はてなキーワード: 事務的とは
「ソープに行け」と言われたわけではないけど、25歳でソープランドに初めて行った。
そこで「童貞」を捨ててきた。つまり、相手の膣に自分のペニスをいれた。
僕の今までの性体験の総決算だったと思う。おおげさに聞こえるかもしれないけど。
というわけで、まずその日のできごとについて書きたい。
近くのソープを調べてサイトまでいったものの、迷いに迷い、でも今やらなかったらいつやるんだ、と勢いでようやく送信ボタンを押した。10分くらいして電話がかかってきた。女衒っぽい?声音だった。電話が切れるとなにかふっきれてしまい、今まで何を悩んでいたんだという気持ちになった。
値段は思っていたよりかなり高かった(3万くらい)。というか料金表の見方がよくわからない。70分のコースにして、午前中だと安くなるというのでGWの早朝にぶっこんだ。もっと安いヘルスとかあったはずだが、事務的に「射精処理」されるのも困るのでやむをえないということにした。
起床して、風呂に入り、ひげを剃り、むだ毛を剃り、爪を切り、歯を磨き、髪を整えて香水を軽くかける。そこまで準備するかよと思うかもしれないが、人前に出る以上引け目を感じたくなかった。服は迷ったが、「男っぽく」しようと黒と白でまとめて、フェイクピアスをつけた。耳飾りをつけるとちょっと自信がつくので。
はじめてソープ街を歩いた。店の前に立っている呼び込みの人がこわい。どすの利いた声で「どうぞ」と言ってくる。世間の人はこれで入ろうと思うのだろうか。道に迷って、店に電話をかけて、やっと中に入ることができた。店内はなんというか…照明のうす暗いけどキラキラした雰囲気がカラオケボックスに似ている?かも。
待合室は席が仕切られており、雑誌や大きなテレビがおいてある。金正恩がうつっていた。水着姿の女性の写真が出され、指名料2000円で選べるといわれた。もちろん店にまかせた。反応に困ってしまって、「みんなきれいですよ」とか言った。お茶とおしぼりが出てきた。これだけお金を払うとサービスがよくなるのだ。
それなりにリラックスできたはずだったが、奥に通されて嬢と会ったときは緊張した。というかひたすら緊張しっぱなしだった。階段を上るとき腕に手をまわしてくれるけど、雰囲気にうまくついていけない。「こういうお店は初めてなので」と言い訳する。
部屋に入ると、お風呂があって、ベッドがあって、冷蔵庫があった。ラブホみたいだ。嬢が服を脱がせてくれる。僕は小柄で痩せているので裸になるとますます子どもっぽくなり、ますます自信がなくなり、ということで、そうそうに売り専で働いていたことを切り出してしまった。
ここまで読んで、なにが童貞じゃと思った人が多いと思うが、そのとおりです。男とならそれなりにセックスしてきました。しかし僕は男とセックスができるだけで、どちらかというと異性愛男性に分類されると思う。膣と肛門はなにか違うような気がする。
もちろんマンコに入れて童貞を捨てたなら、アナルに入れたときは何を捨てたのか、オナホに入れたときは何を捨てたのかという突っ込みがあるだろう。そういう難しいことは僕にはわかりません。
突然のカミングアウトにも嬢は冷静で、というかちょっと興味を持ってくれた。よかった。嬢もこの店で働き始めたのは最近で、その前は前立腺開発とかいろいろやっていたという。そうと知っていればシャワ浣もやってくるんだった。
ソープでどんなことをするか興味があるので、お任せするからひととおりやってくださいとお願いした。ということでまずお風呂に入り、マットでローションプレイというかマッサージっぽいことをして、ベッドでキスして、フェラして、セックスしてもらった。完璧なサービスでした。パイズリもキスもフェラもセックスも上手で、コンドームを口に含んでフェラをするように伸ばしてつけるのには感動した。コンドームで中断してしまう間をどうもたせるか困ることが多かったのだが、こういう方法があるのか。
特にフェラは上手だったのでその話をする。僕もフェラはずいぶんやってきたけど、いかに射精させるかを考えて、つばを多めに、カリへの刺激を強めに、亀頭を強く吸って、ずっと口だと疲れるから根元を手でしごいて、相手を上目づかいに見る。あと、動きが単調だと飽きる気がするのでときどきたまたまの裏や蟻の門渡りをなでる。まあ、こんな感じである。
嬢のフェラは手をあまり使わず、舌使いも優しく、しめつけて射精させようとする感じがまったくなかった。あたたかいもので包まれているという感じだった。くわえるまえに睾丸や根元を舐めるのが丁寧だった。
あと、僕はくちゅくちゅ音を出すようにするんですが、嬢は蕎麦を吸うみたいなずっずっという音を出すようにしていた。こういう音の方が受けるんだろうか?
ということで嬢のフェラをほめちぎる。「男の方が自分にもついてる分上手なのでは?」と当然の質問を受ける。オナニーとかけっこう強く握るし、激しくこするので、それと同じようにやってしまうのではないかと思った。
とはいえ全体的に緊張しっぱなしで、ちゃんと勃つようにと2日オナ禁してきたのだが、いろいろ話し込んだこともありフェラのときくらいしか勃たなかった。とうぜん射精もできなかった。まあでもいちおう膣の中に入れたので、童貞は捨てたのではないか。もうよくわからん。
途中で、初めて売り専の仕事をしたときに途中で萎えてしまったことを思い出した。あれはきつかった。動揺した。今回はお金を払う側でよかった…。
とはいえ、相手が勃たないとうまくサービスできているかわからなくて嬢はしんどかっただろう。僕もお客さんが勃たなかったら焦る。ちんこを思い通りに勃たせたり萎えさせたりすることが、なぜこんなに難しいのか。まだ経験が足りないのかもしれない。それにもう一度行ったらふつうに勃つ気がする。行かないけど。
名刺はもらわなかったが、楽しかったことは伝えたし、アンケートもいろいろほめておいた。アンケートもそうだが全体的に、男が女を買って性的に奉仕させる空間だということは伝わってきた。お風呂があってマットがあってベッドがあるのだから、本質的には異性愛男性がリラックスして射精する場なのだろうが、エンターテインメントとしても楽しめるほどの「男らしさ」が僕にはなかった。
…たぶん、今までの話は読者の予想をいろいろ裏切ったと思う。そこでこれから、男体持ちの僕のめくるめくセックス遍歴について、けっこう書きます。おつきあいください。
僕がはじめて女性と性関係をもったのは22歳の大学四年生のときだった。
その女性とは学園祭で知り合った。あるサークルでたまたま哲学の話になった。僕は哲学は多少身に覚えがある。なにしろ、論理哲学論考を中学生から読んでいた。その話をした。その人は小学生から論理哲学論考を読んでいた。なんじゃそりゃ。僕たちはウィトゲンシュタイン推しで気が合い、あとでgoogle:哲学宗教日記を貸してもらったりした。
そのあとデートに誘われた。街角の喫茶店でお茶をした。そのころの僕はいろいろ精神的にきつくて、大学の授業にずっとでていなかった。留年も確定して、そのことを両親にこっぴどくなじられていた。そんな話を少ししたと思う。その人も家庭のなかの問題がいろいろたいへんだと話していた。僕の両親もおせっかいだが、それと比較しても過度に束縛的だと思った。親の期待する「大人の女性」になれないことをその人は気に病んでいた。
しばらくして、その人からメールが来た。大事な要件だという。その人に会うと、他の人にあまり聞かれたくないから僕の下宿に行きたいというので、そうした。たいして片づけもしていない薄汚い部屋に入って、そこでその人は僕に告白した。とても劇的で、すごく大胆で勇気のある告白だったと思う。
その頃の僕は全ての牛が黒くなるほどのブラック夜勤バイトを週4で入れ、頭がまともに働くときはSTAP細胞の真相究明に熱中していた。自分は忙しいんだ、こんなに大変なんだ、ふつうの大学生とは違うんだ、と思い込むために必死だった。
典型的な非モテだったと思うけど、僕はその苦しみを異性に向けず、そういう興味をひた隠しにしていた(周りからオナニーなんかしなさそうと言われるタイプ)。もちろん女性を自分の部屋に招くというのが「どういうこと」なのかわかっていなかった。その人が告白しなければ、ウィトゲンシュタインの話でもして指一本ふれずに帰したと思う。この心境は、恋人で一発逆転を狙うタイプの人には理解してもらえないかもしれない。
そのあとふたりで散歩して、人気のない公園で夜が更けるまで話し込んだ。僕が提案して、別れ際にキスをした。「唇を奪ってほしい」というので、僕から口づけした。そのとき、相手の唇がぬれていたのと、いきなり勃起しかけことに驚いて、あわてて(軽く突き飛ばすような感じで)唇を離した。キスに動揺して勃起までしたことを気づかれたくなかった。
後日、その人がふたたび下宿に来た。とはいえ、僕はコンドームの用意もなく、セックスについての具体的なイメージもできていなかった。
僕もそれなりに性教育を受けて、コンドームの付け方や性感染症のことを知識としては知っていた(男子校だったこともあり、保健体育の教師はディルドにコンドームをつける実演までさせた)。それでもどうしていいかわからなかった。主体的に取り組まなければどんな知識もうわすべりになる。それはセックスも同じだ。
上半身だけ服を脱いでベッドに入った。そのとき、その人はパニックになり、ふとんをかぶって部屋の隅でうずくまってしまった。僕は落ち着いてほしいと真剣にお願いした。その人は小学生の時ひどい性暴力を受けたことを話してくれた。あまりの衝撃に僕は声を上げて泣いた。お前が泣くのかよ、と思うかもしれないが…。
その一方で、僕もネットで女性のエロ画像や動画を何時間も検索することがあるし、セックスへの興味を押さえられない衝動というのがわかる。僕は自分にそんな(女性を辱める)汚い欲望があることをオナニーを始めたときから気に病んでいたが、なくそうともがいてもなくすことができずにこの歳になっていた。その欲望をどこかで肯定できたら…と思っていた。でもやはり許されないのかと思った。
その日から、上半身だけ裸で抱き合うのが暗黙の了解になった。キスしてお互いの身体をなめたり噛んだりし合う「だけ」だったけど、文字通りいつまでも続いてほしい素敵な経験だった。その人はときおり、まんこにちんこをいれるセックスができないこと、「傷物」の体であることを気にして申し訳なさそうにしていた。ペッティングだけで僕はオナニーする必要がないほど性的に満足していたので、それを気に病む必要はまったくなかったのだが。そのことを伝えればよかったのに、僕は好奇心から一度下まで脱いでいいかどうか聞いてしまった(もちろん拒否された)。
結局、その人とは別れることになった。僕なりに整理すると、一番の要因は僕が結婚に対して本気にならなかったからだと思う。その人は僕が立ち直り、大学を卒業することを期待していた。僕はやっぱり大学に行けずバイトを止められず、その人の頼みで試験には出たものの2単位しか取得できなかった。
しかも、僕は「彼女」の存在を公にすることができず、両親はおろか友達にさえも、というかだれにも切り出せず、彼女のいない人が招待される「ぼっちクリスマス会」すら断れなかった。ひどい話だ。
結婚に対して前向きに努力してほしいという彼女の要求に僕はどんどん防衛的になっていき、敵意さえ感じさせることがあったかもしれない。そのひとは僕に見切りをつけ、別れ話を切り出した。僕は強がって「わかった」と応じたものの、一週間食事がのどを通らないほどショックを受けた。遠ざかって行く彼女の夢を何度も見た。
…そして、別れてから半年以上たったのに、その人の誕生日にメールをして、電話をかけてしまった(もちろん出なかった)。
バンクロフトのgoogle:別れる? それともやり直す? カップル関係に悩む女性のためのガイドを読むと、その人の決断が正しかったことがわかる。僕は二人の将来について責任のある態度をとらなかった。それにしても、その人は自分から告白し性関係に負い目さえ感じながら、別れることをよく自分の力で決めることができたと思う。
つづきます↓
「ああしたらいいと思います」というメッセージを長々送りつけてくる人が本当に苦手
表題の通りなのだが、自分はどうも好意を好意として伝えられないタイプのようだ。
そのため昔から「偉そう」「生意気」「上から目線」「何様のつもりだ」と、この手の類の悪口は散々言われてきた。
指摘されて素直に改善できるなら世の中警察はいらないんじゃないか?とすら思う。
それに敵がいればそのぶん少なからず味方もいるわけで、自分はその人間関係を大切にしながらここまで生きてこれた。
じゃあ外野のヤジにいちいち耳を傾ける必要もないだろうよ。そのスタンスで三次元の推しを応援してきた。
推しが何の界隈なのか、どうやって出会ったのか、などは全て省略するが、
自分はともかくある推しに興味を持ち、接近したくて現場へ通うようになった。
その現場はまだまだ過疎な場所だから、何度か顔を出せばすぐ認知され、推しと二人で絡む時間がどんどん増えた。
推しはいつも丁寧に、それでいてフレンドリーに声を掛けてくれる。
客とパフォーマーの関係を飛び越えて、時に友人のような、時に恋人候補のような接し方で夢を与えてくれる。
そんな甘い蜜を吸って期待しない人間がいるんだろうか。いや居ない。
自分はいよいよ「推しの為に尽くしたい」と願った。そして布教活動を始めた。
ツイッターの応援垢を作り、推しの知名度が上がるような投稿をする。
現場の様子をレポートし、撮影許可が出ている場所なら自費で投資した良い機材で撮影し、無料で閲覧できるようにする。
差し入れは小袋包装の分けて食べられるものを。或いは推しのロゴ入りオリジナルグッズを。推しだけでなくスタッフや関係者、現場を共にする他の演者にも。
物販も当然、推しのグッズを大量に買い、顔を売るために配る。推しのアカウントにリプをして士気を高める。
そうこうしている内、推しとの距離感はどんどん縮まっていった。現場へ行けば向こうから歩み寄ってくる。プライベートな話もする。
他の客の所へ行って構わないと告げても、なぜか側を離れない。それどころか推しは日常の弱音などを聞かせてくる。
推しの好意はひしひしと感じていた。また推しの周りにいる関係者からも同様に、好かれているのが分かった。
他の客と自分とでは明らかに接し方の差があった。言ってしまえばVIPだ。
そこで自分はもっと推しを売り出すためにはどうしたらいいか、推しのパフォーマンスを高めるにはどうしたらいいか、持ち得る限りの知識を全振りしてアドバイスをした。
更に関係者達へのリプを積極的にするようにし、推しを宜しく頼むという気持ちで冗談をかましながら場を賑やかせた。
今考えるとこの頃から少しずつ、推しの様子が変わって来ていたのかもしれない。
ツイッターの投稿は途絶え、自然とリプやファボを出来なくなった。時々ふらっと投稿がありここぞとばかり応援リプをすると、以前のフレンドリー感はなく、明らかに事務的な対応。
現場へ行けば会話はするが、以前の活気がない。何か悩んでいるのか、元気を出してくれと声を掛けても手応えがない。
そんな日々が続いたある日、公式アカウント上で不特定多数へ通知が放たれる。要は、スタッフ気取りの迷惑行為をやめろ、周囲に迷惑をかけるな、無礼な発言をするな、特別扱いを期待するな。
それに対する推しや関係者のコメントはどう見ても自分を指しており、はっきり言ってカッとなった。
なぜ今になって爆発させた?まずそれが最初の感想だ。なぜ、嫌なら嫌だったとその場で言わなかったのか。お前のそれは迷惑行為だから、有害行為だから慎めと、なぜ言わなかった。
そしてそんなに不愉快だったのにも関わらず、だったらなぜ接触したのか。推しもその周囲もだ。VIP席に座って期待しない方がおかしいんじゃないのか。
テキストで喧嘩をしたってラチがあかないと、次の現場へすぐさま乗り込んだ。そして件の知らせについて話がしたいと上へ伝えた。
関係者曰く、グッズ作成も撮影もその他なんやかんやもこっちは頼んでいない。ファンとパフォーマーの線引きを勘違いされたら困る。改善されないなら現場に立たせられない。
また、年下からアドバイスや指示をもらうのも気にくわない、そんな趣旨の事も。
結局推しとは直接話せなかった。
それ以上のオチは特にない。自分はすっかり熱が冷めて、出禁にならずとも自然と現場からは足が遠のいた。キツネにつままれたような心地は少しする。
勿論自分が舞い上がって熱心に通っていた、ただそれだけの話と言えばそうだ。だが、そうさせたキッカケはパフォーマー側にあるというのはどうしても書き添えたい。
なお内容はフェイクをまじえている。
増田さんの、これですか?
https://www.muji.net/store/cmdty/detail/4548718499441
https://handle-marche.com/antique/school/miya-160515/
ここ読んで、増田さんの身長などからも計算して椅子の差尺を決めて探せばいいかも。
これ無印。
ブナ材折りたたみチェア・板座(成型合板) 幅45.5×奥行52.5×高さ79.5
https://www.muji.net/store/cmdty/detail/4550002103507?searchno=1
無印なら、このテーブルにつかえるかきいたら、実際に組み合わせて見せてくれないかな?
余計なお世話ですが、
折り畳みの椅子は(同じようなの持ってました)長時間座るとお尻痛くなるのでコンパクトでもあまりコスパは良くないです。
普段は、彼はひとりでAVを観ているけれど、この日は「観てもいい?」とからかうように訊いてきたから、あまりいい気持ちはしないけれど「いいよ」と答えた。
嫉妬深い私を気にして「怒らないの?」と訊いてきたが、「大丈夫」と答えた。本当に大丈夫だと思ったから。
私も隣りで横になりながら一緒に観た。AVとは不思議なもので、男性は興奮するのだろうけれど、女性の私は何も感じない。ただただ、女優の容姿と自分を比べてしまう。私は胸が小さいのだ。
飛ばし飛ばし、いろんなAVを物色していた彼が、ひとりの女優をゆっくり観始めた。美人で巨乳で足の長い女優だ。複雑な気分になる。私とは真逆のような気がしてくる。あぁ、本当はこういう女性が好みなのかな、と。
敏感な彼は、私が不機嫌になったのを、言葉を発していないにもかかわらず、すぐに察知した。
「怒ってる?」
「大丈夫」
「隠してもわかるよ」
「うーん、ちょっとだけ複雑」
「なんで?」
「なにが?」
「そっか」
会話をしながら、頭ではわかっているけれど嫉妬心は消えない。ああ、私って本当に嫉妬深い。
ほかの女性はどうなんだろう? 私の友だちはサッパリした性格の女性が多く、私の嫉妬深さは彼女たちの会話のネタになるくらいだ。おそらく私は一般的な女性より嫉妬深いのだろう。
機嫌を損ねた私を気遣ったのか、彼はAV鑑賞をやめた。
「おやすみ」
「おやすみ」
いつもならお互いくっついて眠るのに、そっぽを向いたまま。ケンカをした夜にはよくある体制だ。あーぁ、しょうもないことでケンカになっちゃうパターンかな。でも……AVを観てほしくない……いや、一緒に観なければよかった。
気持ちを切り替えて寝てしまおう、と思ったときに、彼が寝返りをうって、横を向いて寝ている私の横腹あたりにそっと手を乗せた。「仲直りしようね」の合図。わかっている。
けれど、すぐ意地になってしまう私は、無視して寝たふり。いつも後悔するくせに、意地になってしまう私の性格は、もう治らないのだろう。
そうこうしているうちに眠ってしまい、朝になる。起きてからはお互い(少なくとも私は)、いつもよりテンションが低い。
いってらっしゃいと見送って、帰ってくる頃にはお互い元通りになっているといいな、と思いながら仕事をする。
すると、彼からLINEが来た。普段は仕事が終わるまで私用でスマホを触らない真面目な彼。「お!」と思って開いた。
が、事務的な内容だった。
付き合って2年が経つのに、LINEひとつにドギマギしてしまうのは、本当に彼のことが好きだから。
部屋にひとり。はぁ。
そうして過ごしていたら、さっき彼からまたLINEが来た。もうぬか喜びはしたくない。慎重にスマホの画面を覗く。
そこには「なにしてる?」の文字。
あぁ、愛おしい。あぁ、大好きだ。
気にしてくれていたんだ。私だけが彼のことを大好きで、私だけが空回りしていたわけではないんだ。そう思えた。
でも、やっぱり意地になってしまう私は、まだ返事をしていない。でも、これを書き終わったら返信しよう。
二人目は・・・専門の時お互い仲は良かったけど周りが次々とくっ付いて、え?お前らは?って空気になって。
どっちも彼氏って役割をこなそうとして、相手を楽しませようと無理をした。
一人目はそれを見透かされて別れ、二人目も・・・無理をしたストレスで耳が聞こえなくなった事が直接の原因じゃないけど
恐らくお互い変に意識しすぎて今まで通り気軽な会話が出来なかったからだと思う。
そのまま専門学校を卒業して就職してブラック企業で俺は壊れた。
度重なる長時間残業、上司からの圧力、先輩はトイレでゲロを吐き後輩は失踪した。
毎日自殺を考えこのままじゃ三年以内に確実に死ぬな・・・と思って辞めた。
辞めた後はしばらくニート生活を堪能し流れるようにして地方に移住した。
移住した先では前の仕事の経験を活かし新しく仕事を始めるがそれも上手く行かなかった。
小中学校と虐められずっと挫折を経験し、ブラック企業で劣等感を刷り込まれた俺はここで心が完全に折れた。
誰とも話したくないし顔を見るのも怖い。
俺は引きこもった。
だけどそんな引きこもってる最中も俺の部屋に訪れる人は何人か居た。
極端な田舎と言う訳じゃないが車が無いと不便な地方と言う事もあって何人かに俺の車を貸していた。
その車を貸していた中にその子は居た。
俺と同じく流れるように地方を転々としてきて、今の場所が気に入って長期滞在しているらしい。
部屋に車を借りに来るのもウザいしめんどくさい。
でもその時は何故か饒舌だった。
ブラック企業に刷り込まれた劣等感で自分は相手を幸せにする事は出来ないと思っている事。
自分の糞つまらない人生に他人様をつき合わせてしまう事への罪悪感。
それを俺は次々と語った。
でもその子は別に幸せにしてあげなくてもいいんじゃない?と言った。
二人で幸せになろうって人を探せば?と言われて何か許された気がした。
そして別の日にタバコを吸っていた時、その子は全く吸わないのに近寄ってきて飲み会の日の話の続きをした。
俺が自分に自信が無い事を伝えると、何時になったら自信がつくの?と言われた。
確かに俺は3年後も「自信が無い」と同じ事を言い続けて物事から逃げてる姿が容易に想像できた。
俺だけ自信が無い訳じゃない。
みんな自信が無くても踏み出してるんだと言う事に気づかされた。
仕事中、Twitterを見ている時、寝る前、ほんの些細な日常の一瞬にその子の顔が過るようになった。
その子のTwitterを見ると今いる地方から次の地方へ行く事を匂わせるようなツイートがあった。
今行かないと絶対一生後悔する。
それは分かってるんだけどやっぱり怖い。
狭い地域だから周りへの影響とかを考えると怖いし、何より過去の自分の挫折ばかりの人生経験が頭を過る。
怖い。すごく怖い。
いやー。森さんの言ってたやつ。直球でしたね。
誰も表題は信じてないと思うけど、みーんなが「どーせ嘘だろ」と思ってるの、すごいことだと思います。
「(略)質問だけにお答えいただけると有り難いと思います、時間が限られておりますので。今、大親友だというふうにお答えいただきましたけれども、そうすると、大親友である加計さんがずっとこの獣医学部を新設したいという思いであったということは当然ながら御存じでいらっしゃいましたよね。
「これは、安倍政権になりましてから、国家戦略特区に、その申請を今治市とともに出された段階で承知をしたわけでございます。それ以前から、それ以前から例えばこれは福田内閣のときに申請が出され、これは対応不可とされたわけでございますが、その前年、構造改革戦略特区はあったわけでありますが、その一年前は安倍政権でありますが、そのときには出されていないわけでございます。(略)」
2016年6月4日の申請時点のことと思われるけれども、この時はまだ最初の申請時に加計学園の名前が入っていてはいけないことを知らない模様。日付も聞いておくべきだったねー平山さん。相手は嘘つきなんだからさ。
「総理、加計学園の加計孝太郎さんが今治市に獣医学部をつくりたいというのは、いつから知っていましたか。」
「これは、安倍政権においてこの申請について受け付けてはおりません、安倍政権においてはですね。安倍政権の後、福田政権において申請を受け付け、しかし対応不可となったというふうに承知をしておりますが、安倍政権においては、第一次安倍政権においては受付も受けていないわけでございます。そのことは明確にしておきたいと思いますが、その後にこうした形で、当時も自民党政権でおりましたから、この特区については安倍政権としても取り組んでまいりましたので、当時は国家戦略特区ではなくて構造改革特区であったわけでありますが、そこで申請されたということについては私は承知をしていたところでございますが、その後に当然、私は議長を務めておりますから、国家戦略特区に申請をすれば私の知り得るところになるということでございます。」
「(略)構造改革特区について加計理事長は申請をしていたわけでございます。安倍政権においても四回申請をされ、民主党政権の最後に申請され、そしてその判断をしたのは、安倍政権であったものを入れると五回でございますが、五回とも我々は事実上認めていないわけでございます。そこで、この構造改革特区については説明がございますが、いわば事実上、十数通の申請がございますが、認めていないものでございますので、私はそのときに説明は受けていないものでございます。
ですから、この加計学園の申請が正式に認められた国家戦略特区諮問会議において、私が知るところに至ったわけでございます。」
「正確にお答えください。いつですか。」
「これは、一月二十日に加計学園の申請が正式に決定したわけでございます。」
大串
「もう一度お尋ねします。加計学園が申請しているということを、ことしの一月に、認められたときに初めて知ったということですか。」
「先ほども申し上げましたように、私は知り得る立場にはあったわけでございますが、しかし、そのことについての具体的な説明は私にはなかったわけでございまして、知った時期については今申し上げたとおりでございます。」
大串
「総理、本当に、加計理事長が獣医学部新設を申請していたということ自体を知ったのが一月の末だとおっしゃるんですか。私、ちょっとにわかには信じられないんですよ。といいますのは、去年の秋以降、国家戦略特別諮問会議、二十三回、二十四回、二十五回、これは総理が出席している会議ですよ。総理が出席している。その間にワーキンググループも開かれて、そこで各関係人からヒアリングもしているんですね。その結果も含めて、諮問会議で、総理も出たところで議論をされているんです。にわかに信じがたい。もう一度お答えください。いつ総理は、加計学園の理事長が申請しているかということを総理の頭の中で認知されたんですか。
「先ほど答弁をさせていただいたところでございますが、いわば今回の申請は今治市ということでの議論になって、国家戦略特区はその議論でございまして、そこで、事業者はその段階で決まっていないわけでございます。その観点から、いわば先ほど申し上げましたとおりでございます。
「本件は、首相案件となっており、内閣府藤原次長の公式のヒアリングを受けるという形で進めていただきたい。」
「国家戦略特区でいくか、構造改革特区でいくかはテクニカルな問題であり、要望が実現するのであればどちらでもいいと思う。」
「これまでの事務的な構造改革特区とは異なり、国家戦略特区の手法を使って突破口を開きたい」
ちなみに出席者は、朝日記事で巧妙に隠してある、報告・伺の方に書いてあると思われるけれども、
愛媛県の政策課長以下3名、今治市の職員の他に、加計学園の事務局長のWさん、学部長予定者だったY教授、加計学園相談役のTさんがいるはずなので、残念だけど、加計学園は公募前だから、知らないから、っていうのはさらに厳しくなる書類だと思われますけどねー。
総理が知らないことを首相秘書官が勝手に暴走して、勝手に内閣府に段取りつけたけど、当然総理には報告していないですね。安倍総理に報告するなんてとんでもないことですよ。個別案件については関知するわけがないじゃないですか!
そもそも出所もわからない紙に政府はいちいちコメントしないし、怪文書のようなものではないでしょうか(棒)
10年以上オナホを使っているが、最近オナホが破れなくなったなと思う。
最初にオナホを買ったのが2004年で、2006年ぐらいからは東京名器物語をずっと指名買いしいてて、
たまに違うオナホを買ったりもしたんだけど、結局「東名」に戻ってきていた。
東京名器も、昔は半年ほど使うとだんだん破れてきて、あらぬ所からチンチンが飛び出したりしてたんだけど、
使う頻度自体が変わったわけでもなく。
おれのチンチンが小さくなったのかなぁ?それとも優しい取り扱いを覚えるようになった?
ねえ、昔はもっと激しかったのに、今はなんというか・・・そっけなくて、事務的になってない?
まぁ、素材が地味に良くなってきてるのかもしれないけど。
父親の単身赴任で母子家庭状態の共働き家庭で育ったので、専業主婦がいる家の余裕を結婚してから知った。
子供の頃、いろんな事で困って母に相談すると、やっかいごとを持ち込むなと露骨に嫌がられた。
相談をしても文句を言われたり、怒られたりとやっかいごとを持ち込んだことへの怒りをぶつけられるだけで解決はしなかったので、「この人に聞くだけ時間の無駄」と思うようになった。「何でも自分でやる手間がかからないいい子」なのではなく、人間不審なだけだった。
ちょっと気に入らないことをすると、それだけで手が飛んできた。子供心にも感情で殴ってるというのがわかっていた。
学生時代に帰省して家でゴロゴロしていたら、家事をするように怒られた。「こんなだから恋人の一人もできないんだ」となじられた。
いとこが先に結婚した時は「いとこは大人だ。自動車ローンだって組めるし。それに比べておまえはなんて子供なんだ」となじられた。
子供ができた時、名付けを親にさせなかったことで、「子供が子供を育てている」となじられた。
大人になってから、「うちの子には反抗期がなかった」などと外でうそぶいているらしいが、反抗期がなかったのではなく、信頼関係が無かったのだと思う。
結婚して、相手の家にしばらく逗留した時、圧倒的な余裕のようなものを感じた。
せかされるようなギスギスした感じはなく、全般的にゆったりした時間が流れていると感じた。
全般的に何もしないで自分のことをしている時間があるという印象で、時間に追われるように生活していた自分とは大違いだと思った。
ヨーロッパの人は長期休暇で避暑地に行って、朝から晩まで何もしないで椅子に座って寝ているらしいけれど、まさにそれを見ている感覚。
相手からは昔おねしょをした時に親に「大丈夫だよー」と慰められて落ち着いたという話を聞いたけれど、うちだったら「この眠い時に何してくれとるんじゃ」という顔で事務的に粗相を処理されたのだろうなと思った。いや、自分はその方法しか知らないので、自分もそうしてしまう気がする。
今の日本は相手の家のような家を無くして、うちの実家のような家を増やそうとしているように思う。
保育園の時間があるからと嫌がるなか無理矢理乗り物に押し込められる子供を見ると、デジャビュを感じてしまう。
職場のいけすかねぇ女の話だ。
会社員としてはとても有能。敵も全く作らない。(どちらかと言うと同性の敵を作りがちらしいが(本人談)
基本的に腰が低いスタイル。ゆえにマウントされがちだが、マウントするようなやつには反撃を入れるらしい。
他人に対して気を使いすぎて疲弊するため週末は家に引きこもる。本人曰くコミュ障らしい。
基本上司には媚を売る。露骨なほど。 1番偉い人には甘い声で囁きチョコレートを与え笑顔を振りまき行く所々へお供するスタイル。
ただ人当たりの良さと頭の良さで将来は約束されている。よくする髪型はポニーテールの29歳。
*
その女なんだが、俺の目の前にここ半年ばかり座っているわけだ。
最初の3ヶ月は先輩A(31歳)の隣に座ってマンツーマンで仕事を教えてもらっていた。
んで毎日こいつらいちゃついていた。
「先輩って髪長い方が可愛いですよね」
「ゾンビみたいに加工できるアプリがあるんですよー、写メ撮っていいですか?」
Aもまんざらでは無いようでニヤニヤしている。
そんなやりとりを目の前で毎日3ヶ月やられたら、さすがにこっちも疲れる。
疲れるけど何も言わない。
*
Aが移店になった時、
職場で出しちゃいけないような声を女は出していた。
それを目の前できかされる俺の身にもなってくれ。
そしてAは別店舗へと去っていった。彼が愛用していた備品は女に預けて。
*
増田を読んでるはてなーの皆さんもお気づきかもしれんが、この女めちゃくちゃプライド高い自分大好き女なわけです。
そんな女が恋をすると、どうやら好き避けをするらしい。
*
その後Aと飲み会が何回かあったんだが、女のAへの態度は一貫していた。
女が幹事だったのに、Aにだけはフォローアップの連絡なし。最初の事務的なメールだけ。
Aは俺に当日開始時間を聞いてきた。
逆に周りの男には過剰な位サービスする。
俺がその時のAだったら、あー嫌われたのかなあって思っただろうなぁ。
*
でそのAなんだが、生い立ちがあまりよろしくなくて、
会話が全くない家庭で育ったらしく(本人談)、表情が乏しい。
親の愛情が足りてなかったのかなあ、と思わせるような人である。
*
俺は、Aには溢れんばかりの愛情が与えられるべきだったし、それは今からでも遅くないと思うんだ。
それでこの女にはそれができると一瞬思ったんだが。期待していたんだが。
どうやらそれは叶わないらしく、俺は悲しい。
とても悲しいのだ。
最近になってやっとネットになら書いてもいい気になった話なんだが。
もちろん、今まで誰にも話したことはない。
ただ先日、この話をあるSNSに先日ちらっと書いてみたら、信じられないくらいに変に興奮した。
オナニーするときは普通の男性向けに作られたエロ動画を見て行っている。
とくにクンニシーンが興奮する。
それはそうと、最近自分でもちょっとどうなのかという趣向に気づいたのだが、どうもニューハーフという人々に対しても、俺は興奮を覚えるようだ。
「かわいくておっぱいもあるけどちんこもある」という人の裸や性行為を見ると興奮する。
おっと、前置きが長くなったな。
本題に戻そう。
俺がはじめて射精したのは男にしてもらったフェラだったという話。
俺が初めて射精・・・初めての射精を精通というんだろうけど、これがあったのは中学1年生のときだ。
俺はそのころ性に目覚めてきていて、河原に落ちてるエロ本を一人でこっそり見てはチンコをギンギンにしていたものの、そのあとはどうしていいかわからず悶々としている毎日だった。
そんなある日、俺と友人はその友人の家で2人でゲームしたりして遊んでたんだが、ちょっとエロい気分になってしまって「なあ、チンコ立つことある?」とか「チンコ見してくんない?」とか言って、そいつのチンコを見せてもらったりさわったりしていた。
そういう俺はというと、チンコを人に見せるなんてとんでもないと思っていたので、はずかしかったけれどズボンの上からチンコをさわらせては「うわwやめろってw」とか言っていた。
その友人はちょっと変わっていて、「チンコ見して」というとどこでも見せてくれる奴だった。
幼稚園から高校まで一緒だったが、それはどの時代でも同じで、いつでもどこでも誰に言われてもチンコを見せていた。
まあ、自分から公衆の面前にチンコをさらすわけではなかったのが救いだな。
で、話を戻す。
まあ、友人と2人でゲームしているときにエロくなった俺は、「なあ、チンコなめたことある?」って聞いてみたんだ。
そしたら「ある」って言うんだ。
え?だれの?って聞くと、「●●」と言った。(●●は共通の知人)
そこで俺は変な興奮と嫉妬のようなものを感じて、じゃあ、俺のも舐めてくれる?って聞いてみたら、あっさり「うん」って言ったんだ。
ほんと?とか言いながら、チンコ見せるのが恥ずかしい俺はギンギンになりながらもなかなかズボンを下ろせなくて、友人に目隠ししてもらってやっとズボンからチンコが出せた。
で、チンコを友人の口元にもっていって「いいよ」と言うと、友人が舌でぺろっとしてくれた。
なんともいえない気持ちよさで、はずかしさよりも興奮の方が上回った俺は友人の目隠しをはずして、咥えてみてくれと言って咥えてもらった。
友人の口の中でチンコをころがされていると、ものの数分で射精感がこみあげてきた。
初めての射精感に俺は驚いてしまい、びっくりして射精前に口からチンコを引き抜いて、無言でチンコをズボンにしまった。
ほんとにびっくりしたので、その日はさっさと家に帰って、あの感じはなんだったんだろう?と一人悶々とした。
次の日。
また友人宅に遊びに行って、流れでチンコを咥えてもらうと、またすぐにあの感覚がやってきた。
その時はぎりぎりまで口の中で我慢して、なんかでるかも!という感覚のときにあわてて口から引き抜くと、どろどろとしたおなじみのあれがドクドクとチンコから出てきた。
なんかでるかも!でまた驚いた俺は、一生懸命がまんして出ないようにしていたが、どうしても出てきてしまう。
腰を思い切り引いて、チンコの頭まで皮をかぶせたので、あれが勢いよく飛んでいくことはなく、その辺にあった鼻をかんだ後のティッシュをチンコの先っぽにあてて、しばらく動けずにいた。
それを見ていた友人は「うわwなんか出たw」と言って半分笑って半分引いていた。
先の●●のチンコ舐めたときは出たか?と聞くと、「出てた」と言った。
正確には、俺の精通はフェラしてもらったあと、鼻かんだ後のティッシュに出したということになる。
まあどうでもいいけど。
で、その後は友人の家に遊びに行くたびにフェラしてもらうのが習慣になった。
フェラの前にキスしたり、俺が友人にフェラしたりするようになった。
俺もだんだんと射精に慣れてきて、友人の口のなかに出せるようになった。
最初のうちは快感が強すぎて、射精のたびに腰が動いてしまっていたけど。
そしていつの間にか俺もオナニーを覚え、友人もオナニーを覚えて精通があったと聞いた。
前述のとおり、俺も友人にフェラをしたが、俺が下手なのか友人が男のフェラは嫌なのか、俺のフェラで射精したことはなく、それどころか勃起しないことも多かった。
友人がエロ本を見ながら俺がフェラしてやっと少し勃起するという感じだった。
あと、友人に精液を飲んでもらったことはなく、飲んでと頼んだことはあったが、さすがに無理だったようだ。
俺の射精が止まるまで咥えていてくれたけど、口から離したあとは即ティッシュに精液を吐き出してうがいしたりしていた。
まあ、そりゃそうだよな。
俺の家に誰もいないときは、俺の家で事が行われた。
そういうときはお互いに全裸になって抱き合ったりキスしたりして、フェラしてフェラしてもらって俺は射精した。
オナニーを見せたりもした。
でもあくまで射精していたのは俺だけで、友人のチンコはほとんど動かなかった。
俺だけ一日に2回も3回も射精した。
なんだかんだで平均して3日に一回はフェラしてもらってたんだから、性的には良い中高時代だったんだなと思う。
ただその対象が同性だったというのはどうなんだろうという気がするけれど。
その女とは2週間くらいでフェラしてもらう前に別れてしまった。
ときどき友人のフェラが恋しくてピンサロに足を運んだけれど、時間制限がある中でのフェラは事務的でつまらなかった。
小説的にはここで俺が友人に会いに行くんだろうけど、今に至るまで一度も友人とはあってない。
もうウン十年になる。
以上、オチがなくてすまんが、文才のない俺が語るノンフィクションなんてこんなもんだ。
ただ、前と同じように友人にフェラしてもらってた話を書いてると興奮してくる。
あと、今回の話とはまったく関係ないと思うが、友人の姉の使用済みのパンツを嗅ぎながらフェラしてもらったこともある。
もちろん、そのパンツはもらって何度も一人プレイのおかずにした。
付き合った女に使用済みのパンツをもらったことも一度や二度ではない。
履き古したのをもらうこともあるし、新品のパンツを一緒に買いに行って一日履いてもらって帰り際に脱ぎたてをもらったこともある。
嫌がって絶対くれない女もいたが、はずかしがってはいるもののまんざらでもなさそうな女もいた。
パンツの使い方はそのときによりけりだが、基本的には嗅いで使う。
何度も使って飽きてきたら自分で履いてオナホも使って一人プレイしたりする。
あと、ブラも何度かもらったことがある。使い方はパンツと同じ。嗅いで、飽きたら装着してプレイして、さらに飽きたら捨てる。
常にパンツとブラは手元に数枚あるようにしている。
オークションで入手するときは、クリーニング済みのものを好む。
でもパンツのシミはついていないと嫌だ。
ああ、俺の性癖は面倒だ。
この人はどういう「私」を求めているかを察し、その枠に合わせた言動をしている。
"いいやつ"とされる私は、自分を押し殺した結果生まれた人格だから。
人類なんかさっさと滅亡しろと、世界を呪いながら生きている私が"いいやつ"なわけがない。
他人に興味がないことを前面に出して生きていけたら、どれだけ気楽だろう。
ありのままの性格で生きていたころは本当に楽しかった。自信にも満ち溢れていた。
ところが今は毎日がひたすらにつらい。自信なんてものはとっくに霧散した。
もう一度ありのままの性格で過ごしてみようと考えることもある。
でもそれは、あるべき大人の姿ではないと、もう一人の自分が叫ぶ。
ありのままでは犯罪者予備軍扱いされるのではないか、と怯える。
そしてもう一人の自分は、ありのままの性格で過ごしてみたい自分を殺す。何度も。
他人がいなければ自分を押し殺さなくて済むのに、社会はそうさせてくれない。
生きるためにはどうしても他人と関わらなければならない。
私は20代、男。
くも膜下出血だ。
病後、例に漏れず私達の家庭も「高次脳機能障害」と付き合っていくことになった。
あれからもう5年以上も経過して、父は依然として
約束(決められた時間と場所にいく等)を覚えていられなかったり、
親から罵詈雑言を浴びたり、記憶の抜け落ちにより息子だと認知されなくなったりするのは、悪意がないとしても(無いからこそ余計につらいのだが)相当、精神的に堪えるものである。
今回、KEIKO氏の高次脳機能障害が世の中のトピックにあがったこのタイミングで、タイムリーなことに私の父にも進展があった。
決してハッピーなものではないため、増田にて書かせてもらう。長文雑文になるが、どうか一読いただければ嬉しい。
当時、いわゆる夢追い人だった私は、残された家族のため(高齢の祖母、まだまだ10代半ばの弟)
父に代わって、なんて格好のいいものではなく、なし崩しなのかなんと言うか、泣く泣く人生の軌道修正をすることにした。
肝心な父の状態は相当ひどいらしく、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。
「生きても半身不随になるかも」
そう医者にいわれた。
わかっちゃいるが、お医者さんもすごい慣れた喋りクチだ。そのせいか、えらく事務的に聞こえる。
自分のこと、家族のこと、父のこと。私が死ぬわけでもないのに走馬灯のように色んなことが、しかも最悪の形で頭で展開されていき、
それと同時に、ただでさえパニックになっている頭の中を、物凄い情報量が通過していく。
まともに読みもしていない手術に関する合意書等、沢山の書類にサインをしていく。こんどはこちらが事務的にこなす番だった。
ふと気がつけば、手術がはじまっていた。
その時になってはじめて、あんなにキライだった父のことなのに、思いきり泣いた。
手術は成功だった。
術前に医者から聞いていたとおり、父は高次脳機能障害とよばれるものを抱えながら生きていくことになった。
パッと見、ちょっと痩せて目がトロンとしているくらいなのに、障害者だと思うのは不思議な感覚がしたが、それも始めだけだった。
開口一番、「おまえ、誰や?」。
ああ、父の病気はまだ続いているんだと悟った。
発症から数ヶ月ぶりにコミュニケーションがとれたこともあり、必死に状況を説明してみた。
うんうんと理解したような素振りをみせたと思いきや、「なんで俺はこうなってるんだ?全部のお前のせいだ!」と怒号を飛ばされる。
悪意がない、あたまが混乱しているだけだ。と周りには慰められたが、当時まだ二十歳そこそこで、ここまで自分なりに夢や時間やと犠牲にしてきたのに、あんまりだと思った。
この段階でまた泣いた。
聞こえはいいが、後に詰まっている患者を入れるため、心太式に入れ替わることが制度で決められているだけだ。
怒号はなくなったが、兄弟の人数を間違えたり、架空の人物を作り上げたりする父をみて、私は「これで大丈夫なのか?」と医者に問うたところ、
「これ以上の治療はできないからリハビリして現状維持するしかない」と返ってきた。
絶望だった。
もう私は一生、この現状に縛り付けられるのか?こんなあっけなく、自分のコントールできないところで審判がくだされるのか?何度も自分に問いかけた。
その後しばらくして、父はなんとか勤めていた会社に復帰するまで持ち直した。奇跡的だった。
父は、昔みたいにバリバリ仕事はできなかったが、会社が事情を汲んで軽作業の仕事を与えてくれた。
もうそれだけでも充分だった。やっと終われる。そう思った。
それから5年経ち、個人的にも家族的にもバタバタした時期がすぎて、なんとか人生プランを立て直す段階まできた。
そのタイミングで、また事がおこる。
つい先日、僕の電話宛に、父がいる会社の社長さんから電話があった。
嫌な予感がした。どうやら5年前の絶望は杞憂ではなかったらしい。
聞くと、実は1年前から仕事中だけ様子がおかしい。症状が酷くなっている。と言われた。
正直にいうと、「またか。」と思った。
世間は、血のつながりだとか、産んで育ててくれた恩人だとか押し付けがましいことを勝手にいいやがるが、クソ食らえである。
ソーシャルワーカーに紹介してもらった施設は、結局のところただの相談窓口で、抜本的な解決につながらない。ガス抜きにもならない。温度間がちがう。
いまの会社では働けないのに、障害者手帳をもらうには程度が低いので認定できないと言われる。
基本的に周囲からは「健常者」としてみられるのだが、自分のケツをふけなくなったくせにワガママだし、仕事もできない。
あんなに強かった父が、若い子から「ジャマだジジイ」だなんて蔑まされてるだなんて、聞きたくなかった。
泣いてたらしいし。もうつらいです。
■追記
深夜にどうしようもない心持ちになり、完璧に勢い任せな投稿だったのにも関わらず、反響があって驚いている。
コメントをみると、私みたいな物でも誰かの役に立てそうな気がしたので、返事を書いてみる。
本当にお疲れ様ですとしか言えないな。あなたの感じる細かい行政上の矛盾が少しづつでも解消することを祈っているよ。
私も二人、子供がいるんですが子供に迷惑かけたくないな、と強く思う。健康大事だな。。。君も(抜けないかもしれませんが)手を抜く事に躊躇しないで欲しいです。
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父は元々仕事人間でプライドが高い人だったので、いまの状況が本当にもどかしいです。
一身上のことですが、祖母と父は養子縁組だったので血が繋がっていません。
本文では割愛しましたが、実は父には血縁関係の無い姉がいて、軽度のダウン症を患っています。
そんな家庭でも、父は恩を感じているようで、私に常々と「家のことは俺が全て最後まで面倒みるから、お前は心配するな。」なんて言っていました。
なんとも救えない。皮肉な状況です。
お互い、ご飯と睡眠は大切にしたいですね。
嫌いをキライって書くやつ嫌いだわ。 苦しめ。
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不快にさせて申し訳ない。だけど、少しでも読んでくれて嬉しいです。
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いまのところ死ぬ気はないです。
件のおかげで、「嫌われる勇気」は読まずとも身についたのでラッキーだったかもしれません。笑
自分が関わらないことで「見捨てた」と思いながら自分だけの人生を歩むのと、
積極的に関わって「自分の人生を生きられなかった」と思う人生を歩むの、
どちらの人生が良いのかとときどき考えるが、私はまだ答えが出せないままズルズルきている。
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当時は経済的にもすごく不安定でしたので、よく「自分が死ぬくらいなら、全員見捨ててでも生きる。」と思って日々を過ごしていました。
いまでもそれは変わっていませんが、自分のできる範囲でなにか手伝おうというスタンスでやろうと模索しています。
しかし、何か在ればや私のところに連絡がきてしまうのかもですが。
障害者手帳すら出ない程度なら、後見人でもないと思うけど、本人ではなく家族に退職勧奨なんてするかなあ。
もし本当なら、退職勧奨は受け入れず、解雇通告された場合には会社に対し解雇通知書もしくは退職理由証明書の発行を依頼して。
障害者枠の仕事では自立できないって言うけど、障害者枠の仕事で子育てもして自立してる人もいるので、「障害者枠の仕事」と一括りにしないでほしい。
会社で勤務中だけ様子がおかしくて、主治医も増田も悪化が把握できないなら、会社から具体的な症状を聞き取りして主治医へ伝えることで障害者手帳を取得できる可能性はある。
大変だった時期もあるだろうけど、現在は障害者手帳が出ない程度だし、具体的にどんな介護をしてるか書いてないし。
行政支援が受けられないなら、距離を置くか、イライラ溜め込まないよう増田自身のメンタルケアを優先してみては。
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なるほど、そもそも後見人の概念を知らなかったので勉強します。
様子については、基本ちょっと抜けているのですが、仕事や非日常のイベントなど緊張する場面になると急に症状が酷くなるみたいでした。
タイトルについては、私自身も介護問題なのか労働問題なのかは上手く切り分けられていないのですが、小室さんの件もあり介護先行で書きました。
「障害者枠の仕事」も含め、相談員の言うことを鵜呑みにして思考停止している部分もあるかもです。
色々とご指摘、ありがとうございます。