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2021-09-16

2000年代の党や政権を壊滅に追い込んだ政治家失言ベスト5

政治家失言は時に致命的なダメージ政権または政党のものに与える。酷い時には、党そのものが消えてなくなりそうになるほど大きな傷跡を残してしまう。

そんな失言が致命傷となった政治家のうち、2000年現在までで失言ベスト5を選んでみたい。

第五位 「最低でも県外」 鳩山由紀夫

後に詐欺とまで言われる大胆なマニフェストを掲げて政権交代を果たした民主党政権だったが、財源の疑問などは当初から囁かれており、政権担当能力に疑問を持つ人は、自民党支持者を中心に少なくはなかった。

そうした中で、米軍普天間飛行場返還合意から14年目。民主党鳩山由紀夫が発した「最低でも県外」の言葉きっかけに、移設計画が問い直されることになった。

この一連の流れの中で、鳩山自身同盟であるアメリカからルーピー」と呼ばれてしまうなど、交渉は迷走を極めてしまい、政権担当能力の無さを日本の内外に喧伝する事となった。

その後に続く菅直人政権野田政権も、東北震災時に失言などがあり、イメージ挽回するどころか悪化させてしまったのだが、民主党は駄目だという印象を決定づけた一言が「最低でも県外」であったと言える。

鳩山場合は、現在の彼を見ても「最低でも県外発言がなかったとしても、別のどこかで民主党政権を終わらせていたに違いないのだが、それにしてもだ。

第4位 「金がねえなら結婚しない方がいい」 麻生太郎

失言の多い首相だった麻生なので、取り立ててこの発言が致命的な失言だったとは言わない。この言葉自体は、今から振り返ってみれば若者に向けるには常識的忠告であるようにも見える。

だが、2009年ころは、麻生おろしメディアというメディアが騒いでいた時期だったから、あらゆる言葉失言であるように扱われてきた。麻生言葉尻を捉えてあらゆる批判が行われ、

挙句の果てには、ほっけの煮つけを食べたと言った(ほっけに煮つけ料理はないので庶民感覚が備わってないという批判)、カップラーメンの値段を知らない、ホテルで高級なカレーを食べた、と言った批判を受けるに至った。

国会では、漢字を読み間違う麻生に対する漢字クイズが繰り返され、異常ともいえる麻生おろしによって自民党は壊滅的なダメージを受け民主党政権誕生したのだが、一連の流れの象徴として冒頭の失言を挙げたい。

狂想劇ともいえる麻生おろしによって誕生した民主党政権が後に悪夢と呼ばれるものであったことがトラウマとなり、メディア民衆への影響力が大幅に小さくなる事にも繋がった。

後の安倍政権があれほどの攻撃を受けても、まったく揺るがなかった最大の理由には、メディアが自らの信頼を「麻生おろし」によって失っていたことが挙げられるだろう。

第3位 「全員受け入れるようなことはさらさらない。排除いたします」 小池百合子

2017年衆議院選挙を前にした9月25日小池百合子希望の党結党した。結党当初、民主党への失望、長く続く安倍政権への批判の声を背景に、政権交代が実現するのでは?と言う勢いを示すことになる。

小沢一郎率いる自由党民進党民主党から名称変更)との連携や合流が囁かれると、民進党希望の党との合流を決定し、事実上解党選択する等、巨大政党誕生の流れは着実に出来ていた。

もしも、民進党との合流を果たしていたら、政権交代は決して白昼夢ではなかった・・・だが、小池民進党との合流を問われると「様々な観点から絞り込みをしていきたいと考えております。全員を受け入れるということはさらさらありません」と答える。

排除するのか?と問われ、排除いたします、とまで答えた。この発言が、排除原理と呼ばれマスコミの強烈な批判を受けるに至って希望の党の勢いは大幅に失速し、排除される予定の議員たちが結党した立憲民主党にも獲得議席数で及ばずに衆議院選挙を終えた。

民主党への失望を背景にした発言だったのだが、「排除いたします」とまで言った小池発言は、彼女の生涯における痛恨の失敗だろう。

第2位 「私や妻が関係していたということになれば、それはもう間違いなく総理大臣国会議員もやめる」 安倍晋三

民主党政権を打倒し、希望の党危機をも跳ねのけて快勝し、株価を上昇させ、今日外交安保の基礎となる多くの重要法案を通し、大きな成果を挙げ得意絶頂にあった安倍晋三が、森友学園土地売買に関与していたのでは?との疑惑を向けられた際に行った発言

事実として、今日に至るまで首相夫妻が関与していた証拠は何一つなく、首相夫妻の関与を訴えて来た籠池夫妻が有罪となり「安倍犯罪がとか、私らも(安倍政権打倒勢力に)乗っかかって、そうやなぁと思ってました。」と答えるほどでもあり、

安倍本人には何もない事が分かっていたのかもしれない。だが、この発言によって野党側に火をつけることとなり、のちに続く加計学園問題桜を見る会へと終わりのない追及の流れが続くことになる。

安倍犯罪者のごとく扱おうとする野党メディア言動への対処の為に、安倍政権予算委員会質疑応答で多くの時間を浪費する事となり、世論が厳しさを増す中で以降の安倍政権は以前ほどの強さを見せられなくなった。

余計な一言を言わなければ、悲願だった改憲への道筋も立てられた可能性もある。それだけの成果を残した政権だった安倍政権だが、安倍の悪癖が出た一言によって改憲と言う100年先に残るレガシィを作ることは出来なかった。

無能も侮りすぎれば致命傷になる、という教訓が安倍には残ったかもしれない。

第1位 「拉致などない」 土井たか子

2000年以前には自民党と堂々と渡り合い、与党として政権をも担当した経験を持つ社会党が壊滅する切っ掛けとなった発言が 「拉致などない」だ。

北朝鮮と深いつながりを持っていた社会党は、ずっと以前より「拉致などない」という姿勢を貫いていたので、正確には2000年以降の発言ではないかもしれないが、社会党が壊滅したのは2000年代初頭なので、ここに挙げたい。

2002年小泉政権において、安倍晋三官房副長官の尽力によって、小泉首相の電撃的な訪朝が実現した。

この際、金正日総書記首脳会談にて、横田めぐみさん、田口八重子さん、市川修一さん、増元るみ子さん、原敕晁さん、有本恵子さんと、松木薫さん、石岡亨さんの計8人の死亡を主張。

一方、地村保志さん、(浜本)富貴恵さん夫妻と、蓮池薫さん、奥土祐木子さんに加え、日本政府が把握していなかった曽我ひとみさんの計5人の生存を伝えた。これによって「拉致などない」と言ってきた社会党立場は瓦解する事となった。

死亡した有本さん、石岡さんは生前北朝鮮から家族に宛て手紙を出しており、その手紙を元に社会党を頼ったものの、土井たか子から冷たくあしらわれた事が知られている。そして、家族手紙を受け取った二か月後に有本さん、石岡さんは亡くなってもいるという。

社会党は従来の態度を改めて謝罪したが、こうした事実が明らかになる中では無意味しかなく、2005年に行われた選挙では党首である土井たか子すらも落選する程の大敗を喫し、社民党として名を変えた今日では、党として存続すら危うくなっている。

かつて2大政党を期待された社会党だったが、「拉致などない」と言い続けて来た一言によって、そのすべてを失った。土井たか子は、政治史にのこる女傑でもあるが、同時に最悪の裏切り者としても記憶される事となった。

まとめ

印象深い失言を犯した人を並べてみても、その歴史において相互に関連があり、政治歴史と言うのは面白いもんだなと感じさせられる。

仙谷官房長官の「暴力装置」、柳澤 伯夫の「産む機械」、松本龍の「知恵を出さないやつは助けない」など、味わい深い失言は多くあっても、ダメージの深さではどうかなと個人的には思っているのだが、

皆さんの中には、他に印象に残っている大きな損害を招いた失言はあるだろうか?

2018-03-24

[][]「父から聞いた話」/「安倍首相にガッカリした」

から聞いた話

15年程前、父と話していた時に父がこんな事を言い出した。
「実はな、俺の中学時代同級生北朝鮮拉致された人が居た。」
と言っても、父とその同級生は仲が良かった訳では無い。
そもそも、父が中学の頃は一つの学年で40人のクラスが6組まで有ったらしい。
その中で、1年だけ同じクラスになった事のある人の中に、後に北朝鮮拉致された人が居たという話。

調べてみたら、その拉致被害者は確かに拉致被害者に認定されていた。
父もそんな同級生が居た事は忘れていたらしい。
珍しく同窓会に行ったら、そこで話題になり「あいつは北朝鮮拉致されたぞ。」と言われて知ったらしい。

ただ、やはり、そういう話を聞くと感傷的になるのだろう、父も、その同級生日本帰国して欲しいと思ったらしい。
その同級生は未だに、北朝鮮拉致されている。
からこそ言いたい。「私は今、安倍首相にガッカリしている」と。

安倍首相にガッカリした

父の同級生北朝鮮拉致問題拉致被害者が居るという事を知り、北朝鮮拉致問題に興味が出て、拉致問題について調べる様になった。
その中で、ある一人の拉致被害者の話に興味が出た。その拉致被害者の名前有本恵子さん。
有本恵子さんの拉致の経緯について説明する。

有本恵子さんは神戸に生まれ神戸市外国語大学という大学に進学した。大学生を卒業ロンドン語学留学に行った有本恵子さんは
現地で出会った人物仕事を紹介され「市場調査」の仕事を始めたという。そして、帰国予定の昭和58(1983)年8月9日に「仕事が見つかる 帰国遅れる 恵子」
という電報実家に届き、同年10月中旬コペンハーゲンから手紙が届いたのを最後に音信が途絶えた。

この「市場調査」の仕事を紹介した人物北朝鮮工作員だったらしい。
よど号ハイジャック事件北朝鮮亡命した人達北朝鮮工作員として当時ヨーロッパに出向いて、
語学留学ヨーロッパに来ていた日本人を誘い、北朝鮮に連れて行っていたらしい。)

音信が途絶えてから5年後の1988年9月北朝鮮拉致されたとされる石岡亨さんという人物札幌実家に一通の手紙が届く。
その手紙には石岡亨さんと有本恵子さんと松木薫さんという三人が北朝鮮平壌で一緒に暮らしている事が書かれ、写真が同封されていた。
この手紙ポーランド消印が押されており、非常に小さく折りたたまれていたらしい。
おそらく、北朝鮮旅行に来たポーランド人に出国する際にこっそり手渡された物なのだろと考えられている。

有本恵子さんが生存していて北朝鮮に居る事を知った有本恵子さんの両親は、当時、朝鮮総連と繋がりが有ると言われていた社会党議員で、
地元の有力議員だった土井たか子議員に話をしに行った。しかし、社会党が動く気配は無かったため
有本恵子さんの両親は、当時外務大臣だった自民党安倍晋太郎議員事務所に連絡を入れた。
安倍晋太郎有本恵子さんの両親に自分秘書を同行させて、警察庁外務省へ赴き話をする様に指示したという。
しかし、警視庁外務省も「国交がないのでどうにも出来ない」としか言えず、外務省は「危険ですので、秘密にしておきましょう」と口止めをしたという。

後に、小泉内閣の時に北朝鮮から日本政府に渡された報告書では、石岡亨さんと有本恵子さんは、石岡亨さんの実家ポーランドから手紙が届いた二カ月後の
1988年11月に死亡したと記されていた。

この、安倍晋太郎議員秘書をしていたのが、安倍晋太郎の息子で、現在内閣総理大臣安倍晋三だ。
謂わば、安倍晋三政治家としての心得を父親から学んでいた頃から北朝鮮拉致問題に触れた立場に有る。そして、
拉致問題解決こそがライフワーク」と豪語していた事さえある。

それなのに、第二次安倍内閣になってからの数年間、北朝鮮拉致問題は進展していない。
拉致被害者の帰りを待つ人は80代後半~90代の年齢になっている人も居る。もう時間は残されていない。

森友・加計問題野党自民党に難癖をつけているだけと言えば確かにそうかもしれない
だが、「拉致問題解決こそがライフワーク」とまで豪語した安倍首相からこそ
今の任期内に拉致問題解決する気概を見せて欲しい。

正直、拉致問題解決へ向けた進展を出せていない安倍首相にはガッカリしている。

もし、今期の任期中に安倍首相拉致問題解決する事が出来なかったなら、私は
次の衆議院議員選挙では、自民党を見限り、立憲民主党民進党投票するつもりだ。

今期の任期中に、安倍首相には政治家生命の全てを賭けて北朝鮮拉致問題解決して頂きたい。

 
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