「学問」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 学問とは

2022-06-28

ジェンダー」の指す方向が20年かけて反転している    

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/KenAkamatsu/status/1541296486759419904

赤松 健 ⋈ 参議院議員(全国比例)候補者 on Twitter: "作家政治に関わることを嫌うファンは多いのに一本木先生応援に来てくれたのは、状況がかつてないほど緊迫しているから。外圧行き過ぎたジェンダーなど議論の中心に当事者がいないのはおかしい。漫画家生命を賭けて表現の自由を守り抜く覚悟

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kakitama/status/1541388284227907584

田川 滋 TAGAWA Shigeru 타가와 시게루 on Twitter:"20年前にも 「行き過ぎたジェンダーフリー批判統一教会安倍氏など自民保守”派から出ていましたね。

そこから様々な政治的介入が起こった。 非常に”自民的な用語”。 女性差別撤廃条約批准とその履行としての男女共同参画法がターゲッ…

 

赤松が言ってるのは「行き過ぎたジェンダー」で

20年前保守が言ったのは「行き過ぎたジェンダーフリー」。

 

田川は前方一致で反応して持ってきたうえに

それぞれの中身をよくチェックしていない

(悪意ではなく能力のせいだと思う)

ので代わって解説する。

   

   

1.両者の指す「ジェンダー〇〇」の正味    

まず赤松のは

外圧や行き過ぎたジェンダー論など議論の中心に当事者がいないのはおかしい。

 漫画家生命を賭けて表現の自由を守り抜く覚悟… 」と、

要するに表現の自由を脅かす敵として「外圧」「ジェンダー論」を挙げている。

 

こんにちのコンテンツ上の表現への攻撃・抑圧は大体フェミニズム活動家が絡むためだろう。

  

この場合の(赤松が戦う)「ジェンダー論」とは

絵の女の子表現に対する「性犯罪を誘発する」「性差別助長する」といった主張、

またそのエビデンスが無い代わりに学問的な権威付けで補強する動きのこと。

 

   

一方で田川が持ってきた「行き過ぎたジェンダーフリー」は

20年前の典型的保守的なフシダラ狩りの動きで、

田川の言う通り保守政党や宗教保守活動。   

   

この場合の(過去保守が戦った)「ジェンダーフリー」とは

性的自己決定権を認めようだとか

性別による固定的な役割分担に反対しようだとか

いわゆる反家父長制的な動きのこと。

    

 

2.「ジェンダー論」と「ジェンダーフリー」はほぼ逆の主張・立場 

わかるだろうか。

   

まりかつての「ジェンダーフリー)」は解放アクション

セックスエロス別に秘匿すべき淫靡ものではないし、

かに管理されるものでもないと主張する立場

          

現在の「ジェンダー(論)」は

セックスエロスはフシダラで不適切で隠れているべきもので、

適切な管理規制の下に置かれるべきだと主張する立場

   

ジェンダー」を掲げる人の立場と主張がそっくり入れ替わってんだよね。

  

それに対抗する人間立場も入れ替わってて、

いま「ジェンダー論」を警戒する赤松

性や表現を開放していこうという立場

かつて「ジェンダーフリー」を警戒した保守層は

性や表現は抑圧していこうという立場

     

  

3.20年前の保守の言うことを現在左派フェミニストが唱えている

20年前の保守

「行き過ぎた自由自己決定を至上とするフシダラな性やその表現を許すことは

 社会破壊する誤ったメッセージを発することになる。」 

    

これ現在ではまるで同じこと左派表現規制派が言うようになってるんだよね。

現在自分意志仕事する胸の大きいモデルAV女優攻撃・抑圧するのは

保守ではなく左派フェミニストになってる。

 

共通問題点は主張のエビデンスが無いこと。

保守根拠を聞かれて困ると「常識で考えろ!」と怒鳴ったけど

左派根拠を聞かれて困るとクレーム攻撃とか国連御注進とか議論拒否に出る。   

  

 

4.「ジェンダー論」「ジェンダーフリー」の意味が掴めないブコメ

Janssen ああ、ようやく分かった。赤松健氏の言動から可視化されたけど、これが自民党候補のテンプレなんだ。「(マイノリティへの)過剰な配慮で俺たちの自由が奪われている」という多数派を抑圧されている側にする魔法政治 自民ジェンダー

2022/06/28 リンク yellow85yellow

トップコメのこれからして典型的

これまで見てきたように赤松の言う「ジェンダー論」には

マイノリティ議論ことなんか一ミリも含まれない。 

  

というか性的マイノリティトランスへの憎悪攻撃というのは

赤松のような萌え漫画家ではなく

しろ赤松のようなオタク野郎を敵視するフェミニスト兼務で盛んにやっていること。

彼女達はキモオタオカマ野郎が嫌い。

  

sadamasato 行きすぎたジェンダー平等論とか、「行きすぎた性教育」というモットーで、支援学校性教育弾圧した自民極右の方々を彷彿とさせる物言いですよね。本気で教育現場からジェンダー教育排除する方向へ進みそう。

2022/06/28

人気2位のこの人も田川と同じ間違いをしてて

赤松が敵とする「ジェンダー論」を20年前からジェンフリ議論と誤解し

かつての性教育反対運動赤松が主張してる(どこでよ??)と誤読している。

 

キモオタが守ろうとしてるのは絵の中に開放的女性を描き掲示する権利であって、実在一般女性に性に開放的になれと要求はしてないし、逆に実在一般女性性的に抑圧しよう(反ジェンダーフリー)なんて動きはなおしていない。

 

誤解したブクマカ達を擁護すると

ジェンダー〇〇」の中身や立場がたった20年で反転しすぎて

そこにあまり関心のない中高年はついてこれなかったり逆の意味認識したりしているということ。

 

  

はてブ「その『ジェンダー』の使い方はおかしい!」

li1ipqb0ooi1n キミが定義している「ジェンダー論」などというものは、実際には存在しない。そんなアカデミック定義はない。キミがおもってる「敵」に「ジェンダー論者」というレッテルを貼ってるだけ。終了

2022/06/28

yas-mal 「ジェンダー」という言葉には「性別」以上の意味はない(「セックス」と使い分けることに主張が入る場合があるが)。

ジェンダー論」と言われても、赤松健(と増田)が勝手に作り上げた謎概念レッテル貼りでしかない

2022/06/28

haruyato 女性が何か男性既得権益文句を言うと全部「フェミ」とか「ジェンダー」のカギカッコにいれてしまってるだけじゃないかね。思考停止の結果じゃなかろうか。

2022/06/28

この3人共通の異議は

そもそも赤松は何故ジェンダーなんて言葉を持ち出したのだ!」だろう。

 

かにかに

表現規制と戦う&表現の自由を訴えるという時に、

なんでジェンダーなんて言葉を持ち出す必要があったんだろう?

やっぱり赤松表現関係ない話をし始めてる保守オヤジなのか?

 

 

これについては明確な答えがある。

赤松の敵たる表現規制派が「ジェンダー」という言葉を使っているかだ。

  

千葉県警本部松戸警察署松戸警察署千葉県松戸市、松戸教育委員会宛の公開質問状を提出。およびその回答について。 – 全国フェミニスト議員連盟

https://afer-fem.org/?p=1416

ジェンダー平等視点から、このようなキャラクターを起用した警察署の発信をどうとらえているかお答えください。

国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長 | ハフポストNEWS

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6257a5d0e4b0e97a351aa6f7

女性少女に対する固定観念は、ジェンダー平等を阻む大きな要因になっています

はい

 

代表的表現規制派で地位権力を持つフェミニスト議連がまさに

自らの規制アクション根拠として「ジェンダー平等」を掲げているのだ。

  

表自派議員椅子を目指す赤松としては

以前から議連を戦うべき相手として強く意識している。

  

フェミニスト議連表現規制根拠を「ジェンダー平等」としているので

対抗する赤松は「行き過ぎたジェンダー平等にNO!」と言ってたのだ。

  

 

赤松の落ち度

赤松にも落ち度はある。(当人も既に気付いているが)

     

トーシロの赤松は、

フェミニスト議連の「表現規制ジェンダー平等」という主張を丸呑みして

対抗言説として「行き過ぎたジェンダー平等にNO」という言い方をしてしまったのだ。

        

これだとその流れを解さない人から見ると別の意味に見える。

それこそなぜか突然男尊女卑論を唱えてるだとか、

突然ジェンダーフリー思想に反対を表明しだしているだとか、

実はフシダラ狩り保守だったであるとか。

         

プーチンが「これはウクライナ開放だ」という言葉遣いをしたからといって

対抗言説で「ウクライナ開放にNO!」と言ったら別の意味にとられるのと同じ。

ちゃんと「ウクライナ侵略にNO!」と言わなければならない。

 

   

政治家なら自分が使う言葉概念は事前に整理しておくべきで

世間に声を出してから「あ、伝わらないじゃん」「あ、別の意味にとられるじゃん」と変えるのはよくない。

  

「行き過ぎたジェンダー平等」は誤解が生じてまずいから…「行き過ぎたジェンダー論」!

というのも未だにわかりにくいし、フェミニスト議連言葉を参照しすぎ。

全体的に素人臭いというか、毛の生えた素人なんだろう。

  

  

相手のアヤシイ言葉遣いに乗ってはいけないというのは基本だ。

プーチンに対しては

「こんな侵略のどこが解放だ」「こんな大虐殺のどこが限定的軍事作戦だ」と突っ込むべき。

フェミニスト議連に対しては

表現規制のなにがどうジェンダー平等資するのだ」と突っ込むべき。

     

  

フェミニスト議連に寄せられた熱い罵倒  

…という赤松くんの反省点は反省点として、

表現規制議論に「ジェンダー」を持ち込んだのは表自戦士赤松くんではなく表現規制派のフェミニスト議連であるのはわかったよね。

  

表現規制議論ジェンダー云々の語を持ってくるのが不適切だとか不自然だとかいうなら

そのクレーム赤松ではなくフェミニスト議連に向かうことになるよね。

  

 

すげえ罵詈雑言が寄せられてるから見ていこう。

casm

「僕の考えた愚かなるジェンダー論」だなぁ。「あいつらは知能が低いから、こういう知能の低い主張をしてるはず」っていう組み立て。

2022/06/28 リンク

うーんフェミニスト議連さまに対して何たる罵詈雑言

キモオタと戦うリベラル聖戦士団を愚かな低能だと言わんばかり。表自かお前は。

  

AKIMOTO

『この場合の(赤松が戦う)「ジェンダー論」とは』 これはどこで定義されてるの? これが本当だとすると「ジェンダー論」=「表現規制論」という意味で使われてるの? 政治 表現規制 ジェンダー

2022/06/28

使われてるんです。上で見た通りです。

 

li1ipqb0ooi1n

キミが定義している「ジェンダー論」などというものは、実際には存在しない。そんなアカデミック定義はない。キミがおもってる「敵」に「ジェンダー論者」というレッテルを貼ってるだけ。終了

2022/06/28

フェミニスト議連様の「ジェンダー用法アカデミック定義のないレッテル貼りだとぬかすか!

その通りだね。

 

yas-mal 「ジェンダー」という言葉には「性別」以上の意味はない(「セックス」と使い分けることに主張が入る場合があるが)。「ジェンダー論」と言われても、赤松健(と増田)が勝手に作り上げた謎概念レッテル貼りでしかない

2022/06/28

ほんと謎概念レッテル貼りもやめてほしいよね。

vtuberのへそが出てたらジェンダー平等への挑戦ってなんやねん。

  

  

規制派及びフェミニスト議連は何がしたかったのか

それでなぜフェミニスト議連が「ジェンダー平等」言い出してたかだけど、

おそらく自分達の求める規制法的根拠科学エビデンスが無いのを自覚してたため

社会思想を持ってきて箔付けとしてるんだと思うよ。

  

li1ipqb0ooi1n くんが言ってる通り

アカデミック定義に沿ってるとは到底思えない雑な言葉遣いだけど

でも社会思想って主にこういう使われ方してるし、学者からあん反論もないよね。

  

vtuberの服に「性犯罪を誘発する」などと根拠ない非難をぶつけ抹殺することがどうジェンダー平等資するのか、議論が分かれるところだし非難も多い。

でもフェミニスト議連様がそう言っているんだから素直に頭を垂れろよ。

さもなくば表自のキモオタからな?

 

 

繰り返しだが

赤松言葉の取り扱いがガバついてるのは確か(政治家適性大丈夫?)。

だがそもそもジェンダー」という言葉運用全般歴史的ガバガバしており

それに関しては赤松が始めたのではなく赤松責任でもない。

この辺が定義の甘い謎概念だらけなのはしろ左派責任があるよね。 

 

赤松くんが自分相手として指す「ジェンダー〇〇」の表記揺れが激しいのは

左派規制派による「ジェンダー〇〇」の運用方法がガバガバ恣意的から

   

  

まとめ

Q. 

何故絵の女の子の描き方の自由を争ってたはずの奴が 

「行き過ぎたジェンダー平等」に懸念を示したの?

A.

非実在女の子規制に動いたフェミニスト議連

表現規制根拠に「ジェンダー平等」を掲げていたから。

  

Q.

赤松先生ってバカ

A.

今のところあまり頭よくは見えないね

突然インボイスって言いだしたの栗下のパクリっぽいよね。

 

Q.

結局「ジェンダー」ってなに?

A.

左派の頭悪くて無責任な人たちがグッチャグチャに運用してるジャーゴンだよ。

ブコメ左派の間ですら全然まとまってないのがよく読めばわかるよね。

こんな謎概念根拠表現規制できると信じる奴等って

愛国的でないからこの表現禁止!」とか言うやつと同じくらい頭悪いよね。

   

 

一部よくまとまってたトラバをそのまま使わせてもらいました。ありがとう

おしまい

2022-06-26

少し話は違うけれど

どんな天才も結局は最後には

壁にぶつかるみたいだけどね。

数学世界とかだと定期的に天才誕生するみたいだけど

そういう天才もいずれはどういう形にしろ壁にぶつかって

それ以上の高みを目指すためには凡才がするような泥臭い一歩一歩の歩みを行わないわけにはいかない。

そういった話を数学会のノーベル賞みたいなのを受賞した人へのインタビュー記者が引き出していたのを読んだことがある。

もちろん天才だ、と自他共に認める期間には存分に天才であることを楽しんだのは否定しないけれど、

でも本当の学問というのは壁にぶち当たった以後に切り開いた部分である、と今となっては感じるとかなんとか。

anond:20220625194208

優生学は「人類遺伝的素質を改善することを目的とし,悪質の遺伝的形質を淘汰し,優良なものを保存することを研究する学問」なのでこの議論には全く関係ないです。

人間を”何らかの基準”で選別して殺すことを全部優生学とするのは誤用なので言葉の使い方にもっと気をつけましょう。

”何らかの基準”に遺伝的素質の優劣が入った時だけ優生学と言う事ができます

元増田は”何らかの基準”として物心がついているか否かを挙げていますので優生学ではありません。

2022-06-23

思想歴史狭間

 研究の専門を問われると、答えに窮する。一応、思想史をやっているのだが、思想史というとよくわからない。そこで簡便のため、歴史をやっています、と答えることもある。しかしこれこそ、全く間違い千万自称である日本史研究として自分研究を認めてもらいたいと、何度も歴史学系の雑誌論文投稿したが、一度も採用に至ったことがない。査読結果に書いてある不採用理由簡単である。僕の論文はあまり思弁的すぎて、実証性を欠く、というのだ。この指摘は、思想史立場にいるものにとっては、非常に頭の痛い指摘である思想史の分野では、あまり事実の羅列に過ぎて、思弁的でないということが批判対象となる。思弁的な論理合理的に組み立てることに研究論文の眼目がある。これが、歴史学と真逆なである

 思想とは、人が思ったこと考えたことであり、思想史とは、人が思ったこと考えたことの歴史であるしかし、人の考えたことがそのまままるっと資料に残されていることなどまずない。大著をいくつもものした人であっても、そこに書かれていることに矛盾があったりすると、その人が何を考えているのか途端にわからなくなったりする。一つ一つの概念時代によって、また人によって意味が異なり、それをどのような意味で用いているのかを確定するには手間がかかる。そして、そうであるからこそ、思想史研究の叙述は思弁的にならざるを得ない。単に書かれていることではなく、書かれているものと書かれているものとの間の関係、書かれた時の状況などから総合的にその時その人が考えていたことを明らかにするからだ。新しい資料を積み上げて細かく実証しても、矛盾と不整合が増えるばかりでどこにも辿り着けなくなってしまう。ここが、細かく明らかにすればより解像度が上がる歴史学と、思想史学とが決定的に異なる部分だ。

 だからといって、思想史学が歴史学でないというわけではない。人の営みを分析するとき、どのような政策が出されたか、どのような契約が行われたか、何について合意たか、といったことを分析すれば、人の営みの歴史はわかるが、なぜそれらの人々がそれを行ったか、ということについては十分に明らかにならない。たとえば、資料を発掘すれば、太平洋戦争期に戦争協力をした人などいくらでも新しく発見することができる。しかし、その事実いくら指摘しても、なぜその人たちが戦争協力をしたのか、どう考えてそれを正当化したのか、あるいは正当化せずとも正しいことのように考えているように振る舞ったのか、ということについては、何もわからないのである。何の思想史分析もなしに、その人たちは国に騙されたのだ、とか、ファシスト的心性を抱えていたのだ、と断じることは、客観的見方ではない。なぜ戦争協力をしたのか、ということについては、一人ずつ、その人の生きてきた人生、書いてきたものを取り上げ、分析し、その人の価値観優先順位、置かれていた状況、表現戦略といったことを、コツコツと吟味していかなければならない。その時に取り上げる資料がすでに広く知られていたものであったとしても、その資料から思想を読み込んでいくという作業がそれまでなされていなかったというのであれば、その研究には新規性があり、意義があるのだ。あるいはその場合、たとえば検閲弾圧があったり、出版事情が悪かったりして、かえってその人の考えを示す何の手がかりもないということがあり得る。それでも、ある人の思想総体的分析するという場合は、合理的範囲でその人の考えの範疇を示すぐらいのことは、しなければならない。そうした思想史分析を、実証的でない、と切り捨ててしまえば、いつまで経っても平板人間理解しか歴史の中に生まれない、ということになってしまう。

 さらに厄介なのは思想史分析の結果が、概念だけ取り出すと、既存研究との違いがわからない、という場合である。たとえばある歴史上の人物Aが主張したXという概念重要だったとして、当然様々な歴史研究はAはXを主張した、と論じる。そして、思想史研究がそのXについて分析し、それはこれこれこういうXであった、と論じたとしても、その研究を遠目から見れば、やはりAはXを主張した、という論文に見えてしまうのである思想史研究者の間では、「これこれこういう」という、そのXに至りそれを規定するところの論理重要になるわけだが、歴史研究者には、その論理の中に何か新しい資料だとか、裏付けるこれまで知られていない資料だとか、そういうものが入っていないと何が新しいのかわからない。AはXを主張したという歴史事実に変わりはないではないか、というわけである先の戦争協力の論理で行けば、いかなる理由があれ、結局皇国日本肯定して戦争協力をしたではないか、というわけだ。それで結局、その「これこれこういう」という論理の部分が思弁的で実証的でないと歴史研究者に批判されることになり、思想史歴史との間の溝はますます深まるばかりなのである

 これは研究分野、手法の違いということで、仕方ないことなのかもしれない。だが、だからと言って思想史研究新規性学問無意味だということにはならない。全ての人間行為にはその人の思想が伴っているからだ。

* * *

 以上のことは全てイチャモンである。僕の思想を表したものではない。実際のところ、僕に宛てられた「思弁である」「難解である」という査読結果は、「お前の論は一貫しておらず破綻しているのでまず論文になっていない、小学生からやり直せ」という意味であるから、変に解釈して大きな敵と戦わないようにしたい。論理シンプルに、証明実証的に、新規性は明快に。それに沿ってたくさん書けば、評価も頂けて、就職もできるというわけだ。僕にはできない。せめて諸賢の憐憫を乞う。

たまには学歴コンプに付き合うか。教育の質の問題

機会があって予備校数学の授業と司法試験の授業受けたのだが草生えましたわ

オンライン学習にして予備校から優秀な講師引っ張ってきた方がコスパ良い』

『授業は予備校講師に任せて、公立教師はわからない子や逆にもっと学びたい子のフォロー化学実験家庭科フォローや体育のフォローだけやっとけ』

・・・って思ってたが、ここまでわかりやすさ+エンタメ性にはっきりと差がついちゃうのかよとね

 

かにわかりやす予備校の授業でのみ勉強してきたヤツは考える力がつかないことも起こり得そうではあるが、

専門課程に進む前に知識を詰め込む、あるいは何かをする(たとえばプログラムとか)ための知識を得てる段階で考えるも何もねーだろうよ

 

それに考える力は生まれつきの要素のほうがぶっちゃけ強く、

公立の雑な授業・大学教員研究の片手間の授業を受けたらからってどうこうなるレベルのものじゃない(そもそも高等教育リベラルアーツとほぼ遠い)

社会不自由しないために・詰め込んだ知識を活かすために、最低限は考える力を鍛えなければの場合も、

公立の雑な授業・大学教員研究の片手間の授業をもって考える力を養うをやりました!とか怠惰なことはやらずに

極端に思考力が弱い人がいると言う前提に立って訓練メニューを用意すべき

あと思考力を養う授業では『理解しました』といっても、極端に思考力が弱い人は覚えた数式を具体的にどう使うのかはわからないとかフツーに言い出すので、

もっとハンズオンの授業も増やすべき

 

アメリカみたいに世界中から優秀な若者勝手にやってくる+資源があるなら学位商法やっててもオッケーだが

日本はそーじゃねーんだから学問仕事の道具ではなく社会選別の道具になってちゃダメでしょ

もっと真面目に教育の質について考えような

2022-06-22

教えてみんな

これほどまでに文系学問文系職種無意味さとアホさ、理系の優秀さやエンジニア重要性が高まっている昨今においても、なぜ弁護士会計士結婚する女が現れる一方で、独身非モテエンジニアがいるのか。

anond:20220605202836

それ以前に教授に嫌われて単位や成績に影響することを恐れて、学生はご機嫌取りに走るな。

人間社会現象分析する学問分野の学者がそれを考慮してないなら専門能力も疑わしい。

下手なこと言えば理詰めで怒る人なんだから若者だって話合わせるでしょ。

2022-06-21

教科書で書き換わってるネタ

歴史修正主義親和的な物とか学問的な問題ではなく政府の介入という政治的なのもあるがそれ以外だと。

有名なのだ鎌倉幕府の成立が1185年とかあるよね。

あとは最古の猿人アウストラロピテクスからヘラトロプス・チャデンシスに。

生物だと三解説五界説になってる。

他にどういうのがあるのかな?

2022-06-19

anond:20220619150220

理系専門職である医師になるために医学部を目指した女子受験生差別して落としたのがこの国なわけで

ほかの理工系を目指す女子あの手この手で古い価値観親族が阻む

嫁に行くために女の子らしい学問をやれと言ってエンジニア志望の子社会学科や英文学科に押し込める

理系女子を増やせと社会学教授がしきりに訴えているのもこれ以上自分達みたいな犠牲者を出さないようにするためだよ

2022-06-18

私立文系中退プーの俺が再受験工学部に入り直して気づいたこ

理科2科目+数3必須は相当キツい。早慶理工がいかに難しいかよくわかった。

私立理系でこの科目負担必須にしているのは早慶くらいしかない。

英語、数3なし、理科1科目という入試科目デフォな有名私大理系学部すらめちゃくちゃあるとわかってビビった。


理科アレルギー自分ですら化学はサックサク終わらせられた。力学原子以外の物理はひたすら地獄だった。初歩レベルでとにかく苦しみ抜いた。


理系の人は暗記に対して異様にストレスを抱くタイプが多い。

たとえば化学勉強について

理解はほどほどに流し、暗記で対応できるものは全部丸暗記してしまおう」

という、科学に対する知的好奇心溢れる受験生蛇蝎の如く嫌う、学問的態度が極めて不誠実な受験特化戦略をとったとしても、

A4両面印刷15枚程度の情報量大学受験範囲網羅できてしまう(日本史世界史だとマジで100枚じゃきかない)。

そのくらいのちょびっとの暗記量にもかかわらず死にそうになってる人はかなりいた。


物理化学ともに全統記述偏差値65以上、共通テストで9割以上レベル学力を身につけたところでサイエンス系の時事ニュースへの理解度は

「何言ってんのか全然わかんねえ」

程度にとどまる。

下手すりゃちんぷんかんぷん度合いは私文時代となんら変わらない。雑誌Newtonとかまず理解できない。

多分新聞社科学記者のほうが100倍詳しく、深く理解してると思う。

・多分俺はストレート卒業できない

2022-06-16

経済が苦手な日本人

学問的にはノーベル賞を取った人間が一人もいない

政策実務的には世界でも珍しい30年続くデフレ不況による圧倒的な国力の衰退

日本人DNAレベル経済センスに欠陥がある

2022-06-15

レスバでは逆は真ならずが相手への指摘として多用されるけどさ

そんでもって高校レベル集合論すら理解してない奴ばっかで草みたいな感じで得意げになっちゃったりしてる人もいるけどさ。

現実的な場面で逆が真じゃないケースって少ないから、逐一逆が真じゃないかもしれないことを疑ってる状態を維持してる方が非効率だと言えたりする。

しろ上記のような状態レスバ脳だと言えると思う。

気象のこと勉強してても、低気圧ときはだいたい天気が不安定だし、低気圧中心が上空の強風軸の北側にあったらその低気圧は閉塞期で、これらのことは逆も真で、逆は真ならずってことを理解してないと失点するような問題過去問では出たことないし。

逆は真ならずということを疑う人間はよほど特殊学問を除けば非生産的屁理屈をこねようとしてるだけなんだよな。

2022-06-14

anond:20220614195430

コンピュータサイエンス就活に困ることはないぞ。東大ですら学際系とかいゴミ虚像役立たず学問が人気な現状でエンジニア志望の息子を誇りに思え。

2022-06-10

anond:20220610093655

その通りで、そもそも学問に興味があるやつが少数派なんだよ

2022-06-08

anond:20220608181343

Abstractしか読んでいない疑惑自身ダブスタな態度など他増田ブコメによる都合の悪い指摘に無視または言い訳を続ける増田果たして他人知的誠実さを偉そうにジャッジする資格()を満たすだけの知的誠実さは備わっているか

結論に「反する」論文を「無視」と語気を強めて言い切っていた増田の論旨は変わってるんだが、それはそれとして)

かい論点だとか論旨には影響しませんで言い逃れできるなら手嶋の記事だって前後の総説論文メタアナリシス否定されない以上は記事全体としての論旨には大して影響しないだろうに、記事全体のキャンセルを試みるのは無理があるって自分でも薄々分かってるよな

自分に都合の良い方向にねじ曲げた誤訳にしても査読の持つ意味合いにしても最初に強い言葉で耳目を集めてから後で軌道修正すればよしっていう怠惰姿勢から知的誠実さなんて欠片も感じられないんだけど?

ブコメでもお前の印象操作オタクヘイター表現規制派の方々が釣られまくってるんだから相手印象操作を責めるなら自分記事全体の論旨は否定できませんと明言して釣られた馬鹿の後始末しとけ

つい適当なこと言っちゃったけど相手だって同じなんだとか全く言い訳にもなってないからな

その相手をお前は「学問への冒涜であり、科学と対極に位置するものです」「論文を読む、ましてやそれを基に文章を書く資格などありません」「知的怠慢であり、知的誠実さの欠如でしょう」と切り捨てたんだから

他人より先にまず自分をその立派に研ぎ澄ました鎌で断罪してはどうか

(Full-Textを読まずにAbstractだけで済ませる怠惰も刈り取れないナマクラみたいだから研ぎ直すのが先か?)




アレな評論家の得意技モット・アンド・ベイリー論法

http://www.anlyznews.com/2017/10/blog-post_15.html

anond:20220606174313

anond:20220606232556

前段の総説論文を踏まえた上で論じている内容であり、総説に沿わない主張をする側には沿った主張に比してより明確な根拠が求められるわけで、総説に沿わない推論と沿った推論を「確かに推論だけどそっちだって推論じゃん」では相殺できない

問題の多い論文を絶賛する迂闊さは批判に値するだろうが、ポルノの影響については推論に留まる上に、主題インターネットであってポルノではない論文を仔細に紹介しないことを不誠実とまでは言えない

これを不誠実とするなら総説に沿っておらず満足な検証も行われていない推論部分、及び主題でないとはいえ推論を無批判で通してしまった査読者や掲載誌も不誠実の謗りを受けることになるが・・・そんなわけはないだろう

ましてや学問への冒涜だとか論文を読む資格文章を書く資格がないとすら断じて、当該の箇所以外の文章まで丸ごと切り捨てを図るような強引すぎる主張には苦笑を禁じ得ない

(都合の悪いエビデンスは隠すと公言しても地位を失う気配がない某氏存在など、自身の強烈すぎる信念と現実との齟齬をどう頭の中で処理しているか気になるところ)

anond:20220607234113

anond:20220608181343

知的誠実さを説いた自身大言壮語の釈明に追われる姿の滑稽さよ・・・

2022-06-06

anond:20220606215304

Kendall (2007)のほうの要約も読んでいただけると分かりますが、こちらも同様に”推論”です。二つの論文はともにインターネット性犯罪に与えた影響を見ており、そこからさらに追加的な分析を行うことで、これは恐らくポルノ消費の影響だろう、と述べているわけです。要約での主張、そして手法から鑑みても、Bhuller et. al. (2013)のほうはより推論らしい、とは言えません。

またKendall (2007)は一切の査読を経ていないのに対して、Bhuller et. al. (2013) は査読を受け、いわゆるトップジャーナルというもの掲載されています。仮に前者のほうがより強い主張を述べていたとして、査読を経ていない以上、Bhuller et. al. (2013)のほうをより信ぴょう性が高いと判断するのが、学問基本的ルールです。百歩譲ってKendall (2007)が子細に扱うべき論文であるとしても、それはBhuller et. al. (2013)の結果を無視して、あたか重要ではないように扱うことを正当化するものではありません。

個人ポルノ消費と性犯罪関係については、あるともないとも直観的に言えない、という立場です。この投稿自分の主張をどうこうしたい、ということではなく、あくまで手嶋氏が学問を扱う人間としての基本的倫理知的誠実さを欠いていることを知ってほしい、という理由投稿しています

【再追記あり】手嶋海嶺氏の知的不誠実さ

hesopennです。私はある誤解をしていたので、それを説明しておきます。私は指摘されるまでBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)は指摘されて追記したのであり、最初は無かったことに気付いていませんでした。さすがに発表されてからこんな短時間批判修正が入っているとはちょっと想像していませんでした。申し訳ありません。この誤解をしていた旨を堂々とここに追記しておくべきでした。またそのような誤解を読者に与えていたのであれば(与えていたと思います申し訳ないです。

とはいえ、手嶋氏に論文を読み、それを説明する資格はない、という意見に変わりません。無査読論文を大々的に紹介し、それの結果に反するトップジャーナル掲載された論文提示されたにもかかわらず、あたかもそれが重要でないような(その論文が元の論文と食い違うことも述べず)扱いをすることは研究自分目的のために恣意的に歪めて紹介する行為からです。修正したといっても、最後に「実際のところ、社会統計からポルノ性犯罪を引き起こす!」と主張する研究者は、もうほぼ絶滅しているわ。」という文章は残っています。これは明らかに間違いであり、Bhuller et. al. (2013)の結果を(経済学研究の蓄積において明らかに重要である判断されているにも関わらず)無視する行為です。経済学という学問の正しい理解を妨げ、学問政治化する人間論文を扱う資格はないという意見に変わりはありません。

手嶋海嶺氏の 「性的表現性犯罪性的攻撃性」の関係最先端科学的知見に迫る~ (https://note.com/teshima_kairei/n/nb86567d83298) を読みました。この文章では私は手嶋氏は完全に知的誠実を欠いていることを説明します。手嶋氏は自分結論に合う論文のみを子細に説明し、それに反する論文を軽視しています

手嶋氏の論考では二つの論文を軸に性的表現性犯罪性的攻撃性の関係について考察をしており、前半はKendall (2007)の解説に紙幅を割く構成になっています。Kendall (2007)は学術的にそこまで重要論文なのでしょうか?手嶋氏も述べていますが、この論文はUnpublished Manuscriptです。いわゆる査読されていない論文で、2007年に発表されたものが最新のものです。経済学においてはまだ査読されていない論文をWorking Paperという体裁で発表することはよくありますが、2007年論文2022年まで査読されず残っているということは、一般的には著者の個人的事情アカデミアを辞めるなど)か、その論文問題があるということを表しています

このKendall (2007)を詳細に紹介した後、手嶋氏は手短に、その手法問題点が指摘されていることをBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)を引用して述べています。この四人の著者からなる論文Review of Economics Studiesという、経済学のいわゆるTop 5の雑誌掲載された論文です。Unpublishedのまま2007年から更新されていないKendallの論文と、RESに掲載された2011年の彼らの論文、どちらがより信用に足るかと言われれば、事前情報なしでは経済学者の100人100人後者と述べるでしょう。では、なぜ手嶋氏はKendall (2007)の中身だけを扱って、Bhullerらの論文の内容を紹介しなかったのでしょうか?

それはBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)がポルノの消費の増加によって性犯罪が増加したこと示唆する論文からです。この論文ではノルウェーにおいて、インターネットが普及した地域においてレイプ、およびその他の性犯罪が増加したことが述べられています。そしてAbstract最後では、”Our findings suggest that the direct effect on sex crime propensity is positive and non-negligible, possibly as a result of increased consumption of pornography.”、つまりインターネットによって性犯罪は増加したこと示唆され、おそらくそれはポルノ消費の増加によるものだろう、とまで述べられているわけです。

追記:ここではPossiblyという表現をおそらく、と訳すのは不正確でした。もしかすると、という表現の方が適切だったと思います。ただこのこと自体は私の主張を崩すものだとは思っていません。詳しくは(https://anond.hatelabo.jp/20220607234113)を見て頂ければ幸いです。

このように、手嶋氏はなぜかKendall (2007)という査読されずに15年も経っている論文を子細に扱いつつ、Bhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)という経済学トップジャーナル掲載された論文無視しています百歩譲ってKendall (2007)が重要論文で、説明する価値があるにしても、それと相反する結果が出たBhullerらの論文結論を述べず、手法問題点が…と曖昧引用するのは全く理解できないことです。これこそ手嶋氏が誘導したい結論合致する論文のみをとりあげる、知的誠実さを欠いた行いです。

追記:一番上の追記で述べたように、私は手嶋氏が初稿で両者の論文を把握していると誤解していました。実際には指摘を受けて追加した、ということのようです。しかし本稿の趣旨意見に変わりはありません。その点については一番上の追記を見て頂ければ幸いです。

本来であれば、なぜこの二つの論文の結果が食い違うのかを考察し、そのうえで自分の主張を説得力がある形で述べるべきです。手嶋氏はあたか科学的、中立的であるような風を装いながら、自分の意に沿う、決して評価が高いとは言えない論文のみを詳細に取り上げ、学術的に評価が高い論文を軽視(無視)しています。またそれにより、あたかもこのテーマについて学問的なコンセンサスがあるような、間違った印象を読者に与えていますこのような行為学問への冒涜であり、科学と対極に位置するものです。

手嶋氏には論文を読む、ましてやそれを基に文章を書く資格などありません。

論文リンクを張っておきます

Kendall (2007) : http://pirate.shu.edu/~rotthoku/Liberty/internet%20crime.pdf

Bhuller et. al. (2013) : https://doi.org/10.1093/restud/rdt013

追記

「手嶋氏は指摘を受けて修正した。だから誠実ではないか」という意見があります。これは大きな間違いです。Kendall (2007)は未査読のまま15年経った論文であり、Bhuller et. al. (2013)は査読を受け、一流の雑誌に載った論文です。この二つの論文信頼性には雲泥の差があります。この二つの論文を対等に扱うことすらおかしいのです。ましてや手嶋氏のようにKendall (2007)のみを子細に取り上げることなど、常識的研究倫理を持つ人間ならまずありえないことです。

そして修正された文章を見ても、そもそもBhuller et. al. (2013)がKendall (2007)と異なる結論を導き出していることは読み取れません。私は最初、おそらく多くの読者と同じように、Bhuller et. al. (2013)はより洗練された手法でKendall (2007)と同じ結論を導いたものだと理解していました。手嶋氏は明らかにBhuller et. al. (2013)の結果を隠し、間違った印象を読者に与えることに固執しています。この追記あくまお茶を濁し、読者の誤解を誘うように書かれています

繰り返しますが、手嶋氏が真に知的に誠実な行いをしたいのであれば、Bhullerらの論文吟味したうえで、それでも自分の主張が正しい、もしくはKendal (2007)のほうが説得的な論文であることを議論すべきです。そうでないなら、経済学という学問価値規範に沿って、未査読のKendall (2007)ではなく、Bhuller et. al. (2013)のほうを重点的に解説すべきでしょう。失礼ながら、手嶋氏は経済学の専門的な教育を受けていないようなので、これらの論文理解し、その信ぴょう性を比較する能力があるとは思えませんが…。

ちょっとかい論点(および追加的な説明)について追記しました。ごちゃごちゃしてすいません。

https://anond.hatelabo.jp/20220607234113

追伸:

はてなブックマークを見たところ、この問題点を指摘しているのは私だけのようです。研究者としての訓練を(修士しろ博士しろ)受けたものであれば、Unpublished Manuscriptを子細に取り上げ、トップジャーナル掲載された論文を軽視するやり方に一目で違和感を抱くはずだと思います。このような初歩的な問題点を無視することもまた、知的怠慢であり、知的誠実さの欠如でしょう。

2022-06-01

親に色々なことを教わりたかった

自分の周りは育ちの良い人が多くて、そういう人たちの話の端々には「子供の頃に親から教わったこと」がちらほら出てくる。小難しい学問という話ではなく(そういうのもまああるけど)、普通学校勉強やそのちょっと進んだ話とか、社会についての知恵とか、(キャッチボールレベルでも)スポーツとか、楽器演奏とか、囲碁将棋とか、モノの作り方・使い方とか、料理とか、そういうものだ。

自分場合は親にそういったことを教わる機会が全くと言っていいほど無かった。と言っても親が早死にしたというわけではなく、単に子供に色々なことを教えるという能力や余裕や知識が無かったというだけだ。

それで結局上に挙げたような内容はある程度成長してから長い時間を掛けて自分で学んで獲得していったのだけど、ちゃんとした(?)家庭に育った同僚や周りの人達の話を聞いていると、そういったことは生育過程で親に色々な形で教わっていてそのことが彼らの人間としての力の大きな部分を占めていることがよく分かるのだ。

それがとても羨ましくて、自分も親に色々なことを教わってみたかったなという想いがいつまも心の片隅に佇んでいる。

2022-05-31

野生の思考とシンウルトラマン

【シン・ウルトラマンネタバレあり というかネタバレ気にせず話す】

 

 

 

 

 現在公開中の『シン・ウルトラマン』を2回見てきた。あまりにも良かった。感想をどっかで書きたい。

 ところで、その感想叫びを漁る中で見かけた勘違いが「リピアくんが『野生の思考』って本を読んでる!」→「リピアくん地球人類のこと野生動物か何かと思ってる?」というもの

 別に誰がどんな感想を持とうが、或いはその人やそれに近しい観点を持ってしまった人が何をどう勘違いしていようが、それ自体全然どうでもいいのだけれども、リピアくんとこの本の著者(レヴィ=ストロース名前は聞いたことある人多いだろう)の名誉のためにもツッコミ言葉ネット上に残しておきたい。ついでに、この映画にこの本が登場した意味考察をちょっぴり披露させてほしい。

 

 

 

 

●要約と見出し
①『野生の思考』を超要約すると「いわゆる”文明人”の思考と”未開人”の思考根本構造的な違いはないよ。つまり両者の思考のものに優劣はないよ」だよ

 

 

②ザラブ、メフィラスは地球人類をいわゆる『未開人』と見ていたよ。ゾーフィもたぶんそう。

 

 

③『野生の思考』がリピアくんあるいはこの映画に与えた影響は不明だよ

 

 

 

 

①『野生の思考』(クロード・レヴィ=ストロース/1962)

 1950年代までのフランスをはじめとした西欧に多かった(今でもかなり多い)哲学思想が「西欧文明における思考と、アジアアフリカ中南米の未開文明思考とでは根本的に違う」という考え方で、主に科学技術文化の面での進歩史観優越感、啓蒙思想資本主義と結びついて植民地主義覇権主義の土台の一つになっていた。それに異を唱えたのがフランス出身人類学レヴィ=ストロースの『野生の思考』という書。特に文化人類学者やリベラル系の人に言わせれば「戦後思想における最大の転換点」となっており、いわゆる人文系に広げてみても、構造主義を生み出し、更にその後のポスト構造主義などの思想もつながる端緒となったという点ですごく重要な一冊になっている。

 

 

 内容をものすっごく要約すると「『事象の切り取り方』『概念の置き方』ひいては社会秩序の維持や幸福追求に対する考え方はどの文化においても根本的な構造は変わらず、表出の仕方、あるいは社会が持つ興味の向かう先と取捨が違うに過ぎない。あらゆる文明進歩史観的考え方を持つわけではなく、発展を望む文化もあれば安定を望む文化もあるというだけ。栽培思考(=科学によって裏付けられ、概念を用いて行われる文明思考)と野生の思考(=記号によって行われる思考。「野蛮な思考」ではない)との間に優劣があるわけではないし、一つの文化の中で両方の思考は両立しうるし、実際個人の中ですら両立している」といったもので、その歴史的意義は「20世紀半ばの西欧にはびこっていた進歩主義特に西欧文化を中心とする思考科学技術を背景に自分達を上位に置こうとする考え方への批判を行ったこと」「しかし、だからといっていわゆる”未開文明”や自然主義を礼賛するわけではないこと」「文化を『仕組み(構造)』に置き換えて分析するツールとして学問の場に登場したこと」あたり。

 「文化構造的に捉え、それぞれの要素が社会の中でどう表出しているか研究する」という所から後に『構造主義』と呼ばれる思想を生み出したことで有名。更に言えば西欧の奢りや発展途上国(昔は「後進国」と言われてたよね)への見下しを批判する流れを生み出したという点でも評価を受けている。

 

 

 「野生動物思考方法」みたいな生物学の本ではない。

 

 

 

 

②ザラブ、メフィラス、或いはゾーフィの考え方とは

 ザラブにしろメフィラスにしろコミュニケーションの初手は「自分科学力、技術力を地球人類に見せつける」事から始まる。その科学技術力の差を背景に、劣等感と焦りを刺激して地球人同士を争わせようとするのがザラブであり、劣等感無力感……謂わば絶望によって人類心理的支配し最終的に兵器として利用しようとするのがメフィラス。それらに抗うのがウルトラマンたるリピアくん、というのが中盤の流れだった。

 

 物語の序盤で、わざわざ観客に見せつけるようにリピアくんがこの書を読んでいた(演出しての)理由はここにある……気がしなくもない。16世紀から20世紀……あるいは紀元前から現代に至るまで、我々地球人類が奴隷植民地後進国、押し並べて言うなれば『未開人(文明人/強者たる自分達とは構造的に違う考え方をする者)』である他者に対する接し方は、ザラブやメフィラスをそこまで強く批判できるような立派なものではなかった。

 宇宙人ゾーフィもそう。彼が裁定行使できる者・絶対者としての力を行使したのは「『未開人』である地球人類が、未開人のまま我々『文明人』並みの危険性を持つ可能性が出てきた」からじゃん。

 使用を思いとどまったのも、リピアくんもといウルトラマン意思感情を汲んであげたのもあるけど、基本的には、地球人類がβシステム自力で解析・利用し、グリッチじみた手法ではあるがゼットンを無力化せしめたことで「『未開人』から文明人』に格上げされた」だけに過ぎない。

 そんなゾーフィにもリピアくんは抗う、というのが終盤のストーリー。もちろん滅ぼされる我々としてはたまったものではないけれど、じゃあ地球人類の歴史において、他人他国人、あるいは他の生命に対してゾーフィと似たようなことをしてこなかったか、を考えると……やはり「滅ぼされるのは困るからやめてくれ」くらいしか言えない。

 

 

 逆に言えば、あの外星人や地球人の中でリピアくんだけが”変”なのよ。我々が他者と相対する時、普通はザラブとはいかんまでも、マイルドメフィラスかゾーフィくらいの扱いになるし、そうでなくとも暴力政治で言う事を聞かせてその力を利用しようとする各国政府みたいな事をする。地球人類とリピアくんとの科学技術の差や大きさの比で考えれば、虫か何かを前にした人間、の方が理解として近いかもしれない。

 しかし、リピアくんは(各国政府ひいては人類歴史悪辣さを知りながらも)、あのネロンガ戦のたった一度、リピアくんの足下でただ一人リピアくんだけに見えた星のような輝き、小さな他者のために命をかけられる個、そういう価値観を共有できる群体のために命を張った。そういうことをできる生命体のことを知りたくて、知り続けるために守りたくて、学んで、感じて、支えて、何度か支えられて、それでも分からなくて、その果てに見つけた『他者のために命を賭けられる自分』。虫のような他者のために、ネロンガの電撃や、ガボラの激ヤバ光線や、メフィラスのグリップビームや、1兆度の火球の前に身体を晒せる者。ザラブにもメフィラスにもゾーフィにも、あるいは普通地球人類の日常の中にもない”変”な価値観を持つ、だからこそ『ヒーロー』、ウルトラマン

 

  

 自分が今回の『シン・ウルトラマン』に感動したのはまさにここで、「ウルトラマンとはこういうヒーローなのだ」「我々がウルトラマンヒーローだと感じてしまうのはこういう理由なのだ」を2時間かけてぶつけられたのがあまりにも気持ちよかったかなのだ

 

 

 

 

レヴィ=ストロースウルトラマンにどれだけ影響を与えたか

 結論から言うと「わからない」。それはリピアくんに対してという意味でも、『シン・ウルトラマン』という作品に対してという意味でも。

 というのも、リピアくん、地球人類のことをめちゃめちゃ頑張ってお勉強してて(かわいいね)、ものすごい量の本を超速で読んでるわけで、『野生の思考』だけがピアくんの人格形成思想信念の確立寄与しているかと言われれば、まあもちろんそんなことはないだろうという演出はなされてる。レヴィ=ストロース思想だってその後にやって来たグローバリズム等の思想史において批判を受けてきたわけだし。

 そもそもピアくんがザラブやメフィラス、あるいはゾーフィから地球人類を守ろうとしたのは「我々と彼らの文明構造的に違わない」という計算、あるいは知識を基にした思想や信念からではない。「彼らの事を知りたい」という知的欲求から来る寄り添い、ゾーフィが言うところの「好き」、米津玄師が言うところの「あこがれ」という感情こそが、リピアくんの力の根本なわけで。

 

 

 文化人類学の中でも大きな意味を持つ書でもあるし、作中においても先の展開を示唆しかねないアイテムでもあるけど、知らずに見ていた人なら分かる通り、別にこの書が作品全体に超大きな影響を与えているかは正直微妙かもしれない。でも、知っておくと↑のような考察も楽しめるという点では面白いよ。

 

 

 

 

結論

・『野生の思考』という本は生物学ではなく文化人類学の本だよ

・本の内容は『シン・ウルトラマン』という作品意味を落としているかもしれないし落としてないかもしれないよ

・それはそれとして読んでおいて損はない本だよ

以上

2022-05-29

anond:20220529224535

説明が難しいが… 社会の役に立っている喜び、だろう。

自分の働きに対して、みんながそれを必要としてくれていること、誰かの役に立っていること、がリターンなんだ。ボランティア動機に近いと思う。

逆にパチプロなどはおそらく、このタイプ動機づけを持たないと思う。想像だが。

およそパチンコのものの楽しみと金銭的成果がリターンだ。

仕事の楽しさ、金銭的成果、社会奉仕の実感… 動機づけは色々あって、労働者によって向き不向き、感度の高さの差がある。俺はカネや社会性より、仕事学問的意義に喜びを感じるので、儲けていても時々砂漠歩いてるように感じることがある。

anond:20220529224422

学説否定ができない学問宗教というのだ

…キミは「学ぶ」ということを学んでこなかったのだな

2022-05-28

anond:20220528055338

やはり疫学支配者が民を都合良くコントロールするための悪魔学問だったか・・・

支配者の手先たる科学者連中が今後も必死洗脳を試みてくるだろうけど、絶対に騙されるなよ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん