はてなキーワード: 情報量とは
自分はWebサービスの表側を作るお仕事に就いていますが、日本人ってサービス系の開発に向いてないよなーと強く思います。
特にWebサービスやアプリについては、まじで向いてない種族だと思います。
一番アカンなーと思うのが、リリース後の開発において機能追加は精力的に行う一方、機能削減はぜーんぜんやらないんですよね。
Webサービスって、リリース直後の段階である程度しっかりとしたUIで組まれていて、機能追加のことは基本的には考慮されていないケースが多い印象があります。
そのせいか、機能が追加されればされるほどいびつなUIとなっていって、最初は見やすかったのに、どんどん見づらくなっていくという…。
そうなってくると途中で全面リニューアルを行わざるを得ないことになるんですが、その頃には元のコードはぐっちゃぐちゃになっているわ元いたエンジニアはやめてるわてんやわんやで、もうどーしようもない状態になっていることもしばしばです。
某イラスト投稿サイトとか、某動画投稿サイトとか、某レシピ投稿サイトとか、某通販サイトとか、どこもひでーもんです。
で、ユーザーからすると「余計なことすんな!」っていう気持ちしか出てこないと思うんですが。
どこの会社もそのWebサービスに社運をかけちゃっているので、リリース後にエンジニアを放置するわけにもいかず、不必要な仕事を無理やり生み出さざるを得ないんですよね。
とはいえ、昨今のWeb系では、専門的なモノはともかく、一般的なWebサービスはシンプルなUIが非常に好まれる傾向にあります。
1画面の情報量はなるべくおさえて、ページ数で機能をカバーするケースがほとんどです。
一方、日本製のWebサービスは、なーぜか1画面に大量に機能を載っけようとする風潮がずーーーーーーーーーーーっと続いています。
理由はめちゃめちゃ単純で、Web界隈のエンジニアやディレクターが誰もWebのトレンドを追ってないからですね。
YouTubeとか覗いてみるとわかりますが、Web系の開発やデザインに関する動画って、日本のものは存在しないんですよね。
https://www.youtube.com/watch?v=qm0IfG1GyZU
これとかわかりやすくて見ごたえがありました。
同じ動画投稿サービスでも、YouTubeはUIがむちゃくちゃ洗練されてますよね。
PCでトップページにアクセスすると、メニューと動画の一覧が表示されて、表示される動画も自分の好みにマッチしそうなものが機械学習によって選別されています。
いざ動画にアクセスすると、まずメインとなる動画が表示されて、そこから導線となる関連動画が表示されて、コメントは遅延読み込みで少しでも負荷を軽減させようとする施策が見えます。
また、ページをスクロールしてもヘッダーが追従するため、いつでもトップページに戻れるし、いつでも検索をかけることができる、非常にユーザーフレンドリーなUIだなぁと。
コピーライトはどこに配置されているかと言うと、左側のメニューの一番下にちょこんと目立たないように置いてあるだけ、めずらしいデザインだと思います。
そんなYouTubeであっても細かく日々UIが更新されていて、恐らくカスタマイスされやすいように実装されているんだろうなーと。
YouTubeでこんな感じなので、日本のエンジニアレベルで追いつけるわけがないんですよね、無理無理。
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【追記】
夜中のテンションで書いた日記が結構見られててびっくりしました。
気になったコメントについて、自分の考えを書いていこうと思いますー。
結構意外でした。
とはいえ賛同される方はコメントを書かれない方も比較的多いと思うので、全体的にどう思われているかまではわからないですが。
PC版もアプリ版もYouTubeは洗練されてると思うけどなぁ、すごくよくできてると思う。
個人の意見なので、賛成意見も反対意見もあって全然良いと思います。
あとGitHubとか、めちゃくちゃ試行錯誤を繰り返してるの本当に凄いと思う。
これはわかる、さっさと直してほしい。
お金的な部分もそうですが、個人的には日本人の民族性が大きく足を引っ張り続けてるのかなーと思います。
導線の話ですかね?
Webについては、日本は表側の開発がすげー弱い印象があります。
他の方も書かれていますが、ユーザーファーストで作られてないがすごいなぁと、開発ファーストというかなんというか。
書き終わったあとに内容が蛇行してんなーと思いましたが、直すのが面倒だったので公開しちゃいました。
わかるー。
トレンドにうるさいだけで画面に反映されてない感。
日本のWebは100人中1人でも需要があれば機能を残しますが、海外は速攻で削除するって記事を見たことがあります。
うーむ、深い。
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日本じゃそうでもないです、日本におけるWebデザイナーって絶滅危惧種だと思ってます。
そもそも1つのWebサービスやアプリがそこまで多機能である必要があるのか?とは思いますねー。
個人的には、Google・Slack・Zoomあたりはかなり洗練されてる感があるなぁと、特にGoogle。
デザインも洗練されてるけれど、導線の貼り方が神がかってると勝手に思ってます。
Amazonあたりは大きくなりすぎたので、今更大幅な変更はできないんじゃないかなと。
他の人の指摘にもありましたけど、自分はシンプルイズベストが大好きなので、必然的にシンプルなデザイン性が好きですね。
ごちゃついてるほうが好きっていう人はどちらかというと少数派だと思ってるんですが、どうなんでしょうか。
わかるー。
そもそも機能を削減するっていう発想自体、持ってる人が少なそうですよね。
そんなにつんけんするなよ、仲良くしよう。
https://tori-setsu.com/?p=9648
https://sbapp.net/appnews/app/upinfo/ios14/app-119312
これはそれなりに意味があって、フォントアプリとか、AdBlockみたいな共有メインなソフトをゴミ箱フォルダ的にぶち込まなくて済むという。ありがたい機能
https://www.lifehacker.jp/2020/09/stop-hoarding-apps-with-the-help-of-ios.html
この記事の一番下に
“ソニック・ザ・ヘッジホッグ”みたいに高速でページをスクロールできます。
と、書いてある様にページを高速スクロールできる様になりました。
さりげなく、ページ数の制限も増えたと思っており、これと高速スクロールを組み合わせると3×3の小さいフォルダよりも大量のアイコンを並べたホームを移動することができます。
このおかげで、フォルダに入れるのではなくホームにベタ置きができ、しかもアクセスが高速にできます。
なんでベタ置きが嬉しいかというとTetherとかSKRWTとかReminiといった入れて次の日にはなんのアプリだったか忘れたアプリにを「TP-Linkのルータ設定」とか「写真に綺麗な加工ができるアプリ」とか「昔の画像をきれいするアプリ」と言ったフォルダに入れることができます。
https://www.kobonemi.com/archive/category/iOS%2014
散々Androidな人たちから馬鹿にされているが、やはりウィジットは便利です。
しかし、なかなか難しく、何をどこに表示するかなという問題があります。
最初のホーム画面にはあると便利あることには間違いないが、4×4はデカすぎます。ほとんど何も置けない
かと言って4×2はちょうどいいかというと情報量が物足りないです。
2×2はスライドで使うしかないのだけど、さらに情報量が減ります。
ちなみにスマートウィジットにSiriからの提案が入ってくるが、これはホームを下スライドしたら出てくるものと一緒なので登録する数に困ったら最初にこれを消すと良いです。
これでフォルダを整理しようとしたのがこの記事のTipsのきっかけ。
iOS13まではアプリを長押しするとウィジットが表示できて、ランチャーソフトはよくそれを使っていたが、これが無効になりました。アイコン系でなければ問題がない様ですが文字が小さく結構不便です。
アプリの設定を変えたいのにアプリの名前を覚えて設定を開くのが面倒です。設定ってそんなに開くべきもんじゃないと思うんですよね
大学で研究者をやってるので、セミナーとか研究会とか学会みたいなものにはこれまでそこそこ頻繁に参加していた。それがCOVID-19ですべてオンラインに移行した。春頃からそうしたオンラインのウェブセミナーをいくつも聞いてきたんだけど、最近まったくモチベーションが湧かなくなってきて、可能な限り欠席するか、出席しても音を消して「ながら」で垂れ流しているだけになっている。
いま思い返すと、リアルな場でセミナーを聞いてたときは、移動時間とか、全身で感じる会場の雰囲気とか、つまらない発表を聞きながら手持ち無沙汰になってメモを見返す時間とか、発表者や参加者とのコミュニケーションとかを通じて、なにか新しいアイデアを思いつけそうな感覚があったし、実際にそれが共同研究に発展したこともあった。リアルなセミナーは「余剰」にあふれていて、それが参加のモチベーションになっていたなと今にして思う。
ところがオンラインのセミナーでは、そういう「余剰」がない。自室でPCを起動させて、送られてきたURLにアクセスして発表を聞いたら、それで終わり。そこにあるのは純粋に発表だけ。内職していても誰にもばれないから、発表がすこしでもつまらなかったら、いつでも聞くのをやめて、環境がフルに整った自室での通常仕事に戻れる。そうすると、発表それ自体の価値にすごくシビアになる。おまけのついていないグリコのキャラメルの味を吟味するようなものだ。論文や書籍と違って、セミナーの発表というのは粗削りなもので、それ自体の情報的価値は実はそこまで高くない。この時間で積ん読になっているあの論文を読んだほうが得られる情報量は大きいではないかとか、この発表を聞くために1時間の貴重な仕事時間や週末の家族サービス時間を捧げる価値はあるのか、とか考えるのが必然となってくる。
そういうことが重なって、オンラインのセミナーに参加する意義をもはや感じられていない。自分が中心的な話題提供者のひとりになって積極的に議論するのなら時間を投資する意義はある。しかしそうでなく、単なる一参加者として聞くウェブセミナーでは、情報収集やアイデア思いつきの効率が極端に悪いことがわかってしまったため、もうまともに参加する気はなくなっている。
時代に追いつけてねえぜ?(決め台詞が終わったのであとは蛇足デフ)
まず、最初に語ろう。
「一瞬を語るには一瞬より長いときがいる」とはギリシャ時代にはすでにあった詩人の言葉だとか。
動画は違う。
一瞬を映すのが一瞬で終わる。
ただし、それを使いこなせてないものは多い。
ニュースをただ読み上げているだけの動画など、写真がある点でラジオに勝ってるだけで、ヤフーニュースに劣るだろう。
しかし、使われているのがニュース動画で、その動画への解説が濃密であれば、その情報密度は文字を遥かに超える。
ニュースですらこれだが、面白さ優先の娯楽用の動画ともなれば、文字では絶対に追いつけない密度となろう。
漫画の方が早いと思うなら、それは単に読み込んでないだけだ。
言葉の僅かなイントネーション、間、能動的カメラワーク変化、コマ割りのテンポ、演者の表情の変化、そういったものを感じ取る力がないだけだ。
得てして、文字の情報密度を語る者たちは、速読もどきの雑な流し読みしかしてなかったり、くだらん装飾に意味を見出したりしてるのだ。
ネットに飛び交う文字列など得てして、雑な要約に雑な要約を重ねて元の意味が消えたたキメラの集合か、滑りっぱなしの寒いギャグのキメラだ。
「背後から強烈な爆発音がしたので、俺はまためんどうなことになったなぁ、とかそういや昼飯も食っていないなぁとか色々な思いを巡らせつつも振り返ることにしたのである。」みたいなもんだ。
アホか
「動画文化のスピード感に慣れた人たちに合わせて、アニメや音楽も作られているという意見に様々な反応」
https://togetter.com/li/1593993
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1593993
なんかもう周回遅れすぎて見てて辛い
動画が遅いのなんて当たり前で、今の若い人は全部1.5~2.5倍速で見てるよ
むしろTVも含めリアルタイム視聴は等倍でつらいから、あえて後から倍速で見てたりする
じゃあ何故若い人は(倍速で見ても)単位時間あたりの情報量が少ない動画メディアを好むかというと、分かりやすさが一番大きい
文章で書かれても、特に新しい知識は想像しづらいし頭に入ってこない
これはまさに参考書と授業の違いみたいなもので、自分が苦手な分野を比べてみたらわかる
例えば料理できない人は、いきなりレシピ見ても何もわからないけど、クラシルとかの動画なら結構なんとかなる
なので動画文化を本当の意味で否定できるのは、小学校から学校も塾も行かず参考書だけで勉強して大検受けて大学行った人とかぐらいでは
ちなみに動画文化の人も文章を読まない訳ではなく、動画を超高速で見て概要だけ把握してあとは別のまとめや感想を見て細部を確認してたりする
まあYoutubeとかまとめサイトとか玉石混交過ぎるので、分かりやすいからってあんまり信じるなよと釘を刺したくはなるけど
あ、元のフックが早い話は娯楽がめちゃめちゃ多くてしかも可処分時間が少ないからでしょ、多分
今の若い人ってブラック企業勤務の人と同じぐらい時間がないからね
だからコロナ禍で急に膨大な時間が手に入ったときには、それこそフックがそんなに早くない古い漫画やアニメやドラマを一気見してたりしたよ
同じものを見ていても、見える世界は違う。教養があるとないとでは感じ方も受け取れる情報量も違う。
それでも見たものを整理し、考え、調べ、他者と言葉を交わすことで、教養を得てより「見える」ようになりたいという貪欲さは持っている。
確かに最後まで見ていけば、考察されていたような内容の大部分にはオフィシャルな解答を提示してもらえる。
けれど、特にアニメというのは「描かない」ことで魅せる芸術だ。映像や台詞で表現されなかった事実を推定していくこともまた、楽しいものだ。
そして、どんな作品も結果さえ見られればスッキリする、というものとは限らない。
作品によっては、読者視聴者に問いかけ、考えさせることによってテーマを浮き彫りにしていくタイプの作品がある。
また、例えこの先解決することが分かっていたとしても、考えることで、現状の苦境に立つ登場人物たちの感情と視聴者である自分の感情を接続することができる。
そうして初めて得られる感動というものがあり、そのために考察とは言わないまでも、内容を反芻していく行為は有用なのだ。
これを怠った場合、話がどんな展開を迎えたとしても「ふーん(ハナホジ)」としかならないリスクがあり、それははっきり言って損だ。
せっかく観るのであれば、楽しみ尽くしたい。製作者の描く世界観に適応し没入したい。そういうクリエイティブに対するリスペクトあってこそオタクであるというものだ。
長編小説のエントリをお見かけしたとき、自分の思考整理のために書いていたものを投げます。
私自身が誰になにを言われたわけでもないんだけど
今いる界隈で字数マウントっぽいのちょこちょこ見るようになったので。
いっぱい書いた貴方はえらいし褒めるし優勝!てなるのはわかるんだけど
じゃあいっぱい書いてない貴方はえらくないのかってことは全然ない。
ひとつの話を完成させてること自体を誇っていこうなという動機です。
というのは、自分が二次創作における文章の文字数に一回仮死状態になったからです。
筆を折ったというよりは筆を止めた。
家にスキャナがなかったので文字を書くことにした類の人間でした。
思いついたお話をかければなんでもよかったし「サイト」をやってみたかっただけです。
自分の考えたことが形になるのは楽しい。というのを繰り返して、
感想をもらって同好の方と交流を持つようになって、同人誌という存在に行き当たりました。
小説とは別にデッサンを習っていたのでそちらの言葉を使いますが
私にとって「書く」ことはクロッキーのようなものでした。速写です。
短時間でいかに核心をつけるか、そのものらしい一瞬をつかめるかが要点でした。
ワンシーンの抜粋、動作の美しさを描写して書き留めておきたい。
けれど本を作ろう、それも折本ではないものを作ろうとするとそれでは持たない。
シーンを複数用意して時系列や構成を思考して配置する必要が出てきて、それが正直めちゃくちゃ面倒だった。
でも油彩や日本画をしようとしたらもっと別の画材がいる。段取りもいる。
デッサンとするにしたって、完成度をあげるなら技法と知識がいる。
30秒や、長くても3分で完結するものばかり描いていた人間が、それを自覚せずに2時間以上、
下手すると無限に時間をかけてもいいものに着手するとそれはもう混乱する。
鉛筆一本だし、チラ裏に描いてたものを本格的に描こうとして「アレッ」てなるのは当たり前なんですね。
今思い返すとこういう言語化ができるけど、当時はできなかったので苦しんだ。
物語を読むことはできるし愛してはいたけど、私が傾倒して読んでいたのはほとんどが詩や短歌でした。
「情景を切り取って見せ方を演出する」が共通していても、小説のそれとは方向性が違う。
あと短時間でたくさん読める。
などの短文の魅力が好きでした。今も好き。
絵に関しても、美しく整えられて丁寧に塗られたカラー絵よりも
要点だけを的確に抑えて踊る筆致に傾倒しがちなので単に好みの問題です。
一口に長編といっても、実際は短編連作だったりする場合もあるので。
読んだの10年以上前なのに今でも思い出すお話あるけど、文字数とか覚えてないしね。
物量と、自分や誰かにとって魅力があるかは全く別なので混同しなくていい。
それがわかっていればよかったんだけど
小説というからには長いほうが立派で、分厚くないとならない。と無言の圧を感じて
(実際、紙媒体として本の形が成り立つためには物理的に必須なのですが)
それは私にはできなかったので、書くことから遠ざかりました。
今は自分がいちばん書きやすい文字数と話のスケールがわかってきたのでまた書いてる。
分量があってスケールの大きい物語を書きたくて目指すのは楽しいけれど
だからといって分量がないものを下に見たり、情けなく思う必要はない。
「こうしなくてはならない」を勝手に制定して自分をジャッジする必要はない。
なかったなぁという回想です。本当になかった。本当にないよ。
万字単位がかけるようになっても、140字以内にあるキラーフレーズが好きだし
3000字以下のショートショートに胸を打たれることがあります。
それに分量があるということはその分その世界に浸っていられる。
これは強い。好きな文章をずっと読んでいられるのは最高に楽しいです。
でも、短い文章が弱いわけでは決してない。恥じる必要は微塵もない。
「削ぎ落としてつくる」を考えさせられるのでとても好き。
長かろうが短かろうが、創りたいものが創れるようになるというのが理想だと思います。
私はインターネットお絵描きマンとか、字書きという呼称が好きです。
軽やかなので。
重厚で肉厚なものと一緒に、インスタントで軽やかなものが同じ空間で息をできるのが創作の醍醐味だとも思う。
そういう覚書でした。
(一般の出版物におけるショートショートは800〜4000字、
短編は4000〜32000字、中編は12万字までのようですが
二次創作においてはもっと細かくて感覚的な区分けがある、という認識です)
つるの剛士が何年も前のツイートを今更掘り返されているらしい。
要約すると「コンビニバイトの外国人の日本語の片言具合が面白くて笑っちゃった」というもの。
外国人の片言日本語「でしゅ」に笑ってツイートをしてしまう事は差別らしく、なるほど、そう言われるとそんな気がしてくる。
ただ自分に置き換えてみると。
語尾に「でしゅ」を付ける人に出会ってしまったら普通に面白いと思うし、僕はその旨をツイートしてしまうと思う。
当然それらの情報はツイの中に入れるとは思うが、相手が特定されるような情報量ではないし、
普段のツイートとなんら変わらない日常の一コマの切り取りの一つだ。
誰だってマックの女子高生の話から拍手喝采が起こったら「マックの女子高生の話から拍手喝采」とツイートすると思うし、そのくらいの話だと思う。
でも何故だろう。
たぶん僕はこの騒動を見て③のシチュエーションに出会ってもツイートしない人間になった。
でも①②だったらツイートすると思う。
差別っぽくないし、たぶん叩かれることもない、というか、日常のツイとして注目もされない筈だからだ。
「でしゅで笑っちゃうのは失礼」とか「Twitter依存しすぎ!」とかもあるとして。
それはそれとして同じ状況において、ある一定の属性の場合に限り何かをしない状況がなんだか差別っぽい。
でもしょうがないよ。
触れるのは危ないから。
向き不向きがあるので一概にテレワークだから育たないとはいえないが
・コミュニケーション不足
・誘惑が多い
この2つではないだろうか。
私としては、人材育成に関して特にコミュニケーションは重要だと考えていて
それを抜きにして理解度を深められる人はそれほどいないのではないだろうか。
ビデオチャットもいいが、直接向き合って話をした場合と比較すると
細かいニュアンスが伝わらなかったり、ちょっとした伝達が面倒になったりと
仕事を覚えてもらうための資料を膨大に用意しなければならなくなるし
その資料を誘惑が多い環境でどこまで理解できるかも疑問である。
ただ目を通せば良いわけではなく、実際にその内容を仕事で活かせるかが問題だ。
もちろん冒頭に書いた通り、向き不向きがあるので
きちんと自分を律することができて、わからないところを調べたり聞いたりできる人なら
大きな問題ではないのかもしれないが、
そうではない人にとってハードルが高いように思える。
「社会人としてそれくらいできて当然だ」と切り捨てるのではなく
半年くらい趣味の話をするTwitterアカウントを運営して、FF比2.5くらいの状態でフォロワー数を4桁いくらまで伸ばして気づいた事である。
アルファツイッタラーのような方々には遠く及ばない車輪の再発明的な気づきだし、こんな煽り文句めいたタイトルには不釣り合いな内容かもしれないが、何かの役に立てばよいと思って記してみる。
第一に、散々いろいろなうさんくさいネットメディアで紹介されているとおり、バズる情報発信(私はTwitterで発信を行っているので以下はツイートと書く)には強い共感が必要である。
趣味の話の場合、それは「こんな面白い・興味深い情報があったなんてすごい!フォロワーにも知ってもらいたい」という感情から来ることが多い。
絵のツイートなら、例えばコスメやコーデのブランドや方法論などをキャラと一緒に詳説したり、美術解剖学の見地から正しい人体の描き方を紹介しているような奴だ。
こういうツイートの情報量は大体、「バカでも分かった気になる程度に知的」なレベルであることが多い。以下、どういうことかを説明する。
まず、専門的すぎる・マニアックすぎる知識は、そもそも「面白い・興味深い」と思ってもらえないことが多い。
ポルシェ911の70年式の内装が、他の年代のポルシェといかに違うかについてアツく語られても、大体は「わたしにはすごさが分からないが、なんだかすごそうだ」という所で止まる。
前提となる知識がないからだ。もちろん分かる人にはRTしてもらえるし、分からない人でも拡散してくれないことはないが、あまり伸びはよくない。
かといってあまりに当たり前・調べればすぐ出てくる知識は、当然ながら言われなくてもみんな知っているので、やはり拡散されない。
あるあるネタみたいなものや、意外と抜け落ちがちな基礎知識なら話は別かもしれないが、あるあるネタを延々ツイートして滑っている人を見るとわりと見ていていたたまれなくなる。
よって「面白い・興味深い」と思ってもらえるようなレベルの知的な情報というのは、多少ググった程度では出てこないが、多くの人に理解できないほど専門的でもないものが望ましい。
その情報自体は知らなかった・身についていなかったが、それを理解するための前提知識はある。なるべく多くの人にそう思ってもらえるような内容が、(個人的には)いちばん手軽にバズる。
このような要件を満たすのが、「バカでもわかったつもりになる程度に知的な情報」ということである。多くの人がアクセスできないものの、理解した気になるのはさして難しくない。そういう情報を探してきてポストすると、大体はいい感じに伸びる。
ひとつ重要なのは、「分かったつもりになればいいので、実際に理解させる必要はない」ということである。分かったつもりになるのは、共感するのと同じくらい嗜癖になる快感でもある。
「人体の正しい描き方!」みたいなツイートに「ふむふむ参考になるなあ〜」みたいな引用RTをしてる奴が、実際にその描き方を参考に練習したり創作している例はほとんどない。
めちゃくちゃマニアックな知識しか持ってない…みたいな人は、それをバカにでも分かったつもりになるよう平易に発信するといいかもしれない。見栄えするよう絵と解説に描き起こしてツイートすれば、大体「なんか理解できそうだぞ」みたいな印象になると思う。
本筋に関係ない情報を入れまくるのは間違いなく悪文ではあるが、作者の感情や熱量は伝わる
逆に、VIPのSSあるいはト書きかな?という拙く文字情報量が足りない作品であっても、内容が単純に面白ければ面白さは伝わる
商業作家の場合は最低限のラインはあるけど、想定は趣味で小説を書くなので、
大切なのは、作者の感情と熱量が伝わるか、単純に内容が面白いか、だぞ
読みにくい作品に対して「読みやすかったです」は嫌味にしかならないから言わないけど (その点についてだけは純粋に褒めている)
フツーにそれしか触れられる点が無いの意なので、喜ばないのは正常な反応と言える
ていうか小説に限らないぞ
読みやすかったですって
中身が無い、もしくは面白さ・目新しさのかけらもないけど、 ライティング技術はあると思いますって意味なので (最初の増田に戻る)
みんな聞いたことある?よくわかんないんだけど、心が揺さぶられるんだよ、あれ。情報量がすごく多い感じがする。そして、懐かしく感じる。なんで良いと感じるか理由を考えたんだが、きっとDNAに昔の名残が刻まれてるんだと思う。日本固有の何かがね。そうすると、昔の人はロリコンだったから、今の人がロリコンなのも別に不思議じゃないし、逆に当然だと思う。でも人は変わらないが環境はもちろん変わっている。だからロリコンなのは別にいいんだけど、それで悪影響を出してしまったらダメだと言うことね。これは、人間のテーマでもあると思う。歴史は繰り返すと言われるが、それは人間が結局変わらないから。車は危ないけど使われているのは、それは人の使い方が悪いから。科学自体も悪くはない。使い方が悪いから悪影響が出る。つまり、人間が悪いのだ。だから今流行ってるロリコンの問題もきっと永遠のテーマだと思うし、それが解決されたときに、人は新しい段階の道の上にやっと乗れるのかな。
バーチャルYouTuber事務所大手のホロライブプロダクション(カバー株式会社)所属の魔乃アロエ氏が本日卒業した。
※魔乃アロエ本人の発言も全て運営の責とする(謝罪配信の台本がセルフ作成でない前提とする)
個人的に魔乃アロエの中身(以下演者)に付き合っているパートナがーがいるかどうかはどうでもいい問題ではある、のだが⋯⋯。
謝罪配信にて「(パートナーとされる方とは)デビューする以前より既に関係を断っている」と発表したのだが、このパートナー疑惑の方のSNSでの口がなかなか軽く、その方が自身を演者の彼氏だと思いこむ狂人でなければ中々真に迫った匂わせ暴露をする方なのである。
最終的に今日の卒業まで予言(と呼ぶのが適切かは知らないが)しており、報道発表の信頼性を著しく損ねている。
同社がコントロールできる立場にない人物に関する言及は控えるべきだった。
というかなんで言ったの?
あと疑惑の方の口から魔乃アロエの事情がペラペラと出るのは情報筒抜けで極めて好ましくないだろう。現在進行で情報漏えいなのでは?と訝しんだが今日は運営の話なのでこれ以上の言及は控える。
noteでブクマされている件にもあるが、謹慎の原因は演者のやらかしであり魔乃アロエのやらかしではない
※魔乃アロエのアカウントで疑惑の方と相互フォローしてしまった件は問題だが内規の問題に過ぎない
※演者のアカウントでデビュー前の魔乃アロエをファンに向けて公開した件は以下略
よって魔乃アロエの演者として謝罪すればよかったところが、魔乃アロエの口から演者と自身が同一人物であるというキャラクター設定ブレブレの謎謝罪配信を実施したことこそが大きなミスと言っても過言ではない。
先に書いた「演者のアカウントでデビュー前の魔乃アロエをファンに向けて公開した件」だが、謹慎時のリリースではマネージャー承認の下実施したと記載があった。
しかし卒業に際しマネージャーひいては運営としての責任問題に関する記載は一切ない。
Live2Dの機密情報漏洩(卒業リリース原文ママ)にカバー社員が関与しているにも関わらず、演者の卒業のみで総括している。
これをどう取るかは材料が無いので断定を控えるが、稚拙な嘘をついたかさもなくば演者の切り捨てに図ったと見られても仕方がない。
2ちゃんスラング「長い三行」の感覚って完全にSNSに浸透しきってる
それって三行以上かけても語り切れない情報量や思想を有しているって前提があるからね
三行以上話せないんだろうなこの人って舐められる愚鈍な人は2ちゃんだと「ROMってろ」て言われて発言権がなかったんだよ
そして三行の掴みで住民の興味を惹いたらかならず詳細の説明を求められた
レス投げっぱなしの奴なんかそのままスルーされてすぐに忘れ去られてた
三行表現って発言の最小単位であって相手が自分の話にじっくり耳を傾ける余裕がないときに仕方なく要約した結果なのだ
三行しか言葉が出てこない有象無象はノイズ扱いされてしかるべきだし
強い言葉を投げかけたくなるほどの激しい憤りを感じ大衆を啓蒙したいと思うのならば
はてなブログなり増田なり諸々素晴らしいサービスがあるのでそちらで懇切丁寧に自分の意見を書き綴ればいいのだ
それができないのならば増田等こういった場で愚衆としてその人格を愚弄されつづけられることは仕方のないことだ
リモートワークとか楽勝だろ
リモートワークの環境とか大層なワード使っているけど、要するに自室の様子。
普通の都市部住みの独身なので1LDK。キッチンは一畳くらいの一人立ったら玄関から部屋に入れなくなるくらいのよくある極狭間取り。
部屋は狭いけど大型家具ほぼ皆無なのですっかすかで広く使える。(TVもねぇ、ソファもねぇ、ベッドも、ヨギボーも、抱き枕もねぇ。だきまくらは最近興味あるけど、かさばるので買う勇気がねぇ)
部屋にある大型の家具は、高さ180cmスチールラックが部屋の片隅、もう片隅に胸の高さくらいの冷蔵庫(上にレンジ乗っけてる)やつ。あと寝具用のマットレス(寝るとき以外は折りたたんでそのへんに立て掛けとく)と布団&枕。
大きめの家具とかはそれくらい。あとは壁というか鴨居に衣類かけてるのと、壁に一枚絵を飾ってる。
スチールラックは高さ調整してスタンディングデスクとして普段使っているんだけど、これは雑事用とか趣味とか、動画視聴、ゲームに使っているので、仕事をするときは使わない。
他の人もよく言ってるけど、仕事するときのマインドを切り替えるためのきっかけとかを調整するために環境を変えて同じデスクでは仕事をしないのは結構効果ある。と主観的には感じる。
朝起きたら一旦日焼け止め塗って近所の公園を小一時間散歩してくる。
帰宅したら汗だくなのでシャワー浴びてから仕事開始。なんでオフィスにはシャワーついてないのかね、夏場っていつも汗ビショビショで仕事開始させるのほんとダルいから、こうやって自宅勤務みたいに外から入ってきたらまずシャワー浴びれるようにしてほしい。
仕事するときは折りたたみ式の台(90cm)を普段使っているスタンディングデスクと反対方向の部屋の隅に持っていて、それにノートPC置いて作業する。
そのへんにある適当な箱を使って高さ調整してPC打ちやすい感じの高さにする。立ったまま仕事する。
オフィスだとずっと座っててくっそ眠くなるので、立ったままの作業は仕事捗る。(個人の感想です)
部屋着はつけると暑っ苦しいのでパンツ一丁。
部屋の隅の情報量はほぼゼロなのでそこそこ集中できる。オフィスってなんで顔つき合わせる形の島型にするのかね。周囲を壁で囲ったほうが気が散らず仕事捗るんだが。生産性落としてなんか良いことあるのかな?
終業時刻になったら散歩&帰宅シャワーでフィニッシュです。仕事モード完全停止。
といった流れになる。
ちょっとした買い物とか用事なんかは仕事開始と終わりの散歩のときにやる