2018-03-24

[][]「父から聞いた話」/「安倍首相にガッカリした」

から聞いた話

15年程前、父と話していた時に父がこんな事を言い出した。
「実はな、俺の中学時代同級生北朝鮮拉致された人が居た。」
と言っても、父とその同級生は仲が良かった訳では無い。
そもそも、父が中学の頃は一つの学年で40人のクラスが6組まで有ったらしい。
その中で、1年だけ同じクラスになった事のある人の中に、後に北朝鮮拉致された人が居たという話。

調べてみたら、その拉致被害者は確かに拉致被害者に認定されていた。
父もそんな同級生が居た事は忘れていたらしい。
珍しく同窓会に行ったら、そこで話題になり「あいつは北朝鮮拉致されたぞ。」と言われて知ったらしい。

ただ、やはり、そういう話を聞くと感傷的になるのだろう、父も、その同級生日本帰国して欲しいと思ったらしい。
その同級生は未だに、北朝鮮拉致されている。
からこそ言いたい。「私は今、安倍首相にガッカリしている」と。

安倍首相にガッカリした

父の同級生北朝鮮拉致問題拉致被害者が居るという事を知り、北朝鮮拉致問題に興味が出て、拉致問題について調べる様になった。
その中で、ある一人の拉致被害者の話に興味が出た。その拉致被害者の名前有本恵子さん。
有本恵子さんの拉致の経緯について説明する。

有本恵子さんは神戸に生まれ神戸市外国語大学という大学に進学した。大学生を卒業ロンドン語学留学に行った有本恵子さんは
現地で出会った人物仕事を紹介され「市場調査」の仕事を始めたという。そして、帰国予定の昭和58(1983)年8月9日に「仕事が見つかる 帰国遅れる 恵子」
という電報実家に届き、同年10月中旬コペンハーゲンから手紙が届いたのを最後に音信が途絶えた。

この「市場調査」の仕事を紹介した人物北朝鮮工作員だったらしい。
よど号ハイジャック事件北朝鮮亡命した人達北朝鮮工作員として当時ヨーロッパに出向いて、
語学留学ヨーロッパに来ていた日本人を誘い、北朝鮮に連れて行っていたらしい。)

音信が途絶えてから5年後の1988年9月北朝鮮拉致されたとされる石岡亨さんという人物札幌実家に一通の手紙が届く。
その手紙には石岡亨さんと有本恵子さんと松木薫さんという三人が北朝鮮平壌で一緒に暮らしている事が書かれ、写真が同封されていた。
この手紙ポーランド消印が押されており、非常に小さく折りたたまれていたらしい。
おそらく、北朝鮮旅行に来たポーランド人に出国する際にこっそり手渡された物なのだろと考えられている。

有本恵子さんが生存していて北朝鮮に居る事を知った有本恵子さんの両親は、当時、朝鮮総連と繋がりが有ると言われていた社会党議員で、
地元の有力議員だった土井たか子議員に話をしに行った。しかし、社会党が動く気配は無かったため
有本恵子さんの両親は、当時外務大臣だった自民党安倍晋太郎議員事務所に連絡を入れた。
安倍晋太郎有本恵子さんの両親に自分秘書を同行させて、警察庁外務省へ赴き話をする様に指示したという。
しかし、警視庁外務省も「国交がないのでどうにも出来ない」としか言えず、外務省は「危険ですので、秘密にしておきましょう」と口止めをしたという。

後に、小泉内閣の時に北朝鮮から日本政府に渡された報告書では、石岡亨さんと有本恵子さんは、石岡亨さんの実家ポーランドから手紙が届いた二カ月後の
1988年11月に死亡したと記されていた。

この、安倍晋太郎議員秘書をしていたのが、安倍晋太郎の息子で、現在内閣総理大臣安倍晋三だ。
謂わば、安倍晋三政治家としての心得を父親から学んでいた頃から北朝鮮拉致問題に触れた立場に有る。そして、
拉致問題解決こそがライフワーク」と豪語していた事さえある。

それなのに、第二次安倍内閣になってからの数年間、北朝鮮拉致問題は進展していない。
拉致被害者の帰りを待つ人は80代後半~90代の年齢になっている人も居る。もう時間は残されていない。

森友・加計問題野党自民党に難癖をつけているだけと言えば確かにそうかもしれない
だが、「拉致問題解決こそがライフワーク」とまで豪語した安倍首相からこそ
今の任期内に拉致問題解決する気概を見せて欲しい。

正直、拉致問題解決へ向けた進展を出せていない安倍首相にはガッカリしている。

もし、今期の任期中に安倍首相拉致問題解決する事が出来なかったなら、私は
次の衆議院議員選挙では、自民党を見限り、立憲民主党民進党投票するつもりだ。

今期の任期中に、安倍首相には政治家生命の全てを賭けて北朝鮮拉致問題解決して頂きたい。

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