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2021-11-15

anond:20211113141052

なんでかなぁと考えてみると、自分ゲームアニメ技術革新にワクワクしていたのと、漫画キャラへのガチ恋オタクだった。でも、年齢を重ねてそう言ったことが苦痛になってしまった。

ゲームアニメ、もう見た目やシステム部分ではすでにマックスまで到達していて、あとは拡張現実の方向になってくると思う。でも自分リアルとの融合に関しては全然興味が持てない。

そして自分がロールして何かをしたりするのも面倒くさい。

漫画キャラたちは、自分から見たらただ一生懸命に生きてる子供で、彼らの恋愛想像することすら苦痛。昔のように絵柄へのこだわりもなくなり、今はストーリー構成面白さだけで選んでいる。

こういうの、言ってる事と実態は多分違う

ゲームアニメ漫画も、大して好きじゃなかったんじゃないかな?

オタ活してると、必ず出会う、「キョロ充オタク」だったんじゃないかな?


当時の自分はそれを本当に好きだと「思っていた」のかもしれない

けど、歳をとって環境が変わってくると、その誤差に気が付き始める

大抵の人は「あの当時の自分」を否定できないか

好きだった事実肯定したまま、好きになれない自分肯定しなくちゃいけない

そうすると、こういう感じの文章が出来上がる


サブカル方面だともっと面倒くさい

ともすれば反転して「美少女の消費」などと言いながら、当時オタクだった自分体験を赤裸々に語りつつフェミ側に行くこともあるくらいだ

こういう手合いになると「オタだった自分否定」もフェミ活動で満たせるため、とてもイキイキする


ま、それはともかくとして

場所のために何者かになるタイプだと思うから

一回自分内面と語り合った方が良いと思うんだよ

自転車ボランティア活動PTA・自治会

色んな所に「そこに居場所見出してる」感じの人が居る

彼らは総じて、居場所から疎遠になったり喪われた時に、自分は変わってない、対象が変わったのだと嘯く害悪さんなので

その場からいなくなって欲しいと切に願う

2021-11-05

僕「おばあちゃん何してるの?」

おばあちゃんエクセルマクロを作っている」

僕「え」

おばあちゃん自治会の名簿の中に含まれ不要なスペースを削除するマクロ

僕「え」

2021-10-29

anond:20211029150227

都心レベル都市化してるところは知らんけど理事会ってどこのマンションでもあるもんじゃないの?法的に。

そんで理事会の長と抱き合わせ自治会長という役職までついてくるパターン

2021-10-26

新大久保の昔話

2010年代新大久保に居た差別主義者狩りの思い出の話をしよう。

当時新大久保は物凄く治安が悪く、特に人種差別主義者闊歩し、音から逃げるもままならぬ程の罵詈雑言をどこでもお構い無しに響かせており、自治会も取り締まるが、効果は薄く、凄まじい状況だった。

私が話を聞いた人は当時新大久保マンション管理人として働いており、時間わず仕事をしており、またマンションのある地域差別主義者の溜まり場となり、休日には差別主義者の街宣カーの爆音の鳴り響くとんでもなくカオスな状況だったとの事

当然新大久保に来る人々の怒りは凄まじく、マンション住民もブチ切れていたとか。

その人がとある休日に、厳つい服装をした自転車乗りが新大久保周辺を徘徊しており、不審者か?と思い注意して観察していた

そして、爆音響かせる街宣車の音がなった瞬間、その自転車は急加速して音の方へ走り去って行った。

ある日、東京のある場所ネット右翼とあるバイク乗りに絡まれ事件があった。

被害者差別主義者のデモ常連だったということで、あぁ狩られたんだなと思ったらしい。

このバイクはどうみても不正改造車を無理やり動かしていた様だったので、持ち主が警察に捕まって車両押収されたが、このころには差別主義者狩りが活発になっており、自転車バイクだけでなく、トラメガの罵詈雑言押収する者や体張って威圧する者まで出てきた。

ある日、休日にでマンション仕事をしていると自転車歩行者事故の様な音が響き渡り、外を確認すると旭日旗シャツ来た男性差別主義者狩りのロードバイク乗りの屈強の男性体当たりされていた。別の差別主義者狩りは往年の反社ヨロシクの服装新大久保をうろうろ巡回していた。

わざわざ差別主義者が演説するために修羅場に行かなければならない状況はメチャクチャ怖かっただろうなと思ったらしい。

そんな差別主義者狩りが流行して、3年もすると差別デモは壊滅状態となり、休日も静かになったらしい

2021-10-18

anond:20211018152759

かいところもそうだけど、湘南自治会の体質自体問題視してるってことでしょ

慶應SFCジェンダー平等についての声明文がひどい

この文章は、慶應湘南自治会が十一月に行われるSFC生総会の議題の一つとしてあげた「ジェンダー平等についての声明文」に関して、それまでの流れを簡単にまとめ、批判することを目的としたものである。多くの人に読んでもらうために煽るようなタイトルにしてしまたことを先に謝っておく。

まず、湘南自治会の始まりに遡って話を始める。SFC(湘南藤沢キャンパス)に自治会ができたのはつい最近のことである。(自治会準備会のほうは長く準備されていたように思うが)

いわゆる本キャンの方にはずっと昔からあったのだが、SFC自治会は今年の夏あたりに、賛成221票、反対14票で承認され成立した。総合政策環境情報学部生だけで4000人近くいるので、SFC生の関心度がどれくらいだったか、という部分に関しては数字で察して欲しい。もちろん、こんな文章を書いているくらいなので増田投票したのだが、まさかここまでの数字になるとは思っていなかった。世界未来を語っておきながら自分たちキャンパスのじちに関してここまで無頓着というのは恥ずかしすぎる。

SFCに対する愚痴はこの辺りにして、今回の「ジェンダー平等についての声明文」を見ていきたいと思う。

https://docs.google.com/document/d/14S5q-AGOPt_Utp4DWpChxTfTrpBA_73rZ08agTzsYK4/edit

上のリンクが、湘南自治会によって出された声明である

これに対して、あるSFC生がnote危険性を指摘してくれている。

https://note.com/ya2020sfc/n/nf14ebe8b9113

データの偏りであったり利活用であったりの話はnoteに書いてある指摘の通りかな、と思う。安宅研の方らしいので、その分野に関しては増田よりもよっぽど精通していると思うし。

なので、そこら辺は簡単に触れるだけにしておく。

まずは議題の概要の部分から

『本年9月から10月初頭にかけて弊会が実施した「キャンパス生理用品設置にかかるアンケート」では、SFC以外の学部生を含めて161名、SFCだけでも155件の回答がありました。本調査は、弊会が取り組む生理用品の設置に向けた実態需要調査することを主眼に置いていましたが、回答の分析の結果、SFCにおいて、「ジェンダー平等実現」を念頭においた行動が必要だと結論づけられました。』

キャンパス生理用品設置にかかるアンケート」は、主にツイッター上で行われたものであるそもそも、この161人という回答者グループには大きな偏りがあると考えられる。なぜなら、このアンケートリンクが貼られた湘南自治会ツイートは、現時点(10/18 13時)で81のいいねと57RT程度のインプレッションにとどまっており、SFC生に広く届いているとは言えないかである。それ以前に、このようなアンケート時間を割いて回答する層というだけでもバイアスが大きい。というかもう確認できないのだが、アンケート設計自体が適切だったのか、という問いもある。

そういった問題を孕んだアンケートのみを根拠としたこ声明文が、あたかSFC生の総意であるかのように執行部に提出されることは危険、としか言いようがないのである

さらに、草案の内容にも不適切と思われる部分が多い。

【現状批判 Criticism】

わたしたちは、現在SFCにおいて、次に掲げるジェンダーに関する問題があると評価する。

性別に基づく不平等存在している。

これらの不平等に対し、多くのSFC生は関心が無いか、あるいは気づいていない。またこのことから学生以外のSFC関係者においても同様の状況である推定できる。

世界共通の課題という重要性にも関わらず、ジェンダー主題とする授業及び研究会が無い。

性にまつわる理解、受容、共存共栄人権意識について知る機会が不足している。

上記のようなSFCの諸問題について、専門に検証改善を施す公式の仕組みが存在せず、それゆえにSFCにおける潜在的ジェンダー問題発見ができていない。

以上の諸問題連鎖し、SFCの現状を作り出していると考察する。

要望 Demands】

わたしたちは、この目標を実現するべく、慶應義塾大学総合政策学部環境情報学部に対し、次に掲げる事柄要望する。

ジェンダーに関する学問的知見を生み出し、社会還元することを目的に、SFCにおいてジェンダー研究する場を創設すること。

前項に掲げる研究の場を主導することを目的に、相応しい研究者を配置又は雇用すること。

ジェンダーに関する教養提供することを目的に、ジェンダー主題とする授業を開講すること。

ジェンダーを含む人権に関する基礎教養提供することを目的に、心身ウェルネス総合政策学・環境情報学その他の適切な必修科目において、同内容の授業を組み込むこと。

SFCにおけるジェンダー平等の実現状況を検証改善することを目的に、同内容を所管する委員会指定または設置し、毎年SFCジェンダー平等の現状を資料化したうえで改善を施すこと。

上記要望を実現するため、湘南自治会ジェンダー平等特別委員会と共同で取り組むことを歓迎する。同内容は、学生教職員との対話のもとに順次実現されることを企図するものである

なお、看護医療学部政策メディア研究科、健康マネジメント研究科においても、各学部研究科の事情を勘案しながら同様の目的に適う措置を講ずることを希望する。

増田の考える問題点は以下の2つである

SFCジェンダー問題に関する無理解・無関心の要因を無知であると断定している点

執行部に対する要望が、ジェンダー問題解決するための施策として適切とは言えない点

①について

根拠となるデータ公平性が不確かであるにもかかわらず、ジェンダー平等存在し、解決に向けた取り組みが行われていないことを断定しているだけでなく、その要因を、SFC生がジェンダー問題に関して無理解・無関心であると言う推論で片付けてしまっている。少なくとも、SFC全体のデータとして適切である量のサンプルを集め、十分な分析を行なってから提言を進めていくべきだと考える。必要であれば、専門知識を持った教授なり学外の専門家なりに教えを乞うことも検討すべきである

②について

ジェンダー問題に関して学ぶ場所SFCにないから作れ、と言う簡潔かつ横暴な要望であるSFC問題存在していて、それを解決するためにはその問題について学ぶ必要があるから、新しい先生を呼んで授業や研究会を作ってくれないと困る!と言う話が成り立つのならば、今後大変なことになるだろう。行動計画にあったような自主勉強会をまずは発足すること。そこから少しずつ、ジェンダー平等への取り組みを学生主体で行っていく。こういう地道な活動を続けていくことでしか、今までずっと持っていた考え方を変えることはできないし、キャンパス全体の意識を変えてくことはできないと思う。

ジェンダー」というテーマは、どこまでもデリケートに扱うべきものであるし、謙虚勉強を続けていかなければいけないものでもある。

声明文を読む限り、自治会メンバーも性にまつわる理解、受容、共存共栄人権意識についての勉強が不足しているように思える。

ジェンダーに関する活動話題になりやすいのはわかるが、プロセスを軽視しているし、目的手段が入れ替わっている感じが否めない。

湘南自治会は、一定権利を持つ大学公式団体であり、適切な知識を持つ第三者を介入させながら、慎重かつ適切に議論を重ねていくべきであると思う。

増田もまだまだ知識が不足しているとは思うが、ジェンダー勉強しているひとりとして、自治会ジェンダーモラルについて散々批判にもならないようなお気持ち表明をしてしまった。

総会での質疑や請願等で、今後意見は直接伝えていくつもりである。長くなったが、放っておけばいい話題に喜んで首を突っ込み、壮大に騒いで物事を大きくしたがるのはSFC生の悪い癖なので許して欲しい。

2021-10-15

選択夫婦別姓があると困りそうな人々

選択夫婦別姓があると困りそうな人々

困ったことが起きそうで、選択夫婦別姓合法化に乗り気でない人たち

  • 学校先生
    • 〇〇さん家の家族という呼び方だと角が立ちそう( 〇〇さん、XXさん家という言い方になるので面倒?世帯主の姓で呼ぶとトラブルおきる場合も?
    • 親子の姓が一致していないと混乱しそう
    • 親子の姓が一致しない場合も今まであったが数が増えると処理しきれなくなりそう
    • 書類書きが面倒だ
  • 自治会/町内会
  • 郵便/宅配業
  • 後継問題
    • 嫁に行ったのに、旧姓を名乗り続けると、送り出しの実家側でしゃばっていると感じる人たちがいる
    • 嫁に来たのに、旧姓を名乗っていると家に入ってくれないと感じる人たちがいる
    • この件は嫁を婿にかえても同様で、婿が旧姓を名乗ることで、家を乗っとられると感じる人たちがいる

他にもありそうな気がしますね

自分選択夫婦別姓にしても影響はないので賛成ですが、選択から問題が起きないわけではないとう認識を持って欲しいと思いました

2021-10-10

anond:20211008135155

近隣の学校第三者として

「緑のおじさんには「おはようございます」「こんにちは」の挨拶はしたらどうか。

子供から言わなくても緑のおじさんから挨拶されたら返事をするべきだ。」

意見電話したらいいよ。

学校先生方針によると思うけど、

挨拶するようになるかもしれない。

自治会に入ってるなら自治会の総会で話してもいいと思う。

学校意見しませんか、とか。

ちょっとハードルいか

近年ではPTA会長犯人の酷い事件もあったか不安はあると思うが、

親も学校ほとんどの人が感謝してるはずだよ。

こんにちは」も言わないってのは違うと思う。

うちの近所の小学生挨拶してる。見た事がある。

捕まえた虫とか見せようとして車道にはみ出しそうなのは危なそうだった。

2021-10-04

統一教会(原理研)についての個人的経験

はじめに

記事は私が大学生時代(20年ほど前)に統一教会下部組織である原理研究会(原理研)と関わった個人的経験について語るものです。それ以外の話は極力しないつもりです。

近年の統一教会活動とは必ずしもリンクしていませんし、今どんな活動をしているかは把握できていません。去年の米大統領選にまつわる騒動に関わっていたのを見て驚いたくらいです。

統一教会関係者に対する推測・意見感想等は全て私個人の考えです。

本題

私は大学生時代学生自治団体のお手伝いとしてサークル管理勧誘の見回りをする活動に参加していました。

はいっても大学側も監視はしているわけで、警察を呼ぶような事態はそちらの出番です。学生側にしかできない仕事と言えばサークル間の調整事、そしてカルト排除でした。

今はもうほとんどの大学有名無実化してしまったと思いますが、サークル活動学生自治範囲内なんですね。

具体的に何をしていたかというと、主に新歓期間などに行われる勧誘活動カルトが紛れ込んでいないかを探し、見つけたら追い払うというものです。

地下鉄サリン事件以来カルトによる大学生への勧誘は下火になっていましたが、原理研はまだ一定勢力を保っていました。

サークルには大学公認サークル非公認サークルがありどちらも勧誘活動に参加できます。ただし事前に申請を出してもらい学生団体が認可を出したサークルのみ参加を認めるというシステムです。

当時原理研名前一般に知れ渡っていましたので大抵関係なさそうな名前を装いますが、申請を出してきたらさすがに分かりますので却下します。

そこで彼らが申請することな非公認サークルを名乗り当日の喧騒に紛れ込んできたところを捕まえて、ルール違反理由に出て行ってもらう、という建付けです。

上記活動をする中で思い知ったのはカルト議論してはいけないということです。

原理研構成メンバーは主に同じ大学や近隣他大学学生です(裏に指導役の大人がいるとされます)。ただしほとんど授業には出てきません。

学生団体の詳しい人に聞いた話では、原理研勧誘成功した学生を授業に行かせないようにします。サークルバイトも辞めさせます実家にも帰らせません。

そうして外部の人間関係を絶たせたうえで信者同士マンションの一室で共同生活を営ませるという手口を取るそうです。

彼らは一日中どのように勧誘を行うか、学生団体大学当局監視を逃れるか、自己正当化を行うかといったテーマについて話し合います

同じ大学入学できるわけですから、私と同じくらいの知能を持った人達です。その人達がずっと相手を言いくるめることを考えて過ごすのです。はっきり言って議論したら負けます。今でいうひろゆき的な手法による負けで、煙に巻かれるような感じですが。

から議論はしない。有無を言わさず追い出すことにしていました。こんな感じです。

原理研「他にも勝手にビラを配っているサークルがあるだろう。なぜ我々だけを狙い撃ちにするのか」

私「そうですね。でもあなた方は違反なので出ていってください」

原理研「なぜ我々を排除するのか。日本には信教の自由があり大学もそれを認めている」

私「そうですね。でもあなた方は違反なので出ていってください」

原理研「お前ら学生団体の中には共産党シンパ(※民青)がいるだろう。あいつらは良くて我々は駄目なのか。おかしいではないか

私「そうですね。でもあなた方は違反なので出ていってください」

原理研人達バイトを辞めさせられたうえに仕送りお布施として絞り取られます

さらには外との接触機会を減らすためか外出もあまりしないようで、皆健康的な生活を送れているようには見えません。

可哀想だなと思いますが、私の目的議論に勝つことでも説得することでもなく新入生を原理研接触させないことです。何を言ってきても相手にしないことを心掛けました。

目的信者洗脳を解き脱会させることだったらこなのは駄目ですね。そうした活動従事されている方々を尊敬します。

どの程度効果があったかは正直言って分かりません。私を含む見回りメンバー発見できた際には勧誘を阻止できたとは言えますが、相手は手を変え品を変えやってきますので全てには対応できなかったでしょう。

バラバラに別れて個人として見学名目で入って来たり大学の外で勧誘されたりすると追い出す正当な理由がありません。

(これは余談ですが、わざわざキャンパス外で勧誘している人達にはそうする理由があります宗教以外にも色々なのがいます相手にしないことをお勧めします)

とはいえ何年かすると原理研の名を聞くことも少なくなり、大学カルトを厳しく警戒する必要性は薄れました。私も少しは貢献できていれば嬉しく思います

なぜカルト排除に参加することにしたか

入学当時に入居した学生専用マンションの隣人が洗脳されてしまたこと、実は私自身が勧誘を受け結構危なかったことが理由です。

原理研に限らないと思いますカルト目的を隠して近づいてきます。隣人は偽サークル新歓コンパ等をきっかけに徐々に囲い込まれるというよくあるルートを辿ったようです。

私はバイト募集と言われて応募用紙を渡され、連絡先を記入してしまったため後日面接と称して呼び出されました。

ところが「とにかく会いたい」といった調子目的曖昧かつ場所個人宅だったためこれはおかしいと気付き、呼び出しを拒否することで事無きを得ました(そのため相手原理研だったかどうかは実は不明なのですが、おそらくはそうでしょう)。

隣人とは知り合い程度の仲だったのであまり詳しい経緯は知りませんが、最初飲み会に誘われる程度だったのが次第に信者が共同生活を送るマンションに通うようになったようです。

いつしか大学でもマンションでも顔を合わせることがなくなり、どうしたんだと思っているうちに自室も引き払っていなくなってしまいました。おそらく共同生活用のマンションに移り住んだのだと思います

その後、一度だけ隣人(そのときは元隣人)から勧誘を受け断りました。

文章にしてしまえばこの程度ですが、当時の私はショックでした。誰かが気づいていれば止められたのではないかと。

そう思っていたところに学生自治に参加する機会があり、ならばと手伝うことにした(正規自治会員ではなく非正規の手伝い)という流れです。

2021-10-01

たぶんマイノリティーだった

最近よく泣く。

それはとりわけLGBTQなどのマイノリティーに言及している作品発言などを受け取ったときだ。

多かれ少なかれ、みんな『そう』だと思っていた。

みんな自分性別に疑問を持ち、違和感を抱え、折り合いをつけながら生きていっているものだと思っていた。

どうやら違うのかもしれないと気づいたのは16歳の頃。トランスジェンダーという言葉を知ってからだ。

わざわざそんな言葉があり、そしてそれを学ぶ機会があったことそれはつまりもしかして当たり前の感情状態ではないのかもしれないと薄っすらと感じ取った。

ここ数年、性的マイノリティーという言葉がよく聞こえるようになりLGBTQなんて言葉も多くの人が知るものになった。

いろんな活動があり、それらについては特に今回言及するつもりはない。

ただ、たまに聞こえる「最近そういう人流行ってる・増えているよね」というような言葉がただただ辛かった。

それを言い放った旧友の隣でどんな顔すればいいかからなかった。

ずっといたのに。ずっといたんだよ。

知らなかったとは知らなかった。だってマイノリティーだと思っていなかったから。

自分自身の存在否定されたわけではないけれど、そういった言葉を聞くたびにどうしようもなく苦しくなった。

その逆で

いろんな人がいるよね、いたよね、知ってるよ。もう少し生きやすくなるといいね。生きやすくしていきたいね、というようなメッセージを受け取ると気づいたらぼろぼろと涙が出てくるようになった。

そしてそれを受け取りながら「ああ、自分マイノリティーと呼ばれる存在だったのか」と再認識させられてしまいいまこうしてなんとなく文章を打っている。

たぶん、自分マイノリティーだった。たぶんね。

思っているより数はきっと多いよ。知らないだけで。

しかしたら同じクラスに、家族に、同じ会社に、自治会いるかもしれない。

傷つけたくない人がいるなら、存在否定するようなことは言わないでほしいかも。

案外いるから。

どんな感情持っててもいいよ。

理解できないとも思う。自分性別違和感を覚えずに生きている人がいることを理解できないから。

ただ、そういう人がいる、案外身近にいるって覚えていてもらえたらなと思う。

anond:20211001113504

まだインターネットも普及していなかった時代

新入生案内イベントで「○○大学自治会」を名乗る大学無関係左翼団体活動費を支払ってしまたことは今でも屈辱

2021-09-19

公助は削って、福祉家族による相互扶助を基本とする』に対して、そんなことしたら社会貧困化するよという主張が感想レベルからダメですかそうですか。そもそも自助互助貧困は防ぎきれず、その貧困への対策が共助、公助なわけなんだけども。こんなことは常識範疇と思っていたよ。

例えばこれは東京大学名誉教授大森彌によるもの

この自助・共助・公助という3分論は、自民党綱領平成22(2010)年)で政策基本的な考え方として採用されている。「自助自立する個人尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組みを充実する」とある。菅氏の発言自民党員として、党の綱領に忠実であったともいえる。また、社会保障制度改革推進法の第2条には、「社会保障制度改革は、次に掲げる事項を基本として行われるものとする。一 自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと。」とあり、法律文言にもなっている。

総理大臣になった菅氏が、この社会像としての3分論を具体的な政策の中でどのように生かしていくのかは分からないが、これまで、介護保険制度の創設と運用にかかわり、自助互助・共助・公助という4分論を唱えてきた筆者としては、共助の主体地域とともに家族が含まれていることと、地域以外に共助の主体が想定されていないことに若干のコメントをしておきたい。

われわれは、人生の途中で、老化に伴う日常生活上の困難や思いがけない病気事故災害など、さまざまなリスクに直面する。このように何か問題が生じて解決を迫られたときに、まず、本人が自助努力対処する。しかし、それでは無理なときは、本人の身近にいる家族・友人・隣人などが手を差し伸べる。これがインフォーマル支援、すなわち互助である自助互助ではカバーしきれない場合にはシステム化された地域・職域の自治組織支援する(共助)。この共助システムではなお解決しえない場合行政支援する(公助)。この4分論も、いわゆる補完性の原則に基づく社会形成の考え方であるが、自助と共助の間に互助を考え、共助としては地域以外にも社会保険を想定している。

個人が直面するリスクを、その本人の自助努力だけで克服せよというのは無理な話で、社会は、何らかの形で共同してリスクを分担する仕組みを備えていなければならない。自助から出発するにしても、自助の次に互助を想定せず、家族の支えを「共助」に包摂してしまうと、例えば、いつまでたっても家族を老親介護責任から解放できないのではないか家族大事だが、それに頼りすぎては家族が参ってしまう。

互助は、自発性ゆとりと思いやりに基づく支え合い活動であって、その活動範囲支援能力限定的である。それは、家族・友人・隣人が無償で行う支援活動であるからであるしかし、自助のすぐそばに、この互助が息づいていることが自助の励みになるのである老いて心身が弱っても、自分生活に関することは自分判断し、できるだけ自分で行おうとする個人自助努力尊重し励まし支援する、それが互助の意義である自然災害ときにも、真っ先に頼りになるのは自助互助の結びつきである。新型コロナ禍の困難の中でも自助に寄り添う家族・友人・隣人の親身な支援こそが大事である

わが国にはシステム化された地域自治組織として、自治会・町内会があり、近年は地域運営組織が台頭し、これらは市区町村行政相互関係をもって活動している。この地域が共助の主体として期待されている。ただし、同じ共助のなかにリスクを共有するもの同士で助け合う社会保険制度存在し、国と自治体の行政公助)が関わっているから、共助の主体地域だけではない。共助システムである医療介護社会保険制度は、経費の約半分を国と自治体の公費租税)で賄っているし、介護保険では保険者市区町村にしているから、この共助システムは共助と公助の混合型といえる。それだけに、公費負担をしている国からシステム運用を通ずる効率圧力が絶えず加えられる結果、公助から共助へ、共助から自助へとリスク負担を逆流させようとする動きが出てきやすい。要注意である

https://www.zck.or.jp/site/column-article/20702.html



共助、公助の成り立ちと役割については、このリンク先の厚生労働省白書に良くまとまっている。https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/dl/1-01.pdf

工業化に伴う人々の労働者化により、血縁地縁機能希薄化した)

産業資本主義社会では、企業が潰れたり、解雇されれば失業してしまい、また、けが病気などで働けなくなった場合労働者所得を得られなくなる。その一方で、労働者血縁地縁関係から一定程度独立した結果、それら血縁地縁で結ばれた人間関係を基礎とする支え合いの機能は、近代以前の社会と比べて希薄化しているため、個人にとって、生活が立ちゆかなくなってしまリスクは大きなものとなる面があった。また、産業資本主義社会では、労働力商品化の結果、モノやサービス生産が「使用者労働者」の関係を軸に展開するようになる。近代以前の社会と異なり、労働者自己労働力以外に機械原材料などの生産手段を持たない。生産手段は使用者資本)によって所有され、労働者はそれを借用しながら自己労働力提供する。この関係の下では、自ずと労使の力の差が生じる。使用者に比べて力の弱い労働者は、低賃金長時間労働という劣悪な労働条件を強いられ、解雇リスクさらされるようになる。過酷貧困生活を送る労働者は増え、労働問題が大きな社会問題になっていった。労働者たちは、同業者の間で相互扶助組織を設けるなどして生活上のリスク対応してきたが、これらの組織に加入できたのは、経済的に多少の余裕のある熟練労働者などに限られ、多数の非熟練労働者などは、それらの組織に加入することができなかった。

近代的な社会保障制度の創設はドイツからまり欧州各国に広がっていった)

近代的な社会保障制度世界最初に創設されたのは、大陸ヨーロッパドイツであった。ドイツでは、19世紀終盤に、帝国宰相地位にあったビスマルク(Otto von

Bismarck, 1815-98)により、法律上の制度として世界で始めての社会保険制度(疾病保険法1883年)、労災保険法1884年)、老齢・障害保険法1889年))が制定された*3。社会保険制度は、事業主負担と併せて被保険者労働者等)自ら保険料負担拠出)することにより給付権利を獲得するという関係があるため市場整合であるとして、多くの工業国で社会保障手法として第一義的に選好される傾向が強いものとなっていった。そして社会保険による給付は、市場経済的権利関係裏付けを欠くために、社会負担、あるいは自助能力を欠く者との差別偏見から逃れられず、受給スティグマ汚名)が伴っていた恩恵的・救済的福祉給付とは異なっていた*4。また、あらかじめ生活リスクに備える点で、それまでヨーロッパ各国で主流であった事後的な「救貧」施策から事前の「防貧」施策への第一歩を踏み出した点でも大きく評価された。

(略)

社会保障は、個人生活上のリスク社会的に対応する仕組みとして求められるようになり、産業資本主義社会国民国家の発展を支えていった)

このように、産業資本主義が発展する中で、血縁地縁がそれまで果たしてきた人々の生活保障する機能限定的ものとなっていった。それらの機能代替するため、傷病、老齢、失業などのリスク公助又は共助という形で社会的に対応する仕組みが必要となり、現在に通じるような社会保障制度が求められるようになったといえる。

そして、社会保障血縁地縁機能代替*8することにより、人々は経済活動に注力することができるようになったという意味で、社会保障産業資本主義社会国民国家の発展を支えていったともいえる。

世界恐慌から第二次世界大戦までの間に、戦後社会保障の構想が練られていった)

1929年には、アメリカニューヨーク証券取引所での株価の大暴落きっかけに世界恐慌が発生した。その影響は大変大きなもので、1930年代には各国で多くの企業倒産し、街は大量の失業者で溢れ、社会不安ますます増大した。

(略)

ケインズ理論によって完全雇用に近づければ、失業給付を激減させ、なお残る失業者に手厚い給付ができ、また、社会保障によって全国民に最低限度の生活保障すれば、有効需要が増え、さら失業者が減る。このように、ベヴァリッジケインズの考えは互いに補強しあう関係にあった。これは「ケインズベヴァリッジ主義体制)」、「福祉国家の合意」などと呼ばれる。その後、ベヴァリッジは、第2次世界大戦中の1942年に、いわゆるベヴァリッジ報告(『社会保険および関連サービス』)を英国政府に提出し、「ゆりかごから墓場まで(Fromthe Cradle to the Grave)」のスローガンの下、新しい生活保障の体系*10を打ち立てた。このベヴァリッジ報告の影響を大きく受け、第二次世界大戦後には世界の多くの資本主義諸国で、経済の安定成長と完全雇用11国民福祉の充実を目指す「福祉国家」の潮流が広がっていった*12

戦後、どの先進諸国にとっても社会保障は不可欠なものになった)

1970年代オイルショック後の経済成長の鈍化等により、社会保障福祉国家批判は大きな潮流になった)

1980年代新自由主義的な政策採用され、社会保障福祉国家の「見直し」が行われた)

新自由主義的な政策は、経済グローバル化趨勢とも親和的だった)

社会保障福祉国家の「見直し」がもたらした弊害は大きなものだった)

(当初の「見直し」という目的が実際に達成されたかについても、見方は分かれる)

1990年代以降、社会保障重要性が再認識され、過去に指摘された問題点に応える努力をしながら、社会保障福祉国家を再編成する時期に入っている)

今日では、社会保障は様々な機能を持っており、私たち経済社会に欠かせない重要な仕組みである

今日では社会保障は、個人視点からみれば、傷病、失業高齢など自活するための前提が損なわれたとき生活の安定を図り、安心をもたらすことを目的とした「社会セーフティネット社会安全装置)」という機能果たしている。また、それを社会全体としてみれば、所得個人世帯の間で移転させることにより貧富の格差を縮小したり、低所得者生活の安定を図る「所得再分配」や、「自立した個人」の力のみでは対応できない事態社会全体で備える「リスク分散」という機能果たしているといえる。

さら社会保障は、必ずしも恵まれない人たちにも社会の一員としての帰属意識を共有してもらうことで社会的な統合を促進させる。また、消費性向が高い低所得の人たちに所得移転購買力を高めることで個人消費を促進したり、医療介護、保育などの社会保障関連産業における雇用の創出を通じて経済成長にも寄与する。こうした「社会の安定及び経済の安定と成長」といった機能果たしている*20

このように、社会保障私たち経済社会にとって欠かせない重要な仕組みとなっている。だからこそ、支え手である現役世代(働く世代)の人口が減る少子高齢社会において、どのようにして持続可能制度を構築していくか、若年者等の失業問題社会的弱者が孤立を深める状況(社会的排除)を改善するためにどのように社会保障制度機能させていくべきか、経済グローバル化に伴う国際競争の激化が雇用の柔軟性や流動性要求する状況など社会保障が前提としてきた雇用基盤の変化や経済の低成長が続く中で、どのような所得再分配や雇用政策が適切なのかといった点は、先進諸国にとって、重要政策課題となっている。



社会貧困化するの件が感想しかないので、感想に対する反論などありません残念でした

感想を論だと思ってる時点で問題あり

もっと勉強しましょう

からでも大学行ってみては?

人生に遅いということはないよ

anond:20210919030225

2021-09-05

こんなことリアルで言うとぶっ叩かれるんだけど生活保護なら贅沢しなけりゃ死ぬまで安定収入生活確約されてるんですよね…

って近所の村八分(アル中仕事首になって自治会の金盗んだから)された80代の生活保護爺見て思っちゃった

2021-08-30

「二度と群馬に来るな!」 県外ナンバー張り紙自治会名前使われた」 地元住民らも困惑

https://news.yahoo.co.jp/articles/ddb79f126c554819b8b4c7d58e764edd85500b99

張り紙には「コロナウイルスを都会から一生群馬県に持ち込むな!二度と群馬県に来るな!!ネット上にナンバープレートと車体を晒(さらします」などの言葉が並んだ。文章最後には、「城東町三丁目自治会」と書かれていた。

現物があるとインパクトがあるね。しかしこれは「群馬は都会ではない」ということなのかね

2021-08-17

コロナ禍で日本人意識はだいぶ変わるだろうなあと感じている

どんな時でもずぼらな人、いい加減な人というものはいもので、昨年の春頃、妹夫婦の子供たちの通う小学校校長マスクをしてなくて保護者から眉を顰められていたことがあった。

PTA会長がそれとなくマスク着用を促したが「いやいや、私は頑丈だけが取り柄ですから!」とまったく通じなかった

その校長は今春に退職し、今の校長マスク、手洗い、ソーシャルディスタンスアルコール消毒を率先して呼びかけているという

あるとき卒業と同時にそのまま母校の職員として働き始めた大学時代の友人と電話で話す機会があった

年末まで、いくつかの飲食店から事務局に「おたく学生らしき人が酒類を持ち込んでいる」と苦情がたびたびあったそうだが、

そのうちの何人かと思しき学生たちが発症地獄を見たらしく、また学内啓蒙などもあって苦情は激減した

また、両親の住む地元でも、マスクをつけない、つけても鼻を丸出しにしたり、なぜか人と喋る時だけ外そうとする(マスクのまま喋るのは失礼にあたると思っているらしい)人が自治会でも散見されたそうだが、とある家で重症化一歩手前くらいの状態までいった人が出てから殆ど見かけなくなったらしい

重症から生還した人は誇らしげに、いかに新型コロナが辛く苦しかたかを周囲に語りたがったが、マスクもろくに付けない人が感染して苦しむのは当然では?発症は不幸な事故ではなく自業自得では?と白けた反応ばかりでかなり凹んでいるそうだ

こういう出来事が何年もかけて日本全国各地で起きているのだとしたら、日本人の意識はかなり変わっていきそうな気がする

2021-08-13

anond:20210813130512

どの家が捨てたゴミか分かるほどに

自治会(の監視)が強かった時代は集積所が使われてたな

今は戸別収集に変わってしまった

anond:20210811210729

自治会強いところはゴミステーションみたいなのを作って数十軒単位でまとめてるから効率的だったんだけどね。

500mおきとかにゴミステーション作って、そこに集約したほうがトータルコストは安いんだろうか。

回収は下請けに丸投げしてコストカット……ぐらいで誰も真剣に考えてない気がする。ゴミ袋の値段をガンガン上げてくだけでもコスト的にはなんとかなるんだろうし。

anond:20210811210729

当方人口京都市10分の1くらいの地方都市

ゴミ10Lで10円というのは1枚から売っているのかい?

こちらは可燃ごみ10Lは10枚セットで100円。

一番大きいサイズは30Lの10枚セットで500円。

収集車にもれなく3人乗っているのか。

こちらは2人で収集作業をしているのは知ってたが、運転手さんが残っているかまで見てない。今度確認してみよう。

市の職員ではなくて、民間企業委託しているように見える。収集車に企業名が入っている。

こちらでは各家が玄関先に出すのは見たことがない。

自治会で設置しているゴミステーション(収集ポイント)に集めるのが基本。例外はあるかもしれない。

人口密集地では収集ポイントだけでは間に合わないのか、自治会/町内会に入らない人が多いのか。

anond:20210811210729

東京杉並区も3人だし、1人は運転手だぞ

だいたいエンジン止めて降りて2人でゴミ運ぶ方が非効率やろ

収集ポイント自治会/町内会ごとだけど、ここはどの自治体も同じだろうし、自治会崩壊したんじゃねーの?

2021-08-12

共働きについて

男性です。

https://blog.tinect.jp/?p=72112

これ読んで、イラッとしたので、ちょっと反論してみる。多分、苛ついたのは個人的事情によるところが大きいが、一般論反論できる部分もあると思う。

まず、全体の話として、夫婦ともに300万づつ稼いでも600万の年収生活はできないという部分は同意できる。これは単純に、妊娠出産という期間に稼ぎが減るのでそれに対する金銭的なバッファを作っておかないと、生活破綻するよね。ということと理解している。

でさー、女性収入あくまリスクヘッジとして、それに該当する理由を色々と書いてる。現状で社会男女平等になっていないのは確かにその通りなんだけど、外資系公務員大企業自営業と"女性であること"が不利にならない、というか場合によっては女性枠があるような場所もあるわけで、"共働き"を選ぶのであれば、そういった場所に入れる努力ぐらいしろよと思うわけです。

女性が本気で"共働き"を選ぶのであれば、男性側もそれなりの覚悟がいるわけです。保育所からの呼び出しに対応できるように社内での自分立ち位置の調整だったり、それなりに仕事を減らしたり、持ち帰ってできるような仕事を増やしたりと。

結局「どの程度、本気で共働きに取り組むつもりであるか?」という確認夫婦間で行っていないと、うまくいくはずも無く、

 女性 「だって男性社会出世もできないし、稼げない」

 男性 「だって子供母親がみるものだって会社が言っているし」

ってやってりゃ「稼ぎも家事も5割づつの公平な共働きなんてできるわけないよね」と思うわけです。

で、苛ついた主要因である個人的事情を書いてみる

私は結婚前に妻に聞いた。「どうしたい?」と。妻は自営業を始めたところで、ぶっちゃけたいした稼ぎもない。仕事をやめて専業主婦になっても良いし、本気で自営業に取り組んでも良い。主体家事育児において、自営業パート感覚で行っても良い。(妻はある程度、仕事量を調整できるような自営業でした)

私も自営業をしている。収入は年によって増減があるがおおよそ900万程度。高額所得者とは言えないレベルだけれど、私一人の稼ぎで暮らしていけないわけではない。

妻は「自営業者としてやっていきたい」と言った。なので、家事育児は完全折半という覚悟をした。幸か不幸か父子家庭で育ったため、元から家事は一通りできる。金土日は私の晩飯当番。選択普通にする。当たり前だけど洗濯機を回して終わりでなく、シワを取って広げて干して、取り込むところまでが洗濯だ。掃除休みの日にまとめてだけど普通にする。というか妻が片付けられない人間で、掃除をする前の片付けの方が負担が大きい。ゴミ各部屋のゴミ箱を空にして1つにまとめ、曜日ごとに指定ゴミ捨て場まで持っていくまでがゴミ捨てだ。

朝飯はお互いに適当に作ってやってたけど、そのうち妻は菓子パンを買ってくるだけになった。私が何かを作ったら、妻も子供それを食べる。食器を洗い、テーブルを拭いて、朝のごみ捨てをやってる間に、妻は化粧をしている。あのさ~、女性としての身だしなみなのは理解できるが、それ家事じゃないよね。私から見ると、それは妻の仕事の一部なわけで、「化粧で忙しい」というので家事負担を私に押し付けてくるのは納得行かないわけです。

この「化粧で忙しい」というので、曜日ごとの当番制でやっていた保育所への送迎も朝の送りが私で、夕方の迎えが妻になった。やったことがある人ならわかると思うけど、小さい子を保育所に送っていっておいてくるのは大変です。子供からすれば置き去り父親、迎えに来てくれる母親。どっちになつくかって言うまでもないよね。

で、この迎えの当番も義父に任せて行かなくなった。保育所個人懇談なんかも私が行ってたら、保育士文句言われるわけです。「なんでお母さんが来ないんですか?」と

「うっせー、家庭内役割分担に口出すな」というのをオブラートにぐるぐるに包んで伝えて、「女性がメインで育児するのが当たり前」みたいな雰囲気にも立ち向かってたわけです。

で、こんだけやって、妻の稼ぎは年収100万程度。いやね、自営業って難しいの知ってるよ。どれだけ本気で取り組んだってうまく行かない事もある。だからって家事メインでやって、仕事時間減らしたら、いつまで経ってもそのままだろうから10年ぐらいずっと上記生活続けたよ。4歳差の2人の子供を10年同じ保育園に送り続けたよ。小学校の参観、懇談、PTA役員もやって、自治会役員も何年かと基本的に体外的な事はすべて私の役目。

その間、妻が何やってたかというと、仕事の稼ぎはいつまで経ってもそのまま。家の中での家事は半分はやってたけど、子供習い事とかまったく興味なしで、送迎は私がやっていた。

で、子供が大きくなって手がかからなくってきて空いた時間ボランティアのような事始めやがった。空き時間があれば、家でパソコン作業。それ違うんじゃね?やってることに社会的な意義があったとしても、それ配偶者許可取ってやることじゃね?

自分より稼いで家に金入れてるとか、家事育児全部やってるとか自分のやるべき役割を果たした上で、何かするのは好きにすれば良いと思う。でもさ、稼ぎは夫任せ、家事折半って状態で何やってるんだと。

で、そんな話し合いをしているうちに、妻の不倫が判明。もう、ほんとに死んで欲しい。

本当に家事育児は何でもした。してないのは生物学的にできない"出産"と"母乳を出すこと"だけのつもりだ。

私が本気で"共働き"を目指した結果がこれです。

自分の最大の失敗だったと思うのは、妻にコミットをさせなかったこと。

私自身は「稼ぎは多少減るかもしれないが、家事育児を半分やる」ことをコミットし、実行した。

稼ぎは波はあったけど、収入は維持している。

妻は仕事に対しても家事育児に対しても何もコミットしていない。その時毎にやりたいことを好き勝手にやってただけ。

共働きするかどうか、男性女性に限らす本気で考えた方がよい。

2021-08-11

政治家給料

何かあればすぐ政治家給料を下げろだ返上しろだ無休無給で働くべきだ言うやついるけど、

金も貰えずに誰が政治家みたいなクソめんどくさくて文句ばっか言われる職業やんだよ

 

きっとPTA自治会みたいなのも自分から買って出てるんだろうな

だって組織地域を良くする素晴らしい働きなのだから報酬や見返りがなくたってどんな労力も厭わずやれるでしょ?

仕事との兼ね合いが大変?じゃあ仕事辞めて無給で社会地域に貢献したら良いんじゃない?

 

政治家給料削っても、元々金持ってて道楽社会貢献できるやつしか政治家になれなくなるのと、

正規給料以外の部分で儲けようとする政治家が出てくるだけだぞ

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