はてなキーワード: 語学留学とは
導け愛の星よ
21:25
予定より30分程早いが、空港に向かうことにして、エレベーターを降りる。
タクシーに乗る前にトイレに行こうとして、ホテルパーソンのお兄ちゃんに笑顔で行き先を訊かれる。
「Restroom.」
と答えると、先導してくれたが、Reception (フロント)に連れていかれた。
「No, No, Restroom!」
ちょっとした行き違いもこの旅ではよくある。
用を足して Ground floor に降りると、中国人観光客の一団に続き、またしても白い制服の日本人学生達とすれ違った。
よくよく思い出してみると、行きの成田エクスプレスからこっち、さんざん行き違った今回の旅だが、ここで空港に行き違ってしまうと本気でヤバい。
ホテルの車止めで捕まえたタクシーのおじさんにはメモを見せた。
これなら間違いようがない。
ぼうっと車窓越しの風景をながめていると、「さくら日本語学校」の文字が目に飛び込んできた。
そうだ、この旅で一番の大きな目的は「急増する来日ベトナム人がどこから来るのか、この目で見てみたい」だった。
昼間に気になった、ベトナムの若者の失業率だが、諸外国と比べ飛び抜けて最悪というわけでもないものの、全失業者中の割合で言えばその55%を15歳から24歳の若者でしめるという。
やはりというか、新卒一括採用のないベトナムでは、職能を持たない若者は給料の高い仕事にはなかなか就けないらしい。
そういった若者が、語学留学生となって日本に来るのかもしれない。
コンビニのベトナム人の多くを占める留学生だが、彼ら彼女らを巡る環境が明るい話題ばかりでないのも物の本で知っている。
願わくば、彼らが前に進む道が困難でも愛が星の様に輝き導いて、めいめいが夢見る行きたいところに辿り着いて欲しい。
タクシーは行違いなくタンソンニャット国際空港に到着し、おじさんが荷物を降ろしてくれる。
笑顔で去ろうとするおじさんに、今朝ホテルに残したパッドのメモの写メを見せた。
英語があまり理解できないようで、一瞬怪訝な顔をされたが、わかりやすいフレーズは伝わった様だ。
おじさんとは笑顔で別れた。
15年程前、父と話していた時に父がこんな事を言い出した。
「実はな、俺の中学時代の同級生に北朝鮮に拉致された人が居た。」
と言っても、父とその同級生は仲が良かった訳では無い。
そもそも、父が中学の頃は一つの学年で40人のクラスが6組まで有ったらしい。
その中で、1年だけ同じクラスになった事のある人の中に、後に北朝鮮に拉致された人が居たという話。
調べてみたら、その拉致被害者は確かに拉致被害者に認定されていた。
父もそんな同級生が居た事は忘れていたらしい。
珍しく同窓会に行ったら、そこで話題になり「あいつは北朝鮮に拉致されたぞ。」と言われて知ったらしい。
ただ、やはり、そういう話を聞くと感傷的になるのだろう、父も、その同級生に日本に帰国して欲しいと思ったらしい。
その同級生は未だに、北朝鮮に拉致されている。
だからこそ言いたい。「私は今、安倍首相にガッカリしている」と。
父の同級生に北朝鮮拉致問題の拉致被害者が居るという事を知り、北朝鮮拉致問題に興味が出て、拉致問題について調べる様になった。
その中で、ある一人の拉致被害者の話に興味が出た。その拉致被害者の名前は有本恵子さん。
有本恵子さんの拉致の経緯について説明する。
有本恵子さんは神戸に生まれ、神戸市外国語大学という大学に進学した。大学生を卒業後ロンドンに語学留学に行った有本恵子さんは
現地で出会った人物に仕事を紹介され「市場調査」の仕事を始めたという。そして、帰国予定の昭和58(1983)年8月9日に「仕事が見つかる 帰国遅れる 恵子」
という電報が実家に届き、同年10月中旬にコペンハーゲンから手紙が届いたのを最後に音信が途絶えた。
この「市場調査」の仕事を紹介した人物が北朝鮮の工作員だったらしい。
(よど号ハイジャック事件で北朝鮮に亡命した人達が北朝鮮の工作員として当時ヨーロッパに出向いて、
語学留学にヨーロッパに来ていた日本人を誘い、北朝鮮に連れて行っていたらしい。)
音信が途絶えてから5年後の1988年9月、北朝鮮に拉致されたとされる石岡亨さんという人物の札幌の実家に一通の手紙が届く。
その手紙には石岡亨さんと有本恵子さんと松木薫さんという三人が北朝鮮の平壌で一緒に暮らしている事が書かれ、写真が同封されていた。
この手紙はポーランドの消印が押されており、非常に小さく折りたたまれていたらしい。
おそらく、北朝鮮旅行に来たポーランド人に出国する際にこっそり手渡された物なのだろと考えられている。
有本恵子さんが生存していて北朝鮮に居る事を知った有本恵子さんの両親は、当時、朝鮮総連と繋がりが有ると言われていた社会党の議員で、
地元の有力議員だった土井たか子議員に話をしに行った。しかし、社会党が動く気配は無かったため
有本恵子さんの両親は、当時外務大臣だった自民党の安倍晋太郎議員の事務所に連絡を入れた。
安倍晋太郎は有本恵子さんの両親に自分の秘書を同行させて、警察庁、外務省へ赴き話をする様に指示したという。
しかし、警視庁も外務省も「国交がないのでどうにも出来ない」としか言えず、外務省は「危険ですので、秘密にしておきましょう」と口止めをしたという。
後に、小泉内閣の時に北朝鮮から日本政府に渡された報告書では、石岡亨さんと有本恵子さんは、石岡亨さんの実家にポーランドからの手紙が届いた二カ月後の
1988年11月に死亡したと記されていた。
この、安倍晋太郎議員の秘書をしていたのが、安倍晋太郎の息子で、現在の内閣総理大臣の安倍晋三だ。
謂わば、安倍晋三は政治家としての心得を父親から学んでいた頃から北朝鮮の拉致問題に触れた立場に有る。そして、
「拉致問題の解決こそがライフワーク」と豪語していた事さえある。
それなのに、第二次安倍内閣になってからの数年間、北朝鮮の拉致問題は進展していない。
拉致被害者の帰りを待つ人は80代後半~90代の年齢になっている人も居る。もう時間は残されていない。
森友・加計問題は野党が自民党に難癖をつけているだけと言えば確かにそうかもしれない。
だが、「拉致問題の解決こそがライフワーク」とまで豪語した安倍首相だからこそ
今の任期内に拉致問題を解決する気概を見せて欲しい。
正直、拉致問題の解決へ向けた進展を出せていない安倍首相にはガッカリしている。
もし、今期の任期中に安倍首相が拉致問題を解決する事が出来なかったなら、私は
次の衆議院議員選挙では、自民党を見限り、立憲民主党か民進党に投票するつもりだ。
今期の任期中に、安倍首相には政治家生命の全てを賭けて北朝鮮拉致問題を解決して頂きたい。
そろそろ飽きたし環境を変えたかったので10年勤めた会社を辞めて語学留学に来た
勤めていた会社はセクハラとモラハラがそれなりにあったけれど、残業や休日出勤に関してはほとんどなく、週末は充実した日々を過ごしていた
サッカーしたりサッカー見たりイベント行ったりライヴ行ったりたまに旅行行ったり
だが今は本読むことしかできない
やろうと思えば確かに全部この国でもできるんだけど物価が高すぎて結局はなにもできてない
郷に入っては郷に従え、こっちはビーチ大国だからとビーチには幾度か行ったけど趣味じゃなかった 1時間と待ってられないし泳ぐならプールでしっかり泳ぎたい
バーベキューもご飯は座ってきっちり食べたい
ブッシュウォークは短くても2時間、目的もなく歩く事が割りと苦痛
旅行だけならきっと最適なんだろうとは思うけどね
オーストラリアに学生ビザで語学留学している身なんだが、出席率悪すぎてビザ取消になりそう
海外生活してみたいとか英語話せるようになりたいとか渡豪前に言ってたけど結局実家から出たかっただけなんだとこっちにきて気づいた
勢い余って国まで出てしまったが
けど知ってる人との距離が海を越えてるってのはわりと気分いい
親は留学代で150万(大学費用に貯めてくれてたやつ)出してくれたしいい人なんだが、頑張れ教に入信してるからたまにうんざりする
頑張れ教ってのはいま考えたんだけど、人生で頑張ることを求める宗教のことね
話が逸れた
ビザ取消になると帰国しないとダメらしいんだけど「150万捨てちゃいました!」とは言いづらいので本来帰国予定だった来年の5月まで親に隠れて日本で暮らす必要がある
いま所持金が18万ぐらいで帰国とかなんやらで残り10万ぐらいか
続きっすー
http://b.hatena.ne.jp/entry/334100861/comment/coldsleepfailed
質問なのですが、元のコメに書いてあった「マジョリティではないと思う」とは具体的に大多数の方はどういう感じなのでしょうか? ほとんどの人は日本で親和的に暮らしていきたいと思っているのですか?
超絶端的に言うと、「朝鮮バンザイ!金日成バンザイ!」みたいな生徒はほとんどいないかと思われますー。普通に勉強してスポーツして、大学行ったり就職したり、普通の日本の高校生たちと変わらないと思いますぜ。
3〜5世とかになると文化が99%日本文化だから、「親和的に」って発想も特に無くて、普通に生まれて普通に暮らしてってかんじじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20170428075305
前に右系の記事で、朝鮮学校(大学かな?)で将来の幹部候補的な学生たちによるサークルが作られててスパイ的な活動が行われたりしてるとか読んだけど、生徒間の意識の差は感じる?
金体制を維持しようとする右翼(?)的な政治思想の生徒とかいる? そういう子は、政治に興味ないノンポリと差があったりする?
そういや
学習班?学習組?だったっけ。そういやなんか記事見た気がする。
あれは幹部候補っていうか、クラス委員とかが集められて週一とかで空手習わされてるだけだよ(見ていた範囲で。座学とかあったのかは知らない)。
意識の範囲が微妙だけど、意識の差はあるよ。意識高い(?)のは朝鮮大学行って総連の職員なったり、それでいうと朝鮮学校に行ってない人でも、ルーツ/国籍と向き合ってて自覚してるってのもいたりかな。
おれのときが今の体制じゃないから、今どうかはわからないけど、先述の意識高い(?)のうちに何人かいるのかしら、ぐらいかな。知らんけど。
進路をどう取るかってのはもちろんそれぞれあるけど、普段の学生生活内で、思想が突き抜けてるのはいなかったよー。
在日は北朝鮮のためにどうってよりは、在日同士のコミュニティというか、同じ属性の人たちで繋がろうぜってかんじがメインかと〜。
http://anond.hatelabo.jp/20170428075305
去年はこんなニュースもあったような。「都内の朝鮮大学校「日米を壊滅できる力整える」 金正恩氏に手紙、在校生に決起指示(1-2ページ) - 産経ニュース」 http://www.sankei.com/politics/news/160920/plt1609200005-n1.html
おっと、こんなのあったのか。
うーむ、どうすっかねぇ。おれははっきりいってわからないんだけど、同級生に中の人いるはずだから聞いてみようかな。数年ぶりの連絡がこれってのがちょい引けるんだが。
この辺りが一番ややこしいし、たぶんぴんと来ないところだと思うんだけどとりあえず書くね。
たぶん、おれの中のゴー☆ジャス(宇宙海賊)が何回も「訳わかんねぇだろ!」って言うよッ!
まず言ってもぴんと来ないだろうところで、元記事で"朝鮮籍は32%、韓国籍が63%。日本国籍も5%"ってあるけど、朝鮮籍/韓国籍の生徒の本籍地(だったっけ?登録基準地。つまりはおじいちゃんとかひいおじいちゃんとか、日本に来た1世の住所)はほとんど全員韓国だよ。日本の都道府県ぽいかんじでいうところの慶尚道とか全羅道とか。あとは済州島って島。
この段階で訳わかんねぇだろ!ってかんじなんだけど、まぁそうなっていて、つまり住所は全員韓国なうえで、国籍が朝鮮籍と韓国籍に別れてる(日本国籍の生徒はわからない。たぶん日本籍だから普通に日本の住所かと)。
で、なんでそうなったかというと1世の話になるんだけど、超絶シンプルに言うと、国が分かれる前に日本に来て、戦争終わったらなんか国が別れてんすけどっつって、元記事にある記号としての朝鮮籍のままか韓国籍にするか、って感じになって、1世が選んだ方になってるってイメージでよいかと。というわけで住所は韓国だけど国籍は朝鮮籍ってのがわんさかいる。
おれの場合は親父が朝鮮籍で母親が韓国籍。登録基準値はどっちも韓国の済州島。訳わかんねぇだろ!
で、元は朝鮮籍だったけど、大学のときに意識高くアメリカで語学留学したいなっつって、朝鮮籍だとビザ危ういかもねってなって、母の方の韓国籍に籍入れて韓国籍に変えて無事アメリカに。訳わかんねぇだろ!
ってことで違いはパスポートぐらいかな。朝鮮籍の状態で海外旅行(元記事にあるように修学旅行で北朝鮮以外)したことないから、朝鮮籍の状態で海外旅行がどうなるのかは身をもって知らないけど。朝鮮籍だと「パスポート」じゃなくて「再入国許可書」ってやつになる。ビザはどんなかんじかわからん。
ってことで「韓国籍を持つ生徒が朝鮮学校に通うのはどういった経緯なんですか?」ってところは答えられたかな。
国籍とどこに通わせるかはあんま関係ないかんじ。経緯というか朝鮮学校に通う韓国籍がいる理由ってかんじになっちゃってるけど。
まぁ経緯ってところでいうと、北朝鮮:総連系の朝鮮学校と韓国:民団系の韓国学校ってのがあるけど、まぁ最初の話に戻るけどどっちに入れるかは親の意志だね。
雪だったか雨だったか忘れたが、とにかく寒かった。川面で何時間もボートを漕いで訳がわからなくなり、部活をやめた。1年の1月のときだった。2年になってバイトを始めたが、これも半年もしないうちにやめた。学校もサボりがちになり成績も落ちた。そのまま受験勉強もできず気づけば最後の夏休みが終わっていた。借金(奨学金と名乗るのは給付型だけにしてくれ)を借りて中途半端な大学に行くのも嫌だったので、センター試験は受けたがどこの大学にも出願しなかった。
楽観的な性格なのでノリで語学留学することにした。親が100万だしてくれるので(大学用に貯めていたとのこと。謙虚さがかけらもないので感謝してない。ラッキーだとは思っている)50万ほどバイトで稼いで夏までには出発するつもり。英語は好きでも嫌いでもない。
暇だったから文章にしてみたけどペッラペラの3年間だな。スマホ触ってたら終わってたって感じだわ。卒業式もあっさり終わったし、まぁ高校生活が薄かったからそう感じたんだろうけど、なんか、なんも言うことないわ。1つだけ自慢できることがあるなら、まだ俺が18歳ってことかな。前向きにテキトーにがんばって、嫌なことからは逃げて生きたい。嫌じゃなくて食っていける職が見つかればいいな。嫌な要素が全体(?)の3割までなら我慢するけどさ。日本語変だけど伝わるかな?こんなしょうもない文章最後まで読んでくれてありがとね。あなたもテキトーにがんばったりがんばらなかったりしてね。
早起きもできるようになったし、ようやく授業のテンポにも体が追い付くようになった。
先生の英語もちゃんと聞き取れるようになったし、少しずつ話せる友達もできている。
(なんで英語の勉強にシンガポールを選んだかは突っ込まないで下さい…)
が
どうしても
生徒の言っていることが全く理解できない。
話している内容が理解できないのではなく、そもそも何について話しているのか
全く聞き取れない。
特に韓国・中国などアジア系、フランス系の人のなまりがキツイ。全く理解できない。
それが思いのほかストレスだった。
学校で英語を習っていたが、今日の今日までずっと本場アメリカ(きっと時にはイギリス)のネイティブの発音しか聞いたことなかった。
もしかしたら
そういえば、センター試験でも、発音・アクセントなど当時は「無意味」だと思っていた試験もあったな、と思い出した。
ふと
きっと日本の英語教育は、「育ちの良さ」をアピールしたいがための教育方針なのか?と思った。
なぜそう思ったか。
を知っていたからなのかな…。
だとしても、恐らく我々日本人には
欧米に「追いつけ・追い越せ」の精神って自分たちの中に無意識的に植え付けられていて
なんて
思ったり。
英語がなまっているから軽蔑しているとかそういうことは全くなくて
ただ、今は
彼女と知り合ったのは、私が結婚で大阪に転居した先の近所にある病院だった。
彼女はDV男と同棲中で、目に青痰つけて出勤してきたり、首に締められた痕としか見えない内出血をつけてきたりしていた。
しかし元来彼女の看護師としてのスキルは高かったこともあり、「アレは男が悪い」と皆彼女に対して同情的だった。
私は生まれてこの方父親も含め男性に手を上げられたことが無かったので殴られても首を絞められても別れようとしない彼女の事が理解出来なかったが、まだ特別親しくもなかったので「色々な人がおるもんやな」くらいの感想しかなかった。
数ヶ月して私は彼女と同じ病棟へ移動となり彼女と一緒に働くこととなった。
「DV男と同棲する女」という色眼鏡で見ていたのに、一緒に働いてみると看護師としての彼女は本当に優秀で頼りになるしっかりした女性だった。
そして、それ以外の彼女はとても可愛らしく、ほっておけないような、同い年なのに妹のような、美人では無いが人懐っこい笑顔が印象的な魅力ある人だった。
私達はあっという間仲良くなった。
三十路を前にしてオトナになって初めて出来た親友と呼べる友達だった。
曰く、DV男の両親は所謂地元の名士だったが、悪い人に騙されて土地山を奪われた上多大な借金を抱えており、世間体至上主義な両親が自己破産するわけもないので、DV男が一生かけて借金を返すのだ、と。
その為に結婚式等は出来無いが、私も一緒に働いてDV男を助けていこうと思う、と。
色々言いたいことはあったが、彼女はバツイチでこども2人の親権を元夫に取られた過去があることや、今のDV男との出会いのきっかけは◯ムウェイだったことやらを考えると、行くとろこまで行かないとわからないのが彼女の人生なんだろう、と思い祝福した。
泣くばかりで何も喋れない彼女に、
「今どこにおるん?今すぐ迎えに行くからうちにおいで」
いう言葉が口をついて出た。
夫にも了解を得て彼女を迎えに行くと、彼女は家中の衣類を全て詰め込んだような大きなカバンを2つ抱えて泣いていた。
結婚したものの義父母義妹との同居生活は最悪で、DV男はかばうどころか一緒になってモラハラ発言を繰り返すばかりで、もうどこにも居場所が無い。
妊娠発覚した途端に洗脳が解けるが如くこれまでの色々な「オカシナ理屈がまかり通っている」事に疑問が湧き上がってきた。
彼女の実家は南の方にある離島で、離婚して独りになった母親がいるだけだが、他に頼る所も無いし一旦実家に帰ろうと思う。
そして、お腹の子は堕ろしたい、その時は付き添って欲しい、と。
彼女と母親との確執について何度か聞いた事があったので、実家に帰るという選択肢はちょっと現実的では無いかなとは思った。
それに首を絞められても顔にグーパン喰らっても別れられなかったDV男と、そんな簡単に別れられるだろうか?とも思った。
しかし、その時の彼女はヘトヘトに疲れきっており、ぼーっとしてるかと思えばシクシクと泣き出したりと情緒不安定の極み状態で、何はともあれ産婦人科で妊娠の確定をせねば、と病院に付き添った。
DV男は私の存在を知っているにも関わらず、私に電話もして来ず、職場に問い合わせもせず、ただただ彼女の携帯にロミオメールを送り続けていた。
現実的な対処は一切せずに、ひたすら彼女の心に毒を染み込ませていた。
「お前がいなくなってずっとあちこち探して歩きまわっているけど何処にもお前の姿が見えなくて途方に暮れている」
「僕をこんな辛い目に合わせられるのはお前だけだ」
「お前と一緒に行った桜並木は今も満開で美しいけれど、お前が居ないと桜はただの物体で何の意味も無い」
もっと他にやるべきことはたくさんあるだろうに、親には「あいつは友達の所に泊まっているから心配ない」と言い、自分の友達には嫁に家出された事は隠し通し、阿呆みたいなロミオメールを一日に何通も送信していた。
初めのうちは着信には出ていなかったが、家出三日目を過ぎたあたりで彼女は通話に出るようになった。
DV男が会って話がしたいと言うので、私は母に助言を受けて昼間のファミレスで私も同席し話し合う事にした。
同伴の男友達は昔ヤンチャしてました系で無駄に態度のでかい男だった。
DV男はどこだか忘れたが四大を出た後NYで一年留学した経験があり、たった1人でアメリカのディズニーランドに行った事が自慢話のひとつだった。
しかし今にして思えばFラン大からの親のカネでNYで一年語学留学だとしたら、NYで一年遊んでたけど友達出来なかったから本場でぼっちディズニーしただけの話だよな・・・。
取り敢えず四人でファミレスのボックステーブルにつき、さぁ話し合いを始めようかといった所でDV男が最初にした事は煙草に火つける事だった。
私がすかさず制止したら、DV男は慌てて火を消したが何故か苦笑いしながら、
「でも副流煙を吸ってるのは非喫煙者だけじゃないんですよ?喫煙者も副流煙吸ってますからね?」
と、のたまった。
はぁっ!?んなもんは喫煙者の自業自得やんけ!そんなしょーもない言い訳が妊婦に副流煙吸わせる免罪符になるとでもおもとんかこのドアホが!
と言いたいのをぐっと堪えて、「いやー、それと妊婦の前で煙草吸う事はちょっと話の次元が違いますよね(笑)」とやんわりたしなめたら、DV男は私を見て一瞬ハッとした顔をしたものの何やらモゴモゴ言いながら話題を変えてきた。
当初の彼女の言い分は「離婚も堕胎も一旦棚上げして実家に帰って少し独りでじっくり今後の事を考えたい」だった。
DV男の言い分は「実家に帰るならもう自分たちの関係が修復される事は無い。だから今すぐ帰ってきて欲しいしこどもも産んで欲しい。これからは両親・妹からお前をちゃんと守る。」だった。
私は本当に彼女の事が大事ならば今は実家で心身共に休ませてあげて、別居等準備が整えてから彼女を迎えに行けばいいのではないか?と提案してみた。
だがしかし、彼女の口から出てきた言葉に私は耳を疑うことになる。
話 が 違 う や な い か ー い !
彼女の荷物が少し残っていたので、私は彼女に「DV男と一緒に私の旦那に挨拶がてら荷物取りにきて。人として最低限のけじめやと思うからそれだけはお願い。」とメールを送ったが返信は無かった。
数週間後、忘れ物を持って彼女の家の近くまで行ってから電話をかけると、こけつまろびつ彼女が出てきた。
DV男に私達と会っている所を見られたくなかったのだろう。
上下だるだるになったスウェットにクロックスを履いてノーメイクにぼさぼさの頭で。
目には涙を湛えて「ごめんな、ほんまにごめんな」と私や旦那に何度も深く頭を下げ続けていた。
そんな彼女の姿を見ながら、
「あぁ、もうこの子と会う事はなくなるんだろうなぁ。」
と頭の中で考えていた。
私も積極的に彼女を助けようとしてくれた旦那に申し訳なくて、「なんだかんだ言ってあのDV男の事が好きなんだ」と裏切られたような気持ちにもなっていた。
番号は変えなかったから彼女から電話がかかってくればその時関係復活すればいいと思った。
そして、電話は鳴ることなく私は夫の地元へと転居し、私達の縁は切れた。
あれから14年経つ。
無理矢理別れさせることも堕胎させることも実家に帰らせることも、どれひとつ出来無いしするべきでは無かったからしなかった。
ただネットの世界に漂うDVの記事を目にする度に彼女にした事出来たかもしれない事をついぐるぐると考えてしまう。
14年も経ったのに、未だに。
西原理恵子さんはアルコール依存症の旦那さん(故人)に酷いDVを受けていた時のことを著書の中でよく書かれている。
その中で「DV被害者は洗濯機の中でぐるぐると回り続けているようなもの。まずは洗濯機の中からつまみ出す事が先決。シェルターなりに一旦避難させてDV男との生活が異常な状態であることを認識させる。DVの洗脳を解く。そうじゃないと簡単にまた洗濯機の中に
戻っていっちゃう」と言うような事を書かれていた(私の記憶によるものなので細部やニュアンスは違うかもしれません)。
私は洗濯機の中へ帰っていく彼女を引き止めるべきじゃなかったのか。
駄文最後まで読んで頂いてありがとうございます。
よくできたアニメだった
それぞれのパーツがパズルのように組み合っており
そういう意味でもよくできている
各種ショートコントの後、最終的に六つ子はトト子ちゃんの家にいってクリスマスを過ごしてくれと土下座する
トト子ちゃんは帰ってくれと土下座する
トト子ちゃんの親は毎年の風物詩だとほのぼのする
六つ子もトト子ちゃんもお互いがああだからということで
終わりなきモラトリアム期間を過ごすことを許されてると思ってるフシがある
お互いに抜け駆けするでなく本当につきあうアプローチをするでなく
その距離感に安心して、安心しているからこそサザエさん空間でまったりと生きている
ところが24話。Aパートの「トト子ちゃん大あわて」でトト子ちゃんが動く
それを受けてのBパート
そう24話はつながっている
トト子ちゃんによりホレてる順に動きがあるんだよな
地下アイドルであるトト子ちゃんのマネージメントしていたチョロ松が最初に就職を決め
総集編でいっしょに「まわし」をした長男が拗ねてる
次いでトド、カラ、十四と
興味深いのは最後の一松だ
彼は筋金入りのペシミストで家を出たところでなにがどうなるわけでもないし
マイナス面が多いと肌で感じている
もちろんトト子ちゃんとつきあえるわけもないと思っている
それでも今この家に残る理由がないし理由がないからこそ出なければならないと思っている
誰よりも場の空気を読んだ末に最後まで残るという手を選んだがそれ故に今出ないとダメだと
そして案の定野垂れ死に寸前にクリスマス回でちょっかいを出していたカップルに助けられる(ここもつながってる)
石油を掘り当てられずに骨になった六つ子にとって
今は手は届かないにしてもいつかなんとかなると漠然と思っていた存在がいきなり遠くに感じてしまう
そしてバラバラになった末におそ松はトト子ちゃんにデートに誘われても無視してしまう
そのまま最終話につながる
野球をすることになり
負けそうになる
そこでトト子ちゃんが出てくるわけです
勝てばやらせてあげると
これで六つ子とトト子ちゃんは気がつくわけです
そう彼らは「いっしょ」にトト子ちゃんを相手に童貞喪失したかったわけですよ
そしてトト子ちゃんも薄々は思ってたけどやっと肚を決めて
ひと肌脱いで応える覚悟をみせたわけです
ダメでしたが
六つ子は20歳すぎの青年らしく「セックスがしたい」という思いでがんばっていたわけです
ダメでしたが
だからおそ松が迎えに行ったときにめいめいが自慰行為にふけっていたわけです
だから24話から普通につづいて巣立っていって童貞喪失してニート脱却して視聴者を感動させちゃダメ
二期が楽しみですー
まだおそ松クラスタでつながっていよー
ってほうが健全
せっかく書き起こししたけど画像付きで全部スクリプト読めるサイトあったから時間の無駄だった こっちで供養しとく
オソ『いや~。それにしてもトッティ。働きたくないね~。こうして誰かに養われる日々を貫き通したい』
トド『おそ松兄さんはどうしてそんな素敵なことしか言えないの。マジ長男頼りになるわ~信頼できる好き~』
チョロ『ねぇ。他のみんなは?』
トド『多分死んだ』
チョロ『あぁ…そう。まぁいいや。ちょっと真面目な話があるんだけど』
チョロ『僕さ。アイドルのファン辞める』『いやそろそろ本気出そうと思って。この生活から抜け出したいんだ。いつまでも無職でいられないしいい加減遊ぶのはやめてちゃんと就活して自立する』『目標は高く一人暮らし!』
チョロ『ちょっと真面目な話があるんだけど。僕さ…』
オソ『いや聞こえてるよ!聞こえた上で無視してんの!』
チョロ『無視?何で?』
オソ『そうそう』
トド『そっか…』
トド『じゃあ勝手にやって!いちいち周りに宣言しないでやって!』『勝手に「私ダイエットのために夜6時以降は何も食べないでおこっかな~」「俺煙草辞める」「あたし今までの自分リセットするために電話帳に入れてた友達全部切ろうと思って~」』『何のアピール!?知らないよやって勝手に!』
チョロ『いや…そんな言い方ないだろ。こっちは真剣に考えてさ…』
トド『ほんと?宣言した時点で満足してんじゃないの?』
オソ『まぁまぁ。分かったよチョロ松。就活かぁ。頑張って。応援する。みんなには俺から言っとくから。はいじゃあこの話はもうおしま~い』
チョロ『ちなみに何から始めればいい?』
トドオソ『『だから言わなくていいって!』』
チョロ『いきなり就職って無理があるからまず街に出てフリーハグから始めようかと』『仕事って人とのコミュニケーションが大事でしょ。だからその力を養うためにも…』
オソ『何こいつわざとなのこれ!』
トド『逆にわざとだと言ってほしいよ!じゃないと今すぐ縊り殺しそうだよ!』
オソ『縊り殺しそう~!』
チョロ『あとは海外に自分探しの旅に出てその後は語学留学。そのあたりで彼女敵な人を作って…』
トド『マジ何なんだよお前!どんだけ自分の事上に置いてんの?自分探しの旅?語学留学して彼女?』『であれか!?フラッシュモブしてプロポーズか!?』
オソ『落ち着けって…フラッシュモブやるとは一言も言ってないから…』
チョロ『え?僕何か間違った事言ってる?』
オソトド『『間違った事しか言ってねぇ!!』』
チョロ『まぁ確かにちょっと意識高い系のこと言っちゃったけど…』
オソ『見てみチョロ松』
チョロ『うわ何あれ!?』
チョロ『プライドの塊ってこと?』
おそ『いや亜種』
オソ『ちなみに俺の自意識はこれ』
チョロ『ちっちゃ!何それゴミの塊?』
オソ『確かに見た目はひどいけど扱いやすい』
チョロ『トッティのは?』
トド『僕のはこれ』
トド『まぁね。スタバァで慶応の学生って嘘ついちゃうぐらいだから』
チョロ『なんだよ俺と変わんないじゃん』
チョロ『はぁ!?全然違うから!痛いほどキラッキラしてるけど自分の手元にあるから!扱えてるから!わかる?迷惑かけても友達か家族ぐらい』『見てあのライジング!位置高すぎ!あんなの悪でしかないから!』
オソ『なぁライジングシコースキー。あれマジで直したほうがいいよ』
オソ『これふざけて言ってないから』
チョロ『ど…どうすればいいの?』
オソ『いい方法がある』
チョロ『無理だよ、帰ろうよ』
オソ『フリーハグやるって言ってた人が何びびってんの?』
オソ『声かけてきて早く』
チョロ『無理。死んじゃうって』
トド『(自意識的な意味で)死んでいいんだよ。むしろそっちが目的なんだから早く死んでこいよ』
チョロ『んなこと言ってお前らはナンパとかできんのかよ!』
オソ『できる』
オソ『ただいま』
チョロ『え~早!ボッコボコじゃねぇか。どういう声のかけ方したの』
オソ『でも連絡先はゲット』
チョロ『かっこいいか…?』
オソ『そしてつながらない』
トド『かっこよすぎ!』
チョロ『で、トッティもできんの?』
トド『僕はやんないよ。だって僕は勝ち戦しかしないもん。ね~』
チョロ『最悪だなお前…』
トド『最悪だもんね~』
おそ『おいチョロ松。あの人は?すんげかわいくね?』
チョロ『一軍の人は無理だよ。望みが薄すぎる』
オソ『じゃああの人は?そこまで美人じゃないし。あでもスタイルはいいよね~』
チョロ『じゃあ駄目でしょ。絶対モテるでしょ。相手にされないよ』
オソ『じゃああれは?顔もスタイルも普通。ただオシャレだけど』
チョロ『オシャレ!?それ一番無理なやつ。こっちの劣ってる感が増すだけ!』
オソ『じゃああれは?そこそこブス!性格はよさそうだけど』
チョロ『じゃあ無理でしょ。僕は人間的に同じレベルの人がいいんだから』
オソ『くびり殺してやるよ童貞の中の童貞が万死に値するんだよ』『死ね、死ねー』
(数日後)
(空中に浮かぶ巨大な自意識の球体とその下にいるトッティーの姿の描写)
トド『扱いが難しいんだよなぁ……』
少しだけ旅行中に気分よくなれるように。世界一周が大好きな意識高いブロガーはあんまり知らない、出張族の技を幾つか教えよう。なぜならああいう連中が出張族は一番嫌いな連中なんだ。世界一周しても何も得られるものはない。短期の語学留学のほうが遥かにマシだ。
じゃあいこうか。
1 イミグレに並ぶ列の選択
一番はじの列にしよう。混みだすと、大抵横を明けてくれる。ただ最近はフォーク式も増えたからあんまりメリットもなくなりつつあるけど
2 A340の席の配置に気をつけよう
A340は大抵、2-4-2の配置だ。気をつけたいのは窓が好きだからといって窓を選ぶと大抵埋まってしまうから注意だ。なぜなら二人組の旅行が多いからだ。だからA340の時は中の席が意外とあくのでソッチを取ると列独占とかできちゃうゾ。
3 大学生でも無い限り、たかが日本円で500円をケチるのは辞めよう
みっともないとかそういう理由じゃない。トラブルに巻き込まれるのを防ぐためだ。少なくともリーズナブルに金払いのいいやつである限り、待遇はいいからだ。
条件がつく場合が多いからだ。何も考えずに入ってしまうほうが24時間現地通訳サポートもあるところもあるぞ。
一緒に乗っている気の強い外人のオバサンにまず相談しよう。大抵、彼女たちは突破口を切り開いてくれる。
英語が下手でうまく使えずに無言でいるより、日本語を恥ずかしがらずにガンガン使うほうが、意思表示として分かりやすいんだ。恥ずかしがらずにどんどん使おう。
マイレージは意外と仕組みが変わりやすく、今良くても来年はその仕組がないなんて事はザラだ。その会社の傾向などを調べつつ適切なものを選択しよう
空港には思ったよりたくさんの施設があるんだ。帰ってきて気温差で体調が悪い?医務室があるぞ。直ぐに仕事に行かないと?シャワールームがある所もあるぞ。おなかが減った?空港の職員も利用しているレストランだと弱冠割安だぞ。
まだまだあるけど、おもいだしたらどっかで書くかもね。バイチャ。
フィリピンで昏睡強盗に遭ったので、同じような被害者を増やさないために、インターネット上に遺産を残しておく。
自分は一般的な大学生男子で語学留学とインターンシップのためにフィリピンを訪れていた。
留学も終盤にさしかかり、フィリピンに到着してから10ヶ月のところで事件は起こった。
治安が悪いと専ら有名なマニラの中では、マカティは比較的治安の良い場所とされていたため油断していた。
夜の飛行機で国外へ移動する予定だったため、その日の昼頃はマニラで暇でも潰そうかとマカティのショッピングセンターで買い物でもしようと街を歩いていた。
そのとき、老人と婦人の二人組が話しかけてきた。優しそうな顔をしていた。
日本人と名乗ることは少しだけ躊躇いがあったものの、日本人で観光をしていると告げた。
そしてその老人は、自分は中国籍で久々にフィリピンに帰ってきたのだと話す。同じく観光をしているのだと。
婦人は老人の案内役のようなもので、久々に会ったからエスコートしていると言っていた。
続けて老人は暇なら一緒に買物でも行こうと誘ってきた。タクシー代も折半すれば安くなるだろうと。
共に土産などを買いにショッピングセンターに立ち寄る。
旅の思い出に写真を撮ろうとすると、あとで良い場所があるからと断られた。今思えば怪しい。
クバオという場所に連れて行かれて、そのあたりにあるショッピングセンターに立ち寄った。
マニラの地理は詳しくなかったが、ショッピングのためにマカティから移動するには少しばかり遠い不自然な場所だった。
そして、夕方になり夕食を一緒に食べようということになった。
レストランに立ち寄ると人数が7人に増えていた。
たまたま知り合いに出会ったという感じで、なぜか7人に囲まれる私。
ボス格のババアは指輪やネックレスなど高級そうな装飾品をジャラジャラとつけている。怪しい。
レストランで食事をほとんど注文もしていない。出てきたのはスープとライスだけ。
突然ボス格のババアは私に向かってチョコレートを差し出してきた。
横にいた老人はそのチョコレートを食べてみせる。
しかし明らかに怪しい。以前インターネットで見た昏睡強盗の手口そっくりだ。
手作りのチョコレートやマンゴーを食べさせる手口で、中には睡眠薬が混入していると。
周りもなぜ折角つくってくれたのに食べないのだと何やらピリピリした空気を作り出された。
暴力沙汰になっても困るので、口に入れたふりをして後から気づかれないように吐き出そうと思って、チョコレートを口に投入。
これも甘い選択だった。
口に入れた瞬間、ハッカのような味が舌を刺激する。
その後飲み込んだふりをしてトイレに行って吐き出したが、チョコはやはり口の中で溶けていた。
案の定睡眠薬のようなものがはいっていたのか泥酔したような気分になってくる。
これはまずいと、店を出てタクシーを探すがなかなかこの地域にはタクシーがないようだ。
マカティで出会った婦人が私のことを逃すものかと右腕を強く握ってくる。
やっと見つけたタクシーに乗り込み、すぐに空港へと告げたそのとき、集団がタクシーに乗り込んできてしまった。
現地語でタクシーの運転手と会話をはじめ、タクシーは発進してしまった。
そして見知らぬ場所へ連れて行かれてしまい、その後の記憶はほとんどない。
翌日、空港から飛行機でフィリピンを離れたが、どうしても、どうやって空港に来たのか思い出すことができない。
暗証番号もどこかで盗まれていたようで、どこからつけられていたのかと思うと怖い。
睡眠薬のせいか、右腕を強く握られたせいか、翌日から右腕の握力が極端に低下してしまった。
メチコバールを処方され、一ヶ月ほどで元の握力に戻ったが、その間は利き腕が使えず大変不便だった。
飛行機の航空券は改めて買い直した。学生の身には痛い出費となった。
後々調べてみると、昏睡強盗によって捕まったとしても、日本円で数万円ほどで釈放されてしまうようだ。
彼らにとっては昏睡強盗は完全なビジネスであり、日本人は格好のカモだ。
彼らの手口は巧妙だ。
何があっても初めて出会った人と行動を共にするような事をしないというのが今回の教訓である。
知人からはトランプ詐欺で数十万を騙し取られたという話も聞いた。
チョコレート以外にも、飲み物の中に睡眠薬が混入していたり、マンゴーに塗りつけられている場合があるという。
臓器売買や人身取引の被害ではなかっただけ、今思えば救われたのかもしれない。
フィリピン人は陽気で気さくな国民性であるが、中には本気で騙しに来ている人もいることを忘れてはいけないと感じた。
追記: