はてなキーワード: 情報量とは
前にはてブか増田で読んだんだけど何カ国語も話せる学者さんの話でその人は数学を考えるとき日本語や英語じゃ思考のスピードに追いつかないから1番発音数が少なくてすむ中国語で考える、とかそういう内容だった。
コミュニケーションというのは相手に伝わるように論理的に組み立てて話す、ということは知っている。
知ってるけど、話半分だったりもしくは自分の説明力が乏しかった時に相手が言いたいこと100%理解してくれた時の喜びってなんなんですかね。
これはいつも一緒にいる人や仲の良い人だと身内だけに通じる言葉があったり前提の共有ができてるので起こりやすい。
でも全くの初対面の人でも発動する時がある。
エレベーターに乗っていてしばらくすると夫婦が入ってきた。私はこの夫婦がショッピングではなく映画見に行くんだなとなぜか分かったし、そして、駐車場の階数と売り場の階数が連動していないという不親切な設計のこのビルで映画館の5Fではなく駐車場の5Fを夫婦が押してしまってることにも気づいた。
5Fの映画館に行くためには駐車場のエレベーターでは6Fを押さなくてはたどりつけない。
私はこの夫婦が映画館に行くという確証もないのに階数間違えてますよと話しかけた。
しかしこの階数が連動していないという情報をどうやって言語化すればいいのかその時は分からなくて話しかけたはいいもののすぐ言葉に詰まった。
階数パネルを指してあのー……えーっと…としか言えない私。今思うと完全に不審者。ほんとごめん。
でも奥さんのほうがすぐに「ああ!そういうことね。ありがとう」と言って分かってくれた。
そう奥さんもそれだけしか言わなかった。でも全てが通じ合っていた。なんて頭のいい人かと思った。
傍から見たらまったく会話になってない意味不明の人達だ。なにも論理的ではなくただただ直感によってだけ会話している。
でもこういう時私は脳が快感でたまらなくなる。こういう感覚の遥か光年先に藤井翔太さんの試合中の脳内があるのかなって考えたりする。
だから全てを言わずとも、あーはいはいそれ!というノリで話したい。そしてどんどん言葉が削ぎ落とされノンバーバルになってテレパシーで会話がしたい。エレベーターの中の会話なんてほぼほぼテレパシーでしかない。
5chの有名コピペ「閃いた!」「通報した」。このスピード感こそがテレパシーだ。テレパシーが使えたとき人は快感になる。
だから私はテレパシーが通じる人に稀に出会うととても幸せな気持ちになる。
もし世界線が違えばロジックではなくテレパシー能力が発達した世界になったのかな。
※自分がテレパシー好きなの充分理解しているので仕事の時などは特に気をつけて言語を使ってなるべく論理的になるように努力してます。気を抜くとすぐ長嶋さん論法になってしまうので。
学問はフィクションだ。それなのに、無加工なまま偉そうな顔をして現実に居座り続ける「歴史」というものが大嫌いだ。
だって、2次方程式の解が、実数で2個存在するとか存在しないとか心の底からどうでもいい。
虚数と重複度を適切に定義したフィクションの中では、常に解が2個存在するのだから。
つまり、歴史は現実のイベントに引っ張られてしまう。そのイベントの繋がり方は、論理的でも公正でも、ましてや最良でもないのだ。
フィクションであれば、その繋がりを必要な形に変形して、その結果を想像することができる。そこから教訓とすべき事項がわかる。
それなのに、単なる偶然の産物でしかない「歴史」から学ぼうとする奴らは、むしろ、オッカムの剃刀で斬り捨てたいその人名や年号の情報量の多さに比して、与えられる教訓の少なさに不満を言うべきだ。
そういった、こなれてないという点で、歴史はまさに「雑」学であり、学ぶにはコスパが悪すぎる。歴史を学ぶと言わず、歴史を趣味としています、とこれからは正しく呼称すべきだろう。
VRに期待していたのだけど、何年経ってもリアル本屋や100円均一くらいの情報量にならない。
とりあえず情報量を減らすには
体臭→毎日風呂入って消す。せっけんの香りのデオドラントスプレーを8時間置きくらいに脇や足にかける
服→基本数年以内に買った服を着て洗濯。生乾きさせずにカラッと乾かして、シワ目立つならアイロンかける
髪→毎日洗う。美容院行って整える。薄らハゲなら薄毛治療に通うかヅラに頼る。頭の形綺麗ならスキンヘッドにする
髭→毎日しっかり剃る
肌→毎日洗って保湿する。肌荒れ酷いなら皮膚科で改善させる(マスクでカバーはできる)
鼻→鼻毛は抜く。形がどうしようもないほど目立つなら美容整形(マスクでカバーはできる)
口→口臭あるなら歯医者通う。出っ歯気味なら歯の矯正する(マスクでカバーはできる)
立ち居振る舞い→TVバラエティやYouTuberの配信見まくって、今時若者の振る舞い方をなるべく真似するようにする。個性を極力減らす
ってことでいいの?
これはほんとそうだと思うわ。
ニキビ跡死ぬほどコンプレックスだし、実際問題(今はニキビなくても)清潔感ないと思うし。
天パもなんかこう、とっちらかって見えるからだろうな。
そんでも映画とか漫画のストーリーを5分とか10分にまとめてるチャンネルよく見るんすね
その内容そのものっていうよりそこのコメント欄見るのが好きで、
それに特化したコミュニティもメンバーがだいたい決まってたりで雰囲気が硬直化してて面白くないんすね
だけど最近そういったチャンネルを見ることを映画鑑賞だって捉えてる奴がちらほらいることに気がついたんですよね
「こういう動画で映画見れちゃうからアマプラ解約します」みたいな
お前Switchでひたすら体験版ばっかプレイすんのかそれで満足できんのかと
お小遣いからやりくりしてちょびちょび映画借りて観てるしかなかった自分の青春から考えたら
月1000円もかけずに毎日のように映画観れる環境どうなってんの?っておじさんそんな感じなんですけどね
まあ映画ちゃんと2時間かけてまったり観るのってなかなかいいよって
映画鑑賞の楽しさって映画そのものの出来不出来とはまた違うんだよってさ
たとえつまんなくても、ながら見でざっくりとしかわからなくても、
本当。アトピーを治せ、とかやれるならやってるクソボケアホバイスや、整形しろ、みたいなゴミバイスが具体的なアドバイスと言うのならば。
半分本当。半数以上の人が、このあたりをやってないと「清潔感がない」という評価になる。嘘部分は、各種やっても出ないやつは本当に出ない。アトピー跡の残る私なんか人の10倍は肌荒れ気にしてても清潔感がない。くるくる系の天パも清潔感がない扱いされやすい。顔が良い人は無精髭でも清潔感がある評価されがち。
具体的な定義はない。各々が好き勝手に「清潔感」って呼んでる評価軸がある。各々の持ってる評価軸の共通点が「清潔」に近いところにあるから「清潔感」と呼ばれているだけ。よく「清潔感が無いは生理的に無理の言い換え」と言われるが、ほぼそのとおり。「清潔感がない人は生理的に無理」と言ったことがある人は、生理的に嫌だから生理的に嫌というトートロジーを言っているにすぎないと自覚したほうが良い。自分が感じた生理的嫌悪=不快感を「清潔感が無い」と言ってる。結局、個人の「快・不快」という2歳児レベルの二元論で、快なら清潔感がある、不快なら清潔感が無いと言っているにすぎない。
その不快感とは何かと言うと、情報量だ。くしゃくしゃヨレヨレの服よりもアイロンがかかったきれいな服のほうが、ボコボコガサガサな荒れ肌よりもつるっとした肌のほうがポリゴン数少ないだろ。伸びっぱなしボサボサ頭やくるっくるの天パよりも、ツーブロックなりアップバングなりできっちりまとまってたほうが絵に書きやすいだろ。ヒゲも、無精髭はNGでも整ってればOKだったりする。ニオイも、タバコ臭い汗臭い香水もつけ過ぎりゃ臭い。一番好まれやすいのは情報量のない「無臭」だ。勿論”この人の”汗の香りが好き、みたいな個々人のフェチズムはある。それはピカソのキュビズムな絵が好きとかそういった方向性なので別の話。今は写実的な絵の方がうまく見えやすい、という話をしてる。
鼻毛も飛び出てたらそこばっかり気になっちゃって、初対面の人だったら顔関係なく「あの鼻毛出てた人」っていう扱いになるよな?あれは鼻毛の情報量が多いからだ。マスクしてると顔が整って見えやすいのも、マスクの情報量が人間の鼻口まわりよりも圧倒的に低いから。顔を隠せ。男がシャツ着てて乳首が浮いてるのも清潔とは一切関係がないのに「清潔感がない」とされるだろ、あれも乳首の情報量が多いからだ。体型を隠せ。坊主がNGくらいやすい理由も同じだ。頭の形が小峠より綺麗な奴なんてそうそういない。頭の形も隠していけ。顔周りを隠す、体型を隠すことで情報量が一気に削減される。ゲレンデマジックなんて言葉もあるくらいだ。情報量が多い=認識負荷が高い、人に負荷を強いることになり、得も言われぬ不快感が出る。それこそが生理的嫌悪であり、清潔感がないと言われるものだ。
さらに言えば、顔の情報量が元々低ければ、何はなくとも「清潔感がある」とされやすい。顔の情報量が元々高ければ、無精髭が生えてるとかデキモノがあるとかの1点でも「清潔感がない」とされやすい。筆者の言われたことがある「顔に清潔感がない」は「お前の顔情報量多いんだよ」であり、「顔が個性的すぎる」なのだ。私の顔の情報を好意的に受け取ってくれる人は少ない、それ即ち”不細工”である。婉曲表現。顔の認識負荷が高くない、顔が個性的じゃない、つまりは不細工じゃないのが最大の清潔感。
ここまで清潔感とは情報量の少なさである、と持論極論を展開したが、それが周知されたところで
各記事のリンク張りたかったけど増田仕様?9個までしか張れない模様
祝 書籍化
※2020年上半期、cakesでもっとも読まれた記事 15位
アニメ化って難しいなあと思うことがよくあって、ストーリーゴリ押しタイプの作品ならあまり気にならないんですけど、いま見てる宇崎ちゃんとか日常系的な作品ですね、こういうのだと、原作では表現のしようがなかった「コマとコマの隙間」みたいな部分も、動きのなかでは描写せざるを得ない、ってなことがあるわけじゃないですか。たとえば表情の変化とかそういうの。そこに「解釈」の余地が発生してしまう。
その解釈が自分の解釈と合致してればいいんですけど、完全にズレてた場合に、そこから先アニメ見れなくなっちゃう、みたいなことがまれによく発生するので困る。
いち視聴者であるてめえの解釈なんか知るかよバーカって話なんですけど、俺にとって日常系作品ってそういう「隙間」みたいなのを埋めて、キャラクターたちが生きている空間まるごとを消費するところまで含めて娯楽、みたいな部分があるので、楽しみにしてた作品でそういう解釈違いが発生するとつらいなあ、という話でした。解釈の自由度があったところが「決定されてしまう」ことの違和感というか。
あと個人的に巨乳アレルギーがあるのですが、原作では見ないふりできてた宇崎の乳、アニメだとがっつり動くのでかなりきつい。いやそりゃ動くでしょうけど。あの大きさだと。
ちなみに、アニメが先で原作が後っていう順番だと、わりとこの違和感発生しないのはなんでなんだろ。キャラクターに関する情報量の問題なのかなあ。
徹頭徹尾お気持ち案件で、哀しい気持ちをどこかに吐き出したくてこうして増田に書き込んでいる。
「何を言ってるんだこいつは?」と思われそうなタイトルだけど本当にタイトルのまま。推しがとあるCPの二次創作で腕だけにされていた。以降推しをA、そのCPをABとする。
該当の作品を見かけたのは本当にたまたまツイッターのTLに流れてきただけ。腕って本当に片腕だけ描かれてて、その一本の腕がAの名前で呼ばれてて、Aとして認識されていた。(追記:片腕だけの状態で意思を持ってうごうご動いていた。原作のAは五体満足で、腕だけになっても動けるなんて設定は当然ない。あったらここでわざわざ吐き出したりなんてしていない)
あまりにもショックでちゃんと確認できたか自信はないけれど、話題にして盛り上がっていたのはAB界隈の数人だけというのがまだ救いだった。それでも、ただ「なんで?」という気持ちでいっぱいだった。腕って。なんで? もうキャラクターですらないじゃん。
ジャンルの二次創作全体に言えることだけど、原作での情報量がそんなに多くない作品だから、掘り下げが不十分なキャラクターは特徴の一部分だけを誇張して描かれる傾向にあった。Aもその内の一人だ。見た目と振る舞いでギャップのあるキャラクター。それを含めて私はAの魅力だと思って推しているけれど、そのギャップの大きさが一層誇大されて、ギャグ要員として駆り出されることが多かった。いやだなと思う気持ちも少しはあった。でもこれに関してはまだ解釈違いの範疇だと思っている。だから作風が口に合わなかっただけと思うようにして、その手の作品は見かけ次第ミュートなりで自衛していた。
だけど、腕だけという最早Aの原型すら留めていないものがAとして扱われているのは流石に解釈違いでは収まらないでしょ。と思うわけで。
嫌なら見なければ良いっていうのは本当にその通りだと思うから、初めに見てしまった時以降見てない。でも、腕をAと呼んでいた人にとってAは腕だけあればいいのかな、とか。顔立ちや口調、台詞、言動やデザインなど、Aの好きなところを切り捨てられたような気分になってしまって悲しくなった。今でも悲しい。なんでAのことを腕だけにして描いているんだろう。
Aの性転換や行き過ぎたパロディにも思うところはあるが、まだAの特徴や本質が残っているなら検索避けするとか注意書き置いた上で好きに楽しめばいいと思っている。でも今回に限っては、腕一本だけの状態のどこにAの要素を見出しているの? と思ってしまう。どうしたらそれをAと認識できるんだろう。いくら考えてもわからない。
流石に描いている本人たちに伝えるのは気が引けた。Aのことを腕だけにするような人たちとは話したくなかった。
仮に伝えたとして、嫌なら見ないのが一番だと思いますとか、全部幻覚なのでとか妄想ですとか表現の自由とか開き直られたら許せなくなると思ったのもある。
少し逸れるけど、嫌なら見るなって言う資格があるのは鍵アカだけだと思うし、誰でも見られる状態にしておいてその言い分は通らないでしょ。見せてるのはそっちじゃん。
正直なところ、鍵アカだけで盛り上がっていたとしても、Aが腕だけにされている事実にA推しとしては傷つくしひたすらショックなんだけど……だから本当にお気持ち案件でしかない。本当はAB界隈内で自浄作用が働いてくれたら一番良いと思うけど、期待しすぎるのも怖いのでやめておく。
この増田が盛り上がってた人たちの目に留まる可能性が無いとは言い切れないから、その時には悲しんでるA推しがいることを知ってくれたらと思う。
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・追記1:なんとなく見に来たら思ったより反応あって驚いた。ジャンルに関しては某ゲームとだけ言っておく。あと、原作のAが好きで推している人間として「Aとも呼べないものがAとして扱われていること」にショックを受けて悲しんでいるだけなので、別に怒ってはいない。
・追記2:原作内でAにもBにも腕に関する特別な設定や描写、場面は一切無い(原作でそういう描写や扱いがあれば受け入れているし、その手の二次創作があっても当然だと思う)。ついでに言えばAとBに接点はほぼ無いし、原作内で会話したこともない。顔カプだから、という理由だけで唾棄する訳ではない。ただ、接点のないAとBをわざわざくっつけたならAとBでなくては成立しないものを描くのが道理だ(と思う)が、そのAの要素を殆ど無くしたことに疑問を覚えている。
「肝心のストーリーはどうだったのか」という意見も見かけたが、該当の作品はストーリーすらない小ネタ1枚絵だった。ぶっちゃけそのネタもつまらなかったから作品として面白味もなかったし、それAとBでやる意味あったか? とも思った。とはいえ此処で批評するつもりはこれ以上ない。
『この割れ切った世界の片隅で』を読んだ。クソだった。主体性がない。思考停止だ。何が統計だ。
アレは与えられた自我だ。存在しない役を演じようとする愚者に違いない。良く言ってあの文章は何も変えられないし、下手をすれば誤ったメッセージになるだろう。
彼女の本当の仇打ち相手は長崎にも東京にも求めるべきではない。
おめでとう。彼女(君)は偉大なるあの割れた世界の壁(境界)を踏破したのだ。あの誰も越えることの出来ないはずの地域差の壁、格差を。そして熱にうなされた君は他の都会の連中や馬鹿には見えない、触れも出来ないあの透明な壁を崩すことに躍起になっているのかもしれない。だが、本当はわかっているだろう。それは幻想だ。
「けんじゅうのほうが楽しいーー!!」とAを選んだあなたはきっと正解です。身の丈にあった生活を選びましょう。拳銃の方が楽しい人はBを選びましょう。大陸間弾道ミサイルを打ちたい方はCを選びましょう。
テキトーな話は追いておいて、彼女が格差の象徴として提示したこの三つの世界は、フラット化した世界では同じ条件の同じ戦場であり、国連職員を目指す上でも本質的には何も違わない。
チャンスと試験は場所に関わらず平等だ。そのことにどうして気づいていないのだろうか。そうした話をした上で世界や社会ではないところに論点があることを示したい。
『いびきの鳴り響く会場。眠りこけてよだれを垂らす隣のおじいさん。「誰も聞いていないだろう」と適当な話を繰り広げる講師。たった一人聞いている私。全てが嫌になって、アンケートの評価項目すべてに1をつけてワンワン泣きながら外に飛び出した。』
『私のこの「別世界コンプレックス」の決定打となったHLABであった。HLABとは全国から集まる高校生が集まり寮生活を体験するサマーキャンプだ。そのほぼ100%が有名私立高校出身である。』
全然学ばないのな。 いや、悲劇のヒロイン症候群やってるのか。よくもまぁそんなに無駄にできる時間があったものだ。よく調べれば事前にわかることで話は終わっているし、その機会をさらに活用できなかった、しなかったのは君に執念、目的がなかったからだろう。
君の「周り」の人間はさぞかし大変だろう。君はいつも「周り」に大量の支援を要求するくせに、君はツラくなる度「周り」や「身近」が悪いと君の全責任を被せ断罪する。救いの手を差し伸べたつもりのクラウドファンディング支援者も近いうちに全員断罪されるだろう。「どうして半端な希望なんて抱かせたの?」と。
挙句、「お前の成果はお前の努力の成果だと思うな。東京の人間は本屋、電車、塾、ぜんぶがぜんぶに支えられてるたけだ」だと? なるほど、東京に来た君が断トツの最下位になるわけだ。他の奴等は他人の手じゃなく2本の足で支えられてるからな。
君が東京に来ても本屋も電車も塾も君には手を貸さないだろう。東京の人間が君とは異質なままだったように。長崎大学が君を見限ったように。君が同級生を見捨ててきたように。
そもそも世界は既にフラット化している。情報は誰でも大抵の情報は無料で公開されており、ググれば出てくる。SNSを使えばどういうやつが、どういうことをしているか、顔写真も見つかるしコンタクトも取れる。
フラット化した世界では東京と長崎の間には境界も情報格差も存在しないと見なされているし、対等に競争しなくてはならないし、残酷だがそれが可能な時代だ。可能である以上、これは魂の問題だ。
少なくとも東京の敵が長崎から討てる今、あなたの失敗を「周り」や地域格差に帰着させるべき道理はない。
親の資本と同級生の社会階層を東京の金持ち学校の生徒の持つそれと比べたときに有利不利は発生したかもしれないが、それも地域格差の問題ではない。
「情報が無いなんて甘えだ」とでも言うのか?
そうでしょ。それこそ『甘えwww』でしょ。スマホあんじゃん。学校にパソコンあんじゃん。執着があったんでしょ。ならそれを実現する手段を探すなんて当然の行動じゃん。っで君も最初は当然の行動したじゃん。最初だけ。すぐに悲劇のヒロインぶって話を逸らしたけど。
君が現実逃避して望んだように、誰しもが受動的に機会や情報が与えられるようになった世界が存在するならば、君はきっと英語の地方大会は予選落ちだろうし、君が見下していたクラス内ですら君は上位を取れなくなるかもしれない。
君が享受した意欲的な人限定の教育リソースの配給量は減り、凡人間の差が消え帰国子女と文化資本の持ち主だけが圧倒的優位を築くことになるかもしれない。まぁでも君がそれを望むなら、どうか人の邪魔にならない世界の片隅とかでそれを祈っていてくれ。
あと「人の努力は環境のお陰で、帰国子女じゃない私の英語の努力は正義」ってよく言えたね。「格差を言い訳に思考停止してるの甘えwww」だし「クラウドファウンディングとかめっちゃくちゃ甘えwww」だよ。
東京の人間は君と違って地方予選の一回戦から格上との対決も避けられない。その状況下で上を目指すなり、優位性を見つけるなり、撤退するなり、貧困に落ちつくなり自身のあり方が規定される。残酷だね。
一方、半端な君は自分より出来る人間を観光先に見つけては「アイツらは卑怯なだけ」と悪態を付いては逃げ出す。競争による規定から逸脱した上で、地元で他人に責任をなすりつける。幸福だね。
他人と競争するスタートに立ててないし、本当は参加資格もないよ。ヌルさが許容される土地に生まれたことを幸せに、そして誇りに思うべきなのに。
この袋小路の不幸は、君が自身のあり方を君自身で決断する重要な機会を奪った、あの「国連職員」が招いたものだ。
国連職員の方に会った瞬間、涙が止まらなかった。こんなにちっぽけな自分に、雲の上の存在の方が目を合わせてくださっている。
頭を撫でてくださっている。その事実だけで嗚咽が止まらなかった。「遅くとも大学から、できるなら高校から、海外に出たほうがいいよ。」その一言で、心は決まった。
はい、皆さん。これが不幸の種です。希少な現物です。高級品です。粉末にして牛乳に混ぜてコネクリまわすと国連憲章を暗唱する小学生とか作れます。地面に植えたら不幸の木が育ちます。
これはただの社会的地位を悪用した生き方の押しつけだ。どうしてこんな酷いことを言うのだろう。中学校の教師が生徒に「君の実家の都合は知らないし興味ないけど、高校はアメリカの学校に進むと英語が得意になるよ。大学からでも良いよ。でもそれしか君の夢は叶わないから。」と言うだろうか。
国連職員は確かに海外生活が問題なく送れる程度の語学力と修士号が必要だが、現実的な方法として国内の大学で長期留学するか、成績取って海外大学院に進学すれば良いじゃん。
この国連職員はフィリピンの少年院を訪問しても言えよ。『遅くとも大学から、できるなら高校から、海外に出たほうがいいよ。』と。
東京まで行って参加したコンペに関して、受賞歴数バトルしてる世界観なら勝った数だけが大事だが、(もし)執着があったなら心の傷とか言って逃げてないで君は何もわからないなりに参加し続けるべきだったよね。
勝ち方は選べないが、負け方はそれなりに選べる。観光気分で参加した「なんとかチャレンジ」は負けれてよかったね、恥かけてよかったね。次はもっと本質的な醜く哀れな負け方ができたら良いね、そしたらそのうち勝負のスタートに立てたかもね、だ。もう手遅れだが。
これで『私は運命の流れを変えた。』と自称しているのは非常に片腹痛い。君のその薄っぺらい努力で変わる運命ってなんなんだよ。
鞭とわずかな餌で踊りを仕込まれた一匹の動物には、面白おかしい運命の綱渡り芸くらい見せて欲しかった。それが派手に失敗して落下したなら滑稽だった。でも残念ながら差し込んだ光明にも目を背ける君の主体性は植物未満だった。
ヒッピーもどきには難しい話になるかもしれないが、「ある種の」格差是正の担保の仕組みとして公正性・透明性ってあるじゃん。クラウドファウンディングって結構な歪みだよね。あれは君の大好きな格差社会が生み出した富める者の道楽だよ。
他人の人生を、雲を挟んだ安全圏からラジコン操作する道楽より悪いのは相続税100%ではないことかもしれないし、ソクラテスの『国家』が未だ実現されていないことかも知れないし、共産主義革命が実現されてないことかもしれませんが。
クラウドファウンディングの資金は、カンボジアの人跡未踏の山奥の誰にも見つからないところに井戸を掘ったり学校を建てるのに使うのがよい使い道なのではないでしょうか。
へぇ~、コロナは君にとって前向きに作用したんだ。そうなんだ、よかったね。「ふつう」の人はコロナの所為で教育格差が広がって苦しんでるよ。
格差についてもっと言うなら、君が戦うべき、憎むべきは東京の謙虚さの足りないあのおぞましい連中なのだろうか?
声なき声を上げても助けてもらえなかった「君の同級生」は君が主張するように社会の当事者全員で憐むべき対象だったのだろうか?
EFチャレンジという動画スピーチコンテストで何故か決勝に勝ち進み、東京へ母と向かった。
結果は惨敗だった。発音の悪さから能力を見限られたのか、審査員からの質疑応答でも聞かれたのは"Why do you study English?"の1問だけだった。
"Why do you study English?" この質問が全てで、君にはそれ以上の質問は必要ないだろう。っていうかこの質問はあまりに高尚すぎる、勿体ない問いだ。
それに君の周りの「ふつう」はこの質問まで辿りつかないらしいじゃないか。君はこの質問の答えを準備出来ていたのかい?
英語の民間試験が大学受験に必須?英検の受験料が皆払えると思ってるんですか? 思考力や文章力が重視される? 現代文の得点が、触れる情報量の差から圧倒的に地方のほうが低いのをご存知ですか?
留学プログラムの書類。今まで「自分をアピールする」経験なんて一度もしたことない、本当にいちばん海外から遠い子たちは応募書類を書くのもままならないこと、知っていますか?
大好きな統計を持ち出すなら長崎県の大学進学率は45%だ。50%未満だ。(クラウドファンディングを抜きにしても)君は君が所属していると思っている世界の分断の象徴になるのは本当は相応しくないのかもしれないし、君自身の「ふつう」のポジショニングの見直しを検討するべきではないだろうか。
その分断の壁って本当に越えられないものなんですか?
あなたに越えられてあなたの同級生が越えられない程度の壁ってなんなんですか?
どうして平然と英語なんて学んでいられるの?
『どうせ地元で英語の先生をするくらいが限界なんだろうな』と思っていた。でも外国の『不条理のせいで牢獄に囚われている恵まれない子ども達のために、人生を捧げようと思った。』
『しかし、周りのサポートのお陰で「大好きな人に囲まれてここまで来た自分」にアイデンティティを持てるようになった。ようやく、「未来は自分の手の中にある」と思えるようになった。』
いや~流石、雲の上の存在から目をかけてもらえる人間はやっぱ違うわ。選択肢も目のつけどころも「ふつう」とは異なるんだね。きっと雲の上にいる自分自身の明るい未来だけが想像出来ているのだろう。その格差雲から降って湧いたその貴重なお金で是非フィリピンのジャニーズ少年とお友達になって来てほしい。
でも地元で英語の先生する方が私は向いてると思うよ。東京の私立高の高層ブルジョアジーと戦う長崎の自由の女神像を無理なく演じられているようだし、その役回りを続ければよいのではないでしょうか。
あの記事がそうだったように駄目な大人や子供はそれで騙くらかせる。(ついで次世代に呪いも継承出来るかもしれない。)
まぁ君が見捨てようとしている君の地元、「世界の片隅」はその地方消滅まであと何年間猶予があるかは知りませんが。
確かに地元に残るのが良くないのもわかる。きっと君はただの社会の被害者で、君の言うところの「社会を創る」側に値しないのだ。これまでも「周り」の友人、「周り」の社会、「周り」の不条理すら変えられなかったのだから。 (そういう「運命ww」だったのだろう。可哀想に。)
ならば君は「選ばれし側に立つ、想像力が不足した遠くのご友人」とやらに一生祈り続けていれば良い。
「君」と二人称を使ったが、この文章に作者を中傷する目的はない。ただ、あの未熟な文章を読んで世の中をわかった気になってる大人が許せなかった。
人には人の執着、才覚、生まれがある。他人の意見や「周り」にしばられる必要なんてないし、不平等な世の中ならば好き勝手に生きてなんぼだ。
「身の丈に合わせてもらえれば」この言葉が生まれる背景には、「社会を創る層」「そうでない層」の分断があるのではないでしょうか。
地元が恋しいなら君は「国連職員の呪い」とジャニーズ系男子を忘れて地元に残って「社会を創る層」になればよい。
そうでないなら、これまで周囲の不条理に目をつむり地元という鉄格子の中で暮らす人々の苦労に沈黙し続けてきた君は帰属意識も捨て、地元の未来も見限って「そうでない層」として海外で救世主を演じればよい。誰しも、お好きな方を「自由に」選んでよいのだから。
ただそこに迂闊に何か大きな意味を背負おうとしてはいけない。君は日本の不条理と戦う、清く正しき人口の半数を代表する「ふつうの」正義の味方ではない。
まず、そんな大層なものは背負う必要はない。それこそ誰の身の丈にも合わないものだ。奨学金という「ふつう」の努力・競争を踏みにじって得たそのあぶく銭で自分のことだけ考えていればよい。
そもそも何が大多数だ、何が日本の「ふつう」の感覚だ。東京圏に人口の三割が住んでいるんだぞ。三大都市圏で5割超だ。それに長崎も佐世保も中核都市であり「ふつう」の田舎町ではない。
地方間の貧富格差の改善より地方都市の消滅が先で、情報格差はインターネットを活用すればネックにはならない時代だ。東京に住んでいれば、全員が英語を話せるようになる訳でもないし貧困は都市にも存在する。
都市部で行われる資本投下による激しい教育リソースの奪い合いに敗北した先の安定した貧困に落ち着くより、地方でぬくぬく運良く進学校に進めたことを幸せだと思えないのだろうか。
君は大多数の代表ではないし、そもそも一体、何を代表するんだ?君がちゃらんぽらんな態度で東京に目を向け見放した、(端から見捨てていた)生まれてから死ぬまで「ふつう」と日常(地元)の牢獄に縛りつけられる人達と君はもう既に別の視点、価値観を有してるだろう。
君が「地方で苦労している大多数である私達を東京の人間は憐め」「地方で苦労した私の努力を人は重んばかれ」と語るのははっきり言って不快だし、そんなのにシンパシー感じてる大人は反省しろ。お前も「国連職員」、ラジコン・観劇趣味かよ。
彼女に理性と人生を取り戻させてやれよ。あんなクソ以下のつまらない押しつけられた呪われた"社会的な"生き方を本当に演じるなら、祈祷室に籠って一生祈り続けるだけの方がまだマシだ。出て来ないで欲しい。
きっと彼女も大学で学ぶ間に、悲劇のヒロイン役を辞めて自分自身と向きあえれば目が覚めるだろう。社会と個人は違うのだ。覚められればよいが。
俺の意思、経験が入っている事は多少はあるだろう。でもそれはあまり本質的に意味がないだろ。ネットの発言すべてが数値に表さなければいけない訳じゃない。それに一体誰が主観と客観を分離できるというんだ?
それに俺の経験を問うことに何の意味があるんだ?問題があるとしたら経験した人数の過多だろう。そしてその正当性はだれが決める?10人なら狂気か?100人なら正気か?俺一人でも俺にとっては70億の狂気だ。
人が何かに縋って生きているとしても、それ自体を否定する権利はお前にも俺にもないんだよ。まぁ、縋っている物が衝突するならお互いで否定し合う事はあるかもしれないが。
そもそもこの問いかけはアンフェアだぜ。俺に言うならほかの奴にも言うべきだよ。お前はその問いかけを行う相手を選んでいないか?だとしたらその問いかけはお前の趣味じゃないのか?
そもそも、お前は何も捉えていないよ。脳の構造のレイヤで話しているんじゃない。その表れ、社会のレイヤで話してるんだ。お前がいくら言ってもすれ違いにしかならないよ。自転車とマラソンで競争しても意味がないだろ。俺は脳の話をしてるんじゃない。今の話をしてるんだよ。
だから、お前が、承認や、自己否定、自己決定といった社会の一切を否定したいならそれは構わないけど、俺にぶつけたって仕方のない話だ。
そもそも犬と猫も人間も、全部違うんだよ。動物に当てはまることが全部人間に当てはまる訳じゃない。現に俺たちは魚と違って水中で呼吸できないだろ。
前々から友人が楽しんでいるのを知っていたので言われた通りに遊んでみたところ、あるキャラの本編での活躍に惚れ込んだのだ。
それから今までゲームを続けているが推しの情報が少なすぎて拗らせしまった。
新しく出会った推しを知りたい、推しの活躍が見たいと考えるのは当然の流れ。
だがこの推し、プレイヤブルキャラではなかった。そのためストーリー上でしか会えない。
推しは序盤で活躍するためその後の本筋ストーリーは正直期待していなかった。
かなり後から本編を読み出していたのもあって漏れ聞こえる情報からこの先大きな活躍がないことも察しがついてはいた。
それでも他のキャラから話題が出たりサブエピソードで出てきてくれたらいな〜ぐらいに思ってゲームを進めた。
ま〜っっったく出てこなかった!!!!推しは主人公と絡みがなかったのかと思うぐらい出てこなかった。
序盤エピと二次創作を見て食い繋いだ。あと妄想という名の考察もした。公式からの供給が少なく、出てきてもオマケ扱いだったが、少しのことで喜びつつ自分一人で感情を持て余して推しへの感情を日々煮詰めていた。
他の媒体で出番が発生したことには感謝した。がやはり好きなのは公式の推しだった。
推しはネタキャラ扱いされることもあり、Twitterなどでネタ扱いする輩を憎んでいる。そのネタ見飽きたんですがよく飽きないな。
最初からネタキャラ、これからもこのノリでやるよ〜と公式から出されていた訳では無い推しが、ネットでネタ扱いされているのを見るはキツい。
そんなこんなで拗らせたまま公式からの供給もほとんどなく過ごしていたがストーリー更新で推しが登場した。
かつてないほどの情報量に呻き声を上げながら感謝の言葉を公式に送った。
恐らくまたネタキャラ扱いされ、散々推しが馬鹿にされるツイートがまわってくる。
今まで馬鹿にされてネタ化されている所を見てきているし、恐らく公式もそのノリをわかっているのでシリアスには振り切らないつもりだろうなとも。
このまま推しのストーリー露出が増えて嫌なノリが広まるのがとてつもなく嫌だ。推しを嫌いになるような描写をされるかもしれない恐怖もある。
いっそ活躍することを仄めかしたまま、また数年間登場しなくてもいい。
推しの活躍よりもネットで自分が嫌な思いをしたくない気持ちが日毎に大きくなっているのを自覚してとてもしんどい。