はてなキーワード: 屁理屈とは
「私には自分がないのです。自分が何をしてよいかがわからない。いや、もっと根本的なこと、ようするに自分が何が好きで、何がしたくてといった基本的な欲求ですらわからないのです。」
「そのわりには、君はちゃんと大学にかよっているし、留年もしていない。もっと言えば現役で合格もしているし、しかも第一志望だ。今年は大学院受験で、今いる大学よりもレベルが上と言われているところにも合格している。周りの大人たちもさぞ喜んでいることだろう。それなのに未だそんなことを言っているのかい?」
「そういうことではないのです。私は、世間一般が求めることに対して答えることは苦手ではないのです。例えば、数学の二次方程式があったとして、二次方程式の解が必ず-1から2の間に収まるように、係数の範囲を答えなさいと言われれば、必死にチャート式なり教科書なりを読んで理解して、演習問題を解き、テストで答えることが出来るようにすることは割合出来てしまうのです。もっと言えば、こと数学に限らずに、この問題ができれば、周りとの相対評価を行えることに関しては、やる気が出るのです。
要するに、世間一般で評価されることがそのまま自分の中で評価されることになってしまう人間なのです。ですから、周りとの評価が出来ないこととか、評価の指標が簡単ではないものに対しては、価値を見出すことが出来ない。だから僕はテストが好きなのです。あれはだって高い点数を取ったほうが合格するという単純かつ社会的評価も点数が高いほうが獲得するとても簡単なものでしょう?
でも実際の世の中で価値が有るのはそんな単純なものだけではないことに、たとえば美しい旋律を奏でる能力であったり、読む人を魅了させる不思議な文章を綴れる能力であったり、評価の軸はいくらでもある。それに気づいてしまった。いや気づくのが悪いとは言いません、むしろ遅すぎるぐらいなのですが、あまりにも自分の周りの環境が、社会的評価の高い人間が価値を得る世界であったので、そのことに対してあまりにも無自覚だったのです。それに絶望しました。ああ僕はなんて狭い箱庭の中で、それなりに必死に頑張っていたのだろうと、虚しくなるのです。」
「確かに君の学校はいわゆる進学校とよばるやつだな。教員はほとんどが学生を受験マシーンに育てるための最短ルートで勉強を教える。そのために学問の深さであったり、本来悩まなければならないところを、テクニックによって誤魔化し通過させることしか考えていない。」
「そうなのです。ですから、私も勉強というものは殆どやってきたように思えません。やったのは受験で良い点を取る方法です。数学が得意ということになっていましたが、やっていたのは数学ではなく唯の算数です。何も自分で生み出しては居ません。すべては周りから与えられた情報を飲み込んで吐き出す。そういうマシーンなのです。
そんなマシーンが大学に入って出会ったのは”自分の好きなことをやるべきである”という思想でした。現代人は、生まれつきの素養で将来が決まってしまうことを嫌います。すべての人類は平等だ、皆好きなことをする権利があるとのたまいます。確かにそれは理想だ、素晴らしいことだ。でも、現実はそうではありません。日本に生まれていなければ私もここまでのうのうと睡眠と惰性の生をむさぼることは出来なかったことでしょうし、日本に生まれていたって家庭環境や生まれる年代が違えば、同じことは出来ません。要するに私は運が良かっただけなのです。そして、自由に生活する権利があるとのたまう人たちも恐らくは恵まれているのです。だって、現代だって恵まれていなければ、自由に生活なんて出来ない。当たり前です。自由に暮らせるからといって皆海外に留学にいけますか?バイト代で大学に通う大学生に、国内を自転車旅行する余裕がありますか?全ては欺瞞なのです。エゴです。あゝ気持ちが悪い。
要するに、私は好きなことをスべきと言われて戸惑ってしまったのです。先ほど並べた御託もただの屁理屈です。後付け設定です。自分に中身が無いことを必死にカバーしようとしているだけなのです。だって自分は恵まれています。大学院を移ることも許可されています。私立の高校に通うことも許されました。塾にだって予備校にだって通わせてもらいました。だったらその自由を行使すべきなのです。でも出来ない。何をしてよいかがわからないからです。ああぼくは何をすれば良いのでしょうか。」
「難儀な人だなぁ、そんなに言うのなら、最近流行りのというともう時代遅れかも知れないが、自分探しとやらをしてみてはどうだい?」
「自分探し?自分を探す?そんな20年以上生きてきて見つからないと言っているものがホイホイ見つかるとでも本気で思っているのですか?
自分が産まれてきた理由などというものが存在し得ないことぐらいは理解できています。問題はそこではないのです。自分が産まれたからにはやってみたいと思えることが合ってしかるべきでしょう、普通は。それがないから困っているのです。しかもそれを考えようにも、僕の中にあるのは僕の外側をちょうどひっくり返したようなものなのです。要するに、僕の外側も内側も、どっちも他人なのです。僕はどこに行ってしまったのでしょう。」
「気持ちが悪い」
ども、ブクマでは散々突っ込みかましてる本業個人店経営チャレンジなう(死語)な、整体師のオバサンです。
なんだか、
乳幼児の頚椎カイロの死亡事故
首ひねる独自マッサージ後乳児死亡 NPO代表任意聴取:朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASG9631WYG96PTIL003.html
から、
国家資格(あはき法免許)取得者による整体師やリラクゼーションのお店への批判論
なぜ整体やカイロ、無免許マッサージは放置されているか。 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/716729
へと発展していったのを見て、
なんだかいろいろ考えてたことぶちまけたいなー、
と思ったので、
今までこの「リラクゼーション」と「整体」に身を置いてきた私から見た、いろいろなよしなし事を、まとめてみたいと思います。
とはいっても、反論とか言うんじゃなくて、自分が今まで知ってきた事見てきた事聞いてきた事感じてきた事をつらつらとまとめてみたものです。
あくまで参考に、という感じでとらえて頂けたらなぁ、と思います。
いやぁ書いてるうちにめっちゃ長文になってもた。ごめんなさい。
59 ソーゾー君 [] 2014/09/07(日) 07:45:07 ID:JPNRvIR6 Be:
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/78e23e938187dfeb9d9b22e2a8f3555a
↑これも両立て工作です。
「除セん済みの土地」←これが嘘なのw
「除せん出来るわけ無いでしょ?w」
埋めた業者は日本政府の指示で埋めただけですのでお咎め無しですw
「見た目だけでも綺麗にしとけw瓦礫?そこら辺に穴掘って埋めとけば良いだろw
見た目だけでも綺麗にしとけばマスコミ使って「除せん済み」と洗脳出来るからへーきへーきw」by日本政府
このアホ記者は埋め立て業者を調べて追及しようとしたから殺されたのかもねw日本政府にw
まー除せん済みの土地と認識している時点で害しかないアホなので結果オーライw
所詮は「ジャーナリスト=世間知らずのアホ=自分を馬鹿と認識していない救いようのない馬鹿」
>>53←このブログ主と同じレベルのアホ・・人の為とか言ってる奴は自覚のないアホw
他人事じゃねーんだよ?
「政府が除せんしたと言ってたし国の定めていた放射線の基準値を改正し上げたので
今は政府の定めた基準値以下だから安全と言ってたwだから安全!」
↑どう考えても他人事だろ?被害者ならそんな屁理屈で納得できるわけ無いだろ?
除せんが簡単に出来るならチェルノブイリみたいな事にはならねーよ?
多大な犠牲を出して原発をコンクリートで覆い放射能の流出を防いでもあのザマなんだぞ?
お前らアホだろ?
雑談 4
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1408464377/
動的型の言語が嫌いで、RubyとかJavascriptは動的型だからダメだみたいなことをよく発言するんだけど、そうするとスクリプト言語の信者は動的型の言語のメリットを説いて反論してくるのな。
「UIのような変更の多い部分は柔軟な動的型の言語が向いてる」みたいな。(俺は変更の多いコードにこそ静的型の言語が向いてると思うけど)
俺はスクリプト言語のよい所は記述が簡潔なところで、静的型の言語もどんどん記述が簡潔になってきている今の流れからすると、スクリプト言語の役目は終わりつつあると思ってる。
世間でスクリプト言語が受けたのも動的型だからではなくて記述が簡単だからだと思ってる。
でもスクリプト言語の信者は視野が狭いから、自分の好きな言語は全肯定。欠点はない。欠点であるところの動的な型だって自己欺瞞や屁理屈で肯定してくる。
で、swiftが登場したわけだけど「Rubyに似てる」とか「Javascriptに似てるところもある」とか、スクリプト言語の信者と思われる連中まで好意的に持ち上げてるのな。
俺が思ってたとおり、スクリプト言語のいいところって型が動的だからじゃなくて記述が簡潔だからじゃねーか。
動的型がスクリプト言語の長所だと強弁してた連中は、swiftが「***に似てる」とかほめてないで、長所が失われてるって指摘しないといけないよな。
でもそんなこと言ってるやつ見たことない。
動的型であることが欠点だと認めないで俺を煽ってた連中は、謝れとは言わないけど自分の見識の無さを恥じてほしいわ。
そうじゃないって言うなら今からでもswiftが静的型なのは「後退してる」「欠点だ」ってネットで声を上げろ。
以上。
漏れなくぼく達わたし達は、この世の生きづらさに今日も苦しんでいる。
何をしても自信がモテず、異性にモテず、本音をぶつける友人1人いない。
そんなぼくらががせいぜい誇りに思っている物と言えば、欧米かぶれのチョコザイ論理(屁理屈)だけ。
けれど、ぼくらと彼ら大多数では大きな違いが一つある。
原点だ。
彼らには絶対神が居るのだから、とりあえずそこから論理を出発すればいい。
ところが、ぼくらには絶対的な拠り所が無いもんで、何を基調として、どう生きればいいか分かったもんじゃない。
自由だ自由だと言われるごとに閉塞感を感じる。
そのくせ、宗教には強烈な嫌悪感を感じるときた。全く困ったもんだ。
そこでだ。
大真面目にぼくたちなりの絶対を決めてしまえば、少しは生きやすくなるのではないだろうか。
空飛ぶスパゲッティ・モンスターじゃあいくら何でも信じるに足りないだろうが。
事件現場で感じる「まっただ中にいる」という雰囲気、しらみつぶしの聞き込みから垣間見える知らない住宅街の暮らし、微妙に核心をほのめかしてくる人間的な警察幹部との泥臭い応酬・・・
刑事裁判における被告のクズ丸出しの態度と声、高慢な検察官のオフレコ放言、資格は取ったもののまるで資質が欠けている弁護士たちの無理筋な屁理屈・・・
人間として確実に異常な議員たち。これまた異常に優秀でどこか抜けている官僚たち。家柄からして違う貴族という言葉がふさわしい外交官たち。会社に最適化して別の生き物のようになっている企業人たち。
どいつもこいつも癖のある奴らがぐちゃぐちゃに動いている。
ああ、こうして世の中は動いているんだなあとわかる。大きな社会という機械の心臓部に入り込んで歯車を一つ一つ見て回っているような感覚だ。
そしてその歯車たちは喋り、愚痴を言ったり自分の立場を正当化したり、時には恫喝してきたりする。
この感覚は絶対に紙面では表現できない。出していい情報しか出すことができないから。ネタ元を完全破壊するような真似はできない。
報道という営みの中で一番楽しんでいるのは記者だと思う。裏を知っているからこそニュースを読むのが楽しいのだが、何も知らない一般の人が読んでて果たして本当に面白いのだろうか?
はてなブックマーク - ネトウヨ300が舛添の進撃に真っ向勝負!(笑) ヘイトスピーチ規制反対都庁前抗議街宣 - Togetterまとめ
ヘイトスピーチ規制法なんか出来たら、もちろん排外デモは減るだろうけど、時の政権は自分たちに都合の悪い主張のデモ(脱原発とか)も屁理屈つけて取り締まると思うよ。
それでいいのかというか、左翼のデモは“正しい”から取り締まらないだろうとでも思ってるのかな?
だとしたらまたえらく官憲を“信用”してるんだなあと感心するわ。
>自分のエントリーに噛み付いてきた人にくだらない、冷静に反応しない、という対応が取れずガキみたいに暴発する
うん、それお前がやっている事だな。
>ホントにつまらないな。噛み付かれて大騒ぎするんだから。(騒ぎたいだけのバカ丸出し)
うん、それお前がやっている事だな。
>顔真っ赤だなは言われてないが、誰よりも感情的にレスして煽っている↓。
うん、それお前がやっている事だな。
>しかし、噛み付いて来た側とは議論する。
うん、それお前がやっている事だな。
>君のやったことはあらかじめ何とでも言える屁理屈を並べ立てて、レスしてきた増田にそれらをあてはめて罵倒しているだけ。
>君の事実を指摘してあげたから、自分に酔っていると言ってくれ。
言葉をそっくりそのまま返すけど。
うん、それら全部お前がやっている事だな。はじめに罵倒してきたのもお前。屁理屈並べてるのもお前。
お前の事実を指摘してあげたから、自分に酔っていると言ってくれ、道化師さん。
そうそう、一つ追加するのを忘れていたよ。
“都合が悪くなると横のふりをして、前までの言動は自分のものではないと言い張る”
コレがあったわ。
人の意見は人の意見、人の日記は人の日記、でスルーできずに噛み付いてきて、
で反論した自分のエントリに普通に返答されただけで、また顔真っ赤にして反応するから、
その実例をしっかりと示した、サンプルみたいな増田だね。
横だが、もう少しまともな奴が書いたと思っていたんだが…なるほどなーと思ったところもあったし。
他人のエントリに噛み付いてくる、その行動理由は大体くだらない感情から(冷静に“反応しない”という対応が取れずガキみたいに暴発する)
訂正、こういう人もいる。
自分のエントリーに噛み付いてきた人にくだらない、冷静に反応しない、という対応が取れずガキみたいに暴発する
ホントにつまらないな。噛み付かれて大騒ぎするんだから。(騒ぎたいだけのバカ丸出し)
指摘されたそれは100%些細な問題なので、エントリ主が反論すると、必ず“顔真っ赤だな”と言う(顔が真っ赤なのは、誰よりも感情的になっている自分自身の方なのに)
えーと、そんなものネットで匿名の場ができて依頼どこでもある話なんですが、
あなたはなにを言いたいのかな?
顔真っ赤だなは言われてないが、誰よりも感情的にレスして煽っている↓。
そうそう、こういう反応もあったっけ
“ただ事実を指摘しているだけなのに、自分に酔っていると決め付ける”
チャートに加えないとね
あのね?w親切だから教えてあげるけどanonymousdiaryって英語は、議論する場って意味じゃないんだよ?w
匿名の日記を書く為の匿名日記帳として用意されたサービスなのに、何で議論するのが前提みたいに話してるの?
匿名の日記を書きに来てる人に対して「じゃあ実名で議論してくださいよ」って返すとか、そもそも会話にすらなってない事に気付いてる?
コミュ障?w
しかし、噛み付いて来た側とは議論する。<匿名の日記を書く為の匿名日記帳として用意されたサービスなのに、何で議論するのが前提みたいに話してるの?
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
ここのブログで長々とした言い訳と屁理屈が並べ立てられていた。
「吉田証言はデマ=慰安婦はデマ、になりません」 http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20140805
シンプルに言っておく。
なぜか。
ここ( http://anond.hatelabo.jp/20140806202223 )にかいていたがわかりやすいので引用する。
昨日で議論のポイントは大きく変わった。
一昨日まで:
1) 奴隷狩りのような「慰安婦」徴発があったか、それとも彼女達は売春婦だったか?
昨日から:
1) 奴隷狩りのような「慰安婦」徴発があったか、それとも彼女達は売春婦だったか?
そして、そもそも2)は、1)がどうも胡散臭い話らしいと見るや、朝日がへどもどと「だって『広義の強制性』があったじゃん!」などと涙目で食い下がった屁理屈にすぎないのだ。(要するに論点のすり替え)
大体、21世紀の今に至っても「戦場の性」をどうするか?どうあるべきかという問題に決着はついていない。
読売も社説で書いていたが、「強制連行があったかなかったかが『慰安婦』問題の本質」というのは、まさしくその通り。
なぜか?
2)は日本軍に固有の話ではなく、すべての国の軍隊、過去から21世紀の現在に至るまでが未だに解けていない問題だからだ。
現代でも解けていない問題を時間を遡って、「日本軍の戦時売春婦の待遇は良かった・悪かった」などという議論に意味はあるか?いや、ない。つまり2)は最初から意味のない議論なのだ。
つまり、
ところで、2) = 無意味。そして今回、朝日は1)がデマだと認めた。
そうするとこうなる。
今後は、「慰安婦」問題ではなく、「戦時売春婦待遇問題」とよぶべき。
そして議論をまともに進めるにはまず「戦時売春婦」の待遇がどうあるべきか議論する必要がある。給与の水準は?外出の機会は保証されているか?コンドームの費用負担は客か?本人か?業者か?性病の検査の頻度はどのくらいであるべきか?行儀の悪い客を「出禁」にする段取りは適正か?等々。
俺はこの手のことに詳しくないので、こうした議論は無理だが、vanacoralって人は詳しいのだろう。これだけ自信満々に書くということは。
せいぜい、頑張ってくれたまえ。
朝日はまだ「慰安婦問題の本質 直視を」などと屁理屈をこねているが、
http://www.asahi.com/articles/ASG7X6753G7XUTIL053.html
とにもかくにも昨日で議論のポイントは大きく変わった。
一昨日まで:
1) 奴隷狩りのような「慰安婦」徴発があったか、それとも彼女達は売春婦だったか?
昨日から:
1) 奴隷狩りのような「慰安婦」徴発があったか、それとも彼女達は売春婦だったか?
この部分が朝日にとっての「本質」。これはまだ白旗をあげてないので未決着。
と僕は anond:20140729233245 の彼に言いたい…わけじゃないんだけど、自分の結婚生活をどう振り返っても妥協という言葉がしっくりこなかったので少しだけ。
妻は大学の先輩で、どちらかといえば卒業してから友達としての付き合いを始めて、なんとなく恋人になり、ゆるやかにまた友達に戻りつつあった頃にふと「この人となら結婚してもうまくやっていけるかも」と思ったので籍を入れて一緒に暮らし始めた。だから熱烈な恋とは無縁の関係だ。ナーバスになるまでもなく「お互いもっといい相手がいるかもね」なんて話をすることもある。子供もいないし、僕も妻もこの生活に何にも代えがたい執着があるわけではないような気がする。すべてはなんとなく居心地がよくて、なんとなくこの生活にメリットがあるような気がするから続いている曖昧なものだ。
それでもこの結婚生活を送るために些細な犠牲は払ってきた。一緒に暮らすために僕らの通勤時間はちょうど倍になったし、自分だけの時間は減ったし、お金も貯めないといけないし、孫の顔を見たがるうちの親と彼女の関係はあまり良好とはいえないし、ここだけの話、だいぶ前に僕が別の女性と危うく一線を超えそうになったときに踏みとどまったのは妻がいたからだ。彼女にもそういうことがあったかもしれない。
けどだからといってそれらが結婚するための、結婚生活を続けるための妥協かといえば違う。単なる屁理屈かもしれないけど、妥協だらけの僕の人生においてこの生活は珍しくポジティブな選択の連続だったのだと考えたいし、少なくとも今現在僕はそう思っている。なんだかんだいってあんな日記が書けるんだから、件の増田もきっと彼らなりの素敵な結婚生活を送っているんだろう。もしそうだったら、自分たちの選択を「結婚は妥協の産物だよね」などといってつまらないネタにしてしまうのはもったいない。
http://anond.hatelabo.jp/20140724022133
証明なんかしなくても、一番は職場結婚か友人の紹介という名の合コンだろ
そのうざくて気持ち悪い話し方をしてるから
嫌われるんだよw
>『自分の周りや他の人の話』ってのは何なんだよ。統計でも何でもないだろそれ。何が「しかも」だ阿呆か。
しかも、は
統計で10%以下と出てるのに加えて
という意味だろ
統計で出てる
+
周りでもそうだよ ということ
しかも、「優良な出会いの場」とはいえない、ブッ細工同士だけが結婚できる「くそつまらない場所」
だから、「遊ぶのにはよくても」「結婚相手にならないことが多い」ってこと
数式にでもしないと屁理屈で生きてる気持ち悪いはてな民には理解できない?w
性交渉経験率は2005年には男性63.0%、女性62.3%だったのが、2011年には男性54.4%、女性46.8%と激減
http://news.livedoor.com/article/detail/7945209/
平均初婚年齢は、2012年で、夫が30.8歳、妻が29.2歳。
「10年間付き合って結婚しました」ってのどんだけいる?www
無理だろw 続かないだろw
それはおまえ自身 身に染みてるのでは?w
大体、「証明!」なんていわなくても
周り見てるだけでも「そういや大学から結婚までいくカップルって少ないよな」
って反応できるんだけどねw
論理性もありゃしないw
頭いいフリしたバカの典型w
あ、もしかして、大学で出会って結婚した底辺ブサイク同士さんの気に障りました?w
まあ、はてな住人で理屈っぽいオッサンは結婚どころか恋愛もできなそうだけどw
ごめんごめん
嫌われてて過疎ってて終わってるはてな民様を相手に雑な書き方をした私が悪かったです
こういう高齢で気持ち悪い 頭がいいと勘違いしてるクズが多いから
はてなって終わってきてるんだよねw
住人と同様にw
だそうだ。赤旗のコラムもかくやはと思われる一方的な決めつけと一部の政治団体の主張を代弁するご熱心さにはあきれるばかり。
昔から、朝日の社説は程度が低かったが、ここまででは無かったはずだ。
なんで、こんな独りよがりなポエムを社説として掲載するのだろう?天声人語ならいざ知らず。いや、コラムにだってこんなん書いたらあきれるけど。
この社説子が読者に感じてほしいことは、
「俺はウージェーヌ・イヨネスコの『禿(はげ)の女歌手』を知っている文化的な人間」
「安倍内閣の暴挙を不条理劇になぞらえる発想力。センスいいでしょ?」
「『カーテンコールの、喝采の代わりに。』どう?詩的でしょ?センス良いでしょ?」
こんなとこか?
センス無いよ。はっきり言って。
集団的自衛権に関する憲法の解釈変更について、ついでだから私見を述べておく。
とは言っても、今回の解釈変更についての賛成・反対のことではない。
デモクラシーの担い手たる健全なる社会人なら誰もが知っている「ルール」(社内規則や法律等、もろもろの)についてだ。
憲法は法律であり、法律はルールであり、ルールは守らなくてはならず、ということはルールは守れるものでなくてはならない。
現状を追認すればいいというものではないが、現状に即した適切な条文に随時メンテナンスしなくては、ルールはルールとして機能しなくなる。
守れる訳のないルールを頑迷に変更しないまま金科玉条のように奉っておくと、そのルールはやがて形骸化し、却って何の歯止めにもならなくなるものだ。
守れる訳のないルールの一字一句にこだわるのは、ルールの精神を尊重していない言葉遊びと同じことだ。
そしてその言葉遊びは、ルール自体をゆっくりと間接的に蝕んでいく。
たとえば創業者が決めたけれども時代や社会や新しい法律と整合性がとれなくなって、もはや誰も見向きしていない社内規則とか。
憲法9条は、法律の条文にすぎない。それによって守るべき価値は何か?日本国の平和と安全だろう。
しかし、かつてルールの一字一句を神聖視して、日本国の平和と安全などどうでもいいという人たちがいた。
彼らは「神聖なる憲法9条に奉仕する自分」にうっとりするばかりの、自分をえらく見せたいだけの偽善者たちだった。
言葉遊びを非難するならば、彼らこそが非難されるべきだろう。
彼らは、国際情勢に合わせて憲法の精神を尊重しつつ条文をすこしずつ変えるという民主国家に必要なプロセスをあれやこれやの感情的な屁理屈をもてあそんで邪魔してきたのだ。
そしてその結果として、今回の無理筋の解釈変更が必要になってしまったのだ。
つまり朝日新聞は「言葉遊び」によって憲法を形骸化させた張本人の側でもある。自分たちの言葉遊びの報いを別の言葉遊びで受け取ることになっただけのことだ。
いや、その報いを受けるのは国民全体なのだから憲法の精神を真の意味で尊重してきた人々には迷惑な話だ。
「主権者である私たちは声をあげ続ける。(中略)おかしい、認められないと」
こんなの今時は学生だって恥ずかしくってビラにも書かないような少女趣味のアジテーションだ。
これで横暴な権力に立ち向かう革命の闘士気取りならば、いい気なもんだぜ。としか言えない。
薄ら寒い自己陶酔はご自宅に配達される朝日新聞のチラシの裏でやったらどうか。
朝日新聞は700万部(主催者側発表)発行されているそうだから、この社説のおかげでざっと数万冊のノートを作れるパルプとそれに印刷するインクを無駄にしたことになる。地球温暖化の観点からも問題だ。
その直後「「お腹が空いた」と安易に言うと差別につながる」なんて訳わからん皮肉を言ってきた奴がいた。
だから、「得意のつまらん皮肉できたな」って言ってからかってやったんだが。
「この増田自体が相手に反論できず涙目でこうやってズラして自分の正しい世界を表現しているに過ぎない」
なんて書かれていたので、元増田が俺が書いたレス(得意のつまらん皮肉で…)を批判してんのかと思った。で、何か書いてやった。
しかし、なんか腑に落ちない。色々考えてみたら、「お腹がすかない」の記事ってもしかして俺が書いたって思われてんじゃね??って思ったわけだ。
俺は本人だから、別の奴が書いたってのは、明白だったが。
しかしなあ、いくら記事が書かれたタイミングが、それっぽいとはいえ、分からんもんかねえ。
俺が書いた「差別する善人」と「お腹がすかない」では主張してることが全然違うだろ??分からん?
お前らみたいなバカでも分かるように説明してやると、
「差別する善人」で言いたかったのは、熱心な善人が新しい差別を作るんだということ。
「お腹が空かない人間」は何とも思っていなくても、周りが差別だなんだと騒がれたら、差別されていると思い込んで嫌な気分になるだろう。
それが俺の言いたいこと。
逆に「お腹がすかない」の増田が言いたいのは、勝手にいるかいないか分からん奴を想像し、いるかいないか分からん奴の人権を守ろうって話だ。
新しい差別を作りだしてるってことだろ?
俺は人権を守ろうなんて主張したことはないが…ただそういう奴を個性だと認めてやれとだけ「差別する善人」のレスで言っていた。
「憐みの目でみたり、差別だなんだと大騒ぎする方が差別なんだよ!!」とも言った。
まったく逆だと言うことが分かんかね??
それなのに、「こうやってズラして自分の正しい世界を表現しているに過ぎない」って、ズレ過ぎだって分からんの?
自分の正しい世界って、こんな新しい差別を作り出すような世界を望んでいるようなこと「差別する善人」またはそのレスでも書いてないと思うが…
「死ね」とかはてな民が矛盾点を補強、または説得力を持たせる典型的な安っぽい手段だな。
いるいないは関係ありません。
お前の論理で考えたらな。
それによって、すべてのツッコみ所をカバーできる。
「そんな奴いないだろ」と言われたら、全て意味の無いものになるからな。
「常識で考えろ」なんて言ったら、お腹が空かない人間がいないことを証明できるのか?て話になるだろう。
あと差別問題で重要なのは、お腹の空かない人がいたとして、そいつらがどう捉えるか?それが本質的な問題だろう。
差別者(または疑いのある)や周囲の人間がどう意識するかってのは、その解決手段であって、本質的な問題じゃない。
「お腹が空かない人間」は何とも思っていなくても、周りが差別だなんだと騒がれたら、差別されていると思い込んで嫌な気分になるだろう。
それが俺の言いたいこと。
まあでも、うまく書けてると思うよ。
例えとしてはよく頑張ったな。
「次の休日は出かける」って言われた時は、「別れましょう」でいい。
一生の伴侶であるあなたの気持ちを知った上で、相手との関係を大事にするのだから、それは当然。
「狭量な妻で申し訳ない=おおらかであるべし」という態度だと思うので、別れの言葉は
静かに微笑みながら話す感じで。決して、マイナスの感情が見え隠れしてはいけないと思う。
会わないことを約束するかしないか。
どんな屁理屈こねようが、約束できない場合は相手の女性との関係を維持したい=いずれ浮気に発展する可能性があるということ。
普通の男なら、会わないことを確約すると思うし、意識的に安心できるような行動で示そうとするはず。
少なくともおれはそうした。
828 ソーゾー君 [] 2014/06/22(日) 20:03:46 ID:TDWjh3Ls Be:
タコの足を別の生き物の如く語る者達の一覧です。
陰謀論者、反陰謀論者、ネトウヨ、自民ネトサポ、原発推進派、脱原発派
↑こいつ等は仲間です。
「何故分けたがるのか?」
この事実が知られて常識になると官僚批判が結果的に自民党批判になるでしょ?
「自民党は官僚と民主党に圧力を掛けられたから渋々消費税増税を可決させたんだ!」
↑このような低レベルな屁理屈を言う為にあの表記を嫌うのですw
雑談3
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