はてなキーワード: ペーパーテストとは
面接とかで取る入試制度を取ってる大学もあるよ。全部が完全にペーパーテストな大学はかなり少ない。勿論難関大学でも私立はそうだ。
まあ、ほぼ合否に関係ない名目上の書類提出とかは勿論そういう入試形式でも有りうるけど。
むしろ今の入試制度は、ペーパーテストがだんだん軽視されつつある。
一般入試こそペーパーテストだけど、他の形式の占める割合が大きくなってきている。
僕も昨日今出川の大学を受けてきたけど、私立入試は何回設けれるから「一発勝負」じゃないし。
地元で受けれるから負担も昔より減ってるし。まあ僕もちょっとあとにはW大受けるため新幹線を使わないといけないわけだけど……。
ただ、学問を学ぶ意義もないのに最難関大学に就職のために行くってのが問題だってのはとても良く解る。
例えば論文を高校生のうちに、仮に稚拙なものであっても「意欲」が図れるようなもを書く風習があったほうが良い気はしたし僕もそれを活用して大学を目指しただろう。
あとまあ国公立だとチャンスが限られてくるってのもアレかもしれん。
しかし、面接などで「意欲」を図るのは、ペーパーテストなどよりもよっぽど真の力が図りにくい。
数時間に渡る試験でも図れないようなパワーを、数十分の面接でどうこうできるとは思えない。所謂「コミュニケーション」出来るだけで、学ぶことの適性なき人間が有利になりかねない。
就職予備校は十分かもしれんが、学問を学ぶ場所としてのにそれはまずい。現状はペーパーテストが一番「マシ」なのだと思う。それを、推薦、AO、特殊科目入試などで補っているのが現状だと思う。
なお、科挙が廃止されたのは、アヘン戦争敗北から洋務運動・戊戌の政変などで「西洋近代化」が推し進められる中で、
科挙の出題科目は「儒学」であったことが、守旧的とみなされてなくなっただけのようにも思える。「古典を暗記して、解釈をする」だけが入試範囲だった。
今の入試は違う。どの科目も、なんだかんだ行って大学で学問をやるには役に立つ。あと、科挙はあくまでも「官僚採用試験」であり、官僚の適性を見るのが役目だった。それに古典しかないというのも問題だった。大学入試とは訳が違う。
まとめると、ペーパーテストはそれなりに合理的。回数を増やすことで、一発勝負の不安定感も一応軽減している。
別形式で、ペーパーテストで図れない力をみる入試もやっている。
それでもやはり、大学を就職予備校とみなして、学問を学ぶためでないのに入ろうとする人達は困りものだしそういうのと学びたい人を分けることのできる仕組みはやっぱり存在したほうが理想ではあると思う。ただ、現実にはそれはとても難しい。
先日、センター試験があった。
もう3年前のことになるけれど、毎年この季節になると受験勉強のことを思い出す。
彼は私と同い年の大学生だ。大学の部活の話などでよく盛り上がったりした。
そしたら、
「え?あぁ俺、推薦なんだよね。だからセンター試験受けてない」
と彼は答えた。
「あ、そうなんだ!評定平均高かったんだね、すごいな」
そう良いながら、彼への気持ちがどんどん冷めていくのを感じていた。
中卒でも、高卒でも、専門卒でも。高専卒でも、大卒でも、院卒でも
そういえば、うちにも推薦入試制度があるが、仲の良い友達は皆私と同じ一般入試組だ。
知らず知らずのうちに、推薦組とは親しくならないようにしていたのかもしれない。
大学には行きたい、けれど一般入試は受けたくない、楽な方法で受かりたい
そういう魂胆が透けて見えるような気がしてしまう(考えすぎだろうか)。
一般で受けて受からないような大学に推薦で入っている人もいる(大学での成績は大抵悪い)
調べてみると、世の中には一度も
ペーパーテストを伴う入学試験を受けたことのない人間はたくさんいるらしい。
彼らに対する気持ちは、ずるい、というのとは違う。単なる軽蔑だ。
推薦をもらえるように良い成績を維持したのだから、その対価として推薦を勝ち取ったのだ
と言う人もいるかもしれない。
推薦入試の人に大しては、どうしても「逃げて楽な道を選んだ」という印象がつきまとう。
あんなに好きだったのにな。
外国人と思われる家族連れが大きな荷物をかかえたまま、電車の入り口付近で立っていた。
とある駅で停車し、多数の乗客がそのあたりの入り口から降りようと準備しはじめると、
その家族連れ彼らはその乗客たちの降りる流れに負けて電車から降りてしまわないようにと
踏ん張って流れにさからい、降りようとする乗客たちをブロックしていた。
マナーをわかってくれ、なんていっても聞くわけないと思うので、
マナー問題のペーパーテストや乗車試験に合格する発行されるような免許を持っている場合にのみ電車に乗れるようにする
乗車免許制度を導入するのがよいと思う。
と、気が狂ったようなことが言いたくなるほど、異様な光景を見ている気分だった。
ハロワと求人サイト頼りの転職活動中なんですが、ハロワの求人票が信用できない。
例えば、
の求人に応募するとですね。書類選考のあとペーパーテストと2回の面接うけたあとの最終の条件詰めで、
最初の6ヶ月は契約社員、その後社員登用試験あり(3年目までに2回受験可能、3年で契約満了)
6ヶ月は平日9時~18時だけど、その後はシフト制で交代勤務。土日出勤や夜勤もあり。
とか提示されるんですよ。話違いすぎ。無駄になった時間とお金返せ。
ハロワの窓口の人に聞いたら、基本的に求人票の条件は求人元会社の自己申告がベースだからと。
そういう意味では、求人サイトの情報は今のところ「ある程度は」正確。
それでもいいです。でも、いつまでに連絡するかは明示してほしい。2週間後とか○月○日とか。
指定なしなら1週間から10日で応募中リストからはずしているので、
3週後に連絡してきて「明日の午前中に最終面接を」と言われても、頭から消えてて???ってなる。
せっかく連絡してくれてるのに、お互いによろしくないと思う。
いずれにせよ、頑張るしかないのだけどね。
先日、都市高速でオービスを光らせてしまって30日免停となったため、運転免許試験場に免停講習を受けに行った。座学と運転シミュレーターやって、最後に簡単なペーパーテストに合格すれば30日の免停期間がその日1日だけになるってやつね。
このペーパーテストというのは基本的に座学で講師が話した内容ばかりだし、問に書いてある内容が正しいか誤りかを選択する二択問題。問題数は40問ちょいで、確か36問正解すれば合格。正直言って内容は免許持ってる人間からすれば常識レベルで、座学の内容聞いてなくても問題なく合格できるだろうってくらい。
講師の人も「最後のペーパーテストは本当に簡単なものですから。あと、テストに出るようなところは『ここが大事な部分』とか言いますから、そこを押さえてもらえば大丈夫です」などと言っており、実際その言葉通りの内容だった。講習を受けた人が全員問題なく合格できる、そんなテストだった。
ところが。
一人だけ、不合格を言い渡されていた人がいた。ほとんどの人が全問正解と言われている(テストを解き終えたあと解答用紙を裏返しておくと、試験官が席まで来てその場で採点&結果を口頭で教えてくれる)中で、だ。
さすがにこれには驚いた。まさか不合格者が出るとは思わなかったから。それが年寄りとかならまだ分からなくもないが(免許返納しろとは思うが)、見た目35〜40歳くらいの、頭頂部が禿げかかったメガネデブのおっさんだった。採点した試験官も気まずそうな顔をして、「……また受講し直すこともできるから」と微妙なフォローを入れていた。そして不合格を言い渡されたおっさんは無表情のまま退席していった。
しかし、そのおっさんも免停になったということは当然ながら過去に免許を取得しているはずであり、その際にはペーパーテストにも合格しているはずである。この免停講習のテストは仮免許試験よりも余程簡単だと思うのだが、一体どうして不合格になってしまったのか、気になって仕方ない。わざと不合格になるメリットなんて何もないはずだし。
http://m.huffpost.com/jp/entry/8902352
私も塾には行かなかったし行きたいとも思わなかったが、仮に行きたいと思ったとしても、行けなかったと思う。
別に黒い服を着たおじさんが家に来たり、親がギャンブル中毒で離婚したりはないし、(大学に入って一人暮らしをするまでは)特段ひもじい思いをしたことも記事に書けるようなドラマチックな出来事も何もなかった。
しかし、子供心に塾の授業料を見て、ウチの家計では無理だろうなと思ったくらいの家庭に育った。要するに田舎の一般的サラリーマン家庭だった。
周りはあまり裕福ではなく、飯場のようなところで、ギャンブル中毒の親、母子家庭、父親の自殺、小学校6年間で4回も苗字が変わった子、夜逃げしたためどこか遠くから車で送られてくる子等だらけだった。
(金銭感覚や教育観といった観点で)まともな両親が2人とも健在だった時点で、そこでは最も恵まれた環境だった。
そういう意味で、私は当地では最も恵まれた環境に生まれ育ったと思う。
大きなショックを受けたのは、親の預金通帳を盗み見た時だ。
それ以来、私は親にモノをねだらなくなった。当然塾に行きたいとは言えなかったし、私は小さいころピアノが習いたかったのだが、習いたいと言えなかった。
私は14歳の時、田舎を出ることを決心し、田舎の中学を出て、片道2時間以上もかかるような遠い街の進学校へ行き、東京大学に現役で合格した。結局塾には一度も行かなかった。
私自身はそれが当然だと思っていたので全く辛くはなかったのだが、多分傍から見れば相当努力した部類だと思っている。
受験期には文字通り一日中勉強していた。これまでテレビとゲームとゲームセンターとボーリングくらいしかなかった私にとっては、本を読むこと、勉強はとても楽しかったのだが、貧しい体験からくる出世欲と反骨精神、この世に対する恨みのような気持ちは並々ならぬものがあったと思う。
今の私は、東京大学を出て大きな、公共に係わる仕事をしている。
田舎にいたころとは比べ物にならない人生だ。世間一般的には、エリートの部類に入るだろう。
給料は、外資に行った同級生、弁護士になった同級生と比べたらかなり少ないだろうが、普通の給料をもらって生活している。
社会階層を上げるためには大学に行くべし、というのは多分正しいと思う。
日本の大学受験(というより東大受験)の良いところだと思うことは、基本的にはどんな境遇の人間でも、ペーパーテスト一発、しかも普通の教科書理解できていれば合格できることだと思う(それが相応に難しいことは否定しないが)。
つまりは個人の資質や、やる気次第でどうにかなるものだと思うのだ。
だがしかし、このやる気というのがかなりの曲者で、その大半は環境で決まってしまうと思っている。
地方の進学校だったが、地元の中学とは全く違う人種が集まっていた。ゲーセンやテレビ、ファミレス以外の世界を知っているのだ。
この世界に多感な高校時代に飛び込み、周りが読むように本をたくさん読み、たくさん考えた。
これが今の自分の基礎だ。
そして高い交通費をかけて、遠い(公立だが)進学校に通うことに、反対せず後押ししてくれた両親の存在も大きい。
親がまともで精神的に安定していること、これは本当に大事なことだ。
不幸にもこのような環境が確保されなかった場合、私は同じように東京大学に独学で入り、今のような人生を歩めていただろうか。
おそらく無理だ。
視座を広げるためには、まずそれができる機会が与えられる環境にいることが重要だ。
モチベーションを維持するためには、少なくとも将来に前向きな人たちの多い環境にいることが大事だ。
負の感情だらけの中で、周りに影響されず自分を貫き通すのは、然して気持ちの強くない高校生の私にはできなかっただろう。
私は幸運にも環境に恵まれ、これから何でもでき、何にでもなれる人生を手に入れた。
最近やりたいことに悩んでばかりで、鬱々としているのだが、こうした経験をした自分だからこそできる方法で、世の中を良くしていきたいと考えている。
「なんでって?いや、だってありえないでしょ?」
「人差し指より薬指が短い人は恋愛の対象外、だって一緒に歩いてるところを友達に見られたら恥ずかしいし」
「結婚の相手?収入や性格が合うかは大事、でもそれ以前に人差し指より薬指が短い人はナシ」
「映画でもドラマでもアニメでも漫画でも見てごらんよ、恋愛ものを。主役に人差し指より薬指が短い人いないでしょ?
人差し指より薬指が短い人も出てくるけど、それは引き立て役だったり悪役だったりで」
「ぷwなにオシャレなんかしちゃってんの?どんだけ服に金かけたって人差し指より薬指が短いから無駄だって」
「新卒採用でペーパーテストも面接での受け答えも同レベルの2人がいた場合。人差し指より薬指が短い人は採らないね。
社外の人と接する機会のある仕事だし。人差し指より薬指が短い人は印象悪いから」
「何故バカにするのって言われても。人差し指より薬指が短いから。バカにされても当然じゃん?」
人差し指と薬指の長さがそんなに違わない人は指サックでカバーしたり指を伸ばす手術したりして、恋愛/セックス市場に参入してる。
でも僕の指はそんなのじゃどうにもならないくらいに短い。
「人差し指より薬指が短いくらい、大したことじゃないって。悩みすぎ」
などど励ましだがアドバイスだかよく分からない言葉をかけてくる人もいる。
たしかに人差し指より薬指が短くても日常、体を動かすうえで不具合は無い。
身体に障害を抱えている人や余命僅かの病人と比べれば、僕はまだ恵まれているのかもしれない。
でも人差し指より薬指が短いだけで、皆が当たり前のように僕や僕と同類の人達をバカにするんだ。
そして誰もそれを咎めない。
それを気にするのが悪いの?
僕が何らかの努力を怠った結果として人差し指より薬指が短い、だからバカにされると言うならまだ理解できる。
でもどうやっても僕の薬指は人差し指より長くならなかったんだ。
それでもバカにされて当たり前、それを受け入れなきゃなの?
- 自分に言葉や社会のルール、基本的な道徳観を教えてくれのはだれか?
と考えると、遺伝因子、環境因子の両方の影響を両親から受けていたと、思うよ。
ヘレンケラー女史に、サリバン先生がいたみたいに、自分を良く理解した上で適切な方法で根気よく導いてくれる人がいるって大切なことだよね。
だけど、アスペルガーだと、人との関わりが上手くいかないし、ADHDで、感情のコントロールも苦手だったりだと、人から理解されずらいし。
なんだろう、人の助けを得ようにも、得ることが上手く出来ないから、そもそも、困っている。
『人は、支え合って生きているんだよ』という基本的なことであっても、僕も、僕の親も、知らずに育ったように、思うよ。
父親は、僕の祖父へ助けを求めることや、会社の人や学生時代の恩師に助けを求めることが出来なかった。
母親も、父親を支えきれなかった。
両親自体が、彼、彼女らの境遇を受け容れきれていなかったように思うよ。
自分自身の性格・気質・能力について、折り合いをつけることが出来ないでいた。
つまり、元増田が言うように、「頭がくらくらする」為に、どうしていいのか、わからん状態が、一生続くかと思うと、絶望してしまう。
砂に水を注いでいるようで、何も自分には蓄積していないように、感じる。
また、ある程度、落ち着いて来た時に、親は愛情を注いでくれたつもりでも、自分では素直に受け取ることが出来なかった面があったようにも、思えるようになりつつあるのかな。。。
普通の人と同じ努力をしても、報われないのだから、やる気もなくなるべ。
そもそも、僕は、自分の失敗から学ぶということが、苦手だったよ。
短期記憶の能力・認知能力が低いとか。同時並行で、処理をすると頭が固まるとかさ。
これらは、直しようがないわ。
いくら、タメになる自己啓発本(w)とかを読んでも、理解の仕方が一般の人とは異なるし、アウトプットで、いつもつまづく。
相手の立場や理解度に合わせて、表現を選んでいくと言うことが、苦手だったりするよね。
単純なペーパーテストでも、ケアレスミスがあったりで、分かっているのに、点数に結びつかずに、意味が無いってのがあるよな。
増田に何かを書いて、ブクマがついて、スターがついて、文章力が褒められるだけでも、マシになったかとも、僕の場合は、思うよ。
作家とか、プログラマー出身のブロガーとか、コンサルタント的な人の中には、どう考えても、発達障害です、ありがとうございました、
という人も、ちらりほらり、いるし。
長島茂雄の子供(一茂も三奈)なんかは、タレントとしては、空気を読める人たちに思うから、
環境によって変わることも、大きいのだろうね。
奥さんが、定型なのかな。
羽鳥慎吾、ホンジャマカの恵なんかを始めとする優秀な司会者は、定型の代表者だと思う。
多くの人の感情を読み取り、適切な言葉で表現することが、上手いから。
一方で、リアクション芸人とか、特殊な分野で一芸に秀でているタイプの人は、
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)やらADHDでも、やっぱし成功しているように思う。
極端な例になるが、
松岡修造とか、家庭生活では、イマイチな話を聞いたことがあるし。
アスペルガー症候群って今は、自閉症スペクトラムって呼び方に変わって来ているようだよね。
最近、NHK教育テレビで見て参考になったTEDがあるので、リンクを貼ります。
子供の頃に自閉症と診断されたテンプル・グランディンが、彼女の脳の働き方について話します。彼女の“絵で考える”能力が、一般的な脳が見落としがちな問題の解決に役立つと言います。世界は、自閉症の領域にあるとされる人たち-視覚型思考者、パターン型思考者、言語型思考者や全ての風変わりな天才達-を必要としていると訴えます。
http://www.ted.com/talks/temple_grandin_the_world_needs_all_kinds_of_minds?language=ja
教えてやるよ。
帰国子女でも、留学経験もないお前らでも英語ができるようになるほぼ唯一の方法を。
だから、意味のない英語勉強法のサイトを1000ブックマークとかするのをもうやめろ。
恥ずかしいから。
頭悪すぎるから。
1000ブクマのサイトのやり方で英語ができるようになったやつってどれだけいるわけ?
長ければ長いほど「後で読む」でたくさんブックマークされて、たぶん読まれてもいない。
読まない奴が悪いんじゃない。
最近のは特にだが、アフィリエイトをベタベタ貼って、勉強法を列挙。
超長い。
そんなものは偽物なんだよ。
著者自身も本当に効果があると思っている方法ならば、「列挙」しない。
自分がたどり付いた教材を一つだけ書く。
違うか?
まがい物なんだよ。
1人がやれる分量だけにまとまっていないから、読むことすら苦痛なんだよ。
ブクマするだけなら只だから、失ったのは知性と羞恥心だけだけどな。
さて、その方法をそろそろ教えてやるよ。
そこらへんのふつうのサラリーマンが、今まで英語に縁もゆかりもない人生を送ってきたサラリーマンが、
たった11文字だ。
お前らでも最後まで読めるだろ。
T O E I C を 猛 勉 強 し ろ
以上。
簡単だろ。
本物がゆえにシンプルだ。
これならお前らにもできるだろ?
860点、できれば900点以上取るようにな。
TOEICは2年間で20回くらいあんのか?必ず毎回受けろ。受験自体も勉強だ。
20回受けろ。
10万ちょっと必要だが英会話学校なら50万払ってたいした意味がないわけだから、安いだろ。
以上だ。
おっと、大事なこと言い忘れた。
できれば30歳までに取れ。
じゃあな。
900点でも話せないやつが多い?
ほんっと頭悪いな。
だからいいんじゃねーか。
本当の英語力が必要ないからこそ、お前らでもできる方法なんだろうが。
英会話学校とか通うのは無駄だからペーパーテストの勉強に集中しろ。
そもそも、英語に縁がなかったサラリーマンがいまさらシコシコ勉強して英語ができるようになるか?
そんなの土台無理なんだよ。
いや、いるよ、確かに。
映画で勉強して話せるようになったとか、フィリピン人とスカイプで毎日欠かさず会話してできるようになったとか。
信じられないことに本当にいるんだよ、少数のそういう人たちが。
でもさ、そういう人達は、もともと英語が好きなんだよ。だから自然と勉強するんだよ。そして自然と英語ができるようになるんだよ。
これは生まれや環境や、それまでの人生の蓄積によるものだから、今更心の持ち方でどうにかなるもんじゃない。
続かない。
それでできるようになる人は、今までも英語が好きでコツコツやってる。
そういう人って自分を突き動かす外国や外国人への憧れがあるんだよ。
でもお前らはそうじゃないだろ?
これも十分退屈だ。退屈すぎる。
だが、できる。
何故か?
ペーパーテストがゆえに、何をすればよいかが明確だ。
これなら人は動けるんだよ。
あれやってみたり、これやってみたりフラフラして時間を浪費せずに、信じて進んでいくことができる。
すまんな、最初に言わなくて。
これが唯一の方法なんだよ。
身も蓋もないけどな
英語なんて、特別なモチベーションを持っている人以外は、海外行かなきゃ無理だ。
本物は常にシンプルだ。
そのためにはTOEICだ。
TOEICなんて話せる話せないと無関係だが、ほかに良い尺度があるわけじゃない。
学歴とか難関資格とかいろいろあるけど、TOEICほど割のよい資格はない。TOEIC900点は難関大学受験の10分の1の努力で取れる。
860点以上が意味のある点数だ。900点なら更にインパクトがある。
英語ができるようになったら人生が変わる可能性があると思わないか?(まあ何も変わらないけどな笑)
そのために、もう1度ペーパーテストを勉強する努力はできないか?
十分だ。
今の海外派遣者はそんなに甘くない。仕事で海外に行けばよほどのボンクラ以外は簡単なビジネス英会話は身に付けて帰ってくる。
そこに達すれば、そこから先は普通の人でも自分の努力で伸ばしていける。
自走が始まる。
国内にいるだけでは、普通の人には、自走するレベルまでのハードルが高すぎて越えられない。
これが現在のすべてだ。
もちろん全員できるなんていわない。
だが、たとえば大学受験をある程度頑張れた人ならば、できる。
フレンズで英語ができるようになる人は20代の1%くらいじゃないのか。
20%の人にしか可能性はない。嫌な現実を書いている自覚はある。
でも、少しでも多くの人が、何かの制度をみつけてチャレンジしてほしいと思っている。
俺は家が貧乏だった。
親戚中で初めて大学に行った。
誰も海外なんていったことがなかった。
「英語で」ってなんだ?
英語なんて言語に過ぎないのに英語を使うなら何でも良いという発想が信じられなかった。
そんな俺が会社の奨励でイヤイヤTOEICを受け、最初は460点だったけど、ペーパーテストならなんとかなると思って一念発起して、
900点取って、最初にTOEICを受けた日から2年後に、アメリカに派遣された。
40前にして、ぎりぎり英語が一応できると言えるサイドに立つことができた。
自分の人生を振り返っても、英語が一応できる、というレベルになる道はこれしかなかったと思っている。
その可能性が開けている人は、その幸運に感謝して、つべこべ言わず進め。
評判の良い対策本を1冊買って、そのとおりにやれ。公式問題集と単語集を買ってきて、本試験をマイルストーンにしてひたすら勉強するだけだ。
就活中の京大生っす。これまで就職活動を経験して、学歴なんて無意味だったなあと感じている。コスパ悪い。
京大生でもバンバン選考落ちるし、俺が今受けている公務員試験なんて学歴の関係ない完全な競争試験です。
確かに学歴なんて、ペーパーテストが得意だったという証でしかない。
文句ばかり言わないで頑張ろうぜ。
いい大学に行ったから幸せな人生が送れる、そんな時代じゃないのだ。
学歴厨とか教育ママとか見るたびにバカだなあコイツと思ってしまう。
俺が見た感じ、同志社の学生も、立命館の学生も、京大の学生も別に大差ない。あったとしてもほんの少しの差。
大学とかいうクソ空間でおなじようなことを考え、おなじような人生を歩んできた二十代の若者、中身は大して変わらない。
結局やるかやらないかだけの差。
最近、ビリギャル効果か、「慶應SFC」というワードをよく聞くようになりましたよね。それとともに「慶應でもSFCは簡単だ」とか「SFCは慶應じゃない」なんてネガティブな書き込みも見かけるようになりました。
こんな言葉を見てしまった後だと、純粋にビリギャルを楽しめなくなってしまいますよね…。
そこで、噂の慶應SFCの難易度のホントのところをまとめてみました。
これからビリギャルを見に行く方だけではなく、慶應SFCを受験される方の参考にもなるかとも思いますので、よろしければ最後までお付き合い下さい。
・0 アブストラクト(簡単なまとめ)
・2.2.1 SFCが河合塾偏差値において東大理三と並ぶカラクリ
・5 全体のまとめ
今回の調査では慶應SFCの難易度(や人気)について調べました。その結果は、
となりました。
していること、
逆に上智経済合格者については、3割程度しか慶應SFCに落ちていない(つまり、上智経済合格者の7割近い人が慶應SFCにも合格している)
ということが分かり、
世間で言われているより難しい
のではないかと結論づけました。
慶應SFCとは、慶應義塾Shonan Fujisawa Campusの略で、湘南にキャンパスを持つ環境情報学部と総合政策学部(+看護医療学部)のことを指します。いわゆる文理融合型(学際系)学部であり、設立当初は評価も高く「文理どちらとも」が学べるキャンパスとして1990年代に一斉を風靡した歴史などもあるほどです。また、慶應SFCが日本で初めて導入したAO入試も「ペーパーテスト至上主義からの脱却」として大変もてはやされたそう。しかし、近年では文理融合型学部やAO入試は珍しいものではなくなりました。さらに、湘南という立地の悪さも相まって2000年以降に偏差値が急落[1]、加えて就職率の悪さから「プータロー製造工場」とまで週刊誌に書かれる事態にまでなったそうです[2]。(現在の就職状況は悪くないようです)
ところで、慶應SFCが簡単と言われる理由は大きく分けて3つ存在します。
(1)については、パスナビや公式ページなどにも記されている通りであり、紛れも無く事実です。また、(3)については今時の有名私立大学ならばどこでもやっていることですよね(笑)。国立と違い、私立はブランド力を維持しなければ存続ができないため、ある程度しかたがないことです。
そこで、本記事では特に(2)について「偏差値」「W合格者進学先」「併願合格対決」などの観点から分析することにしましょう。
[1] 教えてgoo 慶應SFCはどうして偏差値急落したの?(http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1437209.html)中の代ゼミ資料より
[2] SFC CLIP SFCバブルとSFC生の就職(http://sfcclip.net/series2010040901/)
まず、偏差値ランクの代表格とも言える、歴史ある「代ゼミ偏差値」に関してです。
(現在、代ゼミは模試事業を撤退してしまったため少し古いものになりますが2014年入試用ので見てみましょう)
2014年 代ゼミ偏差値ランキング
実際に2014年度受験用の代ゼミ偏差値ランクを見てみますと(慶應総合政策付近抜粋)
2014年度受験用の代ゼミ偏差値ランク
66
65
とのことで、確かに慶應総合政策は明治政経に負けているようです。
しかし、法学の名門と呼ばれる中央大の法学部(政治学科)よりも高い偏差値をマークしていることから、十分に高い難易度であると言い切ってよいでしょう。
一科目しか課されないことを考慮しても、合格は相当に難しそうです。
[3] 偏差値が明治大未満に。慶應SFCはついに日東駒専レベルになったのか。 (http://anond.hatelabo.jp/20140410022735)
こちらに関しては最新偏差値が公式ページ[4]から偏差値を見ることが出来ます。
河合塾2016年度受験用(15/06/22更新)
驚きですよね(笑)
参考程度に東大の医学部(理科三類)の偏差値も記しておきましたが、こちらと慶應SFCは河合塾によると同偏差値ランクのようです。
確かに入試科目数が違うとはいえ、河合塾によると東大理三と並ぶ日本最難関レベルになってしまいますが…。少しだけ違和感が残りますよね。
それもそのはず。
実は、慶應SFCがこの偏差値にランクされるようになるのには少しだけカラクリがあるからです。
[4] 河合塾 入試難易予想ランキング表(http://www.keinet.ne.jp/rank/)
ポイントは
という所のようです。
慶應SFCの入試難易度は非常にはかりにくいため、意見が分かれる傾向にあります。
小論文が合否を分ける試験というのは大学受験ではわりと珍しく、また、偏差値も存在しないため、入試難易度をはかることが難しくなってしまっています。
また、各予備校が出す偏差値も極端に差が出ているため、それもまた、受験生を惑わす一因になっている様です。
①なぜ、各予備校ごとに出す偏差値が変わってくるのか。
慶應SFCは上述したように、小論文で合否が変わる学校です。そのため「合格者平均」偏差値は低くなります。しかし、高い偏差値をマークしていても、小論文で本番ミスれば即不合格なので「合格者ボーダー」偏差値は高く出る傾向にあるのです。
そのため、「合格者ボーダー偏差値」を表記している河合塾では非常に高い偏差値(慶應法以上)が、「合格者平均偏差値」表示の代ゼミでは「明治政経」レベルの偏差値が算出されるのです。
偏差値は学科試験の難易度しかはかっておらず、そのため例え学科が偏差値72.5であったとしても小論文の出来次第では落ちてしまう可能性があるため、合格する確率が5割の偏差値ラインをはかることが出来ません。
このようなことから、
という事態になっているそうです。
これは、実際に河合塾が公表している合格者「平均」偏差値データからも分かります。
河合塾合格者平均偏差値
2014 慶應義塾大学環境情報学部 合格者平均偏差値 64.2
2013 慶應義塾大学環境情報学部 合格者平均偏差値 62.1
2012 慶應義塾大学環境情報学部 合格者平均偏差値 63.7
---引用---
ボーダー偏差値の方では72.5もあった慶應義塾環境情報学部ですが、
2016年度受験用駿台全国(ハイレベル)偏差値
早稲田大 法 64
---引用---
駿台予備校 ISUM専用コンテンツ 合格目標ライン(http://www2.sundai.ac.jp/yobi/sv/index.html)
こんな感じでしょうか。
慶應SFCと他大学にどちらとも合格した場合、どちらに進学するのか…。
少し気になりますよね。
そこで、こちらについても調べてみました。
…ですが、見つかった資料は一つだけでした。
それがこちらです。
早稲田VS慶應。学部別「W合格進学者対決」 (http://anond.hatelabo.jp/20141127051428)
な、なんと…。
一つだけしか載っておらず、全員が早稲田政経へ進学…。早稲田政経と慶應SFCの間には圧倒的な差があるのですね。
しかし、この結果は慶應法と並んで私大最難関と称される早稲田政経であるが故かもしれません。上智やMARCHとの比較も気になるところですね。
最後に、併願合否対決を見てみましょう。
併願合否対決とは
偏差値のようなマジックが働きにくく、客観的な難易度比較には向いていると言われています。
それでは慶應SFCの併願合否対決データ[7]を見てみましょう。
(こちらも出典元は河合塾の慶大塾、早大塾に記載されているものです。)
慶應環境情報併願合否結果(河合塾サイト、慶大塾より引用)
大学 受験者数 当該◯併願◯ 当該◯併願× 当該×併願○ 合格者の併願成功率 慶應総合 550 39 70 42 35.8% 慶應経済 271 13 37 13 26.0% 慶應商 171 4 16 13 25.0% 早大社学 137 3 26 4 10.3% 上智経済 126 14 23 7 37.8% ---引用---
慶應SFC W合格対決データ(河合塾) (http://anond.hatelabo.jp/20141127052807)
慶應SFC(環境情報)の合格者音9割が早稲田の社会学部に不合格に、6割程度が上智経済に不合格になっていることがわかります。
逆に上智経済を合格した人の67%がSFCに合格していることも読み取れます。ここから、併願対決を見る限りでは
ことが客観的に言えるのではないでしょうか。
合格者平均偏差値データでは
合格者ボーダーでは
W合格進学先では
併願合否対決では
と言った感じではないでしょうか。
確かに早慶上智の中では簡単な方かもしれないが、上位MARCHレベル以上はある可能性もあり、世間で言われているほど簡単ではない。
と結論付ける事ができると思いますし、少なくとも、「偏差値がMARCHに負けている」とは言えないと思います。
(当然、入試科目が一科目であるため三科目を学ぶより簡単だという意見もありますが…)
そのため…
でも、何度か病院に行ったものの途中で通院をやめてしまっている。
(私の発達障害はそこまで深刻ではないかもしれないが、仕事や日常生活がうまく回せず周りに迷惑をかけてしまい深く落ち込んでしまう)
一度目。
担当になった女医に話をしたところ「うーんその話だけではどうにも…まぁ、この薬のんでみたら」と言われ薬を処方された。
なぜか恥ずかしさが沸き上がってきて、薬はのまずに捨てた。
「何そんな症状なだけで来てるの? 大げさじゃない? 気にし過ぎじゃない?」って言われたような気分になったのだ。
二度目の病院は感じは良かった。
でも、「精神的に不安定で」と相談したら「食べ物に気を配りましょう!」と言われた。
ただ、私は料理がとても苦手で、段取りも準備も、そういうことが苦手だったので、「いえ、でも料理が苦手なんです…」と言ったけれど、
「焼くだけでいいんだから!」と言われる。
「でも、本当に焼くだけとかレシピ考えるのとか、そういうのもできないんです」「簡単でいいから!」みたいな感じな平行線を繰り返した。
一度行ってその後行かなくなった。
料理が大切なのは、わかってるんだよ。でもできないんだよ…。わかってほしい…。
三度目。
いよいよ仕事でも支障が出てきて精神的にも迷ってきたので、市の保健センターで発達障害やそれに関して認知行動療法やカウンセリングを得意としているところを紹介して欲しいと相談した。
ある病院を薦めてもらい行った。
いつもと同じように自分の話をする。
結果、「検査、うけますか?」といわれた。(ペーパーテストのようだった)
その検査を受けると、結果によっては障害者手帳?が出るようだった。
私は、そういう判断が欲しいのではなく、認知行動療法やカウンセリングで自分の生活を少しずつでも改善していきたかった。
だから、結果を見るのも怖かったり、検査代がもったいないように思えて、その病院に行かなくなった。
検査を受けなかった代わりに、認知行動療法の本や発達障害に関するワークブックなどを複数購入してそれらの本のワークをこなしていった。
病院の通院代・カウンセリング代だとおもったら本を購入するのは安いものに感じた。
その結果、気持ちは軽くなった気がする。
行動も工夫しながら少しずつ改善されているような気がする。
それでも、日常生活でやらかしてしまうことはあり、そういうことがおこると「今からでもあの発達障害の検査は受けておいたほうがいいのかな…」と考えてしまう。
(どういう検査をするのか詳しくはわかっていないのですが…)
受けたほうが楽になれましたか。
検査を受けても変わらなかったですか。
教えてもらえると嬉しいです。