はてなキーワード: 朝鮮籍とは
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
どこかの国が嫌いって意味じゃないんだ。
国自体には無関心。あ、北の方にはミサイル飛ばしたりすんのはやめてくれって言いたいけどね。
戦争責任とか言われたら、まあ、そりゃ、ある程度はあるんだろと思うよ。植民地支配だって、なかったらよかったねと。
だから、嫌韓とか、そういうのはちがう。むしろ、そういうのに対する嫌悪感のほうが強い。
だけど、キムチは嫌いなんだ。食べ物として嫌い。クサヤが食えないのと同じくらい、嫌い。鮒ずしと同じくらい、嫌い。
それはそれでいいじゃないかと言われそうだけど、そうはいかない。満面の笑みで、「おいしいキムチが手に入ったんだよ」と出されて、「キムチ嫌い」みたいなことを言えない。もしも言ったら、「あ、こいつ、口ではキレイゴト言ってるけど、本心は差別主義者なんだ」って思われてしまう。キムチは朝鮮半島を代表する文化であり、それを嫌いだということは朝鮮半島の文化全般に対する侮蔑であり、つまり、自文化優越主義者であり、つまりは植民地主義者であると思われてしまう。それはまずい。
「体質的に辛いのがダメなんですよね。アレルギーかもしれない」みたいに逃げても、「あ、それは本当のキムチを食べてないからだよ。スーパーで売ってるのとか、辛いばっかりでダメ。本場のはそんなに辛くないよ。辛さよりも香り。唐辛子はね」
みたいに言われるんだけど、こっちはそのにおいがまず、ダメなんだ。
とか言われても、無理に慣れたいとも思わないしね。
しかたないから、キムチを食わそうとするような人には近づかないようになってきたんだけど、それはそれで付き合う範囲が偏ってきて嫌だ。ポリコレ的に正しいキムチの嫌い方って、ある?
上:まとめサイトが日本を滅ぼす はてな匿名ダイアリー
下:元SPEED・上原多香子、自殺した夫の遺書公開で「俳優との不倫」発覚 - ライブドアブログ:痛いニュース(ノ∀`)
実名でヘイト垂れ流してくれた方が、リアル関係をフェイドアウトしたり、時にリアル社会で叩き潰して排除するのに役に立つお(^ω^)
これだけの文章で夫婦の間の事なんて分からないよ。ただ夫婦どちらかの不妊が分かり、かつ双方が子供を持つ事を強く望んでいた、というシチュを考えると、どちらもつらかっただろうな、と思うよ。
年寄りからするとだいぶマシになったなって感じはする。統計とかじゃないけど。少なくともネット以外で差別的なことは表向きできなくなった。昔は職質受けて朝鮮籍だってだけで任意同行求められたりしたんだよ。
真偽は知らんが、呪いだよこりゃ…(´・_・`)
保守速報などは自分の責任で纏めてる訳だから著作権云々で問題になれば管理人が責任を負うのは当然で、ライブドアなどはブログを提供してるだけで責任は問われない。なので裁判したきゃバンバンすればいい。
SPEEDがスピード不倫してスピード自殺してスピード遺書公開でゲス不倫が早速バレたって?流石は沖縄出身のアイドルだけあったな。
いや、でも確かに、嫌韓嫌中を平気で実名で書くやつとかFacebookにもいるし引くよね。あと、軽くペドカミングアウトとか…。ネット脳だとは思う。
普通の人かと
ええええそうですね.いじめられた子がすべて自殺するわけじゃないし.自殺するような心病んでる子供の遺書でいじめ判定なんかできませんよね.
差別に関しては今も昔もする人はしてるよね。学生の時から大人になっても。自分が変だと思ったなら、自分の中の変な人フォルダにぶち込んで気まぐれに知人と共有して笑いものにしたりとか。
日 本 滅 び な い よ う に 、 ま と め サ イ ト は う ん こ っ て 叫 び 続 け な い と ね 。
い い な あ 。
id:lli さん
どうもです〜〜〜〜
現代では北朝鮮の影響下にある朝鮮学校に通わせることに対して葛藤とかは感じないのだろうか、という疑問がありました。
Eizo0000さんがアメリカ留学された際にされたように、韓国籍のほうが単純に利便性が高いだろうと判断されたのだと推測してますがあってますか?
先のを書いてるあたりで、あれ?なんかズレてるかもってなりつつ"経緯というか朝鮮学校に通う韓国籍がいる理由ってかんじになっちゃってるけど。"ってなってましたね。。。
ふーむ、これはどうなんすかね。人それぞれかと思いますが、朝鮮籍/韓国籍問わず通わせる両親側に多少葛藤はあるんじゃないですかね。まぁでも通わせてるのは最初の増田に戻って親の意志ですからねぇ。で、そこからエスカレーターってのもあり。。。
少子化ってのもあるかと思いますが、まぁ年々生徒数減ってるっぽいので、そういうところに葛藤というかまぁなんかそういうのは表れてるかと思われます〜〜
子供いないので直接わからないですが(できても通わせるつもりはない)、通ってる親戚に対する葛藤はありつつ、高校まで行くつもりは無いって言ってるので、お、受験がんばれ!ってかんじです。
で、経緯ですね。まぁわからないんですが、と前置きしつつ、
ちと書きながら経緯というかメカニズムについて考えて、超単純に言うと、朝鮮学校に通った親は子供を朝鮮学校に通わせるっていうのがあるかと思われますー(日本の学校に通わせる「朝鮮学校を出た親」も当然います)。逆に言うと、日本の学校に通った親が朝鮮学校に通わせるのはいないことはないけど少ないかと。
ってことで、今4世〜5,6世ぐらいかと思いますが、なぜ朝鮮学校に通わせたかってのは1世まで遡るんじゃないかな。
1世→2世のタイミングか、1世のおじいちゃんが存命中におじいちゃんの意志も汲みつつ2世→3世のタイミングで、子供を朝鮮学校に通わせて、その親がその子供に通わせるってかんじ。
なので、その時にどういう意志があったかはちと聞いてみないとわからんすね。
「通わせる」ってところでは、パスポート上の国籍はあんまり関係ないかも。ちょい当時の情勢とかまわりにどういうのが集まってたコミュニティ要素とかもあるんじゃないかな。同族同士で助け合ったりみたいなコミュニティの繋がりはたぶん強かったのかと。想像ですけど。
利便性は確かに韓国籍のほうが高いかと思われますが、それが1世段階でどうだったのかは謎すねぇ。
おれみたいに3〜5世ぐらいで朝鮮籍→韓国籍に変えるってのも結構いるかと思いますが、完全に利便性かと思われますー。まぁなんかパスポート取るときに兵役免除の許可がどうとかで時間かかったりめんどいのもあるんですけど。。。
ってかんじっす〜〜
続きっすー
http://b.hatena.ne.jp/entry/334100861/comment/coldsleepfailed
質問なのですが、元のコメに書いてあった「マジョリティではないと思う」とは具体的に大多数の方はどういう感じなのでしょうか? ほとんどの人は日本で親和的に暮らしていきたいと思っているのですか?
超絶端的に言うと、「朝鮮バンザイ!金日成バンザイ!」みたいな生徒はほとんどいないかと思われますー。普通に勉強してスポーツして、大学行ったり就職したり、普通の日本の高校生たちと変わらないと思いますぜ。
3〜5世とかになると文化が99%日本文化だから、「親和的に」って発想も特に無くて、普通に生まれて普通に暮らしてってかんじじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20170428075305
前に右系の記事で、朝鮮学校(大学かな?)で将来の幹部候補的な学生たちによるサークルが作られててスパイ的な活動が行われたりしてるとか読んだけど、生徒間の意識の差は感じる?
金体制を維持しようとする右翼(?)的な政治思想の生徒とかいる? そういう子は、政治に興味ないノンポリと差があったりする?
そういや
学習班?学習組?だったっけ。そういやなんか記事見た気がする。
あれは幹部候補っていうか、クラス委員とかが集められて週一とかで空手習わされてるだけだよ(見ていた範囲で。座学とかあったのかは知らない)。
意識の範囲が微妙だけど、意識の差はあるよ。意識高い(?)のは朝鮮大学行って総連の職員なったり、それでいうと朝鮮学校に行ってない人でも、ルーツ/国籍と向き合ってて自覚してるってのもいたりかな。
おれのときが今の体制じゃないから、今どうかはわからないけど、先述の意識高い(?)のうちに何人かいるのかしら、ぐらいかな。知らんけど。
進路をどう取るかってのはもちろんそれぞれあるけど、普段の学生生活内で、思想が突き抜けてるのはいなかったよー。
在日は北朝鮮のためにどうってよりは、在日同士のコミュニティというか、同じ属性の人たちで繋がろうぜってかんじがメインかと〜。
http://anond.hatelabo.jp/20170428075305
去年はこんなニュースもあったような。「都内の朝鮮大学校「日米を壊滅できる力整える」 金正恩氏に手紙、在校生に決起指示(1-2ページ) - 産経ニュース」 http://www.sankei.com/politics/news/160920/plt1609200005-n1.html
おっと、こんなのあったのか。
うーむ、どうすっかねぇ。おれははっきりいってわからないんだけど、同級生に中の人いるはずだから聞いてみようかな。数年ぶりの連絡がこれってのがちょい引けるんだが。
この辺りが一番ややこしいし、たぶんぴんと来ないところだと思うんだけどとりあえず書くね。
たぶん、おれの中のゴー☆ジャス(宇宙海賊)が何回も「訳わかんねぇだろ!」って言うよッ!
まず言ってもぴんと来ないだろうところで、元記事で"朝鮮籍は32%、韓国籍が63%。日本国籍も5%"ってあるけど、朝鮮籍/韓国籍の生徒の本籍地(だったっけ?登録基準地。つまりはおじいちゃんとかひいおじいちゃんとか、日本に来た1世の住所)はほとんど全員韓国だよ。日本の都道府県ぽいかんじでいうところの慶尚道とか全羅道とか。あとは済州島って島。
この段階で訳わかんねぇだろ!ってかんじなんだけど、まぁそうなっていて、つまり住所は全員韓国なうえで、国籍が朝鮮籍と韓国籍に別れてる(日本国籍の生徒はわからない。たぶん日本籍だから普通に日本の住所かと)。
で、なんでそうなったかというと1世の話になるんだけど、超絶シンプルに言うと、国が分かれる前に日本に来て、戦争終わったらなんか国が別れてんすけどっつって、元記事にある記号としての朝鮮籍のままか韓国籍にするか、って感じになって、1世が選んだ方になってるってイメージでよいかと。というわけで住所は韓国だけど国籍は朝鮮籍ってのがわんさかいる。
おれの場合は親父が朝鮮籍で母親が韓国籍。登録基準値はどっちも韓国の済州島。訳わかんねぇだろ!
で、元は朝鮮籍だったけど、大学のときに意識高くアメリカで語学留学したいなっつって、朝鮮籍だとビザ危ういかもねってなって、母の方の韓国籍に籍入れて韓国籍に変えて無事アメリカに。訳わかんねぇだろ!
ってことで違いはパスポートぐらいかな。朝鮮籍の状態で海外旅行(元記事にあるように修学旅行で北朝鮮以外)したことないから、朝鮮籍の状態で海外旅行がどうなるのかは身をもって知らないけど。朝鮮籍だと「パスポート」じゃなくて「再入国許可書」ってやつになる。ビザはどんなかんじかわからん。
ってことで「韓国籍を持つ生徒が朝鮮学校に通うのはどういった経緯なんですか?」ってところは答えられたかな。
国籍とどこに通わせるかはあんま関係ないかんじ。経緯というか朝鮮学校に通う韓国籍がいる理由ってかんじになっちゃってるけど。
まぁ経緯ってところでいうと、北朝鮮:総連系の朝鮮学校と韓国:民団系の韓国学校ってのがあるけど、まぁ最初の話に戻るけどどっちに入れるかは親の意志だね。
福島県では寺や神社で石像やご神体を壊しまくった韓国人が逮捕され、
大阪では女性をホームから線路に突き落とした朝鮮籍の男が逮捕され、
ググればいくらでも出てくるが、あいつらは心底日本人が嫌いなんだ。
そして日本に来て、日本に住んで、日本人が嫌いだという理由だけで、
奴らは壊し、殺し、犯し、盗み、ヘイトクライムの限りを尽くしてる。
本国に戻れば英雄扱いされるやつもいるんだぜ?お前ら信じられるか?
教育のせいだからやつらも被害者だと言う日本人もいるが、馬鹿なの?
本当の被害者は奴らに壊され、殺され、犯され、盗まれている人だぞ?
ひい爺ちゃんが、たぶん1900年代くらいに出稼ぎで新潟にやってきたそうで、
そこで爺ちゃんが在日二世として生まれる。(おそらく祖国に行ったことはない)
6人の子宝に恵まれる。
当時の戸籍法では子供の国籍は父親のが適用されるって話だったらしく、
途中でこれは後々不利になるんじゃないかと気づいた爺ちゃん・婆ちゃん、
4人目からは婆ちゃんの私生児として届け出て、下の3人は日本国籍。
で、みんな民団やら総連との関わりは一切ないし、朝鮮学校にも通ってない。
日本生まれ日本育ち、朝鮮語なんて喋れもしないし、半島の親戚付き合いもとっくに途絶えてる。
今では戸籍法が改正されたみたいで、子供は日本国籍も選べるみたい。
じゃあ帰化すればいいじゃん?
実際に何人かは帰化した。
思想信条なども徹底的に調べられるみたい。(詳しくは知らん)
そもそも、まず半島の戸籍を取り寄せなければならないって話で、
ウチの身内の場合、朝鮮に戸籍があったみたいで取得にも相当手間がかかったみたい。
http://anond.hatelabo.jp/20101129115209
これを書いた増田だけど、朝鮮籍の人の90%はそんなこと考えてないと思う。
君は
「学校教育は一人一人の人間に与えられるべき機会であるから、それを平等にするべき。
それが朝鮮人であっても。国家間の争いと子供の教育は連携してはいけない。」っていう考え方なんだよね?
私は
「ある国家崇拝を枢軸としている国家と連携をとって行われる国内の教育機関がで行われる教育に強制的な国家崇拝が含まれていて、その教育機関の内容は倫理的に許される範囲で自由にやっても構わない。」と考えている。迷惑な考え方(右とか左とかじゃなくてもっと酷い奴だよ。道の真ん中に爆弾仕掛けましょう。とかね。そういうの)じゃなかったら別にいいと思うから、「他の子供達同様に無償化の対象にする。」というのはいい。OK。個人的には無償化は外国人向け学校とかだけじゃなくて私立の学校に自ら進んでる高校生にまで適用されてるのがおかしいと思ってるが、この話とそれは別。アメスクや私学も無償化対象なら、朝鮮人学校も無償化対象にしてOKなんだ。これに異論はない。ただ「その国家が同盟国に敵対を意思表示して更に反人道的な声明を発表している。尚かつ自国の動向(この場合砲撃とかね)を是とするなら、そこと連携を取る機関(教育機関を含む)に日本という国の財を平等に支援するべきではない。」「ある国家と同盟国家間の争いと、その国家への教育機関に対する経済的制裁は連携してもある程度は仕方ない。」という考えな。全く違う考えなんだよ。経済的制裁にその国家と連携をとる学校への支援停止も含めて良い、と思ってる。混ぜている訳では全くない。私の中では朝鮮人学校への支援停止と万景望号の入国禁止等と同じラインにある。それを「混ぜている」って捉える事もできるね。ただし、これはれっきとした制裁なんだよ。先のポストで私が混ぜているっていったのは、日本が国家に対して制裁を加えるために当然として行ってることを、子供の教育機会への不平等が起きている、と問題を「混ぜて」批判している人が多いという点。この二つの「混ぜている」はある側面からいったら同じものにも見えがちだけど、全く違うものを「混ぜている」よね?分かるかな?
ただ、教育内容に対して日本側は爆薬を作ったりテロを起こそうとしてるんでなければ、弾圧を与えるべきないんだよ。民族学校の授業内容を取りつぶすべきとか考えていない。民族伝承を阻害するのは本当に人としてやっちゃいけないこと。そういう教育内容の介入を日本は行ってないでしょ?経済的制裁だけでしょう。何でやってはいけない?朝鮮籍の子供達の教育機会の損失には全く至っていない。北朝鮮という国家がもっと歩み寄る努力をすれば全く問題が起きなかった所なんだよ。
正直私には君の考えは似非平和主義にも見えるんだけど、だからこそ理解できないかと歩み寄ってるつもり。君の考えが理解したいから朝鮮学校はどういうものなのか理解に誤りがないか、そういう情報を求めているのに全く掲示すらない。あと、朝鮮学校に通う子供達が同じ民族教育が行われている韓国の学校に移るのになんの問題があるのか、ちゃんと説明して欲しい。全くそれに対する返答がない。チョコと煎餅を例に出してる理由もわからないの?考え方の好みが違うだけなんだだよ。国家間の争いに子供の教育機会が連携しちゃ行けないっていう人が居ることもわかるけど、私はその考え方は違うと思ってて、自分の考えを書いただけ。意見は人それぞれ違うんだから、態々引用や太字を使って意見を変えさせようという説得に掛かるんだったら、その前に私の書いている事を理解してから返答が欲しい。全く理解しないで自分の意見だけぶつけてくるのは品性として如何かと思う。国家間の問題が発生しているのに、子供が可哀想という理由で付和雷同して無償化の支援金が得られないのを批判するのは間違ってる。その民族ベースの学校に通いたい子供達にも「韓国人学校に行く」という選択肢があるのにもかかわらず、ね。
どうだろうか。
成る程。つまり、第二次世界大戦の時に米国で日系人が迫害受けたけれど、彼らは米国人だから正しくない、っていうのと同じだよね。
真っ先に切るべきカードではない事は理解したけどじゃあ朝鮮という経済制裁をすればミサイル打ち込んでくるような国に対して日本は何をもって非難の意を表すべきだと思う?結構手は出尽くしてると思うんだけどな。そもそも彼らのご先祖が日本に来たときは存在してなかった「北朝鮮」っていう看板を掲げている民族学校が何故大事なのかがもうちょっと理解したいのでなんかいい情報や説明をよろしく。なんで韓国人学校じゃなくて朝鮮学校に拘るのか、ちょっと理解が薄いんで。
あと、
それでは北朝鮮と変わらない。
ってあったけど、北朝鮮じゃ日本人学校なんてないでしょ。もし作ろうものなら支援なんて考えられもしないでしょ。
日本は朝鮮学校を今取りつぶそうともしてないし、国籍が朝鮮の人々を強制退去させようともしてない。今日本の社会で朝鮮籍で生活してる事を許容している。
それだけでも全然違うよ。逆のことできないでしょ。日本人が向こうに行ったら生活どころか通信すらできないでしょ。
戦争を起こそうとしている(まあもう起きているんだが)朝鮮への流通、金融機関、団体への制裁と同時に、教育機関に国として制裁を入れるのが筋が悪いとは私は思わない。
それがたまたま、今回無償化対象の移行期間に起きただけ。その問題を混ぜてる人があまりにも多すぎる。
私は、私達がある程度の規制を受けながらも米国や欧州で暮らす選択肢があるのと同じように、彼らが自分の起源としないと自覚しながら日本という社会で生きていく選択肢があるのは悪い事じゃないと思う。もっとも、戦争を起こそうとして他人を脅かさせる朝鮮という国の籍より、韓国籍の方がもっと悪く無いと思うだろうけどね。