はてなキーワード: ガクチカとは
直近こじらせたきっかけは多分2つ。
2つめは飲み会の場で男も女も下心丸出しで異性にべたついているのを見て、なんかいろいろ気持ち悪く見えてしまったこと。
それぞれのきっかけと自分の精神状態、思考方法、思想、そういったものを絡めながら言語化していく。
大学来の親友が結婚した。彼がもうすぐ結婚するであろうことは、なんとなく察していた。
洗面所にはずっと歯ブラシが2本あったから、半同棲をしていたんだと思う。
そいつに彼女がいるかは聞いたことがなかった。そもそも自分は、友人に恋人がいるのか聞くことが割と苦手だ。
だから聞かなかったけど、長いこと付き合っている風だし、もうすぐ結婚すると思っていた。
先週あたりにその連絡がきた。普通に嬉しかったし、本当にめでたいことだと思った。
ただ、恋人がいない自分のことをやはりネガティブに捉えてしまう。「結婚」というワードは、いまだに自分に対して大けがを負わすらしい。
匿名で書き込んでいるから説明しておくと、私は一昨年末に離婚している。当時27歳だった。
1年保たずに空中分解した自身の情けなさに対して、当時は大いに病んだ。
そこから恋人はいない。結婚願望が自分の中にあるのかは正直分からない。
ただ自分があさましいというか、自分が叶えられなかった幸せを他者が、それも境遇が近いような人が掴もうとするその姿を、100%の祝福で見ることができない。
どうしても羨望とか嫉妬とか、そういう感情がコンタミする。それに端を発し、また自己否定のフェーズに入る。
我々はそれなりにいい大学を卒業した。もっとも自分は留年して学部卒、友人は修士卒なんだけど。
学歴至上主義を否定できない現代日本で、母校の新卒カードは結構な効力を持っていることを、今なら知っている。
ただ当時はすべてがアホらしかった。ガクチカとか資格とかTOEICとか。自分は専門を活かしつつ、会社の雰囲気が良い小企業に入社した。
社内環境には本当に不満はない。同世代の全国平均以上の給料ももらえているし、友人と飲みに行ったり遊びに行ったりするくらいの余裕はある。恵まれている自覚はある。
ただやはり、新卒カードを上手に切った同級生たちは、名だたる大企業に就職して、それなりに稼いでいる。
経済的に羨ましいとは思うが、努力した彼らとそうでない自分の差を無視し、一方的に羨望することはお門違いだと承知している。だから他人を呪ったりはしていない。
ただ、自分の生き方の下手さにほとほと愛想が尽きて泣きたくなる。
社会人になってからは、老後とかも見越した資産運用を始めたりしたが、学生の頃は本当に刹那的に生きていたと思う。その結果を今になってまざまざと見せつけられているに過ぎない。生きるのが下手くそすぎる。
昔からそうだ。
第一子として生まれて、親との喧嘩も何度もしてきた。言葉を文面通りしか捉えられないような節があることも自覚している。愛想のよい会話も苦手で、可愛げがないと何度言われたことか。
弟はそのあたり非常にうまくやっている。ユーモアで大人を笑わせ、親が望むような労いの言葉を見逃さずにかける。そういうのを見るたび、やるせなさが募る。
幸い、頭だけは良かった。特に、物事の法則性を見出す能力に優れていると思う。まあ、自分より優れた人間なんて掃いて捨てるほどいるんだけどさ。
だから勉強には困らなかった。自分の身の丈に合った環境に身を置くことが幸福につながると信じていたから、特に苦労しないで入れる高校や大学に進学した。
そこで出会う友人たちは、どことなく自分と同じところがあった。頭のデキとか、公立故の家庭環境とか。そんなに大差ない半生を送ってきたんだろうなって。
ただ、社会進出は孤独だ。それまでの半生の判決が下されるような感覚。
特に何もなさなかった自分と彼らの差は、いったいどこで決定的になったのだろう。
俺は知らなかったんだ。そんな判決が下る日が来るってことを。
頭がいい友人はみんな気が付いていた、早い奴は高校生のころから気付いていたと思う。そのあたりは、本当に馬鹿だなって今でも思う。
自分にもポテンシャルはあったはずなんだけど、どこで失ってしまったのか、または持っていると錯覚していただけなのか…。そんなことを考えて少し病んだ。
まあ、優秀な同級生と自分の対比はよくやってる内省のテーマだから、大きくこじらせることはないはずなんだけど。
続けて、先日の飲み会の話。
その飲み会には酒癖が悪い女の子が来ることになっていた。みんなそのことを知っている。
自分も飲み会の前までは、隣にその子が来てベタベタされたらラッキーくらいには正直思っていた。
案の定、男が寄って行った。男がトイレ等で席を立つたび、他の男が代わる代わるやって来た。
それが素直にきしょいと思った。彼らと同じことを考えていた自分もきしょいと思った。
どいつもこいつも、「自分は介抱しているだけで、下心なんてありませんよ」みたいな顔して近づいていく。なんかそれが無理だった。
もうおっぱい揉んだりキスしたりしろよ。その方が素直だよ。もっときしょいけど。
自分よりイケてない(と自分が勝手に思ってる)やつが、その子とイチャイチャしてるのを見て、なんか正解が分からなくなった。恋愛とか人生とか、そういうのの正解。
たまたま先日開いたまとめサイトで、「外国人は日本人の女をスケベだと認識している」というレスを読んだ。
この女もスケベか。じゃあこのスケベ女にも相手にされない俺はもう終わってますね??(謎理論)
自分は、女は淑やかであるべき、みたいな思想を持っている。割と封建的で昭和チックな価値観を持っていると自覚している。
だからこそだらしない女を見てるとウザイなと思う反面、「ヤレそう(ヤレない)」とも思うし、その自己矛盾も気持ち悪いし、そこに群がる男もきもい。
うーーーーーん、わからん。べつにその特定個人から好意を持たれたいわけじゃない。
他にも夫子持ちの既婚女性が叫んでたり、恋人がいる男女がなんか楽し気に盛り上がっている様を見ながら、理性とか本能ってなんだろう…と一人沈んでいた。
なんか矢印がいっぱい見えちゃって非常に疲れた。という話。
最近は金の事ばかり考えている。なぜか。
ならば自分はモテたいのか?自分の性欲を直視するのが気持ち悪くて、そのあたりは考えないようにしている。でもこれを直視しないといけない。
離婚してから性風俗以外で性行為をしていないが、セックスが普通に好きなので。
自分のセックスに対するコンプレックスもあるが、最終的にヤリたいに帰着する気がする。
恋人とか新婚夫婦って、ほぼ確実にセックスしてるじゃないですか。
死ぬほど羨ましい。そういう愛の確認がしたい。愛がなくてもいいけど。
「同棲してます」は、「昨日もセックスしました、今夜もします」にしか聞こえないし、
「結婚します」は、「今までいっぱいセックスしました」にしか聞こえないし、
頭おかしくなるって。いやもうなってる。なってるからこう聞こえてるんだって。
男子中学生も男子高校生も、ここまで人生観やライフステージや愛についての解像度は高くないと思う。
だからこの拗らせ方は、セックスにコンプレックスを持った哀れなオス特有のものでは。
「風俗行けや」と思われるかもしれないが、安い店はそれなりの嬢しかいないし、それなりに高い店は経済的に厳しい。
だからこそ、セフレを作って性的にも経済的にも得をしたいと考えてるんだけど、これは異常者の発想なのだろうか。
…言語化しなくても気が付いている自分の本心を直視するのが本当につらいんだ。なんやこのバケモン。
色々努力したつもりなんだ。
元嫁にはそういった「努力」が足りなかったから見放された節があることも分かっている。
そのへんの1000円カットから、カット&パーマで15000円する美容院に鞍替えした。
眉毛の処理は欠かさずするようになった。
爪磨きを買って爪を磨くようになった。
こういうのを当たり前にできる人もいるんだろうけど、自分はできていなかった。だから努力の一歩目を踏み出した。
ただまあモテない。顔が悪いか会話が壊滅的に下手か金がないか。まあ全部か。
マッチングアプリでモテてる男を見てみると、盛ってるのかどうか知らんが、同年齢の連中は軒並み年収1000万を超えている。勝てないって。
女さんサイドもなんでそんな男がアプリやってるのか考えろよ。よほどの異常者かヤリモクの二択だぞ。
ヤリたいなら知らん。マザーファ●カー。
…で、ごく平均的で顔にも金にも取り柄のない自分は、埋もれていくしかない。
正直この歳で彼氏がいない女は、別れた直後かよっぽどヤバい奴しかいない思っている。
からこそ、自分はよっぽどヤバい奴だという論が成立して萎える。
そしてそのヤバさを自覚できていないから、方向性の修正の仕様がない。
もしくは高望みしすぎか。
学もある。職もある。顔も終わってない(はず)。
ただこの普通過ぎる男でも、「つまらない」という理由で、加熱した恋愛市場では全く相手にされない。狂ってないか????
というか、自分のモテなさを棄却しようと色々論じてるのが情けなさすぎる。
なんのために「努力」してきたのかももう分からん。ぶつかりおじさんになった方が幸せまである。
弱者男性の言動や思想を追っているうちに、えっげつないエコーチェンバーを引き起こして、思想汚染されている自覚もあるが、生きづら過ぎる。
自分の性欲が本当にノイズでしょうがない。ヤリたいのにヤレない哀れなオスでいることが精神的にきつすぎる。
去勢したら楽になれるのか。ただ、生命活動の一端をそこで止めてしまうことのリスクがあまりにも大きいことも確かだろう。
なんかもう詰んでね?
書き方が悪かったせいで、自分と学友のBLを想起する人が少なからずいたため、該当箇所を修正しました。
ブクマコメントや言及の中で、特に結婚・離婚の話が薄いみたいに言われていたが、確かに離婚の話は自分のコンプレックスであって、それはそれで大いに病んでメンクリにも通った。
ただその話は今回の題意にはそぐわないと思っているし、破局原因をすべて言語化することを拒んでいる自分がいることも自覚している。
だから離婚の細かい話について、ここで掘り下げて共有するつもりはない。
勝手な推測でグチグチ言われるのは心地いいものではないが、それも匿名性のある意味よさだと思うので、やめてくれとも言わないけど。
それから、一部「本心が全然書かれていない」的な意見が散見された。
これが本当に分からない。自分でぐちゃぐちゃ書かれていることをなるべくゲロ吐いたつもりだったんだけど、本心ってなんだ。
自分軸で生きてるか他人軸で生きてるか的な論?かと考えたけど、そういう話?
そもそも人間は少なからず他人からの評価を優先して生きてるっぽいですよ(ソース:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000011.000030921.html)
いくつもあった励ましとか、匿名性ゆえの叫びを評価してくれた人には改めて感謝を。
みんなの言語能力が高くてちょっとビビる。読書量の差を感じた。
大学4年生です。ちょうど就活を終えたので、周りの学生や親に対して思ってることを書きます。
俺は 公立小中→県立高→早慶→有名企業 ってルートだけど、学校の勉強のお陰で、人生がめっちゃスムーズに進んだんだよね。
地元の公立中は意識低い人ばっかで、少し頑張ればほぼオール5が取れた。県立高校入試は内申点が4割だったから、簡単に偏差値70のトップ校に入学できた。
高校入ったら、これまで必死に勉強して燃え尽き症候群状態の人ばっかで、内申点の余裕で気力を温存してた自分は一発目から上位に食い込めた。
3年間優等生で通して、指定校推薦で早慶に進むことができた。(私立と違って、公立は純粋に成績良い人に指定校渡すよ)
大学でもGPAはしっかり取って、お陰で交換留学選考を余裕で突破できた。半年留学しても100万以下で収まって、格安すぎた。そして成績優秀者だから給付奨学金40万の案内も来た。
就活でも、成績証明書の提示を求める企業は意外と多くて、「履修データセンター」なる専用サービスもある。
GPAが高い自分は好印象で、内定の決め手の1つだったと思う。
交換留学+GPA+バイトエピソードで、大手から3つ内定もらった。
ということで、世の中「学校の勉強」を軽視する人ってめっちゃ多いけど、少し頑張ると、こんな感じで人生前半がめっちゃスムーズに進みます。
増田視点から見たら壮大なドラマになるんだろうけど、出版社視点で見たら数千人という応募の中で、ガクチカ豊富な新卒や経験豊富な経験者に混じって未経験アラフォーが居てもそりゃあ採用できないのは当然だよ。
今から話すのは新卒就活の方だけど、MARCH〜東大レベルの学歴の文系新卒が5000-8000人とか応募して25人位しか受からないようなレベルの業界。元々買い手市場なんだよ。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001143.000013485.html
大手だけじゃなくてどうしても漫画とか小説とかのエンタメやりたい人間がしがみつくから中小でも倍率50倍とかザラだし、なりたくてなりたくてそれこそ小学校の頃から大学進学と上京目指して勉強する子もいるぐらい。所謂ガクチカもこの時のために練ってる人が多い。
自分は新卒で出版社就活した身だけど、周囲のレベルの高さに慄いたし当然落ちた。今は辛うじて出版業界に入れたもののやっぱ編集部は無理だった。
中途でも業界内で人材が循環してる感じ。何か光るものがないと異業種からは難しい。
だから増田に言いたいのは向こうも冷やかしで落としたんじゃなくてあなたの能力・スキル・経験・センスが市場に対して合ってなかっただけだよ、って話。
「もしかしたら受かったかも知れない」と思いながらその後の人生を生きることになるぞ。
どうせ受からないし、そもそも学歴フィルターですっ飛ばされるだろうけど、受けるだけ受けてこい。
しどろもどろになりながら「ティアキンがマジで面白くて~~~俺も世の中に感動を与えたくて~~~」とかほざいてこい。
つうかな、やるだけやる癖をつけろ。
やるだけやったわけでもないのにとりあえずで諦めるな。
今の2年生、1年生は覚えといてくれ。
ガクチカとかやるにしても、どっか一社狙いで考えるんじゃなくて、業界関係なく使えそうな感じでやったほうが結局上手くいくから。
今目の前にある第一優先課題をひとまずちゃんと終わらせられるかって所でコケるとそっから逆転するの辛いからよ。
任天堂に入れる可能性を0.01%から1%に上げるために頑張ってみいや。
「俺だけが気づいた隠れホワイト企業に楽チンに入ってウハウハやぜ~~~」みたいなこと考えてると苦労するよ。
だからって失敗しないために頑張ろうとかやってられんだろ?
ならさ、ガチの第一志望に入るために頑張って、その過程でそこそこの所には入れるような感じにしようや。
ぶっちゃけ、こういう考えで生きるのは早い内の方がええけどな。
小学生の頃から任天堂入りたくて頑張って勉強して、そんでいい大学出て、就活で落ちて一通りやけ酒飲んだら割り切った奴がなんだかんだ人生いい感じになるねんな。
大学で何もやらなかった人間だから面接では身の上話を切り貼りして語ってる
それぐらい苦労してきたんならまあストレス耐性あるだろ的な感じだと思う
自分の行きたい業界では身の上話がエピソードトークとして使えるって気付いてから就活がぐっと楽になった
な〜んだ無理してガクチカひねり出さなくてもイージーモードじゃんって
でもそうやって自分の過去のことや辛かったこととかを会ったばかりの他人に大っぴらに語って
お涙頂戴みたいなこと言ったり健気な感じを演出したり
そういうことするたびに何か大切なものが失われていく気がする
やらないといけない状況だったからやっただけなのにさ
それをなんか、精神的に成長できたきっかけだとか困難を乗り越えた経験とか
後付けでそれっぽく面接で盛るたびにさ、必死こいて頑張ってたときの努力とか苦労が全部馬鹿みたいに思える
一次面接までは通るんだけど、その先がきつい。まあ働きたくないの見抜かれてるんやろな。
現状として、学歴/容姿/基本的な対話能力に問題はない(と思っている)が、いかんせん本気で何かをしたことがないので「真剣さ」を演出することが極端に難しく感じる。趣味とかガクチカは上手く話せても、志望動機になると上滑りも上滑りでいいとこになるんだな。軽薄さを消したい。
というわけで、これなら興味なくても医学部にでも行っておけばよかったと思う。
少なくとも民間就職に向いている性ではないから、資格の必要な職業なり公務員なり、テスト+αでなんとかなる職業を目指した方がいいのかもしれない。
今まで見つけたのは以下だけどもっとあるはず
(五十音順)
オラにみんなの知恵を分けてくれ!
スペック→現在20代後半。底辺私大文系卒。大学時代授業出席以外完全引きこもり。ガクチカなし。
フリーターしながら予備校通い1年。国家公務員と大規模自治体に複数合格。
・筆記試験のウエートが低い地方公務員と違い、一次さえ突破できれば最終合格まで行ける可能性が高いと踏んだ。
・今まで全然勉強をしてこなかったので、専門科目の勉強がしてみたいと思った。
・底辺私大から資格職ではないまともな仕事に就くにはもうこれしかないと思った。
退職するまで
・全落ちのリスクを最小限にとどめるため、短期離職の経歴を作りたくなかったので3年働いた。
・退職する1年半前に実家に戻り、小遣い1万、家に2万入れる以外は全額予備校費用と1年間勉強するための生活費の貯金をした。
・ガクチカが一切なかったので、自己PRで少しでも有利になるよう成長できそうな仕事は積極的に引き受けた。
・実家に戻った後簿記2級を取った。これにより長時間勉強する体力がつき、自信になった。落ちたら経理派遣をやろうと思っていた。
退職後
・大手予備校に最もスタンダードなコースで入校した。予備校のカリキュラムに忠実に、講師に言われたことはすべてやった。
・自分の勉強スケジューリングにあまり自信がなかったので、2週間に1回は講師に勉強進捗を報告していた。
・1日10時間は勉強した。(朝3時間、昼間5時間、夜3時間ほど。)
・モチベを維持するため、SNSやオプチャを活用して仲間を作った。
反省点
・基礎学力が足りなかったため、数的処理(中学受験に出てくる算数のようなものらしい。)と英語が全然できなかった。
思えば、退職前に英単語くらいはやっておけばよかったかもしれない。
民間いっこも受けてないのに。併願ゼロの1本勝負だったのに。大学卒業したら無職マンです。
落ちた理由はなんとなく分かる。自分が面接官でも落としてる。緊張感がない。一生懸命さもない。専願のくせに「どうしても受かりたいんです」顔ができない。でも緊張はしてるから頭は真っ白で、集団面接でも答えに詰まって空気が終わってた瞬間が2回はあった。
それなりの学力はあるはずだし、割と器用だし、採用さえされれば想定よりはいい働きを見せると思うのですが。それを上手に表に滲ませるのが下手なんだろうな。私はこういう人間ですって言語化するのも苦手。自己アピールができないやつが面接に受かるはずがない。バイト増やそうとして受けた面接も2連続で落ちてる。今やってるバイト2つは、どうしようなく人手不足だったからとにかく人が欲しくて採用されたんだろうな。想定よりはいい働きを見せている(多分)から辞めさせられずに済んでいる。人手が足りてないだけかも。
大学は私立フル無視国公立1本勝負で前期落ちた。後期でなんとか受かったが、成績開示してみれば合格最低点だった。そういう運は強い。公務員試験だって、なーんにも勉強してないのに筆記試験は受かった。受かるわけないと思ってたから、バカばっかりじゃんと思った。面接でどうせ落とすなら最初から不合格で良かった。
民間受けてない分、ESとかガクチカとか全然対策できてないし、面接の練習ももちろんしたことない。公務員なめんなよ。どーすんだよ来年から!とりあえず落ちたことを親に報告しないと…
小さい頃から勉強はできたけど、努力したことがなかったツケが今回ってきてる。中学生の頃に塾で受けた英語の模試が全然ダメダメちゃんで、高校行ったら英語の成績落ちるんだろうなと分かってたのになんの対策もしなかったから今も必修の英語を再履で落としてる。高校生の頃から少しずつ太ってることに気づいてたのになにも気をつけなかったから高1の頃から13kg太った。自分に必要な努力を積み重ねることができてない。できてないなと振り返る暇があるならやれよ!自己肯定感だけは妙に高いから、こういうダメな自分も愛せちゃう。自分を嫌ってる方が自分のために努力できる人になるんじゃないか?根がポジティブだからかうつ病にもならない。今までに何度か危ない瞬間はあって(コロナ禍の大学生活が上手くいかなくて気がついたら周りの人間関係が出来上がっていた時とか、周りが就活してる中公務員試験の勉強をひとつも進められなかった時とか)、悩みを素直に人に相談できるタイプじゃないし、ストレスを自分の中に溜め込み続けたらなにかしらの精神病になってしまうんじゃないかと思ってたけど、寝たら忘れるし些細なご褒美でご機嫌になる楽観的な性格のおかげで、定期的にハゲるだけで済んでいる。大学卒業までにうつ病にならなかったら、多分死ぬまでうつにはならないし自殺もしないだろう。
今のこのモヤモヤした気持ちも寝たら忘れるんだろうな。実際、書いてるうちに落ち着いてきてしまった。もうちょっと焦って欲しい。
ああ…親に報告しなきゃ……
大学生が論理的文章を書けずお気持ち構文になってしまう問題、原因は入試・就活にあるのではないか?
一般入試で入学する学生は今の時代、半分程度らしいじゃないか。残り半分の多くは「高校時代何をしたか、その経験で何を感じたか、大学生活で何をしたいか」という、まさに「自分の経験と感情、頑張りたいですというお気持ち」を自己PRして入試を突破してきた。そのフォーマットにあった文章や考え方を鍛えてきたわけだ。
そして大学3年生になれば就活が始まる。ガクチカとかいうやつはまたしても「学生時代に何に力を入れたか、その経験で何を得たか」フォーマットだ。そして「御社では〇〇の経験を活かして活躍したいと思います」と思いを語る。
大学受験や大学生活の方が、小中学校時代に年一回夏休みの宿題で書かされる読書感想文より、よほどお気持ち構文を訓練している。
現状、お気持ち構文は彼らの人生にとって有用なんだから、思考方法がお気持ち構文よりになってしまうのは当然の帰結ではなかろうか。
どこに吐き出せばいいのかもわからない自分の気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分の人生を増田に投下したい。
要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。
就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。
ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかったから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。
中学に入学したあたりでクラスもバラバラになり、小学生の頃のグループは自然消滅してしまった。
誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。
部活にも入らなかった。正確には入れなかった。
聞こえてくる話を聞く限り、中学に入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。
特にスポーツの経験もなく、かといって文化的な素養もない俺にそのようなものはなかった。
「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。
未経験の部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。
友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。
最初の入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校の出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。
中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。
親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。
中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。
みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。
親にねだってPSPとモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校にPSPとカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。
国語の先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。
今にして思えば、ポケモンに詳しかったことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。
勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部のクラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから、勉強を理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。
勉強の甲斐あって、地元で1番の公立高校に合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。
合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEをインストールした。
中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。
失敗した。
出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。
3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後のメンバーであった。
私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。
同じ塾での繋がりから、合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。
結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債に高校生になっても苦しめられるのかと思った。
部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。
2ヶ月で辞めた。
私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。
先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベルと自分の立ち位置があまりに乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。
自分だけが初心者だという引け目から、同級生ともろくに話せずに終わってしまった。
ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。
同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分を正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。
幸いだったのは学校に自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室で勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。
中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。
何も言わないでいてくれた親の気持ちを想像すると、胸が苦しくなる。
高校でTwitterが流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生をフォローした。
フォローバックも多少はしてもらえたと思う。
しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。
一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。
LINEを交換しているもの同士でスコアがランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。
その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。
3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為が自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なものを選択して口からアウトプットするという一連の行為が自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。
その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。
ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。
当たり前だが、次の機会は来なかった。
高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記が限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。
今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。
講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校も予備校も基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。
サークルの新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。
先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。
新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。
自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。
テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。
授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。
しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。
ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学のゼミを志望したが、人気ゼミの面接に通るはずもなく落ちた。
結局、不人気な統計学のゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。
自分の存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。
そして就活の時期を迎えた。
講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものにエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。
志望動機や経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。
奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。
その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後に儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。
同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーダシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手の企業で内定を得て働いるのだろうなと思う。
昼休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦で大学に入ったらしい。
学業にしか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。
後日講義室で聞こえてきた「1dayインターンは意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。
そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。
就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。
他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。
あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。
無職で世に放たれるよりは学生の身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮で留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。
結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。
勉強だけは出来たのだから、学業で勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。
予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかったことを覚えている。
筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。
周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活の面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。
いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。
無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。
あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。
どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。
どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。
1年引きこもってもその答えは出せずにいる。
何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。
ここまで育ててくれて、何も言わずに無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。
こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれた人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。
せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
ご想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。
その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。
人生の先輩方の生存バイアスに塗れた話を聞き,キャリア形成に活かせといった講義だ.
スライドの中でその先輩は外国人に交じって日本人には似つかないほどの笑顔を見せていた.
それを見ている自分はというと,研究とはまったく関係がない,レポートのための英論を読んでいた.
ポケットに入れたスマホが震える.今日もマイナビでセミナーがあるらしい———
4年でやった研究は楽しかったし,成果も少しはできたが物足りなさを感じていた.
あと2年あれば自分の満足のいく研究ができるだろう,そう思って新たな学びの門を叩いた.
なんでも夏のインターンに参加しなければならないらしい.
選考に影響があったりするので業界研究・企業研究をして数か月後にはESを出さねばならない.
ガクチカがどうとか志望動機がどうとか考えるのは非常に苦労した.
そしてその後には履修登録もあった.
もともと学科の中では異質な研究だったので仕方ない部分もあるが,B1と何も変わらないような一般教養まであった.
これからの修士は自分の専攻だけでなく,他学科の授業や教養も含めたリベラルなんとかが求められるようだ.
そして6月,自分は精神的にとても追い詰められた生活を送っている.
たいして調べていない企業の志望動機を書き,これから行うはずの研究の成果を書き,クマが残った顔で面接を受ける.
研究に関連しない英論を読み,異なる学科の未知の概念と格闘する.
おそらく今週のゼミではあるようなないような進捗を発表し,最近の繊細な学生のために身に着けた,奥歯に物が挟まったような指導教員の説教を聞くことになるのだろう.
俺さーテキトーに中学受験して偏差値50ぐらいの学校行ってさーテキトーに大学受験して偏差値50ぐらいの学校行ってさーそんでレポートだるすぎて留年してー卒研ダルすぎて中退してーんでまー職業訓練校みてーの入って資格取ってそれチラつかせて就活終わらせたんよー
人生で一度も「限界?だが、超えるぜ!どんなに苦しくてもやり遂げる(Gガンダム♪)」したことがねーのよなーそれがやっぱこういざ壁に当たったときに露骨に効いてくるっつーかさーなんかまー徹夜してけばワンチャンはあんなーと思ってもそれで最後に勝利するビジョンが浮かばねーんだよなー
オーラスで跳満ツモか満貫直でまだいけんべーとなっててとりま手慣れでホイホイ進んでま満貫はいけそっすねーみたいな状況でさーじゃあこれどうやって直撃させんねんってのが全然見えん感覚よねー
自分がやり遂げられるビジョンを過去から引っ張ってこれねーというか過去を振り返ると敗北しながらダラダラと参加賞貰ってヘラヘラしつつ死んでないから安いっしょーで誤魔化してきた姿しかねーのよねー
一回でもいいから「激闘の果てッ遂に悲願達成ッ!玖吼理も喜んでいる!勝利の栄冠を君に!」みてーな感覚に浸れてればそのときの勝ち犬モードに向けて魂を過去へとシンクロさせてきゃいいんだが俺にはそれがねー激戦区の隅っこで敗走逃げ恥しかしたことねーよ
脇役として死なねーことは出来ても主役として物語を勝利で終わらせるのは俺には無理だなって負け犬根性染み付いてむせるー
いやマジさー面接官どもが散々ガクチカ的なの聞いてきたのってこれなんだなって今やっと完全に理解した社会人5年目ですわー遅すぎてビビるね
今まで仕事で生き延びてきたのも「コイツに任せる?いや俺がやったほうがいいな」を眼と眼で通じ合ってきただけであってその辺の空気とかもういい加減読まずに谷に突き落としてみっかで結果的に完全にアカン感じっすわ
勝利へのビジョンが見えなすぎ病が発症してるから人に助けを乞うにも「もう全部駄目ですーモウオシマイダー」しか言えねーけど流石にそんな奴に返ってくる言葉は「何を手伝って欲しいかはお前がまとめろ」だよなーでもなー俺にはマジでみえねーんだなーピンチになると脳が呪われて霧がかかるんだよなー余裕があるときは漠然と見えてたはずの霧の向こうの勝ち筋が全部隠れんだなー
やり遂げ経験値だけがこの呪いを弾き飛ばすんだろうなって理解しつつもむしろ俺にあるのは逃げ出し経験値だけなのでーもうこれはー駄目だーこういう所が駄目ーマジ駄目ーなんだこれイマジナリー大槻か?
マジどうにかしたいね。
服を買いに行くための服がないモードに入ってるね