はてなキーワード: 人知とは
https://anond.hatelabo.jp/20200323025005
――ところで、わたしは昔から、最後のスタンザは少し弱いのではないかと思っていたのですが……。
( ・3・) 弱い? 「リング」と「スプリング」とで韻を踏むのはありきたりだとか?
――弱いというよりは、ピンとこないといったほうが正確かもしれません。「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」――これはどういうことなんでしょう。
( ・3・) 彼女のほうが歳上だったんじゃないか? 50歳くらい。
――それはたしかに too late な気がしますが、もし年齢が離れていることが問題なら、彼女が三月生まれであれ、七月生まれであれ、一年のうちで生まれた時期に言及する意味はないはずなんです。
( ・3・) 春に生まれようが夏に生まれようが誤差みたいなものだからな。
( ・3・) ははは、まさか。
――ここに一枚の写真があります。1975年に撮られたものです。
https://twitter.com/kedardo/status/1242030916232339458
( ・3・) ボブ・ディラン、本を読む。
――何という本ですか?
( ・3・) 『クリスタル・マジック』と書いてある。マジックのつづりが変だけど。
――目次には次のような言葉が並んでいます。「ケンタウルスが獅子を狩る」「シャンカラの理論は現実をどう捉えるか」「ハクスリーの知覚の扉」「アジュナチャクラあるいは第三の目」「カバラの諸相」
( ・3・) 神秘主義のロイヤル・ストレート・フラッシュという感じだな。
――星座が何であれば、支配星は何、エレメントは何、という表も載っています。
( ・3・) 本を読め、ただしまともな本を、と釘を刺したばかりだというのに。
――まともな本も読んでいますよ。このころディランはチェーホフやコンラッドに傾倒していたはずです。 [3] [4]
( ・3・) じゃあ『クリスタル・マジック』はたまたま手にとっただけで、内容を真に受けたとまではいえないんじゃないか?
――1974年、コンサート・ツアーを再開した理由を、ディランは次のように語っています。「わたしの惑星系 (my planetary system) において土星が障害となっていた。その状態がしばらく続いていたが、いま土星は別の場所へ移動した」 [5]
――1976年のアルバム『ディザイア』のバック・カヴァーには、タロットが描かれています。
( ・3・) タロット! イタロ・カルヴィーノの『宿命の交わる城』は何年だっけ。ちょっと待って――第一部・第二部の合本が出たのが1973年。英訳は1977年だ。
――1978年のインタヴューでは、占星術を信じているのかと単刀直入に訊かれています。
PLAYBOY: OK, back to less worldly concerns. You don't believe in astrology, do you?
DYLAN: I don't think so.
PLAYBOY: You were quoted recently as having said something about having a Gemini nature.
DYLAN: Well, maybe there are certain characteristics of people who are born under certain signs. But I don't know, I'm not sure how relevant it is.
PLAYBOY: Could it be there's an undiscovered twin or a double to Bob Dylan?
DYLAN: Someplace on the planet, there's a double of me walking around. Could very possibly be. [6]
( ・3・) 信じているかといえば、信じてはいない。星座と人間の気質とのあいだには何か関係があるかもしれないが、どの程度なのかは分からない。――うーん、言質を取られるのを避けているみたいだ。
――もともと質問に率直に答える人ではないのですが。
( ・3・) 思い出した。昔、日本の有名な批評家がイェール大学に文学を教えに行ったんだが、向こうでは占星術が流行っていて、同僚の学者の生年月日がどうのこうのと書いていたっけ。あれも70年代半ばじゃなかったかな。
――期せずして、アメリカにおける神秘主義の流行、というテーマに足を踏み入れてしまいました。
( ・3・) ……引き返そうか。
――「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」の意味をめぐって脇道にそれてしまいましたが、実は、意外なかたちで問題が消滅します。
――いえ、問題自体が消えてなくなってしまうんです。アルバム発表から一年も経たないうちに、歌詞が書き直されて、最後のスタンザは大きく変わります。1975年のライヴ録音を聴いてみましょう。
To know too much for too long a time
She should have caught me in my prime
Instead of going off to sea
And leaving me to meditate
( ・3・) ジェミニを連想させる "she was my twin" も含めて、占星術につながりそうな表現はなくなったな。詩の問題の解決を、人は問題の消滅によってうやむやにする。
――「彼女はわたしの双子だった」も、考えてみれば謎めいた表現です。「本当の恋人だった」と「双子だった」とが置き換え可能かといえば、そうではないと思います。
( ・3・) 歌詞だけじゃなくて、コード進行も旋律も変わっているぞ。
――そうなんです。これまでわれわれが検討してきたことの少なからぬ部分が、このヴァージョンには当てはまらなくなっている。ディランにしてみれば、もう「わたしはそこにはいない」んです。
( ・3・) うなぎみたいなやつだな。
――歌詞の変更は1975年以降も続きます。「彼」と「彼女」とが入れ替わったり――
( ・3・) 体が?
――立場がです。第一スタンザで「孤独を感じ」「まっすぐに歩いていればよかった」と願い、第二スタンザで「夜の熱気に打たれるのを感じ」るのは、「彼」ではなく「彼女」になります。80年代にはさらに全面的な変更があり、90年代には――
( ・3・) もはや原形を留めなくなった?
――いえ、それが――。
( ・3・) それが?
――おおむね元のかたちに戻りました。
( ・3・) ……。
――……。
( ・3・) 「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」も?
( ・3・) 抑圧された占星術の回帰……。なくなったはずの問題の再燃……。まるで人生のようだ。
――これで「運命のひとひねり」は概観できました。全体について何かありますか?
( ・3・) 英語は易しめだったな。
( ・3・) 「彼」と「彼女」との間に何があったのか、曲のなかでは詳しく語られないけど、これは、その、いわゆる一夜の関係というやつなの? [7]
――なぜそう思ったんですか?
――ただ、それだと、彼女がいなくなったときの彼の傷心ぶりや、「指輪をなくしてしまった」のくだりはうまく説明できません。
( ・3・) そうなんだよな。じゃあ、ある程度つきあった恋人たちの最後の夜だったんだろうか。
――第一スタンザに、「体の芯に火花が走るのを感じた」とありますが、これは恋に落ちるときの表現だと思います。まあ、よく知っている相手に対して改めて火花を感じる、という可能性もゼロではありませんが。
( ・3・) すでにつきあっている恋人同士なら、見知らぬホテルの前でまごまごするのも不自然だしな。うーん、こんがらがってきた。一方では、彼と彼女とは一夜の関係に見える。ある日の夕暮れに物語が始まって、翌朝には彼女は姿を消している。その一方、物語の後半では、彼は生涯の伴侶を失った男のように見える。
――常識と観測結果とが矛盾するときは、常識を捨てなければなりません。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、と考えて矛盾が生じるのであれば、そう考えるのをやめればいいんです。
( ・3・) いや、でも、ある日の夕暮れから翌朝までじゃないの? ネオンの輝く見知らぬホテルに長期滞在して、数年後の朝に彼女はいなくなりました、なんていくらなんでも無理があるだろう。
――キュビズムの絵画では、ある対象を複数の視点から捉え、平面のキャンバスに再構成して描きます。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、という枠組みのなかに、出会いから別れまでの一切が凝縮されたかたちで描かれているとしたら?
( ・3・) 時間の流れが一律ではなかったということか?
――いいですか、時計の秒針が聞こえてくるのは、彼女がいなくなった後です。それから彼にとっての永遠の現在が始まり、彼女がいた過去は、彼の記憶のなかで遠近法的な奥行きを失うんです。
( ・3・) 時計を一種の仕掛けと見立てて、内在的に解釈するわけか。理屈は通っているかもしれないが、常識を捨てさせるには、まだ十分ではないと思うぞ。
――では、時間の流れが一律であるとは限らないという外在的な傍証を。1978年のインタヴューです。
Everybody agrees that that [Blood on the Tracks] was pretty different, and what's different about it is that there's a code in the lyrics and also there's no sense of time. There's no respect for it: you've got yesterday, today and tomorrow all in the same room, and there's very little that you can't imagine not happening. [8]
( ・3・) おい、詩に暗号が隠されていると言っているぞ。
――その点は保留にしてください。
( ・3・) 時間の意識は失われている。過去、現在、未来が同じ部屋に混在して、想像しえない出来事などほとんどない。
( ・3・) 「運命のひとひねり」の解題ではないんだな?
( ・3・) そうだな、まだ腑に落ちるとまではいかないが、時間の扱いは気に留めておいたほうがよさそうだ。
――はい。実は、キュビズムの絵画や、時間の意識をもちだしたのは、次に聴く曲「タングルド・アップ・イン・ブルー」でも同じ問題がでてくるからなんです。邦題は「ブルーにこんがらがって」。ディランの重要な曲を挙げるとしたら、まず10位以内には入る。人によっては1位かもしれない。というわけで、ウォーム・アップは終了です。次は少し難しくなりますよ。
そのようにして彼らは「タングルド・アップ・イン・ブルー」を聴き、「シェルター・フロム・ザ・ストーム」を聴いた。窓のかたちをした陽だまりが床を移動し、寝ていたストラヴィンスキーの首から下が影に入ってしまった。もう次の曲に進む時間は残っていなかった。デレク・ベイリーのCDを持って帰らなければ、と彼は思った。マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスならいつでも買い直せる。しかしベイリーは品切れのまま再発されないことだってありうるのだ。
「もう帰るのか?」と上司は言った。
「はい。それで、デレク・ベ」
「おまえの家は一戸建てだったな、たしか。陽当たりと風通しは良好か?」
「陽当たり? まあ、それなりには。それで、デ」
「窓からの眺めは?」
「眺め? まあ、壁しか見えないということはありませんが。そ」
「じゃあ、決まりだな」と上司は言い、リムスキー=コルサコフの両脇を後ろから抱えると、目の高さまで持ち上げた。
「新しいパパだよ」
かくして予言は成就し、わたしは持っていったもの以上を持ち帰ることになる。小さなモフモフと、モフモフの当面の生活に必要なモフモフ用品とを。
まずはこの子に、猫としてまっとうな名前をつけよう。このままだと、もし何かの拍子に迷子にでもなったら、「リムスキー=コルサコフ! リムスキー=コルサコフ!」と大声で呼びながら近所を捜し回らなくてはならない。獣医にかかるときだって、きっと問診票に名前を書く欄があるだろう。常軌を逸した飼い主だと警戒され、信頼関係を築くのに支障をきたすかもしれない。
しかし、猫に名前をつけるのは難しい――T・S・エリオットの Old Possum's Book of Practical Cats にもそう書いてある。クラシックの作曲家では大仰すぎる。ジャズ・ミュージシャンではどうだろう。わたしはCDとレコードの棚の前に立ち、名前の候補をピック・アウトしていく。チェット。論外である。マタタビに耽溺してばかりの猫になってしまいそうだ。ドルフィー。才能も人格も申し分ないが、早世の不安がつきまとう。ベイリー。デレク・ベイリーのCDを取り戻すまで、わたしはあとどれだけの道を歩まなくてはならないのだろう。
わたしは気づく。予言は成就していない。少なくとも完全には成就していない。人知を超えた力によって予言はねじ曲げられ、わたしは持っていったもの以上ではなく、持っていったもの以外を持ち帰ったのだ。新しい家の探検を終え、お腹を上にして眠る小さなモフモフよ、おまえのしっぽが曲がっているのも、運命のひとひねりのせいなのか?
[1] 実際にはEより少し高く聴こえる(テープの再生速度を上げているため)。
[2] これ以降、歌詞の引用は2小節ごとに改行を加えている。
[3] Bob Dylan. Chronicles: Volume One. Simon and Schuster, 2004. p. 122.
[4] Sam Shepard. Rolling Thunder Logbook. Da Capo Press, 2004. p. 78.
[5] https://maureenorth.com/1974/01/dylan-rolling-again-newsweek-cover-story/
[6] Interview with Ron Rosenbaum. Playboy, March 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 236.
[7] 草稿では、第三スタンザは以下のように書かれたあと、大きなバツ印がつけられている。"She raised her weary head / And couldn't help but hate / Cashing in on a Simple Twist of Fate." 初めは娼婦として描かれていた点を重視することもできるし、その構想が放棄された点を重視することもできる。
[8] Interview with Jonathan Cott. Rolling Stone, November 16, 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 260.
コロナの動向について、厚労省からのいくつかの発表や、識者のコラムなどを読んでわかってきたことがある。
日本のやり方は奇跡的に最適解に近い道を選ぶことができたが、その奇跡は何人かの天才のひらめきによって得られたものであって、奇跡は奇跡だが完全な偶然ではないということだ。ただしあくまでも奇跡であるので、場合によってはヨーロッパ諸国のようなパンデミックを起こす可能性は十分にあったように思える。
野党の動きについてはかなりわかりやすい事案もあったように思う。
緊急を要するあの場面で、桜がどうだのと声を荒げ、あらゆる審議を止めていたのは非常に印象深い。まともな人間であればもともと異常者の集まりであることを理解していただろうが、今この状況になってようやくわかった人も多いのではないかと思う。
彼らが二度と国政に関わるようなことがないように願わずにはいられない。
デマを拡散し、国民の不安をあおろうとしたのは到底真摯とは言えないが、これまでの流れも鑑みるにわからなくもない。いや、これは別に彼らの行いを肯定するわけではなく、誰もがやるだろうなと思っていたところ案の定やらかしたというだけの話だ。
それによって風評被害を受けた企業が番組名すら名指しで謝罪を求めるに至ったのは、彼らの認識が世間と大きく乖離していること、甘すぎたことを示している。
民間企業だけでなく、行政ですらマスメディアに対して苦言を呈している。
新型コロナに関する発表に関する文書の末尾には必ずマスメディアに言及する文章が載っている。これはかなり異常というか、進歩というか、ついに世の中が彼らの悪行に我慢しきれなくなったことの現れであろう。ある意味において、これまで行政が放置してきたことのツケではあるが。
個人的に興味深いのは、厚労省の発表の多くが文書のみになっている点だ。
記者会見のようなものはほとんどない。これはわざわざ会見を開いてマスメディアのしょーもない質問に受け答えしている余裕がないということもあるだろうが、それ以上に悪意を持って映像や音声を切り貼りし、事実と異なる情報を流そうとするメディアに対する自衛策でもあるのではないだろうか。
つまり、メディアは既に国民だけでなく行政の信用も失っている、ということだ。
しかし人知れず文書で発表しただけでは周知されることがない。何せメディアは自分たちがのけ者にされているわけだから、拡散することは期待できない。故に理解ある人によって拡散されるべき、という意見すら出ている。
https://note.com/kyoshimine/n/n6bf078a369f9
既に自粛要請から一か月になろうとしており、中だるみというか、もういいんじゃないかといった雰囲気があるように思う。
先日にK-1の件も、金銭的な事情はもちろんだが、当初危ぶまれたほど拡散しておらず、緊張が解けつつあることの証左であろう。
沖縄の家族についてはもう本当に愚かで救いようがない。また沖縄の知事には北海道の知事のような賢明は判断は期待できない。下手をすれば内閣から要請があれば逆張りするような人間だ。かなり絶望的な状況にあると思う。のんきにスペインなどに行って、なおかつ止められたにも関わらず飛行機に乗り込んでしまうような愚行を平気で行ってしまうのは大変残念であるが、あの程度の知事を出す土地ならば仕方がないというような諦念もある。
賢い諸氏には全うな行動を選択する能力があると信じたいし、多くの人が声を上げることによって正しい(とされる)行動を強制できるような環境を作りたい、とも思う。
現状、テレビの情報は本当に信じるに値しない。積極的にシャットアウトして情報収集するのが正しい道のように思える。しかし残念ながら多くの人はテレビしか情報源を持たないし、スマホも似たような情報源しか持たないだろう。
真に正しいかどうかはともかくとして、正しいものとして扱われるべき情報にリーチさせるのが今するべき活動ではないだろうか。正しいものとして扱われるべき情報というのは言うまでもなく行政発表の情報であり、その文書のURLを貼るとか、とにかく情報を見てもらいやすいようにすることだ。
ただし、文書をスクショしているようなのはダメだ。これはメディアのやり口と変わりがない。その情報の信用度を行政のものと誤認させるが、実際は発信者の信用度しかない。なぜならば改ざんが可能だからだ。
このような匿名を主とした空間の情報など鵜呑みにするべきではない。
故に私は最後に必要な情報へのリンクを貼ってこの文を終わろうと思う。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html
ものすごくブスだった。
旦那友人のFBにコメント欄にいたのを気づき、元嫁ページを見るという愚行を犯してしまった。
尋常じゃなくブスだし、30も半ば過ぎてるのにインスタ映え命みたいな投稿ばかりだった。
5chの「勘違いブスあげてこうぜww」みたいなスレに写真があっても違和感がない。
低身長ちんちくりん、鼻翼広い鼻にんにくだし目は厚ぼったい一重、全体的に寸胴で足首手首が無い体型。
昔付き合ってた男性の元カノがタレントで、雑誌なんかで見るたび胸が痛んだりしたけれど、その時は「こんなに美しいひとよりも今は私を愛してる」という自信があった。
でもブスはだめだ。こんな勘違いブスと結婚の誓いを交わし、何年も褥を共にしたのかと思うとゾッとした。
こんなど腐れた感情、旦那に言えるわけがないし、まわりの人にも言えない。
せめてブスでも素朴で優しそうだったら。キラキラ女子装ってても容姿が普通であれば。
どっちにしろ気に入らなかったのかもしれないけど、世界で一番嫌いな勘違いブスなのが心にキている。
今まで気にならなかったのに、このブスとは数百万かけて結婚式したのかとか、7桁かけて新婚旅行行ったんだとか、まわりの友人知人にもお披露目して祝福うけたのかと思うと途端にイライラしはじめた。
コメント欄のアイコン時点で勘違いブスなのには気づいてしまったけど、ページを覗いてしまったのは本当に後悔している。
見るんじゃなかった。
ある日の夜中、急に周囲が眩しくなったような気がして目が覚めた。起きたら部屋は明るいなんてことはなく普通に暗かったが、寝室の外から唸るような泣くような声がする。
寝室の隣はトイレなので、夫がお腹でも壊したのかな?大丈夫かな?と思い、声をかけに行くことにした。
でも起き上がって横を見てみると、夫、普通に寝ている。
しかし物音は依然として聞こえるし、リビングの方から扉を開閉するような音もする。まさかと思ってそっと玄関の方を覗いて見てみると、鍵、かかってなかった。
家の中に 誰か いる。
咄嗟に寝室の鍵をかけて夫をめちゃめちゃ静かに揺すり起こした。くちゃくちゃ顔して起きた夫に「家に誰かいる」って言った直後に扉の音、足音、廊下の明かりがつく音、そして、寝室のドアノブをガチャガチャされた。
夫もそれ聞いて硬直してた。
夫が音漏れ防止に布団にこもって110番通報、私はベッドの脇に隠れた。
その間も誰かは廊下を往復しているみたいだし、廊下の明かりつけるし、たまにドアノブはガチャガチャされる。
最初は物取りかと思ったけど、こんなに物音立てられると、物取りじゃないかも!と思ってむしろ命の危険を感じた。
5〜10分後くらいに警察が来て、まず普通にインターホン鳴らしてた。えっ、鳴らすの!?と思って聞いてると侵入者は普通に受け答えしてるっぽくて震える。
寝室はマンション廊下に面していたので、警察っぽい人の気配がした瞬間窓開けて「受け答えしてる人知らない人!!入って!」と言って警察に入ってもらって、無事確保。
警察が来るまで、本当に生きた心地がしなかった。
顛末としては、家に入っていたのは同じマンションに住むご老人で、初期の認知症であるようだった。
その日、どうやらうちの夫は帰宅時に施錠をし忘れていたようで、鍵があいたままの3階角部屋の我が家に、真上の角部屋に住むご老人が階を誤って入ってきてしまった
という、なんとも不幸な偶然が重なったものだった。
当然、事件性無しということでご老人は警察に連れられて自宅に帰って行った。
我が家にも過失があるので警察経由で謝罪はお断りしたが、翌昼ご家族が菓子折りを持ってこられた。
断ったのに個人情報を漏らすな警察!と思ったが、受け取らないのも失礼かと思って受け取り、こちらも軽く謝罪した。ご家族と一緒に来たご老人はしゃんとしているように見えた。
菓子折りはなんとなくまだ開けられずにいる。
住んでいるマンションはエントランスが二重構造なのもあり、正直油断していたと思う。
夫はいい機会だと言ってスマートロックを購入した。もうすぐ届く。これはスマートロックのステマではない。
それよりも、あのご老人がもし今回の事を気に病んでしまったらと思うと正直気が気でない。
おそらく私が最初に眩しくて目が醒めたのは勘違いではなかったのかもしれない。その後も出ていかなかったのを見るに、間取りは同じとはいえ本当にご自宅との区別がつかない状態だったのだろう。
ご家族が言うには(聞きたくなかったが)最近急に老化がはじまったそうで、この事件はご老人の記憶に重く留まってしまうかもしれない。そう思うとなんだか後味が悪い。
せめて、これがきっかけでさらに症状が進行されることがないように願うしかない。それを避けるためにも、ちゃんと玄関の施錠は確認しておこうと思った。
そしてこれは笑い話のようなオチなのだが、ご老人、ご自分の靴を置いてうちの夫のサンダルを履いて帰ってしまっており(外で事情を聞いていたからすぐに履けるものを履いたのだろう)、
その時はまだどちらに住む方なのか知らなかった我々は、見知らぬ靴を前に、二度目の警察への通報となった。
みんな、鍵はちゃんと閉めようね。
昨日思ってたことを増田に書き出したら少しスッキリしたから他のことも書いてみる。
ちょうどこの時期だからわたしが新卒で入社して半年で辞めた生命保険会社のことについて。長くなったから分ける。
就活していた時はどこにも受からなくて唯一早い時期に受かったのが大手の生保だった。
まあそれぐらいの頑張りしかできない人間ということで察してほしい。今思うともう少し探すのを頑張ればよかった。間違っても生保に入るんじゃなかった。
新卒一年目の年間スケジュールは資格勉強と営業活動の基礎づくりを並行して行う。
基礎っていうのはその会社の保険を理解して上手に説明できる力を養うためのロールプレイングと、友人知人への情報収集になる。
企業に行ってもすぐに契約は取れない、でもノルマ(目標という言葉でごまかされるが結局はノルマ)はある。ノルマをこなすために、多くの新卒は友人知人に勧めることになる。
まずは、友人知人に自分が生命保険会社に入ったとハガキを出す。ハガキにもノルマがあり、営業所まで返ってきてはいけないからちゃんとした住所を聞かないといけない。
ノルマは一人最低50枚。できないと80人前後の部屋の前でさらされる。
ハガキのあとはアンケートだ。これは企業で営業してる人がよくやってるやつとほぼ同じで、対象はハガキを出した人たち。
でも、ノルマは倍の100。ここからふるいにかけられる。できない人は20とか50だし出来る人は200とかいく。
知人友人以外に、例えばサークルの後輩とかにも頼る。しかも名前、住所または電話番号、生年月日と性別が揃ってないとカウントされない。
まぁ、生命保険会社だから仕方ないよね。その情報で生保のモデルプラン作って売りに行くんだから。
知り合いに住所聞いたりするのって本当に胃が痛い。聞く過程で既読無視はされるし、もちろん断られる。それをされてこそ生保の営業!と会社では言われるからだんだん麻痺してくる。
だってみんなの前で数が足りないって怒られるのが嫌だから。ここで、怒られるのが嫌だからこなすっていう気持ちじゃなくて相手にもっといい保険を勧めたいとか、前向きな気持ちになれるなら営業で稼げると思う。知らんけど。
今思えば全部全部適当に書いて適当にやればよかったんだ。無駄に真面目だと100人に聞くからね、いろんな伝手を頼って。
営業始まってからのほうがもしかしたら気が楽だったのかもしれない。企業の人に当たったけどだめでした〜とか、定時後に知り合いとアポ取って打診したけどだめでした〜とか平気にうそ言ってたから。
ほんとに頑張った時もあったけど、ずっとずっと胃が痛かった。人に商品を進める時、ハンコを押してもらう時、詐欺でもなんでもないのにずっと申し訳なく思っていた。
自分の仕事をしているだけなのに悪いことをしているように思えて、常に胃が痛いなんてもう仕事にならないじゃん。だから辞めた。最高にゆとりで頭がゆるいから自業自得の結果だ。
4月から生保に入社する人は、今更だけど少し覚悟したほうがいいかもしれない。まぁ生保の営業になる子がこんなところは見ないか。みんなキラキラしててインスタばっかやってたし。
リクルーターから、わたしは友人とかには頼らなかった!って言ってる人がいたらその人は特別優秀で成績がいい人だと思ったほうがいい。普通の営業には難しいよ。
https://twitter.com/sbr_m/status/1235187365867446274?s=20
こーいう若経営者おじさんみたいな発言をよく見るようになった。
つうかこの人知り合いでごめんね!直接言っても聞こえなかったふりつうか
いつものように小洒落たこと言って受け流すだろうから、匿名で書いてみるね。
1000億万年前から女性向けメディアなどでは言われ続けていたことなのだが、
最近30-40代の男性(ビジネスつぶやく系)が「女性誌を見てこういう言葉が流行ってるみたいだけど、
このままではサステナブルもエシカルもただ消費されるだけなのでは〜?」とか憤ってるのを
SNSでよく見るようになったのである。この人だけじゃないんである。
しかし観測範囲をつまびらかにすると身バレするので書かないのである。
で思った。「ん?今更ナゼ?」
だって女性誌でサステナブルとかエシカルとか、1000億万年前は冗談だが、
自分はエシカル周りのことを生業にして約15年以上経つ人間である。
そんな人間からすると、逆に「あぁ、こういう層にもやっと浸透しだしたのかぁ〜」と思ってしみじみする。
が、同時に「こういう言われ方は普通にムカつく」というのが正直なところ。
「お前が注意して見てきてなかっただけじゃ」って感じで、今更消費もクソもあるかいな。
消費されとるとしたら、もうとっくにされとるわ!高ぇアサイーボウル屋とかを駆逐してくれ頼む!
つーかサステナブルが形だけでも流行ることの何がお前に不満なんじゃ!
んで考えてみたのだが、これは「体制寄りとかの、情報鈍めな人にも
そういう言葉が浸透したからなのでは」というふうに感じている次第。
というかもっとあけすけに言っちゃうね。体制側系の金持ってるおじさんたちに対しての
オーガニックとかサステナブルとかエシカルとかSDGsのロビイングが効き出したっていうことだよね。
実際、某区の某シェアリングエコノミーとか某日本財団からの(以下略。)だよね。
そういう、下準備のために2010年代後半からそういうエシカル界隈にお金が回り出すようになって
ニブめ系のおじさんたち(5thペンギンぐらいの一般経営層)が「金になるぽい!」って飛びついて、
更にその周囲のみんな(10thペンギンぐらいのネットの流行りに敏感な人達)が
「言葉ばかりが消費される〜」って言い出している…って感じで、、、
そういう考え方をすると、冒頭の人はそういう体制からのうまい汁すすれてないってことやんなという意味で
ある意味正直だし、まっすぐで好感が持てなくもない。
が、今の状況を見てずっと前から携わってる人ほど「わ〜皆が知ってくれて口にしてくれて嬉しいよ(涙)」
といっている現状に「言葉が形ばかりで消費される〜!」とかほんと、うっせーわと。
ほんと、ほんと、ほんと、ほんと、ほんと何度も言うけど…
もちろん中には男の人だってそういうことを話している人はいたが、ごく少数だったのは間違いない。
もしくは黙って畑を耕してた。
企画を立てればやれ「数字にならない」「意識高い系w」とか言って
おじさんに却下されまくる1X年間だったので、ほんと「今更かよ?マジかよ?おじさん…」って感じである。
何度も言ってたからね、ほんと何度も言ってた。
飽きるぐらい毎月そういうプロダクト紹介してた。
あなたが気づかなかっただけやよね?
金儲けばっかしてると、そういう小さな声に気づけないもんなんやなぁ😲
ずっと気にかけていた身からすると、「格好だけでもなんでもいいから、
ジャンクよりも高くてエコなプロダクト選んでくれるならそれでいいやん?
「消費しないを消費する」っていう現象、ホント歓迎…。福音…。て思ってるんで。
自分の売ってる物が売れるとかそういうそういうことでなく、そういうムードになって
息しやすいし、良いと思ってたのを社会が肯定してくれてホント涙出るほど有り難いんで。
ADHDの女なんだけど、なぜか生き延びる手段を他人に世話してもらうことに見出して、もうテンプレみたいな「ガメつい女」になっちゃって、さらに極まってモラハラになっちゃったケース。
他人を、自分を世話するかしないかで分けて、世話をする人間に過集中のフル回転で寄生。食事や労働力をたかる段階を経て、こいつはカモにできるなと思ったらモラハラへ。奴隷みたいにして、それを繰り返して奴隷を増や……そうとするんだけど、ADHDゆえなのかマルチタスクやマネジメントが駄目で崩壊、共通の友人知人に全部バレてトンズラ、新しい場所でまた繰り返す
こういう女が知人にいる。
風族や結婚はセーフティネットにならないの記事見て思い出した。彼女もまた定職につけないタイプで、派遣ですら三ヶ月と持たず辞めたりクビにされ、やっぱ私には誰かに世話されるしかないとさらに沼にハマっていってるという
数日ぐらいで売り場に戻ってくるかもしれないけど数日ぐらいならまだ買い占める人多そう。半ロールはかなり切迫してるから友人知人に声掛けて借りるしか思いつかない。
冗談でも何でもなく、自分の頭で考えない人と変化をしたくない人が異常に多いんだなこれが。
更に政治に興味が無い人、難しい事を考えたく無いと言ってしまう人もこれまた多い
で、そうすると地域とか業界に恩恵をもたらす人の繋がりから優先的に票が入り、後援団体票があり、世襲で固まった所もあり、親類縁者友人知り合い紹介みたいなお付き合い票があり、宗教票もちょっとあるわな。
はあ?って思うかもしれんけど、主たる投票層の老人達はその程度の理由で投票するじゃん。数は多いじゃん?これでだいたい決まりですわ。
色々考えて投票しても焼け石に水なのね。だから選挙活動って、馬鹿煩いだけの声で印象を付けて、握手して回って顔をとりあえず覚えてもらい、思い出してもらう訳よ。政策なんか見ちゃいねーんだから。
ADHD(多動性は無いので正確にはADDらしい)だけど、効果よりも副作用の方が辛くてストラテラを飲まなくなった。
一番低用量から始めたんだけど、やっぱりニンゲンモドキからニンゲンに成るにはキツかったみたい。
・物事の引き延ばし癖が無くなった
・部屋が掃除できるようになった
・とにかくポカをやらかすことが無くなった
...etc
・朝の7時に薬を飲んでいるのに寝れない 寝てもすぐ起きる
・性欲が死ぬ 平気で二週間手入れしなかったりする
・食欲がどこかに行く 頭が動いていないと気が付いてから少し食べる
この時点で人間の三大欲求を全部押さえつけられているので、人間では無くニンゲンになる薬だと気が付いてから急に飲む気がうせてしまった。
特に周りの真人間が上記三大欲求を満たしながら薬を飲んだ自分より効率的に動いてるのを見ると生まれたのも嫌になってくる始末。
ただ第三欲求を満たすことが許されるのは、人間の特権なんだから自分も社会の一員として動いていくには薬を飲まないとダメなんだと思い通院を遅刻とリスケを繰り返しながらギリギリ通ってはいた。
しかし自分のADHDを指摘してくれた先輩から「お前は飲んでやっと俺たちより下のスタートラインに立てるんだ飲め」といったヤクハラ?を受け続けたのと、もともと勤めていた黒い会社を退社したのをきっかけにぱったりと飲むのを止めてしまった。
飲まなくなった今としては、副作用と作用がきっちり逆転しニンゲンモドキとしてうんこを毎日製造してる日々を送ってる。
ただ一瞬でもニンゲンになれたのは貴重な体験だったし、また機会があったら通院再開して薬をゲットしても人知れず再スタートしたほうがいいのかもしれないなと今エントリを書いてて思った。
はやくにんげんになりたーい
その裏で人知れず傷ついている人がいることも知らずに…
小島秀夫も絶賛していたらしい、スウェーデンの映画『ボーダー (Gräns)』
取り替え子 (Changeling)・・・トロールなどの子どもと人間の子どもが交換されるヨーロッパの伝承をモチーフにした話で
森で暮らすヒロインがすごーーく醜いって設定
たぶん増田もはてなもミニシアター映画は観ないと思うので以下完全にネタバレ
ヒロインのティーナは不美人だが、人間の感情を嗅ぎ取り読み取ることが出来る特殊な能力を持つ
彼女は税関職員としてその力を遺憾なく発揮し、日々密輸やその他の悪事を完璧に摘発する
醜い容姿から、幼少期は虐められ、大人になり職を得た現在も不躾な視線は一向に無くならず、
疲れ果て、森の自宅へ戻っても、いるのは働かない上に浮気を隠す気がない同居人と襲いかかってくる犬
父親を見舞いに行けば「あの家はお前のものなんだぞ」とは言われるものの、
「彼は優しい。わたしは一緒にいてくれる人が欲しいだけ」と彼女は答えるしかない
そんなある日、税関で自分と似たような外見と不可解な匂いのする大男を見つける
それどころか、どうみても大男なのに女性器を持ち更には手術痕すらないという
なんやかんやあったのち彼女は自分と似たような男(?)ヴォーレを森の自宅の離れに住まわす
働かない上に浮気を隠す気がない同居人は『シリアルキラーかあいつは?なぜ僕に無断で決めたんだ』とおこだったがティーナはシカトした
そしてなんやかんやあったのち、自分は人間ではなくトロールであったことを知る
醜かったわけではなく単純に種族が違っただけだったのだ。彼女は生まれながらに完璧で出来損ないなんかではなかったのだ
人間の世界では疎外感を感じるのでヴォーレと一緒にトロールの同族を探し、同族と共に暮らすと申し出るも、
「キミは人間の世界に適応出来ている。辞めとけ」と言われてしまう
税関で児童ポルノビデオを摘発した能力を買われ、児童ポルノビデオを制作している住所を探し出して欲しいと依頼される
ヴォーレは人間の赤ちゃんを攫っては自分の生み落とした赤ちゃん(無精で出産出来る)と交換し、
人間の赤ちゃんは児童ポルノなど闇組織に売り払い、人間たちへの復讐とフィンランドにいるらしいトロールの同族探しの資金としていたのだ
ティーナはトロールが人間にどんな目にあわされたかはヴォーレから聞いている
トロールは人体実験をされ刻まれ精神病院へ閉じ込められ、その殆どは生き残ることは出来なかった
運良く生き延びられたティーナも尻尾を切られ、人間から酷い虐めを受け、今もなお不躾な視線を向けられ続けているし、
森の家を残してくれた父親にしたって、本当の両親(トロール)のことについて尋ねれば、人間の犯した罪と向き合わず、怒鳴り散らすだけだ
先日摘発した児童ポルノ制作の犯人たちにしたって普通の人間の夫婦で一見はまともなご家庭風だった
ティーナはトロールの同族探しの旅への同行は断り、ヴォーレに警察を差し向ける
ヴォーレは武装した警察官に囲まれるとフェリーから飛び降り夜の海へ消えた
浮気を隠すつもりも働くつもりも襲う犬を躾ける気も無いがとりあえずティーナと一緒にはいてくれた同居人は追い出したし、
トロールの同族だったヴォーレは外道だった上に海に消えたしで、
森の自宅でひとりで過ごすティーナの元に老人ホームから父親がやってくる
トロールの人体実験を行なっていた精神病院に警備員として勤めていた父親は子宝に恵まれず子を欲していた
もちろん、トロールの夫婦は多くのトロールと同様に人体実験の末、病院の裏に人知れず埋められたが、
しかし父親はティーナの本当の名を伝えてもなおトロールの名で彼女を呼ばず、人間がしてきたこと自分が傍観してきたことに向き合わない
完全にひとりになったティーナの元に小包みが届く。その中にはトロールの赤ちゃんとフィンランドの絵葉書が
あるぞ
ヒロインはトロール故に人間の美的価値観からしたら醜いって設定なんだけど
あと、人間との違い(不気味さ)を出す演出に『虫』を食べるがあったが、
北欧って怖いところだなって思いました、まる
陸続きなんで血が混ざり合うのは当たり前っちゃ当たり前の話なんですが
ブクマカ見てるとそう思い至らない人たちもいらっしゃるようなので追記するよ
(なお、差別は国や特定の人種では無く、個人のパーソナリティだと予め書いておきます。
奴隷解放宣言前の19世紀に教会の宗派まで変えてジョン万次郎を受け入れてくれたホイットフィールド船長然り、
同じく、奴隷解放前に、白人でないばかりか結合双生児のチャン&エン・ブンカー兄弟(シャムの双子)を受け入れた人たち然り、
厳しい時代においても差別しない人は差別しません。その逆にダイバーシティを謳う時代でも差別する人は残念ながらいます)
人間も寒くて暗いところは、アルビノ化して大型化して目もパッチリするのですが、
北欧/北米は一重まぶた(内眼角贅皮)で目が小さい小柄な人もそこそこいます
これは単純に中頻度でモンゴロイド系の遺伝子が見られるからです
そうして起こることは、A:見るからにコーカソイド、B:薄顔のコーカソイド、C:見るからにモンゴロイド、この3パターンの出現です
Aは問題無いでしょう、
Bは微妙なラインですがビョークやサーミの血のヒロインあたりの感じですかね、
どうみても冷寒対応したモンゴロイドの他に、コーカソイドの血が入っているので眉骨が出た感じの人も生まれます
おでこ(正確には眉骨)が突き出て(目が窪んで)るが、目鼻は小さく丸顔でどう見てもコーカソイドではない、のっぺ〜っとした『なにか』となります
この『なにか』が残念なことに、ブクマカの言葉を借りればいわゆる亜人顔だったりするし、Mongolian idiocy(蒙古症)=ダウン顔だったりする
たくさんの血が混じり合う地域でその血の出方によって差別が発生するのはインドのカースト然り珍しいことではありませんが、
ダイバーシティな現代において、北欧発で今さらあんなものを見せられるとは思いもしなかったというのが正直な感想です
あと虫を食べるのは奇異な行動ではありません。不気味さ(人間ではない)演出に使わないでください
東南アジアでは近代化されてもなお伝統食や風変わりなスナックとして虫を食べますし、
なんだったら食料危機を救う食材として研究もされてます(もちろん現代的でクリーンな環境で培養/養殖されたもの)
トリーチャーコリンズ症候群が原因で顔の形が変形した少年が主人公の児童文学『ワンダー 君は太陽 (原題:Wonder)』の方が
100億倍正しいと思いました。感動ポルノとか言われてるけどね