はてなキーワード: 個展とは
ツイステ最初の頃はストーリーもイベントも順調にでていてみんなが楽しい雰囲気だったのだけど
ある時期からガタガタになり、ストーリが配信されなければ、推しの寮服SSRが配信されないので
二十二人いるキャラクターの寮服SSRが一年のうちに全員でなくて、不満を抱えたファンたちに焚き付けるように
運営が100連したらSSR一枚交換できるアイテム(既存のだけ)を二回出してしまった
推しが先に出てるファンたちはいい思いをするが出ていないのはすでに2回分差がついている
しかも、推しSSRが本編で出ないならイベントで保管すればいいものを、先にでたキャラばっかりがSSRになっている
なぜストーリーがこんなに遅れているのだろうか?
1、本編の原案
2、グッズの監修
5、やなスタッフによるカードのイラスト監修 すでに手に負えなくて首塚(頭だけトレス)が複数枚
8、ツイステ漫画の監修
はっきりいってアホとしか言いようがない
枢先生に、ゲームのイラストとシナリオを全部任せたら、開発はそれを待つしかないのだから 絶対的に遅れるに決まっている
こんなに仕事を抱えて、結果本編が大幅に遅れて、ユーザーに不満を抱える状態になっている
本編が遅れたなら埋め合わせにと 復刻イベントがのだが、復刻イベントの+αを新イベ扱いしている
+αとは、イベントの裏ではこんなことが起きていましたよという話の追加である
なので、その復刻イベントが終わると次に・・・また復刻イベント+αがくるのだ
その間の埋め合わせに育成イベントもあるがはっきり言って、ゲームとは呼べないくらい内容がないのでイベント扱いしていません
どれくらい手抜きかというと
素材集めにひたすら20分放置するだけのイベント(SR新規カードはある)
虚無になるわけである
何故そんなイベントをさせられるかというとすべては枢先生が仕事をため込んでいるからだ
枢先生が仕事を溜め込みすぎて、本業の漫画のストーリーも全然進んでない現状(月刊なのに九ページの時も)
二重課金、勝手に課金なんてことがあっても 運営は無視 会社はHPから電話番号も消す始末
3〜4ヶ月前からTwitterで被害を訴えている人々がいるが現在まで謝罪も説明もなしである
(課金バグの他にも初期化バグ、ガチャバグなど致命的なことがあっても説明なしだけでなく、詫びアイテムもなし)
そんな中、毎月低レベルなグッズだけが量産され、枢先生の絵が売りなので、発売当時からずっと同じSR寮服絵のグッズが毎月出ているのはもはやネタだ
枢先生 ずぼらな体制でよく全部やろうと思いましたね 正直、自身で作品の首締めて、じわじわと殺していっているのと同じ行為にしか思えません・・・・
PS:SSRと黒執事の個展の絵、画力差がだいぶ違ってて手抜きの印象を持ちました 後、服のデザイン、本職に任せてほしい(枢先生に誰も言わないのだろうかだいぶダサい)
漫画家は週刊ペースってもんがどうしてもついてまわるので、加齢に従ってペース配分が若い頃と同等にはゆかなくなる。
アシスタントの代替わりや高齢化にも問題があるし、漫画家自身の慣れによって作画が雑になる側面も多くあると思う。
ちなみに秋本治に限って言えば、ギャグ漫画が長すぎたせいでもともと描いていた劇画の調子が出せなくなって、登場人物の顔が全部ギャグになってしまってるところがだいぶ良くない。また、いま時点でずっとやりたがってた劇画ウェスタンなんて今やっても時代錯誤すぎて誰も見ないという。正直あれは集英社の介護・忖度だと思う。功績はかかりしれんし。荒木が歳食っても常に今を描こうとしていことが逆に奇跡的なんだろうね。
最近ようやく落ち着いた例の同人誌問題で、以下の記事を読みました。
https://17on.site/natukusa/888872
最初はまたvを叩く記事かと思いましたが、記事書いた人(同人誌書く側の立場かな?)の率直な感想やちょっとした反省、そして考えを記したものでした。
読む前に誤解して申し訳ない。
で、これを読んで気になったのが以下の文章です。
私としては、その文化がしばしば軽んじられているという背景があるからこそ、不服に思ったのならそれをちゃんと申し立てするのは大事なことだと思う。
相手もそれを受けて問題点に気づき、謝罪する一連の流れを評価することとは、単に水に流してなかったことにするということではなく、「同じくらい軽率な輩は今後も許さんぞ」を内包する。
でもさー、それで腫物のように扱ってほしいわけじゃないんすよー。そういうのじゃないんすよー。
前半はなるほどなあと思ったけど(二次創作とはいえ作者には怒る権利は当然ある)、後半は「ん?」でした。
これはそもそも私が二次創作に疎いからかもしれませんが、率直に思っていることは「創作物」の責任を果たせないものが流通してるんだから、それは腫れ物じゃないのか……と。
が、今回のように市場に出回っている創作物に対する批評が、二次創作(あるいは二次創作BL)については許されないのであれば、それは立派な腫れ物でしょう。
先日はてなでも少し話題になった、以下の記事でのやりとりを少し引用します。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210401044629
どっちかというと元案件よりも元案件をどう消化するかのコンセンサス取りで燃えてる感じ。創作者の端くれとして「この程度でキレんなよ」には与したくない。軽んじて晒すな・晒すなら尊重しろ、と分かってほしいだけ
この人、個人的には好きだったんだけどなあ。与しないのはもちろん自由だけど、それが叩くことなの?(ほかは知らんけどこの記事でしているのはそういう話だよ)
というか一般的な創作物の場合こそ、『エスパー魔美』の有名なシーンのように、当人たちの問題でしかなくて、作者が怒った(そして謝罪を受け入れた)時点で終わりだよ?
結局、他から見れば外野として思えない人たちが憤るのは、それが「二次創作(特にBL)」だからでしょ。特殊な文化なんでしょ?
今回のケースであなたも憤るなら、創作者の端くれでも主語が大きすぎだよ。そんだけ。
【引用ここまで】
前半と最後のは文章はまあブコメに対する文句に近いので置いておくとして、
「というか一般的な創作物の場合こそ、『エスパー魔美』の有名なシーンのように、当人たちの問題でしかなくて、作者が怒った(そして謝罪を受け入れた)時点で終わりだよ?結局、他から見れば外野として思えない人たちが憤るのは、それが「二次創作(特にBL)」だからでしょ。特殊な文化なんでしょ?」というのは、この騒動における私の率直な感想に近い部分があります。
本当に個人的な話をするのであれば、冷蔵庫に入れたくだり以外で怒る要素があるのかという思いはありますが、私の二次創作の理解が足りてない部分かもしれないし、当事者間で決着した部分なのでそこはちゃんと尊重します(何より作者が不快になったのは事実)。
で、上記の増田で言及されているが『エスパー魔美』の有名なシーンが、全てにおいて正しいかは分からないが、少なくとも私は正しいと感じています。
『エスパー魔美』の主人公の父親が描いた絵(もしくは開いた個展そのもの)がボロクソに批判されたシーンのやりとりは、かなり有名ですが引用します。
「公表された作品については、見る人全部が自由に批評する権利を持つ。どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにも見せないことだ」
「でも、さっきはカンカンにおこっていたくせに」
「剣鋭介に批評の権利があれば、ぼくにだっておこる権利がある!!あいつはけなした! ぼくはおこった! それでこの一件はおしまい!!」
今回の件も、通常の創作物(公表された作品)であれば、作者が怒った段階で終了するでしょう。批評だったというと議論の余地はあるかもしれませんが、読んだ時の反応もまた批評という表現の一部だと私は思います。
作者以外が怒るとすれば、それは冷蔵庫に入れたくだりじゃないでしょうか。悪意のないサプライズのためとは言え、作品に対する敬意に欠けるという意見が周りから出ても不思議ではありません。
私個人は、枕の代わりに漫画雑誌を使ったことも過去にあるし(足蹴にしたことも)、同人誌を冷やしたくらいのことを諌められる立派な精神はないんですが……。
私が嫌いなブクマカなので甚だ不本意ではありますが、今回の件だけで見れば以下と同意見だったのが少し悔しい。
Vを殊更叩いてるやつは広告費取ってるクソゲー批評系とか辛辣映画批評系とかどう思ってるんだ 隠してた個人の日記みつけて晒したわけではないんだぞ 冷蔵庫のくだり以外は道義的に何も問題ない
しかし本件は最初にデマで著作権で燃え、その後は「晒したこと」で燃えました。冷蔵庫云々で怒った人間はブコメを見る限りはそんなにいないでしょう(適切に管理できていないケースなんて誰にだってありますし……)。
上記の「晒した」は、多くのブコメやTwitterでの反応を見る限り、「タイトル」を伏せつつも作品を特定できる形で述べたことや、一部セリフを朗読したという行為についてのようです。
これらの行為は、批評を行う上で当然のように起こりうる行為です。対象を定めず批評するってまず無理ですよね。
つまり、二次創作BLは批評も許さないということと同義でしょう。これはブコメを見る限り、ほぼほぼ正しいと思います。
※男性向け二次創作の場合、戦利品として表紙をアップすることは良しとしているという話もあるので、ここでは二次創作BLが批評を許していないとします
反論があるとすれば、「公表された作品については、見る人全部が自由に批評する権利を持つ。」というのは、同人誌に当てはまらない……という主張でしょうか。
これは完全にローカルで行っているのなら、納得できます。例えば鍵垢だけで公開していたり、同人誌即売会のみで販売(頒布って言うのかな?)のならば、それは世間に「公表」しているわけではないでしょう。
しかし今回の作品もそうですが、二次創作BLは決してローカルではなく。委託販売を通して全国の同人誌を扱うショップで(あるいは通販で)、ローカルから外れたところで作品を「公表」しているパターンがかなり増えてきています。
そういった作品についても、作品を特定できるような、批評といった行為が許されないのはおかしいと思っています。
商業(ビジネス)的な展開の美味しい部分だけを搾取して、他の創作物が果たしている責任を果たしていない。
こういうのをフリーライドって言うんじゃないでしょうか?(違ってたらごめんなさい)
最初の記事の書き手は腫れ物として扱ってほしいわけじゃないと書いていましたが、やっぱり腫れ物だし、そもそもローカルルールを強制する今の在り方は歪んでいると思います。
原作に対する著作権云々は二次創作側の問題なのだから、それを世に流通させる以上、他の創作物と同等の責任は果たして欲しいです。
それができないなら、今の形が間違っているのだから完全なローカルに戻すのが筋なのではないでしょうか(今も完全にローカルでやっているところはあると思いますし)。
あるいは縮小の道ではなく、違う道もあるのかもしれません。別記事についていたブコメを引用します。
https://anond.hatelabo.jp/20210331235506
腐・女子関係なく同人誌は全部バレてるし、PixivでなくTwitterは鍵じゃなきゃ只の宣伝。企業ブースもいるっつうのに。もう有志団体作って二次創作法を立法して仕切り直しの段階だ。少なくとも立法に否やはないはず
歪みが虐げられていた過去からきているのであれば、こういったことを実際に働きかけていくべきなのではないかと思いました。
とりあえず、あくまでこれまでの経緯を追った個人の感想としては、タイトルに書いたように、
「創作物としての責任を果たせないんだから、腫れ物として扱うレベルじゃなくてそもそも表に出さない方が良いのでは?」というものです。
漫画家の人が生活保護を申請したが受けれず、個展も開くなと言われて日雇い労働を勧められたとかって話
これが漫画家じゃなくてYoutuberだったら違う反応だっただろうって言う人がいたけれど
いや、少なくとも自分ならYoutuberだったとしても同じように言うよ
その人が現在定職に就いていなくて、お金がないのなら、生活保護を受けながら趣味としてYoutuberをやっても全然いいと思います。
日雇い労働って体力要るし、大して稼げないし、それで生活を成り立たせるのはかなりハードだよ
出来たとしても自転車操業になってしまって老後の蓄えなどが十分に出来るとは思えない
そういう仕事で生活を成り立たせろなんて、漫画家やYoutuberに限らずこの世の誰に対しても言えません。
何つーか、みんな仕事を舐めてない?
何処の会社も生活保護を検討するような無能な人や体力の無い人なんて欲しがらないし
何十社も応募しても門前払いな事が多い
なんで漫画家やYoutuberをやってて上手くいかなかった人達が「普通の仕事」なら出来る前提なの…?って疑問に思う
日雇いにしろそうでないにしろ、「普通の仕事」はハードです、けして誰にでも出来るものではありません
「普通の仕事」こそ特殊な才能が必要だと思うし、おそらくはその適性がなかったから漫画家やYoutuberになったんじゃないの?
この記事見て思ったのは、いわゆる消えた漫画家とかイラストレーターみたいな人たち、奥さんが介護職や医療事務やって支えていたり、奥さんの実家の家業の手伝いしてたり(住居も義父母と同居)して何とかなってる人も多いこと。
「漫画家やめて日雇い労働を」と言われ生活保護断念 30周年記念個展でホームレス状態脱却を目指す内田かずひろさん:東京新聞 TOKYO Web
仕事が本当に無くて困ってるっぽい悲壮な記事でブログの更新が止まり、餓死したのでは自殺したのではとネットで囁かれてるような作家でも、僕ら知人もプライバシーを尊重して表に実名は出さないけど、そうやって生き延びていたりする。
クリエイターは一瞬でも売れて(マニアの間で評価される程度のレベルでも良い)、ファンやアシスタントの女の子にモテる状況が来たら、すかさず結婚して子供まで作って奥さんを手放さないようにした方が良い。文字通りの生存戦略として。
先日負の感情のスパイスの混じったとある二次創作作家さんのツイートに触れて、同人女歴20年選手の私が個人的に感じたあれやこれやを書いてみる。
二次創作をやっていて、常に誰かからの感想がほしい気持ち。わっっっかる。死ぬほどわかりますその気持ち。
「感想なんて貰えなくても、自分は自分の描(書)きたいものをかくんだ」と言い切れたならどれだけ格好いいかと思うけれど、残念ながら自分はそんなストイックな同人女にはなれない。いいね一つでもつけば嬉しいし、マシュマロが来れば飛び跳ねて喜んでしまう。
描(書)いたものに対してリアクションが返ってくる喜び、ファン同士の共鳴感がもたらす多幸感ってちょっと他では味わえない。
こればっかりは、創作に手を染めた人間にしか味わえない特権だなって思う。
ただ感想が来ないことに落ち込んで、推しを十分に楽しめない域に達してしまったのなら、「感想を欲しがる自分」をもっと俯瞰的に見た方がいい気がする。
一人でも多くの人からたくさんの感想をシャワーのように浴びたいのか。
同じ界隈の作家さんたちから感想を貰うことで繋がりを感じたいのか。
はたまた「同人女の感情」のように、自分の追いかけてる特定の作家さんを、自分の作品で振り向かせてみたいのか。
不特定多数からとにかくより多くの感想が欲しいなら、まずその自分の渇望を満たしてくれるジャンルから選びから始めた方がいい。
ファンの総人口が多い流行ジャンルで描(書)き続ければ、絶対にいいねは付きやすいし、感想をもらえる機会も増える。
人気のない山奥で自分の描いた絵を展示して、誰も観てくれないと嘆いても仕方がない。
感想が欲しければ、マシュマロなどの窓口を設置して、感想が欲しいと明確に伝え続けることも大事だ。
ただ、街中には当然人が多い分、自分より素晴らしい個展を開いている作家も大勢いる。
その人の個展はいつも大盛況なのに、どうして自分のところは人が来ないのか。どうして感想がもらえないのか。
そんな理由は考えるまでもない。単純に、その人の作品が自分より素晴らしいからだ。技量か、作風か、作品を通して伝わる人間性か、自分にはない何某かの魅力が、人気の作家さんのもとにはあるからだ。
たくさんの人から愛されている作家さんやその作品に、羨望を抱く気持ちは悪いものじゃないと思う。嫉妬と憧れは、きっと自分の創作物を磨くときのいい研磨剤になる。
けれど、その羨望をうまく飲み干せないのなら、他の人の作品を見るのはやめた方がいい。
まあでも見たいよね。だってきっと同じ界隈に住んでいるからには、自分の読みたいものを人気の作家さんは書いているから。
同じ界隈の作家さんたちから感想を貰うことで繋がりを感じたいなら、単純な話、自分が界隈の作家さんに感想を送っているかどうかを考えた方がいい。
自分が他の作家さんの作品を楽しんだ後、きちんと感想を送っているか?RTしているか?していないのに、自分の元には感想がこないと嘆きはしていないか?
ある程度関係性を築いていたら、儀礼的ではあっても感想は貰える。
自分は引っ込み思案でフォロイーさんに感想を送れない、でもフォロイーさんからの感想は欲しい。その場合は、フォロイーさんたちが感想を思わず送らずにいられないくらいに、圧倒的に魅力的な作品を描(書)くしかない。
あなたが神作家になれば、きっと感想は勝手についてくる。もしかしたら憧れる作家さんだって、自分の作品を読んでくれるかもしれない。
簡単に神作家になれたら苦労はしない!ときっと思うだろう。じゃあ神作家と呼ばれる作家さんたちは、どうして苦労していないと思うのか。
四六時中どうしたら魅力的なものが描(書)けるかを考えて、手を動かして、いろんなインプットを重ねた結果、神作家は神作家になったんじゃないのか。
自分より年若い人が自分より絵が上手いことが、文章が上手いことがショック???生きてる時間なんて何の参考にもならない。問題はその時間をどんな割り振りでどう使ったかじゃないのか。
自分がそこそこ勉強してそこそこの大学に通っていたとして、がむしゃらに勉強して東大に入った人間を妬んでどうする。
神作家の筆が自分の3倍早いなら、それは神作家がそれだけ作品のために手を動かしてきた証拠だ。
自分だって毎日練習をしてる?それは本当に効果的な練習か?自分の描(書)きやすいものばかりかいて、同じところをグルグル回ってはいないか。自分の苦手な構図、話を克服するための分析をした上で創作を重ねているか?推しの魅力をさらに二次創作で搾りとってやろうという気概がそこにあるのか?
仕事があるから、育児があるから、学生みたいに二次創作に時間をかけられない?じゃあ限られた時間で何を描(書)くかを吟味しているのか?
どうして学生なら時間があると無条件に言い切れるのか?社会人より忙しい学生だって山ほどいる。
他人の見えない部分に勝手なラベルをつけて羨むことほど虚しいことはない。
まあたまに本当に努力知らずの神に愛された天才も存在するけど、それはもう仕方がない。神の子は同じ土俵に立たせる存在じゃなく、ただ崇めておくべき存在だから。
私は二次創作活動は徹頭徹尾自分のために行うべきだと思ってる。
ただ本当に幸せな二次創作活動っていうのは、単純に推しが好きで、推しの魅力を形にして吐きださずにはいられない状態でやる活動のことをいうと思う。
周りの目なんて一切気にせずに、バーサーカーモードで勢いだけで描(書)いたものって、何故か脂がのってて美味しい。
自分の純粋な狂気を、あとから誰かに楽しんでもらえて一緒に狂えたら最高だなって思う。
それが本来の同人女のあるべき姿だろうと思うし、周りからの評価>推しへの愛になってしまったなら、単純に狂気の火力不足。薪を絶やすな。狂気を燃やせ。
推しゲームがソシャゲ化してから自分の実になる趣味を1年以上疎かにしている
・読書
・お絵かき
・木工細工
更にそのソシャゲ、ロードが長いからそのスキマ時間にユーチューブを嗜むようになってからもっとやばい
2ちゃんねるで有名なスレを漫画家して下手なナレーション付けた動画なんぞに時間を奪われまくっている
木工細工をもう一度やるために良いナイフ新調したがまだダンボールから出していない
1ヶ月前にそのソシャゲにハマるのはコンコルド効果のせいだと言い聞かせ、
つい先日サ終することが決まって今までためてきた材料を消化するためにまた手を出してしまっている
サ終まであと1ヶ月
終わったとしてもユーチューブから与えられるインスタント快感から抜けられそうもない
助けてくれぇ
増田に書いたらなんか憑き物が払われたのか、その日からソシャゲ触らなくなった!!
サ終まで付き合って再スタートしようというアドバイスが大きいと思う
惰性を受け入れる姿勢になると苦しくなくなるんだね
ようつべのくだらない動画時間泥棒だけど、それも観なくなってきた
ユーチューブでその作業動画を見るようになってから劇的に見ることが減った
現代アートみたいなもので、新しいアイディアが毎日編み出されている
再燃したのは増田に書き込んだ直後に、昔描いた作品のつながりから
停滞してた時間を取り戻していきたい!
とにかく本当にありがとう
気に入らない表現はきっと男性社員に違いないという思い込み。つるの剛士と何が違うのか?
@takedaasuka_ill
タイツの件、どこまで個人の裁量でやられていたのかは分かりませんが、女性向け商品のアプローチには絶対に女性社員入れた方が良いと思います…。これまで企業イメージ作り上げてきた人達が可哀想だ…
@Elizabeth__005
キモッ
@801sijyosyugi
そもそも女性が購買層なのにその女性に気持ち悪がられるようなイラスト頼む事自体がヤバい。担当者とイラスト頼んだ奴は多分男だな???
@kadas_blue
ほんと、首がまずいと思いますよ。
しゅかるるん先生
@shuca_shuco
企業アカウント、担当者の性別知りたいな アツギとかリカちゃんとか女性だったらそりゃもうビックリする 救いはない
@cbsetsuna
タカラトミーもATSUGIも女性向け商品に対してのPRは社内の女性社員に任せた方がいい。
そうしたらこんなに消費者側が毎回気持ち悪い思いしなくていいのに。
妃❁プロフ必読
@Smrg_Ksk
あと、これは想像になってしまうんだけど、そうやって炎上しているところの担当者は男性だよね考えている顔(そうじゃないところもあるけどさ)
女性(女の子)をターゲットにした企業のTwitter担当者が男性……眉が上がっている顔そりゃうまくいかないわ。
えあしゃ
@tFmUAjSvdjnlvDP
きもきも!
これ見て女性が喜ぶとでも?
本当に誰向け? ですよね
もっと気分が悪くなった…
小学生時代はネット環境そんなになかったし友達と遊びまくってたから、めっちゃ隅っこみたいな掲示板で数週間に1回ぐらい会話する感じ
中学時代は不登校だったけど、人と話すのが嫌じゃないからネトゲのコミュニティに浸ってた。あと2ch
高校時代はそこそこ友達とも遊ぶけど、基本的にTwitterばかりやっていた
そんな中に身を投じて7年は経っている
Twitterは正直訳ありな人間がふるいにかけられて、精鋭の訳あり内輪コミュニティになっているから
マンネリ化していて、全員社会人になってグズグズに爛れた間柄になっている
2chの移住騒動があって色んなところに行ってみたりもしたけれど、2chも避難所も全てグダグダになって惰性で人が残っている感じ
今更何か面白い発見があるわけでもなく、まれに内輪で揉めるぐらい
新しいコミュニティを探して、(皮肉にもまたTwitterだが)創作界隈に手を出してみたものの
創作物に対して応援したり、個展の情報を知るぐらいであり、人と交流できるコミュニティではなかった
雑談に夢中になって、昼夜逆転できるほど楽しいコミュニティにまた会いたい
新しいコミュニティはどこにある
合計100万円以上集めて実際開催できてるってすごいよね。
私は漫画を描く。
別に売り上げで食べているわけではないけどめちゃくちゃ赤字というわけではなく、それこそ「趣味」の範疇に収まっている。
よくいる締め切りがないと描かない人、のひとりだ。
恋愛するわけでもなく、世界を救うわけでもなく、特段なにも起こらない。
漫画を買ってくれる人も特に感想は言わないのでどう捉えられてるかわからない。
「よくわからない」漫画を描いてる私自身も描いてる途中に「これはなんなんだ?面白いのか?面白くないのか?わからない…」になる。
わからないものを描くのは割と苦痛だ。なにになるなかわからないからだ。
話の流れとか、コマ割りとか、諸作業においてめちゃくちゃに頭を悩ませることは少ない。(それほど考えてないからかもしれないが)
だから、自分にとってそれなりにあっている表現方法なのだと思う。
商業誌連載が仕事な人、いわゆる漫画で食べている人が羨ましいなと思うことはある。
けれど、私は好き勝手描ける方が性に合ってるし多分それしかできない。
だから、面白れー!となる漫画を描いてる人は、すごいなと思う。
面白さを狙って、狙った通り面白い漫画じゃないと「良い」漫画じゃないのか?となんとなく考えた。
多分そんなことはない。漫画だって、受け取り方の多様性があるし、そこに委ねる形で読む人の数だけ解釈があって、感じることがあると、なんか良いと思う。
自分がそのような傾向にあるが、「わかりやすいもの」ばかり求めると、なんとなく良くないなと思う。
別にわかりやすいものが悪いんじゃなくて、そればっかり摂取してるとなんか良くないのでは…と思う。
だから、私みたいに「よくわからない漫画」もあっていいんだよな、と勝手に結論づけた。
文章書くのは苦手だけど、文章でこんなんだから漫画なんて余計わけわからないことになってそうだ。
漫画はエンタメとしての側面が強く感じるけど、私は絵画を描くようにひとつひとつの作品として向き合っていけたらいいなと思った。
誰も見てないであろうけど誰かがみているかもしれないここで宣言しておく。
頑張って描くかあ。
ベーシックインカムだと何もしないでお金をもらうという話なのだが、
コンピュータを使って何かしら作ることはできる時代になったので、こちらの方法で大儲けはできなくとも、そこそこ稼げるようにならないものだろうか。
高齢者が増えていくなかで、体力が落ち、年金のみで生活するのに不安があり、消費に回すお金もない、
といった状況を変える1つの方法としてニーズはありそうに思う。
これまでのWebは、グローバル化と価格競争、広告で進んできたわけだが、期待値のわりに日本全体でパイの拡大ができていない。
(政策が悪いという意見はもちろんだが、他の方法もあるだろう)
Amazonの個人出版や、同人誌やオリジナル創作物の販売サイトはあるが、今のWeb構造だと埋もれてしまう。
コミケ、文学フリマ、技術書展といったイベントがトリガーで販売という方法もあるが、結局大規模なものしかネットで浮上しない。
私の好きなソシャゲは配信開始からもう6年半くらい経ちます。女性向けの恋愛ゲーで、まあよくある学園モノです。配信当初メインとなるストーリーは無くて、個人の低レアカードや紹介文から推しを作りイベント上位を目指したりガチャってカードを重ねてストーリーやボイス、スチルをゲットするのを楽しむ、これまた当時はよくあるスタイルでした。だんだんと複数キャラが活躍するストーリーやキャラ個人と主人公が恋愛するモードが追加され、一部キャラをより深く知る事ができるようになりました。
最近はストーリーが充実していて主人公そっちのけでキャラクター同士の相関を楽しむゲームが女性向けでは多いというか、人気ですよね。
好評配信中のこのゲームですが、もう2年以上イベントどころか新規情報が更新されていません。ただし2ヶ月から半年に1度のサーバーメンテと、後述する特典の交換期限更新は行われています。でももう開発チームも存在するのかわかりません。先日不具合の問い合わせをしたところ即日返答が来たので対応する方はいらっしゃるようです。派生のリズムゲームもあったのですが、こちらも後期はイベントという名のキャラ新規復刻どちらも無しアイテムのみ配布期間が続いて去年サ終になりました。
こんな状況でもゲームのアクティブ層はそこそこ、そこそこ存在します。新規絵は無いものの、過去にリリースされた任意のキャラの高レアカードを手に入れられるエンドコンテンツが存在しているからです。ただしこの高レア特典は半年に1枚しかゲットできないため今始めてもストーリーを回収できるかは運営次第で保証されていません。(ストーリーを全話読むためにはカードを最低3枚重ねる必要があります。カードの代わりになるアイテムも存在しますが最高レアには使えません。)私もときどきログインして推し以外のキャラカードを集めたりしています。声優も豪華なので色々聞いてみるのも楽しいです。
リズムゲーサ終から緩やかに過ごし迎えた今年始め、界隈が盛り上がる出来事がありました。(余談ですが、界隈がざわつくと本家サ終かと焦ります。)初期にキャラデザを担当されていた作家様の個展が開かれ、そこでこのゲームの新グッズが発売されることとなったのです。新規絵ではないものの久々の推し個人グッズです。缶バッジなんかは属性ごとといえど(キャラは3種類の属性に振り分けられています)10数人ずつ完全ランダムで、それでも飼いならされたオタクたちはこぞって求めました。私も初日に並びに行きました。こんなにこのゲームのオタクってまだいるんだ、と可視化されなんだか嬉しくなりました。整理券が配布されて午後になったのでカフェでTwitterの様子を見ていたら個数制限が無く開始から1時間強で完売していたので悲しいような嬉しいような会場運営に複数買うオタクはいないと舐められているのかとか色々思う所は有りましたが、目当ては後日譲っていただけたのでもうどうでもいいです。
公式グッズが発売されたのに、イラストが展示されたのに、ゲームのTwitterや公式サイトでの言及はありませんでした。作家様が独断でキャラグッズを公の場で名前を出して販売できるわけがありせんし、公式サイドに対応する人はいたはずです。それでも公式が広めることは無く個展は会期を終えました。私の推しキャラの声優様は個展に行ったことをツイートされていました。すごく嬉しいです。素敵な声と演技をしていらっしゃるのでもっともっと売れて欲しいです。
察しの良い方はもうゲーム名に気づいているかもしれませんが、このゲームはある人気ゲーの姉妹作品として生まれました。当初はバグが多くキャプチャがTwitterを回っていたのが懐かしいです。ピンときていない方も、元となった人気ゲーは当時CMが大バズりしていたので覚えていらっしゃるかもしれません。(^q^)くおえうえーーーるえうおおおwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwのやつです。こちらは今も更新が続いていて、こういったイべやガチャサイクルが早く天井もほぼ無いものは搾取ゲーと呼ばれますが、それでも羨ましいに尽きます。
サ終するよりはマシかもしれません。データが存在して、いつでもゲームを開けばキャラたちに会えて、イラストも見られる。それでも、現状が良い方に傾くとは思えません。これまでと同様にずっと下り坂にしかならないでしょう。この状況下で、ゲームを始めたてだとしても、課金する人がいるとは思えません。あまりに課金にメリットがなさすぎるからです。課金要素はガチャとアイテム、キャラの所持枠ですが、ガチャは恒常のみで、恒常なら高レアでもチュートリアル後に1枚と、先のエンドコンテンツを進めていればすぐに手に入れられますし、アイテムも同様にすぐ貯まります。あと有用なのは所持枠ですが推しのみなら溢れませんし、アルバム機能も存在するため今更購入する人は少ないでしょう。
集金が出来ないはずのこのゲームが続いているのは何故なんでしょうか。新要素が無いにしてもサーバーの維持費だってかかっているはずです。会社だって慈善事業では無いのだし、メリットがあるから続いている、そう思いたいです。タイトルにしたサーバー維持費達成すらこのゲームでは難しいでしょうに。常にサ終に怯えて、ああでもこのゲーム公式に忘れ去られているから大丈夫なんだったあははとバカみたいなごまかしをしてはへこんでいます。大好きなんです。ただただ周回して同じような作業をしてるだけのゲームでも、無くなってしまうのだけは嫌なんです。
最近話題になったクラウドファンディングがあります。4年続いたソシャゲがサ終するとともに、steamでの買い切りリリースを目指す、というものです。サ終を経験したオタクならわかると思います、終わってしまうのは苦しいし悲しいけれども、せめて、データだけは残してくれ。オフライン化してくれ。それが叶う上にありがとうの投げ銭ができる、うらやましすぎるCFです。是非こうなってくれ、とはいいませんし、思いません。1番の願いは更新復活です。私はまだゲームが復活してイベントやガチャに盛り上がる日が来る事を信じています。生殺し状態のいまが変わることを、本気で。それでも、それでももし運営がサーバー維持すら厳しくなったときに、少しでもゲームへの愛と余力があるのなら、お金を出すファンはきっと、運営が考えているよりも沢山います。オフライン化をして欲しい。買い切り版でもいい。今のデータが引き継ぎ不可でもなんでもいい。ゲームを残してほしい。これは2番目の願いです。
リリースされたあの日から、私はボーイフレンド(仮)が大好きです。プレイヤーが、キャラたちが、生かさず殺さずされていても、変わらず好きです。どうか今年、本家こそは良い方向に転がってくれますように。
国立新美術館の「古典×現代2020」に行ったんだけど、現代美術ってつまんねえなといまさら。
菅木志雄
宣伝動画で「来る人は美術館に石ころがあると考えませんから」なんて言っているけど、感覚が半世紀くらい遅れてんじゃないのこの人。いまどき美術館に石ころがあった程度で、なんも思わんわな。それとも現代美術ファンは、美術館に石ころがあったらびっくりするの? そんなんだったら、徳川美術館で水石「夢の浮橋」見たら、腰抜かしてしまいそうだな。まして国立新美術館は美術館ではなくて、美術館を詐称する展示場なんだが。
いい写真だと思うよ。インスタで流れてきたら迷わずいいねを押すだろうね。その程度。
棚田康司
円空と並べて展示してつらくなかったのかな? 作品の持つ力の差が歴然と感じたが。まあ、本人やファンが満足ならいいけど。
皮緞帳は粗大ごみにしか見えんかったというのは置いておくにしても、刀剣とのスケールの差が大きくて「組み合わせた壮大なインスタレーション」と感じ取るのは難しいな。現代美術ファンは器用だ。なお刀剣展示の照明ダメじゃね。刃文見える?
田根剛
中では唯一作品を展示していなかった。仏像展示の演出のお仕事。動く照明と録音された声明だけのインスタントでチープな演出。本物の宗教儀式が、さまざまな工夫を凝らして神秘性を演出しようと努力しているのに比べれば、子供だましみたいなものだ。
おもしろいパロディではある。こっちはツイッター映えか。アニメーションは途中までしか見てないから何とも言えない。
印象うすい
さすがに力のある作品で見応えがある。ただ、「針のない時計は〇〇(忘れた。時間の超越とかそんなんだった気がする)を意味します」みたいな作品解説を読んで、深いなあなんて思わなきゃならないとしたら、俺には現代美術は無理だ。
古典の方は見応えあるよ。念のため。
【追記】
「古典×現代2020」について、古典側も含めて、もう少し詳しく書いてみる。
仙厓の作品は掛軸1つ。円相図といって単なる○が書かれている。○には悟りや真理、仏性、宇宙全体などと宗教的・歴史的にいろいろな含意があるようだ。添えられた賛がいい。「これくふて御茶まひれ(これ食ってお茶を召し上がれ)」。
洒脱だねえ。かっこいい。この作品初めて見たんだけど、賛を読んで、ふわっと心が軽くなるような感じがして、ああいい作品を見たなあと。
それに比べて菅の作品。それっぽい思わせぶり以上の何かだとは思えないな。解説聞いたら納得や感動するの、これ?
川内の写真は数が多くて辟易した。いちいちつきあってられんわというのが1番の感想。前回インスタ云々と書いたけど、でかく引き伸ばした写真とかもあり、それはそれででかい会場で展示する意味はあるのかもしれない。ただちゃんと選抜してくれ。花鳥画の方は6幅なんだよ。
花鳥画の方で目を引いたのは、森蘭斎筆/梁田象水賛の牡丹図(神戸市立博物館蔵)。背景に大きく描かれた太湖石は伝統的な描法。手前の牡丹は西洋画の影響をうかがわせる陰影がついている。でありながらうまく調和していると思う。おもしろい。賛は読めんかった。誰か教えて。
棚田の作品には全然目が行かなかったんだよなあ。円空いいなと思ってただけだった。荒々しさというか生々しさというか、そういうのがいいよね。というわけで、棚田作については何も言えない。
いちおう言っておくと、もともと円空あんま好きじゃなかったし、今回で好きになったというわけでもない。それでも円空ばっか見てたのだ。
mitimasu 冷たいドブをさらって原石を見つけるのが楽しくないなら向いてない/刀剣は手に取って角度を変え光の当て方を変え…という見方ができない以上、どこの展示もそんなもんだと思うけど?国立新が特にひどいのか知らんが
刀剣の展示は、1つ1つに小さなスポットライトが当たっていて、それを刃文のところに乗せるように見ると刃文が浮かび上がるようになっているのよ。そして横にスライドしながら刃文を見ていくと。刀剣博物館でも東博でもなんでも、刀剣展示ってのはそういうもの。
今回の展示ではそのスポットライトがなかったはず。だから見えない。
ひょっとしたら俺が見落としていただけなのかもしれない。また、刃文の見えない展示もありだよねってことなのかもしれない。いずれにせよ、日本刀にそれほど興味ないからなんでもいいんだけど。
会場内で配られていた「アートのとびら×作品リスト」なるガイドブックに、別の機会での皮緞帳の展示の写真が載っていて、それで見るとこの作品なかなかよさげなんだよなあ。ライティングが異なる。あと中央にぶら下がって振り子のように揺れていた首がないのがいいのかな。
そのガイドブックには、「同じ部屋に展示されているのは、美術品としてケースに入れられている刀剣です。刀剣はかつては武器、または切る道具でもありました」とある。これ書いた人って、刀剣の展示を見て、自分の体が切られるようなぞくぞくする感覚を味わったことがないのか。もうちょっと古典の作品としっかり向き合おうよって思う。
前回子供だましだと書いたけど、ツイッターみると評価高いのよね。意外だ。
他の作家と違って、この人は作品を制作せず、仏像の展示演出を手掛けている。演出手法は光と音で、具体的に言えば動き変化する照明と録音された声明だ。
立体物の屋内展示で照明が固定されているということに以前から不満がある。屋外ならば太陽の位置で影の付き方が変わって見え方が違ってくるからね。たとえば上野の国立西洋美術館に行く楽しみの1つが、今日はロダンの地獄の門がどんな表情を見せてくれるのだろうかということだったりする。
だから今回の田根の試みのうち、照明を変化させる、動かすという点自体は評価したい。ただその変化のさせ方や動かし方については、もう少し考えがあってもよかったのかもしれないと感じた。
正面下方から照明を当てる瞬間があるけど、これはいい、というか正しい。お堂に安置された仏像は、下の方に置かれたロウソクの火に下から照らされる。だから仏師もそれで映えるように仏像を作っているはずだから。しかし、仏像の周囲にいくつかのピンライトがあって、それが上下に等速度直線運動してるってのはどうなのって思った。
まあ、しかし照明の方はまだいい。音の演出の方はちょっとひどいのではないか。録音された声明をスピーカーで流しているんだけど、音響についての工夫がまったくないのね。仏像に向かって右手、部屋の奥の方にスピーカーがあってそこから流れているんだなってのがわかる。どこからともなく聞こえてきて展示室内を包み込むような感じに聞こえるとかそういうの全くないの。音響について完全になめてる。
さらに言うと、仏像の展示位置が低いと思う。立って見ると正対するほどの高さ。一般に仏像は高い位置に据えて、仰ぎ見るもの。その下からの角度で見て映えるように造られているはず。この仏像の一番映える角度がどのあたりかは知らない。しかし今回正面から見て違和感を覚えたから、下からの方がいいと推測する。そういった点、たぶんこの人なにも考えてない。
出品しているのが大きく2種類で、うち1つがアニメーション。これは半分くらいしか見てない。なにも惹かれるところがなかった。
もう1つは、冨嶽三十六景のパロディ「ちょっと可笑しなほぼ三十六景」で、いくつかの作品を元ネタの北斎作と並べて展示していた。
北斎の冨嶽三十六景は三十六景といいつつ、追加があって全部で46図ある。一方パロディ版が全部でいくつあるのかしらないけれど、きっちり36ではないからなのか「ほぼ」とついている。三十六景といいつつ平気で10枚追加したあげく、三十六景のまますました顔をしているところの江戸っぽさ(前近代っぽさ)と、きっちりでないので気になって「ほぼ」とつけてしまう現代っぽさの対比が興味深い。
それはさておき、このパロディけっこういいのだ。うまくて唸らせるし、おもしろくて笑わせる。
でもね、「和紙にインクジェットプリンタ」なんだよ。実物見る意味なんて全くないからね。前回「ツイッター映え」と書いたのはそういう意味も含んでいる。なんつーか、いろいろ退化してるね。
伝統×現代アートという切り口から、伝統的な作品の「もの」性を再発見していく展覧会だと思いました たとえば皆川明×尾形乾山の展示を見て、私は初めて乾山の器の「素材」を認識しました そうか、これは焼き物だったんだ!という新鮮な驚きがありました
ちょっとびっくりしたよね。乾山見て焼き物だとわからないような〇〇〇がありがたがってるのが現代美術ってことなのかな。
このコラボレーションは2種類に分けることができて、1つは独立ケースに乾山作が収められており、その上に大きく平たい円筒状の布(皆川作)がぶら下がっているというもの。6セットあった。これは両作を同時に視野に納めるのが難しく、あまりうまくいっていないように思えた。
もう1つは、小さな様々な端切れが継ぎ接ぎされた数メートルはあるかという布の上に、ところどころ乾山作の陶器陶片が置いてあるというもの。ごちゃごちゃしたものの上だと乾山は映えないなというのが感想だけど、皆川明、というかそのブランド「ミナ ペルホネン」は明らかに自分がターゲットではない(というかそもそも初めて聞いた)ので、これが素敵だという人がいるなら、その感想についてどうこう言うつもりはない。
乾山の作品では「色絵石垣文角皿」(京都国立博物館蔵)がお気に入り。モダンな味わいがある。かわいくてすてきだ。
この展覧会に行った理由は蕭白。蕭白が4作出てたら行かざるを得ないよね。で、行ってみたら現代美術作品がつまらなくて、ひどい言い方だけど抱き合わせ商法にあったような気分になったわけ。
新出の游鯉図の眼がリアリティあって見事だった。群仙図屏風(東京藝術大学蔵)が、個人的に蕭白と言えばこうのって作品で大好き。
宣伝動画のなかで横尾は、人間の本質・魂の表現が蕭白の作品の中にこめられた重要なメッセージで、現代人が見失ったものだみたいなことを言っているんだけど、これ賛同する人ってどれだけいるんだろ。まったくピンとこない。
行ったよ。特に第1部はすてきだなと思う絵が多かった。ただ基本的に個展っていまいちよね。いろんな人の作品が見れた方が楽しいな。そのなかに数点ドイグがあったら、より魅力を感じたかもしれない。個人詩集よりアンソロジー読んだ方が楽しいし、好きな詩がより映えるよねみたいな感じ。個展だとその作家をどのように位置づければいいかもわかりづらいし。いまああいった絵を描きつつ評価されているというのは、いったいどういうことなんだろ。
yama_bousi 現代美術で自分が好きな人は、淺井裕介氏、高松和樹氏、蔡國強氏、ちょっと古いのではキースへリング、藤城清治氏、あとドールの世界とか凄いなあ、と思う。現代美術とは違うがぴろぴと氏は大好き。
空いた時間や暇は前よりも増えたが、DJとしての活動の幅やスキルを磨くような時間(曲を掘ったり練習したり)に充てることはできなかった。むしろこれまでよりも費やす時間が減っているようにも思える。
お前さんのやってたことがクリエイティブな芸術活動だったのか、
単なる友達と楽しむ社交術のひとつ、あるいは消費活動のひとつにすぎなかったのがもうここで分かるよな。
お前さんのしてきたDJ活動は漫画を読むとかカラオケで騒ぐのと大差ない、クソくだらない気晴らしことだったってことだよ。
芸術の欲求がある人間は環境どうこうでやる気なくしたりしねぇよ、オナニーみたいなもんなんだから。
レオナルド・ダ・ヴィンチだったら個展開けなくなっても絵描いてたと思うぞ。