はてなキーワード: リメイクとは
ガンダムUCはいわゆる1st世代を対象とした作品なので、その年齢の人間が見て最も気持ちよくなるように作られている。
リンク先の増田もそうだけど、バナージやミネバら若い主人公に感情移入して見る作品じゃあないんだよね。
あのフィクサー気取りのサイアム・ビストはコロニーレーザーの光の中で塵となって消えるか、
でなければミネバに俗物と散々罵倒された挙句に牢獄行きのはずだろう。
権力を築き上げるのに散々利用しつつ世界に混乱をも引き起こしたブツを、過去からの「祈り」として若者に託すなんて
でもこの作品は1st世代向け、要するに老人向け介護アニメなので、
バナージやミネバは老人に対して怒ることはなく、ただ粛々と受け入れて引き継いでくれるのである。
だからこの作品で観客の感情移入先として設定されているのは、サイアム・ビストやジンネマン、ギルボア・サント、ダグザ、ブライト・ノア、フル・フロンタルなどなど、バナージに都合よく未来を託そうと次々に現れてくるおっさん達の群れであり、
だからこの作品が終わることで舞台から退場したのはシャアではなくバナージであり、
だから1stリメイクの予告をすぐに上映できてしまうのである。
まあUCに文句があるわけじゃないですよ。ただ1stガンダムが面白かったのが悪い。
1stガンダムが志の無い作品だったならば、ガンダムUCのこともターゲットをよく考えて作られたエンタメとして割り切ることが出来るのだから。
「ガンダムUC」の最終話ついてちょっと書きたい(ネタバレあり)。
最初に立場を明らかにしておくと、増田は、典型的な富野信者であって、ガンダムプロレスにはあんまり興味がもてない人間だ。バイアラン・カスタムとかシュツルム・ガルスのトコとか、こんな意味ねーシーン全部削って、会話に尺まわせよと怒っていた。そーいう面倒くさいやつが書いたもんだという前提で読んで欲しい。それと後半は電波。富野信者なので。
で、この「ガンダムUC」、MSチャンバラについては絶賛されているが、ストーリーの方は賛否両論がある。だが私は批判することに意味があるのかと当惑している。こーいうのは、主張者が主張した内容をマジに信じている、という前提がなければ、なりたたない。私は、そこが信じられないのだ。
「UC」最終話を劇場で見て愕然とした。「送り手はこの物語のメッセージをまるっきり信じていないのではないか」と衝撃を受けた。この作品に対して、茶番だの陳腐だの説得力がないだのただの二次創作だなどと言うのはいいが、それを一番、自覚しているのは送り手自身なのではないか、という疑念をぬぐえずに今に至っている。
どういうことか。
「ガンダムUC」というのは「ラプラスの箱」という秘密を廻る物語だ。
これはほとんどマクガフィンに近く、中身は実はどうでもいい。とにかくこいつが連邦の中枢により隠蔽されたことで、宇宙世紀の歴史(とニュータイプ思想)は歪み、1stガンダムから「逆襲のシャア」まで続く戦乱の歴史が巻き起こることとなった。しかし歪んでいようが何であろうが、百年続けば、それは秩序の一部となってしまっている。
既存の秩序の維持するため、「箱」を隠蔽するか? 混乱を呼ぶとしても、「箱」を公開するか?
少年たちは後者を選ぶ。たとえ波乱の未来を到来させるとしても、「不正義による秩序」より、勇気を持って「正義による未来」を選ぶ。物語が描くべき正しい選択、正しい若者のあり方だと思う。
かくして宇宙世紀は箱の呪縛から解放される。人の革新=ニュータイプ思想のもと連邦とジオンの戦いが形を変えて繰り返される不毛な連鎖から解き放たれる。これはもちろん、終わることを許されず、次々と続編を創ることを余儀なくされたガンダム産業の比喩でもあり、だからこそガノタの胸に響く。
もちろん、我々ガノタは、その選択の先に待つ「F91」や「V」の時代が、必ずしも希望に満ちた未来でないことを知っている。だが、そうだとしても、「これまでと同じことをひたすら繰り返すだけ」より「失敗覚悟で新しい世界を創る」ことを選択した若者たちの決断は、とても尊いものとして描かれる。
それを見届けて、シャアもアムロもようやく成仏する。一年戦争の呪いから宇宙世紀が解き放たれた瞬間である。
富野信者が、勝手なことしやがってと怒るのはわかるが、しかし、ともかく、それがこの映像が発したメッセージなのだ。
だが、恐ろしいことに、劇場で上映されたこの作品は、実に4年間、7巻かけて書いた結末を、直後にみずから全否定するのだ。スタッフロールが終わり、何が始まるか。
突然に、1stガンダムのリメイク、「機動戦士ガンダムORIGN I」の予告が始まるのである。
http://www.gundam-the-origin.net/
「一年戦争の時代」からの解放をテーマにした物語のラストで、唐突に「一年戦争」がリメイクされますよーと嬉々として宣言されるのである。よーやく成仏できたシャアは30分待たずに現世に呼び戻される。この予告編は意図的に、映画「機動戦士ガンダムⅠ」の予告に似せて作ってある分、余計ループ感は強い。
唖然とした。個人的には「UC」7話はそこまで引き込まれるものではなく(イデオンネタは超大喜びしたけど)、「及第点」ぐらいの印象だったが、それでも感動を返せ、という気になった。本篇終了後即座に全否定される映画なんて聞いたことがない。一体、原作者や監督やスタッフは、どうしてこんな暴挙を認めたのか。本当にそれでいいのか。このあたりの意思決定の構図はよくわからないから、とりあえず「送り手」と一緒くたにする。ともかくこの送り手が、自分で発した「箱の解放」とか「一年戦争の呪縛の終結」とか「歪んで腐敗した旧体制から混乱覚悟で新しい時代へ」なんてメッセージをまるで信じていないし尊重する気もないことだけはあまりに明らかだ。
新しい時代なんて創るつもりはないよ。
え? じゃあ「UC」はなんだったのって? ほらわかるでしょ、本音と建て前ってやつですよ、おたくもニュータイプだったら察してくださいよ、ねぇ。ほら、キュピーン! って。
これはそういう宣言だ。
ハルトーシ少年は継承した「富野の箱」を手みやげにサンライズ財団の重鎮となり、バンダイム・エレクトロニクスのガンプラを売る人になりました……それが4年かけた「ガンダムUC」の結果です、と言っているのだ。おかしいですよ晴敏さん! そんなの富野信者の晴敏さんの言うことじゃないですよ!
そんなわけで「UC」の内容についてまともに批判することの意味を私は見失った。だって送り手が、自分の語った物語を信じてない、それどころか一番ひどい形で全否定を行ってしまっているのだ。今更何を言っても単なる死体蹴り、いや、それどころか、そのような批判こそ、送り手はむしろ望んでいるのだとさえ思えてくる。
つまりこういうことだ。
メチャクチャ単純化すれば「UC」での賛否両論というのは、ガンプラオタクと富野信者の対決である。前者はとりあえずMSVが一杯出てくれば喜ぶし、後者は富野神の書いた聖典に他の誰かが一筆書き入れることなど許さぬと批判する。ガンプラオタク濃度が濃いヤツは「UC」肯定するし、富野信者濃度が濃ければ「UC」否定という話だ(繰り返すが、メチャクチャに単純化すれば、である)。
だが、両者は本当に対立しているのか? 前者の主張は「ニュータイプ思想とかどうでもいいから新しいMSV一杯出せ」であり、後者の主張は「下銭な二次創作者如きが富野神のニュータイプ思想(宇宙世紀史でもいいが)に手を触れることなど一切まかり成らん」である。
この両者は必然的に「永遠に一年戦争の外伝だのリメイクだのを作り続ける」という結論に帰結するしかない。前者は積極的に、後者は消極的にそれを肯定する。そして送り手もまた、それこそを望んでいるのはすでに見たとおりだ。
そうしてガンプラオタクは送り手の造ったMSVのプラモを買い続る。富野信者は彼らを嘲笑うことで「自分こそ富野神の思想を守り続ける孤高のニュータイプ」という立場を確保できる。
しかし、私は富野信者として、そこに安穏とすることはできぬ。そんなことをすれば脳内カミーユ・ビダンが「あなたはいつも傍観者で、人を弄ぶだけの人ではないですか!」とスイカバー突撃をかけてくるからである。散っていたお禿様の髪に顔向けできぬからである。富野信者であるということは、富野を聖典とすることではなく、富野のように生きることだと信じているからである(だから、今度の「Gレコ」だけが本当のガンダムなんですよ、という立場にも私は立つことができぬ)。
(大人しくガンダムを卒業すればよいのはわかっている。それができれば苦労はしないのだ!)
ガンダムはロボットアニメでありサブカルチャーである。ガンダムはビジネスとの兼ね合いの中でしか生まれこないし、それこそがガンダムの強さ、ガンダムの同時代性の源であることは、絶対に否定できない(ガンプラ売りに徹した「ガンダム」は嫌だが、押井守映画のような文学モドキの「ガンダム」なぞもっともっと嫌だ)。
だからハルトーシ少年だって、私が↑で書いたことは百も承知かもしれない。きっと彼は叫ぶだろう。
「やりました、やったんですよ、必死に! その結果がこれなんですよ! 映画の「ローレライ」(と「戦国自衛隊」と「亡国のイージス」)がコケて、右傾エンタメ作家の席は百田尚樹に奪われて、今はこうして富野の二次創作を書いてる! これ以上、何をどうしろって言うんです! 何と戦えって言うんですか!」(註1)
私は、彼に答えるべき言葉を持たない。こんな時は、富野神に還るしかない。神は言っている。
"Century color Million color" ――せいきの色はまんこの色であると。
違う。
ターンAターン、だと。∀だと。全肯定であると。
送り手が自分のメッセージを一切信じていないなら、それを批判して何の意味があるだろう。逆だ。有効なのは、相手が信じていないメッセージを、こっちが文字通りに全肯定してやることだ。つまり∀UCだ。
バナージが何も考えずに箱を開けた、その蛮勇を評価するように、富野のニュータイプ思想を継ぎ、「逆シャア」の先を書こうとした覚悟は評価する。
駄作も愚作も一杯出来るのを承知で、宇宙世紀のその先が語られるのを心から望む。
できるかぎり応援する。
それしか、ガンダムに対し、緊張感を持って向きあう=富野的である方法は、ないような気がするのである。
むろん、それは、終わりのないディフェンスである。
ガンプラオタクからはそっぽを向かれ、富野信者の罵倒に耐えねばならぬ。
しかし、それでも、えんえん一年戦争をリメイクし外伝を造り続けるよりマシだと信じる。
その向こう側に何もなくても――いや、しかも脳波コントロールできてしかも手足を使わずにコントロールできるマシンにセシリーが触手レイプされ、バイク戦艦が街々を踏みつぶし、カテジナさんがオデロもシュラク隊も鏖にして、月光蝶でみんな灰になったあと、全人類が無限力に溶け合って何もかもが因果地平の彼方にスペースラナウェイする哀しみが待っていたとしても――、かまわないのである。
STAND UP TO THE VICTORY!
註1:いや、もちろん田母神俊雄と戦ってくれればよい。ついでに百田も撃てばよい。実は「ガンダムUC」の小説版には、田母神論文事件を露骨に批判した箇所が存在する。詳しくはこちら → http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-388.html。小説版が出た頃には、ただの右のヤバイ人だった彼が、若者の支持を受ける保守系政治家候補となってしまった現在こそ、福井の田母神批判はアクチュアリティを増している。
作りが適当じゃなかったら金を儲けられるとでも
ひとえに作る連中の質が悪い事と、安易な課金商法で売ってきた負い目から
ちょっとは新作とかリメイクとかにも力を入れてますというアピールをしたいだけで、
最近のゲーム会社はアニメの製作に東大京大を入れるように高学歴ばかり取るけど一方で制作進行がしっかり出来る人材とか
プログラミングとか最低限の製作者を入れなかったり育てなかったりが一番の原因だと思う。
まず製作者に全くやる気を感じないし、この間出たドラクエ456の安易な劣化移植とかテイルズオブシンフォニアのHD移植なんかを見ると分かるけど
単なる移植どころじゃなくて移植の意味すら理解出来ずにやたら名作をレイプする、そこに何の意義もないし、
それだからリメイク商法だ、拝金主義だとファンに呆れられるわけ。
そしてファミ通とかイベントでプロデューサーが言い訳がましく、あれは俺のせいじゃないとか外注先が悪いとか責任転換するけど
思い出補正もあるけど。
CLANNADは長すぎたけどそれなり。
真EDの父親とともやの画像で、たぶん他の人よりも感動できなかったから個人的にいま一歩的なイメージ。
なんであれが各所で持ち上げられてるのかわからん。個人的には唐突すぎた。
智代アフターは最後の最後のいろいろぶち壊し感がひどすぎた。それまでは普通によかったけど普通すぎて印象がない。
ギャグも全然だしキャラも微妙。ストーリーもつまらん。最後らへんのきょうすけのグリリバが泣くセリフあたりもすっげー冷めた目で見てた。
あと全体的になんかクドすぎる。わふー。そっちのクドじゃねえ。
寒すぎる。ミッションスタートだ!!とか。うわあ・・・って感じ。
エンジェルビーツ?アニメからして微妙だったからゲームはまずやらない。
MOONはやってないな。
そういやONEもやってない。絵とシステムだけ変えてリメイクしてくんねーかな。
なんだろうな…kanon、AIR、ついでにCLANNADは今でも好きだって思ってるけど、そんな状態でプレイしたリトバスがまったく自分に合わなくて面白くなかった。
何が違うかってーとやっぱり年齢とプレイした状況だと思う。
AIRもkanonも中高生の鬱屈したときにプレイして、CLANNADは就活前のモラトリアム期間とかそんなときにやった。
単純に世間知らずで夢見がちで自分からそういうものを求めてたんだな。
だからもうそういうものを求めちゃいけないみたいな自制が無意識に働いたとかいやそんなことねえやっぱりリトバスは俺には合わなかったというだけだ。
とにかくそれ以降、就職してからはkey作品と向き合えなくなった。
関係ねーのかな。
受け手の問題じゃなくて作り手が変わったってのもありえるか。
うーん、リトバス以降のkeyがなんか生理的に受け付けなくなった、でもそれより前のは好きって人どんくらいいるんだろう。
涼本と久弥にはそんな感覚はない。新作目にする機会がないだけだけど。
わくわくするようなゲームがやりたい。でも何やってもつまらない。
本当はポケモンやりたいんだ。金銀リメイクのころはちょっとした廃人プレイをやってたくらい、ハマった。
でも最近どうもついてけなくなっちゃって、育成する時間も(気分的に)作れなくなってしまった。
勝てないのがつまらないんじゃない…と思う。昔も勝ててなかったし。それなのにすごい楽しかった。変な型ばっかり作ってた。
今と昔だと何が変わっちゃったんだろう。やっぱりおっさんになって気力がなくなったんだろうか。まだそこまで年取ってないと思ってたのになあ。
wifiコネクションが終わる前にバトレボ(wiiでポケモンのランダム対戦できるソフト)で昔育てたポケモン達で戦ったら昔のワクワク感が蘇ってきた。となると、ポケモン側が変わったんだろうか。
このデッキはそのゲームの環境に応じて柔軟に姿を変えるデッキで、
使いやすいメタカードを多種多様な色から選んでくみ上げるデッキです。
「フェアリーバレット」の「フェアリー」は主軸となる色であるフェアリータイプから、
「バレット」はTCG用語の「シルバーバレット」から来ています。
詳しくはこちら http://mtgwiki.com/wiki/シルバーバレット を参照してください。
簡単に言うと、グーに対してのパー、チョキに対してのグー、パーに対してのチョキだと思ってください。
不安障害、パニック障害、うつ病、うつ状態、統合失調、色々な病名が付けられては、とられを繰り返しはや数年が立ちます。
これらをまとめて心の病と呼んだときに、これらへの銀の弾丸、シルバーバレットはあるのでしょうか?
それは死ぬことです。
前置きのカードゲームでも、フェアリーバレットとあたったら、リアルファイトで殴り殺せばいいのです。
死ぬのが無理なら、オーバードゥースなり、リストカットなりをして嫌なことから目をそらせばいいのです。
そんなわけがありません。
死にたくないから、今こうして辛いのを我慢してるのです。
カードゲームで喩えるなら、負けたくないからメタのメタを考えているのです。
僕は生きて11月発売のポケモンリメイクをプレイしたいし、9月発売のXboxOneを楽しみたいのです。
弾を銃身にこめるまでは、していいわけでもありません。
銀の弾丸とまではいかなくても、ほどほどに相手に聞くアイテムが欲しいです。
それが、今では薬です。
でも我慢してます。
本当はもっと飲みたいんです。
我慢してます。
GWが普段より長い休日という意味しか持たないオタク社会から断絶されたぼっちリーマンにとって、
部屋整理をするうちに出てきたニトロプラスの0年代のゲームは、たぶん格好の時間つぶしなのだろう。
飯も食わずに斬魔大聖デモンベインをぶっ通しでやり続け、
Dr.ウェストに腹を抱えて笑い、エルザの攻略ルートが本当になかったのか、かつてと同じように悩んでしまう。
今日は「鬼哭街」CD-ROM版(もちろんリメイクする前)だ。
インストール時にドライブが立てる掃除機のようなあのけたたましいブオオオォォっという音は何度聞いてもいいものだ。
下のバナーが「Hello World」の宣伝で、やべー懐かしいと独り言のように繰り返してしまった。
Startしてから先、いきなり女性が襲われているが、抜けないので次へ。次へ。
行き過ぎて、ホイールロックを回したら更に先へ進んでしまった。
先へ進んだ。
後戻り機能ないぞ、これ。
序盤なので、再インストールし直した。
○朝食
○昼食
○夕食
マーボードーフ丼の予定
○調子
また少し落ち目に。
とはいえ、増田やはてなを通じて知り合った友達がいるボッチじゃない新しい自分なら
きっと復活も早いだろうと気楽に構えている。
メイズの裏切りと決戦。
こうしてみると、信頼していた人が裏切る展開ゲームが、ブルードラゴンに続いてだなあ。
そして、ブライアローズ(この人結局なんなんだ?)と共にジャックの野望を阻止する流れ。
で、あれやこれやあって、力か姉かを選択する流れに。
家族のために力が必要で、悪をやっていたわけで、ここで姉を選択しない理由はない!
こういう「選択」を迫られるゲームは面白いなあ、次はマスエフェクトシリーズでもやろうかなあ。
(今日だけで三回フリーズして、Fableへのやる気がなくなってる)
ここでは、今までの仲間を生け贄にするかの選択を求められるが、当然生け贄にする(だって手っ取り早いし)
と、こうして物語は終わった。
うーん、正直、フリーズ祭りのせいで途中からやる気がうせて、さっさとクリアしちゃったなあ。
まあでも、ノットホール島とか、テレサとか、バウアーストーンの市長とかFable2に繋がる話を理解できてよかったとしよう。
○Fable2
とまあそんなわけでやらないんだけど、実はこのゲームは珍しく少しプレイして積みゲーにしている。
子供時代をおえ、バウワーストーンまで行きテレサと合流する寸前で積みゲーにしている。
あらすじも何となく思い出せたので、今度はちまちまやっていこうと思う。
(なにより不動産で金が山ほど手に入ったしw)(不動産の家賃はリアルタイムの時間によってもらえるので半年ほど放置していたから山ほどお金が貰えた)
つ、疲れた。
風邪引き開けにはツラいわ。
○朝食
○昼食
○夕食
ころうどんの予定。
○調子
普通に戻った。
熱もない。
○Fable1リメイク
ブルードラゴンの二週目もしたいし、ロストオデッセイもしたいけど
「悪さするんじゃないぞ」と父親らしき人物に言われるが、
「悪さしまくりだぜ! ヒャッハー!」という気分でゲームを開始。
「世の中のルールを守ることだ」なんて言われるが、今日の気分は俺がルールだって感じだぜ!
さっそく、浮気をしている男から金をふんだくり、浮気は内緒にしておくことに。
悪は他人の悪に寛容なのだぜ!
さらにさらに、大切な商品を俺の物にしてやる(たかが一ゴールドだけどさ)
他人を信用する奴が悪いのだぜ。
さらにさらにさらに、クマのぬいぐるみと遊んでいるというだけで他人に暴力を振るう!
そのぬいぐるみを安値で売っぱらう、これぞ悪! これこそが悪なのだよ!
今更、衛兵が来て俺に注意するが、逆に暴力で殴り返してやった。
悪はそれより強い暴力に何もできない。
僕はくやしかった……
俺は、もっと、さらに上の最上級の悪になることを誓ったのであった。
そして、自称英雄のメイズにつれられて、英雄ギルドに所属することに。
英雄ギルドでの訓練を重ね、青年へと成長し、英雄見習いとなった。
青年編
チュートリアルをかねて色々と訓練をした。
天性の魔法使いと評されたので、魔法使い、それも悪の魔法使いを目指すことに決定!
大人編
やっと自由に。
さて、ナニをするかなあ(ニヤニヤ)
とりあえず衛兵を二三人ぶちころしてきた。
さて、色々あってついに選択を求められた。
山賊たちの味方をするいか否か、敵と同じ山賊と同じことをしていいのか?
いいに決まってるんだよね! 自分の村のことと他人の村のことは全くの別物なんだから!
なんだったら、果樹園を襲撃したあと、山賊を皆殺しにすればいいんだよ!
というわけで「果樹園の襲撃」を選択。
山賊皆殺しイベントや、一般人生け贄大祭りイベントなどをこなし、楽しくゲームをプレイしていた。
さらに、姉のテレサとの再開、元英雄ツインブレードを倒したりとストーリーもこなした。
姉のテレサが山賊とともに暮らしていたのは、今の自分と境遇が重なるようで物悲しい(英雄とはいえ山賊みたいなもんだし)
(一般人生け贄大祭りイベントは未だ途中。あと10人ぐらい生け贄にしないといけないみたい)
ホワイトウルヴァリンの犠牲エピソードはベタだけど、ちょっち感動した。
が、悪はそんなことではひるまない! 金だ! 名声だ! すべてをよこせ!
英雄の中の英雄ブレードジャック、かなり怪しいね。ころしてー。
さらにアリーナでは、幼馴染みとも言うべきウィスパーと殺し合い。
そして現れる
「過去の栄光とくだらない家族の絆にいつまでしがみついてるの?」
という、今までのストーリーを台無しにする、まるでめだかボックスの球磨川のような
レディーグレイ登場!
正直、四月から始めたゲーム日記だが、これほどまでに萌えたキャラは久しぶりだ。
(僕は男のキャラの方に燃えることが多いので、女キャラに萌えるのは本当に久しぶり)
レディーグレイ、なにがあっても俺のものにしてみせる! みたいな気分です。
「過去の栄光」は帰ってきた英雄ブレードジャックや主人公達の母親を
「家族の絆」は当然、主人公達の元英雄の母親と姉のテレサをさしていて、
妹を失ったサンダーだけでなく、主人公自身への皮肉にもなっている。
(時系列上、この時点では主人公達の母親が過去の栄光と関係あることは、知らないのだけれど、面白い対比ですよね)
さて、そんなわけでレディーグレイを落とすために、色々とクエストをこなしていくことにすることにした。
ところが、この女とんでもない大悪人だった。
なんと姉を殺して市長の座を乗っ取ったのだ。
しかし「でも、そんなことあんたには関係ない」と堂々と言い放つ。
まさに悪の俺にふさわしい結婚相手と言えよう。
もうズキュンバッキュンですわ。
「何故、彼女にはお前の腹黒さがわからないのだ」というレディーグレイの恋人にして、殺した幼馴染みのウィスパーの兄サンダーの言葉が滑稽でしょうがない。
腹黒さって何だよって感じ、げらげらー。
いやー悪いっていいことだったんですね(無知)
その後、母親のスカーレットローブを助けたり拷問されたり母親を助けたりした。
ぶっちゃけ、この辺からフリーズが連続して怒って苛立ってしょうがなかった。
もう少しでクリアっぽいので、頑張ろうと思う。
でも、本当もうフリーズは勘弁して欲しい。
これが終わったらFable2へは行かず、癒される系ゲームでもしよう。
もう悪いことはコリゴリだぜ。
正直そこまで東大卒ばかりというわけじゃない。
そいつ曰く、同期は専門卒ばかりで内心焦ってるだとか。
恐らくグリーとかDeNAみたいなソーシャルネットワークサービス(通称SNS)系の新興ベンチャー企業じゃないかなと思う。
少なくともカプコンはそうでないみたいだし、他には任天堂も子会社含めて第三者から見ておかしいなっていう基準で以って
採用活動をしていると聞いた。
あるいは、そういう会社に入れない人のやっかみかもしれない。
逆に入ってみたはいいが理想と現実のギャップに驚いて辞めてしまうのかもしれない。
そういった人達が2ちゃんねるやら増田やらに書き込んでいるのだとすると、
でも東大卒に限らず高学歴の人達が入社する事によるゲーム業界のメリットはどうなんだろうとは思う。
かつてとあるゲーム業界の重鎮であったある人曰く、「面白いゲームを作ろうという人が減った事が直接の原因ではないか」と思われる。
蓋を開けてみれば、昨今は課金商法やお馴染み未完成商法(改良版を同年中に発売する、劣化リメイクを作る等)が業界を賑わせているのを見ると
ファンが買い支えてきたという根底にある心情を蔑ろにしたかのような、プロとして一ゲームファンとしてあってはならないような作品を出して
一番問題なのは、当のゲーム製作者というのがその事実に全くもって無関心な事だ。
それを東大卒ないし高学歴がゲーム業界に進出したのが原因なのだと断定してしまうのは些か性急ではないか。
むしろ高学歴が入社しているにも拘らず、グローバル化や多様化に対応できなくなっている事の方がゲーム業界が廃れたのだと感じてしまう。
状況はこんな感じ。
飛び道具だと弾数の心配があるし、ヘッドショットを決めるのって難しい。
オノは抜けなくなるから論外。日本刀は2~3体ぐらい斬るとダメになるだろうな。
スコップはなかなか使えそうだと思った。押す、叩く、切断する、などができそう。
あと、やはり「槍」が最強だと思った。特に真田幸村が使ってるような十文字槍。
「槍だと刺さって抜けなくなるでしょ?」と思うでしょ?
違うんだな、足を狙って、移動を奪えばいい。
屋内だと、手前のやつの足を槍でザクザクやれば倒れて、後ろの奴もどんどん倒れる。
屋外でも、走って逃げつつ、近づいたゾンビは足元を狙ってザクザク。
倒れたところをトドメ指してもいいけど、フィニッシュ用の大きめのアイスピックが欲しいかも。
更にカーズみたいに腕に刃物をつけておきたいね。万が一近寄られた時のために。
あとアレ、武器じゃないけど鎖帷子を体に巻きつけるのは防御的に重要だと思う。
ヘルメットかぶって、登山靴をはいて、革のグローブをつけて、万が一かまれても
貫通しないような衣類を身に着けておくことが大事。
そうすればロメロゾンビの世界も、ウォーキングデッドの世界も、生き残れる気がする。
やってなくてもわかる、ドラゴンクエストモンスターズスーパーライト (DQMSL) のガチャの敗因と背景くわしいまとめ
なお、筆者はまだ課金してなかった (課金ガチャはログインボーナスと詫びジェム貯めて引いた)
あと、ガチャの是非について。ガチャがあれば他の課金要素をゴツゴツ用意する必要がないことは大きいと思うんだ。
ガチャをやらないと、以前2chで叩かれたGREEの無料釣りゲームみたいに「無料の竿だと釣れない。2000円の竿を買ってやっとスタートラインに立てる。しかも竿はたまに壊れる。」とか、「モンスターが仲間になりたそうにこっちを見ている。 →無料で誘う(仲間になる確率10%) →200円で誘う(100%)」みたいなゲームを破壊する要素を沢山入れないと、なかなか基本無料での展開が成立しないから。それだったらもうガチャありでいいよ。改訂前の DQMSL みたいな凶悪なのはやだけど。
かつてのドッドッドリランドとかのような、無課金を客として見てなかった時代と違い、モバグリの魔の手を離れたこととパズドラの影響で課金アイテムが頻繁に配られようになったので、「無料でも遊べるし、足りなければ課金する」という流れができたのはまぁいいんじゃないかなと (ソシャゲ初のガチャゲーであるドラゴンコレクションは無課金でも楽しめたんだけどね。後発はドラコレのガチャビジネスだけ真似されて、運営の良心はなかなか真似されず、パズドラでモバグリが廃れるまで業界を荒らされまくった)。
さらに別に基本無料のゲームが増えたからといって、買い切りのゲームがなくなるわけじゃないし。ましてやドラクエモンスターズは3DSでリメイク出たばっかだ。