507

エヴァは旧作映画で見切りをつけたので新作は全然見てないけれど、そういう自分に刺さる話では全くなさそうなのは同意

まあ氷河期世代の救われる救われないにエヴァ関係ないよ

選挙行こうぜ、政治運動しようぜ

2021-02-17

anond:20210217155531

別に程度の話はしてないよ。政治運動組織ではよくあると書いただけ。どちらかを免罪しろとも書いてない。

anond:20210217154715

虚空に向かって何言ってるんだ?こんだけ報道されているのに…

署名水増しは政治運動ではよくみられるし、左翼も良くやっていて問題になるんだが。

2021-02-06

EU駐日大使館ハッシュタグ「DontBeSilent」に対する一部の反応やばくね

EU駐日大使館森元首相差別発言への抗議をしていた。

個人的にはそんぐらいなっても仕方ないよなーと眺めていたんだけど、その大使館イカれたリプが複数されていた。

何個かピックアップするとこんな感じ。

森氏は女性理事を増やすことに肯定的発言もしてます

なのにそういうパフォーマンスをするのは、あなた達が元首相の発言でも全文を参照せずに報道鵜呑みにしているからで、その対応からは「どうせ東洋人には人権意識が無いはず」という差別意識が透けて見えます

https://twitter.com/amiga2500/status/1357704631606906881

Please study "the Shintou" which is a Japanese tradition.

"The Shintou" is a gender equality (paean of the woman).

It is lacking in study and thinks this exercise to be rude about Japan.

There should not be EU on the media.

https://twitter.com/TakeruWaka/status/1357763724971446272

貴方がたの事を

事実確認を怠り新聞社切り貼り報道に便乗して大使館という立場から駐在国政治運動したい人たち」

認定しますよ。つまり朝鮮総連と同じ扱い。

https://twitter.com/amiga2500/status/1357704631606906881

 

一部の人は「森元首相発言の全文をみれば、差別発言ではないということに気づくはず」という考えをもっているようなんだけど、自分にはどういうことなのか理解できない。

誰かわかるように教えてくれよ。

2021-02-01

anond:20210201211448

このロジック採用すれば

原子力学者原発推進のために事故可能性隠すのも

経済学者緊縮財政維持のためにデメリット隠すのも

歴史学者政治運動のために事実を隠すのも

全部セーフってことになるやろなあ

2020-12-13

大坂なおみへの叩きで「スポーツ政治を持ち込むな」とかほざきたてまつられてる能無しいるけど

オリンピックなんて昔から金儲けに加えて世界平和という政治運動理念でやられてるもんだからな?

自分が頭悪いネトウヨからそんな発言ちゃうんだろうけどさ

少しは頭良くなろう

2020-12-06

anond:20201206233816

やべーやつほど鉄砲玉を立派にやってくれるっていうのは右や左の政治運動でも、そして自爆攻撃を行う中東テロリストもやってること。ジャンヌ・ダルクもそうだったのかもしれない

2020-12-02

「全ての素数の積は偶数」と自信満々に主張する人の思考回路について

問題: 全ての素数の積は偶数か。

  1. 偶数
  2. 奇数
  3. どちらになることもある
  4. どちらでもない

何かのゲームでこういう問題があったらしいが、これの答えが「偶数」だと言って譲らない人たちが一定数いる。

結論から述べれば、これは「どちらでもない」が正しい。そもそもすべての素数の積は整数ではないから、偶奇もクソも無いからだ。なお、一部の分かっていない人のために以下を補足しておく。

まず、これは立場解釈によって答えが変わる問題ではない(少なくとも、一般的数学の体系を前提とする限り)。つまり、一部の分野ではすべての素数の積を偶数とみなすとか、整数拡張した概念ではこれが偶数になるわけではないのである。そういう分野も探せばあるのかも知れないが、それは全く一般的ではないし、数学的に有用と認められているわけでもない。それは個人勝手脳内定義と変わらない。

また、これに答えるのに高度な数学知識必要ない。中学高校数学範囲で答えが一意に定まる問題である。これを「偶数」だと答える人は、単純に初等数学が身に付いていない。「2がかかってるから偶数」などと言っているようでは、大学入試ですら点を貰えないだろう。

この問題は、高等数学教育を受けた人なら、まず間違えないと思われる。というのも、大学教養レベル数学では、無限を正確に扱うことが非常に重要になるからだ。たとえば、

S[n] = 1 + 1/2 + 1/4 + ... + 1/2^n

を考えると、任意自然数nに対してS[n]は2未満だが、その極限は2未満ではない。このように、有限に対して成り立つ性質が、無限に対しては成り立たないということは頻繁にあり、大学数学を学んだ人はその区別重要だと知っている。つまり、上の問題を間違える人は、高等数学知識に乏しく、そもそも数学を云々するだけの能力が無い可能性が高い。

ここで問題にしたいのは、この問題が解けるかどうかよりも、明らかにある分野の知識経験に乏しいにもかかわらず、自説が正しいと信じて疑わない人々の精神性だ。この問題の答えが「偶数」だと言う人は、整数や倍数といった基礎的な概念すら理解しておらず、無限の取り扱いにも注意を払えない。つまり客観的に見て明らかに数学能力に乏しいのであるが、往々にしてそのような人ほど、自己主張が強いのである

こういうことは、何も数学に限った話ではない。たとえば、歴史経済勉強したことのないネット右翼の連中は、南京大虐殺は無かったとか韓国経済崩などの荒唐無稽戯言を日夜連呼している。反原発派のほとんどは放射線についてまともな知識を持っていないが、自分たちこそ正しいと信じて過激政治運動を繰り返している。オーディオオタクは、高額なケーブルなどで音質が向上すると信じ込んでいて、効果が実感できない奴は耳が悪いからと言って自説を曲げようとしない。マイナスイオンとか水素水とか信じてる連中は科学リテラシー皆無だが、自分たち現代科学の先を行ってると思い込んでいる。他にも挙げればキリがない。

こういう人たちは、専門的なことや抽象的なことを腰を据えて学ぶという習慣がなく、常に物事自分の都合の良いように捉えて分かった気になっている。議論になっても、結論ありきで、インターネットで聞きかじった知識で自説を補強することしか考えていない。苦しくなると論点定義すり替える。そもそも彼らには、正しいことを言ったり、生産的な提案をしたりして、議論に貢献しようと言う気すらない。相手が何を言っていようが、所構わず口喧嘩を吹っ掛けて承認欲求が満たされればそれでいいと考えている。

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