はてなキーワード: 一部の人とは
「おぺち」という言葉は、現代日本語における若者言葉の一つである。この言葉は、元々は「お餅ちゃん」という愛称で呼ばれる可愛いキャラクターから派生したとされている。
現在では、主に女性同士の会話やSNS上でのコミュニケーションで使われることが多く、相手に可愛らしい印象を与えたいときに用いられる。また、最近では男性も使うことがあるようだ。
「おぺち」は、単語としては存在しないため、一部の人々からは非難されることもある。しかし、言葉は常に変化していくものであり、社会の変化に応じて新しい表現が生まれるのは当然である。若者たちが自分たちの世代に合った言葉を作り出し、コミュニケーションをより豊かにすることは、言語の進化において非常に重要な役割を果たしているのである。
「おぺち」が今後も若者たちの間で使われ続けるかどうかはわからないが、この言葉が生まれた背景にある、可愛らしいキャラクターや日本の文化に触れる機会があることは、非常に意義深いことだと思う。
大人や世間に迷惑かけてない子供時代を過ごしたヤツだけ子育て世代に石を投げろ
そんなことはあり得ないだろう?
世間に迷惑をかけて、親に叱られ、教師に注意され、世間はそれでもお前らを許してくれたはずだ
お前らは級友と騒ぎながら登下校したし、公共交通機関で大声を出した
中には商店で駄々をこねて寝そべった奴も居るだろうし、お菓子売り場へダッシュした奴も居るだろう
知ってるか?小さな子が駆け出すと一部の人たちは親と思われる人へ対して駆け出していった方向へ目配せすることを
気付いているか?小さな子の声が聞こえると一部の人は子供の居場所を確認してぶつからないよう配慮していることを
大人になった今なら確かにそうだと言えるだろう?小さな私たちは世間に許されてきたと
元エントリにはてブが1700もつき、Twitterでも関連ツイートが千バズ、万バズになり、それらの閲覧数の合計が7桁になっていたのにはびっくりした。
「言語化されていないが切実な課題」だったのだな、と強く感じている。
そして、「自分の解釈を傍に置いて読む」ことができない人がたくさんいたのには、予想はしていたけどさすがに笑ってしまった。
まーそれが人間の仕組みだしね、とは思っているけど、やはり笑ってしまう。
その一方で、読めている人が、しっかり読んだ上で切れ味鋭くコメントしてきているのも事実。
世の中はすごい人がたくさんいるな、とも改めて思ったし、賢い人を甘く見てはいけない、という思いを新たにした。
ということで、フィードバックがあった点を中心に、情報を補足したほうが良いと思った点について、自分の考えを箇条書きで書いていく。
結論: 食べられない
理由:
自分はガチで子供嫌いで、子供の泣き声とかくねくね走ってる姿とか鳥肌立つ。よだれまみれの口とか見ると吐きそうになる。自分も赤ちゃんだったとか関係ない。
もちろん普段そんなこと言うわけないし、会社の人とかにお子さんの写真見せられたりしたら「かわいい〜!」って言ってる。
自分はSNSでも言わないけど、一部の人は子供嫌いってはっきり言うじゃないですか。
そういう人に対して「子供嫌いとかおかしい」「子供嫌いって堂々と言える頭がおかしい」っていう人たちって結構いるじゃないですか。
なんで批判するの??別によくない???とずっと思ってたんだけど
多分批判する人って、「子供嫌いな人=子供に幸せになってほしくない人、子供に消えて欲しい人、子供に危害を加えようとする人」と言うふうに考えてるのかなと今日ふと思った。
「子供が嫌い」と、「子供に幸せになってほしい」は両立するんですよね。
私は前述の通り子供が嫌いだけど、児童養護施設や子供の教育、病気の子供に関する寄付は毎月してる。株の優待で子供への寄付が選べるなら商品とかよりそっち選んでる。
兄夫婦が嫌いだから甥っ子にも会いたいと思わないけど、もし将来甥っ子が「留学したいけどお金足りない」とか言ってたら普通にポンと出すと思う。
例えがおかしいと思うけど、例えばパクチー嫌いな人いっぱいいるけど
その人たちは別にパクチーが世の中から消えて欲しいとかパクチー農家に死んで欲しいとか思わないじゃないですか。いや思ってる人いるのかもしれないけど。やっぱり例えおかしいか…
すべての子供に笑っていてほしいし、やりたいことがあったらそれをすることができて
生まれてきてよかったと思える社会を作っていける大人の1人になりたいと思ってます。子供嫌いだけど。
そういう人もいるということを知って欲しいなと思いこれ書いてみました。
「女性の味方」を自称するフェミニストやフェミニスト団体、リベラルを自称する輩に少しでも批判的な意見をすると
そいつの仕事も社会的地位も全て壊して奪ってやるとばかりにネットリンチを繰り広げる左派や女性達を見ていると本当に恐ろしい。異常者集団としか思えない。
カルトも末端の大半は「良かれと思って」壺を売りつけたり迷惑な勧誘をしたりしているものだが、彼女ら彼らも「正しい事」をしていると思っているのだろう。
批判者は悪であり、悪を口汚く中傷し嫌がらせをするのは「正義」なのだろう。まさにカルトだ。
ネットで糾弾会を繰り広げる有様は、一昔前に同和団体が「差別打倒」の名の下に糾弾して圧力をかけ、公金を毟り取るスキームを構築していった様子に酷似している。
現代の同和差別であったり在日差別なんてものは、一部の異常思想集団がやっているもの以外は、本来であれば現代では消え去っていた。
けれどならなかった。「差別されている我々」という立場を失いたくない連中が、「差別されているぞ!」とマジョリティを攻撃して「差別」して、「差別された」マジョリティが「差別」をやり返し
本来は歴史の闇に消え去る筈だった「差別」が本当になってしまったのだ。
フェミニズムが「保護すべき弱者」としている「弱者」は、すなわち女性だろう。
女性こそが新たなる被差別者として実態の無い差別を捏造され、差別者とレッテルを貼られた多数派が攻撃され、その怨みが本当の「差別」を作るのだ。
某地方出身として、同和にルーツを持つ者として、自分も両親も近い親族も被差別者として利益を得た事は無く差別を受けた事も無いが
一部の親族や知己が「差別された分の補償」の様な形で利益を得ているのも知っている。
そしてその事に後ろめたさと肩身の狭さを連帯責任として負わされている。
自分達にとって同和利権など「嘘」ではあるが、一部の人間にとっては「真実」なのだから、利権の為に搾取されている人達からの批判は避けられない。
日本に住む「憲法や法律や人権なんてどうでもいい」って一部の人たちはいいだろうけど、そうじゃない一般人、それも「人権を守ることに命をかけていている人たち」は、これでも消去法で野党支持なん?
全然意図が伝わってないので、追記すると、人権を守ることに命をかけていている人たちの「野党支持」のボーダーラインが知りたい
同じ日本人に対してこの仕打ち。しかも、そうやって差別している人たちに、災害時には「助けろ、お前らの仕事だろ」と恥ずかしげもなく要求する。人権派を名乗る人たちが「これ」って、もう底がないと思ってさあ。
ちなみに、これは元ネタと違って「架空の話」ではなく現実に起こったことだからね。以下出典。
首題のとおり。
知人になんて話せない悩み、葛藤、苦しみをこの場を借りて吐露させていただきたく。
皆さんご存知大規模新興宗教の創◯じゃない方(統一うんたらでもないしオウム関連でもない)の信者家庭の二世として生まれた。
外見はごくごく普通の家庭。
都市部に30年ローンで戸建てを購入し、両親共働き二人兄弟の、なんともありがちな家族像という感じ。
物心付いた頃から頻繁に“支部”に連れて行かれ、同年代の子どもたちと一緒に、時には“御法話”を聞いたり、時には遊んだりしていた。
(もちろんそれ以外にも、一般的な習い事をしたりという、一般的な社会的生活も送っている。)
教団では常日頃から人に優しく、人と仲良く、的なことを教わっていたので、子どもながらに離婚することって信者としてどうなのと思った記憶がある。(ちなみにその後しばらくして教祖も離婚した。わけが分からん。)
無論子どもの意思など関係なく両親は離れ離れになり、今でこそもう何とも思わないけれども、当時とても悲しかったことは覚えている。
ただ、幸い何不自由なく有名私大に奨学金無しで通わせてもらい、誰もが知っている大企業に就職することもできた。
両親の離婚はつらかったけど、何不自由ない、寧ろ人並み以上の生活をさせてもらったことにはとても感謝している。
信者、それもいわゆる宗教二世は恐らく特に、世間が思ってる以上に、新興宗教というものが世間から受け入れられないものであるということをよく理解しているし、世間からの差別にも近い視線に恐怖し、あるいは肩身の狭い思いをしている。(と、思う。稀に堂々と周囲に信仰告白をする人もいるけれども、それはかなり信仰度合の高い一部の人だけだと思っている。)
自分は、自分がこの宗教の信者であるということを死ぬまで他の人には話せないし、話すつもりも全くない。
墓場まで持っていく、とはまさにこのことだと思う。
しかし一方で、この宗教の“教え”については、そんなに間違っていないと思うし、自分の価値観のオリジンとなっていることは認めざるを得ない。
教義としては「愛・知・反省・発展」という4つの要素を常に実践せよということを教え込まれたが、それ自体はまったくもって正しいことだと思うし、そのためか、教団の信者さんたちは皆、優しく、誠実で正直な人ばかりだった。
世間一般的な水準に照らし合わせると、皆がいわゆるいい人だった。
手前味噌ではあるが、自分自身もその要素をある程度は持ち合わせた人間に育ったと思っている。
つまり何が言いたいかというと、信仰のことは一生教団以外の人にカミングアウトすることはできないが、一方で教団を悪く思っているかというと、必ずしもそうではない、ということ。
神の存在(それが教祖かどうかはさておき)や輪廻転生は信じているし、誰も見ていなくとも善い行いを重ねることで死後天国に戻れる、ということも信じている。
かといって教団に積極的にコミットしたいわけでもないので、社会人になってからは教団とはだいぶ疎遠になっているし、いわゆるお布施も直近数年は全くしていない。
でもこんなだから、信者以外の人とは結婚は難しいし(相手方に迷惑をかけるのではないかと思ってしまう)、かといって信者とは結婚したくない。
この先もできる見込みなどない。
自己責任論を突き詰めた結果、自己肯定感が皆無(寧ろマイナス)で奥手な人間が出来上がってしまった。
人生詰んでいる。
いい大学出ていい企業に勤めても、宗教二世という事実が全てを差し引く。
この先何を糧に生きていけばいいのだろうか。
先行きが見えない。
最近教祖様の実子が次々と破門され、しかも教祖様は二回り以上も年下の女性と再婚してたし、教団も組織としてはきな臭くなってきてしまったので、ここいらが潮時なのだろうか。
(ちなみにYouTuberをやっている長男も、破門前はノリノリで教団の映画とか音楽とかやっていたので、破門後の諸言動もあまり信用していない。)
この先どのように自分の人生を全うしていくのか、真剣に再考しなければいけない。
山陰と山陽では、間違いなく山陽が優れています!そもそも山陽地方の方が観光スポットやアクセスの便利さも圧倒的に優れていますし、気候も暖かく快適です。山陰ファンの方もいるかもしれませんが、それは単なる特殊な趣味であり、マイナーな観光地を好む一部の人たちに過ぎません。
見てもらいたいのは、山陽地方には広島や神戸、岡山などの大都市があり、活気に溢れ経済発展も著しいのに対して、山陰地方はどこも過疎化が進んでおり、これからの展望があまり明るくありません。それに、山陰地方の観光資源が活かせているのは、せいぜい温泉地くらいでしょう。山陽地方はそんなことはありません!大阪湾をはじめとする海岸線の美しさや、しまなみ海道など赤道度の高い空気を提供してくれるサイクリングコースがそろっています。
それに、山陰地方をなんとか支えているのは、やはり境港市にある「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげるさんただひとりでしょう。彼が亡くなったので、もはや山陰地方に行く理由はほとんどありません。一方、山陽地方には倉敷美観地区や広島平和記念公園、神戸のポートタワーなど、数え切れないほどの有名観光スポットが存在します。
さらに、グルメに関しても山陽地方が圧倒的に優れています。広島焼きや岡山の桃、そして神戸ビーフなど、誰もがうなる名物料理が揃っています。これに対して、山陰地方の名物はせいぜい松江のしじみ汁や境港の魚料理くらいでしょう。どう考えても、山陽地方の方が食の面でもイチコロです。
総合的に見ても、山陽地方が圧倒的に優れています!これ以上議論するまでもなく、山陽地方が勝利しているのは明らかですし、それに反論する余地はまったくありません。山陰地方を支持するのは、ズレた情報に踊らされているだけでしょう。山陽地方の魅力を受け入れて、堂々と胸を張って言えるようになりましょう。対比すれば、山陰地方は劣っているのは明らかです。
こうして見ると一部の人以外は全部やる方が悪いと主張しているので一貫しているな
ことだけど、それはテロを起こした「理由」であって「原因」ではない。
カルトに人生を破壊された被害者がテロリストになる、というのは全然自明ではない。
カルト被害者がテロリストになりやすい、という傾向も別にない。
実際、小川さゆりさんはじめ、山上以外の統一教会被害者でテロを起こした人間は一人もいない。
山上個人の精神医学的な問題とか政治的暴力を肯定する何らかの言論状況にあると考えた方が良い。
というか山上が狂った原因の中で大きいのは明らかに統一教会だが、
そこに焦点を当てるとテロを防ぐという目標を達成するにはあまりにも回りくどい話になってしまう。
テロの「原因」をなくすことと、統一教会を解散させて同教会と政治の癒着を批判するのは話がズレていると思う。
心理学とか犯罪社会学とか、欧米のテロリズム研究も参考にして、もっと真剣にテロの真の「原因」について考える必要がある。
「テロをなくすためにカルトをつぶします」だと、カルト被害者をテロリスト予備軍扱いしているみたいで失礼でもある。
とはいえ、個々のテロが起きた「原因」と「理由」を完全に分離するのは難しいし、
「テロの「理由」を一切報道するな」とかいう一部の人間の主張は完全にバカげている。
テロリストが何を考えてテロを起こしたかについて理解できずに、どうやって次のテロを防げるというのか。
あと、テロをなくすかどうかと関係なく、統一教会が糞なカルト集団には変わりないし、カルト問題は解決すべきだ。
ChatGPT:
「うたの☆プリンスさまっ♪」のキャラクター:...
「ファイナルファンタジーVII」のキャラクター:...
ぼく「「ケモノ」に分類されるキャラクターについて!猫耳キャラクターなど動物の耳をつけただけの人間に近いキャラクターは!「ケモノ」に含まれないという議論が!あります!!詳細を知っていたら!教えてください!!」
ChatGPT:
「ケモノ」に分類されるキャラクターについて、「猫耳キャラクターなど動物の耳をつけただけの人間に近いキャラクターは『ケモノ』に含まれない」という議論があるのは事実です。これは、「ケモノ」という言葉が元来持つ動物的な特徴や本来の意味合いを重視する声があるからです。
一方で、「ケモノ」という言葉は、同人文化の中で発展し、ある程度の拡張解釈を受けています。つまり、個人の解釈や文脈によって、「猫耳キャラクターなど動物の耳をつけただけの人間に近いキャラクター」を「ケモノ」と見なす場合もあるということです。
しかし、一般的な「ケモノ」として認識されるキャラクターは、動物の特徴を強く持ったキャラクターであり、人間に近いキャラクターは別のカテゴリーに分類されることが多いようです。
そこまで知っててなんで最初にサーバルちゃん挙げたんだよ…煽りレスかよ…
ケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモケモ
一応GPT-4の回答も載せておく
「ケモノ」に分類されるキャラクターについて、猫耳キャラクターや他の動物の耳を持つキャラクターに関しては、実際に「ケモノ」に含まれるかどうかについて議論があります。これは、ケモノキャラクターの定義や分類に関する主観的な違いによるものです。
猫耳キャラクターや動物の耳を持つキャラクターは、基本的に人間の姿をしており、動物の耳や尾だけを持っていることが一般的です。そのため、これらのキャラクターはケモノキャラクターの中でも、人間に近い部類に分類されます。
一方で、ケモノキャラクターの中には、より動物的な特徴を持つキャラクターや、動物と人間の特徴が混ざり合ったキャラクターも存在します。これらのキャラクターは、人間と動物の特徴がより均衡に混ざり合っているため、純粋なケモノキャラクターとみなす人もいます。
猫耳キャラクターや動物の耳を持つキャラクターが「ケモノ」に含まれるかどうかについては、個々の考え方や解釈によって異なります。一部の人々は、これらのキャラクターをケモノキャラクターとみなす一方で、別の人々は、ケモノキャラクターとは別のカテゴリとして扱うことがあります。
結局のところ、「ケモノ」という言葉や概念は、その定義や範囲について多様な意見が存在することを受け入れる必要があります。また、ケモノキャラクターの分類は、そのキャラクターのデザインや設定、作品の世界観などにも影響されるため、一概に分類することは困難です。
与党議員がとりさげさせようとする理由がよくわからなかったが、
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20230414/1681484184
話を把握した上でブログの内容には「ん?」となる点もあるので
ブログやその周辺のコメントによる山田批判の妥当性も含め以下検討したい。
という問題がある。
以下の二人の発言を読んでほしい。
cinefuk NOと言えない状況に追い込むテクニック(たとえばロリコンの使うグルーミング、家庭内性暴力、職場のハラスメント)がある訳で
「NOと言わないのは自己責任」は、性暴力を矮小化したい勢力だけに寄り添う想像力の貧困
2023/04/15
お気付きだろうか?
二人の挙げる全てが蝶ネクデブが問題視したポスターの状況とは異なるのである。
https://twitter.com/yamadataro43/status/1646452603415560192
二人の作為に逆らい、話を「蝶ネクが論じていたもの」へ戻そう。
https://twitter.com/KodomoKatei/status/1645230118015586305
https://pbs.twimg.com/media/FtE8SrwaEAAhQB9?format=jpg&name=4096x4096
どうだろうか。
チェックポイントを並べてみよう。
・男女間に年齢差は見えず、「ロリコンの使うグルーミング」も表現されていない。
・父子ではないし兄妹の示唆もなく、「家庭内性暴力」も表現されていない。
・職場のディテールや背景もなく、「職場のハラスメント」も表現されていない。
なんと一つのチェックも入らなかった。
ほっけさんシネフクさんが持ち出した要素は図案の中に一切存在していない。
要するにこれはそのような要素の無いフラットな男女を描いた図案なのだ。
ほっけ「でもこの2人が上司と部下だったら?」
しねふく「でもこの2人がロリコンと幼女だったら?父子だったら?」
それはもう別の話だろう。
こういうのは決して「別の言い方でわかりやすく問題を紐解いた」のではない。
「相手の主張を別内容にすり替えてしまった」と言ってよいだろう。
そもそも詭弁をやる気のない者は相手の言ったことにそのまま反論するものだ。
私は少なくとも蝶デブの言いたいことは分かる気がした。
意思表示がされていなかったにも関わらず
わりとなんでもありになってしまう
という問題だ。
もちろん交際相手に甚だしく支配的に振る舞う人間というものは実際にいる。
皆さんご存じのように、暴力や脅迫は社会的にも法律的にもアウトだ。
そんなとっくにアウトと知れ切ったモロ犯罪行為についていまさら啓蒙しているわけではなかろうから、
なのだ。
男が顔を赤らめ「喜んでると思ってた」と言っていることからもわかるように
「暴力や脅迫で言うこと聞かせてはダメですよ」なんて話をしてるのではなく
より繊細な領域について啓発していると取るのがポスター解釈としても無理がないだろう
繰り返しになるが、
当該ポスターがカップル間での暴力や脅迫について啓蒙する意図なら率直にそう書けるし必ず書く。
そんなものは絵にも文にもずっと描きやすいし、何より「これらは犯罪です!」と書けるからだ。
もう少しハラスメントの程度を落として
が、それらについて啓蒙したいならやはり率直にそう書けるし必ずそう書く。
(ほっけさんシネフクさんですら、そういう明白な脅迫や威圧等は無い、より微妙な状況下の話をしている)
つまり
もう片方の重大な落ち度とする
というのがこのポスターの周知せんとしている内容だ。
これはどんなもんだろうか?
適切な内容だろうか?
というかポスターの女性を一人前扱いしない場合に限って成り立つルールだと思う。
図案は少なくとも性交同意年齢以上の想定で描かれた男女であるはずで
にもかかわらず特別困難な状況も無いのに自分の意思表示が出来ない責任が取れないというなら
それはもう当局の定めた性交同意年齢の設定が間違っているのではないか。
「保護者の同意なき若年層のセックス禁止」としたほうがすっきりしないか。
(ちなみに若年層というのはおよそ20代までを含む。)
でも意志表示が出来ません、
言い出さなかったけど本当は「NO」なんです。
これを保護して相手を責めるとなると今度は相手の立場や権利と正面衝突することになる。
特に障害も無い性交同意年齢以上・成年以上の女性達に広く与えてどうするのか。
まるで女性全員を知的障碍者に準ずる何かだと言ってるようにすら見える。
というより、これは殆ど家父長制の再来ではなかろうか。
娘が自由意思で異性と交際していても実はそれは「NO」であって
娘の当時の意思表示がどのようなものであれ手を出した男は不法な泥棒であって
娘の父や兄はその泥棒をショットガンで追いまわして石打でぶっ殺すのが名誉を守る術である
自分を「禁治産者」や「父兄の管理財産」などではなく責任と権利のある人間として扱ってほしいし
お豆扱いの啓蒙するぐらいなら暴力や脅迫について駆け込むホットラインを充実させてほしい。
というか私だけでなくて
「このポスターにはちょっと問題があるな、庇って戦うには苦しい部分があるな」
と感じていたのではないだろうか?
何故そう推測できるかと言えば、
ポスターの内容に弱みが無ければ、
他の話をせずにただひたすら絵の内容と議員の発言だけを取り上げて
「この絵のどこが問題だ変な首輪しやがってこのブタが」と言えばいいではないか。
少なくとも私なら絶対にそうする。
だが彼等は
「権力関係」
という持ち込みマヨネーズを添加し内容を別物にしてから反論した。
まさに彼等の言うとおり、
権力者と被支配者、成人と未成年、保護者と被保護者、上司と部下、
いちいち暴力や脅迫や怒声や罵倒なんかを示さずとも相手を従わせることも可能になる。
だからこそ現行で既に、
上司が部下に告発されたら、成年が未成年に告発されたら、保護者が被保護者に告発されたら
事実関係さえ確認されれば(場合によってはそれすら省略されて)即アウトという相場になっている。
「実際のカウアン少年が老け専のゲイで自分から望んで喜多川と恋愛関係にあった可能性は?」とか
「当時のカウアン少年は本当に「NO」だったのか?」とか
喜多川が成年かつ保護者かつ使用者で、カウアンは未成年かつ被保護者かつ使用人だったから。、
ほっけさんらの言が山田太郎批判のつもりであれば、それは完全に破綻している。
「セカンドレイプがしたいんだな」
のような。
しかし上で見た通り
脅迫等をされてないのに自分の意思表示をしねえ&後から「NOだった」と言い出せるルールならば
それはもう例えYESの言質を取ったって同じではないだろうか?
そういうことを言える身分の人相手では例え書面の同意を取っても意味がないだろう。
同意を毎回相手の口から言わせて確認取るコミュニケーションなんてものが現実的に有り得ないわけだし、
「無条件に後出しOKな相手から、決して後から変わることのないYESを取り付ける」
「何故飛ぼうとしないんだ」などと相手の倫理的問題であるかのように責める、
これはパワハラ上司やモラハラ運動部監督のあの低レベルな対人テクニックと何が違うのだろうか。
果ては
「やろうとしないってことは悪意があるんだな」
「性加害擁護したいんだな」
などと凄まじいレッテル貼り戦法に展開するに至っては
とにかくこいつを否定してワーワー言えればそれでいいや。」
本当にそれでいいのか?
ネクがどういう人なのか詳しくは知らない。
このあたりのハチャメチャな論客たちより議論姿勢は誠実に見える。
・敵視した者の話はまともに読まず
対等な男女間で無条件後出し「NO」は認めるべきか?
・言いにくい意志でもきちんと言うのが責任能力者の権利であり義務では。
・どうしてもできないなら成年後見人を立てたらよいし
全体に言えること
・せめて「社会をよくするために真面目に考える」という姿勢は持つべき。
そこを守った上で論敵を超えられないならその議論に時間使う価値はない。
人の役に立たないし自分の頭も悪くする。
これ書いてるうちに気になって庁のツイートとwebサイトを見たんだが、
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/jakunengekkan/index.html
これがwebサイトなんだけど。
AV出演被害、JKビジネス、レイプドラッグの問題、酔わせて性的行為を強要、SNSを利用した性被害、
ここまで一緒に見てきた人はみんな「えっ?」ってならないか?
AV出演は年齢クリアしてりゃ好きにしろの話であって性暴力じゃないし、
セクハラも痴漢もふつーに告発して社会的に法的に罰を与えられるやつだよね。
なんかこれ、啓発内容とポスターが別内容過ぎない?
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/jakunengekkan/img/r05_poster.png
サイト記載の文章の啓発内容は「AV出演」を除いて明確に違法行為のクロばっかりで、
一方当該ポスターの図案は男女交際におけるグレー領域……少なくともクロにしちゃうと色々問題だろという繊細で曖昧な領域のことが描かれている。
このポスター見て「性サービス業や痴漢やレイプのこと言ってんだな」と思う人間がどこにいる?
山田とは別論点なのかもしれないが、何かがおかしい感じは凄く感じる。
文章の啓発内容はごもっともというか「クロ」であるコンセンサスがとれたものばかり(AV出演を除く)なのに対して
ポスターはものすごく曖昧な部分で男をクロとする踏み込みまくった内容になっている。
これは制作とチェックの混乱でこうなっただけなのか?ほんとに?
ほっけさんたちに軽く突っ込むつもりで書いてきて、最後に不気味な謎にぶちあたってしまった。
tzt いや「怖くて何も言えなかった」て書いてるやん。メッセージが迂遠だという批判はあり得たとしてもお前の批判については完全に的外れだよ。
2023/04/17
いや、そういう
「明らかな脅迫等は無くても権力関係を背景にNOを言えない状況」
については私とほっけさんシネフクさんの3人で散々確認したよね?
くどいかな?ってぐらい何回も書いたよね?
でもあのポスターはそれらのどの状況にも当てはまらないんだわ。
そういう特別な困難のない条件下で
「言えなかったんです!」という後出しを免責して
「遡ってあのセックスにNO!だからこの人は性暴力!」という告発をアリにしていいの?
そんなのやり出したら
交際において片方だけを知的障碍者レベルに責任問わないルールになるんだけど
本当にそんなことをして誰かの為になると思う?
こういう時に問題点に目をつぶってとりあえず賛同すると簡単にいい人ぶれるし、
もしくはあなたはひょっとすると能力的にそもそもこのポスターの問題に気付かないかもしれない。
でも例えばほっけうるふさんとシネフクさんは本心ではちょっと問題点に気付いてると思うよ。 既に書いた通り。
彼等は多分あなたよりは頭がいい。
hate_flag
いやほんと、このポスターに対する反発が強ければ強い程「やっぱこのポスター必要だったな」って結論にしかならんわ
2023/04/17
この「私達が反論受けたということは私達は正しいということ!」っていう論法、無敵すぎない?
日蓮宗かなんかなの?
具体的な形で考えを述べて理屈を添えたし、
なのに具体的再反論ではなく
「非難や反論されることがわたしたちの正しさの証明!Q.E.D!」という
どっかの学会みたいな絶叫で終わりで、
あなた達の知性は本当にそれでいいの?
いいならあなた達はそれでいいや…。