2020-08-17

アニメ化って難しいなあと思うことがよくあって、ストーリーゴリ押しタイプ作品ならあまり気にならないんですけど、いま見てる宇崎ちゃんとか日常系的な作品ですね、こういうのだと、原作では表現のしようがなかった「コマコマの隙間」みたいな部分も、動きのなかでは描写せざるを得ない、ってなことがあるわけじゃないですか。たとえば表情の変化とかそういうの。そこに「解釈」の余地が発生してしまう。

その解釈自分解釈合致してればいいんですけど、完全にズレてた場合に、そこからアニメ見れなくなっちゃう、みたいなことがまれによく発生するので困る。

いち視聴者であるてめえの解釈なんか知るかよバーカって話なんですけど、俺にとって日常系作品ってそういう「隙間」みたいなのを埋めて、キャラクターたちが生きている空間まるごとを消費するところまで含めて娯楽、みたいな部分があるので、楽しみにしてた作品でそういう解釈違いが発生するとつらいなあ、という話でした。解釈自由度があったところが「決定されてしまう」ことの違和感というか。

あと個人的巨乳アレルギーがあるのですが、原作では見ないふりできてた宇崎の乳、アニメだとがっつり動くのでかなりきつい。いやそりゃ動くでしょうけど。あの大きさだと。

ちなみに、アニメが先で原作が後っていう順番だと、わりとこの違和感発生しないのはなんでなんだろ。キャラクターに関する情報量問題なのかなあ。

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