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はてなキーワード: 魔女とは

2017-07-09

メアリ、糞すぎるだろ

映画メアリ魔法の花』を観てきたんだけど、糞すぎて震えた。

SNS眺めてると肯定的意見が多いが本気で言ってる?

キャラ魔法その他世界観の設定がガバガバで浅すぎっつーか

まともに描く気ねーだろってレベルで本当にひどかった。めちゃくちゃすぎる。


赤髪黒猫⇒すごい魔女!何回言えば気が済むんだよだし

メガネババアは空中チェイスで本返せ〜言い過ぎだろだし

大挙して並走するモブ動物雑すぎだろだし、かなりヤバいギャグ


ジブリ過去から引っ張ってきた要素や場面を詰め込みまくってて

絵柄もジブリのそれだから、見た目が好きな人はいいのかもね。


こりゃパヤオ引退できねーわ

2017-07-08

けものフレンズ面白さの本質

けものフレンズ』の面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観から抜け出しているところにある。

少し補足すると「抜け出している」という意味は、ある価値観に反発したり、故意に避けたり、過剰に抑圧したりすることではない。一例を挙げると「あんなクズな父親のような人間には絶対にならない!」と考えることはすでに父親の重力に捉えられている、ということだ。

もうひとつの「ガイナックス的なアニメ価値観」は少し複雑だ。細部へのフェティッシュなこだわり、現場いぶし銀技術者ひとつの生物のように有機的に躍動する集団、学校文化と官僚システム/軍組織への熱い礼賛、マスメディアやと民主主義への蔑視……古い世代のアニメオタクの王道ど真ん中の価値観。この価値観の根底には「責任のとらなさ」がある。これについては後述したい。



私自身、『けものフレンズ』は話題になっているのをtwitterで見て、5話くらいから興味を持った後追い組のひとりだ。徐々にハマり、最後にはとても感動した。けれども、しばらくたってもその面白さをまったく言葉にできないことに気づいた。まるで「解」だけが前触れなく控えめに差し出されたようだった。この困惑について、福原慶匡プロデューサーインタビューで語っている。


「皆さんも、なぜ魅力を感じるのか、はっきりとは言語化できてないと思うんです。食べ物でも、なぜかクセになっちゃうみたいなものってあるじゃないですか(中略)というのも、僕が5年前にその感覚を経験しているんですよね(笑)http://a.excite.co.jp/News/reviewmov/20170327/E1490547358865.html

放送終了後、ネット上でいくつか探してみたが「大ヒットの理由」や「エヴァとの共通点」などIQの下がる批評しか見当たらなかった。その清新さや核心について書かれているものは無かった。自分で分析してみてもやはりわからない。一見すると『けものフレンズ』は、パワプロで喩えるなら「オールBでよくわからない特殊能力がたくさん付いている外野手」だ。ツッコミどころがあるようで、よくよく見ていくと隙がない。(あくまでも「一見すると」であり、構成についてはほんとに素晴らしい。監督自身は「怪我の功名」と謙遜するアライさんパートは発明と言っていいぐらいだ)

たつき監督の過去作を見ていくと、クオリティをまんべんなく上げた作品を作るというスタイルは昔から共通しているようだ。『けものフレンズ』では登場キャラクターの紹介とストーリー展開を均等に進め、両者が高いレベルで一体になることを目指したという。インタビュー記事最終話放送直前! アニメを作るのが得意なフレンズたつき監督に『けものフレンズ』の“すごーい!”ところを聞いてみた!!」(以下、「最終話直前インタビュー」)ではこう話している。

「「キャラ先論」「話先論」があると思うんです。そこをまったく同じパーセンテージか、行き来をすごく増やして、キャラ優先なのか、お話優先なのか、わからないレベルでその2つが有機接合できるといいなと考えていました」http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12855680/

ところで、仕事でも3Dアニメを作り、休みの日も3Dアニメを作っているというたつき監督だが自主制作アニメ『眼鏡』発表後の2010年に行われたインタビューでは興味深いことを語っている。ここに一部抜粋したい。

―― アニメはお好きなんですか。

たつき 大学時代に「アニメ作りたいわー!」とか思い出したころからちょいちょい見だしたんですよね。

―― 「すごいアニメ好き」みたいな感じじゃないんですね。そもそもアニメをあんまり見てなかったのに、なぜアニメを作ろうと?

たつき アートアニメみたいなものは学校で見させられていたんですけど、もっと俗っぽいほうがいいなと思って「眼鏡」を作りましたhttp://ascii.jp/elem/000/000/532/532388/index-3.html

本人の発言を鵜呑みにするわけにもいかないが、そう質問せざるを得ないなにかを質問者も感じたのだろう。確かに『けものフレンズ』は熱心なアニオタが作ったアニメという感じはしない。1話の出会いシーンと休憩のシーンが例外に思えるほど性を表現すること行わない。その他ではペンギンの脚やカワウソのケツぐらいだ。もちろん全年齢向けというコンセプトもあるだろうし、動物と人間という認識の違いに厳密に取り組んでいることもある。だが、繰り返し見てもそこに「ほんとはエロくしたいけど抑えよう」や、「萌えを感じさせよう」などという作為が感じられない。肩の力が抜けているというか、監督の視線が別のところを見ているような奇妙な感覚があるのだ。

話題にもなったペンギンの脚については「最終話直前インタビュー」で、こだわったポイントは肉づきであり、それは未だ言語化できていないパラメーターと語っている。やはり焦点が別のところに当てられているようだ。このたつき監督独特の感覚について、チームの中では「ガラパゴス的」「ほどよく鎖国している」「天然」(「最終話直前インタビュー」)と表現されている。

たつき監督の制作に対するスタイルがかすかに見えてきたが、根本的なところ、なぜ面白いのか、なにが新しいのか、どこが違うのかが一向にわからない。繰り返し観ても「サーバルちゃんかわいい」「言われるも!」以外にこの作品を語る言葉は見つからなかった。

そんな時『シン・ゴジラ』についてのツイートたまたま視界に入ってきた。ああ、あの作品は私にとって全然ダメだったな、なぜってあれはオタクのウェーイだったから。だから受け入れられなかった……だからけものフレンズ』は良かったのか。本来なら過去や同時期に放送された作品に触れ、その違いを論じることで導き出すのが正統な論証だろう。だがここでは『シン・ゴジラ』を補助線に引くことでショトカしたい。

シン・ゴジラ』はあの庵野秀明監督による作品だ。詳細は割愛しよう。宮台真司の批判とか概ね同意だ。私がアレルギー反応のような拒否反応をおこしてしまったのは別の部分になる。同作でも、指揮命令系統のフェティッシュともいえる再現、圧縮された膨大な情報量、巨大な生物のようにフル回転する官僚機構がたっぷりと描かれる。ああ庵野秀明だ、ああガイナックスだと感じた人も多いだろう。ただ、結構な面積が焼き払われ、放射能に汚染され、東京の中心で彫像のように固まったゴジラが実写として映し出されるとシニカルな感想も浮かぶ。「想定外の天災」とはいえ主要な登場人物はなんの責任も取らないだろうな、“庵野秀明から”。

ガイナックス庵野秀明に代表される彼らが、凝縮し、エッセンスを取り出し、世に提示してきた価値観。古い世代のオタクの王道ど真ん中の価値観。そこには、新兵器があるなら使おう、ボタンがあるなら押そう、ロケットがあるなら飛ばそう、人類補完計画があるなら発動させよう……後は野となれ山となれだ、という姿勢がその根本にある。責任の取らなさ。それが露出してしまうと、フェティッシュに埋め尽くされた119分はオタクが「ウェーイ!」とはしゃいでいるようにしか見えなくなる。

新しい爆弾が作れるなら作りたい、作ったなら使ってみたい。そういう欲望はギーク価値観として近代には普遍的にあるものだろう。それは責任とセットになっていなければ極めて危うい。『ジュラシックパーク』(1作目)に出てくるでぶが度し難いように。『シン・ゴジラ』の官僚たちは誰一人弾劾されず、断罪されずスムーズに復興へ移っていくだろう。彼らの合理性なら、半減期が2週間なら翌月から暮らすことができるだろう。三権が一体化した効率の良い行政システムを築くだろう。責任を切り捨てたからこそ、フェティッシュの興奮に耽溺できたのだ。棄てられた責任野ざらしにされ担う者はいない。

2000年代2010年代アニメにおいてもガイナックス的な価値観は揺るいでいない。おそらくこんな声が聞こえるだろう。「『ハルヒ』は?『らき☆すた』は?『けいおん』は?『まどマギ』は?『化物語』は?日常系を無視するなとんでもない!“大きな物語”をまだ求めるのか?!」このあたりはもっとその分野に詳しい人の評論を待ちたいと思う。私の見立てでは、それらは(主に女性の)キャラクターについてのフェティッシュを深めたにすぎず、逸脱はしていない。フェティッシュに注力すればするほど与えられた価値観の中での反復行為となり、自らをその価値観の内部に限定させるという結果を生む。そして、目を背けた価値観のもの形骸化しながらもしっかりと保存され、視聴者を貴族的な愉しみという隘路に導く。

もし汲々とした再生産のサイクルの中にどっぷり浸かった人なら、そこから抜け出すには並々ならぬ苦闘と意志が必要だ。たつき監督にはそうした努力は必要なかっただろう。『けものフレンズ』は最初から“できている”。

これは自由の味だ。

ジャパリパークではフレンズたちは当たり前のように責任を持ち、細部へのこだわりは新しい領域に向けられているがそれ自体に耽溺していない。古い価値観を超えるものを作ろうとして頑張った結果やっとできた、ということではなく、初めからそうした問題意識のものが存在していないかのように新しい価値観を持っている。それほどあまりに自然に表現された作品として我々の前に現れた。

可能にしたのは主に3つの要素からなる。「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」。この3つは密接に関係している。「手書きには温もりがある」という言説は否定できないが、大勢が1枚1枚セルに色を塗るという時代ではなく、1人である程度は全部作れる3DCGという環境がたつき監督にとって不可欠なものだったことは想像難くない(実際はirodori時代から分業していたことはブログからも伺えるが、作業量や機材を比較して)。Wikipedia情報によると、彼はサンライズ作品のCGを担当することで商業的なキャリアスタートさせ、以降手がけた仕事は一貫してCG関係だ。これがもし手書きスタッフとしての参加なら、今の形の『けものフレンズ』は存在しなかったし、たつき監督もおそらく従来の価値観に染まっていただろう。

3DCG上で現在主流の2Dの表現をそのまま再現することは難しい。「不気味の谷現象」ではないが、3DCGから2Dアニメに寄せようとすれば違和感が増え、それを克服するためには新しいアプローチ必要になる。たつき監督はレイアウト(構図というよりも画角)の段階からキャラクターの正面を巧みに演出し、同時に正面ばかりで飽きさせないように一話一話を構成することでこの問題に挑んでいる。技術的な分野における刷新、さらに強く言えば断絶。これにより従来のアニメ表現から自然と距離をとることができたことは『けものフレンズ』にとって幸運なことだった。

次にバランス感覚が挙げられる。たつき監督のスタイルにも作品の全てをコントロールしたいという欲望が見える。映像作家としてこうした欲望は一般的ものだ。ただ、「監督、コンテ、演出、シリーズ構成脚本たつき」と商業アニメで網羅しているのは尋常ではない脚本についてはWikipediaの項目を参考にした)。福原Pは、その秘訣はレイアウトからビデオコンテ、セリフ、声の仮当て、声優への細かな演技指導、修正、差し替え、調整という全ての作業をやりつつも「作業のカロリー計算ができる」ことだと語っている。

「そこらへんはプレスコで作ってきた『てさぐれ!部活もの』の経験が活きていると思いますたつき君はその場のグルーヴ感で「これはやったほうがいい」と思ったら作業しちゃうんです。その後のカロリー計算も、しっかりできる人」

http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395

「北風がバイキングを作った」ではないが、繁忙期は1ヵ月ほぼ泊まり込みだったという『てさぐれ!』における過酷な進行がたつき監督を鍛え上げたことは間違いない。余談だが、ファンによるスタッフロールの解析やたつき監督のTwitterでの発言から、『てさぐれ!』2期からirodoriメンバー関西から呼び寄せたようだ。一部で話題になった出来事もこのあたりに遠因があるのかもしれない。閑話休題

福原Pの言うカロリー計算とは、「作業量」と「かかる時間」と「納期まで時間」を正しく見積もることができるという意味だ。結果、各話を見ても全体を通して見てもまったく破綻していないばかりか、各話のバランス、全体のバランスがとても良い。ほとんどの工程にアクセスし、手を入れ、なおかつどこか一場面に片寄っていないということは特筆すべき能力だ。このバランス感覚ミクロの視点とマクロの視点、ミクロの作業とマクロの作業の両セットを備えていないと成り立たないものだろう。シナリオ含め、一貫してたつき監督の思想が反映された『けものフレンズ』。そこでは、「美少女の細部にひたすら耽溺したい」というような偏ったフレームは分解され、ごく抑制の効いたボリューム/表現としてバランスが整った形で配置されることになる。

最後は、アニメばかりを見ていないアニメ監督。これは富野由悠季が公言し宮﨑駿も暗に語る「アニオタが作るアニメはつまらない」という言葉の裏返しであるたつき監督がケニア育ちだったから、というわけではないが本人の発言ではアニメを「ちょいちょい」見るようになったのは大学で「アニメを作りたい」と思った頃からだという。この時点で「東浩紀は『セーラムーン』をリアルタイムで観ていなかったニワカ」とディスられたレベルでのガチのアニオタではないとも言えるが、ここではirodori制作の短編を元に検証してみたい。

1作目『眼鏡』にあるのはメガネ萌え主人公エヴァギミックNARUTOアクションジョジョネタ(格闘ゲーム版)、東方という、既視感のあるオタネタだ。テンポの良さやオチの付け方など評価できるポイントはあるが、お約束というメタ設定(いくら殴られても負傷しない、カエルが空を飛ぶ、怒りで異形化、いくらでも撃てる弾薬など)のあしらい方はごく普通オタク価値観を共有している人向けに作った短編という印象だ。

続く『たれまゆ』では全体的にパステルカラーキャラクターの柔らかい描写に取り組んだことが見て取れる。手描きによる2Dアニメで制作され、架空の田舎の超常的儀式を通して小さな世界が描かれる。しかし、作業コストが高かったのか、合わなかったのかこの後は2D手書き手法は行われていない。

第三弾『ケムリクサ』では再びソリッドな3DCGに戻る。NARUTO風のアクションレベルアップし、設定も作り込まれている。リナちゃんズと呼ばれる5人の可愛らしさと非ー人間ぽさには独特の魅力がある。『眼鏡』のようにネタをそのままネタとして扱うことはなくなり、説明は最低限。たつき監督の作家性の輪郭がはっきり見えだした時期だろう。30分弱の作品にかかわらず、構成やカット割りに無駄がなくかなり洗練されている。しかし、完成度の高さと裏腹に、注目を集めた『眼鏡』よりも再生数や評価は低調だった。ニコニコ動画の過去のコメントを見ると『眼鏡』の軽いパロディのノリを期待する声が多く、制作側としては不本意な結果だったのではないだろうか。ここでは、1作目でふんだんに盛り込んだパロディで注目を集め、2作目では手描きアニメに挑戦。結果、手描きからは撤退し3作目では3DCGでストイックな作品に挑戦したという流れを指摘するに留めたい。

4作目となる『らすとおんみょう』は福原Pと出会うきっかけとなった作品と言われているが、1話を作ったのみで未完となっている。女性のキャラクターの表情はまた一段レベルアップしており、3DCGの中で2Dアニメ表現に歩み寄りたいという制作者の努力が見て取れる。何がこの作品を放棄させたのかは推測でしか語れない。多忙となったためや、異国の魔女と「適当だけど超強い男子中学生っぽい陰陽師(の下請け?)」が子作りするという設定に着地が見出だせなかったのではないかと思われる。現在残された多くの断片からは具体的な落としどころは示されていない。同作はいわゆるハーレムものの構造を取っており、一方でたつき監督の描く萌えはごく控えめだからだ。

5作目となる『のための』はirodoriとして最後の自主制作作品となった駅長さんシリーズ。できあがった時期は前出の『てさぐれ!』の激動を超え、プロフェッショナルとして確立した後になる。正確には『らすとおんみょう』より前に断片的な映像が出ていたが途中に長い中断があり、実質的に『てさぐれ』後に作られたものとみなすことができる。時系列で書くと2012年に2年がかりで『ケムリクサ』が完成。2013年前半に『らすとおんみょう』(1話)。2013年後半から2015年まで『てさぐれ!』シリーズ2016年8月末に『のための』が『駅長さん フル版』(以下、『駅長さん』と便宜的に表記する)として完成した。この作品は5分という短い時間ながらプロの仕事というべきものだ。目が描かれていない駅長さんの動く姿には、これまでに向上した技術が昇華されシンプルな姿で完成している。

ここで「アニオタの作るアニメ」(以下、オタアニメ)の定義について考えてみよう。もちろん厳密な定義などできようもないが、本文章が求める要件は「特定の層だけをまなざしている作品」であり、具体的には「アニオタ視聴者を満足させることを目的とした作品」であるたつき監督は『眼鏡』では明白にオタアニメを目指し、続く『たれまゆ』では本格的に手描き2Dを試み、より迫ろうとした。ここで最初の転機が訪れる。手描きという手法があまりにハイカロリーだったからか、ここでこの方向は放棄された。なろうと思っていたがなれなかったのだ。以降、アニオタ視聴者をメインの観客に据えることはなくなり、アニメばかりを見ていないアニメ監督として本来の姿、幅広い層へアプローチする道を歩むことになる。

ケムリクサ』の段階で3DCGによる手法に迷いはなくなり、削られたカットからも抑制の効いた演出を志向していることが見て取れる。この作品から作風が変わったようにみえるのはテーマシリアスからだ、という批判も予測されるが「ストーリーシリアスになる=オタクに媚びていない」という短絡は採用しない。実際、表向きはオタク向けの作品ではないと装いながら水面下で「今回はこういう感じで行くのでひとつよろしく、へへへ」と、メタ構造(オタアニメにおけるお約束の構造)やメタ構造を逆手に取った仕掛けを差し出すという交渉を行う作品は実に多い。同時に「まったくオタクに媚びてませんよ」という宣言は、冒頭に挙げた父親の比喩と等しく、オタアニメの枠組みから実は一歩も踏み出していない。『ケムリクサ』では前2作であえて“なろう”とした努力が消えている。木の枝が河に落ちるように自然に、観客と交わす密約もなく、反発もなく、媚びていない。ピンポイントに評価される層よりも広い範囲をまなざしている。『眼鏡』よりクオリティは高いにも関わらず受け入れられなかったことは間接的な傍証になるだろう。

『らすとおんみょう』ではその揺り戻しといえる現象が起こっている。ギャグテーマTwitterで発言しているが、いかにもオタアニメという構造(そのままアフタヌーンあたりで掲載されても不思議はない)にチャレンジするも1話を完成させた後に頓挫。理由は色々考えられるが、これまで見てきた通りハーレムものの企画自体がたつき監督に合わなかったと考えるのが妥当だろう。この時期が2度目の転機になる。ある程度スタイルが固まったのだ。それは『ケムリクサ』で表現されたスタイルの延長にありジャパリパークへ続く道だ。キャラクターに瞳を描くことさえ取り止めた『駅長さん』は『らすとおんみょう』の続きは作らないという静かな意思表明とも受け取ることができる。


再び繰り返しておきたいのは「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」この3つはどれかひとつが先立つものではなく、お互いに深く関連しており不可分なものだ。『けものフレンズ』ではこの全ての要素が花開いている。この作品に超絶的な技巧が込められた作画や、ぴちぴちとした美少女あるいは美男子を求めることはできない。あるのはサバンナに向けて開かれたような、開け放たれた窓だ。振り返ると、室内にはエヴァ以降20年にわたる作品がある。時代を代表する色褪せない傑作もあるだろう。でも、もう昔の作品だ。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、清々しい朝日に貫かれた後では、戸惑いつつも思い知らされるのだ。どれだけ偏狭な価値観に縛られていたか。こんなにもこだわっていたものは汲々としていたか。自由とはこういうことだったのかと。

自由の味。開放されるということは、決定的に変わってしまうということでもある。一度開放されたことを理解してしまうと、重さの無いなにかが失われてしまい、二度と戻ってはこない。それを無視して、例えば「エヴァけもフレ」というように馴染みのある文脈に引きずりこみ安心することもできる。「ローエンドなCGでもいいものは作れるんですよ」と心の平穏を装うこともできる。でも、そういうことはもうやめにしよう。『けものフレンズ』はこの20年間潜在的に待ち望まれていたアニメばかりを見ていない監督によって作られたアニメなのだ。その面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観とは別の場所に立っていることによるのだ。私はたつき監督の成果に最大限の賛辞を贈りたい。素晴らしい作品をありがとう

ただ、アニメを見る目がこれまでとは違ったものになったことは少し寂しく感じてしまう。世に次々と出てくる新しい作品がどれだけ面白くても、それらが“過去の遺跡の新作”ならばそれだけで手放しで楽しめなくなったからだ。つまり、ちょっとした困難をかかえこんでしまったことになる。でもそんな心配はあまり気にする必要はないのかもしれない。なぜなら、すでに誰かが言っていたようなのだ。困難は群れで分け合えと。

2017-07-02

[]

図書館魔女 烏の言伝を読んだ。読書力がないせいか結構読みにくい小説だった。

この作者さんは微に入り細を穿つ性格なのか、前回もそうだったけど、妙にこだわって描写をしている箇所が随所に散見されて、そのせいで全体のテンポがおちてしまっている気がする。

色んな分野への造形が深いみたいで初めて得られる知識も多くて面白かったんだけど、過不足なく描写するって点からみるとマイナスなのかも。はっきり言ってくどいところが多かった。

また読みがわからない漢字も多かった。漢字辞書をひきながら読むと勉強になりそうだけど、自分は多分に読み飛ばししまった。

自体面白いんだけど、過密な描写と、なんというわけでもなく読みにくい文章構成と、何よりも登場人物名前が似通っているせいで、ちょっと没入感は削がれてしまたかな。

冒頭の風景描写とか、変に力んだせいで情景が浮かんでこなかったし。これはもう読解力とか文章の好みの問題なのかもしれないけど。

はいえ続きものは素直に次が気になるので三作目に期待します。

2017-06-21

https://anond.hatelabo.jp/20170621010802

でも「時をかける少女」「ぼくらの七日間戦争」あたりならそれほど違和感はないでしょ。

このあたりは昔の作品からっていうのもあるけど、

最近の「黒魔女さん」「ナビルナ」「怪盗レッド」とかなら、

まあ知らない人に見せたらラノベ区別はつかないだろうね。

2017-06-18

PDCAとは過去反省同義

とある新人漫画家に、本当に起こったコワイ話」で、身近な奴の起業とか自分のことを思いだして書く。

雑誌編集に限らず、起業回りで身近に反省のないテキトーマネジメントを見かけたので。

自分PDCA意識して、反省して治していく意識がひつよう。ということと、反省もせず成長もしないが大組織たまたま入れたからそのままのうのうとしている奴もいるから、

しろ今は大組織と絡む時ほど危ないんではないかという話として。

ものづくり支援系Aのところ。とある奴Bが自分の作りたいもの作ってそいつらのところに行って見せたら、起業しようとA関連のEが誘っておこした。

EのBに対するおだてがひどい。しかも女とか金関係が手に入るとか下品ヤバイなと思って僕は距離をおいていた。

Eがチェックしたという事業計画書はむちゃくちゃだし、動く金額センスむちゃくちゃ。

Bのビジネスも当初とは別の切り口でやればうまく行くかな?とは思ってた。

Bの会社について地元のビジコンでも審査員先生こぞって別の切り口でまずやったらどう?といってた。

が、Eが「そいつらわかってないだけだよ。見返してやろうぜ」とかFBに書いて方向変更なしでやってたので、ああ、、、、だめだな。と思ってる。

あとからおもえば、B自分の回りで自分が一番優秀でいたい。自分実態とは関係なくもう全てに万能である。という、今から思えば社長によくいるタイプ

それにEがとことんおだててBの感覚麻痺させて。完全にダメにしてる。

https://shimirubon.jp/reviews/1682954

ヒモ男の指摘がまさにピッタリ。

うっすらもう潰れるだろうな。という感じはする。

でまあ、Eは能力がないんだよね。ボーノも。育てる力がない。

だけども、金がある主体のところにいて、多数拾って、多数ダメにして、一部ものにできたらいいという感覚でいる。

ダメにした奴の人生?Eやボーノは何ら損害を被らないから、あたかも、まどか☆マギカ魔法少女たちと同じで代わりの誰か原石を拾えばいい。という立場

魔法少女たちは魔女になってその後の人生はめちゃくちゃになるが、そんなの知らんよ。と。

原石は磨かれない。磨く手法もEやボーノにはない。結局原石なんて磨くのは当人だけど、忙しくされたらそれどころじゃないだろうなという感じはする。

あと、つい最近Eの親玉Aの社長が「PDCA?目標?そんなのあったら柔軟に動けない。そんなのなしなし」とか言うのを書いててプチーンとなった。

まあ、FBでEがらみのつながりを残しておいたから見えちゃったが、ああ、性根から腐ってたんだ、、、、、。と軽い絶望と、

絶対関わったらダメだという信念を新たにした。

書類ガチガチのPDCAで縛るのは意味がない。

けども、PDCAの意識全くなしってのは「過去反省をしない」のと同義

PDCAに書類なんかいらない。適度に自分自身がやったことを見直すだけ。と行っても余り悩みすぎても意味ないが、仮でも答えを出して積み上げていく。

Eもボーノ反省しとらんのだろ?そもそも「今の行動をなぜするか?」のP(Plan)すらなく適当にやってるから、チェックし直すこともできない。

それ以前にバックに金があるところがついていて、反省しなくても、大量の代わりの「魔法少女」を見つけたらまあやっていけるわ。という感覚なんだろうなぁ。

組織が絡んでいて、その大組織マネジメントができるような人間をそだててない。となると、新人っぽいのにはこういう能力がないやつを付けざるを得ない。

やることの意味を考えて、行動して、やったことは一度振り返って反省して、なおしましょうや。

というのと

しろ組織だと、最近適当にやってうまく行くのがあったらいいよね!代わりはいくらでもいるから!みたいな奴が蔓延してるから

組織と関わるときはホンマに注意しないとなと思う。

個人事業主とか、企業みたいな、誰か守ってくれる上役がいない状態では「ヤバイかも?」レベルで逃げるくらいじゃないとダメなのかもしれない。

2017-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20170606210933

美女と野獣に出てきた魔女のおばあさんってこういうところからきてたんかな

2017-06-04

右傾化の息の根を止めるなら鉄道趣味秋葉系弾圧せよ

2011年アニメ魔法少女まどか☆マギカ」に次のような描写がある。

敵の魔女攻撃を受けた魔法少女は死後に魔女となって復活した。魔女魔法少女を襲う敵だ。そこで魔法少女はその魔女を殺しにかかる。では魔法少女の亡霊は…?

そして、このような亡くなった魔法少女魔女化を引き起こしているのが宇宙人仕業だとわかり、魔法少女魔女になった魔法少女のためにも宇宙人を殺すことを決意する。

各地でサブカルチャー方面から右傾化が起きている。今までの所謂ネット原住民空間における安倍旋風問題に加えて今度は何故かサブカルという本来無関係なはずの方面から右傾化が始まり、今までサブカルチャー依存していた左派が動揺している。

そして最近調査では、ネット原住民空間特に2ちゃんねるでは左傾化が始まっており、鉄道趣味秋葉系がメインの右派人材供給源と化しているという報告がある。ネット右翼保守シンパはそれに気づいていない。2000年代とは右派供給源が変わっていることは明白だ。

さらに隠れ右派跋扈している可能性は、いまや日本鉄道趣味秋葉系界隈であればどこでも可能性がある。積極的右派活動はしないまでも、ひとつ間違えば左派でいうアニメオタクの例のように先鋭戦力化することもありうるのだ。

そこで「魔法少女まどか☆マギカ」の様相を呈する。

右派右翼跋扈するネット原住民攻撃するのなら、宇宙人魔女化した魔法少女魔法少女殺害したように、なぜ鉄道趣味秋葉系弾圧しないのか?

タイトルやこの文章はもちろん逆説的な意味である鉄道趣味秋葉系弾圧しても、ごく一部のウヨネトウヨを倒すだけで、ほとんどの被害者一般人ノンポリ左翼になってしまうからである

この冷静な判断がどうして日本左翼界隈ではできないのかを問いたいと思う。

魔法少女まどか☆マギカ」では疑心暗鬼かられた人間が、ついには仲間まで信用できなくなり、無実の人間同士が殺し合い、強い魔法能力を身につけた魔女も敵として魔法少女殺害される。そしてついには仲間の崩壊を招いた。

これと似た状況になりつつある。2011年人間の心の醜さを描いたアニメ魔法少女まどか☆マギカ」は見事である

はじめから望んで犯罪組織に入る人がいないように、人間ウヨネトウヨとして生まれるのではない。どこかで憎しみや愚かさを抱いた時、ウヨネトウヨになるのだ。ウヨネトウヨを倒して気勢を上げれば、その肉親は憎しみから娯楽や文化を殺すことを誓う。この連鎖はおそらくとどまることを知らないだろう。教育界隈や、警察界隈の腐敗がゆとりさとり世代暴力団暴走族という妖怪のような集団を生んだように、右派狩りさらなる過激右派を生むと思われる。

ひょっとしたら魔法実在していて、この動きをほくそ笑んでいるのかも知れない。

2017-05-26

加計学園問題集団ヒステリー

玉木雄一郎議員も認めている通り、現在疑惑が全て事実だと仮定しても違法では無い。

安倍首相加計学園のオッサンから裏金貰ってなければセーフ。

金貰ってても適正に処理された政治献金パーティー券ならセーフ。

安倍首相ポッポナイナイしたければ数百億以上でも出来る立場なので、たかが1学園の理事長如きが、地位をかけて不正する金額を払えるはずも無し。

恐らく裏金は貰ってない。

なので、問題はデュープロセスオブローの話になる。要するに公正な手続きを経ているかどうか。

ここで抑えておかねばならない事は、安倍首相官僚に指示する立場だという事。

仮に、獣医利権を守りたい官僚が抵抗したら「俺の意向ださっさとやれ」と言っても職務範囲内。

もちろんそれは、「(お友達に良くしてやりたい)俺の意向ださっさとやれ」の可能性も有る。

ただし、個人の嗜好を完全に排除する手段人類は持っていない以上、ある程度の趣味趣向が意思決定に入るのは仕方がない。

そしてこの後の事も考えておかねばならない。今のままだと獣医学部は出来る。

出来た時に、税金をしこたまつぎ込んで土地まで提供した学園が経営不振で潰れるのは損失だ。

原発事故太陽光発電問題諫早湾菅直人はクソな対応をしたが、その決定は民主主義プロセスを踏んだ以上受け継ぐしか無い。

加計学園獣医学部がクソな対応だったとしても、違法行為が無いのなら受け継いで次を考えるしかない。

次とは、今後同じような事が起こらないようにするって事だ。

前の森友学園問題でも同じ事を言ったが、法的に問題が無いのなら議論の焦点はプロセス過程改善する事に絞るべき。

学校新設で自治体や国が土地無償供与するのはよくある事だが、そのプロセスの透明化を促す。

特区の設定は必ず複数地区で行い、複数業者が別々の地域で行う。

などなど。

個人良識に頼るのではなく、より良い制度を作り上げていく事が政治家役割で、より良い制度を作る政治家を選び悪い制度を作る政治家を落とすのが市民役割だと思う。

改善が望めないのであれば、政治家選挙で落とせる。

結果を出せなかった民主党が見るも無残な敗退をしたのはご覧の通りだ。

自民党もあまりに酷かった時に何度か政権を手放している。

今は官僚前川氏が持ち上げられているが、危険兆候だと思う。

官僚選挙で落とせない。少し前まであれだけ官僚支配問題とされたのに、もう忘れたのだろうか?

健全民主主義国家として、官僚政治家の手足として動くべきだ。

集団ヒステリー発症する頻度が上がってきていて不安になる。

我々は良き市民として、冷静に日本を良くする方法を考えるべきではないのか。

http://anond.hatelabo.jp/20170329165529


追記's

全くの正論だけど、じゃあ手続きが正しかったってさっさと証明しない官僚与党はアホちゃうのん



正しい人が正しさを証明しろと迫られる世の中は狂ってる。

間違っていると指摘した人が具体的に証拠を出して間違いを証明するのが法治国家

そのために情報開示請求が有り、その制度に不備が有るのなら制度設計を変えねばならない。

俺が出せと言った情報をすべて出せ。出さないならお前は魔女だと言ってるのと同じ。

まさに集団ヒステリーですよ。


"議論の焦点はプロセス過程改善する事に絞るべき"そのためには問題点を洗い出す必要があるのに、政府問題のもの否定してるでしょ。で、その尻を叩くべく声を上げると、今度は集団ヒステリー呼ばわり。

問題点を洗い出す過程情報公開に不備が有るのなら、制度設計を変えるべき。

問題のもの否定しているというのは、違法性否定であって政府立場としては当然。たとえ犯罪者でも、自己を弁護する権利は有るのが法治国家

プロセス改善違法性の指摘を意図的無意識か知りませんが混ぜてますよね。これも私はヒステリーと呼んでいます

冒頭で書いた通り、問題を指摘している玉木雄一郎議員ですら、現段階で指摘している疑惑違法性無しと明言しています

ならば、制度設計を見直すしか無いでしょう。不公正なやり方が通るような制度設計を許したのは、民主主義国家政治家市民責任です。


法的に問題が無くても政治的責任が有るという指摘はその通り。

私も法的に問題が無ければ何をやっても良いとは思わない。

しかし、政治的道義的責任政治家に問うのなら選挙で落とすのが筋だと思う。

毎週のように行われる世論調査や、恣意的質問や都合の良い場面ばかり流す街頭インタビューではなく、

有権者意思をはっきり示せる選挙こそが政治的道義的責任を追求するに最も相応しいと思う

数年のスパンが有るが、一度の決断と1票はそれくらいの重さが無ければならない。

短絡的な決断国家の行く末を決めるのは危険だと思うのだが、諸兄の考えはいかがだろうか?



トラバブコメについて

下品言葉政治を語っている人が散見されますが、非常に残念な事です。

公の議論をする際に、最低限の体裁すら整えられない人が政治を動かす事はありません。

何故なら、他人と顔を突き合わせて語ることが出来ないからです。

あなた書き込みは、近しい人や他人にそのまま語れますか?

政治の話とは誰に対しても語れる言葉でなければならないと思うのですが。

これもまた、冷静に自己を振り返れないという意味集団ヒステリーですね。

2017-04-30

はてな魔女狩り

ママと叔母さん 魔女狩り

ママと叔母さん 空を飛ぶ

ママと叔母さん 魔女退治

魔女は涙を流さな

 

増田一号 溺れ死に

増田二号 首吊った

増田三号 火炙りに

増田四号 鞭打ち

2017-04-11

鉄道おじのオートバイからの異常な興奮について

http://anond.hatelabo.jp/20170528064815

オートバイ性的興奮のこじつけ」もダメな聖域ではないか。昔には鉄道フリークなんてなかった。それに比べれば「オートバイフェチ」はある。一見すると良いようになっている。しかし、鉄道おじが「オートバイガー」「自転車ガー」になるということは、とんでもない。カルトと一緒だ。

私が嫌悪しているネット民のひとりが鉄道おじのシンパのC君だが、Cが若い頃に描いたという漫画もやはりこんな感じで、オートバイガーと無縁なことに気づくことができる。

鉄道おじは基地周辺の飛行機の飛行音やかつての暴走族車両やその車の走行音を「造型ポルノ」「音響ポルノ」などと呼ぶ、サイコパス障害者予備軍であるしかし、実際には、あの迷惑的な物を美化する様子を見ると、彼らは同族嫌悪近親憎悪のように見える。どちらもなんとかフェチではないかと。それを卒業しろよと。卒業する前に高校を出て大学を出た挙句の果てに職に就いたのなら、もう手遅れだ。

「造型やサウンド」で快楽を覚えるように、鉄道おじは自転車オートバイの形や走行音で興奮を感じる。鉄道おじはサーキットを彼らのための娯楽施設と言っているが、鉄道おじは自転車オートバイ走行風景や造型などで性的まがいな興奮を感じているの事実である、逆にそれにまたがる人自体には性的興奮を感じない。

鉄道おじは2003年普通二輪免許取得と同時に行った250ccのオートバイの乗車は「オートバイで興奮を覚えた」一番最初の機会である。で、同じく好きなクラシック音楽感覚ヘッドホン走行サウンドを聞きながらストレス発散をしていると思われる。つまり鉄道おじのアレなのである。そのようなオートバイフェチ常識を外れた性的嗜好を、鉄道おじのオートバイ自転車の造型で性的興奮していくことが、のちにあのように発展していくのだ。

私がこのような違和感を感じた最大の要因は、ロードバイクオートバイの大群に興奮を覚えた鉄道おじを批判した人が、逆ギレした鉄道おじによって糾弾されたことにある。楽しさをわからない子供だと。しかし、その後に不正改造車のネタ消費を記事にした鉄道おじは、なぜか「竹箒に跨って飛び跳ねて遊ぶ女性」を批判していた。

もしオートバイ自転車の造型や騒音性的興奮を覚えるのは良いというのが「竹箒を使った魔女魔法使い魔法少女の真似は下品」なら、鉄道おじの主張は明らかなダブルスタンダードになるが、実際はそんな問題ではないし、何より成り上がりである鉄道おじが下品趣味を捨てていないのだから鉄道おじこそ「下品である

鉄道おじは魔法少女もの漫画を持っていないし、1990年代から今日に至るまでアニメオタク活動をしているとあるが、魔法ものアニメについて触れたこともない。その際、一度もを調べずに自分無知や低知識をもとに娯楽論もどきのまとめを投稿したわけだが、オートバイからの興奮のリミッターが鉄道おじの人間性ダメにしていないか

これが鉄道おじである。もちろん当然、鉄道おじの自宅部屋に行けば、本棚には古今東西の不良漫画オートバイ漫画が、PCやその周辺にはオートバイ自転車に関する画像を集めたディレクトリゲームソフト機械があるから、その時点で問題である。本当にオートバイから性的興奮は脳内から追放したほうがいい。そして、鉄道おじの異常な性的嗜好をどうにかしたほうがいい。

2017-04-01

キラキラ女子起業家に思うこと

近年キラキラ女子ブランディング材料とし、キラキラ女子であることを前面に押し出し起業家というのを見かける。アレは、たぶんプロフェッショナルではないなと思ったのが、つい今しがたのことだ。

起業家女子でいてはいけないと言いたいのではない。ブランディングという面で失敗しているという意味だ。

もしXという商品を扱っている起業家が二人いるとして、ひとりは、キラキラ女子起業家のAさん。もう一人は、Xを扱っているということをブランディングしているBさん。

実力が同じで、扱っているXが、依頼を検討している商品なら、僕はBさんに依頼するだろう。もし僕がAさんに依頼するとしたらその理由は、せいぜい「鼻の下を伸ばした」に過ぎない。

不思議な事に、Bさんが「自立した立派な女性」であった場合、その女性性は、隠していてもにじみ出る。僕の知人起業家の、Mさんがその典型例だ。どれだけ女性に見られて男性の下心を避けようと思っていても、Mさん可愛い(過去には女性らしさを完全に消そうと思っていたそうだが、そういう服装が、全然似合わなかったそうだ。)

キラキラ女子というのは「自分は魅力的なのだ」と、精力的にアピールする女性のことだ。往々にして、彼女らがアピールする「女性」というのは、女性社会が作り出した「輝いている女性」のステレオタイプのものだ。それは、男尊女卑社会の中で「抑圧された女性」に対するアンチテーゼのようなものであろうが、周りから見ればバカキャバ嬢か、よくてチャラい女の集団かなにかと、同じような集団しか見えない。(キャバ嬢馬鹿にしているわけではない。風俗産業出身ということでブランディングし、それで活躍している女性はたくさんいる。そういう女性女性の憧れの対象になっている場合が多いし、男性からしてみれば、おいそれとは手を出せない、不思議な「魔女」だ。格の違いというか、この場で言う「バカキャバ嬢」とは別の人種だ。ちなみに、バカキャバ嬢のうち「キャバ嬢は誇りです」みたいなことを言い出す人たちは、この魔女に憧れているか自分魔女と同種の人間勘違いしていると思う。)

さて、魅力的な女性起業家というのは(男性もそうだけど)、「キラキラ女子」みたいな、わざとらしい主張じみた行為をしなくても、その魅力は滲み出るものである。恐らくなりたい自分表現した姿が「キラキラ女子なのだろうけど、そういうものになることではなく「プロフェッショナル」を目指すだけで、勝手に「なりたい自分」になっていくものだと思う。「キラキラ女子」を目指して起業活動をしている時点で、彼女らは、自分自身の過ちに気付くまで、一生「なりたい自分」にも「プロフェッショナル」にもなりようがない。そもそも、彼女らの表現している「キラキラ女子」というものは、8割がた彼女らの憧れの姿であって、おそらく「その人自身の本当の姿」ではない。本当の自分の魅力を認めることを、彼女らは恐れているのだ。

2017-03-03

「2000万円のお返しになります

コンビニレジで女は言った。にせんまんえん、の、おかえし。通常お返しというのはお釣りのことで、通常この国で流通している最高額紙幣一万円札だ。従って通常お釣りは1万円を超えない。にせん、まんえん。

現金か、不動産などでも構いません」

追撃が入る。

2月14日バレンタインデーです。私は貴方に1000万円相当のチョコレート差し上げようと考えました」

そんなものは貰ってないです。

「そう、ご存知の通りこれは諸般の事情によって果たせなかった。心より残念に思いますわたし、あそこのベンツの形をした乗れるチョコレート差し上げようとチョコレート魔女弟子入りまでしたのです。けれどベンツでしょう?いかんせん禁煙がうまくいかなくて」

湯煎したチョコレートのボウルから螺子やホイールを引き出そうとしても、タクシー模型やら頭につける方のボンネットやらが出てきてしまものから魔女の3つの顔にかわるがわるダメ出しをされたのだという。

「ところで三倍返しというルールはご存知でしょうね?」不知ないし否認し「先月14日、私は1000万円を貴方に渡そうとしました」

あの。

「ですから貴方には今月14日、私に対して3000万円相当の『お返し』をする義務が生じているのです。未だ履行を見ていない私の1000万円については慚愧に堪えませんが、やむを得ず『お返し』の一部と相殺して頂くことにして、お返しは2000万円で結構ですよとこういうわけです」

そんなわけで2000万円の債務を負うことになった。

2017-02-24

おじゃ魔女カーニバルのびっくりびっくりBINBINってところが、大人になってはじめておじゃ魔女に触れた自分にとってはいやらしくしかきこえない

いやらしいのは歌詞じゃなくてそう感じてしま自分なんだろうけど

参考までにリアル子供ときにこれを聞いてた人間がどう思ってたかをききたい

ちょっとエロイ男子なら子供でも同じこと考えてたよな?

http://anond.hatelabo.jp/20170224112209

魔女って実は聖書にある概念じゃないんだよね。

呪術師?だったかはあるんだけど、要はオカルトいたことやってる婆さんのことで、悪魔の手先みたいなニュアンスはなかった。

ヨーロッパにもともとある魔女伝承が誤ってキリスト教徒に採り入れられたんだろうね。

なので「魔女が死んだらどうなるか」っていう事態が(キリスト教世界観では)そもそも観念しにくい。

キリスト教では魔女って死んだらどうなるんやろ

魔女天国には行けんから地獄に行くんやろうけど

地獄では悪魔イジメられるやん

でも魔女って悪魔と仲良しやん地獄イジメられるんかな?

ようこそジャパリパークへを1日60回以上聞いたのに星野源になれないんだが

おじゃ魔女カーニバルプレイリストに入れてみるか

2017-02-09

女児アニメで人気が出るのは

純粋に疑問に思ったのでだらだら書こうと思います

あくま自分主観なのでツッコミどころはあると思いますが許して下さい

推敲もせず思ったまま書いているのでそれも許してください

デザインとか設定についてだけ言っているので詳しい内容とかはべつです あくまで見た目だけの話です

全体的にすっごいカラフルな印象です

あと色に対するキャラの忠実さは異常

「わかりやすい」のが一番いいからですかね

主人公ピンク、黄(金髪

女児に人気のある色トップピンク

それに加えて戦隊物の赤主人公の流れを汲んでピンクなんだと思います

衣装の色がピンクだったりプリキュアにはそもそも髪色がピンクな子が多いです

金髪の子も多いです ぴちぴちピッチアイカツ プリキュアにも金髪ピンクが増えてきました

多分ピンクと合わせやすいし可愛いからじゃないですかね 昔との差別化とか

サポート役は青、黄、オレンジ、緑、

主人公と逆の寒色は1人は必ずいると思います 画面のバランス

あと経験則からなんですけど、ピンクが嫌いな子は大体水色が好きなのでやっぱどの層もいれようってことだと思います

青はクール、黄はポップ、オレンジは元気、緑はインテリor天然

キャラ少ないので自身はないのですがおっとりしてるかメガネかけてるかって印象があります

強い人は紫、黒、赤、白

強い人の例は神崎美月やかなめちゃんです

小学生白書最後URLからみても人気上位ですね

紫はミステリアスっていうイメージがあるので、大人の女性に憧れがちな年頃の子に人気出る傾向があります

白銀リリィちゃんとか

プリキュアの追加キュアも紫か赤

髪型

ツインテorロング

ヘアアレンジができるようにやっぱり長い髪の子が多い

ツインテはぱっと見て可愛い自動的にロングにできるので結構多いです ここたまとかリルリルフェアリルとか

ポニテは正面からわかりづらいから少な目かな?

ショートの子別に特徴があったり(前髪はねてたり)リボンや髪飾りをつけてます

おしゃれ的な問題で髪に装飾多め

主人公ツインテだったら周りはショートおろしてる子で固めたり主人公との差別化は大きいですね

大人向けだったら同じ髪型結構あります

ダブル主人公とか立ててるアニメは二人ともおんなじ髪型がある気がする RLなど

DCD流行先駆けのおしゃれ魔女ラブ&ベリーは二人ともショートでしたね

あれは髪型カードがまた別にあるからシンプルにしたのだと思います

服の装飾

最近リボンが多いですね 縛り方や色によって可愛いクールもいけるし

プリキュアでは前はハートが多かったですが最近ではダサい感じに見える(暴論)

星は定番で柄にしたり髪飾りでつけたり

モチーフ

お姫様童話)、花、トランプが多い

お姫様は安定して人気があると思いますふたご姫リルぷりっGoプリ)

色んなお姫様がいるしね

トランプクラス分けに使われてるイメージ

設定

アイドルもの多いと思ったけどそうでもないですね

アイカツアイスタプリパラの二大アイドルアニメがあるからそう錯覚したのかも

アイドルものは昔からありますね きらレボなど

みんなやっぱり憧れるからでしょか

魔法少女もの戦闘もの女児向けから大人向け男性向けに移行(という言い方は正しくないが)していると思います

多分まどマギから

日常ものは意外と少ないイメージ 違う世界を求めてるってことでしょうか

まとめ

よくわからなくなってきたのでやめにしま

料理ものとか流行りそうな気がするけどなあ

追記

キューティーハニーの時は生きていませんしプリキュアは見てますプリキュアはお料理ものではないしプリパラ結構異端ですよね そこがよい

参考文献

小学生白書Web2015年10月

http://www.gakken.co.jp/kyouikusouken/whitepaper/201510/chapter4/05.html

2017-01-30

専門職がこわい(管理職営業職)

当方エンジニア

こわい、というかなんだろう

どこまで行っても訝しげな顔をされる

まるで魔女を見るかのような表情

どれだけ説明しても、理解するのではなく「敢えて騙されてやってる」かのような素振りを見せる

というか理解しようとしない

仲良くなっても専門職の和には混ざらない

あくまで「俺とお前ら」という感じ

こちらが管理営業サイドを勉強して歩み寄りを見せても、どこまでも訝しげ

そんな雰囲気がこわい

 

そうじゃないマネージャーもたまーにいる、技術が好きなタイプマネージャー

そういうのはありがたい

理解しようとする姿勢を示したあとで、たとえ「やっぱわかんねーや」と言われても、そっちのほうがいいとおもう

2017-01-19

[]高遠るいボアザン」

武蔵とかラスプーチンとかそこらへんに実はこんな魔女からんでたのかもよ、というような感じの短編がいくつか入ってるオムニバス形式

相変わらずすげー下調べとかしてそうですげー

でもなんかあんまり面白くなかったなあ

なんでだろ

短編だったかインパクト小さかったせい?

史実準拠っぽいところに驚きが少なかったせい?

モスマンかいumaが出てくる短編はまったく面白くなかった

タイムパトロールっぽいやつはそこそこだったけど終わり方は微妙

みかるんではキリストからめてたけどこっちはツングースカ大爆発からめてたね

うーん総じていまいち、かな

2017-01-17

[]ファイアパンチ37話

氷の魔女に首を切られて死んだと思っていた元教祖は生かされていた

スーリャと名乗る氷の魔女によって管でつながれている状態

スーリャは氷の魔女なんてファンタジーものいないと

お前が死んでは困る、と

そして自分目的は「一度この世界を終わらせて次の世界を暖かくすることだよ」だと告げる

一方トガタはばれてしまった以上ここにはいられないとばかりに荷物をまとめて出て行った

ふーむ

教祖に乗り移って何かする感じかなあ氷の魔女(偽)は

まだよーわからん

2017-01-11

キリスト教には聖女信仰的なものがあるんだよね

貴婦人の崇拝ってのはその延長上でもある

(それとは別に悪しき魔女、って概念もあるんだけども)

日本も大昔はそういう女性信仰的な文化が少しはあったらしいが

武士階級支配するようになる頃にはそういう文化はなくなり

女性女性だけの世界所謂「奥」)に閉じ込められるようになった

女は家に閉じこもってろってのもその延長

宗教的にも、仏教しろ儒教しろ女性は一律に「汚れたもの魔女)」扱いでしかなく聖女存在しないし

2016-12-31

2016年懺悔詩(7)「2016」

地下鉄駅構内正体不明

過激派が暴れた

街を砕くのは漆黒のシルエット

謎の暗号は誰かの名前

俺達がまだ首都圏にいなかった頃

1995年悪魔に負けた

そしてこの事件歴史に残った

宗教アレルギーの島

求めちゃいけない

甘い口づけは

悪魔魔女が踊る暗黒の街で

何を歌おうかロキノン演歌を歌おうか

今、学生徴兵された兵士と呼ぶ

そして会社員まで兵隊扱いするのか

戦争もないのに

大卒までに

大学生のお兄さんお姉さんの

今が危ない

学歴社会

あてにはならない

俺たちを初め、多くの人達を縛りつけて

勝ち組に仕立て上げた

全ての大人優等生問題児感謝しま

2016年日本ゴミ溜め代表greatchina2

2016-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20161226193704

オタク東京ミュウミュウとかおじゃ魔女ドレミとかはるみちとか言って結構注目してる感じやけど

スタッフもかなり変えたらしいし、行き詰まってきたプリキュアシリーズ存続の危機からてこ入れなんかもねぇ

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