はてなキーワード: スケープゴートとは
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おっしゃりたいことはわかります。しかしその前にそもそも、あの動画は炎上が先にあって、そのバイアスからそういう解釈をする人が出てきたのだと思っています。「不穏な割に~」ももちろん理解できますが、炎上のバイアスがなければもっと違った反応だったのではないかとも思います。
あまりに馬鹿馬鹿しいと思ったので書きませんでしたが、あの動画には、「あらすじ、簡単な説明が文章で書かれている」のです。
説明文と映像本編を理解する手間をすっ飛ばして、出来もしない下手な考察や、裏の読み取りや妄想を披露していた人の言葉などに価値があるとは一切思いません。説明書を無視して騒ぐクレーマーとまったく同じですよね。勘違いさせる方が悪いのだ、というのがそういう人の論理でしょうが、果たしてそれだけでしょうか。
普通は説明文と実際自分が手にしたもの、見た物が違うと思えば、まず照らし合わせて考えてみるのではないでしょうか。そういう目で見れば、あの映像は簡単にわかるようによく作られているよ、というのがあの増田でした。そもそもわかりやすい=よくできている映像、でもありませんよね。(CMなのでそこは難しいところですが)
疑問の声を上げる人の気持ちもわかりますが、一足飛びに妄想を押し付け強い言葉で罵り拡散することを正しいとは思いません。(もちろん、あの動画に一切問題が含まれていないとは思いませんが)
今回は、多くの人にとって炎上が先にあって、そこでの非難の内容がバイアスになって、動画におかしなミスリードが「加えられた」のだと思っています。「動画の主人公がいかに『家族思いのパパ』だと勘違いしてる酷いCMか、見て!しかもみんなが好きにヘイトをぶつけても許される電通だよ!叩く要素はばっちりだよ!」という意味の拡散がされているのです。
公式の説明より先に、こういう感情的で刺激の強い表現を見てしまえば、そちらに何らかの形で引きずられるのも当然だと思います。だからそういうバイアスの影響下で見てしまった人に、少しでも伝わればと詳しく説明してみました。あの文章が嫌味ったらしいのは、あんなくだらないバイアスに簡単に引っかかるなよというイラ立ちからです。
また、あの増田は長い割にわかりにくくてすみませんが、「誕生日=生まれ変わり」はわかって当然、などということではなかったです。他にもオープニングとエンディングで同じ状況を見せていたり、映像を見れば主人公の変化を描いている、その詳細もわかる箇所はたくさんあるよ、誕生日はその一つだよという説明でした。
一見して内容がわからなくても、あの構成なら普通はラストで変わった箇所がどこなのかをちょっと考えますよね。序章と終章が対になっている小説と同じです。もちろん考えなくても全然いいです。しかし、映像が描いていることを無視して、僅かな箇所から自分に都合のいい要素を拡大し、違うメッセージ、本来自分の中にある思想のためのスケープゴートにして叩く、またそれを拡散するというのは、非常に嫌な嫌な行為だと思います。
ジェンダーロールなどは社会的な問題だと思いますが、なぜわざわざ物凄く個人的な内面のわずかな変化を追った、一企業の作品を槍玉にあげるのかがわかりません。代理店がらみの問題など、最近はCMを叩くと炎上させやすく簡単に正義を気取れるからだと思いますが。あの話は一貫して主人公視点です。「主人公の目からそう見えている」という作品なので、歪みがあるのは当然です。そしてそれを克服するストーリーです。一人称で個人的な内面の変化を描く小説と同じです。攻撃対象としてそもそも正しいのでしょうか。
BLはファンタジーと言えば「搾取側の言い逃れだ!」と叩かれBLはリアルだと言えば「女に同性愛者の何がわかる!」と叩かれる。
「腐女子は差別されて当然の存在」などと自らを蔑めば(ホモォ騒動が良い例)同性愛者から「同性愛が差別されて当然なのか?」と反発がくる。今回のように「腐女子だってヘテロ好きと同じように扱われるべき」と権利を主張すれば幅広い層から「すっこんでろ。腐女子キモイ」と言われる。腐女子以外の女オタからは「あんなやつらと一緒にしないで」と叩かれる。
BLといえばR18と思われエロ嫌いな人からも攻撃を受け、さらに腐女子=二次創作のイメージも強く著作権に敏感な人から見ても非常に叩きやすい存在。腐女子は見る側にとって最も都合のいいスケープゴートなのだ
世の中の大多数の意見におもねり「普通の人間なら異性愛主義者。まったくその通りですわ。同性愛は特殊性癖です」と腐女子が自認した場合、当然NL表記するし「ワンクッション」「同性愛注意!」など身内での自重ルールが厳しくなる。
しかしそうなると今度はセクシュアルマイノリティからこうお達しがくる。
「同性愛はアブノーマルでも隠すべきものでもない!腐女子は我々を搾取した上差別に加担している!」
今度は腐女子はセクシュアルマイノリティにおもねる。「同性愛が特殊扱いされるのは差別。まったくその通りですわ。差別に加担するなんていけないわ。」
すると「性的搾取の加害者の分際で理解者ヅラするな!」とまた叩かれる。
この場合身内での自重ルールはゆるくなる。注意書き、ゾーニング基準は個人の判断に任せられ任意となる。結果世間の目にさらされることは多くなり、再びマジョリティを自認する層に叩かれる状態に戻るわけだ。
腐女子はこのように常に両手を逆方向に引っ張られているのが現状。
サヨるのはホコリが無いから。ネトサヨとか(「オルタナ左翼」と訳されているやつ)とかいう群れは典型。
ホコリが無い、つまり、尊厳の自覚が欠けている、自己肯定感が足りないから、権威権力を引きずり落とさないと自己を保てないのである。
近年は「中国共産党」に依存したがる人々が増え、そしてそれにあやかって収益をあげようという組織がサヨサヨしている。北朝鮮がミサイルを発射したこととは相関関係はある。けれども、戦後の混乱期の頃から既に、少なからぬ人々が共産主義に傾いた。己の不安定感から、共産主義国家を指向した。
バブル崩壊から続く底なしの不況、経済縮小の中だから、そういう依存気質を利用してでも稼ごうとする組織の方が多い。宣伝する広告代理店とかマスメディアとかも、やはり、そうなる。
他方の欧米では近年は、例えば「LGBTブーム」が起こっているけれども、多くの組織は「稼げるからLGBT支援」であって、尊厳の問題で支持している理解者はそう多くはない。だからギリシャでは共産主義者が横行し政権がサヨっている。ネトサヨを利用していてなんで政権が獲れるのかって、その方がその実、カネが動いている、少なくとも、動く期待がされているからだろう。
社会的弱者は、声を上げ、声を大きくしていかないと、死ぬ。他方のネトサヨっていうのは、ホコリが無いから、「俺にも平等に言わせろ」と主張して社会的弱者を苛める言説を垂れ流し、それを「表現の自由」であると強弁する。
共産主義みたいに権威権力を独占する、例えば「歴史」(偽史)や「民族」(虚偽の民族)に依存するのにしてもそうだし、「あかはた」とか「マルクス・レーニン主義」とかに精神性を依存しないと自己を保てないような奴にしてもそうだが、自分より強い奴に依存しないと自己を保てないような奴。そうすると、自分と同質の奴なんだけれども、異質で自分と馴れ合わない(そもそも本質的に馴れ合えない)奴があるのは不愉快で癪なのであろう。己のホコリの無さを、ホコリをもっている異質な者に対して投影して、相手のせいにして苛める。
共産主義、言い換えれば社会主義というのは、強い奴が中くらいの奴らを苛め、中くらいの奴らは強い奴に依存して生きて、そうやって苛めがより下層の社会的弱者に押し付けられるシステムである。簡単にいうと、共産主義というのはファシズムである。共産主義とかいうのは本質的に、ロシア革命から連綿とファシズムが確立されてきたのであり、革命中だけの問題ではない。文化大革命やポルポトの時代には、共産主義の理屈が主に都市部に浸透させられていった。そうしないと統治体制(治安)が保てなかったからだ。普通に大虐殺が行われ、総括、見せしめ、スケープゴートをつくって引き締めないと成り立たないファシズム国家だった。
今も、文革時代の文化を礼賛する言説が横行しているけれども、それは言い換えればファシズムだ。それこそ民主主義社会の立場から見るとこんなん嘲笑の的だ(笑
ホコリが無いから、ホコリホコリと盛んに言うのである。自己にホコリが無いからサヨクのホコリとか言い、ホコリが無いから世界に認められる「箔」を欲しがり、革命だ革新だと言うようになる。そして多くの組織は、そういう「箔」を利用して稼ごうと必死である。なにせ今の日本は貧しいから、貧困が比較的マシの連中は共産主義に懐く。
ウヨるのは誇りが無いから。ネトウヨとかalt-right(「オルタナ右翼」と訳されているやつ)とかいう群れは典型。
誇りが無い、つまり、尊厳の自覚が欠けている、自己肯定感が足りないから、権威権力に依存しないと自己を保てないのである。
近年は「日本」に依存したがる人々が増え、そしてそれにあやかって収益をあげようという企業がうようよしている。安倍政権が成立したこととは相関関係はある。けれども、東日本大震災の頃から既に、少なからぬ人々が国家主義に傾いた。己の不安定感から、国家という概念に懐こうとしていった。
バブル崩壊から続く底なしの不況、経済縮小の中だから、そういう依存気質を利用してでも稼ごうとする企業の方が多い。宣伝する広告代理店とかマスメディアとかも、やはり、そうなる。
他方の欧米では近年は、例えば「LGBTブーム」が起こっているけれども、多くの企業は「稼げるからLGBT支援」であって、尊厳の問題で支持している理解者はそう多くはない。だからアメリカではalt-rightが横行し政権がウヨっている。ネトウヨを利用していてなんで政権が獲れるのかって、その方がその実、カネが動いている、少なくとも、動く期待がされているからだろう。
マイノリティ(社会的弱者)がプライド・パレードとかやると、マジョリティ(既得権益者層)から「俺もプライド・パレードやる」とか言うバカが出てくる。なにがバカって、社会から既に尊厳を認められている奴にはアピールする意味は無いから。けど、やりたがる奴が必ず出てくる。なぜなら、そういう奴らは、誇りが無いから。
マイノリティは、誇りをもっているけれども、社会から迫害されているから、生きるためにアピールしないといけない。他方で、権威権力に依存することで既得権益をもっている奴には、誇りが無いから、「俺にもアピールさせろ」となる。
社会的弱者は、声を上げ、声を大きくしていかないと、死ぬ。他方のネトウヨ(alt-right)っていうのは、誇りが無いから、「俺にも平等に言わせろ」と主張して社会的弱者を苛める言説(ヘイトスピーチ)を垂れ流し、それを「表現の自由」(free of speech)であると強弁する。
国家主義みたいに権威権力に依存する、例えば「歴史」(偽史)や「民族」(虚偽の民族)に依存するのにしてもそうだし、「富士山」とか「東京スカイツリー」とかに精神性を依存しないと自己を保てないような奴にしてもそうだが、自分より強い奴に依存しないと自己を保てないような奴。そうすると、自分と同質の奴はナカーマなんだけれども、異質で自分と馴れ合わない(そもそも本質的に馴れ合えない)奴があるのは不愉快で癪なのであろう。己の誇りの無さを、誇りをもっている異質な者に対して投影して、相手のせいにして苛める。
国家主義、言い換えれば封建主義というのは、強い奴が中くらいの奴らを苛め、中くらいの奴らは強い奴に依存して生きて、そうやって苛めがより下層の社会的弱者に押し付けられるシステムである。そして、そういう構造によって統治が実現せられている。簡単にいうと、封建主義というのはファシズムである。日本とかいうのは本質的に、江戸時代から連綿とファシズムが確立されてきたのであり、戦時中だけの問題ではない。江戸時代には、武家社会の理屈が主に都市部に浸透させられていた。そうしないと統治体制(治安)が保てなかったからだ。普通に残虐刑が行われ、厳罰、見せしめ、スケープゴートをつくって引き締めないと成り立たないファシズム国家だった。
今も、江戸時代の文化を礼賛して日本古来の文化とかいう言説が横行しているけれども、それは言い換えればファシズムだ。実際には古来の文化ではない。それこそ京文化の立場から見るとこんなん嘲笑の的だ(笑
誇りが無いから、誇り誇りと盛んに言うのである。自己に誇りが無いから日本人の誇りとか言い、誇りが無いから世界に認められる「箔」を欲しがり、オリンピックだの世界遺産だの欲しがるようになる。そして多くの企業は、そういう「箔」を利用して稼ごうと必死である。なにせ今の日本は貧しいから、貧困が比較的マシの連中は権威に懐く。
バニラエアの件、航空会社のバリアフリー・サービスとしての問題、一部利用者による企業への業務妨害としての観点など、いろいろと話題になっているけど、身内に車椅子を利用する知的障害者がいた観点から参考までに過去の体験と感想を記しておきたい。
今から10年以上前、ある国内大手の運輸系会社が主催する知的障害者を対象とする欧州へのツアーに家族として参加したのだけど、その旅で鮮明に記憶に残った出来事のひとつとして「成田空港でのVIP待遇」がある。
何がVIP待遇だったかと言えば、飛行機に乗るまでの経路が一般客や自力で歩ける障害者とも全然違っていて、おそらくは航空会社の関係者しか使えない通路、エレベーターなどを駆使してショートカットしつつ、かつスタッフがずっと先導してくれて何の問題もなく飛行機に乗ることができた。あんな体験は、あの時が最初で最後になるだろう。
そんな待遇だと旅費が高いのではと思うかもしれないけど、当時の一般的なツアー価格からしても、医師が同行してくれる海外旅行としてみれば納得の金額感だったし、であれば、あの空港での対応は別途費用が発生したものでなくて、事前の通告、そしてきちんと交渉してくれる人(企業)がいれば、無料のサービスとして提供してくれるものだったのではと考えている。
10年以上前なので当然航空会社はLCCではないし、障害者向けツアーであったこと、本人が知的障害者であったことなど相違点は多い。ただそれでも、今回のバニラエアの件で航空会社ばかりを批判する意見は、今のご時世に必要とされるだろうスケープゴートの類に思えて違和感を感じざるを得ない。
今回の件の中心人物は自ら声を上げることのできる方で、身体障害さえなければおそらく自らの才能でいろいろご活躍されるような人なのではと思う。
そうした人たちが、いつまでたってもバリアフリーとは言い難い社会の差別的な仕組みに反発する姿勢には自分も共感するし、「母よ!殺すな」の横塚氏は尊敬する人物の一人でもある。
世の中には声を上げることもできない障害者の方もいて、そして、いつもは批判の対象になる大企業も、そうした人たちに対して今問題になっている方向とは別の意味での差別(優遇)を無償で行っていることも、もっと知られてもいいのではないだろうか。
こうした差別や優遇が、相手がどんな人であれサービスされるようになる社会こそが真のバリアフリーであり目指すべき社会なのかもしれないけど、そこを語るのなら、提供される金額の多寡でサービスを差別化するのが当たり前な資本主義経済の構造にも言及しなければ片手落ちになる。
ただ、そうは言っても、それじゃ今の日本での「声なき障害者への福祉」は文句のつけようのない立派なものなのかと言えばまったくそう思わないし、そうした意味では、現在厚労省が実施している福祉制度には、今回の件で批判されている方以上に文句を言いたいことがあるかもしれない。
横塚氏が勝ち取ったはずの脱施設の概念もいまとなっては形骸化し、ただの予算削減に利用されているように見受けらる。
こうした問題は、それこそ横塚氏のような当事者が政権内部である程度の権力でも持たない限り変わらないものなのかもしれないが、それと同時に、今回のような件で、マスコミ、そしてそれを受け取る市民の側での理解の深化も、また不可欠なんだろうと、そう思う。
似たような経験がある。俺の場合はやめてくれと言った内容をエスカレートされ続けた結果、二日に一度くらい麺無し二郎のようなものが出てくる生活が五年以上続いた。当然胃を壊した。というか食事をすると必ず腹を壊す体質だと思っていたものが刺激物を盛りまくった不健康な食生活のせいだったということが異常な食事を止めた後で分かった。
自分の手が触れた食べ物を他人の口に入れて反応を見るということに並々ならぬ執着がある人で、今は近所の人をスケープゴートにしているらしい。元増田嫁が「ちょくちょく繰り返す」のは「今回こそは増田にアツアツのご飯を食べさせられるかもしれない」というマインドでやっていると思う。おかずを出す前に飯を盛るとか飯を冷ます団扇を用意するくらいは物理的にはなんでもないはずだ。しかし用意することは許されないのだ。それは増田が冷めた飯を食うかどうかを増田自身ではなく嫁が規定したいと思っているからだ。
田舎の家に生まれ、高校生の頃に祖母が出て行って両親が離婚した。
自立心が強く後にフェミ活動家とか市民活動とかにのめり込む祖母は常に自身の人生の充実を探求しており、子育てにはまるで興味がなかった。
祖父母ともに気性が激しかったため怒鳴りあい殴り合いのケンカも頻繁にあって、
母の妹である叔母はグレにグレていたらしいので、話を聞く限り色々と機能不全な家族だったようだ。
高校卒業後、東京の美大を目指して東京で絵の予備校に通っていたらしいが、田舎娘ゆえに警戒心が薄かったのか、電車で毎日のように痴漢に遭いまくって、
乗る電車を変えたりしても別の痴漢に狙われるなどして解決せず、最後には恐怖で部屋から一歩も出られなくなり、予備校に通えなくなって半年もたずに帰郷。
卒業後、ファッションビルの雑貨店に勤務。ポップとか描いていたそうだ。
恐らくこの頃にライブハウスか飲み屋で父と知り合い、結婚し、バブルがはじけるころに俺を生む。
父の家は観光地で食堂をしていたので、嫁なら当然ということで毎日無償労働。
父が家に入れる分以外の収入は一切なく、雑貨店勤務時代の貯蓄を切り崩しながら生活。
父方の祖父母は年金なんか馬鹿の払うものだという考えの持ち主だったため、10年近く無年金。
父方祖父がアル中で手が動かなくなってきていつ引退するかわからない状況になり始めるが、父が一向に調理師免許を取得しようとしないため、
営業許可に関わるので念のため父と相談して母が先に取得したところ、代々続く店に女の名を掲げて恥をかかせる気かと祖母になじられるなどする。
父は数年後に1回落ちたが調理師免許を取得し、ギリギリ祖父の引退には間に合った。
その後、父が金がない景気が悪いと言って家にあまり金を入れずに、150万円規模の趣味の楽器を無断で購入していたことが発覚し遂に離婚。
大手眼鏡チェーンでパート店員として勤務、ようやく年金に加入。
母子二人の生活が貧しいながらも軌道に乗り始めたところで、田舎の祖父があちこちガンになって手術連打。
車で片道一時間かかる病院に通うのが大変という話が出はじめ、叔母は親に反発したまま大人になっていたので、やむを得ず俺を連れて帰郷。
祖父は帰郷後一年ほどで死没、死にかけてるくせに皿が飛び交うような言い争いを何度も見た。
飢えるとその辺の草を躊躇なく食いまくる俺の発達障害が発覚したりする中、母は調理師免許を使って公営のデイサービスセンターの昼食係に契約(嘱託?)職員として就職。
何年か問題なく勤務して契約年数も残っていたのだが、町が方針転換して施設の食事を業者に委託することになったため突然クビを切られる。
見かねた施設長に介護員として拾われて同じ施設の介護職へ転職、介護福祉士やケアマネージャーの資格を取りながら何年か働くが、
町の規定で契約が何年までと決まっていたらしく、契約満了となり民間の小規模施設へ転職。
同時期に体調が悪化、後にメニエール病であることが発覚して投薬治療が開始されるまで車での送迎業務ができない状態になる。
離れて暮らす祖母とはずっと交流を持っていたが、祖母からお金をただ貯金していることを散々馬鹿にされ、
祖母が利益を上げまくっていた和牛投資にコツコツ貯めた100万円を投資する決断を下したところ、一年も経たずに投資先が破綻して回収不能となる。
散々勧めた張本人で、回収不能額よりこれまでに上げた利益の方が多かった祖母からは、自己責任、見る目がないと罵られ当然ノーフォロー。
家族経営だった小規模施設でサービス残業や持ち帰り仕事が増え、
さらに利用者のクレーマー家族が発生してスケープゴートにされ続けたため、引責と体調を理由に再度転職することに。
ちょうど俺が独り立ちしたタイミングだったことから、稼ぎよりも労働環境を重視して大きな母体のある中規模デイサービスにパートの介護員として就職。
真面目に数年間働いていたところ、組織全体で正社員登用制度を作る話が出るが、同じ介護員パートが数名いる中、母のみ対象外となる。
理由は制度開始の三日前に誕生日を迎えて、制度の年齢制限に引っ掛かってしまうため。
母体が大きすぎたことが裏目に出て、逆に融通がきかなかった。これには流石の母も一晩でワインを三本空けるヤケ酒。
この話はその時にちょうど帰省していたので聞いたことをまとめたもの。
持ち家一人暮らしとはいえ、手取り11万円程度での生活がいつまで続けられるかはかなり怪しく、年金は空白期間が長いので僅かしか貰えそうにない。
別にその辺は男も女も大して変わんないと思うなあ。
努力でどうにかなる、個人的に脱出できると思ってるやつは、報われるかは別として努力するだろう。
逆に言えば、非モテの大半は「努力なんかしたって無駄」という無力感にとらわれているし、
男はまだ金さえ稼げば救いがあるって言われるし、実際それで救われるケースもあるんだろうけど、
個人的にはそうは思わない。結局、やってることは援交おじさんと変わんないからね。
そういうわけで、現実的な要求としては、「ただ巻き込まないでほしい」って言いたい。
「恋愛の競争とプレッシャーから解放されたい」ってまさにそれだよ。
交際相手がいないからって変なマウンティングしてきたり、勝手にホモ扱いしたり、
少子化になるのはてめーらのせいだとかスケープゴートにしてくるのだけやめてくれればそれで十分。
そういうのは同じ競争してる人同士でやっててください。
人気者になりたいとか、理想の相手とかいうのも、大半はただ妄想でやってるだけ。
努力は無駄で、巻き込まないでほしいのに巻き込んでくるから、妄想に逃げるしかないの。
ところがその妄想にまで踏み込んできて、それはポリコレ違反だとか、もうええ加減にせえよと。
蛇足になるけど、我々はどうでもいいことに興味を持ちすぎだと思うんだよ。
非モテの妄想なんかどうだっていいじゃん。現実でアイドルめった刺しにしちゃうのは論外だけどさ。
文化圏の違う人の言うことは何でも本気100%みたいにとらえちゃう部分があるわけだけど、
そうやっている限り、衝突以外何も起きない。
とのことですが、江戸時代に徳川家康が遭遇した「肉人」もしくは「ぬっぺふほふ」の正体はいったなんなのでしょうか?
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ある日の朝、御庭に肉塊のようなもの立っていた。その姿は、小児のようではあるが、手はあるけれど指はなく、その指のない手で天を指して動かない。
警戒の厳しい城内である。どうやって入ってきたのかも問いただすべきだが、肉人ともいうべき、その異様な姿に見たものは一様に驚き、どうしていいかわからず、ただ右往左往していた。
御庭が大騒ぎになったので、やむをえず公の耳に入れ、「いかが取りはからいましょうか」と伺うに、「人目につかないところに追っ払ってしまえ」とのことだった。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
そりゃあ、そこに待ち伏せするようになるんじゃないか。
そして、敵はそこで待ち伏せする選手にボールが行かないようにする。
味方は何とかしてそこにボールが行くようにする。
こういった一つの戦術が横行することをオフサイドゲームと云われているのは有名だな。
あ、柔道とかにも反則がいくつか設けられた歴史があるが誤解しないでくれ。
決して「強い、ウザい、ズルい」とか、そんな理由ではないから……。
一歩進んで二歩下がる方が面倒くさいな。
実際にやってみれば分かる。
なので答えは「同じではない」。
使い分けとしては、一歩下がりたいときは一歩下がり、一歩進んで二歩下がりたいときは一歩進んで二歩下がりたまえ。
いい質問だ。
妖怪の多くは、人間が正しく認識することが難しい事柄や現象を納得させるためのスケープゴートだとされている。
現代でも、ビデオゲームなどで90%で当たる攻撃をやたらと外したりするのはそのためだ。
まあ、実は妖怪の仕業ではなくて人間の仕業だったというパターンもあるが、妖怪の仕業という言い伝えも人間の仕業なんだから当然といえば当然の話ではある。
http://anond.hatelabo.jp/20170201151127
自分の娘に対してではないけれど、自分でも同じようなことやってた時期があった。
まだ学校に通ってた時期、クラスの中で一人はいた「性格も顔もうけつけないタイプの人間」に無性にイライラして、軽く無視をしたりしていた。
特に関わりを持っていた訳ではないのに、視界に入るだけでイラっとくるので気が散ってしょうがない。
面と向かって罵倒したりはしなかったけれど、割と露骨に避けたりはしてた。今思えばいじめのターゲットにしていた。
環境が変わる度にタゲる対象は変わった。クラスや部活のメンバー全部合わせると、常に一人「性格も顔もうけつけないタイプの人間」がいた。
その時は「なんで定期的にこんな腹立つ人間が出現するんだろう?」って思ってた。自分がそう思う理由は考えもしなかった。
でも冷静に考えると、彼らはちょっとトロかったかもしれないけれど、特に明確な問題点があった訳ではない。
そもそも「性格も顔もうけつけないタイプの人間」が「たまにいる」ことがおかしいんだよね。
いい大人でも付き合いがどうしても無理な人はいる。でも、そういう人は悪口を言ってくるとか暴力を振るってくるとかワキガとか、明確かつ他人に愚痴って納得感のある理由が言える。
そしてそんな人はめったにいない。自分の交際範囲の中に常に一人はいる、という状況はまずない。
当時は自覚なかったけれど、今思えば自分は物事が思い通りにいかない理由を誰か個人に押し付けていたんだと思う。
何か失敗した時にたまたま相手が視界に入っていたから、遡及的に「アイツが視界に入ってイラついたから失敗した」という風に脳内変換してたと思う。
そして「アイツの所為でうまくいなかった」が「アイツさえいなければ世の中うまく回るのに」になっていった。
でも、その時は腹立つ人間と同じ環境にいなきゃいけないなんて自分こそ被害者だって思ってたし、他人を憎んで生きるのはそれなりに苦しかった。
だから「あんな奴に心を惑わされず穏かに生きたい」って本気で思ってた。
これは憶測だけれど、多分元増田は長女を妊娠・出産する中でたくさん「こんなはずじゃなかった」ってことがあったんじゃないかな。
初めての妊娠や出産で、自分の肉体も周辺環境や人間関係も大きく変わる。
元増田は最初はごく普通に、妊娠を喜んで子供を愛そうと思っていたはずだったんだよね。
でも降り積もるいくつもの「こんなはずじゃなかった」に耐えられなかったのかもしれない。
そして元々の原因である長女に対して「こいつさえいなければよかったのに」と思うようになったのかも。
次女はただでさえ甘え上手だろうし、その上元増田は「全部長女の所為」と長女をタゲってるモードに入ってるから、長女なら言うことを聞かないと思ってカッとなる局面でも、次女なら「子供は仕方ないね^^」と思えるのかもしれない。
でもそれは憎い長女との比較の上で成り立っている寛容さなんだよね。
私の場合、時間が経って本格的に環境が変わり、誰かをタゲっているような余裕すらなくなるほど忙しい環境で数年過ごして、気づいたら誰かをタゲる癖は治ってた。
小さい頃から、どこか周りから浮いている、人をイラつかせてしまう子供だった。
大人たちに、「変わっている」とか「ちょっとおかしい」と言われてきた。
人と話すのも、頓珍漢だったり幼かったり、独りよがりな受け答えをしていたようだった。
なぜだかわからないけれど、バカにされていじめられることが多かった。
今になって思うと、あの子と遊んじゃいけませんと言われるタイプだったと思う。
学校に行くようになっても変わらなかった。
同級生たちからはからかわれ、先生には妙に嫌われたり目をつけられて、スケープゴートのように大勢の前で説教されることが多かった。
たまにこんな自分でも一緒にいてくれて、バカにするのではなく面白がってくれる人たちがいて、そういう奇特な人たちと仲よくなったけど、環境が変わると、その人たちとの距離感がわからなくなり、疎遠になる、ということを繰り返していた。
体育は大の苦手で、球技は特にダメだった。ドッジボールで最後まで残り、恐怖で逃げ惑う姿を笑われながらボールを投げつけられた。
でも数学や物理は、概念が全然わからなくて雲をつかむようだった。
だから、苦手な数学や物理は、たくさんたくさん問題を解いて、解法をたくさん記憶して、なんとか受験を乗り切った。
大学でも人とは仲よくなれなかった。大学受験で燃え尽きてしまったのもあり、人と仲よくするパワーも残っていなくて、家賃と生活費のためになんとかバイトして、あとは引きこもっていた。
就活はもちろんうまく行かなかった。一次面接でどの会社でも落とされた。面接では大人たちが自分の顔や受け答えを見て、渋い顔をしたり、首をひねったりしていた。
そろそろ、社会から必要とされないダメな存在だということに気づき始めていた。
自分の何がダメだかわからないけれど、自分は何かが他の人たちと違う。自分の判断はいつも間違っている。自分は宇宙人のようだった。
けれど、本当にラッキーなことに、一社だけ縁があった会社があって、宇宙人である自分は、なんとかそこに職を得ることができた。
その会社の中で、優しい人たちに見守られながら、それでも必死に、「普通の人らしい振る舞い」「常識」を身につけた。
あからさまに自分をからかったりいじめる人はいなくなった。眉をひそめられることも減った。
自分はおかしいんだな、と最も実感する時は、会話の中で妙な空気になった時だ。
自分は、会話で何を話したらいいかわからず、例文を読み上げるように会話をする。
自分の心に浮かんだことは基本的には話さない。膨大な例文集の中から、今自分がいるシチュエーションに合っていそうな会話文を持ってくるのだ。
どうやらそれを間違えたらしい、と気づいた時、いつも絶望する。
また失敗した。
こんな、言葉も習慣もわからないままの宇宙人の状態で、周りに合わせて生きていくことをまだまだ続けなければならないのか。
でも、型にはまるふりをしなければ終わりだ。
変わった、頭のおかしいやつ、として、また、いじめられるのかもしれない。
一人では生きられない。
宇宙人でも、一人では生きられない。
あーーー!!!もう、嫌になる!!
自分がだけどね
カウンセリング通ってわかった事だけど、ウチの親(特に母親)毒親だった・・・・・・・
肉体的にも精神的にも虐待されていた事が判明(躾って思ってた自分・・・アホ)
で、その影響がー!もう色んな所に出てると言う事が判明
まぁここの所、精神的に不安定な事が多いし激しくなってきている
毒親とかACとか、調べたら項目で自分の性格?当てはまり過ぎて怖くなるくらい
でも、自分の存在を消したい感情に駆られる事が時々出てきて苦しくて辛い
今まで自分が悪かったんだーって、罪悪感を強制的に親から植え付けられてた事だった事がわかった時も衝撃
自分の母親が、自分のスケープゴートに子どもつかって母親の悪感情ぶつけまくられたってわかった時も衝撃
産むなよ!!!
自分を消したくなる
自分だけならいい
他人にまで影響出てくるのが何より辛い
しかしながら、親自身に認識ないのと言った所で聞く耳持たないのがキツイなー
それは本当の意味で親って言わない
親がいるだけ幸せってか?
一概にんなワケ言えない!
北陸新幹線の敦賀・新大阪間のルートが、小浜・京都経由できまりそうと聞いて、もう日本は駄目かも、と思った。現在の日本の財政的窮状が見えていないバブル脳の老害がまだ政界に跳梁しているのか。
https://www.mlit.go.jp/common/001152043.pdf
舞鶴経由なんてもとより頭がおかしい。もともと無茶な小浜経由の影を薄くするために、わざとスケープゴートとしてむりやり候補にねじ込んだとしか思えない。
新大阪駅・京都駅間の人口密集地にもう一本、新幹線を作る?どれくらいのお金と時間がかかると思っているんだ?(資料では2.1兆円とあるが、とてもそれですむとは思えない)。新快速がバンバン走る中、どれくらいの需要があるんだ?しかも、既存の東海道新幹線と並走するんで、災害時の迂回ルートにもなりはしない。そして小浜市という人口3万の町のどこに、わざわざ迂回してまでも行かなければいけない巨大な旅客輸送量のニーズがあるんだ?それって、(米原ルートとの小浜ルートの建設費の差額の)1兆5千万の価値があるのか?国家予算が50兆円の時代の1兆5千億円の価値が分かってる?日本人の美徳の「もったいない」精神はこれだけ規模がでかいと忘れ去られるのか?
一方の中央新幹線の大阪延長は、国の融資支援による前倒しが決まっていて、現状では2038年開業予定になってる。北陸新幹線は、2023年春に敦賀まで開通予定で、その直後に着工しても、小浜ルートの工期15年だから、結局、開業時期は同じだ。
だとしたら、北陸新幹線は米原ルート(工期10年)にし、米原駅のホームを、東海道新幹線から北陸新幹線にドア・ツー・ドアで乗り換えられるように改造し、5年間は米原での乗り換えを我慢する。中央新幹線が開通し東海道新幹線の便数が激減する 2038 年から大阪からの米原経由・直通便を出すようにするのが、もっとも経済的に合理的だろう。
ソフト施策としても、たとえば米原での乗り換え時に、プラットフォームで隣の車両の移動するだけですむよう、指定席を車両単位でシンクロさせるとか、指定席特急券は特例で通しで買えるようにするとか、いくらでも施策は打てる。「JRの会社が違うから」などと言うのは、兆円単位の工費の違いに比べれば些細な差に過ぎない。
今の日本は高齢化が洒落にならない状況に深刻な状況に陥っていて、お金は少しでも多く、今後の高齢者を養う力を持つ若者を育てる教育と、国際的にお金を稼げる技術力の種を産む研究開発費に突っ込まなければいけない。そして2100年には人口は8千万人まで減少すると予測される中、地方から「撤退」して、生活資本整備は都市部に「集中」と「選択」をする政治的に難しい舵取りをしなければならない。
経済的にあまり効果がない土木工事には1円ですらお金を費やす余裕はない危機的状況なのだが、「北陸新幹線は小浜ルートで」などと寝呆けたことを言っている連中は本当に日本の現状がわかっているのだろうか?
米原ルートのもう一つの利点は、米原の北東側に、北陸新幹線と名古屋方面への短絡線を作れば、横浜・静岡・名古屋から北陸方面への新幹線移動も可能になる点だ。しかも安くできる。繰り返しになるけど、2038年に中央新幹線が大阪まで開通すれば、東海道新幹線はがら空きになる。それを有効活用し、災害時に迂回路としての役目を果たせるよう、メインルートから距離を離しておくのは、ものすごく重要だ。
なので、我々がすべきことは、2038年開通予定の中央新幹線を新大阪までしっかり期限内に完成させて、空いた東海道新幹線をすぐに北陸新幹線に転用できるよう、東海道新幹線と北陸新幹線の制御系統の共通化などソフト面での対策を、時間をかけてしっかりやっておくことに尽きる。
場合によれば測量・説明会運営・用地買収は政府や自治体が支援すれば、中央新幹線の開通はもっと早められる可能性もあるだろう。
これまでも、日本の鉄道の災害対策は「天災で路線にダメージが出たら、工事担当者が集中して復旧作業して、素早く再開させる」のが基本で、需要にまったく見合わない東海道・北陸・中央新幹線のトリプルネットワークの整備は筋が悪すぎる。どんな災害でも素早く状況を見て復旧ができるような人材の維持・育成こそ大切だ。
少しでも多くのお金は日本の未来を担う人的資源の育成に。土木事業で業界を潤すという考え方は早く捨てないと、日本に未来はない。最小限の投資で最大限の効果を実現するよう、願わくば、多くの関係者に再考をお願いしたいと思う。