2022-06-01

X氏への公開書簡のようなもの

 私に対する告訴検討しているという人物、ここでは仮にX氏と表記しますが、X氏及び第三者の方々に対して、以下の点について説明します。

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1 私が「X氏の元・妻である」と自称したとするX氏の主張に対して

事実(1):私は、一度も「私はX氏の元・妻である」と自称していません。

 まず明白な事実から述べると、私は「X氏の元・妻である」とは、最初から一言も書いていません。

 これは、はてな社のログ確認できる立場担当者ならば、直ちに確認可能事実であります

 したがって「私が自分のことを、X氏の元・妻である自称した」という指摘は、明白な虚偽であります

事実(2):私の記事には、特定人物を想起させうるような、言外の情報は含まれていません。

 或いは、X氏の側は「それでも私が書いた記事は、言葉による明記はしていないものの、X氏の元・妻であるかのように誤認されうるものであった」と主張されるかもしれません。

 しかし、仮にそう言われたとしても、それは無理のある主張と言わざるを得ません。

 私は、セクシャルハラスメント被害を受けた人間立場として記事執筆しましたが、そのセクシャルハラスメントが行われた場や年月日、関係者個人情報(年齢・職業居住または就業場所など)を一切記載していません。

 また、元・配偶者が、私の受けたセクシャルハラスメント被害について、理解共感被害回復の手助けや協力を示してくれなかったという話についても、ハラスメント被害者のパートナーや伴侶が被害者の苦痛について理解共感をしてくれなかったり、被害回復の手助けをしてくれないという事は、多々あるハラスメント被害事例の中では(悲しいことに)ありふれた話です。

 さらに、セクシャルハラスメント加害者が、夫婦カップルの公私に渡る知己の人物であることも、これもまた(悲しいことに)ありふれた話です。

 セクシャルハラスメント加害者が、年長者であるケースについては、指摘するまでもなく、ありふれた話です。

 つまり、私のセクシャルハラスメント被害について書いた記事には、そもそも「言外の情報」と呼びうるような、特定人物を強く示唆したり、想起させたりするような、特異な描写が含まれていません。

 故に「私の執筆した記事は、言外情報によって、私をX氏の元・妻であると誤認させる内容であった」とする主張は、万が一なされたとしても、それは全くの言い掛かりに過ぎず、不合理で妥当性に欠ける主張と言わざるを得ません。

補足(1):曖昧記述による告白相談は、ハラスメント被害者が二次被害回避するための正当な防衛行為です。

 私の書いた記事が特異な記述を避け、また曖昧さを有しているのは、二次被害回避するように心掛けた結果です。そのような曖昧記述は、ハラスメント被害者が自身を護るための正当な行動であると私は考えています

 セクシャルハラスメントを含めた様々なハラスメント被害は、一次的な被害のものが非常に苦しいものであり、そうであるにも関わらず、その苦しみについての理解共感心理的な救いを他者に求めようとすれば、自分の顔や名前などの個人情報を知られることを伴って、二次的な被害を被る可能性も増大するというジレンマが有ります

 そのようなジレンマ二次被害苦痛回避しつつ、匿名性を保ったままで被害者が自らの苦しい胸中を吐露して他者理解共感を得ることは、私が利用するはてな匿名ダイアリーの果たし得る貴重かつ社会的な意義のある機能であると、私は認識しております。これは、かつて、はてな匿名ダイアリーに「保育園落ちた、日本死ね」と題する匿名記事投稿されたことによって、日本社会全体で議論改善の動きを促進した事例を思い出していただければ、容易に理解していただけうるものと私は信じております

 私がはてな匿名ダイアリーの機能活用して、私自身の個人情報を推察されないように曖昧性を持たせ、匿名性を維持したまま、私自身のセクシャルハラスメント被害およびその苦しみについて告白したことは、他者から何ら非難されることではないと私は考えています

補足(2):仮に「私の記事は、X氏の元・妻ではないと識別可能な程度の具体性を伴って執筆されるべきであった」という要求がなされたとしたら、それは不当且つ過大な要求と言わざるを得ません。

 具体的記述をすることによって、私が何者であるかを私自身のハラスメント事例における加害者や私の近しい人たちに察知され、私が二次被害を被る可能性が増大します。そのような、私の危険に繋がりかねない具体的な記述要請されたとしたら、それは私の意志権利に反する不当かつ過大な要求であると私は考えます

 当初は明言を避けてはいものの、既に私は「X氏の元・妻ではない」ことを明言しております。この明言は、訴訟可能性を示すという手法によって、X氏から精神プレッシャーを加えられたことによって判断力が低下したために、不本意ながら行った明言です。不本意というのは、一旦このような明言を行うと、それに続いて、覗き趣味的に「お前が被害を受けた事件とは、事件Aのことか?」「それとも事件Bか?」等々と、人物特定目的とした質問が次々と発生することを誘発しかねず、そうなると包囲網が徐々に狭められて、ついにはセクシャルハラスメント被害者としての私が誰であるのかを個人特定されて、世間の好奇の目に曝されかねないからです。

 仮に、私がX氏の元・妻と第三者に誤認されたのだとしても、ハラスメント被害者に対して個人特定可能証言記述強制して、被害者の負担を増大させるようなことは避けるべきと考えます

事実(3):「私がX氏の元・妻ではない」ということが即ち「私がセクシャルハラスメント被害者ではない」ということを意味するということはありません。

 X氏は、些か奇妙な主張として「この文章を書いた人間(私)は、自分(X氏)の元・妻ではない。したがって、この人間(私)が書いている内容はデタラメである」という主旨の論理を展開しています

 既に述べたとおり、私は最初から一言も「自分はX氏の元・妻である」と言っていませんし、言外情報によって「自分はX氏の元・妻である」と示唆したり想起させることもしていません。また、私はX氏の元・妻ではないことも(明言することで不利益危険性が増大するため不本意なのですが)明言もしています

 これも既に述べたことですが、この社会においてセクシャルものセクシャルものわずハラスメント被害の事例は、悲しいことに「ありふれた出来事」と言ってもいいほどに頻繁に見られ、発生件数も多大なるものです。町山智浩氏の虚言を記録したインタビューの中で語られたセクシャルハラスメント実在しなかったと判明したからと言って、世の中に起こっている多数のセクシャルハラスメントまで実在しなくなるわけではないことは、容易に理解できるはずです。私は、この社会ごまんと存在するハラスメント被害者たちの中の一人なのです。

 一つ喩え話をしますが「こいつ(私)はX氏の元・妻ではない。だからセクハラの話はデタラメだ」という論理構成は「この動物は犬ではない。だから哺乳動物ではない」というのに似ていますしかし「犬ではない哺乳動物(ネコネズミetc.)」がいくらでも存在するのと同様に「X氏の元・妻ではないが、セクシャルハラスメント被害である人間はいくらでも存在することは、すぐに思い至るはずです。論理学の基本を学ばれた方ならば「P→Q」(PならばQである)を否定するのは「¬Q→¬P」(QでないならばPでない)であって、決して「¬P→¬Q」(PでないならばQでない)ではないことはご存知のとおりです。

 X氏が「こいつ(私)は自分(X氏)の元・妻ではない」ということを根拠にして、私のセクシャルハラスメント被害まで虚偽であるかのように結論づけようとされていることは、かなり無理があると私は思います

 謝罪すべき点は謝罪し、しかし、それとは別に誤った理解をされているおそれが有ると思った点については、説明すべきと思い、筆を取りました。

 とりあえず、この記事は以上です。

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