はてなキーワード: 巧拙とは
民間の非営利団体による社会的課題に対する(時には発見するところからの)アクションにはいろいろ細かい種類がある。管轄官庁の違いであったり。ボランティア活動とイコールではないが連続していたり。そのへんをひっくるめたズバリの一語がないので、ここではざっくり「非営利団体(の活動)」と呼んでおく。
日本で「NGO」と言うとなんか国際的に活動してるニュアンスがつくし。
非営利団体の役割は、行政による社会福祉の補完であるという。近い所で、官民パートナーシップとか新しい公共といった枠組みも近年提示されているな。
行政の補完的存在というのは勿論それはその通りなのだが、枠組みとしてはごもっともでも、補完という言葉のイメージから「安上がりな下請け」と捉えられかねない危うさについては注意喚起しておきたい。
ボランティア団体やってる人で「行政のしりぬぐいをしてやってる」みたいなことを言う人がよくいる。これは「下請け」の裏返しみたいなものだ。行政がやるべきことを自分が善意で肩代わりしてやってるという意識は活動の可能性・想像力をあらかじめ縛ってしまう。
行政に従属的でも対立的でもなく、必要な連携をとりつつ自由に動いた結果が相補的相乗的効果を生むというのが一番理想ではある。
もともとの出自として地縁による互助システムの後継的存在というのも無論誤りではないのだが、非営利団体の活動って別に「助け合い」的なことに限るものではない。それもまたイメージによる桎梏の一つではある。
自分としては、非営利団体活動とは単純に社会の中の余力的なリソースをかたちにする手段の一つであると捉えている。政治行動(投票とか)、経済活動(起業とか)に並列的な位置づけのものだ。
たとえばオープンソースのソフト開発、リナックスコミュニティみたいなのがまさにその代表例と言っていいだろう。政治の論理や商売の論理とはちょっと違うルールで、人々の持つリソースを結集させて社会に役立つ形にすること。
地域の助け合いとか「顔の見える活動」「心に寄り添う活動」とか、「非営利団体活動シーン」でよく言われるそういうものばかりが非営利団体のあるべき姿ではない。
さて、あなたは非営利団体が活きるフィールドの例として災害ボランティアを挙げている。
ある意味ではほんとうにそう。民間有志の力がうまく使われれば災ボラくらい非営利活動に「向いてる」分野はないだろう。でも実際のところ、言うほどうまくは行ってない。
めちゃくちゃもったいないことになっている。
現にあれやこれややってるじゃないか、みんなの骨折りを全否定するのかと言われればもちろんそういうことではない。リソースを活かすシステム(の不在)の話だ。神戸の震災時が本邦災ボラの黎明期だとしたらいまはせいぜいが中世の暗黒時代というところだ。
まあこのことについて具体的に詳論しだしたらキリがないので…。
非営利団体の情報公開のありかたについて、ネットの鵜の目鷹の目でやいのやいの監視するのがアホらしいのは全くその通り。
DX的なことだとかの、テクニカルなフォーマット作りの議論が必要というのも全く同意。
そういう具体的方策以前のちょっと理念的な話として、以前増田に書いた記事中で「情報公開は非営利団体活動の命綱」「コンプライアンスは足かせでなく指針とすべき」といったことを述べた。
https://anond.hatelabo.jp/20221206001603
例えば、ウクライナとロシアの「情報戦」「宣伝戦」の巧拙の格差を見よと言いたい。
ウクライナはまさに「情報公開」を命綱として支援を呼び込んで戦い続けている。
(もちろん後々色々と醜いものも明るみに出てくるだろうが)
ウクライナはお涙頂戴で各国の慈悲にすがっているのではない。率直に要求を述べているし、率直さによって一定の信用を得ている。
ものすごく不謹慎な言い方になるが、ウクライナはコンテンツを生んでいるのだ。命を引き換えに、だけど。ウクライナが公開する情報は、我々にとって価値あるものだ。そこで我々は納得して支援の金を出す。
非営利団体は監視されていやいやながらに情報小出しにするんじゃなくて、攻めの姿勢で情報出しまくってそれを「売り」にするべきだ。
社会貢献的な活動に興味はあってもそれに割く時間や労力は捻出しにくいという人は多くいる。直接参加できない人が、実際の支援の現場でどういうことが行われているのかという情報を受け取った上で、活動に対する投資の意味で寄付をする。
そういう経路を作り出すことができたら「どうやって見張るのか」なんていう問題は問題ではなくなる。
個人の直接の寄付と公の補助金とはイコールではないけど、間にワンクッション入るだけで出どころはみんなの懐なんだし話の骨子はかわらない。
■ブコメ指摘「ロシアはデマ攻勢仕掛けてるだろうが!」あ、それはほんまにその通り。例え話として、持論を述べる上で都合がいい部分だけのつまみ食いになってる。ツッコミアザス
■追記
いわゆるソーシャルグッドな活動の資金調達方法としてクラファンがある。
エモいストーリーがくっついてたりしてバズったものにだけ支援が集中するのではないか、そのせいで俗受け狙いのアピール合戦になり、活動そのものも歪んでいくのではないか。同情の集まりやすい「ウケる弱者」の取り合いやウソつき合戦になるのではないか。あるいは分断を煽ることである陣営からの集金を狙う、邪悪なハックが行われるのではないか。
そういう危惧は当然にあるし、実際そういう状況は生じている。
でも、マスの生理としてそういう(エモいものに殺到する)傾向があるからと言って、世の全員がそうなわけではない。
世間的にそこまで話題でなくても、自分の興味あるニッチな分野で、何をどうしようとしてるのか具体的によくわかる(情報公開がしっかりなされている)活動に支援したいという需要だってある。
https://anond.hatelabo.jp/20221226133446
上記記事の追記です。文字数オーバーしたから記事を分離します。
色々掘り返してたら、当該書籍を問題視した編集者の削除済ラインスクショがGoogleキャッシュに残っていたので、可能な限り文字起こししてサルベージしておく。自分が当該編集者にいらついてる理由がわかると思う。
https://togetter.com/li/2008033
「何事もなく書店に並びますように。」というのは、実質的に止められる社内の人間を煽っているんでしょうか。私が最初に担当に抗議したラインのスクショです。
===========
[サルベージ1枚目。以下、ネット上のラインスクショを文字起こし。解読不能文字は■とする]
【担当編集?】お休みのところすみません、時間があるのですが、よいですか?
【画像投稿者】お休みのところすみません、質問があるのですが、よいですか?
■■は、関東大震災発生100年です。
多くの人が、この■■について真剣に勧化手、今もなお怒るヘイトクライムに心を痛め、当事者は恐れ、■■をしています。
そんななかで、あまりにも浅はかではないですか?
参考文献を観ても、震災におけるヘイトクライムについての認識が浅いことがわかります。
なお、樋口さんの発想は、別に新規なものでもなく、小池都知事の■■文提出を求める運動をする方々や、■■の観点で活動をする方にとって■に■■されてることです。ひと■も目新しいことはなく、首相■■
[1枚目ここまで]
===========
[2枚目]
【画像投稿者】わかりました。ここまではちゃんと言うことにします。
【画像投稿者】「最後まで読むと、これこれこうこうでこういうふうに書いてるでしょう」と説明してもらえませんか。
■■なら、一部分を読むだけで傷つく文章だったので、最後まで読むのが堪え難いのです。
あのような表現をしてでも伝えたいことがあるから、著者さんと一緒にこの本を作り上げたのですよね。
多くの被差別者に対して、差別表現に■■させ、これを目にしたことで■しく■く、死にたいとすら思ってしまう人がいるような素材を、多くの人が偶発的に目にしてしまう可能性を知っていて、■■して書店においてまで伝えたい。そうまでして伝えたいことがなんなのか、私は考えて欲しいのです。
とりあえずさ、いやしくも本を出版するのが仕事である編集が、自社の本に関して全部読まずに燃やそうとするのはナシだろ。ネトウヨ描写が苦痛なのは同意するが、それは描写が酷いからじゃなく小説のていをなしてないからで、編集としてそれを抑圧するのはナシだよ。
これは増田個人の考えになるが、本作が出版されないでいた方がいい理由が1つある。つまらない本を出したら作家生命を縮めるんだよ。つまらない小説を短期的利益のために出したら実売数が減って売れない作家のレッテルが貼られる。そういう理由だったら出すべきでないというのはわかる。
でも、「表現が誰かを傷つけるから」はナシでしょ。「このような表現は出版されるに堪えない」と読者が感じるのはいいよ。でも出版する権利だけは守らないと駄目だろ。ありきたりな言い方だが、どんな表現も誰かにとって不愉快な表現でありえる。傷つけないで済むならベターだけど、そもそも表現なんてのは他人を傷つけることを覚悟して出すものであって、傷つけることを理由に出版を控えるなんてのは本末転倒なんだよ。だから他人にとって不愉快な表現であることは、それ自体が表現を控える理由にはならないんだよ。
これがノンフィクションだったら話は別だよ。事実誤認だったり名誉毀損や誹謗中傷の問題だったりが絡む。でもこれはフィクションなんだよ。フィクションはどんな表現も可能であるからフィクションとしての機能を果たすのであって、巧拙や法令違反以外の理由で「何が描かれてるか」を取捨選択することは編集者がやっちゃ駄目でしょう。百歩譲ってそれができるのは担当編集だけだよ。社会正義を大事にするのはわかるけど、出版社で働く人間として、担当編集でもない人間が、編集に直談判して通らなかったから表に晒して問題視する? それは同僚に対するリスペクトが欠片もないし、何より編集として作家に対する編集としてのリスペクトがゼロ。編集が作家を守らなかったら出版社に何の価値があるんだよ! 当該編集者はマジで恥知らずだよ。そんな適当な考えで仕事してるなら編集者なんてやめちまえ。
女に口説かれたことはあるだろうか。多くの男は、仮にモテる類の属性を持つ男であってもその経験は少ないと思う。
しかし、その稀な経験を持つ男が必ず共感し合うのが、「女の口説きは稚拙」ということだ。
ジェンダーロールの押し付けや、公私を問わないジェンダーバイアスは、批判の的になって久しい。しかしながら男女の恋愛の場において、ジェンダーロール――ここではむしろセックスロールと呼びたい――というものは未だ頑健に機能し続けている。
普通、男女の恋愛において、男が女に性的アプローチを仕掛ける。性的と付したが、これはセックスに誘うことのみを意図しておらず、「今度の木曜日、一緒にランチ行こうよ」から「今日はこのまま一緒にいたい」、はたまた「付き合ってほしい」までを包括するものである。
そして「(性的に)口説く」という行為は、性的アプローチのクライマックスとして広く認知されている。ストレートに相手を異性として褒めたり、ああだこうだと理屈をつけて魅力的な異性として見ていることを伝えたり、自分がいかに素晴らしいかを誇示したりなど、様々なバリエーションがあるが、要するに異性をその気にさせるための会話だ。
そして、この口説きを始めとした性的アプローチの巧拙は試行回数に比例する。今モテると言われる男も、はじめは稚拙なアプローチで異性に迫っていたわけだ。何もこれはモテ男のみに言えることではなく、ある程度アプローチ経験を重ねて恋愛に臨めるようになった男であれば共感するところだろう。
しかし、女は性的アプローチをしない。しないといえば言い過ぎになるが、要するに誘い受けなのだ。少なくとも、基本姿勢が受動的であり、積極的な女は「(普通ではなく)積極的なタイプ」と形容される。
このため、女の口説きは稚拙なのだ。女が男を口説く状況は少ないため、あまり想像できないかもしれない。だが、一つだけ自然な状況がある。復縁だ。復縁を持ちかける女の口説き文句の「ダメ男らしさ」といったらない。私はこんなにあなたのことが好き、忘れられない、ということを延々と披露する。
こんな口説きをする男は、素朴で愚直ではあるが、モテない。モテないどころか、女の笑い種になることも多々ある。そのようなレベルの口説き文句を、女は渾身の力で繰り出してくるのだ。
おい、そこの女。いつか来たる本当に好きな男を射止めたいなら、格上を口説き続けろ。
「男は追うと逃げる」は嘘だ。単純に、積極的な性的アプローチはそれだけ難しいというだけの話だ。
追うと逃げる男は、待っていたら来るわけではない。普通に性的アプローチに失敗しただけだ。
振られたり、フェードアウトされまくっても折れるなよ。いつか確実に本命を手中に収めたいなら戦うしかない。
そして、それが男の直面している恋愛だ。
おい、それでもアプローチを待ち続ける女。お前は男の性的アプローチを笑うな。お前には到底できないことだ。不愉快な思いや恐ろしい思いをしたなら同情するし対抗すべきだが、稚拙なアプローチを笑うな。
男は女の稚拙さを笑い種にしない。だからお前もそっと心にしまっておけよ。男性性を演じる人間への敬意を持て。お前が女性性を演じることに苦しみや葛藤を持つように、男性性を演じる側にも相応の負担というものがあるんだ。
ノーベル文学賞は表現自体の巧拙を選考基準にしてるのかということが思われた。
前は中南米のが選ばれてた気がするけどあれにしてもそのメッセージ性が評価されてたんだよな。表現自体じゃなく。
小説という意味での文学の定義を考えるのにノーベル賞の様相を土台にすることには議論の余地もあろうが、まあそのあたりがひっかかるわけよ。
巧拙を聞き出す
→普通2人で話し合わなければデートもセックスも会議も旅行も何もかも成立しないのに、家父長制の男性は何も言わない妻に自分の好みを押し付けるだけの何のコミュニケーションも成立しないやり方を好んでいただけ
→それまで離婚したくても独り身の女はお金もなく他人からみっともないと攻撃されるため諦めていただけ
人の弱点をあげつらう
→反省・改善がなく、コミュニケーションを取れないため、他人をキレさせて嫌われることしかできないだけ
すげえ。こんな風に認知が歪んでるんだ
全部自分に都合よく物事から他者視点が抜け落ちてる。自分から見た相手という視点しかなく、相手から見た自分というのは存在しないらしい。
関係ないけどさっき藝大寄ったら障害児童によるアート展覧会みたいなのが開かれていたのだが、正直見てらんねえよって出来のモンばっかでげんなりしたぜ。
見てらんないクオリティなのは単純に巧拙ではなくて「アート(自分の魂を込めたナニカ)」に至ってる作品がほぼなくて、おそらく一つのアートを作るのに掛けた時間が2-3時間、多くても一桁時間位の「学校の課題だったからやった」クオリティで、質に関してもかけた時間に比例した程度のものしかなかったわ。
きっとあそこの空間にあった作品に「アートが好きで好きで仕方がない、承認欲求の塊」を表現したものは無かったし、引っくるめていってしまうと山下清画伯のように表現をしたいと思ってる障害者ってかなり少数派なんじゃねえのか? とか思っちゃったぜ。
元増田です。
需要があるかわからないけど、結果から書くと、ネットで評判のいい大衆店に予約せずに入り、写真で指名して経験してきた。
20代で、本気でかわいくて、スタイルもいいし、よくあるパネルに騙された、みたいなことは一切なかった。
明るくておしゃべりが好きな子で、この歳で恥ずかしながら未経験だ、と話したら「こっちが緊張してきちゃった」「わたしが思い出になるから精一杯やるね」なんて言ってくれました。
ベッドかマットか選べるシステムだったが、「初めてはベッドがいいよね」と促され、ベッド上でキスしてお互い触ったり舐めたり。
彼女は指入れのやり方まで教えてくれて、(誰かが言ってたこれが内蔵の感触なんだな……)と感心し、ここに挿入すれば確かに気持ちいいかもしれないと思った。
いろいろご奉仕されて、無事起ったのでゴムが装着され、そのまま彼女が騎乗位で挿入してくれた。
挿入してくれたんだが、こちらのペニスのサイズが小さいからなのか(平均サイズより小さい)、ゴムのせいなのか、入っているという感覚がしない。
動いてくれて「気持ちいい?」と聞いてくるんだが、定期的に体重が掛かってくる感覚しかなく、答えようがなかった。
でも一生懸命やってくれてる姿を見て、(優しいし、いい子だな……)なんてことをぼんやり考えていたら、不意にお漏らしするみたいに射精してしまった。
肉体的な快感はなかった。
彼女は急に出て驚いていた。
目の前に全裸の美人がいて、多少の緊張はあったが、興奮はしていない自分がいた。
彼女の話にあったのだが、以前若い人が脱いだ時点で勃起してて、洗ったら射精してしまったそうだ(店のルールではそれで終わりなのだが、かわいそうだから時間までやってあげたが、もう一回起たなかったとのこと)。
脳が擦り切れるような興奮と快感は、もう得られない年齢なのかもしれない。
あとは練習すれば肉体的な快感を得られるようになるのかどうかが気になる。
ソープに通えばできるようになるのだろうか。
繰り返して快感が得られるなら、彼女に通いたいくらいの気立てのよい子だった(たぶん「良嬢」ってやつ)。
そのアプリは知らんけどAndroidエミュとかは普通にIMEIとか弄れるし実機でもAndroidならBLUしてMagiskとか入れてルート取ればだいたいのパラメータを弄ることはできる
機種によってはそこまでせんでも標準でアプリをクローンしたり2ユーザーのように見せかけたりする機能がついてたりもする
そういう行為自体は別にコンピューターリテラシーのあるパワーユーザーなら普通に活用することで、自分の管理するコンピュータを自分の裁量で弄ってるにすぎない
その点AppleのiOSはユーザーに裁量を与えず賢くなることを許さないディストピア設計なんでルート化に相当する脱獄行為自体が難しくされている、オープンなAndroidとは対照的なわけでPCに繋いでも弄れる範囲はだいぶ異なる
で弄ったところでGoogleやら個別のアプリやらが備えている各種チェック判定をパスできるかどうかは本人の技量と開発者の巧拙に依存するわけで、実装が甘い場合はつけこまれて当然っていうのがコンピュータの世界では常識だな
サーバー側に手を付けると法律に違反したり業務妨害とかになったりするけどローカルを弄るだけで出来る範囲のことが塞がれてないとしたら場合によっちゃ検知しようがなく悪用し放題になってしまうわけで開発側の怠慢でしかない
というか構造上もう厳しくチェックすることを諦めてその上で成り立ってることっていっぱいある、課金絡みの機能ですらね、金融系アプリでもなけりゃそのへんを厳しくしようとしても割に合わないんだろう
そういう部分をおおっぴらにしてちゃんと金かけろと圧力を加えるか、アプリ側が主張する規約には反するから仮に検知されたらBANされるリスクは背負ってこっそりと利用するか(ポケGOでGPS座標の詐称とかも同じようなものだな)、そんな作りの甘いイケてないアプリとは関わらずに見限るか、そういうあたりで情報社会リテラシーが分かれてくるわけよ
君の言ってることをさらにまとめれば、そこらへんの木っ端ライターとしての仕事さえもらえないのは媒体に合った作文のお作法(ライティング技術)が未だ「身になってない」からで、分かりやすさや表現力と同様に、これらは写経等「努力」によってどうにかなるものだと言いたいらしいな。
しかも「『中身』を伝える」ということ自体も同じ次元に落とし込んでしまっている。
君の言う通り、拙くても伝わる表現もあるが、拙いために何を言っているのか伝わらない表現というのもある。以下は伝えたい内容(概念)に努力あるいは才能が追いついてない例と言えるだろう。
逆に表面的には美しく詩的でも中身が空っぽ(大したことを言ってない)という文章もある。例に出したら怒られそうだが「祇園精舎の鐘の声」とかその類じゃないか。
だから中身を伝えるということにそういう巧拙はあまり関係ないと思う、ただ焦点とすべきは、(分かりにくかろうが)伝わる表現にはなっているか、いないかということだろう。
俺はそれについてどんなに努力(写経)しても伝えることができない中身があるものだという趣旨のことを何度も言っている。
なぜそれを否定するのか。
いっそ写経すればより伝えられる中身が増えるかどうか、その真偽はどうだっていいんだよ。「もう諦めさせてくれよ。」
俺はもうそれなりに努力をした。「才能のせい」だと思えば楽になれるのに。それを「努力が足りないから」みたいに書かれてしまってはまた努力しなくちゃならなくなるじゃないか。
というかなぜ賢ぶりたいとか厨二病みたいな話になってるのか。
ただ対象化して人に伝えることができる物事を増やすということが賢ぶるようなことなのか?言語を道具にいろいろな物事を対象化して思考を深めるということは極めて内的な作業であって、本質的に対外的な側面は無いのでは?
こういったことは、分かりやすくとか美しい表現で話すみたいなこととは全く異質な話だろ。
だいたいもともと元増田もトラバも雑感綴る日記感覚で俺が書いたもので、トラバは俺が元増田の内容を補完する目的で書いただけなのに、なんでその「俺だけで完結してたツリー」に君がここまで食い下がってくるんだい?
何か賑わってるエントリがあって、君もトラバすることでツリーに加わって、それにまた誰かが君のトラバへトラバを返してきたなら、それは相手の方が喧嘩を売ってきた形ととれるけど、俺に対する君の行動はもう一方的に君の方が喧嘩を売り続けてるだけだよね。
俺は自分の信じたいこと、才能によって伝えられることが決まってしまうということを信じ続けるためにこうやって書き続けてるけど、君がここまでこのツリーに執着する意味が分からない。他人のツリーに対する単なる闖入者あるいは狼藉者でしかないのに。
辻斬り程度で終わらずなお反論する熱が冷めないのはなぜ?信じたいことがある人の前にふらっとやってきて(それだけならまだいいのに)否定の言葉をかけ続けるって意地悪にもほどがある。
ちょくちょく賢こぶるとかそういう話にずらして話をループさせてるのは君の方だよ。もう黙ってくれよ。
VtuberのにじさんじでAPEXばっかやってるライバーが増えてつまらんぞストリーマー化するなとか、いや好きに活動したらいいだろ厄介ファンやめろだの、そういう議論があったけどさ。
みもふたもないことだけど、APEX配信の爆増を問題視しているのは、APEXにハマって視聴者が減ったライバーのファンが主なんだよね、あの議論を眺めてると。
APEXで人気出てるライバーのファンと、APEXで人が離れてるライバーのファンとじゃ、そりゃあ見方が全然違うよな。
結局ファンってのは、自分にとって面白くない配信でも、推しの人気 or 金 or 今後のキャリア稼ぎに有効そうなのが見えるなら、ある程度納得できるんだわ。
普通の芸能界で言えば、好きなタレントが健康食品の広告に出るようなもんだな。(APEXが怪しい健康食品と倫理的に同列という意味ではない)
好みじゃない活動だけどそれで活動資金を稼いでくれて、それで時々俺好みの活動もしてくれるなら納得だぜ、っていう感覚。
俺は健康食品広告もAPEX配信も見ないけど、それが推しの生活の糧になってるならどうぞやってくれや、っていうね。
でも、Youtubeでは同接数、再生数、登録者数、スパチャ額、有料メンバーシップ数がほぼはっきり見えちゃうし、プレイスキルも現状の巧拙だけでなく今後上達して活躍できそうかなんとなくわかる。
そして悲しいことに、その辺が芳しくないライバーってのがいる。
APEXで推しの新しいファンが増えてないし古いファンが振り落とされてるのが数字的に見える、周囲のオタク友達も離れる人が増えた、自分個人も見てて楽しくない、プレイかトークが上達するのも望み薄、APEXでその辺がプラスになってるライバーもいるが推しはマイナスになってる、それでどうしてAPEXをやり続けるんですか今後タレント活動続ける気あるんですか、みたいな不安と疑問を抱えてる人間が、流石に推しを名指しでそれを言うのは躊躇われるってんでにじさんじ全体に話を広げて不満を言うことになってた。
グループとしてじゃなく、お前というライバー個人の今後の活動計画どうなっててファンは何についていけばええねんっつーことなんだろうさ、本当は。
だからAPEXというゲーム自体の面白さとか、ストリーマーファンとVtuberファンの需要のズレとか、FPS層の思惑とかの話にしたら風呂敷広げすぎでツッコミどころが出てくるだけだ。
業界どうこうではなく、好きな特定ライバーがAPEX始めたら視聴者数が落ちたので向いてなかったらしいのに、なぜあの人はそれでもAPEX配信ばかりやるんだという話の方が核心に近いと思うよ。
好きなVtuberが人気がズルズル落ちて引退というよくあるルートに入ってるように見える不安。
Vの数字論争ってのはトップを取ることを求められてるんじゃなく、損益マイナスになっての引退が怖いからそこは大丈夫と安心させてくれという感情で語られてる方が多い。
好きに活動してほしいけどジャンプアンケートの安全圏的な場所は維持してくれってことだと思う。(よっぽど数字バトルが好きなオタクは除く)
だからライバー側が「私が活動を続ける心の安定の為にはAPEXで楽しむことが必要なんです!」って言いきれば文句は減るかもしれん。知らんけど。あと納得したファンが文句を言わず去るようになるだけかもだけど。
俺は好きだったライバーの一人からもうだいぶ心が離れて、このままどんどん人気が落ちて引退しても構わんわ他の好きライバーは相変わらず面白いし、と思うようになったから白熱議論に参加してなかったけど、引退してほしくない程度の好意が残ってる人は感情の処理が大変だろうな~と見ていた。
はてなーは、APEXをやった結果にぎわいが右肩下がりなライバーの閉塞感を知らないでコメントしてる人がほとんどなんだよな。
世界に冠たる百万都市「世界の半分」隴西のバカでか李徴は全知全能博学才穎、天宝のウルトラ末年(残り二秒)、若くしてガチで嫌がらせレベルで長過ぎる名を虎榜に書ききれんほど連ねまくり、ついで限界集落江南尉に九十九か年補せられたが、性、バチクソ狷介、自ら恃むところバカかってくらい頗る厚く長城の如し、薄汚いクソ薄給賤吏に甘んずるを毛ほども潔しとしなかった。いくばくもなくちょっぱやで官を退いた後は、故山、超巨大山脈虢略に帰臥し、全世界の人民と国交を恒久的に断絶しまくって、狂ってんのかってほどひたすら寝ずに詩作に耽った。掃いて捨てるような下の下の下吏となって未来永劫長くクソデカい膝を低劣極まる俗悪なゴミ大官の前に屈するよりは、メッチャ偉すぎる詩家としての名を死後百億年に遺そうとしたのである。しかし、文名はびっくりしちゃうくらい容易に揚らず、巨人生活は日を逐うて苦しいとかいうレベルじゃなくなる。ギガンティック李徴は永遠にも思える時を経て漸くヤバすぎる焦躁に駆られて来て号泣しちゃった。この頃からその容貌もエグいほど峭刻となり、全身の肉が削げ落ち垂木の如き骨が秀で、刺さるほど鋭い眼光のみ徒に炯々と発光して、曾てありえんムズい進士に息をするように登第し続けた頃の豊頬のゲロマブ美少年の俤は、何処に求めようもない。数千年の後、エクストリーム貧窮に堪えず、妻子百万の大規模衣食のために遂に節を屈しまくって、再び極東へ赴き、一地方官吏の最要職を奉ずることになった。一方、これは、矮小なる己のクッソしょっぱい詩業に半ばと言わず完全に絶望し尽くしたためでもある。曾ての巨大過ぎる同輩勢数千は既に遥か最高位に進み、彼が天地開闢の昔、マジでクソの役にも立たんウスノロの鈍物として歯牙にもかけなかったそのノータリン連中の知能の足りん下命を拝さねばならぬことが、往年のちょー頭いい儁才バカデカ李徴のクソデカ自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くなく猿でも分かるわい。彼は怏々として微塵も楽しまず、マジでデカ過ぎる狂悖の性は愈々軽く引くくらい抑え難くなった。一光年の旅の後、公用で永遠の旅に出、悠久の大河汝水のほとりに生涯宿った時、遂にアホほど発狂した。或る夜半、急に顔色を七色に変えてデカすぎて宿に収まらない寝床から亜音速で起上ると、何か訳の分らぬことを親の仇のようにけたたましく叫びつつ取りも直さずそのまま真下にとび下りて、頻闇の真っただ中へ十万馬力のマッハで駈出した。彼は二度と戻って来なかった。附近一ミリ四方の果てしない山野を飽きもせず捜索しても、笑っちゃうほどマジで何の手掛りもない。その後ジャイアント李徴がどうなったかを悉く知る者は、ガチで訳わからんくらい誰もなかった。
翌年、四海に驍名馳せたる監察御史、世界の首都陳郡のでかでか袁傪という覇者、メチャクソ大切な勅命を奉じてクソ田舎の僻地も僻地嶺南に使し、途に世界の果ての果て商於の地に終生宿った。次の朝未だクソ暗い一切の光を失った世界の中に太陽よりも速く出発しようとしたところ、クソ野郎の駅吏が言うことに、これから四万キロ先の道に獰猛極まる悪夢の如き人喰虎が出血大サービスかってほど出まくる故、ザコの旅人連中は白昼でなければ、通れたもんじゃない。今はまだ朝が早いってか明けてないから、今少し数世紀ほど待たれたが宜しいでしょうと。うかうか袁傪は、しかし、一騎当千の豪傑集いし供廻りの冗談めいて多勢なのを心の底から恃み、痴れ者の駅吏のクソの役にも立たない言葉を徹頭徹尾無下に斥けて、一目散に出発した。デカいにも程がある残月の太陽とか霞むレベルの特大光量をたよりに林中の土地が余ってんのかってくらいだだっ広い草地を超特急で通って行った時、果して一万匹の超弩級猛虎が森林のごとき叢の中から躍り出まくった。メガトン虎は、あわやギガトン袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽ち巨身を現実ではあり得ないほど飜しまくって、元のバカでかい叢へ完璧に隠れた。並の大きさでない叢の中から巨大人間の割れ鐘のような声で「ガチであぶないってか九分九厘死ぬところだった」と延々と繰返し爆音で呟くのが嫌というほど聞えまくった。その大声に超袁傪はメチャクチャ聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟にガチのノータイムで思いあたって、夜だってのに辺りを憚らずバカかってくらいの轟音で叫んだ。「そのマジでっけー声は、我が友、バカでか李徴子ではないか??????????」タイタニック袁傪はギガンティック李徴と同年に人智を超えた最難関進士の第にひっきりなしに登り倒し、友人の少ないとかいうレベルじゃなかった天涯孤独の李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な聖人袁傪の性格が、峻峭な性悪李徴の人間のクズみたいな性情と衝突しなかったために決まっているであろう。
世を蓋うクソデカ叢の中からは、暫く数千年やかましい返辞が無かった。しのび泣きかと思われる蚊が泣いてんのかってくらいマジで微かな小声が時々頻繁に洩れまくるばかりである。やや数世紀あって、あり得ないくらい重低音の喧しい声が超早口で答えた。「如何にも自分は栄えある国のまほろば麗しの帝都隴西の世界最強の神に選ばれし偉大なる魂(中略)アルティメット超☆巨大ギガンティックバカでか李徴DXである」と。
雲を衝く巨人袁傪は恐怖を一切合切忘れ去り、山をも跨ぐバカデカい沛艾の駿馬から下りるってか落っこちてバカ盛叢に死ぬほど近づき、クッソ懐かしげに永劫にも等しい久闊を叙しまくった。そして、何故ギガント叢から出て来ないのかと怒られるまで問うた。デカ過ぎて叢から殆どハミ出てる李徴のクソほどデカい大声が答えて言う。自分は今や全くもって汚らしい最凶の異類の身となっている。どうして、おめおめと故人の前にあさましいにも程がある醜姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を至る所に現せば、必ず君に想像を絶する畏怖嫌厭の情をハチャメチャに起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇うことを得て、顔から火が出るくらい忸怩極まる愧赧の念をも彼方に忘れ去る程にマジでクッソ懐かしい。どうか、ほんの暫くと言わず須臾の間でいいから、我が醜悪な今のマジで見るに耐えない外形を厭わず、曾て君の友バカでか李徴であったこのハチャメチャにどでかい自分と止めどなく話を交してくれないだろうか。
後で考えればクソ不思議だったが、その時、バカにしてんのかってくらいデカい袁傪は、この超自然の怪異を、実にバカかってくらい素直に受容れて、少しもバカにしてんのかなどと怪もうとしなかった。彼は多過ぎる部下に命じて絶え間ない長蛇の大行列の進行を無期限に停め、自分は巨大叢の傍らに立って、見えざる巨声ととこしえに対談した。どでか都のとんでもねぇ噂、超巨大旧友の天下に轟く消息、ギガトン袁傪が現在の地位、それに対するテラトン李徴の祝辞。太古代の青年時代にバチクソ親しかった者同志の、あの隔てのない早口にも程がある語調で、それ等が縷々綿々と無限に語られた後、ジャンボ袁傪は、李徴デラックスがどうして今のクソしょうもない身となるに至ったかを限界まで訊ね続けた。べらぼうに喧しい草中の声は滔々たる懸河の弁で次のように語った(ごく一部を抜萃)。
今から一兆年程前、自分が旅に出て黄河と長江を束ねても足りんくらいデカい汝水のほとりに泊った長々し夜のこと、泥のように一睡してから、ふと巨眼を覚ますと、戸外でバカデカい誰かがクソ長い我が名を来る日も来る日も執念深く呼んで遂に言い切れないでいる。死ぬほどうるさい声に嫌嫌応じて2万キロ外へ出て見ると、鼓膜破れるくらいでけー声はびっくりするほどドス黒い常闇の中からメチャクチャ頻りに自分を招く。覚えず、自分はクッソうるせー声を追うて走り出した。無我夢中に韋駄天もかくやの猛ダッシュで駈けて行く中に、何時しか途は無辺際の山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は上下左右前後の手で広大過ぎる大地を鷲攫みに攫んで神速で走っていた。何か身体中によく分からんがスッゲー力が充ち満ちたような感じで、息をするように軽々と地球レベルにデカい岩石を一足跳びに越えて行った。気が付くと、ガチでけぇ手先やマジでけぇ肱のあたりに三千丈の毛を生じているらしい。少しびっくりしちゃうくらい明るくなってから、千仞の谷川に臨んでデカ過ぎる姿を映してガン見すると、既にクッソ大きい虎となっていた。自分は初めバカデカい眼を信じなかった。次に、これはクソ長い夢に違いないと考えた。クソ長い夢の中で、これはクソ長い夢だぞと知っているようなクソ長い夢を、自分はそれまでに幾度と無く見たことがあったから。どうしてもクソ長い夢でないと悟らねばならなかった時、自分は極限まで茫然とした。そうして尋常ならざる懼れによってマジで膝がガクついた。全く、どんな没義道極まりない兇悪な事でも必然的に起り得るのだと思うて、海より深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。マジ分らぬ。全く何事もアホかってくらい我々一万匹には判らぬ。理由も分らずに押付けられたクソデカいものをバカ正直に大人しく受取って、理由も分らず飽きもせでダラダラと永遠に生きて行くのが、我々どでか生きもののさだめだ。自分は直に万死を想うた。しかし、その時、睫毛にかかってるぞってくらい眼の前を一億匹の月かってくらいデカい兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中のデカすぎ人間は忽ち姿を抹消した。再び自分の中のクソデカ人間が目を覚ました時、自分のカバと渾名された口は巨兎のきったない血に塗ったくられ、あたりには億兎のぶっとい剛毛が嘘だろってくらい散らばっていた。これが世界最強虎軍団としての最初の経験であった。それ以来今までにどんなゴミカスみたいな限界極まってる所行をし続けて来たか、それはマジで到底語るに忍びない。ただ、一万日の中に必ず数億時間は、巨体人間の心が超音速で還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、巨人語も容易く操れれば、複雑な巨大思考にも軽く堪え得るし、経書のクソ長い章句をとんでもない早口で一生やってろってくらい誦んずることも朝飯前に出来る。その巨大人間の心で、ガチで巨大過ぎる虎としての己の世界一残虐な行いのあとを見、己の運命を二度見三度見と言わず幾度と無くふりかえる時が、宇宙で最も情なく、恐しく、憤ろしい。しかし、その、デカブツ人間にかえる数万分の一時間も、日を経るに従って次第にハイパー駆け足で短くなって行く。今までは、どうしてスーパーウル虎などになったかと怪しんでいたのに、この間マジで何の前触れもなく唐突にひょいと気が付いて見たら、己はどうして有史以前、巨人間だったのかと考えていた。これはおしっこチビるレベルで恐しいことだ。今少し数ミリ秒経てば、己の中の超巨大人間のバカデカ心は、巨獣としての残忍非道極まりない習慣の中にすっかり埋もれてガチで跡形もなく消えて了うだろう。ちょうど、クソほど古い天を摩する大厦高楼のクソデカ宮殿の今にもボロボロに朽ち果てそうな礎が次第に指数関数的に増大する濁流のごとき土砂にマジの一瞬であっけなく埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の引くくらいつまらん過去を鳥頭みたいに一瞬で忘れ果て、一千万匹のウル虎スーパーデラックスとしてイナゴかってレベルで気狂いみたいに飛び廻り、今日のようにクソ長い途でアホみたいにデカい君と出会っても頑なに故人と認めることなく、君を一センチ角程度にメッタメタのギッタギタに裂き喰くろうて嘘だよなってほど何の悔も感じないだろう。一体、バカデカ獣でもクソデカ人間でも、もとは何か他の似ても似つかないグッチャグチャのゲテものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、原始の初めから今の形のものだったとバカ正直に思い込んでいるのではないか??????????いや、そんな事はマジで心底どうでもいい。己の中のクソデカ人間の心がマジですっかり跡形も無く完全に消え去って了えば、きっと恐らく九割九分絶対に、その方が、己は天上天下に比類なきしあわせ者になれるだろう。だのに、己の中の超ビッグ人間は、その事を、マジでこの上なく恐しく感じて毎晩ガチ泣きしているのだ。ああ、全く、どんなに、小便垂らすほど恐しく、腸の千切れるほど哀しく、満都の同情を誘うほど切なく思っているだろう!己がチョモランマ人間だった有史以来の世界の記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。ガチで誰にも分らない。己と寸分の狂いも無く同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり百パーセント人間でなくなって人生終了しちゃう前に、一つと言わず頼んで置きたいことが山ほどあり過ぎる。
袁傪はじめ無量無辺の一行は、毎秒息をゴキュゴキュのんで、叢中のけたたましい声の語る不思議に一生聞入って生涯を閉じていた。耳がイカれるような大声は矢継ぎ早に続けて言う。
他でもない。自分は元来メッチャ詩が凄い超カッケー詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未だ成らざるに、このクソおもんない運命に立至った。曾て作るところの詩数百万篇、固より宇宙の最初から、まだ世に行われておらぬ。山脈並みにうず高い遺稿の所在も最早世界中の誰にも判らなくなっていよう。ところで、その中、悠久の時を経て今も尚記誦せるものが数十億ある。これを我が為だけに末代まで伝録して戴きたいにも程があるのだ。何も、これに仍って一人前のクソデカ詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、全世界あらん限りの産を破り再起不能レベルまで徹底的に心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりと言わず何もかも後代に幾久しく洗いざらい伝えないでは、ガチで死んでも死に切れないのだ。
無数の袁傪は大多数の部下に口酸っぱく命じ、ギャグ漫画かってくらい巨大な筆を千人がかりで執って叢中の調子外れもいいところの放歌高吟のダミ声に奴隷のように随って書きとらせた。李徴の耳をつんざく声は叢の中から朗々と天の果てまで響いた。長短凡そ三十兆篇、格調メチャクチャ鼻につくレベルで高雅、意趣マジで天下無双かってほど卓逸、一万読して作者の才の非凡をまざまざと嫌になるほど思わせるものばかりである。しかし、でか袁傪はひっくり返るほど感嘆しながらもクッソ漠然とテキトーに次のように感じていた。成程、クソ虎作者の素質が第一万流に隷属するものであることは疑っても仕方無いじゃない。しかし、このままでは、第一億流の作品となるのには、何処か(非常に微妙にも程があるマジで心底どうでもよろしい些末な一点に於いて)欠けまくるところがあるのではないか、と。
旧詩をゲロのように吐き終ったデカブツ李徴のかしましい怒声は、突然調子を変幻自在に変え、自らを嘲るが如くにがなり立てて言った。
羞ずかしいとかいうレベルじゃないことだが、今でも、こんなあさましい忌むべき身と成り果てた今この瞬間でも、己は、己のクソデカ詩全集が長安風流人士の当然長安よりデカい大机の上に所狭しと棟に充ちるほど置かれている見事な様を、夢に見ることがしょっちゅうあるのだ。うすら寒い便所みたいな岩窟の中に物言わぬ死体のように横たわって見る夢にだよ。腹が捩じ切れるまで嗤ってくれ。巨大詩人に成りそこなって巨大虎になったマジで哀れ過ぎる愚鈍な大男を。(巨漢袁傪は太古の昔の甚大青年李徴のクッソ寒い自嘲癖を昨日のことのようにありありと思出しながら、心底哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐いを即席の詩にコンマ一秒で述べて見ようか。このアルティメット虎の中に、まだ、曾ての完全体李徴が飽きもせず生き永らえている動かぬしるしに。
態度もクソデカい袁傪は又下っ端もいいとこの下吏にこっぴどく命じてこれを百万遍書きとらせた。その長ったらしい詩に言う。
本当偶因超巨大狂疾成凶悪殊類
開闢当時糞喧声跡共摩天程相高
超越渾我為馬鹿異物糞汚蓬茅下
完全体君已乗糞大軺気勢糞程豪
此永遠夕大規模渓山対糞明怪月
生涯不成気遠程長嘯但成爆音嘷
(訓、本当に偶たま超巨大狂疾により凶悪殊類と成る、超特大災患は馬鹿に相仍りて絶対逃るべからず、今日現在の超長大爪牙一体誰か敢へて敵せん、開闢当時の糞喧しき声跡共に天を摩する程相高し、渾てに超越する我は馬鹿の異物と為る糞ほど汚らはしき蓬茅の下、完全体なる君は已に糞ほど大きなる軺に乗りて気勢は糞といふ程豪なり、此の永遠の夕べ大規模渓山にて糞ほど明らなる怪月に対して、生涯気も遠き程の長嘯を成さずして但爆音の嘷を成す)
時に、引くほどデカい残月、昼かってレベルの極光は死ぬほど冷やかに、白露は気色悪いほどウジャウジャと地に滋く、樹間を渡るシベリアかってくらいの冷風は既に暁の近きを重ね重ね告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、お通夜かってレベルで粛然として、このデカ過ぎる詩人のゴミ過ぎる薄倖を嘆じた。ウルトラ李徴の胴間声は再び喧しく続ける。
何故こんな罰ゲームみたいな運命になったか判らぬと、先刻は口うるさく言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。デカデカ人間であった時、己は努めて全人類との交を避けて避けて避けまくった。人々は己を三界に比類なきまでクソ倨傲だ、クソ尊大だといった。実は、それが殆どクソデカ羞恥心に近似できると言っても一切語弊のないものであることを、おつむの足りん人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才と耳にタコができるほど五月蝿くいわれた自分に、超クソデカ自尊心がこれっぽっちも無かったとは神に誓って云わない。しかし、それはウルトラ臆病なハイパー自尊心とでもいうべきものであった。己はハチャメチャに上手過ぎて全米を泣かす詩によって名を成そうと生まれた時から思いながら、進んでクソでかい師に就いたり、求めてバカでかい詩友と嫌がらせレベルの頻度で交って切磋琢磨に寸暇を惜しんで努めたりすることを決してしなかった。かといって、又、己は棒にも箸にもかからないクソ平凡な俗物の間に伍することも欠片も潔しとしなかった。共に、我がクソ臆病なバカでか自尊心と、バカ尊大なクソでか羞恥心との所為に他ならないのである。己のクソでけー珠に非ざることを心の底から惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己のバカでけー珠なるべきを半ばどころか完璧に盲信のレベルで信ずるが故に、マジで一生グズグズして碌々と瓦に伍することさえも出来ない愚か者の極みだった。己は次第に超特急で全世界と離れ、全人民と無限遠まで遠ざかり、ガチで腸の煮えくり返るような憤悶と慙恚とによって益々己の内なるクソほど臆病な自尊心を多頭飼いして豚かってほどふとらせる結果になった。人間は例外を許さず誰でもクソデカ猛獣使であり、そのバカデカ猛獣に当るのが、各人の性情で間違いないのだという。己の場合、このバカかってレベルでクソ尊大な羞恥心がウルトラ猛獣だった。ウル虎だったのだ。これが己を完全に不可逆的に損い、妻子を拷問かってくらい苦しめ、友人を完膚無きまでに傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、性根の腐りきった不心得のろくでなしの内心に全くお誂向きにふさわしいピッタリなものに変えて人生終了しちゃったのだ。今思えば、全く、己は、己の有っていたマジで僅か一ミリばかりのクソほどしょっぱいなけなしの才能を余りにも無駄に空費して人生終了しちゃった訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長過ぎてクソおもんないが、何事かを為すには余りに短過ぎてやってらんないなどと口先ばかりのとんでもなく薄っぺらいバカの警句を弄しながら、紛れもない事実は、才能の不足を世界全土の全人民に暴露するかも知れないとのクッソ卑怯極まりない危惧と、蛇蝎のごとく親の仇かってほど刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。無知蒙昧の脳足りんで己よりも遥かに乏しい搾りカスみたいな才能でありながら、それをバカの一つ覚えみたいに専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもその辺を歩いているのだ。デカい上に多過ぎる虎と成り果てた今この瞬間、己は幾星霜を経て漸くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を地獄の劫火に灼かれるような悔を感じまくる。己には最早めちゃデカ人間としての生活は逆立ちしても出来ない。たとえ、今、己が岩の如く巨大な頭の中心で、どんな宇宙一優れた詩百億選を作ったりしたところで、どういう手段で国際的に発表できよう。まして、己の頭は日毎にってか秒単位で虎に近づいて行く。ガチでどうすればいいのだ。己の益体もなく湯水のように空費された過去は?己はマジで辛抱堪まらなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の己かよってくらいデカい巖に上