はてなキーワード: 発生件数とは
なんで自国の性犯罪の多さの話題になるとこんなに信じたくない人間がいっぱい湧くんだ?
性犯罪を警察に相談する人間の割合、性犯罪の事実認定、法律体系、ぶっちぎりだぞ
警察に相談した割合5%だとすると日本の1年間の性犯罪の発生件数は推定年間25万件以上。窃盗を除く全刑法犯年21万件より多い
性犯罪について相談する意識の高さ、深刻に受け止める土壌、性的客体化や性差別や虐待に関する知識が大衆に広く普及していること、二次加害の少なさ、助けてくれる人の多さ、職場などでのセクハラや性加害に対しての周囲の反応、警察の対応、弁護士や警察を利用するハードルの低さ
日本男以外の人類からしたら日本が女性に対して性差別的で女性を性的オブジェクト化しがち、性犯罪に対する意識が非常に低く、性的な面について自己批判や自己分析が全くできないってほとんど常識に近いんだけどね。
男だと被害に遭うことも犯罪を目にする機会もそういうのを実感する機会もほぼないだろうからあまりピンとこないのかもしれないね。
DAという女の子に銃を撃たせるにしてはあまりにも大袈裟で、テーマ性をもたせるにはあまりにも投げやりな組織
ラジアータで犯罪の発生を事前に察知してリコリスが容疑者を殺害して回ってるわけだが、
犯罪について事前に察知することさえできれば事件を阻止するのは警察でもできてしまうため、
現場対応をリコリスが行う必然性がない。結果的に少女に無駄な人殺しをさせてしまっている。
犯罪の発生を隠蔽して表面上の治安を見繕うことにどれだけの価値があるのかを描写されていないので、
政府の指揮下にないとか政府より権力を持つとか滅茶苦茶な設定盛られているわりに
やってることが犯罪発生件数を改ざんする程度の組織になってしまっている。
概要で「これらの結果は、ポルノグラフィとレイプが代替物であることを示唆している」とか言ってるし、本当かよ。
ちなみにKendall(2007)の前にも先行研究があり、Court(1976)、Baron and Straus (1984) Jaffee and Straus (1987)がある。これらはポルノの利用とレイプ被害に正の相関(すなわちポルノをよく利用する地域のレイプ被害が大きい)が見出されていたんだが、地域固有の効果をコントロールできていない(cannot control for unmeasured location-stpecific effects)と書かれていて、これらを改良したのがこのKendall(2007)らしい
簡易的な「differences-in-differences」法で調査したところ、インターネットが急速に普及した25州と普及が遅かった26州を比べ、レイプ発生件数は人口10万人あたり-2.2件の差があったそうな。つまりインターネットの急速な普及に伴ってレイプ発生率が減った
このような差は1995-2003、すなわちwindows95発売以降インターネットが普及した時のみ現れ、1990-1995年の間では特に差が出なかったらしい。そうなんだー
これはどういう効果なのかな?中身までには触れてないはず。ポルノの影響かもしれないし、個人の情報発信によってそれこそ認知の歪みが是正されたのかもしれない
なお、Kendall(2007)でもレイプ固有の影響なのか犯罪全体が減っているのかは調べてて、殺人の件数も調べてる
殺人の件数は継続して減っているらしいけど、急速に普及した州は普及が遅かった州より減りが遅かったそうな
まあ銃乱射の憎悪犯罪とか、アメリカ特有の何かはあるのかもしれん
また、暴力犯罪(violent crime)および財産犯罪(property crime)はインターネットアクセスに対して優位な差がないって言ってる
これはBhuller et. al. (2013)と同じことを言っていて、なにか性犯罪だけインターネット普及率と関係性が高いようだ。不思議だ…
インターネットと売春には負の相関が、インターネットと家出には正の相関があるとされている
その他の性犯罪(強姦、近親相姦、ソドミー(アメリカでは犯罪なの?)、わいせつなポーズ)なんかは相関が見られないらしい
Bhuller et. al. (2013)の「出会い系とポルノ利用との区別がつかない」結果と総合して、
「家出した青少年が出会い系の利用増加で被害に合ってる」という構図が見えるが?
また、年齢ごとの性犯罪とインターネット利用の関連を見て、15-19歳男性が一番犯罪の減少率が高かったので、
そこからポルノの利用との相関を見ている。これは正しいの(?)
結論として、この研究結果は「他の国、他の時代、あるいは他の方法論やデータセットを用いたさらなる研究が必要である」と注意はされているが、
「ポルノグラフィーのアクセス自由化は、女性の性的被害を増加させない可能性があることを示唆している。」
と結ばれている
私に対する告訴を検討しているという人物、ここでは仮にX氏と表記しますが、X氏及び第三者の方々に対して、以下の点について説明をします。
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1 私が「X氏の元・妻である」と自称したとするX氏の主張に対して
事実(1):私は、一度も「私はX氏の元・妻である」と自称していません。
まず明白な事実から述べると、私は「X氏の元・妻である」とは、最初から一言も書いていません。
これは、はてな社のログを確認できる立場の担当者ならば、直ちに確認が可能な事実であります。
したがって「私が自分のことを、X氏の元・妻であると自称した」という指摘は、明白な虚偽であります。
事実(2):私の記事には、特定の人物を想起させうるような、言外の情報は含まれていません。
或いは、X氏の側は「それでも私が書いた記事は、言葉による明記はしていないものの、X氏の元・妻であるかのように誤認されうるものであった」と主張されるかもしれません。
しかし、仮にそう言われたとしても、それは無理のある主張と言わざるを得ません。
私は、セクシャルハラスメント被害を受けた人間の立場として記事を執筆しましたが、そのセクシャルハラスメントが行われた場や年月日、関係者の個人情報(年齢・職業・居住または就業場所など)を一切記載していません。
また、元・配偶者が、私の受けたセクシャルハラスメントの被害について、理解や共感や被害回復の手助けや協力を示してくれなかったという話についても、ハラスメント被害者のパートナーや伴侶が被害者の苦痛について理解や共感をしてくれなかったり、被害回復の手助けをしてくれないという事は、多々あるハラスメント被害事例の中では(悲しいことに)ありふれた話です。
さらに、セクシャルハラスメントの加害者が、夫婦やカップルの公私に渡る知己の人物であることも、これもまた(悲しいことに)ありふれた話です。
セクシャルハラスメントの加害者が、年長者であるケースについては、指摘するまでもなく、ありふれた話です。
つまり、私のセクシャルハラスメント被害について書いた記事には、そもそも「言外の情報」と呼びうるような、特定の人物を強く示唆したり、想起させたりするような、特異な描写が含まれていません。
故に「私の執筆した記事は、言外情報によって、私をX氏の元・妻であると誤認させる内容であった」とする主張は、万が一なされたとしても、それは全くの言い掛かりに過ぎず、不合理で妥当性に欠ける主張と言わざるを得ません。
補足(1):曖昧な記述による告白や相談は、ハラスメント被害者が二次的被害を回避するための正当な防衛行為です。
私の書いた記事が特異な記述を避け、また曖昧さを有しているのは、二次的被害を回避するように心掛けた結果です。そのような曖昧な記述は、ハラスメント被害者が自身を護るための正当な行動であると私は考えています。
セクシャルハラスメントを含めた様々なハラスメントの被害は、一次的な被害そのものが非常に苦しいものであり、そうであるにも関わらず、その苦しみについての理解や共感、心理的な救いを他者に求めようとすれば、自分の顔や名前などの個人情報を知られることを伴って、二次的な被害を被る可能性も増大するというジレンマが有ります。
そのようなジレンマや二次的被害の苦痛を回避しつつ、匿名性を保ったままで被害者が自らの苦しい胸中を吐露して他者の理解や共感を得ることは、私が利用するはてな匿名ダイアリーの果たし得る貴重かつ社会的な意義のある機能であると、私は認識しております。これは、かつて、はてな匿名ダイアリーに「保育園落ちた、日本死ね」と題する匿名記事が投稿されたことによって、日本の社会全体で議論や改善の動きを促進した事例を思い出していただければ、容易に理解していただけうるものと私は信じております。
私がはてな匿名ダイアリーの機能を活用して、私自身の個人情報を推察されないように曖昧性を持たせ、匿名性を維持したまま、私自身のセクシャルハラスメント被害およびその苦しみについて告白したことは、他者から何ら非難されることではないと私は考えています。
補足(2):仮に「私の記事は、X氏の元・妻ではないと識別可能な程度の具体性を伴って執筆されるべきであった」という要求がなされたとしたら、それは不当且つ過大な要求と言わざるを得ません。
具体的記述をすることによって、私が何者であるかを私自身のハラスメント事例における加害者や私の近しい人たちに察知され、私が二次的被害を被る可能性が増大します。そのような、私の危険に繋がりかねない具体的な記述を要請されたとしたら、それは私の意志や権利に反する不当かつ過大な要求であると私は考えます。
当初は明言を避けてはいたものの、既に私は「X氏の元・妻ではない」ことを明言しております。この明言は、訴訟の可能性を示すという手法によって、X氏から精神的プレッシャーを加えられたことによって判断力が低下したために、不本意ながら行った明言です。不本意というのは、一旦このような明言を行うと、それに続いて、覗き趣味的に「お前が被害を受けた事件とは、事件Aのことか?」「それとも事件Bか?」等々と、人物特定を目的とした質問が次々と発生することを誘発しかねず、そうなると包囲網が徐々に狭められて、ついにはセクシャルハラスメント被害者としての私が誰であるのかを個人特定されて、世間の好奇の目に曝されかねないからです。
仮に、私がX氏の元・妻と第三者に誤認されたのだとしても、ハラスメント被害者に対して個人特定が可能な証言や記述を強制して、被害者の負担を増大させるようなことは避けるべきと考えます。
事実(3):「私がX氏の元・妻ではない」ということが即ち「私がセクシャルハラスメント被害者ではない」ということを意味するということはありません。
X氏は、些か奇妙な主張として「この文章を書いた人間(私)は、自分(X氏)の元・妻ではない。したがって、この人間(私)が書いている内容はデタラメである」という主旨の論理を展開しています。
既に述べたとおり、私は最初から一言も「自分はX氏の元・妻である」と言っていませんし、言外情報によって「自分はX氏の元・妻である」と示唆したり想起させることもしていません。また、私はX氏の元・妻ではないことも(明言することで不利益や危険性が増大するため不本意なのですが)明言もしています。
これも既に述べたことですが、この社会においてセクシャルなもの非セクシャルなもの問わずハラスメント被害の事例は、悲しいことに「ありふれた出来事」と言ってもいいほどに頻繁に見られ、発生件数も多大なるものです。町山智浩氏の虚言を記録したインタビューの中で語られたセクシャルハラスメントが実在しなかったと判明したからと言って、世の中に起こっている多数のセクシャルハラスメントまで実在しなくなるわけではないことは、容易に理解できるはずです。私は、この社会にごまんと存在するハラスメント被害者たちの中の一人なのです。
一つ喩え話をしますが「こいつ(私)はX氏の元・妻ではない。だからセクハラの話はデタラメだ」という論理の構成は「この動物は犬ではない。だから哺乳動物ではない」というのに似ています。しかし「犬ではない哺乳動物(ネコ、ネズミetc.)」がいくらでも存在するのと同様に「X氏の元・妻ではないが、セクシャルハラスメントの被害者である人間」はいくらでも存在することは、すぐに思い至るはずです。論理学の基本を学ばれた方ならば「P→Q」(PならばQである)を否定するのは「¬Q→¬P」(QでないならばPでない)であって、決して「¬P→¬Q」(PでないならばQでない)ではないことはご存知のとおりです。
X氏が「こいつ(私)は自分(X氏)の元・妻ではない」ということを根拠にして、私のセクシャルハラスメント被害まで虚偽であるかのように結論づけようとされていることは、かなり無理があると私は思います。
謝罪すべき点は謝罪し、しかし、それとは別に誤った理解をされているおそれが有ると思った点については、説明すべきと思い、筆を取りました。
とりあえず、この記事は以上です。
元ツイートで参考として出されてるリンクを読んでみたけど、「地域の治安が悪くなり」以外は数値的な裏付けがなくない?
https://appinternational.org/2020/12/06/nmn_response_to_review_of_holbeck/
「性犯罪が増えた」を連想させるのは、「路上セックスワークに関連する反社会的行動の増加を目にしています」に半数近くの住民が「はい」と回答したデータ(図7.1)だが、この質問文では性犯罪かどうか判断ができない
「女性が暴行されることが多くなった」に近いのは、路上セックスワーカーによる暴力事件の通報件数の変化(表5.1)だが、そもそも女性全体を対象にしたデータではないし、セックスワークの発生件数の変化を考慮せず、通報件数だけで「暴行されることが多くなった」という傾向を語るのは無理だろう
「売春を許容することは女性全体を貶める」については、「私は女性の住民が性行為を持ちかけられる頻度が下がったことを目にしています」に6割近くの住民が「いいえ」と回答したデータ(図7.1)が関係しそうだが、「貶める」を「性行為を持ちかけられる」に限定したとしても、この設問では単に改善が見られなかっただけなのか、頻度が増加したのかすら区別ができない
id:ruin20である。自分のIDが出ていたのでいっちょ噛みしておこう。
たわわには巨乳ヒロインが複数登場するが、そのうち、電車の中で会える女子高生のアイちゃんをわざわざ表象に選んでいる意図が抜けている。
元増田が無知なのか無知を装ってるのかは知らんが、アイちゃんが選ばれたのは『たわわ』のシリーズヒロイン、つまりは『月曜日のたわわ』を象徴するヒロインだからだ。
本シリーズは、Twitter上で、「月曜朝の社畜諸兄にたわわをお届けします」と銘打たれて始まった。当初は巨乳少女の水着姿が中心だったが、33回目にアイちゃんが登場する。それまでいいねは1万前後だったがアイちゃんは2回目の登場で2万いいねを稼いだ。作者も(アイちゃんを)「ちょっと気に入った」と述べており、アイちゃんを連続して描くようになる。2回目、あるいは3回目にはぼかしながらも「相手」が登場し、4回目にはスーツ姿の男性らしき人物がアイちゃんの視線の先に現れるようになった。
このように、アイちゃんはシリーズにおいて始めて連続して登場した少女であり、シリーズ飛躍のきっかけになったキャラクターであり、元々はただの巨乳少女を描くだけだった本作に「たわわな女の子と男性」という二者間の関係性を描写するという枠組みを導入したキャラクターなのだ。人気アンケートを取れば当然1位になるだろう。歴史的にもコンテクスト的にも人気的にも『たわわ』の顔であり、だからこそ広告にも登場した。「電車の中で会える女子高生だからアイちゃんがおすすめ」というまとめ方は本質を外していると言わざるをえない。私はここでハンロンの剃刀ということわざを思い出すべきだろうか? 難しいところである。
元増田が無知なのか無知を装ってるのか気になるところは他にもある。
40代以降が萌え絵についていけてなくて価値観がアップデートされていないとか、
上記の根拠として元増田はリスク認知について持ち出している。一定納得するところもあるが、リスク認知が文化的影響を受けるというなら麻薬に対する不安レベルがアメリカより日本の方が高くなるのは明らかにおかしい(当該論文の図4)。レイプの発生件数や発生率はアメリカやイギリスなど先進諸国とくらべて日本が圧倒的に低いと統計的に明らかになっている(※1)が、本邦フェミニストは日本が欧米に遅れた性犯罪大国かのように喧伝する。アメリカに比べて麻薬がまったく社会問題化していない日本の方がそのリスクを感じていたり、レイプ統計を合わせて考えれば実態を伴わないイメージだけで過大にリスクを感じているだけではないのか。
また、元増田はまったく無視しているが、歳を経るごとに『たわわ』に対するイメージが悪化していくのは、若い人ほどオタクに対する偏見やネガティブイメージがなくなっていくからだという点を見逃してはならない。オタクはもともと蔑称であり、宮崎勤事件を頂点に変質者・犯罪者予備軍として社会から差別されてきた。この事件は今40歳であればだいたい10歳ごろにそれを経験している。リスク認知に文化的影響があるというならオタクに対する偏見が社会に満ちていた時代を経験した世代かどうかを無視してはならない。
2010年に行われた調査では10代女性の50.9%は自分がオタクだと回答し、35~39歳の女性は17.6%に過ぎなかった。同調査においてオタクに対するネガティブイメージは10代だと29%だったのに対し、35~39歳は40.5%だった(※2)。自身がオタクである割合が増えればオタクに対するイメージも良化する傾向にある。別の調査元ではあるが、2020年の調査では自分がオタクだと回答した10代女性は86%に増加している(※3)。これらを踏まえれば「40代以降が萌え絵についていけてなくて価値観がアップデートされていない」はむしろ正と言える。
「電車の中の女子高生を性的コンテンツとして楽しむこと」と痴漢等の具体的な性的被害への危機感がリンクするのは、主に被害の実体験を持つ者だからである。
これもありふれた理由付けである。誰かの個別的体験に配慮して表現を規制するのであればあらゆる表現が規制されねばならない。表現規制しろとまでは言ってない、と言うのだろう。しかしこれもいじめではなくからかっただけ、と同じで攻撃者が好むご飯論法だ。
誰かの権利を抑制しようとするとき、そこにはフェアネスが必要だ。オタクや萌え絵を攻撃する連中にはそれがない。
“周囲の大人は痴漢に怒ってくれる、という信頼感を自分にくれた恩人である。” この信頼感の絶対量がもっと多い世の中だったら、たわわも問題にならなかったんじゃないのかな〜と思ったりする“
元増田は上記ブコメに感銘を受けたようだが、俺に言わせれば萌えフォビアのフェミニストにこそ信頼が置けない。月曜日のたわわ、温泉むすめ、宇崎ちゃん、境ホラ、のうりん、人工知能学会表紙エトセトラエトセトラエトセトラ。連中はいくつものコンテンツを燃やしてきたが、それを批判されると反論するのではなく論点を変えてやり過ごそうとする。たわわも最初は公共の場にふさわしくないという話だったが、日経新聞というブランドでやったことが問題視され、次は「見たくない表現に触れない権利」などというものが持ち出され、どちらも論破されると「日経新聞はUN Womenのアンステレオタイプアライアンスのメンバーだから守るべき」という話にすりかわってそれも論破されると元増田のように「講談社の意図が気になる」みたいのが出てくる。もはやいたちごっこであり、誠実さの欠片もない。広告だったことが問題なのであれば何故たわわ以外のコンテンツを燃やしたのか? 主張の一貫性などどこにもない。たわわのような表現によって性犯罪が増えるという統計的裏付けがあるならまだしも出てきたのがたわわのような表現があると不安になる女性がいるから、とか言うんだから話にならない。
萌えフォビアのフェミニストにフェアネスがないのは、ananSEX特集の駅ナカ広告や宮崎県日向市のCMをスルーしたり擁護したりすることからも指摘できる。これを引き合いに出すと決まって必ず「Whataboutismだ!」などと吹き上がる連中がいるのだが、ここで問題にしているのは社会を背景に表現を批判する者が持つべきフェアネスと一貫性である。萌えフォビアのフェミニストがオタクコンテンツを燃やすとき決まって必ず社会性をまとう。私が気に食わないからという理由で攻撃しても誰もついてこないからだ。だから「公共の場所に性的と感じられるコンテンツを置くべきではない」という論調になるが、それであれば渋谷駅の駅ナカで展開されたananのSEX特集の広告など真っ先に批判されるべきだろう。しかしそれをやってるフェミニストは見たことがない。けっきょく「私」が気に入らないから攻撃しているに過ぎず、それであれば「私はそれが嫌いだから私の見えないところにそれをやれ」と言われた方がよほど誠実に感じる。
フェミニストにフェアネスと一貫性があってもっと信頼感があれば言うことを聞く人も増えるだろう。だが今はその対極にいる。その事実をまっすぐに受け止めた方が良い。
※1:https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/64/nfm/n64_2_1_3_4_0.html
あのあたりには暗礁があって、座礁事故も起きやすい場所と聞いています。
沈没した船も去年座礁していたので、船員が暗礁の位置を正確に把握していなかった可能性、船員の腕前が挫傷を回避できるほど高くなかった可能性は考えられると思います。
「どう考えても」ということは上記可能性は否定できるということでしょうか?否定の根拠はなんでしょうか?
当時は低気圧が近づいていて天候が悪かったようです。
実際他の漁船は船を港に返し、沈没した船のところにも退避するよう助言していたとのことです。
ニュース映像でも海保の大型船が煽られてデッキに波をかぶる程度の高い波が確認できました。
一般的には小型船のほうが波に煽られやすく、当該船舶も同等かそれ以上に時化の影響を受けていたと思われます。
「嵐でもないのに」とのことですが、どのような気候を想定されていますか?
また、海保に通報があってから最後通報まで1時間程度経っていたようですが、「突然沈む」とはどの程度の時間をかけて沈むことを想定されていますか?
小型船舶であれば、あくまで一例ですが、過去の事故では沈没まで5分もかからなかった事例があります。
海保によると船舶事故発生件数は全国で毎年年間2000件弱だそうです。死者行方不明者もコンスタントに年間50人を超えているようです。
「突然」とお考えになった根拠は何でしょうか?
海難事故やロシアの事情については素人でよくわかっていないので、ご説明いただけると嬉しいです。
参考にしたURL
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220424/k10013596361000.html
令和2年における海難事故発生状況(速報値)
https://www.kaiho.mlit.go.jp/info/kouhou/r3/k210115/k210115.pdf
で、当然性犯罪の発生件数と全然比例してないやら裏付けがないやら理系的な文脈で突っ込まれまくって理系的な文脈なだけに反論もごにょごにょってしてて、
データとか度外視して文系的な文脈でいくらでも適当な理由つけられるポリコレが流行してからエロ規制したいっていう目的そのままに
理由だけを「性的消費」なるものにシフトチェンジしたみたいな流れじゃなかった?
二次ロリ規制も「ロリコンポルノを規制することで犯罪者予備軍から児童を保護したい(実際の被害が減る根拠は何もないけど」から「ロリコンポルノの存在自体が”政治的に正しくないよね”」っていうのにしれっと変えたイメージ。
エロ漫画愛好家で2000年代のニュー速のエロ規制スレとか結構見てたけどこんな空気だったよなぁっていう記憶。多分間違ってないよね?
返信どうもです。
性依存症治療に携わってる斉藤章佳さんが言ってたけど、性依存症は一度発症すると治療の難易度がとても高くなるので、初犯を犯す前に治療する事が何よりも大事なのだそうです。
なので本来は自分に危ない兆しを感じたら、犯罪に走る前にクリニックに繋がる事が望ましいと言われてるんですよね。あまり知られてないけど。
Twitterやテレビで性依存と治療について発信してる方ですが、アルコール依存症の治療プロセスにかなり近いと仰っていました。
性依存症の治療に完治というものは存在せず、「我慢し続けるスキルを身に付ける」という感じなのだそうです。
(ちなみに性依存症は犯罪に限らず不倫に狂うとかセックスに溺れるとか色々あって、女性にも多いけど、女性の場合は他害ではなく自傷に向きやすいらしい。売春とか破滅的なセックスとか)
※豆だけど、痴漢アプリの会社が調べた所によるとコロナ自粛期間中に電車に乗る人数が減った時は、痴漢の発生件数が激減したらしい。
俺も横だが、元増田は「交通事故の10倍」と書いてるのでそれを言ってるのかと。
「人口10万人あたり交通事故発生件数 全国平均 234.4件」
https://www.insweb.co.jp/car/kisochishiki/jidosha-jiko/jiko-ranking.html
日本の年間コロナ感染者数はぱっと調べて出せなかったが、7日間平均では直近100万人あたり 0.8 とか出てきた
年間に直すともっと多いからさすがに交通事故の10倍ではなさそう。
が、仮に7日平均をそのまま52週で掛け算すると 0.8 x 52 = 41.6。
「手でマスクを触ってるからアウト」という点に対してそれによる感染確率の増加や元の数字が現在すごく少なくワクチン有効性も確認されてる中でそこまで含めて検討せず、交通事故など他のリスクと相対的評価を行わずにアウトと一言で煽るのはおかしいという話だろう。
https://kumamoto-shigikai.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=47&id=693&sub_id=1&flid=1207
バカじゃない?
それってもう他方は男性専用車両だと言ってるようなもんじゃん。
嘘嘘じょーだん。現状は男性に協力を求めているけど女性には何も求めてない。女性丸儲け。
女性を迷惑行為から守ることが目的だからね。責任は迷惑行為をするほぼ男性のせいだから一見異常でもこれで正解なのだ。
(男性専用車両が導入されたらLGBTはどうなる?→女性専用車両は男性が利用しないよう協力を求める。つまり男性専用車両は女性が利用しないよう協力を求める。したがってLGBT(という区分を求めるなら)には何も協力を求めていない。好きにしたまえ)
導入前から月に1,2件あるかないかの状態で導入して効果もクソもあるか
比較対象が1件ってそりゃ導入しても0か1か大穴2件しか発生しねーよ!
んで三ヶ月の試験中に一回発生して導入前と比較して変わりませんでしたって…
いーやこれは試験なんだから良し悪しじゃないのは分かる。変わらないのもデータ。増えてもデータ。
しかしこの…低頻度と言うと迷惑行為を受ける女性陣に怒られるんだろうけどこの発生件数からどういった経緯で二両編成に女性専用を設けようという流れになったのだろうか…
自分の感覚がおかしいだけでこの件数は異常で不安を覚える件数なのだろうか。
JRになるが
https://biz-journal.jp/2018/10/post_25073.html
警視庁が2004年に発表した「卑わい行為被害路線別検挙件数」によると、04年の埼京線の検挙件数は217件となっている。中央線、総武線、山手線などの主要路線を抑えてのワースト1位だ。しかし、10年警視庁生活安全総務課のデータでは100件まで減少し、ワースト2位になっている。ちなみに、10年のワースト1位は中央線の117件だった。10年以降のデータは公表されていないが、どの路線も「痴漢が多い」というイメージが定着してしまうことに反発したのかもしれない。
規模が桁違いだが年間100件にくらぶればすずめの涙のごとくなり。
まあ…なんちゅうか2両編成でおおざっぱに男女に分けたら半々から男側がすこし多しになるよね…って…。
導入前となぜか2ヶ月の1日を比較してるけど、もっと平均とかでみせたほうがよくなくなくない?
あと人数ね。
Wikiによると試験した二つの車両タイプの定員は76と82人。
導入前の人数が67と51、二ヵ月後が92と50。
そんなに混雑してねーな?
最も混雑がひどく、迷惑行為が発生している時間帯7時~9時に運行している便
を設定。(上下合わせて合計8本)
コロナの影響もあるだろうけれど影響があるならなぜ今したしだし。最も発生って3ヶ月のデータだけみると件数に有意差があまりなさそうに見える。それとも「最も」は混雑だけにかかってんの?
まあそんで総乗者数があんまり多くないから2両間の差分もあまり多くならない。
なんかもう誤差レベルっていうか調査日のどっちかに何か5、6人増減するなんかが起きてたら分からんよねって感じ。
不均衡になるほどの土壌がそもそも感じられん。そりゃ2両だし。
これも試験だからさ。データ取りだし。片方が大混雑にならなくてよかったと言えるんだけどさ。乗ったことないしわからんよ?ただ発生件数と乗車率からみてすげー平和そうなんだわ。
男女の不本意な密着が群発しているから設けるってわけでもなさそうに見えるし誰が推し進めてるんだろ。どんな熱弁で試験導入に至ったのかを見てみたい気がするんだわ。
これはまあ今の時代わざわざノーとは言わないだろうしだいたい反対少数でしょ。
そんなに迷惑行為が発生しないしそんなに混雑してないしそんなに積極的に反対できるでもない案件だし男性賛成率が49%でもどうせ可決でしょ。
データとって利用者の声聞いてーってのはすんげー大事なんだが2両編成に女性専用車両を導入する流れに対してなんかどうにもしょぼしょぼしょぼしょぼしょぼな結果が続いて。
男として声を大にして女性専用車両に反対とは言えないものの不公平感を覚えている人間としてすんげーもやっとした気分になったので書き捨てました。
よのなかがまたいっぽあんぜんにちかづいたとおもうのはこころからのすなおなかんそうです。
書き終わって調べたら延長調査してました。結果は変わらず導入だけど。
http://www.kotsu-kumamoto.jp/kihon/pub/Detail.aspx?c_id=3&id=1156
女性車両の利用状況は期間ごとの平均を取り出してよかったと思ったけれど混雑率は相変わらず1日の比較で、差分が逆にかなり大きくなったりしてた中間結果をまるっと無視しているのは好きくないです。
表題に反して、今回は小山田圭吾や村上清の話が主ですが、サブカル全体の話と考えて投稿します。予め言いますが、長文です。
小山田圭吾が障害者や在日朝鮮人に対して虐待やイジメを行った或いは関与したとして、東京五輪を機に一般人に広く認知され、これに伴って、過去に雑誌『Rockin' On(RO)』及び『Quick Japan(QJ)』が小山田に対して行ったインタビュー記事が注目されています。
それと共に注目を浴びているのが【小山田圭吾自身が、スクールカーストの中では上位ではなく、むしろ下位だったのではないか?】とする仮説です。件の雑誌記事でも「小山田圭吾がイジメの加害者だった?!」と、インタビュアーが驚く場面があります。外見的なイメージから「むしろ小山田圭吾は、イジメを受ける側だった」とインタビュアーも想像していたのでしょう。また、インタビュアーだけでなく、これまで雑誌記事の存在を知らず読んだことも無かったファンも同様に、外見的なイメージから「小山田圭吾がイジメをしていたとは想像もできなかった」とショックを受けていた人が少なからず見られました。
あまり他人の外見を云々したくはないのですが、小山田圭吾は顔立ちは整っているものの、身長はどちらかと言えば小柄で、頭部が大きくて肩幅が狭く、体格的には恵まれておらず、お世辞にもスタイルが良いとは言えません。(しかし、そんな小山田圭吾でも「オシャレでイケてるモテ系」に仕立て上げて持て囃すことが可能だった訳ですから、親の七光りやスタイリスト/メイク担当者の優秀さだけでなく、当時のマスメディアと一般人との間に、如何に大きな情報発信能力の差が有ったか、それを指し示す一つの証拠と言えるでしょう。)このような外見的な印象に関しては、アンチだけでなくファンの間にも共通認識が有ったからこそ、インタビュアーもファンも「イジメ加害者」と小山田圭吾がカミングアウトしたことには落差を覚えて驚いた訳です。
小山田圭吾を擁護する人間の一部には「小山田圭吾は、インタビュアー(村上清)に迎合して話を盛ったのではないか?」とする者もいます。
例えば、北尾修一などのQJ関係者、それに小山田圭吾ファンなど、村上清と小山田圭吾を擁護する側の人間の意見を総合すれば、彼らの仮説は概ね「村上清は、彼自身が『いじめサバイバー』だから、いじめ問題を無くすための試みとして連載企画『いじめ紀行』を立ち上げた。小山田圭吾は村上清の人間性に絆されて、連載企画を盛り上げる為に話を盛った」と云う感じです。
正直に言えば私も現在は、小山田圭吾が話を盛ったと云う仮説は少し可能性が有り得ると考えています。しかし、私の仮説は、村上清と小山田圭吾を擁護する北尾修一たちの言うような「美しい関係性」を想定した仮説とは異なります。私の仮説を、以下に述べます。
=仮説ここから=
そもそも「村上清は、社会に存在するイジメ問題を解決する又は発生件数を減らす為に連載企画『いじめ紀行』を立ち上げた」と云う前提は、果たして事実なのでしょうか?(※そもそもの話をするならば、村上清が『いじめサバイバー』とされていること自体も事実であるのか疑わしいのですが、煩雑を避ける為、ここではそれが事実であるものと仮定して話を進めます。)
むしろ村上清は、イジメの「被害者」になったことで彼自身が背負い込んだ劣等感を解消する為に、己がマスメディア関係者となった今(※記事を執筆した当時)こそ、イジメ問題の記事を書くと云う手段/大義名分によって合法的に「加害者」の立場になろうと試みた、それによって「被害者」であることから生じる劣等感の埋め合せにしようとしたのではないでしょうか。
何か/誰かを「観察/取材」して、それに基づいて執筆した記事を雑誌等の公的媒体に「発表」すると云う行為には、一種の「暴力性」が不可避的に付き纏うものです。観察や取材の対象に対して、好意的な感情を抱いている場合ですら。況や、SNS等の個人的なネットメディアが発達した2021年現在とは異なり、当時の雑誌と一般人との間には、情報発信力の差や「何となくマスメディアの人間は一般人よりも格上」と云うイメージなど、圧倒的な権力勾配が有りました。そのような権力勾配を利用して、取材と称して他人の領域にズカズカと入り込むこと、カメラやテープレコーダーを向けること、記事にして発表すること、これらの行為の持つ圧倒的な「暴力性」。
北尾修一によれば、村上清は極めて優秀な人間のようです。そんな優秀な人間が「取材/執筆と云う行為の持つ『暴力性』」に気づかないはずが有りません(それに気づかないならば、端的に言えば馬鹿でしょう)。おそらく村上清は、このように考えたのではないでしょうか。「マスメディアの人間になった自分(村上清)は、今や取材や執筆の名目で合法的に、他者に対して『暴力』を振るうことが可能になった」と。
取材対象者が「被害者」ならば、取材と称して心の古傷を抉り、取材対象者が苦しむところを観察して「加害者」の立場を擬似体験して楽しめば良い。取材対象者が「加害者」ならば、贖罪意識を持つ人間は、良心の呵責を起こさせて苦しむ様子を観察して楽しむも良し、過去の過ちを反省していない人間は、調子に乗らせて問題発言をするように仕向け、社会から批判を受けるように仕向けるも良し。どっちに転んでも村上清にとって「イジメはエンターテイメント」となる訳です。
差別や犯罪の被害者が、その苦しみから逃れる為に加害者の側に立とうとすることは、往々にして有ることです。例えば、白人から人種差別を受けた黒人が、鬱憤を晴らす為に黄色人種を人種差別するように。村上清も、そんな被害者の一人だったのではないでしょうか。
村上清は、彼の取材対象として小山田圭吾を選択しました。その選択の動機には、もちろん既にROの記事が先行して存在したことも有ったでしょうが、ひょっとしたら「オシャレな渋谷系のモテ系のミュージシャンに対して『取材と云う名の暴力』を振るうことが出来る」と云う愉悦の予感も有ったのかもしれません。更に、相手がイジメの「加害者」ともなれば、その悪行を証言させて世に知らしめる事で、世間からバッシングを浴びるように仕向けて復讐することもできると、そう考えたのかもしれません。しかし、村上清が想定した以上にQJの編集者や読者が本物の鬼畜系クズだったことから『いじめ紀行』を発表しても小山田圭吾への批判が一向に高まらなかったために、小山田圭吾を転落させるまでに到らなかったに過ぎないのではないでしょうか。
ここで私は、取材の暴力性に関して、別の可能性も考えます。当時のマスメディアは、果たして本気で「小山田圭吾はイケてる/格好良い」と考えていたのでしょうか?実は「コイツ、ヒョロヒョロのヘナチョコのくせに、自分のことを格好良いと勘違いしてるw」とか「コイツ、無理してワルぶって、イジメを武勇伝として語ってやがるw」とか、マスメディア関係者は表面的には持ち上げつつも、心の底では小山田圭吾を小馬鹿にしていたと云う可能性は無いのでしょうか。持ち上げて落とすのは、何と言っても、マスメディアが好む暴力の典型です。
そして、小山田圭吾も、己自身のスクールカーストが低いと見做されていることや、マスメディア関係者から心の底で小馬鹿にされていることを感じ取って「いやいや、オレはイジメられっ子じゃないから!むしろオレは、イジメる方だったから!」と、ROやQJの取材に対して虚勢を張ったのではないでしょうか。村上清が、もし本当に「いじめサバイバー」だったならば、小山田圭吾には同じイジメられっ子の臭いがすると気づいたかもしれません。もし、そうだとすれば、余計に小山田圭吾が虚勢を張ることに拍車を掛けたことでしょう。「いやいや!オレ(小山田圭吾)はオマエ(村上清)とは違うから!」と。
小山田圭吾が「報道内容には、一部、事実とは異なる部分が有る」と言いながらも、事実関係を説明することを避けて頑なに沈黙を守っているのは、もしもイジメ加害者であることを否定すると、和光学園在籍中の自分のスクールカーストが低かったことを認めることに繋がり、それはイケてる渋谷系として持て囃された自身のプライドが許さないのではないでしょうか。
=仮説ここまで=
さあ、如何でしたでしょうか?北尾修一は頻りに「こう考えるのが自然」「普通こう考える」と云う表現を用いましたが、私はそれを避けたつもりです。
身内であるサブカル業界人(北尾修一)が、自分たちに都合が良いようにアクロバティックに美化したストーリーと、村上清にも小山田圭吾にも利害関係を共有していない第三者(私)が、ごくありふれた話として考えたストーリー。どちらが本当っぽく感じたでしょうか?それは貴方自身が決めて下さい。解釈の無理強いは致しません。
「長々と書いて、一体これが旧体制『映画秘宝』と何の関係が有るんだよ?」と思われたかもしれませんね。しかし、勘が良い方は既に気づかれたはずです。これらの「若かった頃にイケてなかった人間が、大人になってから加害者になることで、若かった頃の劣等感を埋め合わせようとする」「ワルぶって武勇伝を吹聴する」と云う行動様式は、旧体制『映画秘宝』の主流派(町山智浩ら)と瓜二つであると云うことに。それに、小山田圭吾の語るイジメの話に登場する被害者が障害者や在日朝鮮人など反撃が出きなさそうな弱者ばかり選択しているところも、町山智浩ら旧体制『映画秘宝』が(電通・ホイチョイ・フジテレビやジョックスへの怒りや憎悪を唱えつつも、本丸のソイツらを避けて)女性・同性愛者・アニメオタクとかを攻撃対象にしているところに似ています。
要するに、悪趣味・鬼畜系であろうがなかろうが、サブカル業界人は五十歩百歩ということです。
思った以上に長文となりましたが、この投稿は以上です。
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世界保健機関(WHO)は昨年1年間で、中国の交通事故死亡者数が20万人以上に達し、そのうち1万人が児童であることを明らかにした。香港の英字紙「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」が報じた。
子供たちの死亡者数は1日平均で約30人にも上っており、WHOでは「異常に多い数値であり、子供たちは学校への通学、下校時に被害に遭っているケースが多く、中国当局は十分な児童の交通事故対策をとっていない」としている。
なお、日本の昨年の死亡者数は4113人。日中両国の人口の比率からすると、日本ではほぼ5万人に相当するが、その4倍の20万人というのは極めて高い数字ということが分かる。
この原因は急速な自動車の増加にともない、運転マナーが向上していないことが挙げられる。
例えば、2003年には中国全土の自動車台数は2400万台だったが、昨年は1億5400万台と6倍以上に達している。
さらに、100万台以上保有されているのは31都市で、上海、深セン、天津、杭州など8都市は200万台以上で、このうち北京は500万台以上となっている。
このような中国にけるモータリゼーションの急速な進展によって、免許証保有者が急増しており、中国において4分の1弱のドライバーが運転歴3年未満で、その4分の1弱のドライバーが中国全体の35%の事故を起こしているという実態がある。
ところで、中国公安省とWHOでは、発表される交通事故発生件数や死亡者数は大きく異なっている。
中国公安省の統計によると、昨年1月から10月までの死亡事故死者数は8万7200人で、事故数は42万6000件だ。これについて、WHOの担当者は「中国の公安(警察)当局は交通事故のなか「でも重大な交通事故の減少に重きを置いていることなどから、中国では事故件数の捕捉が十分でない状況にある」と指摘する。
つまり、死亡者が出るような重大事故でも報告されなかったり、自動車事故以外の他の原因として報告されるケースが多いということが往々にして行なわれているようだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/81804
白饅頭さんやデヴィッド・ライスさんのことは応援しているけど、この記事はフェミニストと男性学者が受け入れられるものにはまったくなっていないね。
これは統計的差別という概念を正面から否定するものになっており、現代フェミニズムが統計を駆使しながら戦ってきた歴史をも否定することになってしまっている。
例えば、女性専用車両を合法的に成立させている基盤はなんだろうか。
統計上無視できないレベルで男性から女性に対する性犯罪が多く、その逆は圧倒的に少ない。
政策としてもこの統計的傾向は無視できないからこそ、最大多数の最大幸福を優先して専用車両を設けるに至ったんだよ。
加害性の強い属性を強制隔離しない限り、電車内の性犯罪は防げないから。
あれだけ世界各国から勧告されてもなお日本が共同親権制度を拒み、主に母親に親権を付与する形で単独親権制を維持する理由は何か。
父親の加害性、妻や子に対する家庭内暴力とモラルハラスメントの発生件数が母親によるものと比べても圧倒的に多く、共同親権にした時のリスクを無視できないからだよ。
家庭どころか、未成年の時点で既に男子学生と比べて女子学生の方が交際相手からの加害(デートDVと呼ぶことも)を受けやすい傾向にある。
フェミニズムだけじゃない。
EBPMという概念があってね。
https://www.cao.go.jp/others/kichou/ebpm/ebpm.html
EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング。証拠に基づく政策立案)とは、政策の企画をその場限りのエピソードに頼るのではなく、政策目的を明確化したうえで合理的根拠(エビデンス)に基づくものとすることです。
政策効果の測定に重要な関連を持つ情報や統計等のデータを活用したEBPMの推進は、政策の有効性を高め、国民の行政への信頼確保に資するものです。
有害な人物の排除一つとっても、十分な統計的エビデンスを集めてきた上でようやく可能となる。
これだけ統計が重視されている中で、全体の傾向があっても個々の人間には問題がないなどと言っていては、専用車両もアファーマティブアクションも成立させることなどできなかっただろう。