はてなキーワード: リメイクとは
なんであの当時って、「人間失格」とか「家なき子」とか「星の金貨」、古い小説とか童話のタイトルをドラマにあてたりしてたんだろう。
リメイクというわけでもないし。
ドラマの「星の金貨」は作中でグリム童話の星の金貨の話が出てくるから、まあわからないでもないけども、「人間失格」と「家なき子」は原作とどうつながってるんだろうか?
実写版小公女セーラみたいに、中途半端に現代日本を舞台にされてリメイクされても困るけど。
それとも、当初の構想は原作のオマージュだったりしたのだろうか?
いじめを苦に登校拒否してドロップアウト後に、堂本光一とラブラブになって、心中未遂をするも堂本剛だけ生き残って、嫉妬に狂った黒田勇気とドロドロで、みたいな話にするはずが、
「陰湿ないじめに耐えるおしん路線のままのほうが日本人に受けるんじゃね?」
と路線転換。
とかそういうのだったりして。
今まで遊んでいなかった人がゲーム実況でゲームを買うので宣伝になる、というのは強ち間違いでもないかもしれない。
だけど、実際にゲーム実況動画見た人の中でゲーム買う人と買わない人どっちが多いっつったら、圧倒的に買わない人が多い。
その人たちの中には、ゲーム実況が無い状況でリメイクタイトルに触れていたら買っていただろうか?やっぱり買わなかっただろうか?
検証しようもない与太話。
これからゲームの売り上げが右肩下がりで落ちていくのは単なる少子化の影響ってのもあるし、
他のさまざまな要因もあると思う。
けど、「過去作ならゲーム実況やっても許される」っていうゲーム実況界隈の共通認識的なのは果たしてどうなんだろう?
「実況されまくってるからリメイクしても無駄」にはならんのだろうか?
「過去作だから」という言い訳に安易に乗っかる連中が群がって畑を荒らした結果、どんなに手間暇かけてもそこにはぺんぺん草すら生えないっていう
どうしようもない事態は起こらないのか?
ゲーム実況っていう目先の小銭に安易に群がる作り手が最近多いけど、もっとちゃんと自分たちの「財産」について考えるべきじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20130608144955
元々、ヤマトでのエネルギー充填率120%ってのは、地球製波動エンジンの起動実績が無い為、無事に起動出来る可能性が少なく、少しでも可能性を上げる為に可能な限り充填しようっていう発想だったんだよね。
(その意味では一発で起動してしまう実写版やリメイク版だと起動までの緊張感が不足してるとも言える)
だから、本当は波動砲そのものは100%で良い筈。(シリーズも後半になると100%以下で撃ってたりするけど)おおかた、故西崎プロデューサーがそういう演出を気に入って、何するのにも100%越えの演出を要求したんじゃねーの?
編注:ちなみにつぶやき人はゲイなのでそれを前提に読み進めてください。
それからしばらくして、ドラクエ5がリメイクされた。思春期を過ぎた頃だ。懐かしくて、ワクワクを思い出したくて買った。ところが、予期せぬことが起こった。どーしてもフローラかビアンカか選べないわけだ。
選べないんじゃない、選びたくないんですね。ドラクエというのは、主人公は自分の分身として扱うゲームなのです。そんな自分が、女性を好きになり、結婚して、子どもを生み育てる。それが苦痛で仕方がなかった。(そして、その筋書きもやる前にわかっているわけで
何でそこまで考えるのかなあ?
ドラクエ3をやる人は16歳になったとき、王様のところへ行って魔王を倒すために旅立つ覚悟ができてる人なの?
ドラクエ4をやる人はある日突然自分の村がモンスターに襲われて幼馴染や村の人達が殺される覚悟ができてる人なの?
違うよね?
現にあなたはそこには突っ込んでないよね?
なのになんでドラクエ5にだけ、現実のセクシュアリティ云々を適用しようとするのか。
こういうダブルスタンダード的な発言をすると、セクシャルマイノリティでない人はどう思うか。
表面上は「なるほど、そういう考え方もあるんですね。勉強になります」と賛同してくれても、
腹の内では(うわあ、めんどくさい人。関わらないでおこう)と嫌悪感が醸成される。
こうしていつまでたっても、セクシャルマイノリティへの偏見が根本的になくならないのだ。
任天堂のマリオ、ポケモンを使ったマイナーチェンジ商法。自社のハードで人気キャラクターを使った商売が多いものの、ハード売上が最近落ち気味。最近ではPS3にハード一位を明け渡した。似たようなハードしか作れずボリューム不足から他社ゲームの内容量が比例して低くなる負の連鎖。株式会社ポケモンとかいう高給マターリホワイト企業が近年有名だが、ポケモンしか扱わないので非常に飽きやすく社員によってはやりがいが全くない。しかし腐ってもホワイト企業。そのためかゲーム開発は近年旧作と似通ったものが多い。完全に守りに入っている。
コーエー無双の完全版商法。猛将伝でフリーモード入れればいいや。DLCにしてみました等。システム面もさることながら、史上最高峰という言葉が好きな割に稚拙なストーリーモードが有名な無双シリーズ。能力バランスが演義より且つ蜀贔屓で史実にほぼ忠実でない三國志等、
コナミ、パワプロの決定版商法。後でフリーズやバグを改善すればいい。最近課金制始めました。毎シリーズなぜか特定の球団だけ最強設定になっている(例:セリーグ在阪球団)。
カプコンのバイオハザードシリーズ。ナンバリングが打たれる度にもはや「バイオ」である必要がなくなった海外FPSを意識したゲームシステム及び世界観、旧作スタッフを続々解雇する等しても未だ失敗に気付かない無能な首脳陣の横暴。逆転裁判シリーズに至っては当時でも画期的と話題になった裁判員制度を採用して物議を醸した。基本的に新しいことがしたくて堪らないらしい。その結果がこのざまである。
グリーのガシャポン商法。何が出るか分からないクジ引きという画期的?なシステムを採用するも実は当たりくじがなかったという人を小馬鹿にしたような商法が主力。またパクリ商法。
「任天堂の倒し方、知らないでしょ?オレらはもう知ってる」といったスタッフの迷言や他社製品と酷似したゲームを最安値で大量生産する中国的な会社。IT通信関係では近年稀にみる圧倒的な離職率の高さ、大量採用大量離職をやってのけ常に人材不足であり、技術不足が露呈していること、消費者庁からガシャポン禁止令が発布されたことで実はとんでもないブラック企業であることが判明。同業のDeNAにまで馬鹿にされる始末。
日本一ソフトウェア。超大作ラストリベリオンを引っさげクソゲー界に名乗りを上げたSRPGの巨匠。ディスガイア等やりこみゲーが評価される一方でこのざまである。最近ではなぜか「検索してはいけない言葉」に挙がっている。なお、2ちゃんねる界隈ではブラック企業としてかなり有名。
タカラトミー。クソゲー界の任天堂の呼び声高い老舗。ダメジャー三部作など10秒に一回笑わせてくれるお笑いストーリーが話題。システム面も勿論酷い。クソゲーマイスター。ゾイドや人生ゲームなどの失敗から去年完全撤退を余儀なくされた。
ドリームファクトリー。通称ドリフ。ダメジャーを初め専門学校レベルと呼ばれるシステム面が有名。タカラトミー等の下請けとして活躍した。過去の栄光に縋りついていたが近年は多少見直されている。
アクワイア。忍道や天誅で有名。しかし版権でよく揉める。金銭面にがめつい為、近年はオンライン事業に着手。また過去の問題から他社ゲーを貶しているみっともない会社体質を持っている。あとバグが多い。
バンダイナムコゲームスのアイマス商法を筆頭に課金商法および劣化移植商法。ゼノシリーズ等の版権商法。何も進歩しないシステム。常に金儲けだけ。集めた金でしょうもないイベント開催。テイルズシリーズではDLC商法が酷い。下請けの失敗は徹底的に叩くのに成功は下請けから奪うやり方が有名で、版権を持って横槍を入れまくった挙句失敗すると責任を下請けに擦り付けるなどヤクザ的な感性を持ち合わせた会社。
SNKプレイモア。KOFシリーズやサムスピ、メタルスラッグ等。作風が常に転換している。近年ではパチンカスと揶揄されるパチンコ事業で裁判沙汰になる。過去の栄光はどこへやら。ネオジオ()。
セガ。自社のセガサターンや早すぎた次世代機ドリームキャストなどハード機が有名だった。湯川専務といったキャラクターが有名か。あまりにも早すぎた登場によって当時は殆ど理解されず埋没したが、近年は見直されつつある。
スクエアエニックスのリメイク商法。ただハードを移しただけ。バグ・フリーズ改善は当然も今度は3Dグラフィックが問題に。過去の栄光に縋り移植を乱発。今年に入ってやっと完全新作に着手する模様だが、リメイク乞食は今年も健在。
1974年生まれぐらいの人から見て、手塚治虫ってこんな感じに見られてたなあっていう話。
僕が子供の時は各界に権威者つーか、記号みたいな人がいたのね。
美空ひばり=歌うまい、みたいな。石原裕次郎とかさ、リアルタイムじゃ「太陽にほえろ」しか知らんけど、あの固太りのおっさんのどこが恰好いいの?とか思ってても、裕次郎=二枚目、みたいな記号が権威をもってたんですよ。
いまさ、例えば歌姫って言っても、こーだくみも歌姫なら、浜崎だって歌姫でしょ。僕が子供頃だったら歌謡曲の女王ってたら美空ひばり、ミスタープロ野球ってたら長嶋茂雄、いや島倉千代子はどうなの、とか王貞治の方が記録を残してるよとか、そういう異論は通用しなかった時代なのね。
今だって神様だけどさ、もう当時はカテゴリー的には昭和天皇と同じカテゴリーなのよ。美空ひばりとか長嶋茂雄とか、石原裕次郎とかは皇室と同じポジションにいたわけ。
そういう意識を共有して、日本人は共同幻想体をシェアしてたのね。
タクシーに乗ってさ、いきなり運転手が「いやー昨日は巨人が負けて残念でしたね」って話しかけるみたいな、共同幻想ね。そこにはスワローズファンなんて存在しないの。いや、俺はホエールズファンだからなんてのはあってはならないの。石原裕次郎=二枚目ってのを受け入れるのはさ、天気の話をして場をつなぐ友好的な社交を受け入れるってのと同じことだったわけよ。
そういう仲でさ、手塚治虫=神様=天才=善人=医者、っていうさ、そういう受け入れられ方をしてたわけ。世間はアトムとジャングル大帝しか知らんから。
手塚の場合は、まあ、実際に天才だったわけだしさ、裕次郎が二枚目っていうのよりは実態があったけど、僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね。アニメは見たよ。
子供が多い時代だったから、しょっちゅうアニメは再放送されてて、「ジャングル大帝」「ふしぎなメルモ」「悟空の大冒険」「鉄腕アトム(リメイク版ね、♪ボクの腕と脚はジェットで空をとーべるー、の方)」「ジェッターマルス」とか観ていた。僕が一番好きだったのは「悟空の大冒険」だけどさ、まあ正直言って、藤子不二雄とか赤塚不二夫のアニメの方が面白かったなあ。
みたいなことを80年代に手塚は言ったらしいんだけど、晩年の手塚は権威を利用して、また新しいチャレンジをしてたね。
僕がリアルタイムで、手塚の「連載」を読んだのは「アドルフに告ぐ」なんだけど、これ、週刊文春に連載されてたんだよ。一般週刊誌だよね。週刊文春読んでる中学生もやな感じだけど、漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね。で、「火の鳥」と「ブラックジャック」がハードカヴァー版で刊行されたんだけど、漫画のハードカヴァー版も多分、手塚が最初。
権威を利用してたけどさ、最晩年の頃の手塚はむちゃくちゃ現役作家でさ、現役作家として再ブレイクしてたんだよ。ま、あの人、現役じゃなかった時代はないんだけど、藤子F先生が「ドラえもん」に専念して、赤塚先生がかろうじてコロコロとかに細々と連載してる中でさ、手塚は社会のど真ん中で新作でブレイクしたんだよ。
その最中に亡くなったんだけど、「アトム期」「レオ期」「どろろ期」「ブラックジャック期」って連続してるけど、それぞれ別の顔、別の座標軸でブレイクしてるんだよ。で80年代にもブレイクの山をもひとつこしらえたっていうかさ、死んだときは神様じゃなくて現役作家だったんだよ。
「ブラックジャック」とか「火の鳥」の名声で食ってたんじゃなくてさ、多くの読者に早く来週の掲載作品を読みたいって思われる作家だったんだよ。
まあ、おっさんのむかしばなしなんだけどね。
>|素直に「買えなかったお前は諦めろ」って言え。
そりゃ自分が作った物が
買った物をオークションで売る事は購入者に認められてる権利だから。
これを言ってる同人作家も手に入らない漫画やゲーム、DVDを中古で買う事あるだろ。
そりゃオークションに出してる人には業者もあるだろうし
業者がそういう目的で買うのは法的、税金的な問題もあろうだろうけど
それはそういう業者に問題はあるだろうけど買う方には全然問題ない訳で。
漫画やゲーム、DVDは要望が多ければ再販、移植、リメイクされるし
特に「お金儲けでやってるんじゃないんです。印刷代がかかるからです」
「イベントで配るのはファンと交流したいからです」って言ってる奴
ネットで無料公開しない理由の「印刷代がかかるから。ファンと交流したいから」は再販予定無い作品には完全に当てはまらないだろ。
オークションでも買わないで下さい
もうあなたが手に入れる方法はありません・・・そこまで作家に権限ねえよ。
特にオークションで買う奴は定価より高いお金を払ってでも欲しいと思ってんだから、そこまで欲しいと思ってる人に矛先向けてどうすんの。|<
見てきました。
あまり期待してなかったせいもありますが、かなりしっかり作ってありました。
通常版で見たのでアイマックスはどうなのか分かりませんが、通常版でいいと思います。アニメですし。
全体的に子供向けの下らないギャグもあり、大人向けの懐かしい映像をリメイクして折り込み、というのを交互にやっていて、子どもと一緒にみるお父さんは楽しいでしょうね。
きっと映画の後アイスクリームでも食べながら「あそこはお父さんが子供の時こうだった」だとかなんとか言って盛り上がるんでしょうね。
35歳童貞の僕には想像もつきませんが、しいていえば曲はオリジナルがよかったなぁ
戦闘シーンはゲームみたいでしたけど、色使いとスピード感があって楽しめました。
スーパーサイヤ人ゴッドの設定もその後の戦いでなる必要がないって落とし所があるし、パンちゃんが鍵になってたり、ビルスが仲間じゃない設定もチートにならなくて済んでます。
カイオウサマの星の所以とか、細かい後付け設定も披露してて楽しめました。
エンドロールの演出も大人は懐かしみ、子どもは一から読んでみようという気にさせるいい販促でした。
映画館でみる必要はないかもしれませんが、色んな世代と見る事によって許されるシーンもかなりある映画なので、家でみてるとベジータの踊りでテレビを消したくなるかもしれません。
ギスギス楽しいインターネットを遊びたい人、承認欲求がパチパチと音を立てて爆ぜるインターネットを楽しみたい人にお勧めのオンラインゲーム、『はてな村オンライン』。ここでは、はてな村オンラインを楽しく遊ぶための心得について簡単に紹介します。
(株)はてなが提供する一連のネットサービスをフィールドとして、虚栄心にみちたネットバトルやキャッキャウフフを愉しむネットゲームです。2012年現在、はてな村オンラインのプレイヤーとして村人認知されているプレイヤーの数は数百人程度と推定されます。このなかには、現在(株)はてなのサービスを直接利用してはいないけれども村貢献度(後述)の高い、村外プレイヤーを含みます。
好きなように過ごしましょう。
他のネットゲームと同じで、何を最終目標にするかは、その人次第です。PVやはてなブックマーク数を稼ぐも良し、有名人をdisって優越感に溺れるも良し。文学フリマで名刺交換する際にはてなidを印字するためだけにidを取得するのもアリかもしれません。お友達をつくって、コップのなかの嵐を愉しみましょう。
はてなブックマークで他のブックマーカーの尻馬に乗ってみたり、はてなスターを貰えるようなコメントを書いてみましょう。その際、カルマ値(後述)を度外視した、過激な表現を心がけると衆目を集めやすく、自己愛も充たしやすいかもしれませんが、カルマ値を無視したプレイは後でボディブローのようにきいてくるので、あまりおすすめできません。
もう少し本格的にプレイしたい&廃人になりたい人は、はてなブログかはてなダイアリーも開設しましょう。そしてはてな村民とアイデンティファイされている人物に片っ端からトラックバックを送りましょう。
・仕事探し:はてな村には仕事は落ちていません。ゲームと割り切って遊びましょう。
・著名人の追っかけ:はてな村は寒村です。有名人はいません。よそでやったほうが効率的です。
・ネゲット(死語):悪いことは言いません、よそでやったほうが効率的です。
どんなゲームでも、キャラクターのパラメータを把握しなければ快適なゲームプレイは覚束ないものです。はてな村オンラインでもそれは同じ。以下に、通常パラメータを紹介します。
PV数:あなたのはてなダイアリー・はてなブログが閲覧された数です。この数字を積み上げるためにはてな村で頑張っている人もいるとかいないとか。グーグルのページランクなどとも関連するため、PV数を稼いでおくと、はてなダイアリー・はてなブログ上からの言及攻撃力が上昇するので、村人プレイに徹したい人でも本拠地のPVを稼いでおくのはアリ。
被RSS購読者数:PV数と同じく、はてなダイアリー・はてなブログからの言及攻撃力に影響を与えます。
被はてなアンテナ購読者数:昔はRSSと同じぐらい重要でしたが、最近はパラメータとしてはあまり重要ではありません。
被ブックマーク数:あなたがブックマークされた数です。村内での人気指標としては優れていますが、ブロガーとしての実力とは殆ど無関係の数字なので、何千何万と集めてもリアルで良いことがあるわけではありません。とはいえ、はてな村オンラインにおいて、被ブックマーク数というゴミの山に魅了されているプレイヤーは数知れず、このゲームの威信値に間接的に影響を与えます。。
はてなブックマーク被お気に入り数:はてなブックマークを使った言及に際しての攻撃力や影響力を左右します。この数値が高い人は、はてなブックマークを介した攻撃・扇動を効果的に行えます。はてなブックマーク主体のプレイヤーには超重要。
twitter関連のパラメータ:「twitterオンラインとの連携」が実装されてから「twitterオンライン」上のパラメータや言動が「はてな村オンライン」にも影響するようになりました。twitter上で被followers数が大きいと攻撃力が上昇し、twitter上で失言があれば威信値が低下する可能性が生じています。別会社のゲームとはいえ、この点には注意が必要。
はてな村オンライン(やそれに類するネットコミュニティを介したゲーム)が一般的なネットゲームと異なっているのは、数字で表示されていない隠しパラメータが存在することです。はてな村で快適に過ごしたいプレイヤーは、彼我の隠しパラメータ値をできるだけ正確に把握し、それを踏まえた身振りを心がけたほうが良いでしょう。。もちろん、敢えて隠しパラメータを気にせず村の散策を続けるのもひとつの遊び方ですが、たいていマゾプレイになります。
・威信値:村民としての威信の大小を示します。集めても何もいいことはありません。悪いことはいいません、威信値を賭けてネットバトルに明け暮れるのはおやめなさい。しかし、この威信値を巡って個々のアカウントが剣闘試合やネットウォッチに明け暮れるのが「はてな村オンライン」であり、村ゲームの醍醐味なのも確かです。威信値は隠し属性になっているため、ゲームマスターでなければ把握できません。しかし一般的には、
1.PV数
2.被はてなブックマーク数
といったものが威信値に影響するといわれています。威信値を稼いでいると、村イベント開催時にモテたり、他のアカウントに一目置かれたりすることがあります。あくまで「はてな村オンライン」上の栄誉であり、ゲームプレイを彩るトロフィーのようなものと心得ましょう。過度ののめり込みや期待は禁物です。
・村貢献度:「はてな村オンラインへの言及」を行うたびに、あなたの村貢献度は上がります。注意しなければならないのは、「はてな村はあるよ」「はてな村は素晴らしい」といった肯定的な言及だけでなく、「はてな村なんて無い」「はてな村はクソ」といったネガティブな言及も、村貢献度を高めるという点です。また、後述するテクニック「村イベント開催」を行うと、あなたが威信値を獲得するしないに関わらず、村貢献度が大幅に上昇します。村貢献度が上昇するほど、他のアカウントがあなたを「はてな村民」認定する確率が高くなります。非村民プレイやステルス村民プレイを目指している人は気をつけてください。
・村発展度:はてな村オンライン内外すべてのネットユーザーが稼いだ「村貢献度」の総和が、「村発展度」になります。この数値が高くなるほど、「はてな村」というフィクションが実在性を帯びて体感されるようになります。「はてな村はあるよ。」
・カルマ:Paradox社のゲームでいえばBBR(bad boy rate)に相当。お行儀の悪いことをしたり、他人の不幸を喜んだり、誰かを誹謗中傷して回ったりしていると、カルマ値が上昇します。もし、あなたのカルマ値が上昇すると、あなたの行動に対して村民が支持を表明してくれる確率が低下し、不幸なことがあったり失策があったりした時に石を投げられる確率が上昇します。また、ネットバトルで負けた際に相手が「屈辱」を与えてくる確率も高まります。カルマ値が上昇してきたら、良いことをするなり、ほとぼりがさめるまで待つなりしてカルマ値を低下させましょう。あなたが悪村民プレイに徹したいのでなければ、ですが。
なお、カルマ値ははてな村オンライン固有の隠しパラメータではないので、twitterなど他のネットサービスで悪行の限りを尽くしてもちゃんと上昇します。知名度や村貢献度を手っ取り早く稼ぎたい場合は、カルマ値を気にしない狂犬プレイが手っ取り早いのですが、全く無頓着だと後になってカルマ値の高さに苦しめられるかもしれません。アカウントの可燃性に直結しているパラメータなので、炎上マーケティング(後述)を心がけない場合は、ある程度意識して低めに抑えておいたほうがアカウントの運営はやりやすいとは言えます。
[あわせてよみたい]:ゲームで子育て『Fallout 3』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
プレイヤー自身、つまりあなた自身のステータスです。「回線切って寝ろ」は古人の知恵。健康なネットライフは健康な心身に宿ります。
精神的疲労度:疲れていると誤字脱字が増えるだけでなく、内容的にも迂闊な書き込みが増大します。結果として炎上しやすい発言・カルマの悪化しやすい発言が増大するので、ネットバトルにも負けやすくなり、威信値稼ぎプレイ上、不利が生じます。疲れている日のインターネットはやめましょう。
心理的充足度の最大値:この数値が高い人は、心理的飢餓状態に陥るまでの余裕があるぶん、村民プレイにも余裕が出ます。逆にこの数値が低い人がはてな村オンラインをやると、威信値稼ぎに汲々としたり、ネットバトルに血道をあげたりしがちです。そうした執着は即座に他の村民に察知されるので、動きを読まれやすくなり、ネットバトルにも負けやすくなります。こうした問題を避けたい人は、リアルワールドでの心理的な補給線をしっかりと確保したうえでログインしましょう。
現在の心理的充足度:現在の心理的充足度。低くなりすぎると、ステータス異常「心理的飢餓状態」になり、喧嘩っ早く脇の甘いプレイスタイルになってしまいます。一応、はてな村オンライン内でも威信値を稼いだりPV数などを稼いだりして回復させることも可能。ですが、その際の言動が甘くなった隙を他の村民に突かれる危険性はあります。
衝動コントロール能力:あなたの衝動コントロール能力が低い場合、暴投発言や炎上発言が生じやすくなり、たいていの場合、カルマ値も悪化しやすくなります。また、鬱憤が溜まってきたときにアカウントを消す確率も高くなるので、はてな村オンラインにはあまり向きません。
ステータス異常:メンタルヘルスを損ねている場合やアルコールが入っている場合は、迂闊な発言が増えます。回線切って寝るのが得策です。
・メタブックマークでタワーをつくる:通称「ブクマタワー」。はてなブックマークコメントに対してコメントを返し、さらにそのコメントにコメントを返す…際に用いられる戦法。はてなブックマークを主戦場とするプレイヤーに用いられがちで、特に「反論が無いほうが負け・最後に言及した者が勝ち」的な精神年齢の人間にとって、これが威信値を左右することがあります。ただしブクマタワー戦法は「はてなブックマークお気に入り」を減らしてしまいやすいので、はてなブックマークを介したキュレーター戦術の攻撃力低下に繋がります。また、威信値が50を超えたプレイヤーはブクマタワーをやるたびに威信値が1ポイント低下するため、威信値を一定以上集めるプレイスタイルにも向いていません。はてなブックマークを主戦場とし、威信値の高低に拘らないプレイスタイルの人で、なおかつ負けず嫌な人にだけお勧め。
・威信値の高いアカウントへの言及やバトル:あなたのアカウントの威信値が小さいうちは、村のなかでも威信値の高いアカウントのブログに言及したり論戦を展開したりすると、被ブックマーク数やPVを稼ぐきっかけになったり、うまくいけば大物食いをして威信値を一気に稼げたりするかもしれません。喪うべき威信値が無い、村民プレイ初期段階には有効な手段のひとつです。このとき、攻撃的・高踏的な言動を心がけると村のネットウォッチャーに捕捉され、村民としての認知度が跳ね上がるきっかけが得られるかもしれませんが、カルマ値が真っ赤になるかもしれないので注意。
・屈辱を与える:ネットバトルに勝利して威信値を稼ぐ際、敗者に屈辱を与えると威信値を少し多めに稼げます。ただし、あなたのカルマ値が相手のカルマ値よりも悪い場合には、あなたのカルマ値はさらに悪化してしまいます。相手のほうがカルマ値が大幅に悪い場合は、屈辱を与えても悪いことが起こらないばかりでなく、むしろ威信値のボーナスが得られるかもしれません。
・村イベントの開催:はてなダイアリーやはてなブログで「はてな村」に言及した記事を書くと、一定確率ではてな村民がワラワラと集まってきて「村イベント」が起こります。村イベントが起こると、あなたの村貢献度が大幅に上昇し、はてな村の賑わいが(多少なりとも)村外に伝わって村発展度も上昇します。村イベントの内容によって、あなたのカルマ値や威信値が上下するかもしれませんし、あなたに村の素敵なお友達が現れるかもしれません。
※はてな匿名ダイアリーを使った村イベントは、あなた自身のステータスへの影響を除外しながら村発展度を上げる手段になり得ますが、あなたの村貢献度が一定以上の場合、文体や内容を読まれて結局あなたのカルマ値や威信値に影響が出てしまうことがあります。注意しましょう。
・炎上マーケティング戦略:カルマ値の悪化を無視した村民プレイをすれば、あなたは実力以上に知名度や威信値を稼ぐこともできるでしょう。その汚れた知名度や威信値を駆使して、お金を稼いだり、女子をたぶらかしたり、いろんなことができるかもしれません。しかしカルマ値がどんどん悪化していった結果、あなたは多くの村民から(それどころか村外の多くのネットユーザーからも)悪者認定されてしまうでしょう。いったん悪者認定されたあなたは、もはや「屈辱を与えても安全なモブ」であり、ネットバトルで威信値を稼ぎたい人達からみれば理想的な賞金首です。グリーン Permalink | 記事への反応(8) | 20:44
鈴木:いやあ、きょうはね、教えてもらいたかったんです。というのはね、『バッタ君(町に行く)』の……魅力。
鈴木:僕は正直言います、告白します。お話のほうがね、なんでこういうものが作られたのかなって、見てるうちに終わっちゃったから(笑)、そこに気を取られて。アニメーション的にどうのこうのの前に、なんでこんなもの作ったんだろうって。だからきょう教えて欲しかったんです。
庵野:そうですね……やっぱりアニメーションの技術としてすごいと思いますね。やっぱ当時のアメリカは、ディズニーも、MGMも、ワーナーも、やっぱりすごいなって。
鈴木:どういう技術が優れてたの。だって『バッタ君』好きだと思ったんでしょ?
鈴木:だって『EVA』を作った人が『バッタ君』を好きなんでしょ。これみんな聞いてみたいよね
庵野:画で描いて、動かす……なんていうんですかね、エネルギーみたいなものですかね。日本とはもう桁が違うぐらい当時は差があったと思いますね。1940年代ですもんね。
鈴木:41年。
庵野:戦前、戦中、戦後はもう、やっぱり桁が違うと思いますね。
庵野:ええ。
庵野:日本も東映動画ができてからはどんどん追いついていったと思いますけど。技術的な部分とかそういうのも含めて。でもあの時代はやっぱりアメリカが世界一ですよね、アニメーション技術は。その技術の集大成のひとつだと思いますね。まったく。まあ話は子供向けなんだか、大人向けなんだか、ちょっと、どっちなんだろうってとこはありますけども。
鈴木:あのー、ロトスコープっていうの、アレ? 人間の部分は。
鈴木:あれは正直言うとびっくりしたね、改めて見て。なんかすんげえなと思って。今のみんなが、いわゆるコンピューターでやることを、ああ昔の技術ではこうやってやったんだなって。で、それがあまりにもリアリティがあって。その対照としての虫たちがああやって描かれるでしょ。だから少しそこに世界が違いすぎるから違和感があって。
庵野:ああ、それはよかったです。
鈴木:人間のほうがすごく見えちゃったんですよ、僕は。だから、いきなり虫になると漫画になるじゃない。それが、もっと人間を見たかったなって(笑)。で、それを人間がやってるんだと思うとドキドキしちゃって。脚だけしか出てこないのに。でもそれが凄かったから。やっぱり機械じゃなくて人間がやったと思うとすごく見える。それと『(崖の上の)ポニョ』じゃないけれど、やっぱりすんごい描きまくってるね。動きまくってるというか。あのー、『カールじいさん(の空飛ぶ家)』。
鈴木:見た?
庵野:まだです。
鈴木:見てない? ちょっと――ちょっとびっくりしたんですよ。これもね、お話じゃないんですよ。隅々までエネルギーが満ちてて。だから絵筆じゃないけれど、コンピューターでやってるんだけど、ひとりひとりのスタッフの持ってる、描きたい、動かしたいというエネルギー。すごいですね。驚きました。そして、やっぱり比較しました。いろんなところと。いま勝てないと思った。で、そういうスタッフがどんどん育ってる。ちょっとすごいです、あれは。
庵野:ピクサー、最近食わず嫌いやめて見るようにしたんですね。
鈴木:(笑)。どうかなあって思ってたんだけれど。ピート・ドクターっていうの、監督のね、よく知ってたんで。ちょっと見ようかなって思ったら。ちょっと全然別のそういう感想持っちゃった。お話とかそれは、まあ、ねえ、置いといて。とにかくスタッフがのびのびと、しかもやりたいだけやってる、やりまくってる。それってやっぱり作品を色々膨らませてるよね。
鈴木:うん、だから、もしかしたら『バッタ君』も、それに満ち溢れてたのかなあって思って。
庵野:アニメーターが多分好きにやってるとは思いますよ。枚数制限なく。
鈴木:一切ないよね、あれ。
庵野:ええ。
鈴木:うーん、やっぱり凄いのか。
内藤:映像に音声をつけるとか、カラー化でディズニーに先を越されてしまって――。
鈴木:彼女が担当なんだよ。あのー『バッタ君』の担当の、あのー……なんていう名前だっけ。
鈴木:ああ、内藤っていうの。フライシャー兄弟が超えようとしたんでしょ?
内藤:はい。けど最終的には越されてしまったんだけど、さっき鈴木さんが仰ってたロトスコープだったり、あとは背景に奥行きを与える、模型を使ってやることで――っていう、そういうセットバックっていう方法を考えて、ひたすら、こう、追い越せーみたいな。
鈴木:チャレンジ精神が厚い人だよね。俺はね、『ポパイ』はね、見てたんですよ。フライシャー兄弟でしょ、あれ。子供のときにね、幻灯機っていうのを買ってもらって(笑)。そしたら付いてきたフィルムがね、『ポパイ』だったんですよ。それでね、初めて35ミリフィルムっていうのを見て。これで回すとさ、動くわけじゃない。それで気になるわけよ、一枚一枚の画はどうなってるのかって(笑)。それが子供のときの体験。それで初めてね、幻灯機をね、色々いじるわけ。どうして動くっていうのを思って(笑)。
内藤:たしかに不思議ですよね。画が繋がってるだけで。それを映しても、なんでそれが動いてるように見えるのかって、すごく不思議で。
鈴木:そうなんだよ。それで子供ながらにね、色々分解したりしてるとね、わかってきたんです(笑)。
内藤:えっ、幻灯機をですか。
鈴木:そうそうそうそうそうそう(笑)。って言ってもたいしたあれじゃないけどね。『ポパイ』って、僕は昭和23年で、戦争が終わって3年後に生まれた身としてはですね、漫画って言うと日本の漫画もあったけど、一方で『ポパイ』だったんですよ。そのぐらい強烈な印象で。だから、まさかその人の、あれが最後の作品? 『バッタ君町へ行く』。だから、興行的に上手くいかなかったわけでしょ。だから、ディズニーってのは商業的に上手くいったからね。
内藤:庵野さんは、あの作品の中でどのシーンが一番お好きなんですか?
庵野:牛の住んでる楽園が、人間の手でこう次々に壊されていくスペクタクルですね。あれがすごい一番。ええ、工事のシーンですね。工事の車とかシャベルとか無機質さと、この右往左往する虫の動きの、このコントラストっていうんですか。そういうのも含めて、大スペクタクルですね。手で描くのを知ってると「よくまあこんなのを……(苦笑)」とは思いますね。それだけでも、もうすごいと思いますね。
鈴木:俺? 俺はねえ、あの屋上へ行ってね、こうやってアメリカは滅びて行くんだなあっていう(笑)。
庵野:結局、楽園ですらも人の手で人工的に作られないと虫は生きていけないっていうことですね。
内藤:当時はもう、ああいう高いビルはいっぱいあったんですか。
鈴木:アメリカはそうなのよ。エンパイアステートビルをはじめ、いわゆる高層ビルがアメリカの象徴だったから。相当昔から造られてんだよね。いわゆる地震の少ない国だったから。
庵野:なぜ「町」だったんですかね、あれね。
庵野:まあタイトルもそうだし、なぜ町を舞台に虫の話をしたんだろう。
鈴木:うーん……。だからまあ多分アメリカっていう国が大きな変化を遂げていった、1950年代、大繁栄を迎えるわけだから。その大繁栄のなかでアメリカ人が見失っていくもの? そこらへんのを予感したんじゃないかな。
内藤:すごい不思議だったんです。そんなに歴史詳しくないんですけど、真珠湾攻撃の直後に公開してるのに、なんでこんな平和というか、一見呑気な話が作れるのかなって。
鈴木:世界大恐慌ってあったじゃない、1929年。結局アメリカの、ねえ、そういうのから始まるわけでしょ。それで結局色々やったけれど、ニューディール政策その他。アメリカは復興できなかったんですよ。ところがヨーロッパが戦場になることによって、その恩恵に預かって、それでアメリカは復興していく。結局その戦争を待つことによって景気回復したんだよね。だから、やっぱりこの映画が作られたころ、アメリカは非常に豊かだったんですね。方や日本は、っていう。貧しい国でしょ。小さな国で。やっぱり宮さん(宮崎駿)なんかもね、およそアニメーションを目指す者はこれを見なきゃ始まらないみたいなそういうコメントを寄せて。
庵野:まあ僕はそう思いますね。少なくともアニメーターは見て損はないと思いますね。
鈴木:なんか、ここのシーンだっていうところはあるの? ここがすごいって。
庵野:全編すごいですけど、やっぱり最後のクライマックスの壊れていくところ。あの虫のモブを一枚一枚描いている。
庵野:あれは凄いですね。
鈴木:俺、どっちが先か判らないけれど、僕は……誤解も与えますが、宮さんの一番すごい仕事って、やっぱり『ホルス(太陽の王子 ホルスの大冒険)』だと思うんですよ。最後のモブシーン。あれ宮さんだよね。いろんな人が縦横無尽に動く。それで空間がどんどん広がっていく。あれはちょっと舌を巻くんですよ。
鈴木:いやー、あれはすごいよね。
庵野:すごいです。
鈴木:こんな風に人がね、動いて、しかも人間の手で描いて、こんなシーンが作れるのかって。最初に見たときにラストシーンどういう人がこの画を描いたんだろう、設計をしたんだろうって。それで後で聞いてね、やっぱり宮さんだってことがわかって。うーん、「すごかったんだなあ」なんていうと怒られちゃうけれど(笑)。
庵野:いやあ、アニメ-ターとしては超一流ですよ。『(空飛ぶ)ゆうれい船』とかも好きですけどね、宮さんの仕事だと。
庵野:東映で、ここはすごいっていうところは大体宮崎駿原画のだったりしますからね。
庵野:大学……いや、高校のときですね。意識したのは『(未来少年)コナン』ですね。その前も好きでは見てたんですけど、なんだろう、ちゃんと見るようになったのはやっぱり『コナン』からですね。
庵野:リアルタイムですね。妹とチャンネル権の争いで、なんとか。
鈴木:えっ、裏になんかあったの?
庵野:裏は『(女王陛下の)プティアンジェ』っていうアニメが。
庵野:1話を見たら、親が続きを見たくなってくれてですね。そのあとは毎週ちゃんと見れるようになった。それまでは『プティアンジェ』でしたからね。
庵野:『プティアンジェ』、オープニングだけ見ればいいんだって。
鈴木:そうなんだ。……それ以来ずっと注目してるの?
庵野:そうですね、あとは『カリ城(ルパン三世 カリオストロの城)』ですね。
庵野:2回見ましたね。僕のほうは田舎だったので同時上映があって、そのあいだはロビーに出て。
鈴木:『カリオストロ』はねえ、たしかにねえ。僕が初めて(宮崎駿に)出会ったころです。
庵野:いいですよね。
鈴木:よく働いてた……。
庵野:あれが(制作期間)半年ってのはやっぱりすごいと思います。
鈴木:作画4ヵ月だもんね。
鈴木:会社から言われたのは3ヵ月で、それで1ヵ月余分にもらって。
庵野:あとでなんかあって「もう1ヵ月あれば」って言ってました。
庵野:あそこは僕にもなんか悔しいって言ってましたね。
庵野:まあ現実的でいいですよね。できる範囲のものに落とし込むっていう。
鈴木:だから……見てて、よく宮さんがね、「理想を失わない現実主義者」って。これ宮さんも言うし、実は元は高畑(勲)さんかなっていう気もするんだけど。ふたりともそうなんだけど、その理想と現実の――なんて言ったらいいかな。微妙にふたり違うんだよね(笑)。微妙に違うんだよ。
鈴木:でもよく覚えてるんだけど――『ホルス』だとね、村があるんだけど、一人狡猾なおじさんがいるじゃない。その人がいることによって村が成立している。(『風の谷のナウシカ』の)風の谷の方はね、300人くらいいて、ああいう悪い人がひとりもいない。
庵野:ええ、みんないい人なんですよね。
鈴木:一種、理想主義に貫かれてるでしょ? それで映画見るとね、高畑さんは一方で現実を映画のなかに入れようとするし、宮さんはその現実は置いといて。ところが映画作り始めると、宮さんは間に合わないと思ったらコンテを変えてでもその映画を完成させようとするっていう現実主義があるのよ。高畑さんは違うんだよね。
庵野:変えないですよね。
鈴木:変えない。それで遅れたときもね、「それは僕には責任ない」と。「それはプロデュースサイドがコンテができたときに把握してるべきだ」って貫くんだよね。映画のなかは非常に現実主義なのに、映画のなかは。やり方は理想主義というか(笑)。
庵野:まったくです。
庵野:なんですかねえ。
鈴木:で、宮さんなんかは非常に面白いって思ったのは、結局、『ホルス』作ったあと、それこそ『コナン』もそうだけど、『ナウシカ』もそうだけど、『ホルス』をひきずるでしょ?
鈴木:高畑さんは違うんだよね。全然違うものを作り始めるんです。
庵野:まあ宮さんのほうが根っこがいい人なんじゃないですか。
鈴木:高畑さんに聞いてみたことがあるんですよ。なんでファンタジーやらないのか、って。そうしたらやっぱり『ホルス』で創造できるものは創造し尽くした、と。でも、唯一その世界に持ち込めなかったのが『思想』である、と言ったんだよね。そうするとファンタジーっていうのはそれが出来る人がやらなきゃ意味がない、それが自分の総括だ、って。僕が聞いて、高畑さんいまになると違うって言うかもしれないけど、すごい印象に残って。だから宮さんが『ホルス』をひきずって。なんかっていうと『ホルス』みたいなのに戻るでしょ、宮さん。
庵野:ええ、基本はそこですよね。ずっと『ホルス』のリメイクをしてるようなね、感じがしますよね。
鈴木:宮崎……オタクとしてはどう思いますか? なんつって。オタクじゃないか(笑)。
鈴木:(笑)。でも面白いよね、そういう宮さんも『バッタ君』のアニメーションの部分って非常に着目してるし。
庵野:やっぱり宮さんは基本アニメーターだからだと思いますね。僕もアニメーター上がりなので。
鈴木:やっぱそこなんだね。
鈴木:宮さんがいま、原画やってるんですよ、自分で。やり始めたんです。本編やってるでしょ、それでその横で美術館用の短編やってるんだけど、「スタッフがいない」って。最初1分でやるって言ってたのが10分になるからいけないんだけど。老骨に鞭打って。でも結構楽しそうに。でももう69なんだよ。アニメーターっていつまで描けるんですか?
鈴木:手が動けば大丈夫? 本人もう動かないって言ってんだけど(笑)。
庵野:やっぱり、目と手ですよね。
庵野:まだです。いよいよ。50代なんて来るとは思いませんでした。
鈴木:宮さん喜んでるよ。「庵野っていくつになったの」って言うから「もう50だと思いますよ」っつったらすごい嬉しそうに。
鈴木:「そうか!」つって。「歳取れっ」って。「俺の苦しみがわかる」とかなんか言っちゃって(笑)。
庵野:僕が50になったら宮さん70じゃないですか。
鈴木:でもみんな……歳を取ってきたんですね……。
内藤:その宮崎さんが「アニメーターをやる奴は見ておくべき」っていうインタビューをしたときに仰ってた言葉を(『バッタ君』の)宣伝の柱にしてたんですけど、やっぱりアニメーターを目指す方って一部じゃないですか。
内藤:もちろん、その人達にはできれば来て欲しいとは思ってるんですけど、やっぱりそれ以外の人に、どう魅力というか、アニメーターは目指していないけどちょっと気になるとか、そういう人に来てもらえるのかなっていうのを考えていて。どうしたら人の心に響くようにできるんですかね。
鈴木:あの作品を?
庵野:僕が『バッタ君』を宣伝するんだったら、ビデオで宮さん撮って、それをテレビで流しますね。ワイドショー枠的なものとかで。それぐらいだと思います。だから『バッタ君』を流すよりは宮さん流しますね。それでこっちにちっちゃく枠でそれを流して、なんか宮崎駿がお墨付き、これ、っていう。そういう風に。
内藤:そこだけ切り取って。
庵野:調子のいいとこだけ切り取って、もう編集して。もう、ほぼ捏造でもいいから、そういう風にして流しますね。それで、あとで宮さんには謝ります。ごめんなさいって。
(以下に続く)
とりあえずどうしてもエヴァをループものにしたいやつはまどマギを楽しみにしたほうがその人のためだし、
巨神兵までエヴァの一部みたいに思っているやつは風の谷のナウシカという漫画を一度は読むべきだし、
ミサトさんひどいとかいってるやつはもうちょっと人の意図というものを読み取る訓練をしたほうがいい。
たしかにエヴァというのは穿った見方をさせようとするような磁場がある。
新劇は、ヱヴァンゲリヲンといったっていいけれど、これは前と違って至極真っ当な物語なのだ。
それは序、破ではみんなわかっていたはずで、
かつてのエヴァにくらべると真っ当だ、ということを強く認識していたはずで。
でもQの極端な急展開にめくらましを食らっている。
繰り返しになるが、僕が強く主張したいのは、新劇は、とても真っ当な物語である、ということ。
そしてどこまでも観客のために作られている作品だということ。
前置きが長くなったけれど、タイトルどおり、まともな見方を提示したいと思う。
エヴァQという作品の肝心な部分は、
碇シンジを観客のラインまで下ろしてきて、感情移入できるキャラにする、というところだ。
正直行って第壱話からぼくはなんでシンジがエヴァに乗ったのかわからなかった。
そりゃ綾波だとか親父だとか、そういった要素で乗ったという論理は捉えられたけれど、
その気持ちを理解できるかといえば完ぺきにノーだ。
時はたち、彼は序、破とどんどん成長していって、シンジさんなーんて呼ばれるような大人びた存在になってしまう。
そこにいるのは僕ら――この二十年近く前のアニメのリメイクをよろこんでみている僕らとは、まったくかけ離れた存在だ。
どうぞエヴァQをクソつまらんといって月9ビブリア古書堂でもみてください。
もともとエヴァの、シンジの魅力というのは、どこか僕ら側にいる主人公だ、という点だったはずなんだ。
それがTV版では話が進むうちによくわからなくなっていって、
旧劇の完全に狂った彼の姿は僕らとはまったく関係ないところにあった。
それとベクトルは真逆の方向を向いているけれど、破でもシンジも僕らとは関係ない存在だったわけだ。
「綾波を、返せ!」というセリフをはじめて耳にしたときの印象を思い出してほしい。
僕はまったくしっくりこなかった。どこかそれは英雄じみていたから。
こんなクソみたいな生活を相変わらず続けているる僕とは似ても似つかないキャラクターだった。
でも僕は破に夢中になった。爽快だったし、ポジティブな綾波やアスカも快楽主義的な立場で可愛さを感じたから。
そしてQだ。はじめて見たときは面食らった。
14年後って設定もヴンダーのデザインもゲンドウのサングラスもなにもかもに。
面食らっているうちに『つづく』の文字が黒背景に浮かんでいた。
見終わったあともしばらくポカーン状態がつづいていたけれど、一日くらい経つと、何か残るものがあった。
見事なまでに、僕とシンジの心象が重なり合っていたのだ。
というより、自分が映画を見ながら思ったことを、シンジが感じていたことだと考えてみると、
とてもしっくりいくことに気付いた。
起きたら14年経っていたときの驚きがまずそうだろう。
あのヴンダーだとかサングラスだとか新キャラだとかの強烈な違和感。
冗談だろと思いながらも、でも14年は立ったんだ、それはまるで旧劇から今までの時間のように、という曖昧な実感。
24話んときはどうもキモかったカヲルくんにも、妙な親近感がある。こいついいやつだな、という。
そしてサードインパクトの結果も、『急にこんなこと言われたってなあ……』という、
そして、『この世界をやり直したい』という強い気持ちと、2本の槍にすがってしまう気持ち。
なにもかもが手に取るようにわかったのだ。
いままでのシンジの行動は、観客が責めることができるか、褒めることができるか、そのどちらかだった。
でもQでの彼の行動は、どこまでも理解できるものだった。
そしてシンジの行動を観客に理解できるようにするには、この構成とストーリーは、必要不可欠であるように思うのだ。
ミサトさんだって『行きなさいシンジくん、とか言ってたくせして、あなたは何もしないで、といってひどいやつ』
みたいなコメントをいくつか見かけたけれど、ちゃんと映画全部見たのか疑うレベル。
もしくは親からも先生からもしつけられたことのないゆとりか。14歳の感想だったらゆるせるけれど。
エヴァQをつまんなかったというひとは、ハリウッド映画みたいなのを期待しているならもう見ない方がいい。
逆に、謎の考察ばっかしてる加持リョウジじみた人は、もうちょっと主人公たる碇シンジの視点によってあげてほしい。
いまさら人類補完計画の全貌がなんだろうが、どうでもいいでしょう? ゼーレの正体とか気になる?
いまだに本気でTV版の伏線まで回収してくれるなんて思っちゃいないよね? 先はどんなに予測しようが何の意味もないし。
伏線の回収なんかより、胸踊るサスペンスなんかより、キャラクター同士の馴れ合いなんかより、
そして14年前、旧劇で『現実に戻れ』とバケツ一杯の冷水を浴びせられながらも、
学びもせずまたアニメらしいアニメを期待していた僕らへの、再びのメッセージなのだ。
しかし旧劇のように、庵野さんは水を浴びせるだけで済ますのではない。
観ることで自分の現実にまで意識がいくように、丁寧に構成を組んだのだ。
そして、僕たちにはまだシン・エヴェンゲリオンが用意されているというではないか。
なんてサービス精神の旺盛な人なんだろうか、庵野秀明という人は。
僕は、エヴァQは一つアニメの新天地を切り開いたと思っている。
少なくとも碇シンジに関しては成立させているように感じた。