はてなキーワード: リンク切れとは
Colaboと東京都との契約が「公法上の契約」とのことで、その取扱いについて話題になっている。
また、先行したまとめもあるが、
もう少し詳しく見ていこうと思う。
結論を先にいうと、
と考えている。
どのように区分されるのか。
国や公共団体(市町村がその典型)の内部や相互間の関係を規律するルール、および、それらと私人との関係を規律するルールが《公法》であり、私人相互間の関係を規律するルールが《私法》である。
具体的にいうと、公法に該当するものとして、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法、国家行政組織法などがあり、私法に該当するものとして、民法や商法、会社法などがある。
ただし、公法に区分されている法律にも私人間について規定した部分があったり、私法に区分された法律にも国家について規定した部分があるなど、法律単位で明確に区分できるものではないので、概念的なものと理解してほしい。
公法と私法はそれぞれ別の法体系として捉えるべきかどうか、という議論がある。現在の通説は一元論(というより区分の意味がない)であり、判例・実務も一元論寄り(あえて区分しない)と理解されている。
法解釈技術的に見る限り、今日、公法私法二元論を取って取れないことはないにしても、その場合、一元論に対比しての独自の意味は余り無く、従って、どうしても二元論に固執しなければならない、という理由もまた無い、というのが実態
公法上の契約に入る前に、行政庁がその活動を行うにあたって、どのような形式があるのか見ていこう。
一般的に、私人間の法律関係・権利義務関係を作るものは契約である。
契約という手段を用いることもある(後述)が、そのほかに「行政行為」という概念がある。法律上の用語ではなく、講学上の用語であるが、便利なのでこれを用い、具体例を挙げて説明する。
行政行為にはこのような種類があるが、それ自体は余り重要ではない。重要なことは、行政行為とは私人に多大な影響を与えるものであり、法的な根拠が強く求められる(行政の好き勝手は許されない)ということだ。
行政行為は権力的行為の象徴としてとらえられ、その限りにおいて行政権についての法の拘束を問題とする法律による行政の原理を中心とする行政法の諸原理が直接妥当する。
例えばあらゆる行政活動につき妥当する「法律の優位の原則」は言うまでもなく、「法律の留保の原則」に至っては、そもそもそれ自体が行政行為を中心とする個別具体的な行政活動をめぐって展開されて来た
ざっくり言うと、「法律による行政の原理」とは、行政は法律に従って活動しなければならない、という大原則(例外あり)のことであり、この原理から導かれる「法律の優位の原則」とは行政は法律に違反してはならないということで、簡単に理解できると思う。
また、法律に反しなければ行政は何をしても良いわけではない。そこで登場するのが「法律の留保の原則」である。これは、「行政活動を行うには法律の授権を必要とする」という考え方だ。ただ、これはすべての行政活動に妥当するとは考えられておらず、例えば純粋な私経済作用(例えば文房具を購入するなど)については妥当しないと考えられている。
しかし、我が国における一般的な行政慣行として、行政行為に至る前に、行政指導というものが行われている。具体的にいうと、役所に「こんなことできませんかね?」と質問した際に「それじゃちょっと難しいっすね。ここをこうしてもらえるならできまっせ」と回答して貰ったり、役所から、「建物が壊れそうで、このままだと行政処分をせざるを得ないから、今のうちに危険を除去しといてね」と指導されたりするやつだ。
これは行政行為(処分)ではなく、単なる事実上の指導であるので、基本的には法的な根拠は不要であるし、訴訟の対象にもならないと考えられてきた(例えば行政指導を信じた私人が不利益を被った場合、行政庁に責任はないと解されてきた)。
行政行為には法的根拠が必要で、手続き守らなければならず、訴訟の対象にもなるということで、面倒くさい行政行為ではなく、行政指導を活用してきたということだ。
しかし、あまりに便利で幅広に使いすぎたせいもあり、一定の手続きの整備や訴訟の対象とすることは必要だ、と解されているのが現在である。
行政指導には何らの法的拘束力も無いという基本的な考え方からして、行政指導に対する私人の信頼の保護ということが、行政法学上重要な問題とは考えられなかったような時期はもう終わった、ということだけは明らかとなった
第三十二条 行政指導にあっては、行政指導に携わる者は、いやしくも当該行政機関の任務又は所掌事務の範囲を逸脱してはならないこと及び行政指導の内容があくまでも相手方の任意の協力によってのみ実現されるものであることに留意しなければならない。
2 行政指導に携わる者は、その相手方が行政指導に従わなかったことを理由として、不利益な取扱いをしてはならない。
第三十五条 行政指導に携わる者は、その相手方に対して、当該行政指導の趣旨及び内容並びに責任者を明確に示さなければならない。
2 行政指導に携わる者は、当該行政指導をする際に、行政機関が許認可等をする権限又は許認可等に基づく処分をする権限を行使し得る旨を示すときは、その相手方に対して、次に掲げる事項を示さなければならない。
(略)
第三十六条の二 法令に違反する行為の是正を求める行政指導(その根拠となる規定が法律に置かれているものに限る。)の相手方は、当該行政指導が当該法律に規定する要件に適合しないと思料するときは、当該行政指導をした行政機関に対し、その旨を申し出て、当該行政指導の中止その他必要な措置をとることを求めることができる。ただし、当該行政指導がその相手方について弁明その他意見陳述のための手続を経てされたものであるときは、この限りでない。
(略)
行政行為と行政指導を見てきたが、大まかな考え方として、「行政のフリーハンドは認めない」方向で議論が進んでいる点が重要である。
行政の意思の実現は、これまで見てきた行政行為や行政指導以外に、契約という形式を用いることがある。例えば、住民と水道局との給水契約、官公庁舎の建築契約、消耗品の売買契約等々、幅広く存在している。
そして、これらの範疇に含まれない、公法上の契約というものが存在する、と議論されてきた経緯がある。
しかし、先ほど見てきたように、そもそも公法私法二元論自体に疑義があり、公法契約にも疑義が呈されているのが現状である。
いわば狭義の行政契約すなわち公法契約(公法上の契約)という行為類型が存在する、という主張が、伝統的になされて来た。
(略)
特に「公法契約」というカテゴリーを解釈論上設定する意味は極めて薄い、と言わざるを得ないことになる。このような事情にあるために、現在わが国では、公法契約なるものの存在可能性自体は否定しないにしても、現実には極めて例外的にしかその例を認めない見解が、多数であると言ってよい。
そこで、これら行政の行う契約をひっくるめて、行政契約(行政上の契約)として議論されることが多くなっている。
いずれにしても、大きな議論の流れとして、契約であるから行政庁は好き勝手して良い、という方向では議論はされておらず、行政行為・行政指導で見たように行政庁の自由裁量を認めない方向で議論が進んでいることは間違いない(もちろん契約内容にもよるが)。
したがって、行政契約であることをもって、契約主体(行政庁と契約相手)が自由裁量を得る、というのは誤りであると言える。
特に、公法契約が存在するとした場合、行政庁と私人の自由な意思に任せることが原則の通常の契約よりも行政庁の裁量の幅が狭くなることはあれ広くなることは考えにくい。
この方法には、私人との合意があったことを理由に、行政主体が好き勝手なことをなし得る、という危険が内在することをも意味する。先に見たように、現行法上、行政主体の結ぶ契約について、様々な制約が付されているのは、まさに、このような危険を防ぐためである
Colaboと東京都の契約は、「東京都若年被害女性等支援事業委託仕様書」に基づいてなされた一般的な委託契約(請負契約か準委任契約かは結論に影響しない。)であり、公法契約という概念が出てくる余地はない。
従来の行政法学では、行政上の契約を公法に属する「公法契約」と私法に属する「私法契約」とに二分し、前者のみを行政法学の対象としてきた。そして、「公法契約論」においては、報償契約・公用負担契約などを念頭において、こうした公法契約を締結するには法律の根拠が必要とされるかとか、いかなる要件のもとに締結が可能かといった問題(公法契約の許容性と可能性)を主に議論してきた。
また、仮に公法契約であったとしても、競争入札において、予定価格を定めなくて良いという特別法がない以上、一般法(地方自治法)の規定が適用されるものである。
したがって、東京都の「公法上の契約のため当該資料は存在しない」という説明は、①公法上の契約とは考えられないこと、②仮に公法上の契約だとしても予定価格の算定は必要なこと、と二重の意味で誤っていると思われる。
(予定価格の算定をしなくて良いのであれば、地方自治法第234条3項が適用されない法的根拠の説明が必要だ。)
第二百三十四条 売買、貸借、請負その他の契約は、一般競争入札、指名競争入札、随意契約又はせり売りの方法により締結するものとする。
2(略)
3 普通地方公共団体は、一般競争入札又は指名競争入札(以下この条において「競争入札」という。)に付する場合においては、政令の定めるところにより、契約の目的に応じ、予定価格の制限の範囲内で最高又は最低の価格をもつて申込みをした者を契約の相手方とするものとする。ただし、普通地方公共団体の支出の原因となる契約については、政令の定めるところにより、予定価格の制限の範囲内の価格をもつて申込みをした者のうち最低の価格をもつて申込みをした者以外の者を契約の相手方とすることができる。
すなわち、競争入札でなければ予定価格を算定する必要はない、ということだ。
では、東京都若年被害女性支援事業は競争入札で行われたのだろうか。実は、この公募関係のウェブページが全部削除されているのである。
かろうじて、平成30年度は公募が行われたらしきことが見て取れる。
[都]平成30年度東京都若年被害女性等支援モデル事業の一部を実施する事業者を公募します
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kodomo/jakunenjosei/jakunenjosei.html
https://www.tcsw.tvac.or.jp/php/contents/mailmagazine.php?key=617
だが、リンク先を見てもらえばわかるようにすでにリンク切れであり、ウェブ魚拓・ウェブアーカイブさえ見つけることができなかった。そして、平成31年度~令和4年度までは公募が行われた形跡すら見つけられない。
通常、こういった公募手続きについては終わった後も消すことは余りないように思うのだが、何故見つけられないのだろうか。(見つけた方はぜひ御提示ください)
不意に予定価格と出てきて、何のことかわからない方もおられると思う。
予定価格とは、ざっくりというと契約金額(落札金額)の上限だ。
不思議なところであるが、例えば議会で予算が1000万円と認められた事業について、入札を行う際には予定価格は950万円くらいになったりする(なので980万円で入札しても落札することはできない。)。
予定価格の算定方法は公表されてないが、一般的には業務ごとに一定の割合を乗ずることによって算出している(例えば役務(労働力)の提供であれば予算額の95%等)。
(ここではそういうものだとご理解ください。詳しくするとまた長くなるので)
ここに書いてきたことは、「東京都が、都とColaboの契約を公法上の契約ととらえており、また、予定価格を定めていない」という情報が正しかった場合です。
個人的には何かの間違いだったと思い
音痴という言葉は、大正時代前後に造語されたようだ(西洋音楽との遭遇によって)
https://kogure.exblog.jp/14108924/
・・・「音痴」という言葉は、やはり近代になって西洋音楽が日本に入ってきてから使われるようになったと考えて、ほぼまちがいないことが明らかになった。音痴が新しい言葉であることのほかに、もうひとつ注目したいのは、仲間うちでは「私は音痴でして」と公言してはばからない日本人の態度である。
・・・音痴という言葉には、否定的な意味だけでなく、みんなの共感を得る肯定的な意味が含まれているらしい。否定的な意味では音痴ははずかしいこと(恥辱)であるが、肯定的な意味では、むしろ積極的に公言したくなるほどのことであるらしい。そして否定的な意味は意識されているが、肯定的な意味はあまり意識されていないようだ。
あいにくとブログ中に記載のある連載記事URLはリンク切れだが、興味深い話だ
以下の「なぜ音痴を経由するのか?」という質問の答えにはなってはいないけれど
「できないこと」をどこかポジティブなニュアンスすら含むように表現する言葉として便利なのは確かだったのだろうな
オレオレ、俺だよ。
厳密には俺の主張の帰結としては反論ではなく、元増田の情報不足に対する補足なんだけど、これは俺がそうとも読める書き方をしたのが悪いな。
「この増田の主張を前提に」俺から言わせれば、ごく稀だからこそ、取り上げることに意味がある。
俺の主張の一番重要なところは、「人間が警備する限り、起こらないってことはないでしょ」ということ。
そこを
とシチュエーションを限定して書いてしまったところは俺の反省するところだけれども。実際他の増田にツッコまれたし。
「例外的事象」については、元増田の主張を前提の発言ととればまあ、「俺は」理解できなくもない。
ただ、少なくとも明石の事故の当事者にとっては例外的事象ではないだろ?
元増田や擁護した増田についたブクマカの中にも、当事者として明石の事故に言及した人たちがいるかもしれない。
その当事者たちは、明石の事故の経験によって、元増田の主張する「雑踏事故を甘く見過ぎてはいけない」ということを身をもって知ったわけだろ?
そんななかで明石の事故を例外的事象として捉えてしまって良いのか?
んでもって、「ごく稀」とはどれくらいだ?
どれくらいの期間のうちどれくらいの件数であれば、「この増田にとって」「ごく稀」であると言える?
よく言われることだし、元増田の
の「まず」にも係るけれども、曖昧な言葉遣いは、読み手側に書き手側の意図しない解釈を与えやすく、批判の糸口になりやすいから気をつけた方がいいよ。自戒を込めて。
さて、ここでまた、このやさしく暇をもてあました俺がこの増田の代わりにちょっとだけ調べてあげよう。
まず、当初俺は「雑踏事故」というワードで調べたのだけど、「群集事故」という呼び方もされているようだ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/群集事故
ここに書かれている内容に元増田の主張と齟齬があるようには感じられなかったので、以下群集事故を調べることにする。
調べた限り、一番事例が載っていたのはこれ。
https://www.wikiwand.com/ja/事故の一覧#群集事故
で、元増田は1972年以降の事例を(宇崎ちゃん以外に)挙げていないので、
の条件で絞り込んで拾い上げると、2001年の明石の事故までに少なくとも2件起きている。
一つずつ挙げていく。
Wikipediaには項目がなかったが、昭和54年の警察白書に事例として記載がある。
https://www.npa.go.jp/hakusyo/s54/s540800.html
ただし、警察が事故の起きた当時警備業務に関わっていたか、事前にコンサートの概要を把握していたかは読み取れない。以下白書より引用。
1月、札幌中島スポーツセンターで開催されたイギリスのロックバンド「ブラックモアーズ・レインボー」ショーで、興奮した観客約500人が開演と同時にステージに殺到し、このため、いすにつまづいて倒れた観客が将棋倒しとなり、下敷きとなった1人が死亡、7人が負傷した
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ラフィンノーズ公演雑踏事故
この公演に3000人の観客が集まり開演と同時に観客がステージ近くにまで駆け寄り演奏に興奮した一部の観客がステージに上がろうとし、それに続こうとした後続の観客が重なるようにして転倒・下敷きになったのが原因であった。この事故で死者3人・重傷1人・軽傷19人の計23人が被害に遭った[要出典]。主催者は公演前日に警察署に届出をしたが、当日は主催者スタッフのみで警備員の配置を全くしていなかったことも事故を増幅させた。
これは当時の音楽ファンの間では有名な事故みたいなんだけど、情報源を探すのに苦労した。
https://aucview.aucfan.com/yahoo/s1053964729/#&gid=1&pid=3
ちょっと目を通すだけでも、Wikipediaの記述と相違があるように見受けられる。速報だからかも知れないけど。
ことが辛うじて読み取れる。
本件に関するこれ以上の調査は図書館行って当時の新聞を読み漁る必要があり、こもりびとである俺の行動できる範疇を超える。誰か調べてちょ。
らしい。
その要綱の内容は、やっぱり探すのに苦労した。Wikipedia記載の警察庁への外部リンクはhttpでリンク切れになっていて、httpsにしてみてもnot foundだった。
代わりに見つけてきたのは↓。栃木県警が上記の要綱を受けて、内部通達した資料と思われる。
https://www.pref.tochigi.lg.jp/keisatu/n15/jourei/documents/11_2.pdf
一応、時期的にも内容的にも一致しているように見える。
詳細は各自で読んで欲しいし、俺も全文はさすがに読んでないんだけど、要綱の
警察は、施設使用公演等に伴う雑踏事故の防止対策に資するため、これら事故の過去における発生実態及び原因等の分析を行うとともに、タレント等の人気度、観客層の構成等の実態について、平素から把握に努めるものとする。
という記述をみるに、この事故は、その発生以前と以後で警察の雑踏事故に対する態度が変わったという意味で、取り扱っても良い事例かもしれない。
に、
がこの時点で加わったわけだ。
元増田は主に戦後日本の雑踏警備について話しているので、ここでは戦後(1945年以降)に限って話を進める。
群集事故件数の年次推移的な資料を探したのだけどなかなか見つからなかったので、ここは妥協して「報道されるほどの被害をもたらした事故」に限るとし、先ほどの群集事故の一覧で数えることにする。
自分で数えた限り、1945年から現在までの80年弱で、日本では明石の事故含め21件ほどの群集事故が起きている。
明石の事故の前後は、前は先述の1987年ラフィンノーズ公演雑踏事故、後は2003年の中日阪神戦でのファン乱入・乱闘騒ぎ。
ちなみに後者では死者は出なかったものの、誰が使ったか知らないが防犯用の催涙スプレーが使われたとある。なんでや阪神関係あるかわからへんやろ。
んでもって、1945年以降1972年までの28年間に13件、1973年以降現在までの50年間に8件。
当然、
といった点は考慮すべきではある。
けれども俺としては、明石の事故がというよりは、報道されるほどの被害をもたらす日本の雑踏事故自体が、数年に1〜2回程度しか発生しないという印象を持つに至った。
大きな事故は、数年に1〜2回程度。
だからこそ、恐らく雑踏警備は難しい。
ラフィンノーズ公演雑踏事故の教訓を受けて、「常日頃から情報収集に努める」という要綱を施行した14年後に、明石の事故が起きた。
そしてその主たる原因は、過去のイベントの警備計画をほぼ流用した警察らの怠慢にあった。
その14年間に色々なことがあったであろうことを隅に置いて物事を単純に捉えると、明石の事故の当事者の方々には大変申し訳なく思いつつも、警察のこの失敗に共感してしまう自分がいる。
もし俺が雑踏警備を主たる業務とする警察官(仮定が成立するかは知らん)で、5年も10年も雑踏事故が起きなかったら、全てではないにしてもいくつかの雑踏警備に手を抜いてしまう可能性を否定できない。俺怠け者だし。
長期にわたって怠慢に抗うのは、少なくとも俺にとっては、とても難しい。
おわり。
かつてFlashの置いてあったページへ遷移。ページ上で右クリックしてソースを表示。
Ctrl + F で「swf」という文字列を検索。基本的にはページに埋め込まれているため、クリックして該当のswfファイルをダウンロード。あくまで使用は個人の範疇で。
(Flash黄金時代、2002年以前のページはリンク切れを起こしている可能性が高い。その場合はWebArchiveを使って元ページを探すと良い)
次にRuffleというFlashPlayerエミュレーターのプロジェクトページに跳ぶ。
Demoをクリックし、製作者様方にありがたーく感謝しながら、さっきダウンロードしたswfファイルをドラッグ&ドロップ。
相性が良ければそのまま再生できる。
音声だけ、画像だけ。キャプチャじゃなくてソースが欲しいんだ!ってワガママな人はHugFlashみたいな抽出ツールを探すといい。
Flashが再生できるMaxthon Nitroというブラウザも存在するが、私はセキュリティ的にお勧めしない。
愛の原義を調べていて Wikipedia を開いたら、この絵が出てきて、何を調べていたかも今日やりたかったことも吹っ飛んでしまった
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Haynes-Williams_Motherhood.jpg
びっくりしたのが最初。宗教画みたいなのに人間で、すごく生々しくて、びっくりした。慈愛の表情と同じ形なのに、感情が立ち上ってきて思わず動いたみたいな微笑み。見れば見るほど人間みたい。人間より生々しい。
これ何だろう、何でこんな気持ちになるんだろう、とまじまじと見つめていると、涙がどわーっと出てきて止まらなくなった。今書きながらもう一回見つめたらまた止まらなくなってしまって休憩した。
作者の項目はリンク切れで、誰なのかも、どのように評価されているのかも分からない。絵画について知らなさすぎて、調べ方も分からない。
イギリスの 19 世紀の人らしい。ということはラファエル前派とやらの頃? でも違いすぎるよな。この何とか派って、主体となるのは数人程度の動きなんだな。じゃあ同じ国の同じ時代でも全然違うスタイルの絵があるものなのか。というレベルのことをようやく知った。
それらのことが分かったとして、結局自分が何を知りたくて調べているのかも分からない。驚きや、おそらく感動と呼ぶものをどうしていいか分からず、ただ自分の分野でウロウロしているだけだ。感動なのかも分からない。何これどうしたらいいの、という気持ちの方が強い。分からないのに何かをどうにかしなければならないような衝動に駆られている。
この作者は個人名で展示が開かれるような人ではなく、オークションで取引されて散り散りなのかな、ということが分かって少し落ち着いた。どうにもできなくてホッとした。
落ち着いて取引された絵を見ると、どれも人間が人間らしくて何度もジワッときた。見られないのは惜しいなあ。せめて高画質画像とかレプリカとか。無いだろうなあ。仮に本物が見られたところで、絵画のことなんか全然わからんし知ろうとしたこともないし、分かる人が見るのの何億分の一も情報を受け取れないだろう。
でも、この絵を、こんな絵があることを知ることができて、幸福なように思う。また「愛」とか、ポルトガル語 Wikipedia の「Amor」にこの絵が参照されていることで、同じ様に思う人が居ること、この絵を見て愛を感じる人が多く居ると思った人が居ることも、なんかすごいなと思う。この世と繋がっているような、生きていることを許可されたような気分だ。
これ以上どうしようもないけれどこのままこの気持ちが消えてしまうのが惜しくて、なんとか記録してみた。文章も禄に書いたことが無いので、とにかくできるだけそのまま書いた。
ああ、どうして今まで表現方法を身につけて来なかったんだろう。どうして知り方も知らないで来てしまったんだろう。どうにかしないといけないのに。そうでないとどうにかなってしまいそうなのに。
さすがにどうにかなってしまうと生活に困る。いい歳なので落ち着かせることはできる。こんなに強い気持ちがまだ自分にも湧き上がるのだ、と安心はした。それよりも、別れなければならないのが寂しい気持ちの方が強い。表現を持っていれば何か違ったのだろうか。こんな謎文章でさえ書く場所があるだけで随分慰められた。ありがとう。
日本の報道や自称専門家は目眩がするようなことばかり言ってるから目に入らないようにしてたけど
知らぬ間に空気感染認めたんやな
そんななか、国立感染症研究所が、新型コロナに関する新たな見解を発表しました。
感染研はこれまで、新型コロナウイルスの感染経路として、くしゃみなどで飛び散った飛沫(ひまつ)による感染と、飛沫などに触れた手で鼻や口を触ることによる接触感染の2つを挙げる一方、ウイルスを含んだ空中の微粒子を吸い込むことで感染する「エアロゾル感染」を認めてきませんでした。
これに対し、長崎大学の森内教授ら専門家が、感染研の見解は世界の知見と異なるとして、公開質問状を発表しました。
すると、28日、感染研のホームページにひっそりと、「感染する。その経路は主に3つあり、(1)空中に浮遊するウイルスを含むエアロゾルを吸い込むこと(エアロゾル感染)」と、感染経路のなんと1番目に、エアロゾル感染が挙げられていたのです。
長崎大学大学院・森内浩幸教授:「WHO(世界保健機関)でもCDC(疾病対策センター)でも、最初は『ない、ない、ない、ない』と言っていたのを、何段階か分けて、訂正してきたわけで。いつまでも、知らん顔というわけには、いかなかったということはあるだろう。事実上、厚生労働省でも、エアロゾルで感染が広がるんだということは出されているわけで」
森内教授は、感染対策として「部屋の換気」を求めているのが、エアロゾル感染を認めていた何よりの証拠だと指摘しています。
長崎大学大学院・森内浩幸教授:「日本は、役所に絡むようなところで出したのって、訂正しにくかったということなのか。何を今さらという気がするんですけど」
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000249942.html
↓ リンク切れたので
タイトルの通りだ。
私は続編が出る可能性は0のそこそこ古い作品、いわゆるマイナージャンルが好きだ。
しかし知名度は高く、腐に限っては旬ジャンルには及ばないものの、そこそこ活発に二次創作が産み出されている。
私はそんなジャンルの一番人気のキャラクターを好きになり、夢小説を書いたり読んだりするようになった。
しかし、キャラクター自体の知名度はとても高いのに、彼の夢小説は本当に雀の涙程度しかない。
pixivにおいて、彼関連の腐は数え切れない程の作品があるというのに、夢小説は二十件程度。しかもその八割は二人の作者さんが書かれたものだ。
唯一作品が出たばかりの時のものがブクマ三桁を超えているだけで、ジャンルの天井は実質ブクマ30~40(これでもずば抜けている)、平均は15前後といったところか。
古い作品で夢小説モノならサイトにあるのではないか、と思い調べたものの、概ねリンク切れかサイトを消された後で、結果的にサイトは四件程度しか見つけられなかった。(しかも大体は更新が停止していた)現状の書き手は実質私以外に1人である。
そもそも私の推しに関わらず、私のジャンルは夢小説が異常に少ない。これでも私の推しの夢小説の数が最多だと思う。
私はこんな誰もいないようなところでオンで本を出したいと思っている。ブクマは平均15くらいで、私の作品を追っていてくれる人は見る限り一人しかいない。(大体見てくださるのは他ジャンル本命か腐本命の方ばかりだ)
こんな惨状で本を出して売れるのだろうか、いや売れるわけが無い。そう分かっていても、一度でいいから自分で書き上げたものを本にして、即売会に行って、自身の手で売り出してみたい。
これは昔からの私の夢だったが、今までは学生で金銭的な制約があり、それが叶わなかった。
もしかしたら5部も売れないかもしれない、少なくともサークル参加は私だけであろう。…でも一度でいいから同人誌を出してみたいなあ。ある程度コロナが収まったら、本当に出してみようかな。
そこで10年くらい前にたけのこの里に虫が混入していた事件の話をすると「全く聞いたことがない」という。
俺は、当時ネットでも大きく取り上げられていたのを覚えているのでPCで検索して見せようとすると、当時のニュース記事が全く出てこないのである。
出てくるのは↓のような当時の5chスレや個人の感想ブログしかなく、これらの引用元のソース記事はすべてリンク切れ
https://news21.5ch.net/test/read.cgi/bizplus/1171721455/
https://ameblo.jp/wv001554/entry-10026014650.html
他のニュースも同様だった。地方分権の話題で、過去に三菱自動車が本社を移転しようとして取りやめになったニュースを思い出して検索しても5chスレか感想ブログしか残っていない。
https://news19.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1131483854/
https://blog.still-laughin.com/archives/2004/11/post-728.html
現在話題のトピックや事件も10年経てばみんな忘れて、ネットには2次ソースしか残っていないのかもしれない。
将来的にブログサービスはいつか終了するだろうし、5ちゃんねるも運営の匙加減でいつ閉鎖されるか過去ログが消えるかわからない。
本編に戻る : anond:20211105031842
基本的にGoogleの検索オプションや、Twitterの検索コマンドは各自で検索していただきたい。
...が、コイツ何やってんだよサッパリわからん!と言われないために記しておく。
参考サイト : https://mag.app-liv.jp/archive/81735/
くらい。これらを検索語句に加える。本当に出て来なかったら調べると吉。
このように除外する。
-"XXXXX"
このようにしないと働かない (何で?) 。
参考サイト : https://liginc.co.jp/web/service/google/86222
-(除外検索)
before:20XX-XX-XX (指定した年月日 以前)
after:20XX-XX-XX (指定した年月日 以後)
辺り。OR AND *などを使用する機会は、うろおぼえが混み入ってない限り少ない。
本当に出ないときに思い出す程度で。
参考サイト : https://www.google.co.jp/imghp?hl=ja
よくネットの拾い画像の出典を知りたい、と来るが、7割はGoogle画像検索で出る。
出なかった際に、検索欄にdotやfictional characterなどの文字が入っている。
この辺りの仕組みはよくわからないのだが、画像から推測したワードが打ち込まれるもよう。
なので、画像に関連した語句と指定期間を加えると出ることが多い。
その場合は、画像編集で余計なものをトリミングで切ってあげるのも手。
Twitterで見たという自信があるのなら、TwiGaTenを使うとベネ。
もちろん鍵垢になってる場合は見られないけどね。
WayBackMachine : http://web.archive.org/
うろおぼえの内容を漁っていたら、情報源が切れたリンクの先にある。
そういう場合、WayBackMachineを利用する。
通常はGoogle検索で事足りるが、便利なのは国会図書館のデータベース。
https://crd.ndl.go.jp/reference/
Twitterで見た、類の検索はツイコミ(仮)や、蒼天画廊といったサイトもある。
またマンガの検索については、Googleの画像文字認識の精度が上がっているため、
参考サイト : https://www.baka-ke.com/2020/06/19/google-ocr/
正直このように列挙していく必要はない。なぜかというと、
うろおぼえ対象にあったジャンルのデータベースで検索しているに過ぎないから。
ほんとデータベースを公開してくれている人に頭上がらん...
Twitterでも出ないし、かなりのサイトを巡っても出ない場合。もしくはうろおぼえ対象が古い場合。
part1: anond:20211105031842
part2: anond:20211106011219
part3: anond:20211108012801
リアルでは吐き出せないからここに匿名で書きにきた。これは愚痴であって今後の改善アドバイスを求めるものではない、というかアレは夢であってほしいなーという願望も混じっている。
'``・ 。
`。
,。∩ もうどうにでもな~れ
+ (´・ω・`) 。+゚
`。 ヽ、 つ ゚
`・+。・' ゚⊃ +゚
☆ ∪~ 。゚
`・+。・ ゚
友人はエアではなくいまも実体がある友人だ。高校の時に席が近かったというだけで意気投合し、大学は別々だったがその後も連絡を取り合うくらいの間柄。
すごく仲がいいわけではないが知り合い以上、親友未満くらいのごく普通な関係を歩んできたつもりだ。
私はどちらかといえば文系だが彼は理系を名乗っていた。学生時代も根も葉もない噂に対して「ソースは?」と元のネタを辿って真実か確認する人間だった。はずだった。水素水あれだけ化学式見て馬鹿にしてたろうに何故に今回こうなのさ。
私も友人も幸か不幸か、世界であれだけ騒がれてはいるが身近でコロナの被害という被害に遭わなかった。社内の別部署で「誰々のお父さんが無症状で完治までしたらしい」と噂で聞くくらいの規模。
人の少ない地方ではなく友人は首都圏、私も政令指定都市にいるので珍しい部類ではあるのかもしれない。ネットで報道される人数とか他人事のように捉えてはいた。予防はもちろんしていたけどいつの間にか第5波を乗り越えた形になる。
今月になってようやく私も熾烈なコロナワクチンの奪い合いの中で予約ができて2回目も終えた。ワクチンはあくまで予防、酷くならないようにするものという認識の上。これ以上生活がぐちゃぐちゃになられても困るしな、と判断して打った。共通の友人に看護師もいて春に打っているし不安は特になかった。
だからこれは話の種として振ったのだ。
「2回目のワクチン終わったよ」と。
「は、どうして?」と返信がきて純粋に驚いた。どうしてとはどうして?と返すのもあれなのでどうしたもんかと考えていたら送られてきたのがこれ
https://twitter.com/nihonjintamasii/status/1445928998949720067?s=29
え、なにこれと開いたらTwitterだった。大学の論文とかさ、そういうのなら「ふーん」と読むけどなんだこれ。さらに続けてYahooニュースのリンクが続々と送られてきた。こちらはリンク切れてたから貼らない。どれも反ワクチン、接種したらお前は死ぬだろうみたいな内容。情報源とは。
あきらかに香ばしかったのでいつもは見ない彼のTwitterを覗いてみたらチベットスナギツネのように真顔になった。リプもツイートもコロナ陰謀論とワクチンのもたらす弊害ネタで埋め尽くされていた。
このアカウント二次創作アカウントだった気がするけどその話題はまったくなし。推しはどうした。コロナに負けたんか。なにこのフォロー数と名前が妙に長い人たち。
とりあえず見なかったことにして元のトークに戻ると共通の看護師の友人が「それ事故死したけど検死したらコロナだったから死者に含めましたとかあって全然信用できないじゃん」と返していたがそれにはダンマリ。副作用の被害のニュースやらを貼り続けるマシーンになってしまった。
「半年で効果が切れるワクチンはワクチンではない」と言われても。日本の風物詩になったインフルエンザのワクチンについてコメントはないのだろうか。私はいつも一回で済めばいいのにと毎年思ってるよ。
看護師の友人やワクチンをすでに打っている他の共通の友人は「目が覚めるまで構わない方がいいよ」と無視しているし私もしている。彼のTwitterはこわいので覗いていない。
現在進行形の彼が元に戻るのかはわからない。なにが引き金になったのか。今年の春はまだワクチン打つ気でいたはずなんだけどな。目の前に座っても遠くを見て視線が合わない人になってしまった。愚痴はここまで。
夢だといいな、というただの吐き出しでした。ここまで見てくれた人はありがとう。あなたは体と心には気をつけてね。
'``・ 。
`。
,。∩ もうどうにでもな~れ
+ (´・ω・`) 。+゚
`。 ヽ、 つ ゚
`・+。・' ゚⊃ +゚
☆ ∪~ 。゚
`・+。・ ゚
立憲民主党も、菅野んとこには相当つぎ込んでいたみたいだしねえ。
誰がDappiとの違いを教えてほしいw
2019年には、石垣(小川)が代表を務める立憲民主党の宮城県参議院選挙区第1総支部が、菅野完の個人会社である株式会社コーポレーションに「広告宣伝戦略代」として、政党交付金から6,111,000円を支払っていたことが、翌年の政治資金収支報告書で明らかになっている。(https://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/820858.pdf)
(魚拓:https://megalodon.jp/ref/2020-1203-1003-37/https://www.pref.miyagi.jp:443/uploaded/attachment/820858.pdf)
また、2020年にも、立憲民主党同支部から菅野の会社に「広告宣伝戦略代」として1,215,000円が支払われている。(https://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/820870.pdf)(リンク切れ:魚拓取れず)
更に、同じく石垣(小川)が代表を務める政治団体「NORIKOROCK」からも、菅野の個人会社に「宣伝戦略立案費用」として2,000,000円が支払われていたことが、政治資金収支報告書で明らかになっている。(https://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/SS20201127/104500.pdf)
(魚拓:https://megalodon.jp/ref/2021-1028-0502-59/https://www.soumu.go.jp:443/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/SS20201127/104500.pdf)
荻上です。ラジオのOPで、2、3分ほどのフリートークの時間があります。僕はそこで、『ルックバック』現象について簡単に触れました。
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355
内容は、「『ルックバック』というすごく良い漫画が話題になっていた。漫画家クラスターなどを含めてさまざまな反響があった。「過去を振り返る」「前を向く」ことについて読み手に考えさせる作品であるが、打ちのめされたようなツイートをしている人も。詳細は、社会的な出来事に関わる漫画でもあり、触れるとネタバレになりそうなため、ひとまず読んでいない方は是非」というものです。
受け止め難い理不尽な出来事を前に自分を責め、「あり得たかもしれない別の世界」あるいは「イマジナリーな救済」に一時避難するが、それでもなお「自分の席」に座り直すというストーリー。主人公たちが過ごした時間をサイレント手法でリズミカルに描くことで、読者を、他者の感情の解釈や理解へと誘う力強い漫画だと思い、紹介しました。
ここで割愛した評の一つが、加害者のキャラクター描写についてでした。サイレントでも感情が豊かに表現される主人公描写に対し、加害者は悪魔化・患者化された記号として登場し、その背景は描かれません。もちろん、加害者の実相が主人公に理解可能かどうか、あるいは物語時間の中で必要な情報が取得できるかなど、物語の制約上の限界がそこにはあります。それでも、悪魔化・患者化された記号としての加害者描写は、本作がモデル漫画であるか否かに関わらず、幻聴に関連する特定の疾病群に対する偏見を助長する可能性は気になりました。同様の指摘は、複数の精神福祉関係者が行っています。
作中では犯人像について詳しく語られておらず、あくまでメディア上に提供された定型的な警察発表のみが紹介されています。主人公の浸る仮想or空想世界での犯行シーンは、実際におきた風景の再現にあたるものなのか、あくまで警察発表などの断片情報から作られた主人公の想像上のものなのかは、解釈に委ねられています。個人的には後者であるという理解です。そのため、作品そのものが「特定の病名について断定的な描写を行なっている」というより、「定型的なメディアの事件報道を描き、またそれを元にイマジナリーな加害者像を作り上げる主人公を描いた」という構図だと捉えています。
このような描写が、特定の精神疾患群に対して、「対話不能な凶悪犯罪者」であるというステレオタイプ的な読解を生み、補強しうるというのは、その通りだと思います。作中の描写が、「従来の事件報道が各種疾患へのステレオタイプを拡散してきたことの再現」であり、主人公もそのイメージをトレースしているからこそです。
そのことについての批評的注釈を割愛し、「ひとまず読む」ことを推奨するだけでよしとした判断の背景に、疾患に対する無理解や鈍感さ、語り手としての怠慢があるのではないかと言われれば、そうなのだと思います。僕のラジオ経由で漫画を知り、漫画を読んだということは、僕の発言に一定の信頼をおいてくださっていたのでしょう。それが不意打ち的に、当事者性ゆえの脅威を強く味わうことになったのは、僕の言論の責任だと思います。
なお一部のブクマやツリーでは、元増田氏の投稿に対して、疾病名に絡めて嘲笑するものも多くありました。そのような非難には賛同できません。また、面白い作品、読むことが強く勧められる作品であると感じたからといって(実際、「ルックバック」は優れた作品であると思います)、その作品への懸念や批判を一括して否定する必要はないでしょう。優れた作品も、推敲可能性が常に検討できますし、読者との応答を通じて描写が変化することもあります。「このようなレスポンスが確かにある」ということが読み手間で交わされることもまた、作品に対する同時代的な注釈にもなります。
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ところで、同趣旨で荻上(および杉田俊介氏)を名指しする投稿は、ツイッター上の @YANA1952 ( https://twitter.com/YANA1952 )氏のアカウントでも行われていました。追記部分では、元増田氏とツイート主は同一人物であるように読めます。実際に @YANA1952 氏は、最初の増田投稿の17分後に、追記とされる増田については、投稿1分後に、ツイッターでそのURLをリンクしています。
@YANA1952 というアカウント名には見覚えがあります。以前は「矢那やな夫」( @YANA1945 )と名乗っておられたのですが、その後「障害者雇用の働き方」という名前に変わっていました。昨夜までも同アカウント名だったのですが、今日になって、IDを @CHL1952 ( https://twitter.com/CHL1952 )に、名前を「障害者雇用で働く人」に変えられました。
IDの推移
リネームが続いておられるので、 @YANA1952 宛、あるいは @CHL1952 宛にリプライした場合、再度リンク切れになってしまう可能性があると思い、増田にてレスポンスすることにいたしました。ウェブ上のテキストのみのコミュニケーションであるため、元増田氏、ツイート主含めて、どこまでその内容が事実であるのか、その当事者性がどういうものなのか、僕にはわかりません。ただ、特定の投稿の真偽や有無にかかわらず、補足・応答の必要は感じていたため、こちらに投稿したいと思います。
https://twitter.com/torakare/status/1417636459775811591?s=20
𝐀𝐧𝐨𝐧𝐲𝐦𝐨𝐮𝐬 𝐍𝐞𝐰𝐬は、『ローカルなニュースを全国に』をスローガンに、何気ない小さなニュースを不定期で紹介していきます。かなしいニュースや目も当てられない悲惨なニュース、ストレスを感じるニュースの紹介は避け、毒にも薬にもならないような何気ないニュースや、時にクスっと笑えるような記事の発信を目指します。
筆者は取材を行わず、地方新聞等の媒体に掲載されたニュース等を参考にしつつ、情報を収集して記事を作成しています。また、配信されてから数日経過したニュースを題材として用いることがありますので、ご注意ください。
なお、参考にした記事のリンクが切れている場合があります。なるべくWaybackMachineにアーカイブを取るようにしていますので、リンク切れの場合はそちらをご活用ください。