はてなキーワード: 刷り込みとは
そんで私は隠す側の人間
隠さないよう堂々と生きるのもいいけどぜっっったいにその人が帰った後恥ずかしさ居た堪れなさに苛まれることがわかってるから100%隠す
必死に隠す
隠さない人はそんなこと思わないんだろうか
・誰に見られても気にしない
・めんどくさいという気持ちが上回る
?
隠す人の心理(仮説)
・オタクは恥ずかしく隠れるべきものという刷り込みが未だにある
・そんな恥ずべきものと一緒にされては困る
・ドン引きされたくない
・特に可もなく不可もない部屋の住人だと思われることで印象に残りたくない
ちなみに掃除も最低限する
普段は全くしないのに
見栄をはりたい?
汚い部屋だと思われたくない?
髪の毛がそこらじゅうに落ちまくってる家はさすがに嫌だろうと思って掃除機をかける
同じような感じなんだけど何か少し違う?
不快感を与えたくない?
うーん?違うな
というか
そもそも部屋の中というのはすごくプライベート空間でその人の全てが丸裸な気がする
それを見られるのが恥ずかしい?
これかな
二次創作漫画描くの楽しいけど、外に見せるのって自分の内側を見せてるみたいでめちゃくちゃ恥ずかしいけど
そんな感じに近い?かも
業者は火災報知器しか見てないのは1000000000も承知だが業者本人の視界と脳内はどうでもよくて
どのアニメが好きか、どの芸能人が好きか(熱烈に)ということは私にとって私自身を構築する内側に踏み込む重大な問題であって基本的にさらけださないようにしている部分
性癖と根幹の話
好きであればあるほど話せない秘密にしておきたい
それを躊躇なく出して自分をさらけ出して生きていくことは自分の内側を見せて歩く、基本的に自己肯定感の高い生き方なんだろうな
そりゃ無理だよ
自己肯定感低いもん
結局また自己肯定感の話になるな
なーんだ簡単な話だったわ
見た??!!
最高だったんだけど!!!
マンガは大ファンで、スラムダンクきっかけでスポ少入ってたし、
結論、最高だったんだけど!!!
声優は正直気になったけど、こんなの子どもの頃に見たものの刷り込みとの差分だから、あって当然。保留。
それを置いておいて最高だった。
3Dを使うところもよく考えられてたし(違和感はあったけど、必然性は感じた)
何より、内容に適した演出が極まっててヤバかった。汗、時間の感覚、細かい動き。すばらしかった。
内容も良かった。
自分の家も親が早くに逝ったり、離婚してたりで、弟が辛そうにしてた時、バスケを支えにしてた。
そう、バスケって人を支えてくれるんだよな…!って思い出した。
バスケにかける理由は様々だけど、それらがきちんと解像度たかたかで描かれてて震えた。
言いたいことは山ほどあるけど、
とりあえず
社会的要因ってのは、囲碁とかチェスとかに夢中になるのはどっちかというと男の子の遊び、みたいな社会的・通念的な刷り込みのことだよ
片方の性にプレイ人口が少なければ当然頭角を現す人も少なくなるでしょ
他にも性によって趣味のチョイスに対する社会的な干渉の度合いも違ってくる
女性は自身を飾り立てるタイプの趣味や社会性を感じられるアクティビティに引き寄せられる率が高く、そうでないものに興味を持ったとしても同性仲間から引き戻される率が高いかもしれないっていうのも社会的要因だし
つまり男性の方が他人を気にせず興味をもったことに打ち込み続けやすい社会的バイアスがあるかも的な、そういうのが社会的要因
脳の構造によって男女でパフォーマンスの差が決定的に違うわけではないのなら、こういう部分がじわじわ響いてきて男女格差という結果に繋がってると考えるのが自然だろう
官公署が関わる大きな事案が、談合や汚職なしに進められるわけがない。調整を誰か一者に任せてスムーズに進めたい。
だから、大会のすべてを委細まで一手に取り仕切っている民間企業が一社あるはずだ。
近頃ポロポロとニュースに出ているが、あんなの氷山の一角だろう。その会社も少しは名前が出ているが、大きなヤマに目が向かないよう小さなネタを小出しにしているのではないか、と疑ってしまう。
社会人が不正をして処分を受けるにあたっては下記の三種類に分けられると思う。
マスコミはこれらすべてをぐちゃまぜにし、ときには冤罪の恐れをも無視し「逮捕=犯罪者」の方程式を提唱して、白を黒に染め直してはいまいか。
刑事事件においても、検察からの求刑が確定刑かのように伝えてはいまいか。
とくに公務員ネタは、平均賃金もボーナス支給も汚職も談合もなにもかも悪いことのように、ひたすら黒く黒く伝えていまいか。
五十台以上のテレビ支持はすさまじいいと思う。何かといえばテレビ。エンタメもニュースも雑学もテレビ。
明日の天気が知りたいとき、たとえ目の前にスマートフォンがあったとしても、時間になるまで待ってテレビをつけて某公共放送にチャンネルを合わせてるという具合。
それより下への年代のコントロールは効いていないように思えるんだけど、でもなんだろうなぁ。えもいわれぬ影響感がある。
会見にしても、国会答弁にしても、何も意味のあることは言ってないよねぇ。
実際に国や都道府県を動かしているのは誰なんだろうか。官僚とかいう人?それすらマスコミからの刷り込みに思える。
実は国を動かしているのもオリンピックを取り仕切った某社だったり、人材派遣業と名乗りながら田舎と若年層を食い荒らしている某社だったり、回りまわって腹黒い政治家が登場したりするのかな。
まあ失敗していたとしても、責任転嫁も得意だろうから何も問題ないんじゃない?
彼らこそ勝ち組なのかな。よくわらかんけど。
イヤな記憶や失敗した思い出が
なぜか生活の場所・行動に紐づいてしまって、その行動をするたびフラッシュバックが起きる。
たとえば
■キャベツを切るたびに、昔の職場でうまくやれなかったことを思い出す
■コンタクトをつけるたびに、仕事で連絡しそびれて関係が微妙になったAさんのことを思い出す
■戸棚をさわるたびに、某さんとの飲み会で失敗した自分を思い出す
といった感じ。
無心でいるときに、いやなことを何度も反芻してしまう癖があって
それが変な形で刷り込みされたのかな、と思っているのだけど
この刷り込みを消すのはどうしたらいいんだろう?
意識的に別の「うれしかった出来事(歯医者さんにめちゃくちゃ優しくしてもらった)」を思い出すようにしてみたのだけど
上書きはされることなく、一緒に出てくるようになってしまった。
その行動自体をやめる、というのも考えたけど
実際に馬鹿にされたわけじゃ無いし。
会社では流石に「ボク童貞です!」とか言わないけど、友達同士だと俺童貞なんだよねとか言った事ある。良い友達に恵まれてるから馬鹿にされた事は一度も無い。
だけど俺自身が凄いコンプレックスなんだよな。俺だけ誰にも愛されないという事が。
厳密には俺だけじゃなく新人のもう一人の方も童貞である可能性はある。だけどもう一人の方は顔は残念だがハキハキ喋るし仕事の覚えも早いから非童貞の可能性も十分ある。プライベートの話なんか1秒もした事無いから実際の所はわからん。
他人の影響があるとすればセックス=大人、という社会通念的な刷り込みや、非童貞や彼女/嫁が居る方が人間的に優れているという考え、人間的にまともなら彼女くらい出来るという常識が、自分の過大なコンプレックスに影響を与えた可能性はある。ちょっと言い訳っぽくて嫌だけど。
親が宗教に骨まで浸かってると、子どもはどうしても影響を受ける。
宗教二世は——同じく入信するかはともかく——否応なく思想の歪曲を行われる。
性的消費問題・未成年の性的同意問題で散々議論になったトピックを思い出してくれ。
子どもは、宗教とは無関係に自然にすくすく育った場合とは似ても似つかぬ精神に育ち上がってしまう。
日本には「信教の自由」がある。親の強い精神的抑圧は、子どもの宗教を選ぶ自由を実質的に侵害している。だから、大人が宗教を持ち続けるならば子どもは生んではいけない。——…これが『宗教するなら子を生むな理論』である。
しかしまさしく、サンタクロースやおみくじなど、微細なレベルでは一般的に宗教の刷り込みは広く行われている。大人になっても正月になんとなく賽銭を鳴らし、おみくじを引いている人も多いだろう。
親が子どもに野球を進めたり、将棋を教えたり、もっと視野を広げるとエンジニアとしての働く背中を見せるだけで子どもを理系に進ませる強い効果が出てしまう。なら、娘にフェミニズムを教えるのは? SDGsを教えるのは? テレビのニュースで小さい子どもが「戦争はやってはいけないと思います」と悲しそうにしゃべっているのに違和感を持ったことはないか? 人生経験の浅いきみたちが戦争の重みの何を知っているというのか。何のことはない。彼らの実態は、周りの大人や社会環境、クラスメイトの同調圧力に強く影響された、『洗脳された』に過ぎないのさ。
ネット上のディズニーアンチは異常すぎる 大して日本のアニメ漫画とか好きじゃない人間たちが
公式が日本のイラストレーター使って日本風絵柄のスタンプ出しただけで皮肉にもなっていない直球のヘイトを
頭で考えることもなくただ反射的な反応として書き込んでいる
ザイオンス効果という言葉を初めて知った。wikiによると以下のことなんだそうだ。
単純接触効果(たんじゅんせっしょくこうか、英: mere exposure effect)は、(閾下であっても)繰り返し接すると好意度や印象が高まるという効果。1968年、アメリカの心理学者ロバート・ザイアンスが論文 Zajonc (1968) にまとめ、知られるようになった[1]。
ザイアンスの単純接触効果、ザイアンスの法則、ザイアンス効果などとも呼ばれる。対人関係については熟知性の原則と呼ばれる[2]。
はじめのうちは興味がなかったものも何度も見たり、聞いたりすると、次第によい感情が起こるようになってくる、という効果。たとえば、よく会う人や、何度も聞いている音楽は、好きになっていく。これは、見たり聞いたりすることで作られる潜在記憶が、印象評価に誤って帰属されるという、知覚的流暢性誤帰属説(misattribution of perceptual fluency)で説明されている。また、潜在学習や概念形成といったはたらきもかかわっているとされる。
図形や、漢字、衣服、味やにおいなど、いろいろなものに対して起こる。広告の効果も、単純接触効果によるところが大きい。CMでの露出が多いほど単純接触効果が起きて、よい商品だと思ったり欲しくなったりするのである。
Z世代に顕著と元増田はいうのだが、上記定義をみると、広く言えば、むしろ日本の集団主義的な組織風土をドライブするメカニズムに関係しているように思えるね。単純接触効果を組織内でうまくつかって「うちわ」の安心感を醸成してゆく、というか。
従来の日本の組織というのは、年配者が半ば強引に、単純接触の機会(パワハラ的指導、飲みにケーションが最たる例)をつくり、すでに組織内で支配している層に居心地のいい「うちわ」感を若者に覚えさせてゆくプロセスを通じて、世代間の組織風土の持続性が図られてきた。80年代、上司の室田日出男が新人部下の中井貴一をオルグして毎晩カラオケについていったように(ふぞろい世代)。
そういう見方をしてみると、要するに、ザイオンス効果をとらえて、Z世代の特徴かというと、よくわからない。
恐らく、ザイオンス効果自体は変わらないけれども、変わったのは環境なんじゃないかな。Z世代以前以後で。
Z世代以前と以後では、世の中の居場所、選択肢が急速変化している。
80年代のティーンの居場所は、学校かゲーセンか、盛り場、塾だったし、学校が嫌になった場合の逃げ場が限られていた。
通信手段も、携帯電話は存在しなかったから、友達からきた電話を親が先にとる時代だった。娯楽も限られていた。
消費者の選択肢が少ないから、メーカーもプロダクトアウトな発想で、繰り返しCMを流し、消費者に刷り込みをかけてマスな製品を作ってしまえば市場を席捲できた。ソニーのウォークマンが典型。これもザイオンス効果のひとつといえる。
マスな動きに取り込まれる(流行に乗る)ことが取り残されない条件だったし、会社でも上司に従うしか、居場所を見つけられない時代だった。
政治選好的にも、当時の自民党VS社会党というのは、絶対的な安心感を与えていて、とにかくうちは自民党、うちは問答無用で、昔っからおたかさんみたいな時代。
そして、学生から社会人など、環境が変わるたびに、通過儀礼的に「その空間での安心感はこれだ、こういうやり方してりゃいいんだよ」と新参者は叩き込まれる。
しかし、90年代以降の動きというのは、情報革新によって、ニッチな居場所、環境が急激に増えた時代。あるいは気が付くことができるようになった。
ニッチな環境がどんどん増えて、自分で居場所を選べるようになった。
政治も細川政権以降、離合を繰り返した。会社組織も働き方や仕事の仕方に、多様性を認めるようになってゆく。その最初のきっかけは80年代、転職というムーブメントだった(リクルート)。
しかし、自分で転職したり、ニッチな空間をみつけて得られる安心感というのは、自分の欲求ニーズにジャストミートをするという意味では安心だが、例えば自民党を疑いもしない時代に比べると、寄る辺のなさを感じるものであり、かつてほど盤石ではなく流動的で、大きくもない。
そしてかつてのような大きな主体に取り込まれることの安心感が少なくなっているんだろうと思う。
昔だったら、そういう大主体は自分から探すものではなく、人生のステージがあがると、会社の上司が象徴するように、待ち構えているものであって、
飲みにケーションの洗礼をあびて、数年で組織に同化していった。同化の過程は最初は激烈でキツイんだけど、集団に慣れると逆に居心地がよくなるのだ。
ザイオンス効果という言葉をあえてつかって、前世代の特徴をいえば、オルグする、という意味で、プッシュ型のザイオンス効果。紙の新聞メディアもその典型で、世の中の標準的な考え方というものをテレビや新聞などのメディアを通じて受け入れるプロセスが存在した。
しかし、情報通信革命がもたらしたニッチな空間、居場所への気づき、というのは、自分から自発的に、その時々で感じている不安・ニーズを解消する場所へ向かえるようになった、という意味。
自分から安心を探し出す、という意味ではプル型のザイオンス効果。簡単に答えがみつかるからSNS依存を深めてしまう。自分の疑問や不安は自分からググればなんとなしに答えが見つかる、という。Togetherは都合のいいようにあたかも大勢の人が考えを共有しているかのような細工をして答えを提供してくれる。電子掲示板やSNSの、自分と似た意見や思想を持った人々が集まる場で、自分の意見や思想が肯定されることで、それらが正解であるかのごとく勘違いする、いわゆるエコチェンバー効果が議論されるようになったのも2000年代初頭。
こういう時代には、何が標準的な考え方で、支配的な考え方なのか、それを新聞などマスなものを通じて確認する、ということが難しくなっている。
SNSなどを通じて自分の求めている何かを見つけてしまえる安心感と引き換えに、いろいろな人がいろいろな場所に安心を見出すようになって、マスなものにピントが合いにくくなってしまった。
だけれど、恐らくザイオンス効果がプッシュ型であれプル型であれ、本質的に、よりマスなものを求めて安心する、という傾向は変わってないんじゃないか。
一方で、プッシュ型のオルグからうけるストレスに、自分で答えを探すことによってすぐにすり抜けてしまう、ここにZ世代の特徴があるかもしれない。
昔だったらほかに選択肢もないことから、ちょっと我慢して順応せざるを得なかった組織も、今ではそのストレスから逃れる手段も選択肢も豊富。
ストレスから逃れた先に、当面の安心感はあるかもしれないが、マスなものに比べれば脆弱だ。
それはパーツパーツでちょっとした安心感を消費するものであって、全体として組織が自分を傘のようにかばってくれるような安心感ではない。
それはむしろ、自分で集めた安心、時代のキーワードを寄せ集め、組み合わせてコンセプトを自分なりに構成していかなければならない。
上司の説教など、プッシュ型を避けてしまえた結果というのは、つまりそういうことだ。しかし、そういう構成力というのは、若者の経験、能力、資質にどうしても依存してしまう。
自分自身をふりかえってみても、そういう試みというのは、一時しのぎになりがちだ。安心をみつけるのはほんとに安易になった時代だ。
しかし、だんだんわかってくる。マスなものも慣れてくる。経験を重ねるとみえてくるものが増えてくる。その経験値の差が今の時代に、なんとなく世代間の差のように映じているんじゃないだろうか。一昔前だったら、そんな個人的な経験値など全くどうでもいいものだったと思う。
若年層の政治的な保守性というのは、保守の理念への信頼ではなく、
寄る辺のなさからなんとなしに選択されているんだろうと思える。
もう一度繰り返すと、ザイオンス効果自体は、安心を求める日本社会において、Z世代を特徴づけるものというよりは、全世代に通底するものかもしれない。