はてなキーワード: 山本寛とは
各所で話題(?)になっている『Wake Up, Girls! 新章』についてです。
作画、ライブCGに関しては他の人が十分言ってるからいいや、っていうのと前のアニメの時作画さえ変われば、って言ってたオタクが作画叩いてるのなんなんだ以外の感想は特にないです。"そういうもの"として見るしかないかと思います。
本題として新章のキラキラ感があるのはなぜか、という話です。
多くの人が知ってるかと思いますが、新章から監督が変わってます。前章(便宜上、Wake Up,Girls(テレビ版)・七人のアイドル・青春の影・Beyond the Bottomを前章とします)では山本寛氏、新章では板垣伸氏がそれぞれ監督を務めています。
ぶっちゃけアイドルというものがあまり分からなかったんですよ。得意じゃないといいますか、皆さんアイドルのどこを好きになるんだろうって…。私、個人的な見解ですが、アイドルは絶対に自分の彼女とかにはならない。つまり自分のものにはならないにも関わらず、なぜ好きになるんだろうって、小学校の時からずっと思ってました。私が小学校の時にもアイドルブームはありましたが、ポスターとか貼ってるのを冷ややかな目で見ていましたね(笑)自分の彼女になる訳でもないのに、どうしてここまで熱を入れられるんだろうって。この考えは未だに変わってませんが、脚光を浴びてお客さんの前に出たいと言う気持ちはどのような感じなんだろうと想像するのが面白いと感じるようになりました。これが自分の中でのアイドル観なんですけどね。
山本寛氏はアイドルファン視点、板垣伸氏はアイドル視点でアイドルを見て作ってるから前章と新章では傾向が変わるのは当たり前です。
アイドル視点で作るからア○マスやラ○ライブ!と似たようなキラキラ感が新章で強くなるのは当然な気もします。
ただ、"WUGらしさ"はアイドル視点で作られたものではなくアイドルファン視点なんじゃないかなぁ、という個人的意見です。
(なんでアイドルよくわからん、って言ってる人がアイドルアニメの監督やってるんだ……)
舞台「Wake Up, Girls!-青葉の記録-」を8回見に行ったオタクの戯れ言。
自己紹介のところで黒の見せパンだった某声優がライブのシーンでは白に変えてたのをこの目で見たから話題になってる声優のパンツdisは本当なのかなぁ感。
キャラデの変更は旧キャラデがヤマカンの友人で、キャラデ継承を許可しなかったからなので仕方がない。
もちろん板垣とヤマカンの作風は違うが、そもそもヤマカン監督なら続編は作られていないだろう。
ヤマカンが何をしていたかは、関係者の日記などをあたればわかる。
山本寛は板垣夫妻にのっとられたと主張しているが、実際はそうではない。
ヤマカンが仕事をためこみ、公開スケジュールに間に合わず、それでもヤマカンは自分がちやほやされるイベントに出かけてしまっていた。
なんとか終わらせるためにプロデューサー(板垣嫁)が沢山の人を集めて完成させた。
そして、スケジュールを守れない監督、作品を私物化する監督にスポンサーが仕事を任せたいか?
NOだろう。
ordetの経営自体が危ぶまれる。だから山本は追い出された。
また、WUGをなんとか存続させたい制作側がヤマカンを外すのも当然の判断だった。
さらに、アイドルを売り出すアニメであるならば、それぞれのキャラクターを立てなければいけない。
そのために方向性をシフトするのも製作側にとっては当然の判断だ。
映像的には劣化してる部分が多いのは事実だが、キャラクターを立てるポーズや脚本は上手くやっている。
宮城の負け組アイドルの成長物語およびアイドル群像劇という軸を維持しながら、萌よりのコミカルな要素を増やしていて、バランスは良い。
今のところそれほど悪いとは思わない。
もちろん、作らないという選択肢もあったとは思う。
本来存在しなかったかもしれない新章なのだから、文句があるなら見なければいいと思う。
たいしたアニメではないと思うし。
新章を貶すツイートをリツイートしたり、放送時間の裏で内容にケチつける生放送したり、もう醜悪すぎるからやめてほしいです。
あなたは委員会から酷い仕打ちを受けたのかもしれないし、元々の正義はあなたにあったのかもしれないけれど、過剰な暴力によって善悪が逆転して見えます。
テロリストみたいな状態です。(彼らも自らが正義だと信じながら、その活動は世の中からは邪悪な存在として認識されている)
それでもなお、あなたが受けた痛みに比べれば足りない、まだ続けるというのなら、せめて内輪でやって頂けないでしょうか。
相手が抵抗しない(我々には見えない)から、最近はただあなたが一方的に攻撃を加えているようにすら見えます。
何より私は、あなたが何かを破壊する行為より、あなたが作るものがみたい。
いまは薄暮というプロジェクト、そしてまたそこに賛同してくれる新しい仲間を得たのだから、あなたの新しい明るい未来を見せてください。
だからさ、一からがっつり脚本を書いてるわけじゃないんだから、ちょっと距離を置いてるのは分かるよ。
なんか「一から十までたつき監督の功績」みたいなツイートしてたけど、明らかに違うじゃん。
他のスタッフもいるし、脚本家自身も仕事をしてないわけではない。
考えてみなよ、少なからず関わってるはずの脚本家が何故かクレジットから降りて、原作や原案にクレジットされてるわけでもない監督がどんどん前に出てっていろんな活動を始めて、その結果、中途半端な時期にいきなり降板させられて、しかもその件では製作の公式発表を待つでもなく、自らの所属する会社を通すでもなく、個人のツイートとして、一般的な終業時間をすぎてから、完全に製作への悪意がこもった内容を投稿してるんだよ。
角川だっていろいろ言われてるけど、さすがに何の落ち度もない監督を交代させるわけもないだろう。
でもちょっとうれしいぞ。それにしても、遅レスだよね。すまんそ。
で、なんで2016年「テレビ屋さんの映画」の時代が終わるの?って聞かれちゃったよ。
そうなんだよ。一番メインの話題が抜けちゃってたよ。
二つの事実を述べて、だから終わりだよ、というつもりだったんだ。
1、に関しては過去10年くらいの映画興行収入を分析して、あれこれ言おうと思ったけど、でもこれ言わずもがなだよね。
というか、コメントで指摘しているひともいるね。表を描いたり、なんだりが大変なんで割愛するよ。
2、に関してだけ話すよ。
映像コンテンツとしてアニメのはなしをするんだけど、これ、今、日本発で世界で売れる映像コンテンツの筆頭だからね。
映画はアニメが席捲しているので、さぞアニメ業界は潤っているんだろう、と思っていると、秋にテレビ・アニメの延期が相次いだ。
ここの謎解きは岡田斗司夫×山本寛がやっているので、深入りしない。
日本のアニメをダメにしたのはあいつらだ! 業界のタブーを本音でぶっちゃけ解説
ここで重要なのは今、外国(中国)からアニメに資金が入ってきている、ということ。
でも、話したいのはその先。
中国の人たちは高い授業料を払ってきたけど、その甲斐あって知恵もついたみたい。
中国企業が日本のアニメーターを爆買い!?=「つまり金ですべてを解決できる」「でも素晴らしいストーリーがなければ人気は出ない」―中国ネット - ライブドアニュース
これ、十年くらい前から半導体、電機業界ですでに起こっていることだよ。
外資が優秀なエンジニアを破格の報酬で引っこ抜く(サムソンなんか有名だよね)。
今後もアニメに限らず、日本発のグローバルで勝負できるものが出てきたら、中國は、真似できるものなら真似する。
おいそれと真似できないものであれば、できるキーパーソンをかっさらっていくと思うよ。
過去、造船、鉄鋼、電機、半導体と外国にやられてきたけど、これらの業界単位では大きすぎてアニメとは比較しにくい。
昔のガラケー
↓
↓
きっかけ:i Phone
その後の展開:国内の通信会社に囲いこまれて、日本市場にとらわれていた日本のメーカーは、グローバル市場を視野に入れた中韓台メーカーに敗北した。
携帯をつくっているメーカーの今のアニメスタジオみたいだった。
ドコモ、AU,ソフトバンク、それぞれ季節ごとにラインナップを揃えるんだからエンジニアは大変だったよ。消耗戦、と呼ばれている。
今の映像コンテンツ
↓
↓
きっかけ:?
その後の展開:?
あれっ、両方とも総務省が出て来たね。でも、偶然だろうね。
ここで力尽きたよ。
12月25日の夜に『山本寛✕岡田斗司夫公開トークイベント~僕たちのクリスマスナイト~』が開かれた。
ここでアニメ制作現場にお金が不足している訳を、山本寛さんが赤裸々に打ち明け、
岡田斗司夫さんがそれを解説されていたのだが、これが非常に興味深かった。
しばしば話題になるアニメーターの低賃金問題やアニメ業界のあり方そのものへの
重要な指摘だと感じ、ちゃんと理解したかったので流れがわかる程度に一部を書き起こしてみた。
『山本寛✕岡田斗司夫公開トークイベント~僕たちのクリスマスナイト~』より
山本寛:
どれだけ敵にまわすんだろうっていうくらいの内容をしゃべりました今日の昼ね。
非常に図式が簡単で、すごくシンプルにいうと、お金は上の方であるんですよ。
もちろんそこはちゃんと機能しているしアニメを作るのに今なくてはならない機能にはなっているんですけども、
やっぱり減って減って減って現場に降りてきたときに、これだけかよって自体をなくすためにはBtoCではないですけど、直接行くしかない。
(中略)
山本:
大規模なテレビアニメであるとか、待ったなしの続き物のアニメを作るためには必要なシステムではあると思うんですね。
(中略)
アニメ業界に金は無い、金は無いって言っても、テレビ局の奴は儲けてる、広告代理店が潰れたなんて話は聞いたことがない。
なので実は、潰れた潰れたといわれてるのは、末端のスタジオ、現場であればあるほど潰れている。
なのでこの上のおじさんたちにいなくなっていただこうって話?
山本:
まあ、言いましょう。
名指しで批判するつもりはないんで、製作委員会というスキームそのものに問題があると思ってます。
ここにメスを入れないとダメだということです。
でも、製作委員会がじゃあ10億いただきますやったーにはならないじゃないですか。
パーセンテージがあるじゃないですか。
製作委員会の幹事会社が40%、50%握るためには、10億きてもらったら困るんですよ。
40%の権利を得たい。
ということは、予算総額は、1億で決まっちゃうんですこの瞬間に。
どれだけお金を出したい、10億でも20億でもこの作品のために出すよと言っても出せないんです。
これね、ホワイトボードに書いて説明したいんだけどもちょっと翻訳させてね。
えーっ、つまり、10億あったら、劇場アニメのすごく良いのができるし、中国の会社10億でも20億でも30億でも出そうと言ってる。
ところが、中国の会社が20億も30億も出してしまったら、中国の会社出資100%のアニメができてしまう。
なので、まるでそれがいけないこと、チャイナマネーの脅威みたいな言い方をしながら、
でもお金は欲しいからどういうことになるのかというと、製作委員会方式をとりたい奴らというのがいて、
結局それがレコード会社とか一部の会社がいつもいつもアニメの版権握ってるような会社が、
中心の版権の窓口やりたいとか、手数料取りたいって思ってるようなところがあって、このアニメの製作予算として2億以上かけちゃ困ると。
「だってうちの会社4000万しか出せないんだから2億で4000万だったら、やっとこれで20%じゃん」と。
で、「20%以下にパーセンテージなったら俺の会社での立場なくなるよ。なので、このアニメの予算2億で。
えっ中国の会社20億も出す? じゃあしょうがないな、その20億を10の作品で割りましょう。」
というふうな形で作品を10ぐらい作って個々の作品の予算上限を2億ぐらいにとどめたり、1億に留めたり、数千万にとどめたりして、コントロール権を握ろうとしている。
それによって──
山本:
だから本数が増えたんですよ
岡田:
だから本数が増えた。あっ、俺の読みで良いの?
山本:
ご名答です
岡田:
やったー
山本:
そこに、前回言った通り、その10倍に増えた1本が10本になったものを受け止められる現場がないんです。
簡単でしょ実は。
岡田:
バジェットが上がりすぎると個々の、これまで日本の出資をしてて、現場を仕切ってて、
で、アニメのそういう版権ビジネスから手を引きたくないオッサンたちが、バジェットの上限決めちゃってるから制作費が増えない。
で、じゃあ、解決策としてはどうなのかというと、「このおじさんたちがいなくなって──
山本:いなくなればいいとまでは言いませんけども(苦笑)
岡田:
──中国の出資者たちと直に繋がればいいんだあ」、とこないだ真木さんが岡田さん言っちゃだめだよと言いながら酒飲んでた(笑)
山本:
当分そういったいざこざの中では生きられないと思ったので、言っちゃおうと思ったんですけど。
あのー、やっぱりどこかでその製作委員会もう完全否定するつもりはないんですけども、
もうちょっとやっぱりお金を出さないと、良いものは作れないんじゃないかとか、もうちょっと作品一本一本を大事にしないとアニメは盛り上がらないんじゃないかという意識は持っています。
このトークイベントの一部は、以下の動画から観ることができる。
アニメ業界に未来はあるのか?ヤマカンが今のアニメ業界の図式を説明 by EXIT エンターテイメント/動画 - ニコニコ動画
http://togetter.com/li/1014493 の藤島じゅんの元ツイートとか http://lineblog.me/yamamotoyutaka/archives/9661526.html の山本寛のブログを見て思った。オタクが凝ったものを作りこんでそれを売れると勘違いしてしまう現象はこう言う発想から来てるんだなと。
おそらく、藤島じゅんや山本寛は相当数の作品を見て来ていて質の良い作品も知っているのだと思う。そのため、ちょっと良い部分が見える程度の作品では満足しない。これはクリエイターのこだわりとしていい方向に転ぶ時もあるのだけど良くない時もある。前提知識を多く必要とする作品を作ってしまう事がある。多くの作品を見ている人はそれだけ沢山の知識を得ていて、普段から話す相手も同様の知識を持っている場合が多い。つまり狭い層の中で物を作りこんでしまいがち。
売れるものというのは多くの層が価値を理解できるものである。そのためにはなるべく必要な前提知識を少なくするべき。シン・ゴジラが受けているのはドラマが王道で分かりやすいというのもあると思う。これは教養が深いオタクのような人には陳腐に見えるかもしれない。だから作りたがらない。
物や作品を作る側としては自分の価値観が絶対のものであると思わずに、多くの価値観があることを理解しまたその価値観を知る努力をしながら作っていくことが必要だと思う。
名作駄作問題作など問わず、なんとなくみんなに見てほしいものを挙げていく。
この映画の話で盛り上がりたいって感じのノリで。
TVシリーズの劇場版とかもあるので単体で見て面白いかとかもあまり気にしてないので御承知を。
寝たきり老人・高沢喜十郎はある日突然最新型介護ロボット「Z-001号機」のモニターに選ばれ、ボランティアで介護を行っていた看護学校生の晴子はお役御免となるが、介護ロボットに全てを世話される喜十郎をかわいそうに思い、彼の救出を決意する。ところが介護ロボットが暴走をし始めて……。
という高齢化社会を痛烈に批判したSF作品……かと思いきや、作品自体は完全なるコメディで、見ていて超楽しい。
大友克洋がメカニックデザイン、江口寿史がキャラクターデザインという豪華なコンビで、作画的にも沖浦啓之、今敏、黄瀬和哉、井上俊之、鶴巻和哉、本田雄、森本晃司、大友克洋、中澤一登、松本憲生……と挙げきれないほど有名なアニメーターが参加していて、クレジットだけで作画オタクはご飯3杯は余裕である。
江口寿史によるキャラクターがとてもよく、まず主人公の晴子がめちゃくちゃかわいい。そして元気な老人たちの存在感、さらには晴子の友達の絶妙なブサイクさ。
80分という時間も絶妙で、気軽に見てほしい。社会問題を扱いながらも妙に心が温まる不思議な作品。
いわずと知れた夭折の天才・今敏監督作品。彼の監督したアニメ映画は4つしかなく、1日あれば容易くファンを名乗れるのですぐツタヤで借りてファンになりましょう。
彼の映画はどれもが90分前後という上映時間でありながら、非常に濃い。
その中でも東京ゴッドファーザーズは視聴後の多幸感にかけてはピカイチで、一番エンターテインメントとしてわかりやすい作品と言えるかもしれない。
次々と転がり込む御都合主義のような幸運。これが気持ちいいのだ。
メインキャストを務める江守徹、梅垣義明、岡本綾といったメンツも、非常にいい仕事をしている。
近年では四畳半神話大系やピンポンなどの監督で有名な湯浅政明の初監督作品。初監督でありながら、文化庁メディア芸術祭でハウルの動く城、イノセンス、スチームボーイをおさえて大賞を手にした。
何よりすごいのは映像で、イマジネーションに溢れたその映像はどんな言葉よりも説得力がある。
後に著作・四畳半神話大系が湯浅監督によってアニメ化されることになる森見登美彦氏も、「迫力でちょっと怖がった」そうである。
最初はその独特な世界に戸惑うかもしれないが、終盤の脱出シーンを見ればもはや何も文句は言えまい。
説明不要のうる星やつら劇場版。押井守監督の最高傑作として名前が挙がることも多い。
映画としての評価は大変に高いが、これがうる星やつらなのかといわれると、別の何かなのかもしれないという感じがしてくる。
お祭りのわちゃわちゃの中に、不意に違和感を感じさせるものが入ってきて異世界に入り込んでしまったようになる。そういう描写がたまらなく好きである。
意味がなさそうでありそうな、哲学的な長セリフも本作の特徴で、言葉にできない不思議な魅力が詰まっている。
宮崎吾朗の才能を信じてもいいかもしれない、と感じさせてくれた一作。ジブリファンも本人もどうしても宮崎駿の影を追ってしまわざるを得ない環境の中、よくこれを作った。
そもそも脚本に宮崎駿が参加しているし、プロデューサーも鈴木敏夫だし、どう考えても往年のジブリ作品の系統として作られたのは間違いない。
おそらくは宮崎吾朗が制作を完全に仕切っていたわけではないのだろう。しかし、映画の端々には宮崎吾朗の味が感じ取れる気がするのでこの映画は何かすごい好きである。
カルチェラタンの描写には明らかに押井守の影響が感じ取れるしね。
『ローニャ』国際エミー賞子どもアニメーション部門受賞おめでとうございます。
眉村卓の小説『ねらわれた学園』を原作としたほぼオリジナルのアニメ。
原作のSFっぽい感じは薄まっているが、逆に薄めたことでSF的な部分がわかりにくくなった。
『あいうら』『灰と幻想のグリムガル』でおなじみの監督:中村亮介、キャラデザ:細居美恵子のコンビと言えば映像目的だけで見たくなる人もいるだろう。
ふとももに注目せよ。まずはそれだけでいい。
健康的なフェティシズムに溢れたキャラクターと美麗な映像を堪能あれ。
ポニーキャニオンが開催したアニメ化大賞という賞で大賞を受賞した『D.backup』を原案にしたオリジナルアニメ。
原案の拡張性ある世界観と、(おそらくは)予算的にギリギリだった1時間という枠と、とにかくキャラクターのかわいさを押し出したいポニーキャニオンと、映像の美しさを追求したい石浜真史監督とが相乗効果を生んだような生んでいないような作品。
序盤はありがちな魔法少女的なSF作品かと思うかもしれないが、終盤には急展開が続き、頭が追いつかない。
それもそのはず、脚本の志茂文彦によれば、映画の後半部分はほとんどコンテ段階で監督が構成したものらしいのだ。
序盤の丁寧な世界観説明と比べて、終盤がややこしいのは、監督がセリフに落とさず映像に込めた部分が多かったからなのである。
さらに、後のトークイベントでは、コンテにすら描かれず、スタッフにしか伝えられていない裏設定が大量にあることが明かされ、「偏差値70のアニメ」との烙印が押された。
監督:舛成孝二、脚本:倉田英之、キャラデザ:石浜真史という『R・O・D』トリオで制作された劇場アニメ。
舛成・倉田は『かみちゅ!』というTVアニメを手掛けていて、劇場公開に合わせてNHKBSでかみちゅ!が再放送されたりBDが発売されたりした。
黒沢ともよの声優デビュー作品でもある。当時はまだ子役であった。
夏休みの子供向け映画といった趣であったが、子供に136分は明らかに長すぎる。ある程度のアニメファンならばこの尺は耐えられるし、楽しめるだろうと思われる。
作画がぶっ飛び過ぎていて、作画的にはスペースダンディ劇場版とでもいうべきレベルである。
そして、主人公の少女の健康的なエロさがなんとなくにじみ出ていて、制作者はロリコンなのか?という疑惑が湧いてこないこともない。
海外の映画祭に出品されたりして、結構アニプレックスが期待していたのが窺えるが、やはりなかなか商業的には上手くいかなかったようだ。
上映時間の長さや、超新星爆発についての描写などの細かい部分を除けば、十分に面白い作品であるといえる。
3時間弱。長い。が、しかし、エンドレスエイトを経験したファンの不安を一掃するほどの高クオリティでアニメ化された作品である。
それまでの京アニの集大成といってもいい。内容については特に言うことはない。
けいおん!で注目された山田尚子監督によるオリジナルTVアニメ『たまこまーけっと』の劇場版。
『たまこまーけっと』ではいまいちヒットせず微妙な評価に留まっていたが、これが公開されるとたちまち好評となり、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門では新人賞を受賞した。
TVシリーズは、舞台となる「うさぎ山商店街」の絶妙で温かな空気感を楽しむ作品であったが、本作ではわかりやすくラブストーリーにしたことで、デートムービーとしても見られる非常に間口の広い作品となった。
どちらの方が良かったとかではなく、単なる魅力の伝わりやすさの違いである。
とはいえ『たまこラブストーリー』は卓越した作品であり、山田尚子の代表作として語り継がれるのは間違いないと思われる。
『イヴの時間』などで知られる吉浦康裕監督作品。彼の作品の特徴は何といっても「発想」にあると思う。
独特の間も特徴ではあるが、基本的に彼の作品はある「ギミック」が作品の根本となっていることが多い。
なので、下手に前情報を入れて見に行くよりは、何も知らずに見て新鮮な驚きを感じた方が良い。
この作品もあるギミックが重要なのでそこを面白いと思うかどうか、そこが評価の分かれ目である。
つい先日無期限の休養を発表したヤマカンこと山本寛監督の、いわずと知れたアイドルアニメである。
彼についての悪評やバッシングは絶えないが、個人的には彼の作品は好きである。
この『Wake Up, Girls!』というシリーズは、まずTVシリーズの前日譚として『七人のアイドル』という中編映画があり、続いてTVシリーズ全12話、そして続劇場版の中編2作といった流れである。
TVシリーズ放映時は緊迫したスケジュールによる作画の乱れで物議を醸したが(BDでは修正された)、続劇場版(特に前篇)では非常によく動く。
このまま彼がアニメ制作の現場に戻らないとすれば本作が彼の遺作となってしまうが、遺作の呼び名に恥じない出来の作品であるということは声高に主張したい。
「ハイパーリンク」と称してキャラクターの中の人のパーソナリティや実際の出来事を反映する手法の効果は、続劇場版で見事に結実した。
アニメの創作性と現実の偶然性が合わさってとても気持ちの良いサクセスストーリーになっているのだ。
後篇の『Beyond the Bottom』は田中秀和による同名の主題歌も相まって、非常に神々しい輝きを放っている。
神前暁も「これを超える曲をこの先作るのは大変」と太鼓判を打った。
アニメ界の王子、イクニこと幾原邦彦が初めて監督を務めた劇場作品である。
この時点から彼の演劇的な作品づくりの手法は発揮されている。
庵野秀明は映画館で本作を3度も観たらしく、緒方恵美が演じた衛の少年時代の声を聴いて『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ役に抜擢したというのは有名な話である。
TVシリーズの再構成ではなく、全く新しい解釈で制作されたオリジナル作品。
作画的な制約もあったTVシリーズと比べ、かなり大胆に脚色され、より過激となった映像美はまさに唯一無二。
突き抜けすぎて、終盤の車のところでは何が何だか分からなくなってポカンとしてしまう人も少なくないという。
「王子」こと及川光博がゲスト声優として出演しているのもポイント。
『京騒戯画』『血界戦線』などで知られる東映アニメーション出身の気鋭の演出家・松本理恵の監督デビュー作品。当時25歳。
『ハトプリ』はプリキュアシリーズでも人気の高い作品のひとつだが、この劇場版も非常に人気が高い。
パリを舞台にしていて、OPでのスタッフクレジットが背景に溶け込んでいる演出の時点で何かが違うぞと感じさせる。
メインキャラクターのTVシリーズでの成長・感情の変化をきちんと物語に取り入れつつ、本作オリジナルキャラクターであるオリヴィエとサラマンダー伯爵の切ない関係を描き、多くの視聴者の胸を打った。
『劇場版アイカツ!』でなくてなぜこれを挙げるのか、疑問にお思いだろう。
というのも、私は熱心な『アイカツ!』フリークで、アイカツ!を見始めたのなら劇場版アイカツ!を見るのはもはや自然な流れで、あえて挙げることではないという認識でいるからだ。
ということで、あえてアイカツ!を見る入り口として薦めるのであれば、CGステージをかき集めたこれが良いだろうと思い、挙げた次第である。
アイカツ!の楽曲のジャンルの幅広さ、CGステージでの綿密に練られたカメラワーク、そしてアイカツ!という作品世界の持つ空気感を少しでも感じてくれれば後は言うことはない。
少女向けアニメの最高傑作との呼び声も高い『カードキャプターさくら』、その集大成となる第2弾劇場作品。
ラストシーンでは年齢性別問わず多くのお友達をキュン死させ、多くの大きなお友達はそのままゾンビとなった。
ポケモンの映画といえばミュウツーの逆襲だったり水の都の護神を挙げる人が多いが、私はこの作品を挙げる。
70分という短さに詰め込まれた「家族愛」というテーマは、子供よりもむしろ親の方に深く響いたことだろう。
当時劇場で見てリザードンに興奮した子供たちも、今改めてみればまた別の感動を味わうに違いないはず。
テレビアニメ『楽しいムーミン一家』の劇場版であるが、本作はテレビアニメの前日譚となるエピソードの映画化である。
『楽しいムーミン一家』はもっと語られていい傑作アニメであり、本作ももっと多くの人に知られて欲しい。(旧ムーミンのファンには申し訳ないが……)
子安武人演じるスナフキンによるシュールな悪口が聴けるのもこの作品。
いわずと知れた名作『ルパン三世 カリオストロの城』と同じ1979年に公開されたアニメ映画である。
実はこの年の邦画の配給収入で1位を獲得している。
70年代を生きたアニメファンにとっては有名も有名だが、今では知名度はカリオストロよりも低くなってしまっていて、金曜ロードショー恐るべしといった感じである。
エンディングに流れるゴダイゴのあの有名な主題歌を聴いた時、あなたはきっと涙を流しているはず。
90分弱に詰め込まれた圧倒的な熱量!THE出崎統!
世界はもっと出崎統を評価せよ。
BD・DVDがプレミア化し、配信・レンタルでも見られなかった傑作が、ようやく今年BDの再発売によって見やすくなった。
7月22日発売です。
僕自身の観測範囲からの感想でしかないのだけど、あるアニメにキャスティングされた声優さんから、そのアニメを作っているアニメーターへの感謝を聞いたことがない。
監督に対しての感謝は比較的聞くことがある。よく総集編なんかで、キャストとスタッフ(監督、脚本、音響など)が集まってそれまでの本編について語るといったものがあるけど、そこにアニメーターは出てこない。
彼らはひたすら仕事をこなしているし、表立つような機会もない。作品のスポークスマンの役割の大部分は声優さんに与えられているが、彼らはよくキャラのこと、話の流れのこと、番宣の話題を出す。
モノを作って売るには、そういう内容のほうがいいのだろう。宣伝がなにより大事だ。そして作品の魅力は、絵がどうとかよりも、キャラが可愛いかとか話が面白いかとか、そっちのほうが大事だと一般に考えられているのだろう。
また、声優さんがどれだけアニメ製作について理解しているのかも、僕のような一般人には分からない。あえて詳しくないことを語るよりは、分かることでトークしたほうが事故が起きない。
でも、絵を描いて動かす人が居るのだと。そのくらいは分かるだろう。パラパラ漫画でも描いたことがあれば、それがどんなに大変なことか想像も容易につくだろう。
感謝を要求するのは下品だ。でも、ここまで製作に言及しないアニメ・ラジオやアニメ番組はいかがなものだろうか?と思う昨今。
珍しく伸びたのでブコメ返信
sukekyosukekyo 同じ仕事の別業種の人に感謝しねえだろ。あきらかに「上」の人(監督)とか、世話になってる同業(音響の人とか)は別だけど。あんたかて別のフロアの別の課の課長に感謝しねえだろ。
ChieOsanaiChieOsanai おまえは毎日ゴミ処理場の人間に「ありがとう」と言ってるのかよ 増田
diamond523diamond523 別に感謝する相手ではないからだろう。声優がアニメーターから直接ディレクション受けることはないだろうし、その逆はなおさら。キャラは声優のものではなく、仕事として声を提供してるだけ。
htnmikihtnmiki サラリーマンでもラインがスタッフに感謝することなんてないしな
TamemaruTamemaru そりゃ裏方は目に入らないからだろう。部屋で寝る時、職場で働くときに建物を建てた大工さん達や電力会社やガス・水道会社の作業員さん達に感謝してる人はなかなか見たことないよね
どっかでご一緒して上手いこと行ったら普通に感謝しますけど、みなさんはそうじゃないんですかね。たぶん関係ないやつに公に感謝とかいちいちしねえだろっていう、そこに引っかかってんだろうと思います。
アニメとして一つのもの作ったよーって時に、アニメーターってなかなか言及されないよなって思うんですね。感謝するしないの話よりそっちなんですけど、タイトルから脊髄反射で読まれるとこうなるんですね。
>アニメはアニメーター以外にも音響、宣伝、その他多くの人が携わっている。すべてひっくるめて「スタッフ」や作品への感謝としているのでは。
なるほどと思いました。そういう言い方多いですもんね。
moodyzfcdmoodyzfcd 話すのが上手い人でないと/制作進行や彩色や撮影その他に感謝は?/グレンラガンでは声優が動画に挑戦し、スタッフコメンタリーに原画や撮影監督も参加/「作画オタクが狂喜乱舞した作品は売れない」(山本寛)
dummy1dummy1 ぱっと見で重要そうなところにしか目がいってないのは増田自身ではなかろうか。アニメーターの影にもいったいどれだけのスタッフがいることか。
kaz-cozkaz-coz スタッフにアニメーターは含まれないの?そういう解釈でいたけど。
LuigitefuLuigitefu 私声豚だけど、スタッフに含まれてると思ってた。アニメーターって単語はめったに出ないかもしれないけど、作画に触れながらスタッフの作品への思い入れや愛を感じる的な話はよく聞くし。
これからもリテラシーに自信を持ってください。ますますのご健勝のほどお祈り申し上げます。
・臭い
deneb-ydeneb-y つっこみどころにまみれ過ぎ。作監やら原画マン、動画がフロントに出ないのは業界の慣習や本人の意向にしか過ぎないのに、その居ない場で声優が感謝したら「足りてない」ってバカか。足りないのはお前の想像力だろ。
hatekun_bhatekun_b それをやったら「内輪ネタ」って叩くくせに。単純に客に聞かせるもんじゃないから言わないだけ
UmekosanUmekosan 金もらっているプロだろ。こいつは単に自分にかまって欲しいだけ。
これは本当に意味がわからないので。。どういう意図で書いてるのか教えて欲しいです。
nost0nostnost0nost 多分「マジみんなに感謝」とか言っとけばいいんだろうな それにしても面倒くさい世の中だ…一々そいつの観測できる範囲で見えるように表明しないとこんな事書かれるとか
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
俺個人の意見だけど、
一つは現場体制が不完全。放送中に監督が更迭された例は多く、宮崎なぎさ・板垣伸・山本寛などは何が問題だったのか分からないが
何故か放送途中に交代を余儀なくされている。TE?アレはどっちにしてもダメだったろ・・・。ルパンとかキスダムとかは仕方ないとしか。
山本寛の場合は別にいなくても滞りなく、らきすたは放送終了したけど、宮崎なぎさが監督を務めた魔法先生ネギま!ではヒロインの火葬ルート、
板垣伸が監督をしたバスカッシュ!は前半はきわめて良かったが、後半以降は話が詰められずまた、前半部の途中から出てきたゴリ押しアイドルグループの影響で
話があさっての方向に向かってしまったのは何とも言いようもない。とはいえ、監督にそういう責任がない事は明らかなわけだが何故か叩かれてた人達。
現場を上手くまとめられる人が監督業だとすれば、上に挙げた3人は未熟だったのかもしれないが、局やスポンサーのテコ入れもあるので必ずしもそうであるとは言い難いのが現状。
MUSASHIとかファンタジスタドールとかカブトボーグとかみたく、監督が交代しないのにクソだった例は貴重であるべきだと思いたい。特にこの三つは1話から最終話まで全部面白い。
一つはスケジュール面。今年のブラック企業大賞にA-1がランクインしてしまったのですっかり露呈してしまったけど、制作進行は超激務な割に給与がおもっくそ安い、正にアニメが好きでなければ出来ない仕事の一つなんだけど、要はその業務に当たる人があまりの過密スケジュールでダウンしたために、遅れが生じたりしてるかも、という事。
大半は制作進行の責任じゃなくて原画マンがトロトロしてる事とか、脚本仕上がりが遅いとか、監督やプロデューサーが調査と称して外遊して予算を落としているとかそういう諸々の事情が問題だったりする。妄想だと思いたければそう思えばいい。少なくとも俺はそういった業界でタクシーの運ちゃんの真似事(朝晩のスタッフ送り迎え)をさせられてたからよく分かってるつもり。
何にせよ、スケジュール管理がままならなければどうする事もできない。それ故クソアニメが作られている状況に気付く余裕すらない。あるいは諦めてる。
お風呂回、水着回は間違いなくテコ入れ。本当はプロット段階だとか構成上必ず入れる必要はないのだけれど、例えば兄弟でやってる会社とかあるでしょ、あそこは無駄にテコ入れしないと気が済まない性質で、そこの若手社員がわざわざ現場を引っ掻き回した挙句現場を壊していく事もままある。多分俺がいた所だけかもだけど。声優事務所も出番増やせという所もあれば、原作にないアニメオリジナルキャラクター(みなみけの冬樹みたいなの)を出してくる事もある。殆どの場合、元々シリーズ構成上必須でも何でもなかったのに完成後に見て貰った時にはいつの間にかオリキャラが組み込まれてたなんて話もある。その点じゃCCさくらのメイリンとかサザエさんの花沢さんのように後の映画だとかレギュラー化だとかする位人気キャラクターになる稀有な例もない事はない。だからアニメオリジナルキャラクターを出すときはしっかりキャラ付けがされてたら問題はないけど、とにかく思い付きが一番危ないと思う。
途中で投げ出すのはイカンともし難いというのは、更迭されたスタッフが一番分かってるはず。
原画マンだって過密スケジュールじゃなければ、もっと余裕ある状況で時間使って色々描き込みたい訳よ。
もっと上の人達がこういうクソを創り出す元凶になってると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20130510210114
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pachikorz 作画, 増田 作画厨という人種が好きなので面白い増田だった。直接会って話すには怖い人種だとは思うけど。 2013/05/11 Add Star
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y-mat2006 アニメ 作画
作画オタクは優れた作画ならば普遍的に何でも愛せる者の事を言います。
「アニメーターの個性」と言われるようなキャラクターデザインを守らないスタンドプレー的な作画でも、いやむしろだからこそそこにダイナミズムやアニメーターの感情発露を受け止め感動する事ができるのが作画オタクです。
そしてより強い感動を得たいがために情報を集め、知識を高めるのです。
うつのみやさとるがフルアニメーション的リアリズムへの回帰を望みつつもリミテッドアニメーション主流の日本アニメではそれがいかに困難であるか、その壁を乗り越えてリミテッド上でのリアリズムを模索追求していったか、それでも決定的な所でユンカースカムヒア(パイロットフィルム)やTHE八犬伝の浜路再臨で大平晋也に先を越されてしまったという、アニメーションの進化と大平晋也への功績讃えつつも自分でそれを成し得なかったうつのみやさとるの悔しさを理解しているか。
作画オタクはそれを感じられなければいけないのです。
それを踏まえた上で出てくる共通言語が「たまんね」なのです。
対して作画厨は全くの逆です。
どのような状況下に対しても作画の統一性"のみ"しか要求せず、些細なことでさえヒステリックになる連中の事を指します。
「この回はギャグだから元気のある作画にしたい」とか「いつもよりシリアスだからドライな感じを出したい」といったディレクション的な要求でさえ全く理解を示さずすぐに「作画崩壊だ!!」と叫ぶ奴等が作画厨なのです。
当然作画知識的なものなど何一つ持っておらず、アニメーションの制作工程すら何も知っておらず、無知なのを盾にして勝手な事をいい散らす迷惑なクレーマーでしか無いのです。
そんな奴等のためにアニメ業界は総作画監督制を強制され、曖昧な「クオリティ」のために個性を摘み取る作業を強いられ、全てのアニメは平均化され、アニメーターや演出家の体力やモチベーションは落ちていき、業界そのものが疲労していく。
作画厨はその存在によってアニメーションの進化を阻むどころかむしろ退化させて業界そのものの崩壊に導く害虫のような存在です。
河森正治監督がアクエリオンEVOLの開始前のインタビューで「本当は総作画監督を置きたくないんだけど、今回止むに止まれず置くことになってしまった」という趣旨の発言をしていた事を忘れる事が出来ません。
本当に何年も何年も前から作画オタクと作画厨の区別は付けてくれと私達は言っているのに、未だに解ってもらえないのが本当に悲しい。
■追記
アニメーターのふくだのりゆき氏がこのようなツイートをされていました
https://twitter.com/shuu1roo/status/336685202766184448
ふくだのりゆき@shuu1roo
@yaginuma_san @BlackCatJay 原作者、出資者自身がネットの評判を恐れて、作画オタクの太鼓持ちになってる、ってのもあるかもしれません。
作画オタクの太鼓持ちになっているならば、うつのみやさん達の作画はもっと広く受け入れられていた筈です
今の状況を作り出したのは決して作画オタクのせいではありません、このエントリで書いた通りの話です
同じ事は山本寛氏に対しても申し上げたいです。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1007/26/news010_3.html
■関連記事
http://anond.hatelabo.jp/20130520105912
作画崩壊厨と『鉄腕バーディーDECODE』の思い出
http://anond.hatelabo.jp/20130520234923 ← できれば「作画厨」じゃなく「作画オタク」に訂正してください。「作画崩壊厨」に関してはその通りなのでそのままでいいです