はてなキーワード: あまつさえとは
今朝、バスの運転手が混雑した車内に「妊娠している方以外の若い方はお年寄りに席を譲ってください」と放送し、あまつさえ〈年配ではない〉特定の乗客を指して「席を立って譲ってください」と呼び掛けていたが、これはマナー・気遣いの啓発を超えた、行き過ぎな指図だと思った。
座席は満席、揺れて不安定な足元、圧迫感のある車内で、年配の方に配慮して席を譲るのは「よい行い」で「必要なこと」であることは否定しないが、〈年配ではない〉乗客が、立っていられない事情を抱えて路線を利用している可能性を、運行主に否定してほしくない。
「お年寄り(に見える人)に席を譲る」のは、あくまで〈年配の〉乗客が〈年配ではない〉乗客にくらべて、体力や体調などに不安要素を抱えていて立つのが大変である可能性が高いからであり、またその可能性を想定しやすい(外見的特徴として分かりやすい)からだと私は考えている。
けれど、例えば車内で急激な腹痛に襲われていたり、低血圧だったり、パニック障害などの精神的な不安要素を抱えていたりで、〈外見的には何の問題も無いように見える〉が、立つのもやっと、或いは、立っていられない状況の乗客は、年配であるか否かという基準に関係なく存在する。というか、今日、自分が突然そのような状況になるかもわからない。
(実際に、車内放送で呼び掛けられた〈年配ではない〉特定の乗客が、「昨日、大きな手術を受けたばかりだ。タクシーを呼べないから(バスに)乗っている」「何度も言われて座っているのには理由があるのだ」と返答していた。)
この路線に乗って長いが、今日のようなアナウンスを聞いたのは初めてだったので、それが運行会社の新たな方針なのか、その運転手個人の主義に基づく主張なのか不明だが、釈然としなかった。
立って乗車する余裕のある人が立つべきだとは思う。けれどそれは、あくまで立つ余裕のない人に対しての、個人から個人への配慮ではないのか。
「高齢者⇒席を譲る」「妊婦⇒席を譲る」という図式的な徳目は、根拠から行為のプロセスを単純化することで、その配慮行動(席を譲る)を誰もが深く思い悩まず実践できることに、寄与している。
しかし、思考を硬直化させ、想定以外の可能性を考慮しなくなることで、その配慮の本質は形骸化してしまう。形骸化した配慮行動を上から押し付けることで、見えにくい困難を抱える人を排除しないでほしい。
そして、誰かに言われるままに犯人かどうかも分からない人間を取り押さえて
あまつさえ逮捕能力がないにも拘らず勝手に拘束して探偵を気取ってみせるその姿勢は
それなのにこの世の中は勧善懲悪でまかり通っている。
しかしながら、その勧善懲悪主義も真実が根底になく、あくまで自らをアピールする場と化しており
そして警察や鉄道警備隊、駅員の仕事さえも奪いかねないのである。
冤罪事件の多くは、そうした身勝手な信条で以って犯人かどうかも事前に見ない歪んだ正義感出しまくってる
勘違い野郎の責任であり、本来当事者同士に公的な立場の第三者の仲裁によって事件解決に向かっていくはずが
ただ、どこまでこの勘違い野郎の介入が許されるべきか法律上定まっていない事が甚だ冤罪被害者にとって悲劇といえよう。
痴漢被害者などが「この人、痴漢です!」と叫んだ瞬間から冤罪の可能性が孕んでいるにも拘らず
己が信条に揺り動かされた自称正義漢が悪を倒すヒーロー物に憧れて目の前の悪を防ぐ事について、一瞬でもいいので
考えて欲しい。
本当にそいつが犯人なのか瞬間的にでもいいのでよく調べてみることだ。
冤罪被害者にとって悲劇なのは痴漢被害者などがあくまで主観でしか判断できないという点を以って警察など司法は有罪に持っていくのだから、
為す術がない、いわゆる弱者的立場なのだという事をよく考えて行動して欲しいのである。
もしも本当に冤罪だった場合、この勘違い野郎は果たして自らの行動に反省するだろうか。
いやしないだろう。
何故なら正義感を持った殆どの勘違い野郎は、それが勘違いである事にさえ気付かない夢見がちな少年の心を持った甘い奴なのだ。
こんな記事がYahoo!ニュースのトップに上がっているのを見て、
「昔は俺もそうだったなぁ。。。。」と感慨に耽ったわけであるが、
まずは結論ファースト。
「安いキャバクラに行け」
駒込や巣鴨と言ったややマイナーな駅や、八王子・立川と言った西の方がオススメである。
以下、その理由について説明していく。
「キャバクラとは、キャバクラ嬢と呼ばれる女性が客席に付き接待を行う飲食店。」(Wikipediaより)
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小学校 → 共学
とまあ、「女子が1割もいるのか!!」という驚き方をするような
「あーあー、チャラ男はイヤだね」
と自己欺瞞しつつ、内心忸怩たる思いを抱えて幾星霜・・・オッサンになっちゃった感じである。
そんな自分が、社会人になって合コンに行くようになっても、まあ盛り上がらない。
「仕事は−?」「うけつけー」「そうなんだー。大変そうだねー。」「そうだねー・・・」「・・・・・・・」
という感じで、いつのまにか、6名の飲み会での話しの中心が自分のいない側に徐々に移動していく。
自分ははじっこの方で、ビールをあおる頻度があがり、中心の話題に合わせて笑うだけ・・・
みたいな感じで、あふれ出るキョロ充ボッチ感がハンパなかったのである。
「そんな自分も安キャバメソッドを3ヶ月続けたら、雑談力に自信が出てきて、周囲に明るくなったと言われました。
また合コンとかでも軽妙なギャグを飛ばせるようになり、女子からもメールの返信がくるようになりました。
おかげで、仕事もばりばり進むようになり、上司にも気に入られ、今度銀座のクラブに連れて行ってもらえる事になりました!
閑話休題。
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さて、ここでなぜ安い(やや場末感のある)キャバクラが雑談力向上に有効なのか?
キャバクラなら、女子が雑談を盛り上げてくれるんじゃ無いのか?
甘い。まず安価場末キャバクラで働いている子は、雑談力とか0である。
あまつさえ「私はキャバクラなんかで働きたくないのにー」というオーラむんむん、なんて人さえいる。
隣に座って「こんばんはー」「こんばんはー」「・・・」「・・・」
といきなり雑談力が無い理系男子にとっては手痛い先制パンチを食らわされることもある。
まあ、安価場末キャバクラにいる、という女子にはそれなりに理由があるわけである。
誰かしらが話題を提供してくれる。
それにフンフン頷いたり、ネタに合わせて笑っておけば、大体なんとかなる。
ところがキャバクラは1対1のサービスを売りにしてるので、基本はサシ飲みである。
しかも相手は、「なんちゃら巻き」みたいに髪をモリモリ盛った、化粧ばっちりの女の子である。
理系男子としては、「え・・・ちょっと」と言いたくなるし、場合によっては畏怖の対象である。
その子達が何の話しに興味があるか、なんてのはかなりの難問である。
当然、思考は空転し、沈黙が続く。しかし誰も助けてくれない。。。。
そうなったら雑談力鍛錬環境としては勝ちであり、雑談的には勝負の始まりである。
まずはベタだと思いつつ、天気ネタから始まり、出身地、趣味、出かける場所、すきな映画、芸能人、来ている洋服・・・・
などなど会話をつなぐ、盛り上げるための様々なネタを繰り出し、玉砕し、ヒットし、たまに会心の一撃を出し・・・・
というのを繰り返していると、段々雑談力がアップしてくる(はずである)
ちなみに、自分が色々と学んだのは、
・「趣味は?」と聞かずに、「休みの日は何をするのが好き?」と聞いた方が趣味的なものが聞き出せる
・相手のことを聞き出したら、次に自分についても話す
・たまに自慢話を混ぜる
などなどである。
結局は、いかに「他人に甘えられず、自分でどげんかせんといかん状況」を作り出すか、つーことですよね。
普通は逆なんだろうが、案外そうでもない。
私が勤めた零細では、社長と常務は常に親会社に近い取引先に出向中で仕事の責任者はもっぱら営業部長だったりしたため、
責任の重い仕事が中々こちらに回って来ず、皆が皆淡々と仕事を熟すだけの仕事人間として一体感を為すようになる。
また、この営業部長が毎日のように出張中だったりすると、惟れの仕事は一体誰に許可を取らないといけないのかといちいち聞かないといけなくなる。
しかしながら、このような状態がずっと続いていても誰も彼も疑問を口に出さずに淡々と目の前の2~3時間程度で出来る仕事を8時間掛けて終わらせるのである。
とてもじゃないがこの異常な光景を目の当たりにして尋常でいられるはずがない。
私が勤めた中小では、常務が社長の代行者として会社に君臨しており、高卒バイトから正社員になって30年という生粋の生え抜き社員でそれを誇りに思っている。
そのため、大卒者院卒者の社員がミスをすると、これみよがしに全社員の前で叱る事を至上の喜びであった。
さらに、そのように失敗を科すために無理難題の仕事をさせ、困惑ないし混乱状態に陥らせ、あまつさえ自分でもこれはというような仕事を、お前らなら出来る!と勝手に思いながら
仕事を任せてくるため、殆どの該当社員は自分は期待されているという想いから無理をして身体を壊してしまい、酷い場合は常務に叱咤激励されて仕事ロボットに成り代わるのであった。
社員への愛情なんて希薄で、常に自分の事しか考えない常務であった。
そしてそれがさも当り前だと言わんばかりに仕事ロボットを徹底しているおかげで誰も彼もこの異常さに口を出す事はない。
会社が狭い所だと、息をするのもよく分かる。
そのため大企業ほど許容がなく、常に台所が火の車なので、心に余裕がない。
私が三度目に勤めた大企業では、前の中小零細が仕事ロボットだった時よりも安息感がある事に気付かされた。
基本的に社長も重役も顔を見せないものの、そこの部長や同僚があれこれ世話を焼いてくれ仕事における報連相が完全マニュアル化されてるお蔭もあって
社長は、社員一人一人を気に掛け毎朝の朝礼で信賞必罰を心がけ、能ある社員を大いに褒め称え逆に無能な人間を公然と罵倒する中小零細特有の悪循環体質でなく、
あえて社長室にふんぞり返って、社員を認めているのであるから、大変社員想いの強い社長なのだと感じた。
中小零細の社長は常に自分と同等かそれ以上の人材を求める割に、実際にはそういった人間を陥れる事に至福の時を感じるものだ。
大企業の社長は自身をより成長させるために社員一人一人の自主性を重んじて、人事も社員教育も部下に任せてあるため、粗相があまりない。
2ちゃんねらーが一番嫌ってるのは他人の褌で相撲を取って利益を得る乞食。
つまりアフィブログは、アフィリエイトを行ってるブログで2ちゃんねる運営の許諾なく勝手に著作物を利用して金儲けをしている。
このような違法行為に対してニュースサイトや著名人は皆アフィブログを「まとめブログ」と呼ぶのである。
考えてみれば、至極明快である。
ステマ騒動ことステルスマーケティング商法を扱った問題では、代表例ではやらおん!管理人がアニプレックスの要望に従って意図的に2ちゃんねるの内容を歪めて記事にしていた事で
これらから類推するに、結局この手のアフィブログを「まとめブログ」と呼ぶ現象というのは、双方グルだった場合である。
これまた代表例で食べログステマ騒動があったが、こちらを見ても業者が介入し、あたかもその商品は絶品であると賞賛した書き込みが多くなされた問題である。
このように、アフィブログとステマは切っても切れない関係であり、ステマ元が依頼した広告や商品があり、それを記事にすると報酬が貰える至極当然のように思われがちである。
しかしながら、前述したようにそれは、2ちゃんねるの許諾なく行われており、きわめて悪質なものである。
そのため、大手の「アフィブログ」を扱う有名ニュースサイト(殆どが依頼元、アニプレックスなどや広告会社が運営)や著名人(も依頼元であったり、コネ)がこの違法行為を黙認してあまつさえ
やはり謎である。
ちょっと男性批判(勿論肯定的な意味も込めて)をすると、即ミソジニー(男性差別主義)というレッテルを貼り付ける行為、
男性の社会進出は先進国の中ではまだまだ発展途上な現代日本において、様々な媒体が活躍する男性を追いかけている事は喜ばしい事で
伝統的な職業から、ベンチャー企業のコールオペレーターや広告会社の企画営業など男性社員にはイメージとして困難である職業に男性が率先して起用されている事からも
男性が活躍する場が会社のほか社会全体に提供されていった事は大変喜ばしい事です。
但し、男男参画や雇用均等などの法律によって保障された生活以上の事を望むように昨今のフェミニストたる男性が理解に苦しむ主張をするのは如何なもんですね。
例えば、痴漢電車。痴漢されるからって税金使わせて男性専用車両を作らせ、あまつさえラッシュアワー時には階段下りて直ぐ隣になるように設置した事です。
この異常さは海外のお客さんがツイッターで呟く程異様で、日本の男性がその恥を世界に知らしめようとしているとしか思えない異常な行動でしたという事で理解に苦しむといったニュアンスで以って呟かれているわけですから、この異常さについて増田で批判しようものなら、必ず恥さらしが蛆虫のように湧き出て「これは人権侵害だ!」と理不尽なツッコミを入れてくるわけです。
先に断っておきますが、世界には男性専用車両どころか女性専用車両だってありません。
そんなわけですから、ミソジニーの境界がどの辺りにあるのか、正直言って僕にはよく分かりません。
何故ならば、フェミニストの類というよりはむしろ日本人男性というのは、自分をひけらかすような傲慢さを兼ね備えているのに、一方で自分に靡かない女性に対して欲求不満が爆発したかのように、何故自分の魅力に気付かないのかミソジニーに違いない!といった短絡的指向の下に、繰り返し非難を繰り返すのですから、本当に困ってしまうのです。
こういった碌に男性の在り方について後進的なフェミニストが多いために、社会全体が男性の社会進出を促してもいつまで経っても差別されてる等という世迷言を発信し続けるのでしょうね。
でなければ、男性があまりに優遇され過ぎているこの異常な状況に待ったを掛けるはずです。
腹が立てば我慢しません。
吼える事自体は誰にでも権利があるのですから、大いにその欲求不満をぶちまければいいじゃないか。
変に空気を読もうとするから、むしろ優遇されている空間の中でも息苦しさを感じて差別主義者というレッテルを誰彼問わず貼り付けては批判を繰り返すのではないでしょうか。
少なくとも閉塞感溢れるこの増田においては、リベラル的でないフェミニスト達が自分の境遇はさておいて批判することでしょうから、もっと世界をよく見て欲しいというほかありません。
男性の日、サービスデー、男性専用車両、就職の優位性(例えば去年度の大阪市や京都市、名古屋市の公務員試験では男性合格者(一般受験者数)が女性よりも多く採用されています。男女平等が聞いて呆れますよね)……数えれば桐がない男性優遇措置に違和感を覚えたらミソジニーなのでしょうか。
世界では、そのような事がなく、男女平等という言葉もありません。
男女平等とは何でしょう?
男女差別のない世界なんてありませんが、日本では事のほか男性が優位に立つ社会が形成されつつありますが、まだ何か不満があるのですか?
ちょっと女性批判(勿論肯定的な意味も込めて)をすると、即ミソジニー(女性差別主義)というレッテルを貼り付ける行為、
女性の社会進出は先進国の中ではまだまだ発展途上な現代日本において、様々な媒体が活躍する女性を追いかけている事は喜ばしい事で
伝統的な職業から、ベンチャー企業のコールオペレーターや広告会社の企画/事務など男性社員にはイメージとして困難である職業に女性が率先して起用されている事からも
女性が活躍する場が会社のほか社会全体に提供されていった事は大変喜ばしい事です。僕もこういった仕事に就きたかったですけど、社会ではそういう男性にNO!を叩き付けるのですから職業差別を感じてなりません。
しかし、男女参画や雇用均等などの法律によって保障された生活以上の事を望むように昨今のフェミニストたる女性が理解に苦しむ主張をするのは如何なもんですね。
例えば、痴漢電車。痴漢されるからって税金使わせて女性専用車両を作らせ、あまつさえラッシュアワー時には階段下りて直ぐ隣になるように設置した事です。
この異常さは海外のお客さんがツイッターで呟く程異様で、日本の女性がその恥を世界に知らしめようとしているとしか思えない異常な行動でしたという事で理解に苦しむといったニュアンスで以って呟かれているわけですから、この異常さについて増田で批判しようものなら、必ず恥さらしが蛆虫のように湧き出て「これは人権侵害だ!」と理不尽なツッコミを入れてくるわけです。
先に断っておきますが、世界には女性専用車両どころか男性専用車両だってありません。
そんなわけですから、ミソジニーの境界がどの辺りにあるのか、正直言って僕にはよく分かりません。
何故ならば、フェミニストの類というよりはむしろ日本人女性というのは、自分をひけらかすような傲慢さを兼ね備えているのに、一方で自分に靡かない男性に対して欲求不満が爆発したかのように、何故自分の魅力に気付かないのかミソジニーに違いない!といった短絡的思考の下に、繰り返し非難を繰り返すのですから、本当に困ってしまうのです。
こういった碌に女性の在り方について後進的なフェミニストが多いために、社会全体が女性の社会進出を促してもいつまで経っても差別されてる等という世迷言を発信し続けるのでしょうね。
でなければ、女性があまりに優遇され過ぎているこの異常な状況に待ったを掛けるはずです。
腹が立てば我慢しません。
吼える事自体は誰にでも権利があるのですから、大いにその欲求不満をぶちまければいいじゃないか。
変に空気を読もうとするから、むしろ優遇されている空間の中でも息苦しさを感じて差別主義者というレッテルを誰彼問わず貼り付けては批判を繰り返すのではないでしょうか。
少なくとも閉塞感溢れるこの日本においては、リベラル的でないフェミニスト達が自分の境遇はさておいて批判することでしょうから、もっと世界をよく見て欲しいというほかありません。
女性の日、サービスデー、女性専用車両、就職の優位性(例えば去年度の大阪市や京都市、名古屋市の公務員試験では女性合格者(一般受験者数)が男性よりも多く採用されています。男女平等が聞いて呆れますよね)……数えれば桐がない女性優遇措置に違和感を覚えたらミソジニーなのでしょうか。
世界では、そのような事がなく、男女平等という言葉もありません。
男女平等とは何でしょう?
男女差別のない世界なんてありませんが、日本では事のほか女性が優位に立つ社会が形成されつつありますが、まだ何か不満があるのですか?
民主党枝野氏が民主党政権時代2010年に事業仕分けで理研もその対象になったのだが、
若山教授はその時自身の奥さんを理研の架空の社員として登録し月額50万円の報酬を得ていた事が明らかになった。
この件で最も驚いたのは自民党が復活させ、あまつさえ特別国指定法人にいれようとしていた、当時民主党が理研の汚職に関する事態を重く見て
事業仕分けの対象に入れていたものが、結論から言えばSTAP小保方の一件でまたも浮き彫りになった事だろう。
あれだけ利用された可哀想だと同情的だった世論もこればかりは批判の衆目に晒されるに違いない。
まして、自民党はこれを知ってた上で事業復活し予算増額し、国立化の手筈まで打っていたとなると、これは由々しき問題ではあるまいか。
少なくとも自民は一連のSTAP細胞事件に一枚噛んでいた事になり、グルだったのであるから、若山教授ともども国会等で追及されなければならない。
私は否定するまでもないヲタです。漫画大好き同人やってます楽しいです。
この前久し振りに知り合いと会いました。全員バンピー(言い方が古い?)。ヲタ友とばかり交流していたので、ちょっと緊張した。
なんかの話の流れで好きな漫画を聞かれて「○○(一般的なイメージとしてはイケメンばっかり作品。でも本当はスポーツ?漫画)」と答えたら、
厳密に言えば私は腐じゃない。でも訂正するのも難しいのでこちらも笑うしかなかった。
そしたらあれよあれよという間にバンピーたちの間で私の像ができあがる。
・現実の男? なにそれ? そんなことより漫画の中の男性! 萌え!
・二次元最高! 三次元に求めるなら、それでも二次元のキャラたちのような人がいい!
・同人という現実逃避で自分を慰める人生経験が少ない甘ったるい悲しい人生。 だってさ。
たしかこんな感じだった。あまつさえ「ちゃんと人生経験しろよ」と上から目線で言われた。なんだそれ。あなた方の言う人生経験とはバイトや恋愛か?
なら両方した。でもそれがすべてじゃないと思う。そりゃそうだろ、逆にそれだけで構成されている人生ってどれだけ空洞。
あなた方からしたら私はへらへら笑って「萌え萌え!」とか言ってるように見えるだろうけど、だからといって上から目線ってそれは短絡的では?
それに人に言えることと、言えないことがある。私は言えないことが明らかに多い。犯罪に関わっているとかじゃなく、心理的な問題がとても根深い。
それもきっと人生経験だろうけど人には言えない。だから「人生経験が少ない」ってバカにされたのが本当は凄く悔しいし、悲しいし、腹が立つ。
上手くまとめられなかったけど、私がへらへらしているのは思い出したくないことをそのまま押さえ込むためだと思った。
これ書いた者です。
http://anond.hatelabo.jp/20140310002155
追記書いたところ一斉に突っ込まれました。
基本的には「そりゃあ彼氏がいるんなら他の男とはそれ相応の距離を取るだろう」という意見だと解釈しました。
だけど気に入らないのは「彼氏持ちに手を出すこと」それ自体を批判する論調のブコメ。
世の中的に本当にそういうものなの?
そりゃあ相手が既婚者だったり子持ちだとわかってて手を出してたら批判されてしかるべきだろう。
その彼氏というのが「愛人かな?」というぐらい年上で、相当な高収入と思われる (面識はない) というのは引っかかるんだけど...
もしかしたらそういうのに引っかかるような子なのかもしれない。
金目当てで男と付き合えるような女なのかもしれない。
でも、だとすると何で俺と遊んだり、あまつさえイベント (ライブとかですよ) に誘ってきたりするのか。
それについて考えたり、次のデート (今週末だ) のプランを考えたりしながら寝る。
今度こそ手つなぐぞ!
おやすみ。
ジパングに限らずタイムスリップもの全般に対しての不満なんだけど、異分子が混じって史実とはどう変わってくるんだ!?ってのを見たいのに、結局史実をなぞるだけって展開は作者の手抜きだ。
信長協奏曲とかでもそうだけど。
どうあがいても結局史実をなぞる結果になってしまうっていうのならそれはそれでわからなくもないけど、あまつさえ登場人物が史実をなぞらせようとしたりするのとかマジでイミフ。
ジパングに戻ると、艦これから興味持って読んだけど、最初らへんの未来技術TUEEEをもっと見たかった。
現代の技術とか知識が過去にいったときにどれだけ影響があるかとか考えるだけで基本的にぞくぞくするタイプだし。
ありえないようなオーバーテクノロジーよりも、見知ったものが無双するっていうのはスカッとするからもっとそういうのを見せてくれ
艦これをやったことない自分が、艦これに対する俗物感を感じたお話 - 水面の落ち葉が揺れ動くように
こういうのに対して必ず「艦これは対人要素ないから(ドヤ」みたいな擁護が沸くわね
艦これにある対人要素は、ゲーム内にとどまらない、艦これ関連の話題すべてにおける自分の立ち位置の優位性維持争いなのよ
他のソシャゲと同じような、もっと言えば遊戯全般に通じる自尊心・他者への優越・劣等感、嫉妬っていうありふれたものなのよ
例えば、
ゲーム内での直接的な優劣がつけにくいのであればそれ以外の場所で優劣つけようとしてるだけ
醜いプライドの争い
ゲーム内の勝負ではっきり優劣つけるよりよっぽど醜いのよ
カネをかけなくてもどうにかなるゲームである=カネをかけてもどうにもならなかった人間もいるということで、運ゲー要素もあいまってその醜さは他のソシャゲよりかなりひどいのよ
愛する子だけ愛でてればいい?新しい子がでたら欲しくなるのが普通の人間のサガなのよ
これくしょんと銘打っているのにこれくしょんできずにあまつさえ他プレイヤーがこれ見よがしに自慢してると嫉妬の渦で毛根死滅して禿げちゃうのよ
(´・ω・`)わかって?
おまえの考えはどうでもいいが犬の調教の話だけは現場の人間として看過できない。
お前が言っている調教法は恐怖によって犬を従えさせる方法だが、それは10年以上前から廃れてる方法だ。
犬を押さえつけてしつける事は短期的に見れば効果が早く現れ手っ取り早い。
しかし一定量を超えれば力で抑えれば抑えた分だけ犬は力で返してくるようになる。
犬が飼い主に噛み付く事件が増え、あまつさえかみ殺すなんてニュースが流れるに至り恐怖による躾けは否定された。
だから現在の主流な調教法は動物行動学に則って効率的に犬に負担を少なくするように行われている。
いい加減なことを撒き散らすな。
成人とアラサーの間で学士入学の大学生で彼氏無しでオタクで腐女子。付け加えれば処女。
スペックだけ書いたら「わーお素晴らしい事故物件だね!」と自画自賛できる状況。
考えてみれば母親は私の年齢の時点で既に父親と同棲状態にあり、数年後には私が産まれている頃だ。
周囲の社会人の友人たちはそれぞれ婚活に手を付け始めたり同棲したりと、着実に「結婚」の二文字へと歩みだしている。
今の状況を整理して、「世の中にはこんな面倒くさいやつもいるんから未婚女性の皆さん安心してね」というエールにしたいと思う。
予め言っておけば、私は喪女ではない。
頭の回転も早く、オタクとしてもジャンル被りをしていたために会話は弾み非常に有意義な時間を過ごしていたと思う。
その当時の私といえば某週刊漫画誌に連載していた超人しか居ないテニスマンガの有名カップリングで同人を描き始めた頃で、男が絡み合っている絵を描いては友人たちとニヤニヤして楽しんでいた。
そんな時でも彼氏はいたのだ。今思えば不思議でならないが、田舎の小さいコミュニティに男女がいればこういうことも起きたのかもしれない。
別れたのは別々の高校に進学することが主な原因で友人にもそう説明したが、実はもっと大きな理由があった。
お互い高校にも受かり(このずっと前から別々の高校に行くことはお互い知っていた。お互いの学力レベル的に地元の男女共学は余りにも下過ぎたためだ)、これでしばらく穏やかにデートできるねーと校内のとある場所で2人っきりで話した。
その時、まあ簡単にいえばセックスしないかと言われたのだ。
私は断り、更に相手を殴り、そしてそのまま家路についた。
卒業も迫った時に初めてのセックス。少女漫画だとよくある話だ。少女向けエロ漫画だともっと日常茶飯事だろう。
別に私もそういうエロ漫画を読んだことがなかったということでもないし、そもそも男が男の尻に突っ込んでいる絵を描いてあまつさえ売っていた人間だ。
何で殴りまでして逃げたのかというと、私にとってセックスというものは二次元であり、美しい人達がするものであると固く信じていたからだ。そして責任を持った大人がするものだ、ということも頭に叩きこまれていた。
前者は恐らく少女漫画が原因だと思う。当時は小学生向け雑誌ですら(ガッツリな行為は抜きの)ベッドシーンが描かれていたのだ。そして時代的にBLも美少年たちがお互いを求め合うのが大多数。
そんな綺羅びやかな世界を見続けた後に風呂に入る。鏡に写るのは長くもない太い足と、がっちりした肩と、くびれはあるが出っ張りも目立つ腹と、凡庸かつ確実に美しくもない顔。
唯一漫画と同じなのは胸だけだった。それだけは未だに人並み以上にはあるのだが、それも私の現状の悪化の一因となる。
とにかく、美しい世界で繰り広げられる行為を自分に照らし合わせることがどうしても私には出来なかった。喘ぎ声だってあんな可愛いものではなく怪物の鳴き声のようだろうきっと。苦悶の表情は相手を萎えさせるだろう確実に。
そんな人間がセックスなんてものをしていいのだろうか?おまけに相手は大好きな人だ。そんな人にそんな姿を見られて嬉しい訳がない。
これが断った理由だ。
そもそも当時から今まで、私は自分に彼氏がいたという話を一度もしたことがない。
というのも、中学、いや小学校高学年ぐらいか。それぐらいからこういう話を私に言い聞かせ続けた。
「恋愛は大学生になったらしなさい。人生を決めるのは大学なんだから、それまでは男にうつつを抜かしていたら、その時は幸せかもしれないけど将来幸せになれない」
(「じゃあオタク趣味はどうなんだよ」、と思う方もいるかもしれないが、母はその昔某星座を守護に持つバトル漫画でBL本を出しておられたお方で、「オタクは家に籠もるからよろしい。いつでも勉強できる」という考えだった)
ということで初めての彼氏が出来たという嬉しさを自宅に帰るたびに忘れることが日課となった。
そして昔から性教育も、モロな話をする訳ではないが学校で話が出た頃から教えてくれていた。
「女の子の身体は大切にしなきゃいけない」「妊娠のリスクを頭に入れておかなきゃいけない」「一番大変な目に合うのは女の子だから、相手はちゃんとした人を選びなさい」
至極真っ当だ。今でもその通りだと思っている。
私は高校生になる前の、未来が拓けるところまで辿り着いていない「大切な身体」。
そんな私を「大変な目に合わせる」のか、この男は。
彼が私にいつものようにキスをし、それで終わるのかと思いきや教室で押し倒した時の一瞬でこの考えが頭の中を駆け巡った。
次の日、彼は私に殴った理由を尋ね、上記の回答をすると「こんな面倒な奴とは思わなかった。別に1回ぐらいいいだろ」と言ったので今度は引っ叩き、そのまま別れた。
ここからしばらく私の人生に彼氏は登場しない。何故なら女子高に行ってしまったからだ。
初めて自分用のパソコンを買ってもらい、案の定ずぶずぶと深みに嵌った私は案の定とある掲示板のオフ板に嵌ってしまう。
オフに来るようなのは大体男ばっかりだったが、萌えアニメにもブヒブヒ(当時は萌豚なんて言葉も無かったが)言うような両刀に育ってしまったために、むしろ普段つるむ腐女子たちの時と同じぐらい楽しく会話ができた。
私が出入りしていたのは新規歓迎なオフスレでメンバーの流動も多く、知り合った人が顔を見せなくなったりなんてことは日常茶飯事だった。
それでもやはり数名のベテランもおり、そういう人と一緒の時は盛り上げ方も上手く楽しい時間を過ごせた。
最初の経験で気軽に男に近付いてはいけない、そして2chで何度か手痛い失敗をした経験からネットで知り合った人間に個人情報を気安く教えてはいけない、とオフ初心者の割にはガードが固めではあったと思う。
しかしその後、活動時間が似ていたのか何度かオフで遭遇し、そのたびに会話が盛り上がり、遂にメアド交換もし、直接会うことも多くなっていった。
同い年で大学も近い。講義後に待ち合わせてお互いの大学の学食で一緒に御飯、なんていうリア充のようなことだってした。
何度目かのデート(もうそういうものだっただろう)で、「これ」と小箱を渡された。
開けると指輪。そして小さな紙に“結婚を前提にお付き合いしてください”の手書きの文字。
こんな映画みたいなことが自分に起きるのか、とその時は思わず泣いてしまったのを覚えている。
最初はネットで知り合い、「あのアニメのエロ同人、あのジャンルとあのジャンルの有名サークルが出すらしいから手分けして並ぼうぜ!」と3日目を一緒に戦い抜き、
「お前のBLを受け入れるから代わりに百合を受け入れろ」と互いに譲歩し合い、
「ああ、この人とだったらたとえ老人になっても今期のアニメはどれがブヒれるか語り合え続けるだろうなあ」といつしか思うようになっていた。
ここまで見ればハッピーエンドだ。勿論そうは終わらない。
またしても私の頭が邪魔をした。
いいだろう。彼を生涯の伴侶としよう。私は幸せに一生を過ごすのだ。
…本当に?
薄々目を瞑っては来たのだが、彼と私は趣味以外が全くと言っていいほど噛み合っていなかった。
バイトで溜まったお金はフィギュアやゲームになり、依存レベルではないが幾らかは馬に消えた。対する私は大のギャンブル嫌い。
「ドラマも映画も糞、アニメが至高の文化」と公言する彼に対し、そこそこドラマも映画も見る私。
記念日に一緒にちょっと高い店で食事をすると、彼はいつも肘をつきナイフとフォークの順番を気にせず使い、店員にはタメ口で話す。有難いことに食事のマナーは教えこまれて育ったために、それがいつも気になって仕方なかった。
そこでまた頭の中で考えが巡る。
「私は大切なこの体を、趣味の時間を一緒に過ごすのが楽しいとはいえ、それ以外何にも私と合っちゃいない人に預けてもいいのだろうか?」
「この先彼からホテルなり何なり誘われた際に、処女を捧げてもいいのだろうか?」
やはり頭に浮かぶのは性の問題だ。
その頃から既にネット上では「処女が一番、それ以外はビッチで貶すべきである」という不文律が出来上がっていた。
その考えと今までの教育が合致したために私の頭は両者を受け入れ組み合わせ、「結婚する相手じゃなきゃセックスしちゃいけない。もし別れでもしたら次に付き合ってくれる男性が居なくなってしまう」と考えるようになった。
その条件ならば彼はしても良い相手になる。だが上記の不満点を考えれば、彼とこれから先一緒に暮らすことなど到底出来ない。
何となく一緒に遊びには行くけど、という曖昧な関係のままだったためにお互い手を繋ぐぐらいのことしかしていなかったのがある意味では幸いだった。
一度悪い結末を脳内で描けばもう元には戻れない。
私は一気に冷め、数日後指輪を返し「ちょっとこれ以上は無理」と別れを告げた。
理由を訊かれたが誤魔化した。本当にいい人なのだ。趣味以外の部分を除けば。だから傷つけるようなことは言いたくなかった。
この2回の経験で私は、いかに自分が面倒くさく、幼少の教育が人生の根幹に染み付いて離れず、そして妥協ができない理想主義者であることを思い知った。
この世に完璧な王子様なんて居ない。そんなことは少女革命ウテナでとうの昔に学んでいる。
それでも私は出来るだけ理想的な人と添い遂げることを夢見てしまう。
でもきっと本当は、駄目なところすら受け入れるというのが本当の恋愛というものであり、結婚というものなんだろう。
実際私だって他の人から見れば完璧ではないのだ。そんなことは毎日風呂場で鏡を見るたびに思い知っている。
そんな私が誰かを否定できるような立場にいるはずもないのだ、最初っから。
それにネット世界の意見を全て鵜呑みにしているのも悪いのだろう。
世の中の人間が全て非処女を嫌うわけでもないのだろうきっと。再婚する人だっているんだから。
だとしても少なくとも非処女=ビッチと蔑む人は確かに存在し、そして私は他人から蔑まれる側に自ら望んで行きたいと思うほどマゾでもない訳だ。
それを知ってしまうと更に私は守りを固めなければいけない、と思ってしまう。
この後も数人、現実世界やネット世界で出会った男性と付き合いもしたが、凝り固まった私の頭のフィルターに全員引っかかっては消えていった。
成長してそれなりに化粧も覚えたり社会に出たりするも、結局顔は未だに凡庸で身体も残念。ただし胸だけはあったためにそれに引っかかる男性の多いことも知ることが出来た。
こうして更に私の脳内メモに記述が増える。「胸が目立たない服を着た時に残念そうな顔をした男からは即刻逃げろ」。
そして、今だ。
振り返ってみれば、もう今更どうしたらいいのか逆に分からなくなってしまった。
私はただ、この先ずっと一緒にいても良い人となら付き合いたいし結婚したいし、処女じゃなくなってもいい。
むしろビッチにでもならなければこの理想主義も治りはしないのではないか。
こんな重たい考えの人間なんて誰だってお断りだろう。私だってこんな自分が嫌だ。
誰かの素敵な伴侶になれる人を私なんかの相手で時間を使わせるよりは、私が一人で生きていったほうが世の中のためにはなりそうである。
幸せなことにオタクとして、腐女子としてはずっと楽しい毎日を過ごして来られている。知り合えた友人も多いし、有明に本を出す側になってもう長くなってきた。
「自分を大切にして幸せに生きる」、ということだったら私はちゃんとやり遂げられている。だから、このままでいいのかもしれない。
パチンコむかつく。
何がむかつくって、経営者の半分以上が在日で、そいつらが儲かってて、あまつさえ北朝鮮に送金してミサイルの資金になってることや、
破綻しないギリギリのところまでハマってくれれば、そいつら馬鹿だから低賃金で働くしかない。
経営者や従業員に在日が多いって言っても、ほとんどの消費は日本でしてるし、脱税が多いとは言っても納税はしてる。
それに在日が多い理由は、日本人が毛嫌いする業種に在日が就職したからだろう。同情できる部分は多少ある。
デメリットとしては、家族や親戚がハマったらウザいとかが一番大きいかな。
でも独身で一生結婚できそうにない俺には「自分の子供がハマったらどうしよう」という不安はない。
家族や親戚がハマっても、そいつらを切るぐらいの冷酷さはあるから、特に問題はない。
親がハマったら遺産が減る、とかあるかもだけど、それも大した額ではないからどうでも良い。
どう考えても俺にはメリットの方が大きい。
でも、やっぱりむかつく。パチンコにはつぶれて欲しい。
なんでだろうと考えたところ、これは俺の良心なんじゃないかと思った。
ウォシュレットを使用しない女性に、ぜひ知っておいてほしいことがある。
「賃貸マンションに、わざわざ付けるのはもったいない」とか、色々と「使用しない派」の意見はあるかもしれない。
それはそれで構わない。
しかしながら、その場合は、必ず性行為の前に、念入りにシャワーを浴びて欲しい。
主にお尻中心に、ボディソープで、丁寧に洗ってほしい。
相手の男がどんなに焦っても、「ニオイなんて気にしない」とか、あまつさえ「におう方が興奮する」とか、現状を大きく甘く見た意見を言ってきても、決して聞いてはいけない。
必ず! 絶対に! 何があろうと! たとえ世界の終わりが1分後に迫っていたとしても!
とにかく性行為前にシャワーをし、お尻を入念に洗ってください!(心からの敬語)
………え。
理由、聞きたい?
言うよ?
後悔すんなよ?
バックからすると、お前の尻からさ、明らかに、ニオイがするんだよ。
どんなに丁重に紙でふいたとしても!
何十回、何百回と、親の敵のようにふいたとしても!
「チェックしたから汚くない」と思ったとしても!
ニオイは必ず残っている。
ゲートも開くのだ。
もう、そのニオイが全開なのだ。
萎える。
本当に萎える。
バックからしたあと、妙に元気がなくなってしまう男がいたことはないか?
言うまでもなく、そのことは、女の子には言えない。
ていうかそのあと、ラストにフェラさせようとしたときに、顔しかめんなよ!?
俺の陰毛についたそのニオイは、もともと、お前のものなんだぞ!?
アレか。
男にニオイをつけて、所有権を主張してるのか。
だとしたら、それは間違いなく逆効果だ。
自分の貧しい統計では、女の子の家にいってしたときに、トイレがウォシュレットではない場合、ほぼ100%、ニオう。
何度でも繰り返す。
とにかく家にウォシュレットはつけろ。たとえ引っ越しでムダになっても、それはキミの将来のために、何より大切な投資だ。一番大事だ。
エステより服よりバッグより自分磨きの英語学習とかより、ずっと重要だ。
また外にウォシュレットがあったら、必ず使え。
「外のは不潔」?
………
お前のケツの方が、ずっと不潔だあああああ!
以上。
http://anond.hatelabo.jp/20131204162437
高学歴の人々は偏見や差別と無縁の世界に生きてきたのでビッチは殺されて当然と言う人の気持が分からないという話ですが、本当にそうなんですかね? 例えばそういう人は低学歴は貧困に陥って当然とかブサイクは恋愛弱者で当然とかも思わないのでしょうか? 馬鹿は蔑まれて当然だし犯罪者は指弾されるのが当然とは考えないのでしょうか? もしそうなのだとしたら、一体この世界を、怨嗟渦巻く此岸を、彼らはどう生きているんですか、あなたはどう生きてるんですか? インテリゲンチャって、いつからか世間知らずの言い換えになったのでしょうか?
それとも高学歴の人々の世界に足を踏み入れると、貧困者や恋愛弱者や無能者や犯罪者やに無限の施しが与えられるのでしょうか? 彼らは、あなた方はいまだにセツルメント運動だとか言っていたあの時代から何も変わっていないのでしょうか?
こうも考えられます、ビッチは美人なのでインテリ層の仲間だが、ストーカー殺人を犯すようなDQNは世界を同じくする存在ではない。 そのようなもたざるものが持てるものを弑逆したというのは、我々インテリ層の支配体制をゆるがせにする行為で看過出来ない。 あまつさえそれを当然のことと嘯くなどと、到底受け入れることは出来ない。 そういうことなんでしょうか?
■ ■
ビッチは殺されて当然だと言われるのは何故か、それは単純に悲惨な事件に対して因果論的な納得を欲するからではないでしょうか。 彼女はビッチだから殺されたのであり、ここには条理がある。不条理ではない。 そう「理解」して「安心」したい。 それだけのことでしょう?
「ビッチは殺されて当然なんて言うべきでも思うべきでもない」と言う意見が出てくるのは何故か、そう言っておけば殺されるのが当然と言う世界観から自分を撤退させられるから。 殺人という不条理はそれが起こるのが当然と思っている人間の界隈で起こるのであって、殺人を当然のものと受け入れない姿勢を見せれば見せるほど殺人から遠ざかることが出来ると信仰しているから。
両者は同じコインの裏表なんじゃないですかね、穢れを外集団にアウトソーシングして安心したいただの小市民の自己防衛だと、自分は思いますけれど。
■ ■
ところでどうでもいいことですが、ビッチは殺されて当然ではありません。 そりゃあ世にはビッチだから殺されたという人もいるとは思いますが(今回の事件の被害者がどうなのかは知りません)、ビッチだから幸せになった人もいるでしょうし。 貞淑だからといって幸せになれるわけではないからで、要するにこの世界はカオスだから、AだからBされて当然なんてことは無いと思うからです。
「1週間に1度なんて会えない。数か月に1度、こうやって抱き着いたり胸を揉ませてくれれば、それで良い」
「抱き着いたり胸を揉ませてくれれば」を「ヤらせてくれれば」に置き換えたらただのセフレ関係じゃん。
草食だか何だかしらんが、相手の好意を知ってながら家に上げ布団に誘い抱きついて胸を揉んでる癖に「付き合えない」とか。
あまつさえ(どういう流れであったとしても)やることはしっかりやった上で
「なにこの襲われた感…」
とかグダグダ言い訳して全て相手に責任転嫁しようとする奴なんだから、草食とかじゃなくてただあなたがセフレ(のような存在)としか見られてないんだろうね。
10年間ストーカーしちゃうほど好きな相手なんだったら、あばたもえくぼなんだろうけどね。あなたがそれでいいならいいんじゃないの。
身長150cm体重60kg体脂肪率35%の完全なる肥満体。服のサイズはL~LL。
しかも、生まれた時は4000gの巨大児で幼少期からずっとデブだ(巨大児が肥満に因果関係はないが)。
柳原可奈子がテレビに出ていると母に「ほら、あんたが出てるよ」と言われすぎて
最近は「ほんとだー最近柳原可奈子ちょっと痩せたよねー」と受け入れてしまっている。
「デブ専」という言葉がある通り、世の中にはそういう嗜好の男性も多少なりとも存在する。
デブ女は外見のとおり自分に甘い。常に痩せたいと思いつつ炭水化物を頬張る。
それはまだ自己責任なのでいいとして、根性が歪んでいるのが一番の問題である。
デブ女は、道行く人の体型を常に観察している。そして、同類であるデブ女がいると「自分とどちらがマシか」を瞬時に考える。
相手が自分より太っていれば安堵と優越感を覚え相手を憐れみ、自分のほうが太っていれば「でもあっちのほうがブサイクだし」と欠点を探す。
そして、芸能人の体型の変化に敏感だ。「あの女優は太った、あの女芸人は痩せた」と逐一話題にする。
身近にデブがいれば、その人がいない所で「あの子は太ってるから~痩せたら可愛いのに~」と話し、
デブ女が中高年になればなるほど開き直り、細身の女性に対して「あなたは痩せてるからいいわよね! 服選びに困らないでしょ!」と褒めているのか僻んでいるのかわからない発言をする。
勘違いした彼女たちは、デブ専界では有名な「ぽっちゃりね◯とん」や「ぽっちゃりSNS」などに参加し、
明らかにヤリ目な男や頭のおかしなモテない男と出会い、同じデブ女とつるみ、穴兄弟ならぬ竿姉妹になるのである。
デブ専の世界ではたまに「20代学生でフツメンなのになぜここに?」という男がいる。
そういう男は100%ヤリ目である。デブ女が群がるのでデブ専界ではモテることができる。
女芸人の渡辺直美は彼氏が数名いるとテレビで発言していたが(歴代ではなく現在進行形で)、
かく言う私は、2回ほどぽっちゃりね◯とんに参加し数名の男性の連絡先を交換したものの、
上記の人間関係が怖くなりすぐに身を隠した。お陰で27歳の今でも処女である。
デブ女は性欲が強いと言われているが、積極的にそういう世界に飛び込むタイプと
私のように自家発電で終わらせるデブ女もいる。これは細身の女性と変わらない。
だが、デブ女は十中八九根性が歪んでおり、年を取れば取るほどその歪みは強烈なものになる。
道すがら、デブ女を2人見たけたらふたりの目線を注視してほしい。
どちらかが片方の体型や服装をじろじろ見ているはずである。
http://staff.hatenablog.com/entry/2013/11/05/182205
はてダ時代は技術者クラスタがほとんどで、目立つことよりも正確性やら網羅性やらのほうを重視して事なきをえていたが、
はてなブログとはてなキーワードが関連付けられた事により、目立ちたいだけのはてなブロガーがさっそく意味も面白さもないキーワードを作り始めている。
あまつさえ、よってたかってそのキーワードをブックマークし始めている。
内容すらない推敲すらされてないタメ口のだべりがホットエントリに並ぶだけでもうんざりなのに、
次は受け狙いの一発ネタみたいなキーワードがホットエントリにならぶのだ。
身内が作ったキーワードばかりブックマークしてもスパムなのかそうでないのか判定がつかない。
もはや今話題のエントリをピックアップするという、はてブの意義は完全に消滅するだろう。
はてなブログとキーワードが連携された事はいい。むしろ順当だ。
この前の経営者の人も、部下がサボってる。でもちゃんと評価システムとか作るのめんどくさい。
自分が何かされる時は、サボったとか、クズとか平気で言うくせに
自分がなにか担当になると、『めんどくさい』に集約されるんだよな。だいたい。
相手も自分も『めんどくさい』ならいいけど、相手はサボるな、自分は『めんどくさい』だったからなぁ。
携帯持てない奴のために連絡するのを『めんどくさい』で片付ける。そんな程度の連帯感しか教育できない今の教育。
それで、国家再生とかできるわけもない。なんだ、『めんどくさい』って。実に人間らしくて、正直でいいとは思うけど
会社に入って『めんどくさい』っていってるから、こんだけ不況が起きたり、あまつさえ
それで、LINEで連絡できる奴らは友達とか言えるんだから、すごいとおもう。
どうせそいつらとも、なんかあったら『めんどくさい』っていうんだろ?
どーすりゃいいんだよ。(俺の仕事じゃないけど)