アニメ化って難しいなあと思うことがよくあって、ストーリーゴリ押しタイプの作品ならあまり気にならないんですけど、いま見てる宇崎ちゃんとか日常系的な作品ですね、こういうのだと、原作では表現のしようがなかった「コマとコマの隙間」みたいな部分も、動きのなかでは描写せざるを得ない、ってなことがあるわけじゃないですか。たとえば表情の変化とかそういうの。そこに「解釈」の余地が発生してしまう。
その解釈が自分の解釈と合致してればいいんですけど、完全にズレてた場合に、そこから先アニメ見れなくなっちゃう、みたいなことがまれによく発生するので困る。
いち視聴者であるてめえの解釈なんか知るかよバーカって話なんですけど、俺にとって日常系作品ってそういう「隙間」みたいなのを埋めて、キャラクターたちが生きている空間まるごとを消費するところまで含めて娯楽、みたいな部分があるので、楽しみにしてた作品でそういう解釈違いが発生するとつらいなあ、という話でした。解釈の自由度があったところが「決定されてしまう」ことの違和感というか。
あと個人的に巨乳アレルギーがあるのですが、原作では見ないふりできてた宇崎の乳、アニメだとがっつり動くのでかなりきつい。いやそりゃ動くでしょうけど。あの大きさだと。
ちなみに、アニメが先で原作が後っていう順番だと、わりとこの違和感発生しないのはなんでなんだろ。キャラクターに関する情報量の問題なのかなあ。