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はてなキーワード: 刷り込みとは

2022-09-14

背の低い順に並ばせるのって、明らかにタチの悪い差別刷り込みじゃん

自分はいつも前のほうだったけど、すごい嫌だったわ

自分場合高校から名前順になって、気持ち的にとても楽になったのを覚えてる

なんだけど、ブコメ論調想像とかなりかけ離れていておどろいた

はてなの人たちって、この件に関しては、「そのくらいはいいじゃない」っていう意見なんだね(全体的にざっと眺めて)

普段は、差別人権多様性容姿問題やらなんやらに対してやたら感度が高く、

他人の痛みや生き辛さに対して敏感であることが社会正義である

と考えているかのような人たちが多い雰囲気を感じていたので驚きました

なぜ誰もおかしいと気づかないのか…学校で「背の低い順に並ぶのは差別」と主張する現役教員の納得の理由

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/61438

2022-09-04

anond:20220903205736

安倍が定期的に統一教会イベントに出席し関係性を敢えてアピールすることで、「普通の」団体になったと刷り込みをさせ、マスコミ統一教会問題を指摘しなくなる。

民事継続的に訴えられている裁判判決にも影響し、今まで元信者側が勝訴していたような事案でも敗訴するようになり、元信者家族献金を取り戻すことができなくなる。

統一教会韓国並みに「普通の」団体として認識され一般人から問題認識されなくなる。

2022-09-03

人口を増やすには

人口を増やすにはこの3つしかないと思ってるのよね。

1. 人工培養

2. 移民

3. 男女雇用機会均等法排除

1は技術要件および倫理的ハードルクリアするのが至難の業

2は異国の血が入ることをきらう日本人は少なくないだろう。また、ヨーロッパ移民問題を見てるとそんなに簡単問題でもないはずだ。

となると3しかない。ようは女性におとなしく家庭にこもって子供を育てておけと言うことだ。なぜ男ではダメかと言うともちろん妊娠問題だ。妊婦には労働に適さない時期がある。男子が働いてる方が何かと効率的なのだ

ただ、この法律を覆すのも簡単ではない。なので、まずは「妊娠は素晴らしいこと」という刷り込みを長い年月かけて行わなければならない。

まり社会全体で心の底から妊娠尊いこと」「男は妊娠ができないか仕事をさせるしかない」というくらいまで価値観を持っていく必要がある。

なので、この法律撤廃動機も「子供を産めない哀れな男たちにせめて雇用の機会くらいは優先させてくれませんか?」というニュアンスで持っていくと良いだろう。

結果的女性雇用機会は減るかもしれないが、少子高齢化に立ち向かうためには仕方ない。一挙両得なんてそうあるはなしじゃないのだ。

2022-08-25

コロナ禍で祖母を亡くして思うこと

亡くなった、と病院から連絡が来た。

コロナ禍じゃなければ多分、危ないですって連絡が事前にきてたんだと思う。

それでもまだ生きてる内に会いたかったなぁ。

入院前に会った老人ホーム車椅子腰掛けて、こちらを見てくれる祖母はちっちゃかった。

この日が生きてる内に会える最後かもなぁとぼんやり思ってたけど、振り返るとやっぱり最後だった。

私も母も隣の市に住んでいて、コロナ禍での病院規定上、面会は一度もさせてもらえなかった。

受付だけ済ませて車内で待ち、タブレットを受け取ってほとんど返事も目線も返ってこない祖母を少し見ただけ。

しかもそれも一回。

生きてるおばあちゃんに泣いて縋って抱きつきたかった。

さな頃、ほとんど祖母に育てられていた期間があって、とある宗教信仰している祖母はよくそ教会に私を引き連れた。

教会にいくと祖母には祖母仕事があり、事務所のようなところに籠もるので私は寂しかった。

同じような子どもたちもいたけれど、私はあまり人と仲良くなるのが得意ではなく、誰ひとり好きでもなかった。現に今でも誰一人として顔も名前も覚えていない。

私はその宗教信仰していなかったし、神だ教えだは興味がなかった。

それでも少年部に属されることになり、何度か導師(式典においてメインで読経する位置)もさせられた。祖母は鼻高々って感じだったのを覚えてる。

母も青年部にいやいや属して、いやいや導師経験していた。

属しているかと言って全員が全員式典などで導師をできるものじゃないんだろうと思う。

高校生にもなれば自らの意思で参加不参加を決められたので、(祖母的には出てほしかっただろうが)基本的にそういったものは以降すべて不参加にした。

そんな宗教祖母が亡くなったことでもう完全に抜けさせてもらえると思う。母も私も信心深くなければ御布施も払わないタイプなので。

あぁでももっと、行ってあげたら良かったのかなぁ。

おばあちゃんがそれで、喜んでくれるのなら。

でもあそこトイレめちゃめちゃ寒いし、うん、嫌だな。

おばあちゃんがお墓参りときに作ってくれる鬼まんじゅうが好きだった。蒸しパンと呼んでいたが、多分鬼まんじゅうだったと思う。

おばあちゃんがよく作ってくれたヒメジの酢漬け、何故かいつも口内炎があるときに作ってくれるから、よく泣きながら食べてたな。

祖母の家に泊まって迎えた日曜日の朝、「ピザにしてあげようね」と作ってもらえるピザトーストが大好きだった。

なんか食べ物の話ばっかりだな。

8/25 追記

でも思い出すのはあの日差し差し込むキッチンから、まだまだ話すね。

フライパンみたいな形状のたこ焼き器でたこ焼きを作ってくれた。十五夜にはふたり白玉団子をこねて、丸めて、みたらしをかけて食べた。

今日白玉団子を作ったらあの匂いがして、懐かしい気持ちでいっぱいになった。

また書きながら泣いちゃったよ。

追記終わり

皮のたるんで柔らかい腕が好きだった。冷たくてぽってりしている耳たぶが好きだった。「ただいま」と言う時のイントネーションが好きだった。(中一高で完全に“ヘタリア”と同じだった)

今考えたら軽度の認知症が出始めた頃、週に一回くらい祖母の家で一緒に食事を摂っていた。基本的祖母食事の準備をしていくれていたのだが、一度、私が食べたいからという理由筑前煮を作ったことがある。

「おいしいねぇ。これで○○ちゃんもいつお嫁に行っても困らんねぇ」

これを50回位言われた。

当時私には恋人がいたが、最悪なことにその恋人には妻子がいた。

ごめんね、お嫁には行けないかも。

内心でめちゃめちゃ泣きながら「大げさすぎん?」って言いながら祖母の倍食べた。食べたくて作ったのですごい美味しかった。

妻子がいる人とお付き合いするのは本当に最低なのだが、一番最低なのは妻子がいる身分新入社員に手を出したそいつだと思う。あとこの世にいるご結婚なさってる方々、指輪嵌めろマジで。知らなくて好きになったあとだともう狂ってるから遅いんだよ。

言い訳はこの辺にしとく

棺桶に花を供える時に撫でた頬は芯から冷えていたね。

あの世がもしもあるなら、どこも痛くなといいな。

輪廻転生をすることがあるのなら、次はおばあちゃんのなりたいものになって、幸せに過ごしてもらえると嬉しいな。

火葬ボタン喪主に押させるのって酷だね。震える母の背中を見ながらそう思った。

もうおばあちゃんは私の名前を読んでくれない。

思い出すといつもちゃん付けで呼んでくれてたなとか、眠りが浅くてすぐに起きてしまうのに何故か毎晩ラジオをつけて寝ていたこととか、こたつ眠る私に毛布をかけてくれたこととか、思い出すのは些細なことで、そしてちょっとずつ美化されてる。

ちょっとまれが複雑な私に思うところとかたくさんあったと思う。叔母に幼少時首を締められた私としては叔母を擁護する家族に思うところもあったし。

それでもやっぱり大好きだったよ。洗脳でも刷り込みでも、大好きだった。

ありがとう

2022-08-24

第二期刷り込み期が終わった

第一期が実際は何期だったかからないけど、自分の考えは、

なんか母親は避けろっていうおかんはブスっていう考えと(いまだにブスだと思うから親父が理解できない)、

幼少期の理由不明で獲得してる美的感覚、それに加えて、仲良くしてくれる女子で顔がタイプの顔がどんどん好きになっていく時期

この時期はテレビとかもあんまり見てなかったし、可愛いとは何ぞやっていうのが何にも理解できてなかった

小一の時に好きだった子の顔を、小3になってあらためて考えると、一般的には可愛くないよなとかって思う混迷期

0期がその前にあったにせよ、ここで好きなタイプ(と嫌いなタイプ)の大体が作られて、40年ほど継続した

学年トップ5とかの女子の顔はまあ好きなタイプではないがブスではないなってのがちらほら居たぐらいで、他は大体可愛いと思ったから、客観的評価はできてたと思う

第二期は、アイドルオタク時代

自分の中で絶対評価はあってゆるぎないのだけど、相対評価として、性格とかパフォーマンスがよいブスの中でちょっと許せるしなんから好きなタイプが出来てきた(一例でいうと離れ目魚顔系)

そこで、特に好きになった(世間では可愛くはない顔立ちの)Aというアイドル系統を許せるようになった

A'さんはAさんほど人気ないけど、その前だったらブスがアイドルやってんなーって思ってたのが、こういう顔好きな人もいるよね~ってなったし、

パフォーマンスとか顔のバランスでAを超える人が居たら、あ~こっちのパターンも(全人類ではないけどそこそこ受け入れられる種類の顔立ちとして)あったな~とは思えるようになった

それでも、まだブスだと思う系統は多いし、可愛いと言われている(実際は世間的にはそこまで可愛くない)系統でも、これはブスだな~って顔の人も居る

そこらへんで、一旦自分の中での評価基準みたいなのが安定して、ここ数年はブスとまあ可愛い(と思う人も居てもおかしくない)と誰が見ても可愛い基準が動いてない

それでも誰がどうみてもブスとしか思えない人の顔を褒める人が多いから、好みって人それぞれなんだろな~って思ってる

2022-08-15

anond:20220815201719

聞きかじった情報によるとエロピアもっとも高年齢向けだそうだが

そのエロピアは当時思春期の子供が読んでたらしい

年齢がおっさんかということじゃなくて、その当時主流だった画風が周りにあった人が、おっさんになっても嗜好が変わらずそういう画風を好んでるだけじゃねって感じ。刷り込み効果

anond:20220814104219

自分の思う女の子らしい、男の子らしいに当てはまらない子がいたら「多様性押し付け」のせいで女の子なのにピンクが選べないに違いないって文句言って騒げばええやで。

娘には可愛い服やバレエピアノやらせたいが無理強いはしたくない。ならば刷り込みまくってピンクを選ぶような子供にする。

そうなったら本人が望んでピンクを選んだだけで女の子からではないですよ!緑とか青とか本人が望まない色を与えないでください!多様性押し付けをしないでください!って言うわけ。

そうやって自分に都合の良い娘ちゃんづくりをしやす環境を構築するんや✌

anond:20220814102816

幼稚園児は社会から刷り込み受けまくってるだろ…

こういうのって子供の事をろくに見てないずっと嫁に丸投げクズ父なのか

盆で親戚の子見ただけの独身子なしなのかどっちなんだろうか

2022-08-14

幼稚園児の振る舞いを見ていると

そこに男女差があるのは間違いないと思うんだよね。

まだ社会から刷り込みとかほとんど受けてない段階だから後天的なモノとは言えないでしょ。

2022-08-13

anond:20220813152550

嫉妬じゃないだろ、普通にこういう頭おかしい男親いるんだよ。うちの兄だけどさ。

俺の娘ちゃん多様性の押しつけでピンクを選びにくいんだとか言ってピンクフリルばかりを見せてほかのもの視線いかないようにすんだよ。

ピンクが好きだもんな?とか言って刷り込み刷り込み

いろんなものに興味持っていろんなこと知ってもらおうと嫁側がカラフルものやいろんな玩具を用意しようとしても「これからの女はピンクを選んではいけないという圧力だ、娘ちゃんは自らピンクを選んでるから尊重すべき」とかいうの。そういうときだけ娘を尊重っていうんだわ。普段尊重せずにピンクとフリフリを押し付けてるくせに。

バカの極みだよ。

そんな多様性圧力かいうのが存在してたら女児の人気色やランドセルの人気色1位にピンクはこないしプリキュア主人公カラーピンクから変更されてるだろ。

アンチフェミとか冷笑系にとって娘ってのは自分の都合の良い論理演出する良い道具でありつつ、名誉男性に育てるチャンスでもあるんだわ。

2022-08-12

anond:20220812202618

社会的刷り込み(いつか子どもを産むもの

幸せな家庭、子育てに憧れ

死ぬまでの暇つぶし

自分に出来なかったことをしてほしい

・親家族からプレッシャー

他人の子どもを見て羨ましくなった

・1人で死ぬのがこわい

ペット感覚

好きなものをどうぞ、または複数を組み合わせて最適な理由を作ってみよう

みんな本当はそんなにゴキブリ怖くないよね

フマキラー公式サイトの「ゴキブリ名前を別の言葉へ置き換える機能」が先日バズってた

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2207/17/news056.html

ページのノリが全体的にふざけているあたり恐怖症の人へのまじめな配慮というよりも話題作りジョーク一種なのだろう

それで思ったがいつごろからか「ゴキブリはみんなが怖がっているものという空気」みたいなの作られすぎじゃねーか

殺虫剤CMリアルな虫CGを出すと苦情が届くとかいう話は昔から聞くけど一部のクレームに過ぎなかったそれと比べてもフェーズが進んでるわ

SNSへの投稿でも“G”とか“アレ”とかわざわざ置き換えて書くやつ多いよな

「あの4文字を書くだけでも耐えられない」ってほど重度の人がそんな大勢いるはずもないんだが

どこかで誰かがやってるのを見てなんとなく真似してるんだろう

あと漫画アニメでもゴキブリが登場するときモザイクをかけられることが多くなった

写実的な画風でもない漫画絵なのに更にモザイクかけてんの

これも本気で恐怖症の人を案じているわけではなく、怖がる空気があるのを踏まえた上で

たかゴキブリの絵におおげさにモザイクをかけること」がギャグとして成立するからやりだしたのだと思うが

今となっては面白くもないし作り手側がなんとなく前例踏襲してるだけなんじゃないか

こういうことを続けてるとたいして気にしてなかった人まで刷り込みで恐怖症になっていくと思うんだよな

言っとくけど俺だって別に愛好家じゃないし嫌いなのは間違いないし何より衛生害虫であることが分かってるからたまに遭遇したとき必死駆除するけど

かといって名を伏せ姿を隠すほどの恐怖をすすんで生み出すのはどうかって話よ

殺虫剤メーカーはいいかもしれんけどさ

2022-08-05

声優ってそこまで違いある?

人気の職業らしいしなりたい人ってめちゃくちゃたくさんいるって聞くけど、実際のとこ目立った役をやるのがいつも決まってるじゃん。

これが実写の役者ならその人の持つ雰囲気とか顔や表情など、容姿仕草アクション含めて総合的にこの人じゃなきゃってのがあるのも分かるんだけど、声優って声だけじゃん。

もちろん声優ならではの技術とかあるのもわかるんだけど、そこらへんも経験値ベテランほど足りなくても基礎はできる、くらいの人ならたくさんいるんじゃないの?


いや、わかるんだよ?

例えば実写の俳優で、「あの映画見た時のあの役者良かったから、あの人が出てるなら見てみたい」

これと同じことが声優でもあるのはわかる。この声優がこのキャラクターをやるというなら見てみたい、とかあるんだと思う。

でも声優世界ってそうやって一部のベテラン声優ばかり出続けることになって、なんかえらい歪なことになってない?

実写の役者世界だと、新人がこの映画ですごい演技してるとかで評価されてスターになっていくとかあるけど、

声優でそれをやるって相当難しいことなのでは?って思う。だって声だけの世界で明らかにハッキリと他に差をつけて実力をしめすなんて無理ゲーでは。

そうなると後は事務所パワーバランスとか、本人がアイドル的な人気を得るとか、そういうところになってきちゃうのかなって。


声優にまったく興味がない俺なんかは、アニメもあれこれ見るけど声優名前を見てなにかを判断することがまずなくて、

正直言って別に他の人がやっててもいいんじゃないの、くらいの興味しかない。

監督だとか作監とか音楽とかは気にする時もあるけど、声優に関してはほんとにまったく誰がやってるとか気にしない。

さすがにセリフ聞き取りづらいとかはちょっと困るけど、そうじゃなきゃ少々ヘタだろうがあまり気にしない。

そもそもアニメの声って、そこまで演技力求められるものと思ってないんだよね。声質としてきれいな役にきれいな声とか、恐ろしい敵だから怖い声色がいいとか、そういうのはあるけど。

アニメの声ってだいたい演技もオーバー気味で表現力という点でもテクニック勝負なとこあって、

しかもそのテクニック天井もある程度見えている、人によってそこまで振り幅のあるものとは思えないんだよな。

ベテラン声優さんとか上手いのはわかるんだけど、じゃあこれらの作品の中から今年の主演声優賞はこの方ですね、とか選べるほどの違いを感じないというか。

あとジブリってタレントとか起用して「ヘタすぎwww」とかよく叩かれてるけど、俺はけっこう嫌いじゃない。

棒読みとか確かにうわあヘタだなと思うことはあるんだけど、アニメにおける声の演技ってのがもう何十年もワンパターンすぎて、むしろちょっと変なくらいのほうが味わい深く感じたりもするくらい。


周りにはあのキャラは~さんがハマり役だったとか、色んなキャラクターにどんな声優をあてるかの妄想とかしてるようなオタ友もいるけど、

そんな別に誰でもよくね?って言葉を飲み込んでいつも適当あいづち打ってるわ。



追記

まあまあ伸びてた。実写の役者と同じじゃね?というのはうなづける要素(事務所プッシュで謎の活躍とか)もあれば、うなづけない意見もある。

声優の声10人くらいは聞き分けられるようになってから出直してこい

そもそも声優を聞き分ける必要を感じないのだ。実写の役者だと違う人が出てきたら明らかに問題だけど、例えばアニメ作品S2から主役の声が変わりましたって言われてもへーで終わる。

強いて言えば違和感を感じるとしたら、ドラえもんとかサザエさんとかドラゴンボールとか、すでに声こみで刷り込みされてるキャラの声が変わったときくらいかなと思う。

違いがあるからこそ、少数精鋭が無双しているのではなくて?

ベテラン経験値というのはあると思うけど、そこは単に業界内での安定感とかだけで停滞してるのではと思ってる。

ゲームが昔のリメイクばかりになってしまったのと同じで、ベテランの人や人気ある声優を使っておけば間違いないしとかそれくらいの理由だと思う。

バリエーションに乏しいのは役者じゃなくて役の方なんだよな。 それも供給側の問題ではなくにたようなキャラばかりウケてしま市場のほうに問題がある。

これもあると思う。「声優なんて誰がやってもいいだろ」てのは煽りが過ぎる言い方だけど、その背景には声優のものというより業界とか制作側、さら需要側の問題のほうが大きいのかもと思ってる。

でもオタ向けビジネスは儲かるし日本アニメが廃れるよりはまだよいのかもしれない。

相貌失認あるので声の違いのほうが話題に参加できます。顔はマジで黙ってる…美男美女は全部同じに見える…

一番面白かった意見。なるほど容姿が関わってきた時にむしろ判断基準を見失うケースもあるんだ。

声優の話とは逸れるけど、ある意味声だけが重視される世界と考えたら、歌ってみたとかイケボとかも容姿を気にせず楽しめる世界なんだろうな、それはそれで良きと思った。

2022-07-28

anond:20220728212716

爆発物に見えるものに「爆発物じゃないです触らなければ安全ですよ〜」って書いてあっても、

周りの人は絶対避難すると思うんだけど

相手が人だからややこしくなるんだと思う

男らしさ女らしさを押し付けるのは良くないけど、自ら取り入れにいこうとしてる人の気持ちまで否定してほしくないよね

性別によって嗜好が偏る、っていうのも社会刷り込みとか以前に自分と同じ属性の人がたまたま同じもの好んでる、ってだけだから

それに沿って社会が適したモノを提供しているだけであって

社会が変わりきらないうちは郷に入っては郷に従え、だと思うね

anond:20220728171254

普段彼氏から聞かれるのがそうだから

彼氏今日生理?(エッチできない日なの?)」

という経験を積み重ねているうちに

同僚男性今日生理?(勤務つらい?)」

女「セクハラ・・(誰がてめーとエッチなんかするかよ)」

となるわけよ。

刷り込みからくる勘違い

2022-07-23

anond:20220723204934

幼少期の刷り込みって怖いね…。まったくそ感覚は分からいから、どうすればそれが無くなるのかも分からない。

それはそうと、個人選択無駄に奪う教えってなんなんだろう。誰のための教えなんだろう、と思ってしまう。

仏教徒新興宗教との遭遇を語る

書いてる私の略歴 中学坐禅にはまって禅寺に通いはじめる。スピ系話が好き。ワクチンはP・P・Mで接種。年齢 中高年。

 事例1母

私が小学生の時、PTAボス存在に連れられて1946年設立された教団に通い始める。

以下、母の証言による。

信者は皆の前で反省しなければならない。家のなかのあれこれを全部話させられる。貯金の額も申告させられる。

毎日布教に行く。母に同行した支部班長は近所の不幸をあれこれ聞きだし、それを使って信者を獲得(○○で悩んでいた人が入信して良くなったみたいな)し、毎月信者獲得数トップで誉められていた。

布教の時に配る教団の冊子は信者が買う。沢山買って沢山配れば誉められる。返品不可。

ごく短期間で母ギブアップ。辞めるときにかなり揉めたらしいがなんとか脱退。

その後私が禅寺に通い始める。

事例2 親戚(女性 当時一人暮らし) 神道系教団。入信はオウム事件の遙か前。

退職後知人に誘われて入信。

日中道場に詰めて連絡が取りにくくなるも、当初は留守番電話の設置だけ薦めて我が家は静観。

その後我が家に来て自分清浄、我々は不浄な態度を露骨に見せ、他人の不幸を今まで以上に嬉しそうに話し始めたので、信者の自惚れに餌をやるタイプの碌でもない教団なのか、元々性格に難のある親戚だけがそうなって教団はまともなのか判らず我が家対応に苦慮。

 ご奉仕に身につけるエプロンは他で使うと穢れるとか、お守り袋作成の中に電話に出ると穢れるのとか、禁忌があまりにも厳しすぎ、自分達は守られているので医者に行かなくても大丈夫、薬は毒等々と言い出す。

うぬぼれはどこの宗教でも社会常識でも悪い事なのだが、それを抑えている気配が無く、禁忌によってそれを煽っているように見える。私の入門した禅寺の御老師様はこういうことにかなり厳しかったので絶句する。これはかなりまずいかもと退団の説得に乗り出す。しかし時既に遅く不浄な我が家言葉は届かず、「守られている」と大見得切っているので事故病気になったとき我が家に助けを求められず、却って事態悪化すること数えきれず。

薬は毒だとか恐怖を煽りつつ、私たちだけは救われるんですよと優越感をくすぐる、宗教というより殆どマルチ商法という気がしたので「苦情の坩堝」や「悪徳商法マニアック」の体験談を読みあさり、なんとか脱退の糸口を掴もうとするも結局力及ばず。

晩年、教団墓地管理費を長年二重取りしていたことが判ったが(お金は返ってこない)、それでも結局親戚は死ぬまで信者だった。

親戚の死後、親戚が身につけていたお守りの事で親戚を誘った女性とも初めて会ったのだが、教団墓地の話ははぐらかすのに、突然の葬式仕切りで大忙しの私を道場へ何度も何度も誘った。控えめで気が弱そうで善良そうな女性である。長年道場けが重要で世の中の事は些事と教え込まれているとこうなるのだろうか。「世の中に間借りして修行させてもらってることを忘れるな」って御老師様は言ってたから、あんまり世の中を軽く扱うのもまずいのではと思う。

また信者に口寄せさせて、その人が話したことを真に受けて皆で実行していたようなのだが、そんな心許ないものに左右されてどうするのだろう。世間に対しては一々疑いや不信を抱くのに自分達の行いに対してはあまりにも信用しすぎなのもまずいと思う。「自分を疑え」「脚下照顧」と先達も諭しているのに。

通帳など紛失しているので判らないままだが、親戚が教団に納めた金額は8桁を超えていたようである。教団の維持にお金必要なのはわかるけど、それも程度問題だと思う。

職場と家以外、人間には案外居場所がない。親戚にとって道場は第二の我が家だっただろうし、母も家とパート先以外の居場所が欲しくてあの教団に行ったと思う。でも信者獲得数やお布施の額で確保する居場所は良くないと思う。

余談だが、コロナ流行した年にこの教団の他県支部クラスターが発生したらしい。薬は毒、我々は神様に守られている、発熱好転症状と言い続けていたら、三密対策もとるにとれなかったろうとは思う。

事例3 昔の知人が突如布教に来る(数年前から)。

タイトル通り。ある日知人ともう一人が冊子をもって布教に来たので、私は中学の時に禅寺に入門して受戒していること、今も信者である事を告げてお引き取りを願ったところ、「先祖供養はお寺任せではなく、自分でやらないと。ここなら自分でできるんです」と連れの年配女性。「自分でやってますが」と私。

しか相手は怯まず他のやり方では駄目と言わんばかりに押してくる。

それなのに冊子には教団名が書かれてない。祈祷文をネットでくぐって漸く判明した。自信あるならちゃんと名乗れよ。

知人も過去自分の不幸を開陳するのだが、母の体験もあるので私は一切自分の状況を口にせず「現状に大満足(大嘘)」で押し通す。キリスト教告解神父様だけにだし、仏教は仏に懺悔する。到らぬ身の人間相手懺悔しても悪い結果にしかならないと御老師様も言っていたしね。

宗教でも自派が一番優れているといってるけれど、それは大昔の、印刷術も電話もなく、人の移動がほぼ徒歩だった時代アクセス出来る範囲にある宗教では一番と言ったわけで、色々な宗教信者が一緒に暮らす現在それをいうのは利より害の方が大きい。私の禅の師である老師様は他宗教をくさす言葉一言半句仰らなかった。

かに小学校友達教会で入信したときに「私は救われるがあんたたちは煉獄」と言い放ったし、私が禅寺で入信したときクリスチャンの友人が牧師執筆の本を貸してくれ、そこには孝行を尽くした妹よりなにもせず親の死後仏壇を買った長男が誉められる仏教は間違っていると書かれていた。

事実に基づかない批判(貧女の一灯をしらんのか)を展開する行為の方が、私にはドン引きだった。さすがにこういうのは今は少なくなっていると思う。

常識を疑う、破るのは仏教にもあるが、それは修行が進んだあと、無意識下の刷り込みを打破するためのもので、一般信者社会常識を踏みにじっていいということではない。

普遍的道徳に照らしてアウトなもの宗教でもアウトだと思う。

この二人組は本当に何度も来た。コロナになってやっと音沙汰がなくなって悪いがほっとしている。

例外 もしくはあるべき姿

20代後半のある日、家で読経中に宗教の勧誘が来た。中断させられてイラっとした私は数珠袈裟のままドアを開けた。そこに立っていた男性は、私の数珠袈裟をみて「これはお邪魔しました」と深く一礼した。近所のキリスト教会の牧師である事を名乗って、若い女で異教徒の私にもう一度お辞儀をして、信者を引き連れて帰っていった。信仰する者に出会たことが嬉しいという顔をしていた。「美味これ淡味」本当に価値のあるものは奇をてらわない普通の姿をしているのだという御老師様の言葉が浮かんだ。私も深く一礼した。

2022-07-18

年下に何か指摘されるとイラっとする文化圏に生まれたくなかった

これもう文化による刷り込みだと思うんだよね

アメリカとかそういうのなさそうじゃん

もう年下上司とか当たり前の世の中だし、年下の方が優れてると思うこといっぱいある

んでそもそも「年下〜」って言い方がもはや慣習に支配されているわけで

うそういうのも無駄ストレス蓄積されるの嫌すぎる

2022-07-17

anond:20220717024440

小学校くらいからずっと首相だった人って、たぶん刷り込み効果のおかげで「国王」みたいなもんになってると思うんだよね

2022-07-15

anond:20220715100152

あなたは単に統一教会問題点を知りたがっていたのだと思って書いたのだけど、根底清和会プロパガンダ刷り込みあっての思考だったのだな

そもそも誰かの意見を受け入れる下地を持たないだろうから、確かに私の見当違いであった。どんな場所でもあなたの欲しい答えは得られないよ

anond:20220715081254

なに課税を免れようとしとんねん。

俺の実際の被害経験からだ。

ライトに見える新興宗教は、

街の祭りや祭礼、神社仏閣等の伝統宗教

カルトの境い目をなくし、

やばいカルト誘導する立ち位置にある。

しかし、ライトととは一見だけで

深く代々洗脳刷り込みの「虐待」がある。

そして、ある日突然、団体がへんな指導をして牙をむく場合もある。

ゆでがえるにされる。

創価学会二世としての記憶感想を私も書いておきたい(クソ長文)

創価中高ですごした増田https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。

今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構インパクトがある出来事のような気がする。

たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。

増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。

生誕とほぼ同時に入会

うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。

父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。

私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。

このシステムがまずすごいよなと思う。自発的意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権蹂躙っちゃそうだろという気がする。

入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプル理由

幼稚園(『お寺』との断絶)

私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリ活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。

地域役員地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。

人がたくさん集まってて、同年代の子ももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだ絵本よんだりしてるくらいの感じ。

ちなみにこのころは、まだ学会日蓮正宗破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。

が、破門されたとたん日蓮正宗邪宗筆頭みたいな扱いになる。

戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。

小学校(自宅で会合が始まる・合唱団入団選挙活動

自宅で会合が始まる

母が地区役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。

家が創価学会会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶しかない。

家に人がたくさん来るのがシンプル楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。

嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。

会合最初にみんなで法華経方便自我偈をとなえたあと、唱題する。

低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。

あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。

会合座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。

学会歌を歌う時間とかはもちろんあった。

家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。

https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8

朝この曲で起きてました。奇特すぎ。

役職についてる人がいるとはいえ子どもの目には会員同士の関係あくまフラットな感じに見えていた。

合唱団入団

今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。

しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。

母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。

ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。

一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。

入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日文化会館指導があった。

指導学校音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的合唱曲練習をしていた。

たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポ別にいらない…。

小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。

創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃん外国歴史上の偉人リスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。

小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。

なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。

このとき練習普段練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。

あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。

今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。

なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補

練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき自分でやるっていったんだから責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通ダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。

選挙活動

学会二世には「選挙祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。

実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたし投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。

でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。

私は自分友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。

とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。

話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。

完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。

あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラス候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。

若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。

今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?

中学校(活動に疑問を持つようになる・教学試験

活動に疑問を持つようになる

小学生のころから国語社会歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。

母の蔵書である古典文学全集解説書、文学文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。

円地文子清少納言枕草子解説している文章リリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。

腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語現代語訳を読んで、平経正守覚法親王関係都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え

絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語随筆舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。

しか学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。

寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。

教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様名前が書いてあるのに謎すぎる。

(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)

私は母に、はるかから善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。

訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。

そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。

世間一般学会偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。

中学友達立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち

政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。

でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動生活破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。

(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。

ちなみに、法華経方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)

読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)

日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。

教学試験

教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。

一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるいかそういうもんでもないらしいがよくわからない。

上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。

ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。

さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強シンプルおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるからしかったし、普通に合格した。

でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。

母親は一番上まで持っていて、父親は未受験

高校同級生に会員がけっこういることに驚く・創価大学受験して進学しない)

同級生に会員がけっこういることに驚く

高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。

信教の自由であるとか、折伏新聞啓蒙選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。

やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分あんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。

親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。

高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。

けっこういるのにおどろいた。

多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。

創価大学受験して進学しない

学会員の間では、創価大学は超絶いい大学東大にも負けない日本最高峰大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。

めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。

活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期から刷り込みしか言えないと思う。

偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。

当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。

同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。

親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。

大学学会ネットワーク驚愕偏見を感じる)

学会ネットワーク驚愕

そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。

ネットワークマジで驚いたしちょっと怖かったよな…。

ちなみに大学には創価学会サークルがあって普通に活動していた。

極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会サークル普通に野放しになっていた。

別に実害ないってことなの? 今思ってもちょっと謎。

どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。

この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。

名前は忘れたけれど、今でも大好きで大切な一冊を勧めてくれた人がいたことはずっと覚えていたい。

続き(https://anond.hatelabo.jp/20220715032335

2022-07-12

宗教二世リアルと苦しみ

今も状況変わらないので少しフェイク混ぜる。

まず実際に経験した一例

強制入会

・〇〇しちゃダメ行っちゃダメ

・いいことある教祖のおかげ、悪いことあると教えを守らないか

毎日教本読みなさい

・教えの筆記試験受験のため定期テスト前に強制勉強

・疲れて帰ってきた後に付き合わされる信者信仰動画鑑賞

苦しいこと

・幼少期から刷り込みにより怖さと罪悪感で信仰心なくても禁止事項を破ることができない

・大好きな親をこの時ばかりは嫌いになる

・親を頭おかしい人だと思われる

今パッと思いつくのはこれくらい。別に親が宗教信仰してるからってそれ自体は親の自由だし、ある程度その活動精神的に安定するとかの理由があるならしてくれていいと思ってる。大金つぎ込むとかもしてないし。

でも小中学生の頃なんかは禁止事項に当てはまる遊びを友達に誘われて、親に聞いたらダメって言われるし、高校修学旅行ではそれ回避するために友達になんて伝えたらいいかからなくて辛かった。とにかく宗教のせいで周りを巻き込みできないこてがある状態がずっとしんどかった。

小中学生の頃は親が学校に直接伝えて禁止事項当てはまることは一切しなかった。一回担任と二人で話したこともある。親子ともども頭のおかしいやつらって思われてるだろうなって勝手想像して、でも当然親にもそんなこと言えるわけなくて苦しかったし、今でも苦しい。

親のことは大好きだからおかし人間だと思われてると思うと本当に苦しかった。普段はめちゃくちゃいい親だから。まだ10前後の子供が、親のこと宗教だけで嫌いになれるわけない。

大学生になったから周りに知られることは無くなったし、自分の中で仕方のないことだってある程度折り合いつけれるようになった。諦めただけではあるけど。

でも小さい頃の私には耐えられるものじゃなかったな。洗脳と親愛で、今でも囚われてる。

この呪縛から解き放たれることは一生無いと思う。禁止事項を破ることは宗教否定してることに繋がるし、宗教否定することは親を否定することに繋がるってどうしても思ってしまうんだよね。親を否定なんてできない。今でもお世話になってるし、感謝尊敬しかいから。

親は好き。縛りがあって、キチガイだと思われてるかもしれないか宗教は嫌い。でも親は信仰してる。だから親に信仰したくないとは伝えてることはできないし、宗教二世でしんどかったことも伝えれない。ほんと一生ものの心の傷だよ宗教二世の苦しみは。

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